「トヨタ・バブルの崩壊」
リーマンショックを契機にごく一部の識者が訴えていたが、公になることはなかった。
マスコミにとってトヨタは大スポンサーであるので、トヨタの機嫌を壊すことを恐れるからだ。
実際、トヨタやキャノンなどは自社に都合の悪い情報を流されると、そのメディアに対する広告を止める手段に出る。
民間放送局がスポンサーからの広告料から成り立っている以上、避けられない事態ではある。
My News Japanの渡邉氏は、この問題に最も詳しい一人だと思う。
彼は「企業ミシュラン」などで様々な企業のインサイダーに取材をしていて、見かけじゃなく企業の内実に詳しい。
トヨタの問題も以前から取上げていたが、どこも取り合ってくれなかったようだ。
(ジャーナリストの田原総一郎氏は、彼のことをえらく認めてくれているらしいが)
『報ステ』トヨタ報道がデタラメな件(渡邉正裕)
http://www.mynewsjapan.com/blog/masa/107/show
トヨタは国内では既に、2004年と2005年に188万台超のリコールを出して、国内販売台数を超えていたからだ。国内でも起きたことが海外でも起きただけ。国内の部品メーカーに作らせようが米国現地メーカーに作らせようが、設計はトヨタがやって下請けに作らせるだけなのだから、企業の国籍は関係がない。
[中略]
国内でもリコール王だったトヨタが、その体質のまま、相似形で世界のリコール王になっただけ。本来ならば、グローバル展開を急激に進める前に、品質管理などを徹底し、過去のリコール車の改修を終え、準備が整ったところで世界1000万台を目指すべきだった。なにしろ、リコール台数ナンバー1企業だ。
しかし、トヨタを止める者はいなかった。ここに、今回の問題の本質がある。ジャーナリズムも、国交省も、政治家も、全部グルの共犯だった。1000億円の広告宣伝費で口止めされたマスコミ、愛知万博などイベントで協賛を得たい官僚、政治資金と選挙の票が欲しい政治家。政官業のパーフェクトな癒着だ。
[中略]
そのモデルは、あくまで日本でしか通用しない仕組みであって、それをグローバル展開できると勘違いしたところに、今回の問題の本質がある。つまり、今回のリコール事件は「日本の戦後モデル崩壊の象徴」ともいえる。
いや、実は私も以前から「トヨタ・バブル」について書きたいと思っていたが、個人的心情により書けないでいた。
なぜなら、私にとって「トヨタ」とは、生まれた時から生活の一部であったからだ。
あまり個人的なことは書くのもどうかと思ったが、せっかくだから少しだけ語らせてもらおう。
(興味のない方はここから先は読まない方がいいです。)
実は、私の親も祖父も職業はトヨタ社員である。
祖父は戦前からトヨタであったし、私の父もその後をおった。
父は初め電力会社に行くつもりだったようだが、トヨタの方が金になると思って決めたとか。
小学生の頃、親に「どうしてその仕事についたのか?」を聞いてくる宿題が出たことがあった。
同級生達がそれは素晴らしい立派な大人の意見を述べている中、私だけ「金。」ただそれだけという理由だった。
周りの反応がシラケたものだったことを覚えている。
今なら「ユーモラスな親だ」と思えるかもしれないが、当時の私には恥ずかしいだけであった。
また、私の父は仕事人間で、朝早く夜遅いうえ、休日もいなかった。
年に何日か休みがあると思ったら、趣味のため外出していて、時代も時代であったが家族サービスなんてものはほとんどなかった。
そういう家庭に育つと親への愛を渇望する子供に育つらしいが、私は違った。
休日に父親が家にいると邪魔で仕方なかった。
子供心に思ったが、私にとって父親とは単にスポンサーという位置づけになっていた。
そう思わざるを得ない環境が、そう思わせたのかは定かではないが。
彼がいないと生活ができないが、できるだけ彼には自分の生活に入ってきて欲しくないと思っていた。
何時からかわからないが大学に入学するまで会話をした記憶がほとんどない。
私は自分自身が結婚するまで家族なんて信じていなかったが、こういう生い立ちに要因があるように思う。
ポストモダン的目覚めに助けになったという意味では感謝している。
人は師匠がどっち向いていたって学べるのだ。
