大河ドラマ「青天を衝け」はいよいよ佳境に入って、面白くなってきた。日本史で習った幕末から明治にかけての歴史は、大政奉還から薩長を中心とする明治維新へそして民権運動、憲法発布、日清戦争、その間西南戦争を代表する不平武士の反乱鎮圧、とわずか数ページで終わってしまう。ドラマ青天を衝けでは幕府の(フランスの協力で)近代化への策や、明治政府になってからの混乱ぶりが演じられ、これまでの教科書日本史とは異なる側面が登場し、そうだったのかと興味ある場面が多々あった。
主人公渋沢栄一が豪農出でありながら、幕臣となり、やがては明治政府の大蔵省の役人になり、前回から民間人として活躍する。幕臣の頃の山場は徳川昭武の随行でパリ万博に赴いた場面だ。そこで証券取引所など資本主義の何たるかを知り、その知識は混乱している明治政府の政策立案に寄与し、盟友杉浦譲を誘い政府の土台作りに邁進した。杉浦は幕臣としてパリ万博派遣随行の前、1864年12月29日から翌年7月18日にかけて池田長発を正使として派遣された第一回の幕府フランス派遣団に随行し、皇帝ナポレオン3世に謁見している。最近この派遣団がナポレオン3世やその皇后に献上した日本の美術品がフォンテンブロー宮殿で発見され、話題となっている。
杉浦譲は渋沢栄一が政府を去っても、残り民部省・内務省で富岡製糸場建設や駅逓(郵便)制度創設に関与した。ドラマでは幕末の幕臣が多く登場するが日米通商条約など、困難な外交案件を手掛けた中心は小栗上総介で、彼は渡米派遣団に加わり、米国の産業機械や造船技術に圧倒され、お土産にネジを持ち帰った逸話がある。あまりにも優秀であったためか江戸城開城後、新政府軍は処刑してしまう。小栗は横須賀に造船所を作り、富国強兵路線をとり、やがては明治政府の戦力になるのだが、函館で抵抗した榎本が新政府に出仕したことを考えると小栗の処刑は新政府の混乱ぶりがうかがえる。
渋沢、杉浦、小栗といった幕臣の知識人が新政府に必要なことは大久保利通などトップは認識し、やがて1871年から1年10か月間長期にわたる大規模な岩倉欧米使節団派遣となった。使節46名、随員18名、留学生43名。使節は薩長中心だが、書記官などは旧幕臣からも選ばれた。注目すべきは留学生で、中江兆民、津田梅子、山川捨松等々、後に日本を背負う若者が多数いた。通訳としては新島襄が随行している。
昨今のコロナ敗戦でも厚生労働省官僚の動きが鈍くなったことが話題となったがどの時代でもテクノクラートが生き生きと活動できることが重要だ。
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