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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

「AKB48総選挙」×「批判」で検索したら当Blogがランキング上位だった(笑)

2011-06-11 21:53:40 | AKB48


言われて気づいたのだが、Google先生で「AKB48総選挙 批判」で検索するとニュース検索まとめの次に当Blogが出てくる!
批判を批判しているのに「批判」で検索すると上位に出てくるというのは何とも皮肉な話だ(笑)
思わずウケてしまった。

ちなみに「AKB48 イノベーション」で検索すると上位独占です。
「AKB48」と「イノベーション」をかけるのは、ドラッカーと私ぐらいなものだから・・


それはそうと、↓この情報は面白い。
どういうこと?
CDは買ったものの投票するのに時間かかり過ぎたとか?
それとも投票を目的としない購入者が半数いたってこと?
ものすごく面白い情報で、誰かこれ分析してほしい。

AKB総選挙、CD購入半数が未投票だった…総投票数116万(デイリースポーツ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110611-00000003-dal-ent

9日に行われたAKB48「第3回選抜総選挙」の候補者150人全員を対象とした総投票数が10日発表され、前回の約3倍の116万6145票だった。
 投票数の内訳も公表され、投票権付きシングル「Everyday、カチューシャ」(5月25日発売)購入者の投票は77万9090票、その他公式ファンクラブサイト、公式モバイル会員らからの投票は38万7055票だったことが分かった。
 「‐カチューシャ」は145・3万枚を売り上げており、購入者の約半数が投票していなかった計算。半数の人にとっては『CD=投票権目当て』ではないともいえる結果に、関係者は「半分の人が、映画(もしドラ)を見てか、楽曲の良さで購入してくれたんですね」と驚きの声を上げた。
 また、総投票数のうち、1位前田敦子、2位大島優子が獲得した票数は26万2735票。約2割強の票が2人に集中したことで“絶対2強”の人気度の高さが改めて浮き彫りとなった。


↓これも面白い。この「私のことは嫌いでも」の自虐的(謙遜というべきか)な部分は日本人独特の言い回しだよなぁ。アメリカ人には理解できなそうだ。

あっちゃん号泣演説「流行語大賞だ!」(デイリースポーツ)
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/06/11/0004159532.shtml

悲願だったセンター奪還の喜びと、AKBの顔としてのプレッシャーと苦悩を素直に吐露した前田のトップ返り咲き“演説”にはインターネット上で「泣いた!」「感動した」とコメントが相次いだ。わかりやすくドラマチックな名スピーチは「オバマ大統領級だ」との声も上がった。

 「今年の流行語大賞に決まり」という声も出始めるなどネット上では大盛り上がり。「○○は嫌いにならないで」の部分をほかの言葉にもじるパロディーも登場。菅首相版で「私のことは嫌いでも、民主党は嫌いにならないで」が出回るなど、セリフが勝手に一人歩きしていく流行語特有の現象も起きている。

 流行語表彰の代表格「ユーキャン新語・流行語大賞」は、1984年に制定されて以来、アイドルのコメントが受賞した例は一度もない。14万票の支持を集めた国民的アイドルなら、史上初の快挙を成し遂げる可能性は十分ありそうだ


↓早速使われているらしいし。

鳥居みゆき、あっちゃんのセリフでPR(デイリースポーツ)
http://www.daily.co.jp/newsflash/2011/06/11/0004161599.shtml

初めての海外旅行で訪れたタイを振り返ったが「バッタとイモムシを食べた。ゾウの背中はサメ肌だった。対人恐怖症なので、うまくしゃべられなかった」と後ろ向きな話ばかり。それでも「私のことは嫌いでも、タイのことは嫌いにならないでください!」とあっちゃんばりに絶叫した。


↓そしてもっと面白いのがこれ

小林よしのりがAKB48の総選挙開票速報に行っていたwwwwwww(政経Ch)
http://fxya.blog129.fc2.com/blog-entry-2066.html


