Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

再び思い出の地へ

2011-12-29 20:37:02 | 私の日々
12月も中旬となった頃、
「Aはお正月はニューオリンズでしょう?」と母の言葉を聞いて、耳を疑った。
9月初めに航空会社のサイトからチケットを購入、
その後、下の弟が大病したこともあり、そのまま旅行の計画は放り出してあった。
そして夫とも相談してキャンセルつもりでいたのだ。

チケットは購入翌日は無料でキャンセル、変更可。
翌々日からは出発寸前まで変更も取り消しも同額の手数料になっていた。
もし旅行代理店を通して購入してあったら、
キャンセル料が出発日が迫るに従って増していくゆえ、
とっくにキャンセルしていたと思う。

救急で入った最初の病院で社会復帰は、できたとして半年後、
退院後はリハビリ施設へと言われていた弟。
転院先の病院からは手術の約2週間後に主治医から自宅への退院を告げられた。

リハビリのプログラムも一通りクリアできているので、
通う必要もないと言う。
後は日常生活を積極的にすることが最も良いリハビリになる、
という意見だった。
仕事は短時間から初めていき、脳を活性化させていくこと、
しかし睡眠をしっかり取って脳を休めることを忘れないように、
と医師は言葉を加えた。

家に帰って3日後には私と一緒に帽子とメガネを買うために、
近くのショッピングモールまで歩いた。
最初は以前と違ってしまった体調に違和感があったようだが、
その後毎日歩いて体力をつけ、22日には職場に挨拶に行ってきたという。
往復の通勤時間が長いこともあり、さすがに疲れたようだったが、
それでも年末までにもう一回、半日だけ仕事の整理に行くと言っていた。

80才近い母が「ニューオリンズ」という地名をはっきり覚えていたのも驚いたが、
キャンセルするつもりでいると言った私に、
そんなことをされたら心苦しい、自分達だって好きなことができなくなってしまう、
ぜひ、行って来て欲しい、と意外な言葉が返ってきた。

12月も10日を残す余りになって、切れていたESTAの申請。
まだ空室のあるホテルを物色し始める。
最初に目を付けていたところは既にすべて満室。
残っているところから、私が泳ぎたいのでプールのあるホテル、
夫が喫煙者なのでバルコニーのある部屋を選択。
フレンチクオーター、バーボンストリートのド真ん中だ。

前回のNOLAへの旅、ニューオリンズへは直行便がないので、
最寄りの都市で直行便があるヒューストンで往復乗り換えた。
今回、ネットで予約するのにあたって画面を見ていたら、
行きに最短時間で行くのがLA乗換え、帰りはアトランタ。
乗り換え時間を短く設定してしまったのが少々心配なので、
航空会社に問い合わせたが、まず問題ないとのこと。

結婚25周年、記念日の日は弟の入院先で迎えたが、
年末は家族皆で旅行へと送り出してくれることになった。

アメリカ南部には独特の雰囲気がある。
南北戦争前にはアメリカ屈指の大都市でその後も古都して親しまれ、
ハリケーンカトリーナ以降、観光地としても衰退してしまっているニューオリンズ。
前回に見学したハリケーンカトリーナの被災地とその復興状況、
2年半たった今はどれくらい復興が進んでいるだろうか。

人懐っこくて親しみやすい人々、大木にぶら下がるようにして、
生えているスパニッシュモス、ねっとりするような湿気と暑さ。
カリフォルニアしか知らない夫にぜひ、これを味わって貰いたい。
前回は行けなかったプランテーション、また市内のクラブやレストラン、
街中を散策するのもいい。
もっとも今の時期は日本の秋口程度の陽気らしいけれど。

ついでに全く予定を入れていなかった来年のライブ、
ブルーノートのレイラ・ハサウェイとビルボードのカ―ク・フランクリンを予約する。
何だかようやく日常が戻ってきたかのようだ。

皆さまもどうぞ、良いお年をお迎え下さい。