脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

こどもになりたい。

2008年01月25日 | 心の葛藤
こどもになりたい。

優しく世話してくれる母親と

あらゆることから私を全力で守り、

私に代わって私を苦しめた加害者に対し怒り、
全力で闘ってくれる父親と、

そういう両親に守られて、
何も心配することなく、
心穏やかに、闘病生活を過ごすことのできる、

そんな、子供の患者になりたい。

働くことも、
家事も、
性も、

人間関係のお付き合いも
義理も
礼儀も
社会や地域に生きるための義務も、

大人として当たり前の、数々の事を、
何も求められない、

苦しい時には、
ただ、病人でいられる、

大人たちの保護と優しさに囲まれた

こどもの患者になりたい。

食事をつくるどころか、

自分が食べることも、
トイレも、やっとであるくらいつらく、

着替えも、歯磨きも、お風呂も
激しいだるさでできないとき、

「よし、よし」と大人に笑顔で手を貸してもらえる
すべてを自分でできなくても、
責められない、
こどもになりたい。

入院準備でさえ、
何が必要か、どんな書類がいるのかも混乱する思考力で、

たかが準備に何日も何日もかかるほどの頭と、
体もつらく、かばんにつめることもつらく、
日常生活に追われ、
自分でなかなか出来ないとき、

何の心配もなく、親にやってもらえる、
こどもの患者になりたい。

大人に働いてもらい、
ご飯を炊いてもらい、
料理をしてもらい、
片付けもしてもらい、

ゴミ出しをしてもらい、
回覧板をまわしてもらい、
宅配便の受け取りに出てもらい、

集金に応対してもらえ、
電話に出てもらえ、
あらゆる人との応対を
本人に代わってやってもらえ、

難しい交渉も、
思考力低下の頭では難しいさまざまな手続きも、
書類書きも、文章書きも、

患者が負担に感じるすべてのことを、
「まかせとけ!何も心配しなくていいよ」って言ってくれる、
頼れる大人がいつも側にいる、

恵まれた
こどもの患者になりたい。

洗濯をしてもらえ、
たたんでもらえ、
掃除をしてもらえ、
買い物にいってもらえ、

寒くなれば
いつのまにかコタツが出ていて、

衣類も冬物が出てきて、

春になれば、
冬物は洗濯されてしまわれ、
春ものが出てきて、

季節を快適に過ごすための
備えも

日常生活に必要なあらゆることを
大人たちに準備してもらい、支えてもらえる

こどもになりたい。

脳脊髄液減少症になって、
苦しく長い家での闘病生活で、
大人としての数々の雑用をこなさなければならない毎日で、

私がそう思ってしまうのは、
たぶん、幸せなこども時代の記憶があるから・・・。

大人に支えられて、
何の不安もなく、生きていられた幸せな記憶があるから・・・。

とても優しく面倒を見てくれた祖母がいた。

病気になると、とても優しく看病してもらった。

私は自分のことだけ気にしていればよかった。
あとは何も心配しないでよかった。

学校に休みの連絡を入れることも、
病院の手配も、
すべて大人たちがやってくれた。

病気になって体は苦しくても、
心はくつろぎに満ちて、安心しきっていた。
病人でありながらの
あの安心感とやすらぎは今も忘れない。

そんな子供時代を送れたことに
感謝している。

でも、大人になった今、
自分のことのほとんどは、
自分でこなさなければならない。

交通事故で脳脊髄液減少症にさせられて、
うまくまわらない頭と体を抱えても、
自分のことは自分でしなければならない。

それは「大人」だから・・・。

私は自分が大人になって、
脳脊髄液減少症という見えない後遺症を抱えて、
働くことは免除されて、生きることを許されても、

闘病中、大人としての、こなさなければならない、
数々の事に直面して、途方にくれた。

高次脳機能障害に翻弄される頭と
苦しくつらい体をかかえながらも、
できる範囲で家事や社会に生きるための
最低限の行為をやらざるをえない状態になってみるまで、

病人として子供が寝ていられる陰で、
大人たちがこんなにたくさんのことをこなして
支えていてくれたことに、私は気がつかなかった。

こどもの私を保護してくれていた、
おとなたちのありがたさに
気がつかなかった。

でも、
世の中には、
今日生きることさえ、ままならない
厳しい環境におかれているこどもたちがいる。

大人たちの虐待によって、
今日も、命が危険にさらされているこどもたちがいる。

そんなことはわかっているのに、
大人の私の、
