進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

今学ぶべきソニースピリッツ

2011-06-16 13:30:52 | ビジネス
昨日のエントリ(『AKB48躍進の理由』) でソニーの盛田昭夫氏の言葉を取り上げたのだが、久しぶりに盛田語録を読みたくなった。

若い方はご存知ないかもしれないが、ソニー創業者の一人である盛田昭夫氏は、あのマイクロソフトのビル・ゲイツやAppleのスティーブ・ジョブスが憧れる人物である。
AppleやGoogleの企業理念に惹かれる若者が多いと聞くが、実はほとんどソニーのコピーもしくはその域を出ないものである。
ソニーが輝きを失ったため、もう注目されることもなくなったが、ソニーの設立趣意書は読む価値のある代物である。

私なんかにとってはムネアツである。ジ~ンとくる。
ソニーの設立趣意書に述べられている「基本理念」は書籍『ビジョナリーカンパニー』にも取り上げられるほど気高いものだ。
ソニーの最大の敗因はこの基本理念を見失ってしまったことだ。

東京通信工業株式会社設立趣意書 - 井深 大
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/prospectus.html

(太字強調は当Blogによるもの)

会社設立の目的


一、 真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設

一、 日本再建、文化向上に対する技術面、生産面よりの活発なる活動

一、 戦時中、各方面に非常に進歩したる技術の国民生活内への即事応用

一、 諸大学、研究所等の研究成果のうち、最も国民生活に応用価値を有する優秀なるものの迅速なる製品、商品化

一、 無線通信機類の日常生活への浸透化、並びに家庭電化の促進

一、 戦災通信網の復旧作業に対する積極的参加、並びに必要なる技術の提供

一、 新時代にふさわしき優秀ラヂオセットの製作・普及、並びにラヂオサービスの徹底化

一、 国民科学知識の実際的啓蒙活動


経営方針


一、 不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、いたずらに規模の大を追わず

一、 経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経営活動を期する

一、 極力製品の選択に努め、技術上の困難はむしろこれを歓迎、量の多少に関せず最も社会的に利用度の高い高級技術製品を対象とす。また、単に電気、機械等の形式的分類は避け、その両者を統合せるがごとき、他社の追随を絶対許さざる境地に独自なる製品化を行う

一、 技術界・業界に多くの知己(ちき)関係と、絶大なる信用を有するわが社の特長を最高度に活用。以(もっ)て大資本に充分匹敵するに足る生産活動、販路の開拓、資材の獲得等を相互扶助的に行う

一、 従来の下請工場を独立自主的経営の方向へ指導・育成し、相互扶助の陣営の拡大強化を図る

一、 従業員は厳選されたる、かなり小員数をもって構成し、形式的職階制を避け、一切の秩序を実力本位、人格主義の上に置き個人の技能を最大限に発揮せしむ

一、 会社の余剰利益は、適切なる方法をもって全従業員に配分、また生活安定の道も実質的面より充分考慮・援助し、会社の仕事すなわち自己の仕事の観念を徹底せしむ。


今学ぶべきソニースピリットとは何か(市川覚峯)
http://www.jmam.co.jp/column/column12/1188275_1513.html

[...]

 「単にユニークな製品を作り出すだけでは、そして特にそれで良しとしてしまっては、本当のインダストリーとしての成功は達成できない。発明発見は大切なものである。しかし忘れてはならないことは、それをどうビジネスに結びつけていくかということだ」
 「われわれのビジネスに対する基本的態度は、何か新しいテクノロジーを開発したら、とにかくすぐに、それで何か作りたいと考えるところにある。発明や発見は、ただ感心したり、それを学問上の成果とだけ考えて終わってしまったら、それは誰にも利益をもたらさない」(『メイドインジャパン』より)

[...]

 盛田氏は研究開発だけで会社が繁栄すると思うのは錯覚以外の何ものでもないと警告している。大事なことは、発明をビジネスに結びつけることなのである。
 「われわれは学者ではない。学者ならば早く発明した人が偉い。早くイノベーションできた人が偉い。しかし、われわれはビジネスマンです。だから発明することを競っているわけではない」
 つまり、発明することが大事なのではなく、発明したものを製品化して売り出すことが大切だと訴えているのである。

[...]

「会社というのは、いちばん簡単にいうと、つぶれる可能性がある組織だということである。」

[...]

会社創立の目的は、第1に「技術者達が技術することに喜びを感じ、その社会的使命を自覚して、思い切り働ける職場をこしらえる」ためだという。第2に「日本再建、文化向上に対する技術面、生産面よりの活発な活動」であり、第3に「非常に進歩したる技術の国民生活内への即時応用」となっている。
 次に経営方針であるが「不当なる儲け主義を排し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、いたずらに規模の拡大を追わず」「技術上の困難は、むしろ歓迎し、量の多少に関せず、もっとも社会的に利用頻度の高い高級技術製品を対象にする」と述べている。
 さらに「いっさいの秩序を実力本位、人格主義に置き、個人の技能を最大限に発揮せしむ」ことを目的とした。
 日々の資金繰りや会社の運営に追われながら、設立趣意書にこれらの崇高な価値観や目的意識を盛り込んだ井深、盛田両氏は素晴らしいと言わざるをえない。この理念は現在でもなおソニーで受け継がれ、ソニーの人々の心のよりどころとなっている。

[...]

 盛田氏は40年後に、この理念をより洗練させ「ソニースピリット」として全社に揚げた。それは次のようなものである。

 「ソニーは開拓者、その窓はいつも未知の世界に向かって開かれている。人のやらない事、困難であるがために人が避けて通る仕事にソニーは勇敢に取り組み、それを企業化していく。ここでは新しい製品の開発と、この生産販売のすべてにわたって、創造的な活動が要求され、期待され、約束されている。そして開拓者ソニーは、限りなく人を活かし、人を信じ、その能力を絶えず開拓して、前進していくことをただ一つの生命としているのである」


AKB48江口愛美のマーケティング だめだこりゃ

2011-06-16 11:09:04 | AKB48
才能あるなぁ。
このセンスをもっと活かせれる場が欲しいよね。

俺の作った江口愛実の方が絶対可愛い(2のまとめR)
http://2r.ldblog.jp/archives/5014357.html

それとは別に、江口愛美が合成CGということがメンバーのブログでネタバレしたとなって騒ぎになっているが、単純に狙い通りの炎上マーケティングじゃないの?と思ってしまいます。
だって本当に秘密だったら情報統制するでしょ?
それとも知るはずのない立場(つまり統制されていない)のメンバーが、それを知ってしまってネタバレという経路ですか?

仮にそうなら単にお粗末な作戦だったという他ないが、有り得ないね。
広告代理店の戦略だよ。

本気で実在するメンバーと思われたら、「実はCGでした」ってネタバラすのが実に面倒な作業になるでしょう。
バラし方に気をつけないと、下手するとマイナスに働くかもしれないから。
逆に怒りや不信をかう可能性があって、お騒がせリスクがないわけではない。
話題性としてはネタバレしない方がよいのだけど、後々のリスクを考えると、AKB48にとって、ここであえてリスクテイクする必要がないのだから、「CGじゃないのか?」みたいなところで話題を作った方が無難です。
問題ないかもしれないけれど問題が起きる可能性があって、そこまでリスクとってまで話題を作る必要がないのだから、ここは話題性よりも無難な話題づくりを取った。
(総選挙の直後だし、余計に新人センターなんて不評を買うよ。話題性を作るのには適したタイミングだけれども。)
そう考えるのが自然です。

思うに、会議で喧々諤々議論して、仕方が無くネタバレさせますかとなって。
どうやってネタバレさせますか?
中心メンバー以外のブログを使うのがよいのでは?
彼女の注目度もUpするし、それなら誰も困らないね。
という感じじゃないのかな?

