アスリートネタを継続。
一つの在り方を突き詰めている人の考えは深い。
(上村愛子)
http://blog.excite.co.jp/aikouemura/10772280/
私の友人が言ってくれました
難題のない人生は『無難な人生』
難題のある人生は『有り難い人生』
私はその後者を歩いてると。
オリンピックを夢見て
オリンピックでのメダルを夢見て
ずっと戦い続けてきました。
毎年、毎日、新しい考え方や新しい行動
いろんな自分を発見してきました。
自分のこうありたいと思うとおりの自分
自分の嫌いな自分
成功したときの喜び
失敗したときの悔しさ悲しさ
心が折れるとき
また立ち向かうとき
いろんな自分自身と向き合い
スキーの技術の成長と同じように
自分自身を成長させることができました。
ありがたい事だなぁと思います。
人間の身体的特徴を理由にスポーツ選手は早熟だ。
競技にもよるが、彼らのスポーツ人生のピークは10代後半から30代前半にもってくる必要がある。
(中学受験生はピークが12歳って話題も最近あったけれど・・)
若いときから周囲の期待や思惑を一身に背負う辛さと向き合ってきたのだ。
その中で鍛えられる精神力は、並みの人間の比ではないだろう。
(これは自分のことを棚に上げていうのだが)
それはそうと、最近こういう短絡的視点で物事を評価する人が増えた。
当Blogで繰り返しているように、日本の強さというのは、答えを先送りして物事に取り組む愚直さにあったと考える。
この考えは全体的合理性とのトレードオフであって、デメリットもある。
しかし、デメリットばかりを強調して、日本人のある種の奥ゆかしさを批判するのは早計で、トレードオフを無視することがあってはならない。
即座に答えを求められている場面と、そうではない場面をしっかりと認識して判断をくだすべきだが、ろくに考えもせず一つの考え方に一様に染まってしまうのは危険だと私は思う。
まぁ、そこが日本人らしいといえばらしいのだが・・。
上村愛子はなぜ勝てなかったのか?(岩崎夏海)
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20100216/1266289037
↓上のエントリに対する反論は、このエントリを呼んでもらえば十分だろう。
こういう勘違いしている奴がマスゴミに多いような(NC-15)
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20100216/1266330774
「他社に先んじる」ということではなく、「自分に勝つ」という努力こそが彼女を鍛えたのであって、それを批判するのは勘違い野郎と言われても仕方ないだろう。
一つのことを突き詰めて考えた経験がない人なのだろう。
※
またしても辺境論ネタだが、「自分に勝つ」というのは意味的にはおかしい。
「自分」が「自分」に勝つことなどできないからだ。
「勝つ」というのは相対的価値だから、「自分」が勝てるのは「他者」以外に有り得ない。
では、ここでいう「自分」とは何か。
それは自分が想定する自分。
つまり、「こうでありたい自分」=「理想(仮想)の自分」といいうことだ。
だから、本来的な意味では「自分に勝つ」というのは「自分ではない自分に勝つ」=「他者に勝つ」という意味なのである。
そして「最高の競技者」=「理想の自分」なのであれば、「自分に勝つ」=「金メダル」でもあるわけだ。
(「最高の競技者」でなくても「最高到達点の自分」でもいい。その場合は金メダルとは限らない)
だから上村愛子氏の言説は全く正しいのである。
一つの在り方を突き詰めている人の考えは深い。
(上村愛子)
http://blog.excite.co.jp/aikouemura/10772280/
私の友人が言ってくれました
難題のない人生は『無難な人生』
難題のある人生は『有り難い人生』
私はその後者を歩いてると。
オリンピックを夢見て
オリンピックでのメダルを夢見て
ずっと戦い続けてきました。
毎年、毎日、新しい考え方や新しい行動
いろんな自分を発見してきました。
自分のこうありたいと思うとおりの自分
自分の嫌いな自分
成功したときの喜び
失敗したときの悔しさ悲しさ
心が折れるとき
また立ち向かうとき
いろんな自分自身と向き合い
スキーの技術の成長と同じように
自分自身を成長させることができました。
ありがたい事だなぁと思います。
人間の身体的特徴を理由にスポーツ選手は早熟だ。
競技にもよるが、彼らのスポーツ人生のピークは10代後半から30代前半にもってくる必要がある。
(中学受験生はピークが12歳って話題も最近あったけれど・・)
若いときから周囲の期待や思惑を一身に背負う辛さと向き合ってきたのだ。
その中で鍛えられる精神力は、並みの人間の比ではないだろう。
(これは自分のことを棚に上げていうのだが)
それはそうと、最近こういう短絡的視点で物事を評価する人が増えた。
当Blogで繰り返しているように、日本の強さというのは、答えを先送りして物事に取り組む愚直さにあったと考える。
この考えは全体的合理性とのトレードオフであって、デメリットもある。
しかし、デメリットばかりを強調して、日本人のある種の奥ゆかしさを批判するのは早計で、トレードオフを無視することがあってはならない。
即座に答えを求められている場面と、そうではない場面をしっかりと認識して判断をくだすべきだが、ろくに考えもせず一つの考え方に一様に染まってしまうのは危険だと私は思う。
まぁ、そこが日本人らしいといえばらしいのだが・・。
上村愛子はなぜ勝てなかったのか?(岩崎夏海)
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20100216/1266289037
↓上のエントリに対する反論は、このエントリを呼んでもらえば十分だろう。
こういう勘違いしている奴がマスゴミに多いような(NC-15)
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20100216/1266330774
「他社に先んじる」ということではなく、「自分に勝つ」という努力こそが彼女を鍛えたのであって、それを批判するのは勘違い野郎と言われても仕方ないだろう。
一つのことを突き詰めて考えた経験がない人なのだろう。
※
またしても辺境論ネタだが、「自分に勝つ」というのは意味的にはおかしい。
「自分」が「自分」に勝つことなどできないからだ。
「勝つ」というのは相対的価値だから、「自分」が勝てるのは「他者」以外に有り得ない。
では、ここでいう「自分」とは何か。
それは自分が想定する自分。
つまり、「こうでありたい自分」=「理想(仮想)の自分」といいうことだ。
だから、本来的な意味では「自分に勝つ」というのは「自分ではない自分に勝つ」=「他者に勝つ」という意味なのである。
そして「最高の競技者」=「理想の自分」なのであれば、「自分に勝つ」=「金メダル」でもあるわけだ。
(「最高の競技者」でなくても「最高到達点の自分」でもいい。その場合は金メダルとは限らない)
だから上村愛子氏の言説は全く正しいのである。