今の恵まれた環境も、頭では充分理解し、感謝しているのに、

私を支えてくれている周囲の人たちがいたから、
ここまでこれたとわかっているのに、

苦しい時に、もう親や周囲にはあまり頼ってはならない
「大人である」自分に気づき、
途方にくれてしまう。

誰か助けて!
私の変わりに、やって!と心の中で叫んでしまう。

「できない自分」を
周囲はなかなか認めてくれない。

「手を貸してほしい」と頼んでも、
私の、その見た目のなんともなさから、
なかなか真剣に手を差し伸べてもらえない。

そんな時、ふと
こどもになりたいと思ってしまう。

誰だって大人はつらいのに、
自分だけではないのに、
甘えてはいけないと思ってみても、

もし、私がいたいけなこどもの患者だったら、
こどもの被害者だったら、

親も周囲の大人たちも、医師たちも、社会も、
私を優先して対応してくれたのだろうか?
もっと優しく接してくれるのだろうか、
とつい考えてしまう。

そして、
大人だからと、
ひたすら症状があっても、耐え続けなければならず、
優先もされず、ただただがまんして、
いつ終わるともしれない苦しみの日々から
解放されたいと思う。

症状に苦しんでいてもなお、
こなさなければならない、生きるためのすべての
大人としての義務から解放されたいと思う。

ただただ病人として存在することを許してもらえる、
大人の優しさに囲まれた
こどもの患者になりたい。

どんなに動けなくても、
ただ、
存在しているだけで、
愛され大切にされる

あかんぼうになってしまいたい。




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15 コメント

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今夜 (ゆめ)
2008-01-28 17:07:44
http://www.bbt.co.jp/

返信する
Unknown (アクビ)
2008-01-28 17:52:41
富山のテレビ局?
残念ながら、うちでは見られない。。。
内容は気になるけどね。
返信する
日本って広いね。 (ゆめ)
2008-01-28 20:57:31
そう富山のBBTスペシャル

以下上のホームページのBBTスペシャルのところ
から紹介。

2008年1月28日(月)放送(第331話)
『届かぬ声~脳脊髄液減少症とニッポンの医療~』
--------------------------------------------------------------------------------
交通事故や激しい衝撃により脳を覆う髄液が漏れ、脳の位置が低下、様々な神経障害を引き起こす「脳脊髄液減少症」。この治療にはブラッドパッチと呼ばれる自分の血液で髄液漏れを塞ぐ治療が有効とされていますが、保険適用されておらず、また、医学界でも診断基準が未だ統一されていないため、患者らは経済的にも精神的にも追い詰められています。解明されない脳脊髄液減少症と患者の悲痛な叫びから、日本の医療の姿を追いました。

高岡市出身の人気漫画家、まつもと泉さんは9年前、原因不明の頭痛やめまい、吐き気などに襲われ、漫画界から忽然と姿を消します。
40を超える医療機関を転々としながらも症状は改善せず、苦しい闘病生活を強いられていた矢先、ある病名が告げられます。「脳脊髄液減少症」。交通事故や激しい衝撃、はたまた出産により脳を覆う髄液が漏れだし、脳の位置が低下。様々な神経障害を引き起こします。
この治療にはブラッドパッチと呼ばれる自分の血液で髄液漏れを塞ぐ治療が有効とされていますが、保険適用されておらず、患者は一回の治療で、入院費を含め20~30万円の自己負担を強いられています。この病気は医学界でも未だ統一された診断基準やガイドラインが示されていないことから、「怠け病」「さ病」とまで揶揄されるなど、患者は経済的にも精神的にも追い詰められています。
厚生労働省では去年春、補助金事業の一つとして、脳脊髄液減少症の実態解明に向け国内17人の医師で作る研究班を設置。3年間をかけてガイドライン整備に向けて動き出しましたが、研究班内部では、画像診断やブラッドパッチの安全性について議論が分かれ、スタート段階から足踏み状態が続いていたのです。
国や医学界がこれまで、公害病や薬害病において、積極的に実態解明に動こうとしなかった体質は、これら解明されない難病においても同様で、一向に解明されない脳脊髄液減少症の影に悩む患者の悲痛な叫びから、この国の医療のカタチが見えてきたのです。



