進化する魂

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権力者は必然的に堕落する だから責任という概念がある

2011-06-04 23:05:37 | 哲学・思想
いつもの焼き直しですが、何度でも言います。

「権力(権限)」と「責任」のバランスのお話です。
権力者が堕落するのは、権限と責任のバランスがとれていないからに他なりません。
権限の範囲と責任の範囲が一致しないと、権力の暴走が起きます。

「権限」と「責任」は常に表裏一体で、組でなければならない。ドラッカーの言うように「権限を越えた責任、および責任を超えた権限は、どちらも権力の暴走(専制)を招く。」

責任を超えた権限は無責任を呼び込み、権限を越えた責任は相手の無責任を呼び込む。無責任は権限の暴走を止められない。

権力というものが、我々の思考に深く影響し、他社への共感を失わせるのだとしたら、我々は「責任」という言葉を見直さなければならない。
権力者に対して責任という制約を突きつけ、自己認識を明確にさせるのだ。

権力者はなぜ「堕落」するのか:心理学実験(WIRED VISION)
http://wiredvision.jp/news/201106/2011060319.html

[前略]

心理学者たちによると、権力者の問題のひとつは、他者の状況や感情に対する共感性が低くなることだという。いくつかの研究によれば、権力的な地位にある人は、ほかの人を判断する際に、ステレオタイプ的な判断を行ないやすく、一般化しやすいという。

[中略]

この傾向は、権力の「視野の狭さ」が引き起こすものだと研究チームは主張する。権力を手にすると、世界を他者の視点から想像することが非常に難しくなるというのだ。

[中略]

さらに、権力者は偽善的傾向も持ちやすい。

[中略]

人間は大抵の場合、正しい行ないは何か(ズルは悪だということ)を知っているが、自分が権力を手にしていると感じると、倫理的な過ちを正当化しやすくなる。例えば、約束の時間に遅れてスピード違反をする行為について、両グループの被験者に評価をさせたところ、権力を想起したグループは、その行為をする当事者が自分ではなく他人であった場合に、より厳しい評価を下す傾向を一貫して示した。つまり、ほかの者は法律に従うべきだが、自分は重要な人物であり重要な行動をしているので、スピード違反にも適切な理由がある、と感じやすいというのだ。

[中略]

195301993年に米連邦最高裁が下した判決を1000件以上にわたって分析したところ、判事の法廷における権限が強まるにつれて、あるいは判事が法廷の多数意見を支持した場合において、彼らの意見書の文言からは、複雑さや細かいニュアンスが失われる傾向が明らかになった。彼らが検討する視点はより少なくなり、判決から生じうる影響についての検討も少なくなった。そして問題は、こうした「多数意見」が実際の法律になっていくことだ。

ミシェル・フーコーが語っているように、権力のダイナミクスはわれわれの思考に深く影響する。権力の階段を上るにつれて、われわれの内なる議論はねじ曲げられ、他者への自然な共感は否定されるようになる。自らの行動が及ぼす影響など気にかけず、お構いなしに実行するようになっていくのだ。


・責任関連のエントリ

安易な権力集中に関する議論は「隷従への道」
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/58cfc83e19ad7ab2b24f2a05deb51fad

無縁社会にならないために今こそ「責任」という言葉を再発見せよ
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/011986c05acb69016396a3c9d3b96e3b

「責任」とは何か?
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/6a6594e111f05bf1810b00879c926c1a

「日本の病」は「国民の総無責任化」
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/a20b61ea8584f0a267e40ddec066e623

[責任シリーズ][01] これからの「責任」について話をしよう 導入
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/094f3c81bbc07ca11ef1ea2be5f53f07

その他いろいろあります。