透けて見える感じが下手くそだなと思ってしまいます。
全然だめ。
どうせやるなら1位とった前田敦子さんにコメントさせなきゃ。
新人にセンターとられたのだから当たり前でしょ。
AKB48のウリであるガチから遠く離れた話だもの。
「でも彼女なら仕方が無いです」ぐらいのことをブログに書いてもらえばいいわけですよ。
これを実行するのに労力がいるので駄目だったのかもしれませんが。

まぁいつも通りの妄想です。

電車の中で45くらいのサラリーマンの男性が「はぁ?キモッ」といわれて

2011-06-16 10:26:04 | はじめに。この日記について
実に格好の教材だ。

電車の中で45くらいのサラリーマンの男性が「はぁ?キモッ」といわれて
http://togetter.com/li/149621

これぞ「人間の問題」です。
(参考:『私がAKB48批判を批判する理由  究極の理論を教えてほしい』)

この話で損をしたのは「はぁ?キモッ」と言って去って行った女性だけで、他の3人は得がたい何かを手にしたと思います。

もし、去った女性が「どういったご事情ですか?」と聞いて、男性が「とても良い香りだったので、妻にプレゼントしようと・・・」と返し、女性が「これはクロエですよ。奥様が喜んでくれるとよいですね。」くらいに言っておけば、この話の中に損をする人は一人も出てきません。

この意味がわからないと、人間の問題を理解することはできないのです。

日本の教育ではこういうこと教えないから、こまるよね。

それにしても、クロエってわかる女性達の嗅覚のすごさにも驚くばかりだ。

AKB48が終わる日

2011-06-15 22:33:39 | AKB48
AKB48のビジネスを分析したものの中に、国民的アイドルになったAKB48の今後の戦略として、上位メンバーと下位メンバーにレイヤーを分けて、上位メンバーは「会いに行けるアイドル」からの脱皮を図ることになると主張するものがある。
上位メンバーは国民的アイドルの顔としてシャワー効果(広告塔)を発揮するための存在になるのだと。

実にばかばかしい話だ。
「会いに行けるアイドル」ではなくなったら、それはもう「AKB48」ではない。
そんなことをしてしまったら、AKB48は終わりだ。
短期的には利益を得られるかもしれないが、長期的に見た場合、AKB48の破滅を意味することになるだろう。
AKB48の存在意義がなくなるからだ。
決して、その道に走ってはならない。


どの分野でもフリーハンド渡すと規模拡大の画を描きたがるのが人情というものだが、それではだめだ。
何のための規模拡大なのか。
「会いに行けるアイドル」を捨てるなら、それに変わるコンセプトの優位性について語らねばならない。

AKB48の基本コンセプトは「会いに行けるアイドル」だ。

もちろん、ただ会いに行けるだけではだめで、会いに行く価値があると思われなくてはならないし、その為には会いに行って楽しめることは絶対条件だ。
AKB48が「会いに行けるアイドル」を基本コンセプトにするなら、会いに行きたいと思ってもらえるよう努力を重ねる必要がある。
逆に、会いに行きたくなくなるようなことは、厳に慎まなければならない。
AKB48が全体として、また各メンバーが行う活動および繰り出す各種の策は、みなそういった考えに基づくものであるし、そうでなければならない。

基本コンセプトは決して踏み外してはならない。
基本コンセプトに反するものは、たとえ莫大な利益をもたらすものであっても採用してはならない。
基本コンセプトに反するものは、たとえどれだけ有力なメンバーであっても卒業してもらわねばならない。

上位メンバーが国民的アイドルになろうと、AKB48の広告塔として働いてもらうとしても、絶対に「会いに行けるアイドル」から離れてはならない。
もし、どうしてもやりたいのであれば「AKB48」の冠を外してもらわねばならない。
「AKB48の○○」は使ってはならない。
AKB48以外のものとして活動してもらう分には全く問題がない。

たとえば、1位に返り咲いた前田敦子さんが女優の仕事が増えて、いつか「AKB48の前田敦子」から「女優の前田敦子」として認識される日が来て、そして女優業に専念することになるようなことがあれば、AKB48から離れてもらう必要があるだろう。
「AKB48の前田敦子」である限り「会いに行けるアイドル」であり続けなければならない。
でも、これは各メンバーの理想のキャリアプランと一致すると思うが。

AKB48のマネジメントは、AKB48として「会いに行けるアイドル」から外れることは決してやってはならない。
もし、AKB48が「会いに行けるアイドル」でなくなったとしたら、それはAKB48が終わる日だ。




面倒なので詳しく述べる気はないのだが、勘違いされると困るので、念のためコンセプトの重要性について書いておく。

もちろん「会いに行けるアイドル」よりも素晴らしいコンセプトを発見したとすれば、軟体生物のようにそのコンセプトに乗り換えることも時には有用である。
永続的な組織の条件は、普遍的な基本コンセプトを持てるか否かである。
「会いに行けるアイドル」というコンセプトに普遍性がないのだとすれば、そのコンセプトを後生大事にしてもいつかは滅ぶことになる。

思うに「会いに行けるアイドル」はコンセプトのわかりやすさとしては申し分ないが、普遍性を表現するこはできていない。
秋元氏は「刺さるコンテンツ」を目指すコンセプトとして「会いに行けるアイドル」を提唱したわけで、厳密にいうと基本理念は「刺さるコンテンツ」の定義の方にかかっている。
それが何なのかについては、本人の言説がないので、ここでは取り上げていないが、本来は「会いに行けるアイドル」というコンセプトの基礎になる基本理念を中心に議論を進めるべきである。
まぁそこまで話しをしてもというのもあるし、語るのが面倒だというのが一番の理由である。
一般的には、このエントリの内容で十分であり、続きはまた今後したい。

AKB48躍進の理由

2011-06-15 16:44:23 | AKB48
全てが個人の妄想です。
ここには妄想しかありません。

約1年前の秋元康氏のインタビュー記事。
短くて語っていないこともあるのだろうけれど、少なくても基本コンセプトを理解するのには、これで十分な内容だと思う。

秋元氏自身はマス時代の寵児だったわけだが、決して満足することができなかったということだろう。
テレビの仕事では常に相手はカメラだ。
カメラの向こうには何百万という視聴者がいるかもしれないが、その反応、手ごたえといったものを直接感じ取ることはできない。
視聴者も、テレビを通して見るリアリティのない淡い蜃気楼のような世界にはすぐ飽きる。
情報量が圧倒的に足りないのだ。
ブームが一度訪れれば、熱狂のように支持された気持ちにもなるが、時が経てば何事もなかったように、まるで幻であったかのように存在さえ無かったことの様に忘れ去られてしまう。
共同幻想だ。

マスは速くて大きなものを引き込みはするが、深くて長いものを構築するのは苦手。
マスを狙うと、どうしても底が浅くて表面的なものを繕ってしまう。

彼はそうではなく「刺さるコンテンツ」を目指す。
深く、深く刺さるコンテンツとは何か。
そして、行き着いたコンセプトが「会いに行けるアイドル」だった。

マスで満たすことのできない渇望の行き先、それがAKB48だったのではないか。

このインタビュー記事の中で一番面白いのは、秋葉原を本拠地に決めるのに強い理由がなかったという点だ。

―――本拠地を秋葉原にしたのは、オタクの聖地ということに着目したからですか?