昨日、AKB48の総選挙を見に、武道館に行ってきました。いやあ、感動した。一瞬たりとも目を離すことはできなかった。こんな充実感は、かつて猪木・藤波・長州らが次々にドラマを生み出していた新日本プロレス以来のことです。アイドルで国民を巻き込む選挙をやるという、少女たちにはあまりにも過酷なエンターティンメントを生み出した秋元康は本当にすごい。AKB48を育てたオタクたちにも敬意を表したい。しかし少女たちの「制服」、「萌え」、「カワイイ」という日本の独特な文化が、こんなにもパワーを持っていたとは

真剣に生きて、真剣に戦って、自分たちの魅力を磨き上げるAKB、SKE、NMBのメンバーたちを見ていると、わしは自分の年齢を完全に忘れてBeginner の感覚に戻ってしまうんですね。民主党の代表選なんか屁みたいなものだ。勝手にやってろですよ。いい大人があんなくだらない国政選挙に関心を持ったり、誰が総理になるか予想してる方がバカバカしい。今の日本の政治家の選挙なんか、国民が完全無視してしまえばいいんだ。少女たちの真剣なコメントは本当に胸を打った。全員が自分の言葉で、自分のパフォーマンスで、選挙結果をどう受け止めたかをコメントするその真摯な姿にはつくづく感心した。

選挙結果は必ずしもわしの満足いくものではない。柏木由紀の3位急上昇は嬉しかったが、わしが一番好きな大島優子が前田敦子に負けてしまったし、板野友美が神セブンから8位に落ちたのもあまりにひどいと思うし、峰岸みなみが15位というのも全然納得できない。

しかし大島優子のコメントは情熱と冷静と辛らつが同居していて、実に素晴らしかった。大島は毎回必ず気の利いた言葉を発する。頭のいい娘だ。ますますァンになってしまった。

昨日は会場で2度も読者に発見されてしまって、「ファンです。読んでます」と声かけられてしまったが、あんな所に『ゴー宣』を読んでる人がいるとは恥ずかしかったーーー握手会にも行ってみたいけど、さすがにわしが並んでたら異常だよね。


【追記】
「AKB48」×「批判」で検索しても上位に出てきますな。
これはすごくいいポジションだなぁ。
批判で検索すると批判ではない記事がランキング上位に出てくるわけでしょ。

なぜ私はAKB48に関心を持つようになったのか

2011-06-11 18:02:36 | AKB48
私がAKB48に関心を持つようになったのは今から1年前、第2回の総選挙が終わった時だった。
それまで、NHK紅白歌合戦に出場したのは知っていたし、たまにTVで「ポニーテールとシュシュ」を見て演出がうまいなと思ったりはしたが、私は主要メンバーの名前も知らなかった。
そもそもアイドルに興味を持っていなかった。

そんな私がなぜAKB48に関心を抱くようになったのか。
今にして思えば「アンチが多かったから」なのかもしれない。

当時、AKB48の認知度が急激に上がっており、マスメディア上でAKB48は非常に人気のあるアイドルとして扱われていた。
にも関わらず、その一方でネットを覗くと強烈なバッシングにさらされていた。
右も左も知らない私からしてみれば、不思議な感じがした。

第2回総選挙の後に発表された「ヘビーローテーション」はとても意欲的かつ品質の高い作品であったにも関わらず、バッシングはやまなかった。
私の性格上、これは気になった。
何がそんなに問題なのかわからなかったからだ。

そこで調べてわかったのは、AKB批判の多くは大きく3点に集中している。
1つ目は「AKB商法」と呼ばれるビジネス形態が不快であるというもの。
2つ目は一部関係者が情報操作をして流行を偽造している疑いがあるというもの。
3つ目は各メンバーの質が悪いというもの。

