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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

上村愛子氏の「自分に勝つ」は正しい

2010-02-17 13:45:22 | 哲学・思想
アスリートネタを継続。

一つの在り方を突き詰めている人の考えは深い。

(上村愛子)
http://blog.excite.co.jp/aikouemura/10772280/


私の友人が言ってくれました

難題のない人生は『無難な人生』
難題のある人生は『有り難い人生』

私はその後者を歩いてると。

オリンピックを夢見て
オリンピックでのメダルを夢見て
ずっと戦い続けてきました。

毎年、毎日、新しい考え方や新しい行動
いろんな自分を発見してきました。

自分のこうありたいと思うとおりの自分
自分の嫌いな自分

成功したときの喜び
失敗したときの悔しさ悲しさ
心が折れるとき
また立ち向かうとき

いろんな自分自身と向き合い
スキーの技術の成長と同じように
自分自身を成長させることができました。

ありがたい事だなぁと思います。


人間の身体的特徴を理由にスポーツ選手は早熟だ。
競技にもよるが、彼らのスポーツ人生のピークは10代後半から30代前半にもってくる必要がある。
(中学受験生はピークが12歳って話題も最近あったけれど・・)
若いときから周囲の期待や思惑を一身に背負う辛さと向き合ってきたのだ。

その中で鍛えられる精神力は、並みの人間の比ではないだろう。



(これは自分のことを棚に上げていうのだが)
それはそうと、最近こういう短絡的視点で物事を評価する人が増えた。
当Blogで繰り返しているように、日本の強さというのは、答えを先送りして物事に取り組む愚直さにあったと考える。
この考えは全体的合理性とのトレードオフであって、デメリットもある。
しかし、デメリットばかりを強調して、日本人のある種の奥ゆかしさを批判するのは早計で、トレードオフを無視することがあってはならない。
即座に答えを求められている場面と、そうではない場面をしっかりと認識して判断をくだすべきだが、ろくに考えもせず一つの考え方に一様に染まってしまうのは危険だと私は思う。
まぁ、そこが日本人らしいといえばらしいのだが・・。

上村愛子はなぜ勝てなかったのか?(岩崎夏海)
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20100216/1266289037

↓上のエントリに対する反論は、このエントリを呼んでもらえば十分だろう。

こういう勘違いしている奴がマスゴミに多いような(NC-15)
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20100216/1266330774

「他社に先んじる」ということではなく、「自分に勝つ」という努力こそが彼女を鍛えたのであって、それを批判するのは勘違い野郎と言われても仕方ないだろう。
一つのことを突き詰めて考えた経験がない人なのだろう。


またしても辺境論ネタだが、「自分に勝つ」というのは意味的にはおかしい。
「自分」が「自分」に勝つことなどできないからだ。
「勝つ」というのは相対的価値だから、「自分」が勝てるのは「他者」以外に有り得ない。
では、ここでいう「自分」とは何か。
それは自分が想定する自分。
つまり、「こうでありたい自分」=「理想(仮想)の自分」といいうことだ。

だから、本来的な意味では「自分に勝つ」というのは「自分ではない自分に勝つ」=「他者に勝つ」という意味なのである。
そして「最高の競技者」=「理想の自分」なのであれば、「自分に勝つ」=「金メダル」でもあるわけだ。
(「最高の競技者」でなくても「最高到達点の自分」でもいい。その場合は金メダルとは限らない)
だから上村愛子氏の言説は全く正しいのである。

アスリートを育てるには安心という環境が必要

2010-02-17 10:15:30 | 社会
やばい、最近の金融日記が面白すぎる。

中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51654318.html

天才小学生たちはどこに消えた?
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51655722.html

なぜ理系の秀才はみな医学部に行くのか? ―標準的ファイナンス理論からの考察―
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51657517.html


なぜそれほど秀才は医学部に進学するのだろうか?
受験勉強に熱心に取り組んでいる間に、受験勉強自体が自己目的化してしまい、少しでも偏差値の高い学部に入学することにより自己顕示欲を満たそうとする圧力が働き、その結果、偏差値の高い医学部が、偏差値の高さゆえに偏差値の高い学生を集めてしまうという、偏差値の自己増幅作用が働く可能性がある。
これは自分がいかに激烈な競争を勝ち残ったかを証明しようとするシグナリングの一種

医学部卒業生は平均年収の高さもさることながら、そのバラツキの少なさは注目に値する。
悪くても1000万円ぐらいは稼げるのである。
つまり、医学部の方がリスクも少ないのである。
ファイナンスの標準理論に従えば、リスクが小さくリターンも大きいなら、それを選ばない人はいないことになる。
このようの考えれば「なぜ田舎の国公立医学部は東大より難しいのか?」という問いは馬鹿げているように思える。
むしろ「なぜ東大理1程度が、田舎の国公立医学部と同じぐらい難しいのか?」と問うことの方がより自然だ。
おそらくその答えは、18才から24歳という人生の青春時代をど田舎ですごさなければいけないというディスカウントがかなり効いているということであろう。
もし他の条件が同じなら、田舎の国公立医学部の偏差値は東大よりはるかに高くなるはずだが、この青春ディスカウントの分だけ割り引かれ、結果としてそれほど差がつかずにいるのである。