秋元 初めは、劇場を渋谷か原宿か青山に作ろうと思って探したんですが、いい場所がなくて…。ちょうど、その頃、秋葉原が注目されていて、「発信基地として、秋葉原も面白いかも…」ということになり、スタッフがドン・キホーテの8階を見つけて来たんです。


―――NHK「仕事学のすすめ」で、あえてリサーチしない発想法を語っていらっしゃいましたが・・・。

秋元 そうですね。秋葉原のことも、全く、リサーチしませんでした。むしろ、「秋葉原で、日曜日にグラビアアイドルのイベントをやっても100人も集まらないんだから、毎日、公演するなんて無理ですよ」と、みんなに反対されました。だから、面白いと思ったんです。みんなが行く野原には、野イチゴはありませんから。「あそこに行っても、野イチゴはないよ」と言われる場所こそに、野イチゴはあるんです。


ソニー創業者の一人であり、マーケティングの天才と呼ばれた盛田昭夫氏が同じ事を言っている。

「我社のポリシーは消費者がどんな製品を望んでいるか調査して、それに合わせて製品を作るのではなく、新しい製品を作ることによって彼らをリードすることにあり、だから我々は市場調査などにあまり労力を費やさず、新しい製品とその用途について、あらゆる可能性を検討し、消費者とのコミュニケーションを通じて、そのことを教え、市場を開拓していく」
(メイドインジャパン, 朝日新聞社刊)

これだ。
そして、これこそが「AKB48」の躍進の原動力である。

秋元氏が「予定調和を壊すこと」と言う様に、重要なのは約束された未来などというものが存在しないことである。
もともと根源的に「未来」は約束されたものではない。
1時間後に大地震が来るかもしれないし、明日隕石が降ってくるかもしれない。
陽は必ず昇るとよく言うが、そんなことは誰も約束などしていない。
太陽が爆発してなくなってしまえば2度と陽が昇ることはない。

それでも、人が「約束された未来」を夢見るのである。
人が一生懸命に科学技術を発展させ、その科学技術を使って何をしているかといえば、ひたすら明日を予測可能なものにし、整理統合しようとしているのだ。
予定調和を構築する能力がなければ、人は精神分裂症を引き起こす以外に道はない。
未来は何も約束されていないが、この不確実な宇宙で生きるのに、人が約束された未来があると思い込むのである。

つまるところ、人は生きていくために価値観を構築しようとする。
「イノベーションのジレンマ」的に言えば、「バリューネットワーク」を構築するわけだ。
そして、新しい価値というのは、常に「予定調和を壊すこと」から、バリューネットワークの外側から出てくる。

ただ壊せばよいというものではないが、予定調和が壊れて出てきた価値が、思いもよらない結合を起こすことがある。
「イノベーション」である。

AKB48の躍進の理由として、テクニカルなことは様々語られている。
だが、それらは全ては派生的問題なのであって、本質的な解はそこにない。

AKB48の躍進の原動力、それは予定調和を壊し続けることにある。

破壊的イノベーション。

AKB48は無名の「高校野球部」 応援団のファンと喜びを分かち合う総合プロデューサー秋元康さんに聞く/創刊4周年記念インタビュー最終回.
(2010年09月19日)
http://news.livedoor.com/article/detail/5019731/

―――秋葉原に専用劇場を持つAKB48は、どういうきっかけで誕生したんでしょう?

秋元 構想は、何年も前からありました。ずっと、テレビの仕事をして来たので、画面を通してではなく、観客がわざわざ足を運んでくれる小劇団やロックバンドに嫉妬のようなものを感じていました。テレビは、スイッチを入れるだけで観ることができますが、小劇団やロックバンドの公演は、時間とお金をかけるわけですから。10人が20人、20人が40人、40人が80人…というように、観客が増えてゆく、リピーターの多い「刺さるコンテンツ」に興味があったんですね。初めは、僕なりの小劇団を作ろうと思ったんですけど、毎日、公演をやりたいなと思って…。歌とダンスを観せるレビューのようなものにしようと、行きついたのが「会いに行けるアイドル」というコンセプトでした。


アイドルになる過程をドキュメンタリーに
―――本拠地を秋葉原にしたのは、オタクの聖地ということに着目したからですか?

秋元 初めは、劇場を渋谷か原宿か青山に作ろうと思って探したんですが、いい場所がなくて…。ちょうど、その頃、秋葉原が注目されていて、「発信基地として、秋葉原も面白いかも…」ということになり、スタッフがドン・キホーテの8階を見つけて来たんです。


―――NHK「仕事学のすすめ」で、あえてリサーチしない発想法を語っていらっしゃいましたが・・・。

秋元 そうですね。秋葉原のことも、全く、リサーチしませんでした。むしろ、「秋葉原で、日曜日にグラビアアイドルのイベントをやっても100人も集まらないんだから、毎日、公演するなんて無理ですよ」と、みんなに反対されました。だから、面白いと思ったんです。みんなが行く野原には、野イチゴはありませんから。「あそこに行っても、野イチゴはないよ」と言われる場所こそに、野イチゴはあるんです。


―――公演は、歌とダンスのセットリスト以外は、できるだけ作り込まないようにしたそうですね?

秋元 はい。エンターテインメントの基本は、「予定調和を壊すこと」にあると思っていますので。AKB48のメンバーが、曲と曲の間で、だらだら話すのを観て、「秋元さんが台本を書いたら?」とアドバイスされましたが、それでは、当たり前のステージになってしまうと思ったんです。だから、アドバイスはしても、台本を書くことはしませんでした。MCが下手なのを、そのまま、観せたいと思ったんです。言葉が詰まったり、白けたり、泣きだしたり…。その日しか観られないステージにこだわっていました。例えば、ある日、メンバーが足を捻挫したことがありました。「痛みはなくなったらしいのですが、大事を取って休ませたい」とスタッフが言うので、そのメンバーに僕が聞きました。「椅子に座って、歌うことはできるか?」と…。メンバーは、「そうできるなら、出たいです」と言いました。結局、椅子に座って歌ったんですが、そんな彼女を観ることができたのは、その日に入場したお客様だけです。ライブというのは、同じセットリストでも、毎日、違うんだということを示したかったんですね。


―――ハプニングであり、サプライズですね?

秋元 決して、綺麗ごとではなく、AKB48というのは、ファンのみなさんと二人三脚で作り上げて来たものです。「パーティーが始まるよ」公演の最後の曲「桜の花びらたち」で、紙吹雪が降って来るという演出があるんですが、アンコールの暗転の中で、スタッフがステージ上に落ちた紙吹雪を掃除する段取りになっているんですね。ある時、舞台の袖で観ていたら、客席から、「モップ!モップ!モップ!」とコールが起こったんです。つまり、掃除が終われば、メンバーが登場してアンコールが始まるので、それをコールにしたわけです。この演出ではない、自然発生的なものがライブの面白さだと思うんです。


おニャン子は、テレビが生んだアイドル
―――AKB48が社会現象になるほどのブームになった要因はなんだと思いますか?

秋元 う~ん…。ゆっくり、時間をかけたことですかねえ。ブレークまで4年半、かかっていますから。少しずつ少しずつ、ファンが増えたんでしょう。「刺さるコンテンツ」になったんだと思いますよ。大切なのは、「ガチ」だということじゃないですか?予定調和ではなく、本当に、普通の女の子がアイドルになってゆく過程を、編集なしで観せたドキュメンタリーですから。AKB48は、4年半、ドキュメンタリーを提供し続けているんだと思います。高校球児に近いです。秋葉原にできた無名の高校の野球部が、野球経験もない部員を集めて、一生懸命練習して、予選を勝ち抜き、甲子園に出場し、何回かの挑戦の後、優勝したというような…。地元の応援団のように、ファンのみなさんと喜び合えるのがAKB48ですね。

―――おニャン子クラブやモーニング娘。とは、どこが違うんでしょう?

秋元 おニャン子クラブは、テレビから生まれたアイドルです。素人がアイドルのように歌を歌うのが新鮮でした。まるで、女子高の部活のようでした。ファンは、放課後の部活を女子高の金網越しに観ていたんですね。「新田恵理ちゃんは、中間テストのためにお休みです」という報告がリアルでした。それまで、アイドルは仕事優先でしたから。視聴者の身近な存在だったんです。さらに、進化したのが、モーニング娘。です。つんく♂がミュージシャンなので、音楽のクオリティーが高いです。みんな、可愛い上に、歌やダンスが巧いことに驚きました。つまり、おニャン子クラブは、普通の女の子をそのままを観せましたが、モーニング娘。は、厳選した女の子にさらにレッスンさせて、プロにしたということでしょうか。AKB48は、そのプロセスを観せるアイドルということです。


―――AKB48は、恋愛禁止なんですか?どういう場合に解雇になるんですか?

