この世に存在しない
毎週木曜日は国語のおさらいをする日。
国語辞典をパラパラしていると、時に「あれっ」と思う記述にぶつかります。
今週のおさらいはそんな記述に遭遇したのが切っ掛けでした。
辞典の「わ」を読んでいたら「我と」と書かれていました。
別にその単語がどうこうしたわけじゃありません。
ただ私の頭の中では「我=自分」の等式があるので、ならば「自分と」も載って
いて当たり前。
そう思って「じ」のページを開いたら無いんです、新明解国語辞典を隅々まで
探しても「自分と」が見つかりません。
これはどうしたことか、今週はその辺りについてのおさらいです。
先ずは「我と」の解説です。
<我と:(多くは我とわが身の形で)自分自身の存在を強く意識することを表す。>
(新明解国語辞典 より)と書かれています。
言われてみればこの言葉を使う場面では「我と+我が身」はセットです。
別の解説では<①自分から進んで、自分で、自ら ②ひとりでに、おのずから、
自然と>(goo辞書 より)とありました。
ここまでは合点のいく話です。
一方「自分」を引くと<自分:行動したり何かを感じたりする、当のその人。
話し手自身を指す言葉。(旧軍隊で多く用いられた)>(新明解国語辞典 より)
とありますが、「自分と」は見当たりません。
「なるほど、自分との表現はこの世に存在しないのだな」、そう思って一件落着
の筈でした。
大作家の実例
ふと頭の中に「自ずと」って言葉が浮かんできました。
<自分からそうしようと思わなくても、事柄の性質上必然的にそうなる様子。>
(新明解国語辞典 より)
字面だけ見れば「自分と」に似ていないこともありません。
こちらは辞書に載っているのにあちらは載っていない、これにはどんな事情が
あるのだろか?
あれこれ調べていたら大逆転です。
ネットで「自分と」を発見してしまったのです。
<自分と:①ひとりでに、自然と ②自ら、進んで>とあり実際の作品からの
引用も載っていました。
①の例では<穏やかな空が自分と薄くなり行く所であった。>
これは夏目漱石の「門」の一節。
親友の妻と道ならぬ仲になり、全てを捨ててふたりで生きていくことを決意
した男の心持を描いた作品。
大昔に流し読みをしただけなので肝心の「自分と」がどこに登場したかは全く
記憶にありません。
でも漱石先生が使っているのだからこの世に存在するのは確かです。
一方の②については<自分と自分の心を引き締める。>
こちらは徳田秋水の「爛(しゅん)」からの引用です。
(引用はいずれも goo辞書 より)
私はこの作品を知りませんが、世に名を遺す文豪が使った事実だけで充分です。
晴れて「自分と」の存在を確かめられました。
何故辞典に載っていないかについては・・・知りません。
毎週木曜日は国語のおさらいをする日。
国語辞典をパラパラしていると、時に「あれっ」と思う記述にぶつかります。
今週のおさらいはそんな記述に遭遇したのが切っ掛けでした。
辞典の「わ」を読んでいたら「我と」と書かれていました。
別にその単語がどうこうしたわけじゃありません。
ただ私の頭の中では「我=自分」の等式があるので、ならば「自分と」も載って
いて当たり前。
そう思って「じ」のページを開いたら無いんです、新明解国語辞典を隅々まで
探しても「自分と」が見つかりません。
これはどうしたことか、今週はその辺りについてのおさらいです。
先ずは「我と」の解説です。
<我と:(多くは我とわが身の形で)自分自身の存在を強く意識することを表す。>
(新明解国語辞典 より)と書かれています。
言われてみればこの言葉を使う場面では「我と+我が身」はセットです。
別の解説では<①自分から進んで、自分で、自ら ②ひとりでに、おのずから、
自然と>(goo辞書 より)とありました。
ここまでは合点のいく話です。
一方「自分」を引くと<自分:行動したり何かを感じたりする、当のその人。
話し手自身を指す言葉。(旧軍隊で多く用いられた)>(新明解国語辞典 より)
とありますが、「自分と」は見当たりません。
「なるほど、自分との表現はこの世に存在しないのだな」、そう思って一件落着
の筈でした。
大作家の実例
ふと頭の中に「自ずと」って言葉が浮かんできました。
<自分からそうしようと思わなくても、事柄の性質上必然的にそうなる様子。>
(新明解国語辞典 より)
字面だけ見れば「自分と」に似ていないこともありません。
こちらは辞書に載っているのにあちらは載っていない、これにはどんな事情が
あるのだろか?
あれこれ調べていたら大逆転です。
ネットで「自分と」を発見してしまったのです。
<自分と:①ひとりでに、自然と ②自ら、進んで>とあり実際の作品からの
引用も載っていました。
①の例では<穏やかな空が自分と薄くなり行く所であった。>
これは夏目漱石の「門」の一節。
親友の妻と道ならぬ仲になり、全てを捨ててふたりで生きていくことを決意
した男の心持を描いた作品。
大昔に流し読みをしただけなので肝心の「自分と」がどこに登場したかは全く
記憶にありません。
でも漱石先生が使っているのだからこの世に存在するのは確かです。
一方の②については<自分と自分の心を引き締める。>
こちらは徳田秋水の「爛(しゅん)」からの引用です。
(引用はいずれも goo辞書 より)
私はこの作品を知りませんが、世に名を遺す文豪が使った事実だけで充分です。
晴れて「自分と」の存在を確かめられました。
何故辞典に載っていないかについては・・・知りません。
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