しかし、私は調べれば調べるほど、逆にAKB48は評価されるべきものであると思うようになる。
AKB48というビジネスプラットフォームのアイディアは、旧態依然としてレガシーな日本の芸能界において実に革新的で、特に総選挙のコンセプトは、あらゆる分野でも最先端に位置していると言っていいくらいイノベーティブなものだと思った。
これはいろんな既存の常識を駆逐するコンセプトになる可能性があり、クレイトン・クリステンセンの言うところの「破壊的イノベーション」になると直感した。

私の頭の中で「AKB48」と「破壊的イノベーション」とつながった時に、バッシングされている理由がわかった気がした。
詳しくは「イノベーションのジレンマ」をお読みいただくのがよいが、簡単に言ってしまえば、事前には破壊的イノベーションは理解されないのである。
事前に理解できるなら、どうして破壊的イノベーションは破壊的になれるのか。
既存のパラダイムに住む人々のバリューネットワークの範囲外で起きて、そのパラダイムを破壊するのが破壊的イノベーションなのである。
そう、つまり批判している側は「AKB48」というコンセプトを理解できていないのである。
いや、理解したくないというのが本当のところだ。
なぜなら、誰しも既存のパラダイムの中で生きることが楽だからだ。

私は以前から分野は違えど10年後のプラットフォームビジネスを模索しており、イノベーションやビジネスモデルの調査や分析を行っていた。
近年の日本企業は、IntelやApple、Googleといったアメリカ企業にビジネスモデル部分での戦略負けをして、技術で勝っても事業で負けるということを繰り返していた。
新興国の台頭もあり、日本企業の存在価値は相対的に低下し、将来が不安視されていた時のことである。
問題はわかっていた。
日本企業の多くは技術は持っていたがビジネスモデルを構想して実現する構想力が低かった、いや重要性の認識が足りていなかった。
社員は優秀でも、それを活かす能力がない。
経営レベルに組織の潜在的な能力を発揮させる能力を持った人材が少ないのだ。
そもそも多くの人が「イノベーション」について理解することすらできていなかった。
そんな中で、分野は違えど、AKB48というコンセプトを知ったのだ。
率直にAKB48の革新性には驚いた。

そして、これは理解されないだろうと思った。
企業人にイノベーションの話をしても理解されないのだから、一般人に理解を求める方が間違っている。

だからAKB48のマネジメントは、理解し易いように噛み砕いた事業活動をする必要性に迫られている。
総選挙のあり方についても、もう少し考えるべき点はあるはずだ。
心無い誹謗中傷を、そのまま受け止めるのではなく、一歩高い次元で受け止めるべきだ。
古いコンセプトと新しいコンセプトが入れ替わろうとするところで摩擦は起きる。
摩擦が起きるのは必然的なもので仕方が無い。
この摩擦をどう受け止め、そして今後に生かしていくかを考えなければならない。
これはマネジメントの責務である。

前田敦子さんが1位に返り咲いた時のコメントが、マネジメントの不手際を言い表している。

もちろん、私のことが嫌いな人もいると思います。
私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないで下さい。

違うんだよ。
嫌いな人がいるのは仕方が無い。
光に照らされれば闇は必ずできる。
照らされるものが大きければ大きいほど闇は大きくなる。
光と闇は表裏一体の関係にある。
闇をつくりたくなかったらやることは単純、存在を薄くすることだ。
しかし、目指すところはそこではないだろう。
闇から照らされているものの形をしっかりと把握すること。
また、照らされるものの形を考えて、闇の形を変えること。
これをどうハンドリングしていくか、これはマネジメントの役割だ。
前田さんが考えてどうにかできることではない。

今後はさらにバッシングも強くなっていくことが予想されるだろうから、マネジメントにはより高度なビジネス戦略が求められているのは言うまでもない。

私がなぜAKB48に関心を抱くようになったのか。
アンチがAKB48の形を浮かび上がらせてくれたから。
なのかもしれない。

次回は「なぜ私はAKB48を批判する人を批判するのか」を書きます。
誰も読みたくないかもだけど。

AKB48総選挙「票数はみなさんの愛です」を理解できない人は愛を理解できない。

2011-06-11 13:26:06 | AKB48
この記事を読むと、痛いのは批判をしている方なのは間違いない。

AKB大島「『選挙は一人1票』って第三者は言うけど、票数はみなさんの愛です」(痛いニュース)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1631903.html