秋元 恋愛と仕事のどちらを取るか、ということです。たとえば、甲子園を夢見ていたら、恋愛なんてできないと思うんですよね。恋愛に割く時間があったら、練習した方がいいでしょ?AKB48というのは、教育の場でもあります。未成年の場合は、特に厳しいです。学校の退学処分と同じような基準でしょうか?メンバーは、マネージャーやスタッフに通信簿がつけられます。歌やダンスの成績以上に、生活態度が採点されます。僕がこのメンバーを「こうしたい」と言っても、マネージャーやスタッフから、生活態度で反対されることもあります。でも、それはメンバーが必ずしも悪いわけではなくて、そのコにとって「校風に合わない」ということかもしれません。転校したら、ぐんと成長したなんていうコもいるでしょうね。


台湾、ロシア…いろいろな国からオファー
―――名古屋のSKE48、大阪のNMB48、この先も、劇場は広がって行きますか?

秋元 「会いに行けるアイドル」がコンセプトですから。地元の野球チーム、東京だったら、読売ジャイアンツとか、名古屋だったら、中日ドラゴンズとか、大阪だったら、阪神タイガースを応援するように、いろいろなチームを作りたいですね。


―――メンバーが20歳以上のSDN48も、メジャーデビューするんですよね?

秋元 「アイドルは若くないとだめだ」という定説を覆したいからです。なんか、年上のアイドルの時代が来るような気がするんですよね。


―――海外進出も考えていらっしゃるんですよね?

秋元 面白そうじゃないですか?どこまで、世界に通用するのか…。野茂選手がメジャーリーグに行くと行った時も、みんな、半信半疑だったでしょう?でも、今、イチローを始め、多くの日本の選手がメジャーリーグで活躍するようになりましたよね。そんな夢を見ています。台湾、ロシア、中国、韓国、アメリカ、イタリア…いろいろな国からオファーが来ていますが、どうですかねえ。歌もダンスも、世界に通用するレベルではないんですけど、みんな、AKB48が持っている不思議なエネルギーに魅了されるんです。


―――これからのAKB48は?

秋元 どうなるんでしょうね。何も決めていません。僕が予定を立ててしまったら、それこそ、予定調和になってゆきますから。どうであれ、「ガチ」を観せ続けたいと思います。たとえば、「21日のじゃんけん選抜、どうなるんだろう?」と、結果がわからないものを、時代は求めているんですよ。

[つぶやき]実名の弊害もあるよなぁ

2011-06-14 20:57:14 | ブログ情報(News Release)
池田信夫Blogの魅力は、本人による記事だけではなく、コメント欄の品質の高さにもあったと思う。
もちろん、くだらない内容のコメントも多々あったが、中には政治家なり専門家なりの人たちが匿名でコメントしていたので、読み応えのあるものもあったし、本文を補足する内容のものもあって勉強になることもある。
私もコメントすることがあって、コメント欄で意見を交わすのが面白かったりもした。
しかし、FBからのコメントしか受け付けないようにしたら、コメントの質が急激に落ちた気がする。
まだはじめて間もないから、今後は変わるのかもしれないけれど、実名だと意欲だけでモノを言いたい人(正義感に燃えてるような人)が多いみたいで、素人が多くなった。
実名指向で活動している人もいるけれども、やっぱり匿名だからこそ気軽に語れる内容もあるよなぁと思ってみる。

まぁ、よりよい答えを模索していくしかないのだろうけれど。

ということで、当Blogは、これまでも、これからも匿名です。

私がAKB48批判を批判する理由  究極の理論を教えてほしい

2011-06-14 19:27:06 | AKB48
よくある話。

第3者から見て、女性に貢いでいる男性Aがいるとします。
(男性に貢ぐ女性でもよいのですが、これは例えです。)

友人たちは彼を心配して「彼女には気をつけろ!」「お前は騙されている!」と言います。
しかし、Aは決してやめようとしません。
Aは「そんなことはない!」と言って話を聞きません。
Aは言います。
「わかっていないのはお前らだ。」
「俺と彼女は愛し合っている。」
「第3者にはわからない!」

友人たちの中には直接女性に文句を言いにいく人がいるかもしれません。
すると、女性からAに話が伝わり、Aは激怒します。
「いい加減にしろ!」
「絶交だ!俺に関わるのはやめてくれ!」

友人たちは想います。
「Aは人が変わってしまった。」
「Aのことを心配して言ってやったのに!」

かくして友人たちとAの関係は引き裂かれます。
友人たちは、Aのことを想い行動したのに、結局友人たちとAの仲は引き裂かれます。

この話の中で得をする人は誰もいません。
強いて言えば、友人たちの経験値がUpしたことくらいです。
(しかし、この経験を活かせるレベルの人材はなかなかいない。)

若かりし頃、私もこの種の問題に何度か手を突っ込み、苦々しい経験をしました。
上記の話は極簡単なモデルケースのお話ですが、現実は小説よりも奇なりで、他にもいろんなパターンがあります。

例えば、友人たちは、Aの彼女の友人Bに依頼するかもしれません。
実はBは彼女の意中の人で、しかもBはそれを自覚していたりする場合もあるかもしれません。
しかし、Bは友人のため意を決して彼女を諭しにいきます。
そこでBが見たのは彼女の涙なのかもしれません。
結局、Bも彼女も傷つく結果になるかもしれません。
それがAにも波及していきます。
Aは最終的に自殺するとか言い出すかもしれません。
関わった人がみな不幸を感じるという意味で泥沼です。
ちなみに、これは現実にあった話です。

さて、あなたなら、この問題をどう解決しますか?
何が本質的な問題だと思いますか?

私はこれを「人と人の間の問題」、つまり「人間の問題」として捉えています。

人は、善意ゆえに人と関わり、そして不幸になるのです。
男女の問題、金の問題、家族の問題、国家の問題、そして戦争さえも「人間の問題」なのだと私は考えています。

私が批判派に求めるのはこういうことです。
私には「人間の問題」の解決方法を見出すことができていません。
いえ、私は「人間の問題」に「解決」などというものは存在しないとさえ思います。
これは人が人間であるが故に背負った「業(カルマ)」だと。
人は不完全であるが故に人間として存在します。
そして人間であるが故に人間の問題を背負うのです。
つまり「業」です。

私が「進化」という言葉を多用するのは、この「業」への抗いです。
人が「業」に抗う手段は唯一「進化」のみであると。
しかし、終わり無き旅です。
当Blogの名前が「進化する魂」なのは、私の信念の表出なのです。

私は、自分自身をとても未成熟で未完成な人間だと自覚しているため、もし何か断片でも答えを知っている人があれば是非ともご教授頂きたい。
「答えに出会いたい。」
私の切なる願いです。

★★★★★

以上、私がAKB48批判派を批判する理由です。

私はAKB批判をする人たちと闘いたいわけではなく、有効な批判ロジックを知りたいのです。
純粋に、どのようなロジックならAKB商法を批判できるか知りたい、心の底からそう思っているのです。
誰でもいいです。
「AKB商法」について論理的な批判理論を展開してください。

もし、AKB商法に対する有効な批判ロジックがあるのであれば、それは人生を生きていく上でモノ凄い武器になるでしょう。
私がこれまで解決できずに涙し、唇を噛み、拳を握り締めてきた「人間の問題」を解決するのに有効な方法に成り得るのです。
私には考えても考えても、ついに見出すことができなかった「人間の問題」を解き明かす理論です。

それは、人類が夢見て、いまだその存在を確かめるに至っていない理論だ。
物理の世界で言えば、宇宙を構成する4つの力を統合する究極理論のような存在だ。
手にしたものは人間を支配する。


的外れな批判の山の中に宝が埋もれているかもしれません。

AKB48のアンチはなぜ生まれるのか 「AKB48」と「原発」の類似性

2011-06-13 16:08:05 | AKB48
下記リンク先の意見を読むと、(個人的には)全体としては違うなと思うが、部分的には非常によい点を指摘してると思う。
なぜAKB48についてアンチが多数発生するかということの本質を抉り出している。
我々はこれと同じ現象を最近経験している。
「一億総原発評論家現象」である。

AKBは中身がわからないからこそよく話題になる
http://anond.hatelabo.jp/20110612212143

現象として定着していて、いまさら自分自身の頭で解釈や判断を加える必要のないもの。

[...]