学べるなら教師でも反面教師でもいいことに気づかされた。
父は私が生まれる前は製造にいたらしいのだが、その後営業に転進したようだ。
もともと彼は商売上手な人なので、そこで彼の才能は如何なく発揮された。
成績優秀で表彰されたことは数え切れない。
昔、休日営業が主流でなかった頃に、彼は休日営業に力を入れていた。
周囲はみな反対したらしいが今では主流になったと、今でも私に自慢をする。
彼の営業によって築かれた人脈は広く、父は何をするにもコネを利用して生きていた。
私は小さい頃、どこへ行くにもコネで割り引いてもらう父の姿がとてもあさましいものに見えて、嫌だった。
彼の立場からすれば、むしろ誇らしいことだったのかもしれないが、私は他とは違う条件を引き出すということが良いことのようには思えなかった。
時代が違うとはいえ、コネが優先される社会を見てきたからか、真面目に競争するのがあほらしく思えた。
レースというものに平等を期待する方が間違っていると子供心に思ったものだ。
見かけとは関係が無く、なんでもルールを作るほうが有利なのだ、ルールの抜け道を知っていて、それを面従服背で使いこなすのが日本人というものだ、私の心にはそう刷り込まれた。
だから、私は今も一部のパワープレーヤに有利なルールを改めるべきだと主張している。
私の利権政治嫌いはここから着ているのだろう。
話がそれすぎたが、私が生まれた時から「トヨタ」は私のそばにあって、当たり前の存在であった。
それは親近感とも反発とも違う、複雑な感情だ。
「他人じゃないけれど、でも抱き合いたくはない、あえて言及もしたくない感じ。」と言ってわかってもらえると嬉しい。
だから私には「トヨタ」を批判する気になれないでいる。
多分、今私が勤めている会社よりも、批判できない。
ただ、父に聞いたことがある次の言葉を思い出した。
私:「なぜトヨタは日産の2倍も売れるの?」
父:「ん?」
私:「車の性能がいいの?」
父:「性能に違いはないね。」
私:「え?じゃなに?」
父:「販売力の差だよ。」
今になって響くこの言葉。
わかってもらえるとうれしい。
リーマンショックを契機にごく一部の識者が訴えていたが、公になることはなかった。
マスコミにとってトヨタは大スポンサーであるので、トヨタの機嫌を壊すことを恐れるからだ。
実際、トヨタやキャノンなどは自社に都合の悪い情報を流されると、そのメディアに対する広告を止める手段に出る。
民間放送局がスポンサーからの広告料から成り立っている以上、避けられない事態ではある。
My News Japanの渡邉氏は、この問題に最も詳しい一人だと思う。
彼は「企業ミシュラン」などで様々な企業のインサイダーに取材をしていて、見かけじゃなく企業の内実に詳しい。
トヨタの問題も以前から取上げていたが、どこも取り合ってくれなかったようだ。
(ジャーナリストの田原総一郎氏は、彼のことをえらく認めてくれているらしいが)
『報ステ』トヨタ報道がデタラメな件(渡邉正裕)
http://www.mynewsjapan.com/blog/masa/107/show
トヨタは国内では既に、2004年と2005年に188万台超のリコールを出して、国内販売台数を超えていたからだ。国内でも起きたことが海外でも起きただけ。国内の部品メーカーに作らせようが米国現地メーカーに作らせようが、設計はトヨタがやって下請けに作らせるだけなのだから、企業の国籍は関係がない。
[中略]
国内でもリコール王だったトヨタが、その体質のまま、相似形で世界のリコール王になっただけ。本来ならば、グローバル展開を急激に進める前に、品質管理などを徹底し、過去のリコール車の改修を終え、準備が整ったところで世界1000万台を目指すべきだった。なにしろ、リコール台数ナンバー1企業だ。
しかし、トヨタを止める者はいなかった。ここに、今回の問題の本質がある。ジャーナリズムも、国交省も、政治家も、全部グルの共犯だった。1000億円の広告宣伝費で口止めされたマスコミ、愛知万博などイベントで協賛を得たい官僚、政治資金と選挙の票が欲しい政治家。政官業のパーフェクトな癒着だ。
[中略]