大島優子さんからすれば、批判されているAKBやファンその他ステークホルダーを擁護するため、いんやAKBとは何かについて思うところを述べたかったのではないか。
「総選挙のことで様々な批判があるけれど、私達(ここにはAKBだけではなくファンやステークホルダーも含まれる)にとって総選挙における票は"一つ"の気持ちの表現方法なのです。」と言いたかったに違いない。

どんな分野でも、成功すると様々な思惑を持った人たちが寄ってくる。
そのことによって規模が拡大できたり、目標の実現に近づけたりするというメリットがある一方で、様々な人の思惑が交差するためいろんな制約を受け入れざるを得なくなったり、当初の目標について軌道修正を求められたり、心無い人たちによって攻撃されたりするデメリットも出てくる。
規模が小さい時は、ファンの人たちと一緒に作り上げている感覚があっても、規模が大きくなれば、そうも言ってられないことが出てくる。
夢の豪邸マイホームに住んではみたが、小さな部屋に住んでいたあの時の家族団らんの楽しみが減ってしまったというケースもあるだろう。

あの頃想っていたものと少し違うかもしれないが、それでも自分たちの想い描くものに向かって、ひたむきに進むしかない。
何かを得れば何かを失う、AKBの各メンバーもトレードオフを受け入れながら活動している。
矛盾や葛藤と日々向き合いながら、それでも夢や目標に向かって進むのだという気持ちを強く持とうと努力しているのだ。

そんな背景から出た発言だと想ってみたらどうだろうか。
金だとか利益だとかだけでは語れない何か、心のずっと奥の、言葉で表現し切れない気持ちの、その気持ちの叫びだよ。
それをある時には「愛」っていうだけの話だ。


第三者はいろんなこといいます。
『投票数を何万も買って、本当に総選挙と言えるのか、選挙は一人1票じゃないのか』って

でも私たちにとって、票数というのはみなさんの愛です。

去年は1位になってセンターで歌わせていただきました。私にとっても大切な曲です。
次のシングルは2位ですが思いっきり歌って踊りたいと思います。


これまで歩んできた道、そしてこれから向かおうとしている未来、こんな私、私達でもよかったら一緒に歩んでいきたい、歩んでいこう。
そういう文脈で読むのが適切な発言だと、私は想う。


にも関わらず、大島優子さんの発言の揚げ足をとって「愛 = 票 = 金」→「愛 = 金」と勝手に解釈して批判しているのである。
全く文脈を読めない人たちだ。
想像力が無さ過ぎる。
国語の点数も低かったに違いない。
(国語のテストの是非についてはここでは議論しないが。)

いや、文脈を読もうという気がまるで無いのだとしたらもっと救いようが無い。
初めから理解する気などないのだから、批判だけをしたいのである。
実は、批判をすることでネットを通して他者との同一性を確かめているのだ。
批判をすること自体が目的なのである。

つまるところ「文脈を読み間違えている」のではなく「恣意的に文脈を無視している」のだ。
むしろ、どれだけウマい恣意性を表現できるかというのが彼らの生き甲斐なわけだ。
だから、彼らから批判を取り上げてしまってはならないし、それが周囲に悪影響を与えない限りは、好きに批判をさせておけばよいのだという意見は正しい。

「痛くても、それで一つのコミュニティを形成しており、それで彼らが楽しめているんだから、それでいいじゃないか。大人気ないね君は。」

と言われるが、確かにその通りだ。

では、何の為に私は批判派を批判するのか。
それには理由がある。
次のエントリで語る予定だ。