情報が先行し、現実の作品がやってくるのは一番最後である。

[...]

今のような、何でもかんでも一瞬で何でも暴き立て、幻想を踏みにじり、笑いものにして価値を貶めずには居られない、それでいて自分たちは謝罪一つ出来ないという、現在のお笑い主権的でうんざりするゴミのようなやり方に対するアンチテーゼ的要素が感じられる。いや、アンチテーゼではないか、単に元に戻ってきてるだけだから。まぁそんな感じ。

「AKBの話題だったら歌さえ聞いていなくとも共有できる」
「ワイドショーさえ見ておらず、実際はAKBについて全く知らなくて思い込みで語っても許される。」
なぜならコアなファン以外は何も知らないからだ。話題になっているということただそれだけが話題のネタなのである。


なぜこれほど非生産的で中身の無い誹謗中傷がまかり通るのか。
それは、先日のエントリに書いた。

AKB48総選挙「票数はみなさんの愛です」を理解できない人は愛を理解できない。

実は、批判をすることでネットを通して他者との同一性を確かめているのだ。
批判をすること自体が目的なのである。

つまるところ「文脈を読み間違えている」のではなく「恣意的に文脈を無視している」のだ。
むしろ、どれだけウマい恣意性を表現できるかというのが彼らの生き甲斐なわけだ。


政治をバカにする国民と同じ構図なのだ。
特にひどいのは経済だが、最近は原発騒動があった。
重要なのは↓これ。

「ワイドショーさえ見ておらず、実際はAKBについて全く知らなくて思い込みで語っても許される。」
なぜならコアなファン以外は何も知らないからだ。


そう。
見下してバカにしてもその事を理解している人が少ないから許される。
つまり条件は、下記。

- 誰もが認知している
- しかし誰もそのことを理解している人がいない

これをうまく利用しているのはマスコミだ。
(マスコミを全て同列に扱うのは語弊のある行為でございますが、ここでは一般化をお許しください。)
一般人向けの情報として煽っておいて、まともな政策提言をしない。
それはマスコミが「わかっていない人に向けられた存在」で、「わかっている人に向けられた存在ではない」からである。
わかっている人に向けて発言する場合は、2重にも3重にも再考して熟考に熟考を重ねるものだ。
中身のない発言をしても意味が無いばかりか、発言者の信用度を貶めるだけだからである。

ガバナンスの効いている組織では、こういう発言が少ない。
民主党なり自民党なりが、内部でガタガタしているのはガバナンスが効いていない証拠である。
ガバナンスの効いている組織では、発言に論拠を示す必要がある。
裏も取らない情報を流布して組織に損失を与えてしまって、後でそれが嘘だとわかったら、自分の立場が危うくなるからだ。
(裏がとれない状況で迅速に動く必要性がある時は別)

だから組織として重要なことは、アウトプットにはしっかりとレビューがあるということを組織員に認識させ、レビューアの権威を明確にすることである。
レビューアに権威がないとガバナンスが効かない。
ゆえに政府に専門家会議を設けたりすること自体は悪いことではない。
ザルでなければ。

政治やマスコミにガバナンスが効かないのは、そのレビューアたる存在がザルだからだ。
(国民だろうね。国民一般で難しければ、国民がレビューを付託する組織をつくるんだろうね。)
つまり、日本全体がガバナンスの効いていない組織になっているということだ。

おっと話がそれてしまった。
AKB48の話に戻そう。

要するに、AKB48が有名なのにも関わらず、AKB48について知らない人が多いということがアンチにとっては非常に重要なわけだ。
で、私は今後バッシングはさらに大きくなっていくのではないかと考える。
AKB48の事業活動がより広がるからだ。
だから、AKB48のマネジメントは、先日のエントリに書いたように次のことに気を配るべきだと私は思う。

なぜ私はAKB48に関心を持つようになったのか

そう、つまり批判している側は「AKB48」というコンセプトを理解できていないのである。

[...]

だからAKB48のマネジメントは、理解し易いように噛み砕いた事業活動をする必要性に迫られている。
総選挙のあり方についても、もう少し考えるべき点はあるはずだ。
心無い誹謗中傷を、そのまま受け止めるのではなく、一歩高い次元で受け止めるべきだ。
古いコンセプトと新しいコンセプトが入れ替わろうとするところで摩擦は起きる。
摩擦が起きるのは必然的なもので仕方が無い。
この摩擦をどう受け止め、そして今後に生かしていくかを考えなければならない。
これはマネジメントの責務である。


「原発」もまたしかり。

「AKB48総選挙」×「批判」で検索したら当Blogがランキング上位だった(笑)

2011-06-11 21:53:40 | AKB48


言われて気づいたのだが、Google先生で「AKB48総選挙 批判」で検索するとニュース検索まとめの次に当Blogが出てくる!
批判を批判しているのに「批判」で検索すると上位に出てくるというのは何とも皮肉な話だ(笑)
思わずウケてしまった。

ちなみに「AKB48 イノベーション」で検索すると上位独占です。
「AKB48」と「イノベーション」をかけるのは、ドラッカーと私ぐらいなものだから・・


それはそうと、↓この情報は面白い。
どういうこと?
CDは買ったものの投票するのに時間かかり過ぎたとか?
それとも投票を目的としない購入者が半数いたってこと?
ものすごく面白い情報で、誰かこれ分析してほしい。

AKB総選挙、CD購入半数が未投票だった…総投票数116万(デイリースポーツ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110611-00000003-dal-ent

9日に行われたAKB48「第3回選抜総選挙」の候補者150人全員を対象とした総投票数が10日発表され、前回の約3倍の116万6145票だった。
 投票数の内訳も公表され、投票権付きシングル「Everyday、カチューシャ」(5月25日発売)購入者の投票は77万9090票、その他公式ファンクラブサイト、公式モバイル会員らからの投票は38万7055票だったことが分かった。
 「‐カチューシャ」は145・3万枚を売り上げており、購入者の約半数が投票していなかった計算。半数の人にとっては『CD=投票権目当て』ではないともいえる結果に、関係者は「半分の人が、映画(もしドラ)を見てか、楽曲の良さで購入してくれたんですね」と驚きの声を上げた。
 また、総投票数のうち、1位前田敦子、2位大島優子が獲得した票数は26万2735票。約2割強の票が2人に集中したことで“絶対2強”の人気度の高さが改めて浮き彫りとなった。


↓これも面白い。この「私のことは嫌いでも」の自虐的(謙遜というべきか)な部分は日本人独特の言い回しだよなぁ。アメリカ人には理解できなそうだ。

あっちゃん号泣演説「流行語大賞だ!」(デイリースポーツ)
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/06/11/0004159532.shtml

悲願だったセンター奪還の喜びと、AKBの顔としてのプレッシャーと苦悩を素直に吐露した前田のトップ返り咲き“演説”にはインターネット上で「泣いた!」「感動した」とコメントが相次いだ。わかりやすくドラマチックな名スピーチは「オバマ大統領級だ」との声も上がった。

 「今年の流行語大賞に決まり」という声も出始めるなどネット上では大盛り上がり。「○○は嫌いにならないで」の部分をほかの言葉にもじるパロディーも登場。菅首相版で「私のことは嫌いでも、民主党は嫌いにならないで」が出回るなど、セリフが勝手に一人歩きしていく流行語特有の現象も起きている。

 流行語表彰の代表格「ユーキャン新語・流行語大賞」は、1984年に制定されて以来、アイドルのコメントが受賞した例は一度もない。14万票の支持を集めた国民的アイドルなら、史上初の快挙を成し遂げる可能性は十分ありそうだ


↓早速使われているらしいし。

鳥居みゆき、あっちゃんのセリフでPR(デイリースポーツ)
http://www.daily.co.jp/newsflash/2011/06/11/0004161599.shtml

