行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

官僚たちの夏終わる

2009-09-21 22:21:30 | Weblog
テレビドラマ、官僚たちの夏が終わった。見終わると複雑な感じで、現在の流行り言葉「脱官僚」とはあまりにも空気が違った。城山三郎の古い小説のドラマ化でミスター通産省といわれた佐橋元次官がモデルだが、私の現役時代より以前の話で、当時の通産官僚の使命感というか、滅私奉公ぶりが強烈に印象に残った。

もちろん小説なので、現実とは違う部分も、かなり脚色した場面もあっただろう。例えばドラマではかなりの時間を時の首相とのやり取りの場面があったがいかに通産省の局長クラスといえども頻繁に官邸を訪れることはできなかったのではないか、しかしその首相官邸が主舞台となっている。

佐藤栄作とおぼしき首相は政治家として小笠原・沖縄返還を最優先にあげ、見返りに米国の要求を飲み、ヴェトナム戦争への肩入れと繊維輸出の制限を受け入れ、繊維産業を守ろうとする通産官僚と対立する。

その時、主人公の通産次官は時の首相に対し堂々と言う、「私たちは日米対等実現に努力してきたのではないですか」「首相、日本人が誇りを持てる国にして下さい」と、今も生きているセリフだ。

また、エネルギー革命と炭鉱事故が続くことによって、石炭産業が崩壊する場面では担当局長自ら現地に赴き、対策に奔走し、疲労から命を落とす。
当時は政治家より通産官僚の方が目線は国民に近く。日本をどの方向に持って行くか官僚の方が真剣だったとドラマでは言っている。

高級官僚の目線がいつから国民から離れてしまったのだろうか?日本が発展する過程では自分たちの役割が見えていたが、やがて経済大国になり、民間の企業も自立して政府の役割が小さくなったことと、あの忌まわしいバブルで高級官僚だけでなく日本中のリーダーが狂ってしまったことにその因があるのではないだろうか
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