私の知っている例からすると、医者の子供は小さい頃から医者になるように仕込まれてるね。
開業医の息子は後を継ぐために医者になる。
ならねばならぬという洗脳に小さい頃からかかっている。
彼らの人生の選択肢はとても狭まっているから、何浪してもがんばる。
医者になるという選択肢しかないから、ある意味かわいそうでもある。

あとは受験アスリートの諸君。
彼らは競争に勝つということが目的だな。
受験勉強の自己目的化。


もちろん高尚な目的をお持ちの方々もいらっしゃると思いますよ。

リターンの話は安心材料なんだと思う。
たぶん、それを大目的にする人は少数なんじゃないのかな~。
2次的要因で1次的要因ではないと個人的には思う。
あなたがアスリートで、プロになっても生活に困るんじゃ目指さないよね。
プロになれれば豊かといえなくても、最低限の生活が保証されていれば、安心して目指せる。

実は、億万長者を目指してアスリート目指す人はあまりいない。
ブラジルのスラム街でサッカー選手を目指す人も、貧しい生活から脱却したいという思いはあるだろうけど、億万長者になることが目的とする人なんかほとんどいないのではないかと推察する。
両親や兄弟に豊かな暮らしをさせてあげたいとか、そういう気持ちはあるだろうけれど。

なぜかっていうと、アスリートとして存在するための決定要因ではないものを目的とすると、結果がついてこないからだ。
他のいろんなものを心配しながらアスリートの道を目指したんでは効率が悪い。
その道の先を不安視したんでは、やることに集中できない。
重要なことは、決定要因以外のものに注意をとられることなく、アスリートの道を邁進できること。
そのための条件として、リターンの話が出てくる。

受験アスリート達も同じで、受験勉強を自己目的化するためには、受験勉強だけに集中できる環境が必要だ。
がんばったって何も得られないんじゃやり続けることはできない。
この闘いに買ったところで、、と思うだけ。
それでは相手に先に行かれてしまう。
本当は考えなきゃいけないことがいろいろあるかもしれないけれど、この道をゆけば、とにかく食いっぱぐれることはないという安心感、これが大事。

そんな生き方や社会の在り方が良いとか悪いとかという話をしているのではなくて、効率性を求めるとそうなるという話をしているだけだ。

21世紀は帝国の時代か

2010-02-17 09:42:38 | 経済
う~ん、、やっぱ中華帝国は違うな。
トヨタはこれから訴訟でアメリカに苛め抜かれるだろうしな。

米国債保有、日本が中国抜き首位=1年4カ月ぶり(時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2010021700002


【ワシントン時事】米財務省が16日発表した国際資本収支統計によると、昨年12月末時点の各国別の米国債保有高は、日本が7688億ドル(11月末は7573億ドル)となり、2008年8月以来、1年4カ月ぶりに首位となった。中国は7554億ドル(同7896億ドル)で2位。最大保有国の地位逆転は、貿易などで摩擦が強まっている米中関係にも影響を及ぼしそうだ。
 日本は2カ月連続で米国債保有高を増やした一方で、中国は保有高を削減してきており、首位が逆転した。中国による保有高削減は、外貨準備の運用先多様化の一環とみられる。ただ、対中ダンピング(不当廉売)調査など通商政策をめぐり米側の厳しい対応が目立ち始めた昨秋以降、米国債の保有高削減が一段と加速している。


中国にインド、ロシア、etc...21世紀は帝国の復活だな。
そもそもなぜその地域に帝国ができたかといえば、地政学的に優位であったからに他ならない。
20世紀は未開発地域の資源を、先進国が発達した機動力でむしりとることに成功したが、21世紀に入ってそれが難しくなると、地政学的な優位性が相対的に増すだろう。
それは中世の帝国が復活することを意味する。

ただ歴史はスパイラルしながらも変化し続けていくので、単純な中世の復活にはならない。
新しい形での帝国が復活するはずだ。

↓このエントリを呼んでいてふとそう思った。

「21世紀は陸と海のたたかい」~400年ぶりの歴史的大転換の始まり~(藤井まり子)
http://agora-web.jp/archives/924708.html

水野和夫氏お得意のやりすぎ歴史哲学だ。
人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか (水野和夫著)」は、哲学、歴史、経済と広範に跨って分析がされており、内容は面白いので興味のある方は読まれるといいと思う。
ただし、彼に文才がないのか超読みにくいけど・・。