下記リンク先の意見を読むと、(個人的には)全体としては違うなと思うが、部分的には非常によい点を指摘してると思う。
なぜAKB48についてアンチが多数発生するかということの本質を抉り出している。
我々はこれと同じ現象を最近経験している。
「一億総原発評論家現象」である。
AKBは中身がわからないからこそよく話題になる
http://anond.hatelabo.jp/20110612212143
現象として定着していて、いまさら自分自身の頭で解釈や判断を加える必要のないもの。
[...]
情報が先行し、現実の作品がやってくるのは一番最後である。
[...]
今のような、何でもかんでも一瞬で何でも暴き立て、幻想を踏みにじり、笑いものにして価値を貶めずには居られない、それでいて自分たちは謝罪一つ出来ないという、現在のお笑い主権的でうんざりするゴミのようなやり方に対するアンチテーゼ的要素が感じられる。いや、アンチテーゼではないか、単に元に戻ってきてるだけだから。まぁそんな感じ。
「AKBの話題だったら歌さえ聞いていなくとも共有できる」
「ワイドショーさえ見ておらず、実際はAKBについて全く知らなくて思い込みで語っても許される。」
なぜならコアなファン以外は何も知らないからだ。話題になっているということただそれだけが話題のネタなのである。
なぜこれほど非生産的で中身の無い誹謗中傷がまかり通るのか。
それは、先日のエントリに書いた。
『AKB48総選挙「票数はみなさんの愛です」を理解できない人は愛を理解できない。』
実は、批判をすることでネットを通して他者との同一性を確かめているのだ。
批判をすること自体が目的なのである。
つまるところ「文脈を読み間違えている」のではなく「恣意的に文脈を無視している」のだ。
むしろ、どれだけウマい恣意性を表現できるかというのが彼らの生き甲斐なわけだ。
政治をバカにする国民と同じ構図なのだ。
特にひどいのは経済だが、最近は原発騒動があった。
重要なのは↓これ。
「ワイドショーさえ見ておらず、実際はAKBについて全く知らなくて思い込みで語っても許される。」
なぜならコアなファン以外は何も知らないからだ。
そう。
見下してバカにしてもその事を理解している人が少ないから許される。
つまり条件は、下記。
- 誰もが認知している
- しかし誰もそのことを理解している人がいない
これをうまく利用しているのはマスコミだ。
(マスコミを全て同列に扱うのは語弊のある行為でございますが、ここでは一般化をお許しください。)
一般人向けの情報として煽っておいて、まともな政策提言をしない。
それはマスコミが「わかっていない人に向けられた存在」で、「わかっている人に向けられた存在ではない」からである。
わかっている人に向けて発言する場合は、2重にも3重にも再考して熟考に熟考を重ねるものだ。
中身のない発言をしても意味が無いばかりか、発言者の信用度を貶めるだけだからである。
ガバナンスの効いている組織では、こういう発言が少ない。
民主党なり自民党なりが、内部でガタガタしているのはガバナンスが効いていない証拠である。
ガバナンスの効いている組織では、発言に論拠を示す必要がある。
裏も取らない情報を流布して組織に損失を与えてしまって、後でそれが嘘だとわかったら、自分の立場が危うくなるからだ。
(裏がとれない状況で迅速に動く必要性がある時は別)
だから組織として重要なことは、アウトプットにはしっかりとレビューがあるということを組織員に認識させ、レビューアの権威を明確にすることである。
レビューアに権威がないとガバナンスが効かない。
ゆえに政府に専門家会議を設けたりすること自体は悪いことではない。
ザルでなければ。
政治やマスコミにガバナンスが効かないのは、そのレビューアたる存在がザルだからだ。
(国民だろうね。国民一般で難しければ、国民がレビューを付託する組織をつくるんだろうね。)
つまり、日本全体がガバナンスの効いていない組織になっているということだ。
おっと話がそれてしまった。
AKB48の話に戻そう。
要するに、AKB48が有名なのにも関わらず、AKB48について知らない人が多いということがアンチにとっては非常に重要なわけだ。
で、私は今後バッシングはさらに大きくなっていくのではないかと考える。
AKB48の事業活動がより広がるからだ。
だから、AKB48のマネジメントは、先日のエントリに書いたように次のことに気を配るべきだと私は思う。
『なぜ私はAKB48に関心を持つようになったのか』
そう、つまり批判している側は「AKB48」というコンセプトを理解できていないのである。
[...]
だからAKB48のマネジメントは、理解し易いように噛み砕いた事業活動をする必要性に迫られている。
総選挙のあり方についても、もう少し考えるべき点はあるはずだ。
心無い誹謗中傷を、そのまま受け止めるのではなく、一歩高い次元で受け止めるべきだ。
古いコンセプトと新しいコンセプトが入れ替わろうとするところで摩擦は起きる。
摩擦が起きるのは必然的なもので仕方が無い。
この摩擦をどう受け止め、そして今後に生かしていくかを考えなければならない。
これはマネジメントの責務である。
「原発」もまたしかり。
なぜAKB48についてアンチが多数発生するかということの本質を抉り出している。
我々はこれと同じ現象を最近経験している。
「一億総原発評論家現象」である。
AKBは中身がわからないからこそよく話題になる
http://anond.hatelabo.jp/20110612212143
現象として定着していて、いまさら自分自身の頭で解釈や判断を加える必要のないもの。
[...]