初めての海外旅行で訪れたタイを振り返ったが「バッタとイモムシを食べた。ゾウの背中はサメ肌だった。対人恐怖症なので、うまくしゃべられなかった」と後ろ向きな話ばかり。それでも「私のことは嫌いでも、タイのことは嫌いにならないでください!」とあっちゃんばりに絶叫した。


↓そしてもっと面白いのがこれ

小林よしのりがAKB48の総選挙開票速報に行っていたwwwwwww(政経Ch)
http://fxya.blog129.fc2.com/blog-entry-2066.html


昨日、AKB48の総選挙を見に、武道館に行ってきました。いやあ、感動した。一瞬たりとも目を離すことはできなかった。こんな充実感は、かつて猪木・藤波・長州らが次々にドラマを生み出していた新日本プロレス以来のことです。アイドルで国民を巻き込む選挙をやるという、少女たちにはあまりにも過酷なエンターティンメントを生み出した秋元康は本当にすごい。AKB48を育てたオタクたちにも敬意を表したい。しかし少女たちの「制服」、「萌え」、「カワイイ」という日本の独特な文化が、こんなにもパワーを持っていたとは

真剣に生きて、真剣に戦って、自分たちの魅力を磨き上げるAKB、SKE、NMBのメンバーたちを見ていると、わしは自分の年齢を完全に忘れてBeginner の感覚に戻ってしまうんですね。民主党の代表選なんか屁みたいなものだ。勝手にやってろですよ。いい大人があんなくだらない国政選挙に関心を持ったり、誰が総理になるか予想してる方がバカバカしい。今の日本の政治家の選挙なんか、国民が完全無視してしまえばいいんだ。少女たちの真剣なコメントは本当に胸を打った。全員が自分の言葉で、自分のパフォーマンスで、選挙結果をどう受け止めたかをコメントするその真摯な姿にはつくづく感心した。

選挙結果は必ずしもわしの満足いくものではない。柏木由紀の3位急上昇は嬉しかったが、わしが一番好きな大島優子が前田敦子に負けてしまったし、板野友美が神セブンから8位に落ちたのもあまりにひどいと思うし、峰岸みなみが15位というのも全然納得できない。

しかし大島優子のコメントは情熱と冷静と辛らつが同居していて、実に素晴らしかった。大島は毎回必ず気の利いた言葉を発する。頭のいい娘だ。ますますァンになってしまった。

昨日は会場で2度も読者に発見されてしまって、「ファンです。読んでます」と声かけられてしまったが、あんな所に『ゴー宣』を読んでる人がいるとは恥ずかしかったーーー握手会にも行ってみたいけど、さすがにわしが並んでたら異常だよね。


【追記】
「AKB48」×「批判」で検索しても上位に出てきますな。
これはすごくいいポジションだなぁ。
批判で検索すると批判ではない記事がランキング上位に出てくるわけでしょ。

なぜ私はAKB48に関心を持つようになったのか

2011-06-11 18:02:36 | AKB48
私がAKB48に関心を持つようになったのは今から1年前、第2回の総選挙が終わった時だった。
それまで、NHK紅白歌合戦に出場したのは知っていたし、たまにTVで「ポニーテールとシュシュ」を見て演出がうまいなと思ったりはしたが、私は主要メンバーの名前も知らなかった。
そもそもアイドルに興味を持っていなかった。

そんな私がなぜAKB48に関心を抱くようになったのか。
今にして思えば「アンチが多かったから」なのかもしれない。

当時、AKB48の認知度が急激に上がっており、マスメディア上でAKB48は非常に人気のあるアイドルとして扱われていた。
にも関わらず、その一方でネットを覗くと強烈なバッシングにさらされていた。
右も左も知らない私からしてみれば、不思議な感じがした。

第2回総選挙の後に発表された「ヘビーローテーション」はとても意欲的かつ品質の高い作品であったにも関わらず、バッシングはやまなかった。
私の性格上、これは気になった。
何がそんなに問題なのかわからなかったからだ。

そこで調べてわかったのは、AKB批判の多くは大きく3点に集中している。
1つ目は「AKB商法」と呼ばれるビジネス形態が不快であるというもの。
2つ目は一部関係者が情報操作をして流行を偽造している疑いがあるというもの。
3つ目は各メンバーの質が悪いというもの。

しかし、私は調べれば調べるほど、逆にAKB48は評価されるべきものであると思うようになる。
AKB48というビジネスプラットフォームのアイディアは、旧態依然としてレガシーな日本の芸能界において実に革新的で、特に総選挙のコンセプトは、あらゆる分野でも最先端に位置していると言っていいくらいイノベーティブなものだと思った。
これはいろんな既存の常識を駆逐するコンセプトになる可能性があり、クレイトン・クリステンセンの言うところの「破壊的イノベーション」になると直感した。

私の頭の中で「AKB48」と「破壊的イノベーション」とつながった時に、バッシングされている理由がわかった気がした。
詳しくは「イノベーションのジレンマ」をお読みいただくのがよいが、簡単に言ってしまえば、事前には破壊的イノベーションは理解されないのである。
事前に理解できるなら、どうして破壊的イノベーションは破壊的になれるのか。
既存のパラダイムに住む人々のバリューネットワークの範囲外で起きて、そのパラダイムを破壊するのが破壊的イノベーションなのである。
そう、つまり批判している側は「AKB48」というコンセプトを理解できていないのである。
いや、理解したくないというのが本当のところだ。
なぜなら、誰しも既存のパラダイムの中で生きることが楽だからだ。

私は以前から分野は違えど10年後のプラットフォームビジネスを模索しており、イノベーションやビジネスモデルの調査や分析を行っていた。
近年の日本企業は、IntelやApple、Googleといったアメリカ企業にビジネスモデル部分での戦略負けをして、技術で勝っても事業で負けるということを繰り返していた。
新興国の台頭もあり、日本企業の存在価値は相対的に低下し、将来が不安視されていた時のことである。
問題はわかっていた。
日本企業の多くは技術は持っていたがビジネスモデルを構想して実現する構想力が低かった、いや重要性の認識が足りていなかった。
社員は優秀でも、それを活かす能力がない。
経営レベルに組織の潜在的な能力を発揮させる能力を持った人材が少ないのだ。
そもそも多くの人が「イノベーション」について理解することすらできていなかった。
そんな中で、分野は違えど、AKB48というコンセプトを知ったのだ。
率直にAKB48の革新性には驚いた。

そして、これは理解されないだろうと思った。
企業人にイノベーションの話をしても理解されないのだから、一般人に理解を求める方が間違っている。

だからAKB48のマネジメントは、理解し易いように噛み砕いた事業活動をする必要性に迫られている。
総選挙のあり方についても、もう少し考えるべき点はあるはずだ。
心無い誹謗中傷を、そのまま受け止めるのではなく、一歩高い次元で受け止めるべきだ。
古いコンセプトと新しいコンセプトが入れ替わろうとするところで摩擦は起きる。
摩擦が起きるのは必然的なもので仕方が無い。
この摩擦をどう受け止め、そして今後に生かしていくかを考えなければならない。
これはマネジメントの責務である。

前田敦子さんが1位に返り咲いた時のコメントが、マネジメントの不手際を言い表している。

もちろん、私のことが嫌いな人もいると思います。
私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないで下さい。

違うんだよ。
嫌いな人がいるのは仕方が無い。
光に照らされれば闇は必ずできる。
照らされるものが大きければ大きいほど闇は大きくなる。
光と闇は表裏一体の関係にある。
闇をつくりたくなかったらやることは単純、存在を薄くすることだ。
しかし、目指すところはそこではないだろう。
闇から照らされているものの形をしっかりと把握すること。
また、照らされるものの形を考えて、闇の形を変えること。
これをどうハンドリングしていくか、これはマネジメントの役割だ。
前田さんが考えてどうにかできることではない。

