Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

スズランの日/Jour des muguets

2015-05-01 19:03:13 | 私の日々
「フランスでは5月1日をスズランの日としていて、
相手の幸せを願ってスズランの花束を贈る習慣がある」
ともう30年以上前から話だけは聞いているが、
実際にその時期にフランスに居たこともないし、
周囲のフランス系の場所や人においても、
特にそれらしきイベントの雰囲気を感じたこともない。
むしろメーデー、労働者の日としてマニフェスタシオン、
デモや街頭演説をする日のイメージの方が強い。

取り立てて騒ぎ立てるほどのことではないが、
昔からの伝統として残っている、
日本の菖蒲湯や柚子湯の習慣のようなものではと思ったりする。

スズランは大好きな花、
4月中旬からフラワーショップで切り花や鉢植えが置かれていると、
思わず手に取りたくなる。
強い香りの花々が年々苦手になってきているのに対し、
ほのかな香りで見た目も清々しいスズランの姿に惹かれる。

子供の頃、たぶん小学校低学年だったと思うが、
祖父母の家に遊びに行っていた時のこと、
祖母宛に小包が届いた。
開けるところを見守っていると、
箱の中からスズランの花が出てくる。
子供心に小包から花が出てくる様子はマジックを見ているようで目を奪われた。
自分の記憶の中では何か品物が入っていて、
その上をスズランが覆っていたように覚えている。

それにしても今のように送った荷物が翌日に届くような時代ではない頃、
花が瑞々しいままで送られてくる、
いったいどのようにしてそんなことができたのか、
祖母になぜ北海道に知り合いがいたのかなど、
いろいろなことが不思議に思えてきた。

母にそのことを尋ねてみると、
送り主は祖父の仕事関係の方の奥様でお里が北海道、
そして私が切り花だと思っていたのはスズランの苗だったと教えてくれる。
なんて素敵なんだろうと思って見ていた私に対して、
毎年恒例の贈り物だったからか、草花があまり好きではなかったのか、
祖母の受け止め方が淡々としていたのも記憶に残っている。

苗が届くといつも庭に植えていたそうで、
祖母も亡くなり、その方とのお付き合いも途絶えて、
花が送られて来なくなってからも、
毎年、しばらくはこの時期にスズランが咲いていたそうだ。
それがいつのまにか花が咲かなくなり、
同じ場所に何回か、余所から取り寄せたスズランを植えてはみたけれども、
根付くことはなく、その内に諦めてしまったと母から聞いた。

スズラン、名前の響きも可愛らしいし、
漢字で書くと鈴蘭となるが、この字体にも美しさを感じる。
フランス語では"muguet"、はて英語では何だったかしらと思い、
辞書を引いてみる。
"lily of the valley"と出てきたのには驚く。
それならバルザックの「谷間の百合」、英語のタイトルの"The Lily of the Valley"
はスズランのことを勘違いして違訳してしまったのかと。
映画や小説のタイトル、今とは違い情報量の少ない時代、
様々な間違った訳のタイトルや字幕がある。
フランス語での「谷間の百合」のタイトルは"Le Lys dans la vallee"になっていて、
これを読んで納得する。
英語にするのならどちらかと言えば"The Lily in the Valley"
この方が正しいニュアンスだったのかも知れない。

百合の花は聖書の中でもシンボルとして「野に咲く百合の花を見よ」
などと引用されるが、これは百合ではなく、アネモネの花だったという説もある。
白い百合の花と鮮やかなアネモネではまるでイメージが異なってくる。
花にまつわるエピソード、誤訳についてのエピソードには事欠かない。
そもそも見たこともない植物を翻訳するのだから。

スズランの季節は初夏の訪れを象徴している。
肌寒い日々は終わり、着る物も食べる物も変化していく。
梅雨に至る前の一年で最も心地良い時期。


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