そのモデルは、あくまで日本でしか通用しない仕組みであって、それをグローバル展開できると勘違いしたところに、今回の問題の本質がある。つまり、今回のリコール事件は「日本の戦後モデル崩壊の象徴」ともいえる。
いや、実は私も以前から「トヨタ・バブル」について書きたいと思っていたが、個人的心情により書けないでいた。
なぜなら、私にとって「トヨタ」とは、生まれた時から生活の一部であったからだ。
あまり個人的なことは書くのもどうかと思ったが、せっかくだから少しだけ語らせてもらおう。
(興味のない方はここから先は読まない方がいいです。)
実は、私の親も祖父も職業はトヨタ社員である。
祖父は戦前からトヨタであったし、私の父もその後をおった。
父は初め電力会社に行くつもりだったようだが、トヨタの方が金になると思って決めたとか。
小学生の頃、親に「どうしてその仕事についたのか?」を聞いてくる宿題が出たことがあった。
同級生達がそれは素晴らしい立派な大人の意見を述べている中、私だけ「金。」ただそれだけという理由だった。
周りの反応がシラケたものだったことを覚えている。
今なら「ユーモラスな親だ」と思えるかもしれないが、当時の私には恥ずかしいだけであった。
また、私の父は仕事人間で、朝早く夜遅いうえ、休日もいなかった。
年に何日か休みがあると思ったら、趣味のため外出していて、時代も時代であったが家族サービスなんてものはほとんどなかった。
そういう家庭に育つと親への愛を渇望する子供に育つらしいが、私は違った。
休日に父親が家にいると邪魔で仕方なかった。
子供心に思ったが、私にとって父親とは単にスポンサーという位置づけになっていた。
そう思わざるを得ない環境が、そう思わせたのかは定かではないが。
彼がいないと生活ができないが、できるだけ彼には自分の生活に入ってきて欲しくないと思っていた。
何時からかわからないが大学に入学するまで会話をした記憶がほとんどない。
私は自分自身が結婚するまで家族なんて信じていなかったが、こういう生い立ちに要因があるように思う。
ポストモダン的目覚めに助けになったという意味では感謝している。
人は師匠がどっち向いていたって学べるのだ。
学べるなら教師でも反面教師でもいいことに気づかされた。
父は私が生まれる前は製造にいたらしいのだが、その後営業に転進したようだ。
もともと彼は商売上手な人なので、そこで彼の才能は如何なく発揮された。
成績優秀で表彰されたことは数え切れない。
昔、休日営業が主流でなかった頃に、彼は休日営業に力を入れていた。
周囲はみな反対したらしいが今では主流になったと、今でも私に自慢をする。
彼の営業によって築かれた人脈は広く、父は何をするにもコネを利用して生きていた。
私は小さい頃、どこへ行くにもコネで割り引いてもらう父の姿がとてもあさましいものに見えて、嫌だった。
彼の立場からすれば、むしろ誇らしいことだったのかもしれないが、私は他とは違う条件を引き出すということが良いことのようには思えなかった。
時代が違うとはいえ、コネが優先される社会を見てきたからか、真面目に競争するのがあほらしく思えた。
レースというものに平等を期待する方が間違っていると子供心に思ったものだ。
見かけとは関係が無く、なんでもルールを作るほうが有利なのだ、ルールの抜け道を知っていて、それを面従服背で使いこなすのが日本人というものだ、私の心にはそう刷り込まれた。
だから、私は今も一部のパワープレーヤに有利なルールを改めるべきだと主張している。
私の利権政治嫌いはここから着ているのだろう。
話がそれすぎたが、私が生まれた時から「トヨタ」は私のそばにあって、当たり前の存在であった。
それは親近感とも反発とも違う、複雑な感情だ。
「他人じゃないけれど、でも抱き合いたくはない、あえて言及もしたくない感じ。」と言ってわかってもらえると嬉しい。
だから私には「トヨタ」を批判する気になれないでいる。
多分、今私が勤めている会社よりも、批判できない。
ただ、父に聞いたことがある次の言葉を思い出した。
私:「なぜトヨタは日産の2倍も売れるの?」
父:「ん?」
私:「車の性能がいいの?」
父:「性能に違いはないね。」
私:「え?じゃなに?」
父:「販売力の差だよ。」
今になって響くこの言葉。
わかってもらえるとうれしい。