BBTスペシャルのバックナンバーに入れば、
詳しい情報がUPされるのかも?
返信する
ただただ、やりきれません。 (ゆめ)
2008-01-29 00:08:25
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080128k0000m040090000c.html

アクビちゃんと、のぶさんのところで、
知った、悲しい記事です。

脳脊髄液減少症の存在を感じさせ、
ただただ、涙です。  
返信する
脳脊髄液減少症に対する国への質問 (ゆめ)
2008-01-29 09:07:51
以前、ろくろさんが教えてくださった、http://d.hatena.ne.jp/rokurokubi/20080108

沖縄の共産党政治家さん
http://jcp-akamine.web.infoseek.co.jp/index.html
質問内容のようです。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a168338.htm
返信する
それに対する (ゆめ)
2008-01-29 09:10:54
国務大臣の答えです。


http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b168338.htm

なんか納得行かない内容で、怒
返信する
けが人なしって・・・ (ゆめ)
2008-01-29 15:38:04
それはあくまで、見た目でしょ?
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/m20080127017.html?C=S

http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20080129-567-OYT1T00346.html

こわいよ~
その時は見えない怪我の後遺症って・・・。
返信する
毎日新聞 (ゆめ)
2008-01-29 16:04:45
http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20080125ddlk34040207000c.html
返信する
山陽新聞記事 (ゆめ)
2008-01-29 19:56:09
http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2008/01/24/2008012409320822008.html
返信する
患者の相談窓口の必要性 (ゆめ)
2008-01-31 16:28:37
赤嶺さんの質問と

六 相談窓口設置等の対策について
 1 患者・家族や不安を抱えている「潜在的患者」に対する相談窓口を、国の出先機関をはじめ各都道府県・市町村の協力を得て設置するべきだと考えるがどうか。また、設置に際しては、広く周知徹底を図るべきであると考えるが、政府の見解を伺いたい。

町村国務大臣の答え

六の1について

 厚生労働省としては、保健所等において、これまでも一般的な健康相談に応じるとともに、その実施について周知を図ってきたものと承知しているが、今後、いわゆる「脳脊髄液減少症」の診断・治療法が確立するなど知見の集積が進めば、当該健康相談の一環として患者からの相談に応じることが可能となると考えている。


を読んでの以下は患者の私の意見です。


赤嶺議員のおっしゃるように、
都道府県、市町村に、脳脊髄液減少症の相談窓口は
絶対必要だと思います。

それぐらい、自殺にも、失業にも、家庭崩壊にも、不慮の事故にも、不登校にも、

さまざまな人の問題につながりかねない疾患だからです。
にもかかわらず、病名やそのひどい症状の認知が送れ、医師さえも知らず、どこにも相談できない患者の厳しい現状があり、治療法があることすら、患者はなかなか情報を得ることができない現状があるからです。

しかしながら、
どんな有能な医師でも、どんなすぐれたソーシャルワーカーでも、
どんなに水準の高いカウンセラーでも、
この問題の相談相手としては不足だと思います。

つまり、
相談窓口にいるのは、ただの公務員の方では困ります。
脳脊髄液減少症の体験者であって、心も体も回復した方にぜひ相談窓口に座ってほしいです。

他の病気もそうかもしれませんが、
この病気に限っては、体験しなければわからないことがたくさんあるから、
いざ、患者に相談されても、いくら福祉や医療の知識がある方であっても、体験のない方には
相談者の力になることも、共感することも、
相談にのってあげることもできないと思います。
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