Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

『凛』

2010-01-31 00:21:16 | 私の日々
品川区役所から裏道を抜けて大井町の駅に向かう途中、一か所、飲食店が固まっている一角がある。
夜はネオンに彩られ賑やかな佇まいを見せるかと思うが、昼間は閑散としている。
数年前になるが、そこに場違いな行列が続くのを見かけた。
行列はある店の前から始まり、通りを越えた向かいの道にまで続いている。
一軒のラーメン屋の店先から人々は静かに順番を待ちながら、並んでいた。

何回目かにその場所を通った時、いつもよりも行列が少なく10人以内程。
好奇心から並んでみることにした。
注文を何にするか、伝言ゲームのように店主から回ってくる。
メニューも出てないので、何があるかもわからないまま、「醤油。」と伝える。
「売り切れだって。」と伝言が回ってきたので、「それなら塩。」
「塩もないって。」と言われて、「じゃあ、何ならあるの?」と聞くと、「賄い。」と言われた。
「ならそれを。」と答えてしばらく待つ。

ようやく店内に入ると、カウンター7席ほど。
店主に「これからのれんが下がっている時は、店内に一声かけてから並んで下さい。」
のれんが下がっているのに気付かずに並んでしまった私を、並んだ以上は受け入れたとみた。
メニューは塩、醤油ラーメンと賄いラーメンの三種。
塩を頼んだ人には「ニンニク、赤か白入れますか?」と聞いている。
赤は唐辛子が入ったにんにくのペースト。
醤油を食べていたおばちゃん、「私もニンニク入れて。」と言うと、
「醤油にニンニクは合いません。」

店の壁に張り紙がしてある。
「注文はこちらが聞くまで言わないで下さい。」
「会計はお釣りがないようにお願いします。」
お財布の中を確かめるとその日に限って1万円札しか入っていない。
『賄い』というのを頼んだ人に出来上がった器が置かれる。
塩と醤油は細麺に量も少なめなのに対し、こちらは太麺に具もたっぷり、油も濃く、
溢れるばかりに盛られている。
とても食べ切れそうにないからきっと残すことになり、お会計の時にもお釣りをお願いすることになる。
待っている間に何だかドキドキしてきた。

店主はもくもくとラーメンを作っている。
細麺はかなり細いので茹で加減が秒単位で出来具合に係る。
その間に注文を言われて答えたりしていたら、麺は伸びてしまう。
高額紙幣のお釣りもしかり。黙って金額をカウンターに置いていくのがその店の流儀のようだ。
そのためにか金額もキリがいい。

私の前に「まかないラーメン」が置かれる。
量も小振り、先ほどの人は大盛りを頼んだのか、それとも人を見て量を判断するのか。
私は最後の客となり、ラーメンを完食した。
お釣りもお小言もなく渡してくれた。

その店のストイックな雰囲気に惹かれて、また来店することになる。
今度は醤油を頼んでみる。
生姜の効いた和風の出汁。賄とは全く違ってさっぱりした味に細麺が合っている。
焼豚も自家製らしく自然で美味しい。
店内に置かれた煮卵も追加。
中は半熟なのに、しっかり煮汁の味が浸みている。
これは、家でも半熟卵を作り、そのまま醤油ベースのたれに漬け込み作るようになった。
醤油ラーメンが500円、煮卵が50円。

何回か醤油ラーメンを食べて、その後訪問すると、私の顔を見て、「醤油ですね?」
「今日は塩でニンニクを入れてみようかと思って。」
店主の笑顔を初めて見た。
すべてに丁寧な手作りの味わいがある。
ここに来るようになってから他店、たとえ有名店でも、
ラーメンや具材、スープがそっけなく思えるようになってしまった。

大きなどんぶりを抱えて、必死に汁を飲み干す私。
通う内に、「これ、使って下さい。」と私だけレンゲを出してくれるようになった。
子供用みたいなキティーちゃん柄の小さなレンゲ。

ある日、その店は忽然と消えていた。
張り紙があり、隣町に移転したとある。
何回か移転先に行ってみて、味は変わらず美味しかったが、
店主は厨房、サービスする人がいて、カフェのような作りになっていた。
遠くなったのと店の雰囲気に馴染めなくて、足が遠のいてしまった。

今にも崩壊しそうな木造の屋台のようなカウンターだけの店。
湯気の中、寡黙に麺を茹でる店主とそれを見つめながら、黙って順番を待つ客達。
あの空間が忘れられない。


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