情報が先行し、現実の作品がやってくるのは一番最後である。
[...]
今のような、何でもかんでも一瞬で何でも暴き立て、幻想を踏みにじり、笑いものにして価値を貶めずには居られない、それでいて自分たちは謝罪一つ出来ないという、現在のお笑い主権的でうんざりするゴミのようなやり方に対するアンチテーゼ的要素が感じられる。いや、アンチテーゼではないか、単に元に戻ってきてるだけだから。まぁそんな感じ。
「AKBの話題だったら歌さえ聞いていなくとも共有できる」
「ワイドショーさえ見ておらず、実際はAKBについて全く知らなくて思い込みで語っても許される。」
なぜならコアなファン以外は何も知らないからだ。話題になっているということただそれだけが話題のネタなのである。
なぜこれほど非生産的で中身の無い誹謗中傷がまかり通るのか。
それは、先日のエントリに書いた。
『AKB48総選挙「票数はみなさんの愛です」を理解できない人は愛を理解できない。』
実は、批判をすることでネットを通して他者との同一性を確かめているのだ。
批判をすること自体が目的なのである。
つまるところ「文脈を読み間違えている」のではなく「恣意的に文脈を無視している」のだ。
むしろ、どれだけウマい恣意性を表現できるかというのが彼らの生き甲斐なわけだ。
政治をバカにする国民と同じ構図なのだ。
特にひどいのは経済だが、最近は原発騒動があった。
重要なのは↓これ。
「ワイドショーさえ見ておらず、実際はAKBについて全く知らなくて思い込みで語っても許される。」
なぜならコアなファン以外は何も知らないからだ。
そう。
見下してバカにしてもその事を理解している人が少ないから許される。
つまり条件は、下記。
- 誰もが認知している
- しかし誰もそのことを理解している人がいない
これをうまく利用しているのはマスコミだ。
(マスコミを全て同列に扱うのは語弊のある行為でございますが、ここでは一般化をお許しください。)
一般人向けの情報として煽っておいて、まともな政策提言をしない。
それはマスコミが「わかっていない人に向けられた存在」で、「わかっている人に向けられた存在ではない」からである。
わかっている人に向けて発言する場合は、2重にも3重にも再考して熟考に熟考を重ねるものだ。
中身のない発言をしても意味が無いばかりか、発言者の信用度を貶めるだけだからである。
ガバナンスの効いている組織では、こういう発言が少ない。
民主党なり自民党なりが、内部でガタガタしているのはガバナンスが効いていない証拠である。
ガバナンスの効いている組織では、発言に論拠を示す必要がある。
裏も取らない情報を流布して組織に損失を与えてしまって、後でそれが嘘だとわかったら、自分の立場が危うくなるからだ。
(裏がとれない状況で迅速に動く必要性がある時は別)
だから組織として重要なことは、アウトプットにはしっかりとレビューがあるということを組織員に認識させ、レビューアの権威を明確にすることである。
レビューアに権威がないとガバナンスが効かない。
ゆえに政府に専門家会議を設けたりすること自体は悪いことではない。
ザルでなければ。
政治やマスコミにガバナンスが効かないのは、そのレビューアたる存在がザルだからだ。
(国民だろうね。国民一般で難しければ、国民がレビューを付託する組織をつくるんだろうね。)
つまり、日本全体がガバナンスの効いていない組織になっているということだ。
おっと話がそれてしまった。
AKB48の話に戻そう。
要するに、AKB48が有名なのにも関わらず、AKB48について知らない人が多いということがアンチにとっては非常に重要なわけだ。
で、私は今後バッシングはさらに大きくなっていくのではないかと考える。
AKB48の事業活動がより広がるからだ。
だから、AKB48のマネジメントは、先日のエントリに書いたように次のことに気を配るべきだと私は思う。
『なぜ私はAKB48に関心を持つようになったのか』
そう、つまり批判している側は「AKB48」というコンセプトを理解できていないのである。
[...]
だからAKB48のマネジメントは、理解し易いように噛み砕いた事業活動をする必要性に迫られている。
総選挙のあり方についても、もう少し考えるべき点はあるはずだ。
心無い誹謗中傷を、そのまま受け止めるのではなく、一歩高い次元で受け止めるべきだ。
古いコンセプトと新しいコンセプトが入れ替わろうとするところで摩擦は起きる。
摩擦が起きるのは必然的なもので仕方が無い。
この摩擦をどう受け止め、そして今後に生かしていくかを考えなければならない。
これはマネジメントの責務である。
「原発」もまたしかり。