今後はさらにバッシングも強くなっていくことが予想されるだろうから、マネジメントにはより高度なビジネス戦略が求められているのは言うまでもない。

私がなぜAKB48に関心を抱くようになったのか。
アンチがAKB48の形を浮かび上がらせてくれたから。
なのかもしれない。

次回は「なぜ私はAKB48を批判する人を批判するのか」を書きます。
誰も読みたくないかもだけど。

AKB48総選挙「票数はみなさんの愛です」を理解できない人は愛を理解できない。

2011-06-11 13:26:06 | AKB48
この記事を読むと、痛いのは批判をしている方なのは間違いない。

AKB大島「『選挙は一人1票』って第三者は言うけど、票数はみなさんの愛です」(痛いニュース)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1631903.html

大島優子さんからすれば、批判されているAKBやファンその他ステークホルダーを擁護するため、いんやAKBとは何かについて思うところを述べたかったのではないか。
「総選挙のことで様々な批判があるけれど、私達(ここにはAKBだけではなくファンやステークホルダーも含まれる)にとって総選挙における票は"一つ"の気持ちの表現方法なのです。」と言いたかったに違いない。

どんな分野でも、成功すると様々な思惑を持った人たちが寄ってくる。
そのことによって規模が拡大できたり、目標の実現に近づけたりするというメリットがある一方で、様々な人の思惑が交差するためいろんな制約を受け入れざるを得なくなったり、当初の目標について軌道修正を求められたり、心無い人たちによって攻撃されたりするデメリットも出てくる。
規模が小さい時は、ファンの人たちと一緒に作り上げている感覚があっても、規模が大きくなれば、そうも言ってられないことが出てくる。
夢の豪邸マイホームに住んではみたが、小さな部屋に住んでいたあの時の家族団らんの楽しみが減ってしまったというケースもあるだろう。

あの頃想っていたものと少し違うかもしれないが、それでも自分たちの想い描くものに向かって、ひたむきに進むしかない。
何かを得れば何かを失う、AKBの各メンバーもトレードオフを受け入れながら活動している。
矛盾や葛藤と日々向き合いながら、それでも夢や目標に向かって進むのだという気持ちを強く持とうと努力しているのだ。

そんな背景から出た発言だと想ってみたらどうだろうか。
金だとか利益だとかだけでは語れない何か、心のずっと奥の、言葉で表現し切れない気持ちの、その気持ちの叫びだよ。
それをある時には「愛」っていうだけの話だ。


第三者はいろんなこといいます。
『投票数を何万も買って、本当に総選挙と言えるのか、選挙は一人1票じゃないのか』って

でも私たちにとって、票数というのはみなさんの愛です。

去年は1位になってセンターで歌わせていただきました。私にとっても大切な曲です。
次のシングルは2位ですが思いっきり歌って踊りたいと思います。


これまで歩んできた道、そしてこれから向かおうとしている未来、こんな私、私達でもよかったら一緒に歩んでいきたい、歩んでいこう。
そういう文脈で読むのが適切な発言だと、私は想う。


にも関わらず、大島優子さんの発言の揚げ足をとって「愛 = 票 = 金」→「愛 = 金」と勝手に解釈して批判しているのである。
全く文脈を読めない人たちだ。
想像力が無さ過ぎる。
国語の点数も低かったに違いない。
(国語のテストの是非についてはここでは議論しないが。)

いや、文脈を読もうという気がまるで無いのだとしたらもっと救いようが無い。
初めから理解する気などないのだから、批判だけをしたいのである。
実は、批判をすることでネットを通して他者との同一性を確かめているのだ。
批判をすること自体が目的なのである。

つまるところ「文脈を読み間違えている」のではなく「恣意的に文脈を無視している」のだ。
むしろ、どれだけウマい恣意性を表現できるかというのが彼らの生き甲斐なわけだ。
だから、彼らから批判を取り上げてしまってはならないし、それが周囲に悪影響を与えない限りは、好きに批判をさせておけばよいのだという意見は正しい。

「痛くても、それで一つのコミュニティを形成しており、それで彼らが楽しめているんだから、それでいいじゃないか。大人気ないね君は。」

と言われるが、確かにその通りだ。

では、何の為に私は批判派を批判するのか。
それには理由がある。
次のエントリで語る予定だ。

AKB48×SMAP

2011-06-10 23:44:24 | AKB48
これいいじゃん。

『AKB48×SMAP』は今エンターテインできる最強コラボだよなぁ。

この映像がいいというだけではなくて、新しいことができそうな可能性を感じるところなんだよね。
単純に流行りものを組み合わせてもだめで、結合させて新たな価値を生み出すことができるかどうかという観点が重要。
たった4日で50万アクセスだもんな。
他のAKBのコンテンツよりもアクセス数増加の加速度が違う。

にしても、やっぱSMAPはうまいね。
もっと違和感があると思いきや予想を超えて結合できてるもんね。
この安定感というか安心感が違う。

いろんな柵はあるだろうけれど、考えてほしいな。


AKB48 『SMAP×SMAP』 Everyday、カチューシャ (2011/06/06)


AKB48総選挙 これは祭りです。

2011-06-10 19:54:35 | AKB48
前回と前々回のエントリが大人気なかったので、少し落ち着いて説明します。

テレビで秋元康氏が総選挙について「ようやく祭りとして認識されてきた」という認識を示しているのを見た。
(前からそう言っていたのかもしれないが)

私も先日のエントリで主催者側は総選挙に祭り的要素を込めたと書いたわけだが、「祭り」というワードで総選挙を解いてみると、非常にわかりやすい答えが導き出せる。
AKBオタに「現実に戻れ」などといって批判をする前に、「祭り」について考えて欲しいのだ。

当Blogでは過去にも説明したことがある話題なのだが、日本社会には古来より地域的なコミュニティに「祭り」というイベントがビルトインされていた。
細かいことは面倒なので説明しないが、祭り元は五穀豊穣を祈る神事で、特別な意味合いを持っていた。
祭りの日は日常とは異なり特別なのである。
人々は日常から離れ、人が変わった様に祭りにのめり込むのだ。

それが戦後の近代化の中で、職業の工業化と、何よりも都市化により人の移動が促進されると、祭りはその姿を変えていった。
若者が労働力として都市部に移動することによって「故郷=祭り」を持たない世代が生まれたが、高度成長期の会社社会では「飲み会」という祭りが生まれた。
(今も少し残っている)

故郷から移動してきた人たちによって構築された町には祭りが存在しなかった。
これを憂う人々によって町内会や自治体によっては急ごしらえながら祭りがつくられたが、神事を元にする伝統を持たないがために形骸化することが多く、世代間で受け継がれる祭りはそう多くはない。

現代社会の若者世代は、祭りを知らない世代といえる。
そんな若者たちがどこへ向かったか。

それが「サッカーワールドカップ」や「ワールドベースボールクラシックス」、「オリンピック」、「ロックフェスタ」や「クラブ」むかしは「ディスコ」だった。
ワールドカップになると人が変わったように熱中する若者は、高齢者の目には異様に映ったかもしれない。
その時だけ妙にナショナリズムに煽られる若者の姿は。
しかし、それは若者にとっての「祭り」だからである。
彼ら「伝統的な祭り」を知らない世代が、「新しい祭り」を見出したのだ。

ここで一つの提案がある。
次の問いについて考察して欲しい。

「祭りとは現実か?」

祭りの場において「お前、大人なんだから現実に戻れ!」という言葉を言い放つことが、どれだけ無意味か、よくわかるだろう。

「大人だから祭る」のである。
子供よりも大人だから祭りの必要性は増すのである。

「祭り」の時に「現実」か「仮想」かなどどうでもよいことである。
重要なことは、それが日常とは違う「祭り」であるということだ。


さて、話をAKB48総選挙に戻そう。

AKBオタと呼ばれる人たちも、生きているのだから当然、実生活があるわけだ。
CDを買い込んで投票するにも、握手をしに行くにもコストがかかる。
このコストを稼ぐ必要があり、働きに出ている。
中には服装に気をつけるようになったりニートから働きに出るようになった人たちもいるようだ。
彼らもまた「現実」と「仮想」の間を生きている。
批判するあなた方と同じように。

