自分のコメントがあまりにハマッた感があるので自分のブログに掲載。
(なんと人間の小さいことか!)
自分が悪い 助けてといわない若者 (原淳二郎)
http://agora-web.jp/archives/917457.html
[自分のコメント]
この問題の本質は「社会」と「個人」との間に隔絶が起きはじめているということです。
近代国家というのは「個人」が「社会」の構成物であるという刷り込みに成功したものなのですが、なんと日本では逆転現象が置き始めている(そもそも「個人」が存在しなかったという問題設定も有るだろう)。政府が福祉国家的な社会を目指して「個人」の「社会」への取り込もうとしているのに反して、「個人」は「社会」から離れていく。アメリカと違うのは国家に対する積極的不支持ではなく消極的失望的不支持ではあるが。オバマのように「物語」によって「個人」を繋ぎとめることができるのか、否か。経済構造の脱近代化が迫られている今、まさに日本における脱近代社会の夜明け。
これは人類にとって長期変動的な流れである。などと愚考します。
まぁ、いつも書いてることなので当Blogとしては新規性無しですが。
ただ、当Blog内の世界だけで物事を考えると(意味不明)、日本を覆う閉塞感の問題は下記を外しては成り立たないということがわかります。
(そういえば「閉塞感を打破する方法はあるか」シリーズを途中から更新していないことを思い出す・・)
「個人」と「社会」への関わり方。
これが時代とともに変化してきているんですね。
日本の場合「個人」は存在しなかったといわれておりますし、これは有名な話ですが、明治時代になるまで「社会」という言葉はありませんでした。
日本という国には、ある時に突然「個人」と「社会」が入り込んできたのです。
日本人の知らぬ間にしれっと。
皆が気づくと「個人」と「社会」はそこにあった。
だから、日本人は「個人」と「社会」への関わり方についてなんら深い洞察も得ていないし、むしろ苦しめられている。
----------------------------------
気づくと彼女(/彼氏)と自分の部屋で同棲していた。
初めは楽しかったから細かいところは気にしなかった。
なかなかかわいいし(/かっこいいし)家事も手伝ってくれる。
1人ではなんでもないことが、2人だととてもいいものに思えてくる。
そんな同棲生活が続いた。
だが、最近は一緒の空間にいることが辛い時もある。
なんだろう。
そういえば、いつ、何を理由に同棲をしたのかよくわからなくなっていた。
この同棲生活の行き着く先についても考えていなかった。
何を目指していたのだろう。
いや、何も目指していなかったのだろうか。
それすらよくわからない。
なんだろう。
楽しいはずなのに、何かが抜け落ちている感じがするんだ。
ふとしたときに。
何かが変わったのだろうか。
お互いにお互いのことを前よりわかってきたというだけで、他に変わったことはないはずだが。
それを相手に悟られないように努力している自分もいたりして。
無駄な徒労感を感じてしまうときがある。
これが恋愛ってものなのだろうか。
別に何も得るものはないが、悟ったようにそう思う。
俺(私)って何がしたいんだったっけ?
物語風にたとえてみました。
ちなみにこれは空想で、個人的経験とは一切関係がありません(笑)
(なんと人間の小さいことか!)
自分が悪い 助けてといわない若者 (原淳二郎)
http://agora-web.jp/archives/917457.html
[自分のコメント]
この問題の本質は「社会」と「個人」との間に隔絶が起きはじめているということです。
近代国家というのは「個人」が「社会」の構成物であるという刷り込みに成功したものなのですが、なんと日本では逆転現象が置き始めている(そもそも「個人」が存在しなかったという問題設定も有るだろう)。政府が福祉国家的な社会を目指して「個人」の「社会」への取り込もうとしているのに反して、「個人」は「社会」から離れていく。アメリカと違うのは国家に対する積極的不支持ではなく消極的失望的不支持ではあるが。オバマのように「物語」によって「個人」を繋ぎとめることができるのか、否か。経済構造の脱近代化が迫られている今、まさに日本における脱近代社会の夜明け。
これは人類にとって長期変動的な流れである。などと愚考します。
まぁ、いつも書いてることなので当Blogとしては新規性無しですが。
ただ、当Blog内の世界だけで物事を考えると(意味不明)、日本を覆う閉塞感の問題は下記を外しては成り立たないということがわかります。
(そういえば「閉塞感を打破する方法はあるか」シリーズを途中から更新していないことを思い出す・・)
「個人」と「社会」への関わり方。
これが時代とともに変化してきているんですね。
日本の場合「個人」は存在しなかったといわれておりますし、これは有名な話ですが、明治時代になるまで「社会」という言葉はありませんでした。
日本という国には、ある時に突然「個人」と「社会」が入り込んできたのです。
日本人の知らぬ間にしれっと。
皆が気づくと「個人」と「社会」はそこにあった。
だから、日本人は「個人」と「社会」への関わり方についてなんら深い洞察も得ていないし、むしろ苦しめられている。
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気づくと彼女(/彼氏)と自分の部屋で同棲していた。
初めは楽しかったから細かいところは気にしなかった。
なかなかかわいいし(/かっこいいし)家事も手伝ってくれる。
1人ではなんでもないことが、2人だととてもいいものに思えてくる。
そんな同棲生活が続いた。
だが、最近は一緒の空間にいることが辛い時もある。
なんだろう。
そういえば、いつ、何を理由に同棲をしたのかよくわからなくなっていた。
この同棲生活の行き着く先についても考えていなかった。
何を目指していたのだろう。
いや、何も目指していなかったのだろうか。
それすらよくわからない。
なんだろう。
楽しいはずなのに、何かが抜け落ちている感じがするんだ。
ふとしたときに。
何かが変わったのだろうか。
お互いにお互いのことを前よりわかってきたというだけで、他に変わったことはないはずだが。
それを相手に悟られないように努力している自分もいたりして。
無駄な徒労感を感じてしまうときがある。
これが恋愛ってものなのだろうか。
別に何も得るものはないが、悟ったようにそう思う。
俺(私)って何がしたいんだったっけ?
物語風にたとえてみました。
ちなみにこれは空想で、個人的経験とは一切関係がありません(笑)