「AKB48総選挙は祭りである。」

AKB批判派の方は、この言葉をどう乗り越えますか。
反論に期待しています。

よろしくお願いします。

AKBオタに対して無意味な批判をするのをやめて、自省することをおススメする。

2011-06-10 16:30:18 | AKB48
総選挙が終われば誹謗中傷レベルの批判が出てくるのは想定していましたが、これはもはや恒例行事のようなものと思うようになりました。
誹謗中傷は当たり前、むしろ誹謗中傷されなくなったら総選挙の価値がなくなったということで終わりだと思います。
批判されないということは注目する価値もなしということですから。

これは恒例行事です。
そして、当Blogでこれらをいちいち取り上げて何が問題なのかを議論することを恒例行事にしたいと思います。
大人気ないと言われようがBlogの価値を貶めると言われようが毎年やっていきます。

踊る阿呆に踊らぬ阿呆、どうせ阿呆なら踊らにゃそんそん

第二弾は↓これ。

前田号泣!1位奪還!AKB17億円総選挙 (3/3ページ)(サンスポ)
http://www.sanspo.com/geino/news/110610/gnj1106100509022-n3.htm

漫画家、やくみつる(52)の話

 「投票している方々をテレビで拝見して、早く現実に戻れよと思った。現実のしがらみの中で生きている大人から見ると、疑似の世界だね。投票したアイドルには会えるかもしれないけど、リアルに付き合える人はいない。メンバーの1人ひとりはいい子ばかりだけど、前田敦子は振り向かないよ。もっとリアルな世界があることを知ってほしいな」


スポーツ新聞の記事に噛み付いてどうする?と言われるかもしれないが、この例はとても良い事例だ。

(スポーツ新聞の記事の信憑性がどれだけあるか知らないが)
突っ込みどころ満載な発言であり、成熟した大人とは思えない不見識なことを堂々と述べることができるなと感心するくらいの内容である。
スポーツ新聞的な煽りなのかもしれないが、特にAKB批判派の中には何気にこの意見に納得している人たちも多いのではなかろうか。

しかし、この意見、大人の意見というにはあまりに恥ずかしい、未成熟な大人の意見である。
こういう大人が日本に増えれば増えるほど、日本という国は硬直性を増し、収縮・破綻への道を歩むことになるだろう。

やくみつる氏のコメントは、大きく2点の誤解を含んでいる。
1つは、AKBオタは「現実」を理解できないのに、なぜか自分は「現実」を理解できると考えている点である。
もう1つは、AKBオタの目的を男女の「付き合う」ことに勝手にすり替えている点である。
順に説明する。

1つ目。

根本的に「現実」に関する認識が誤っている。
あなたは「現実」というものが、どういうものかご存知なのか。
あなたのいう「現実」とは何か。

あなたは「現実」と「仮想」の区別がつけれるのか。
あなたの脳は「現実」と「仮想」の区別がつけられないのに、あなたはどうやって「現実」と「仮想」の区別をつけるつもりでいるのか。

あなたの考えている「現実」は果たして現実だといえるのか。

そもそも「現実」かどうかがそれほど重要なのか問いたい。
あなたは、日々の暮らしの中で「現実」と「仮想」なんて意識していないのではないか。
なのにどうしてAKB48総選挙にだけ「現実」指向を求める。

あなたが認識しているのは「現実」ではなく「事実」である。
ただし「あなたの事実」である。
「事実」は腐るほどあり、人の頭数以上にある。

例えば、福島第一原発で起きている現実をあなたは理解できるか。
あなたが認識しているのはマスコミや人から伝え聞く情報を基にしたあなたの事実であって現実ではない。
しかし、現実を理解していないのに原発や放射線汚染などについてわかったつもりで論評するではないか。
あなたは現実ではなく事実を基にしてあらゆることを判断しているのだ。
その「事実」が、「現実」なのか「仮想」なのか、あなたに判断できるか。

人間にとって認識している「事実」が「現実」か「仮想」かなどということは、どうでもよいことである。
「現実」にこだわるのは、物理学者か哲学者で十分だ。

人間は見たいものを見、聞きたいものを聞き、考えたいものを考え、そして信じたいものを信じているだけだ。


2つ目。

自分のことは棚に上げて言うが、世の中には知りもしないのに、さもわかった振りをして人を見下してモノを語ろうとする輩が多い。
2つ目の論点は、1つ目の「現実」に関する話と深いかかわりがある。

やくみつる氏のコメントが致命的に説得力がないのは、自分の視点でしか物事を考えていないからである。
自分の考えを現実に近づけようとするのではなく、自分の側へ事実を持ってくる暴挙、まぁ人間なら程度の違いはあれど誰しもやってしまうことをやっている。

こんなコメントでは、AKBオタの心に全く響かないだろう。
現実から程遠く離れたところで発せられた言葉であり、何も言い得ていないからだ。

AKBオタの心に届かないのであれば、では誰の為に発せられたコメントなのか。
総選挙に関心を持っていない人に向けられたものか?
それだと、それこそ無意味なコメントになってしまう。
つまり、このコメントには顧客(相手)がいない。

ほとんど意味のないコメントである。
紙面を埋めるための存在価値のないコメントでありながら、AKB関係者を悲しませるという、損しか生まないコメントなのである。
実に面白い。

AKB商法を批判する前に己の行動を自省してみたらどうであろうか。

AKB48総選挙でTV局を批判する記者だが、実は自分自身へのブーメラン批判であった

2011-06-10 12:54:12 | AKB48
よし。AKB48総選挙が終わったところで、またAKB48ネタを開始します。
総選挙が終われば誹謗中傷レベルの批判が出てくるのを想定していたので、大人気ないですが、これらをいちいち取り上げて何が問題なのかを議論していきたいと思います。

まず、第一弾は↓これ。

AKB48総選挙に夢中になってアホかとバカかと / テレビ局は国民を馬鹿にしている(ロケットニュース24)
http://rocketnews24.com/?p=103292

なるほど。

まず、テレビ局が国民をバカにしているのは今に始まったことではない。
(いや、正確に言えばバカにしているのではなく視聴率が欲しいだけだ。)
しかし、それを批判するのにAKB48総選挙を持ち出す必要はない。
単に、この記事を書いた記者の趣向に合わなかったというだけの話に過ぎない。

そもそもこの記者の言わんとしていることは非常に謎である。
この記者が言っていることをまとめると「テレビ局は公共性を持っているのだからAKB48よりも取り上げるべきニュースがあるだろ?!」というものである。

テレビ局がAKB総選挙に注力する理由は、非常に単純だ。
他のニュースがそれ以下ってだけの話だ。

いや、より正確に言えば、テレビ局自身が取り扱うべきと思っているニュースの中で、AKB48総選挙が最も価値があると考えたというだけだ。

毎日民主党のゴタゴタを見せられる視聴者の気持ちになってみなさい。
AKB48総選挙よりも民主党の代表戦の方が価値があるって本気で思っているのかい?
あれこそ国民をバカにしていると思わないのか。
見るたびに暗い気持ちになるよりも、AKB48総選挙の方がいいだろう。
マスコミバイアスかけられた政治ニュースなんて見るだけ有害なのに。

また、この記者は「芸能」という部分にかなりの偏見を持っているのは文面からありありとわかるわけだが、ニュースがAKB48ではなくゴルフの石川遼や、サッカーの長友だったら別に文句つけないわけでしょ。
スポーツだとよくて芸能だと駄目な理由とは何なのでしょう。
チャンピオンズリーグに出場したとか、アメリカ大リーグのオールスターに出場したはよくて、なんでAKB48総選挙は駄目なのでしょうか。
その理由を聞いてみたいところだ。

だいたいAKB48総選挙を「芸能ネタ」としてしか評価できないところに、この記者(何の記者から知らないが)の見る目の無さを感じる。
プロの記者なら、しっかりと取材してから評価すべきなのではないかと思うのである。
記者が取材なしにイメージだけで語るようでは、テレビ局と同じではないか。

なんだこの記者は自己否定を行っていただけなのか。