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進化する魂

フリートーク
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「福祉経済」は虚像か?

2010-02-23 12:35:24 | 経済
この知見は前提として持っておきたい。
メモ的にエントリ化。

民主党の「福祉経済」は効果が期待できるか? (鈴木亘)
http://blogs.yahoo.co.jp/kqsmr859/31374353.html

現在、民主党政権は、多額の財政赤字を出してまで実施している社会保障費拡大を、景気回復策や中長期的な「成長戦略」とまで位置づけており、最近は「福祉経済」なる造語まで登場している。

「大きな財政赤字をどうやって正当化するのか」という問いに対する政権与党の説明はだいたい↑な感じである。

経済学的に見た場合、これは単なる需要の先食いであり、成長戦略などでは到底ないし、ここまで政府債務が拡大すると、景気回復効果も基本的には怪しい。

↑経済学的にみると有り得ない説明なのだという。

こうした中、社会保障費膨張の効果を正当化する経済学的根拠がもしあるとすれば、その有力な候補の一つは、「安心回復によって、日本の高齢者が抱える多額の過剰貯蓄が消費に回る」ということである。実際、このロジックは、民主党の成長戦略ペーパーにも登場しているし、民主党の各閣僚の最近の発言にも現れ始めている。

↑この意見は、いろんなところで出ている。
が、実はこれ、このままでは妄想で終わってしまいそうなのだ。

日本では2004年時点で、1429.1兆円の家計金融資産があったが、その過半である785.2兆円を60歳以上の高齢者が保有している。家計の純金融資産ベース(456.9兆円)では、その約8割(359.1兆円)が60歳以上の高齢者の保有である。

↑日本の個人金融資産のほとんどを高齢者が保有しているのは周知の通りだ。

政府は、高齢者が金融資産を多く蓄えている原因を、公的年金を中心とした社会保障制度への不安があるためと分析しており、社会保障費充実や政策的な誘導によって過剰貯蓄が取り崩され、消費主導による景気回復や中長期的成長が起きることを期待しているのである。

↑「その高齢者のお金を市場に出すことができればいいのでは?」というほど問題は簡単ではない。

このアイディアと経済効果の試算は、2008年11月に政府系のシンクタンクであるNIRA(総合研究開発機構)が実施した『家計に眠る「過剰貯蓄」― 国民生活の質の向上には「貯蓄から消費へ」』(http://www.nira.or.jp/pdf/0804report.pdf)という報告書にまとめられており・・・

[中略]

報告書では、総じて100兆円程度の過剰貯蓄があり、それを高齢者が消費に回すような政策誘導を行なうべきとしている。

ただ、この100兆円なり179兆円なりという金額は、社会保障に対する不安だけではなく、遺産や様々な貯蓄動機を全て含んだ金額であるから、社会保障費充実によって取り崩される分はその一部である。

[中略]

社会保障に対する不安で高齢者がどれほど資産を蓄えているのか、実はまだ全く不明なのである。

↑つまるところ、高齢者が保有する個人金融資産には100兆円程度の余剰があると思われるが、社会保障の充実で、その中からどの程度市場に出てくるかは誰にもわかっていない状況ということ。

また、民主党政権が期待するように、社会保障費の拡大や制度改革によって、果たして高齢者の予備的貯蓄が取り崩され、消費が拡大するかどうかは全く別の問題である

↑その通り。理念と現実を分けて考えようということだな。

日本の高齢者の危険回避度は非常に高いため、多少の社会保障制度改革程度では消費・貯蓄行動はあまり変化しない可能性がある。

↑少なくてもこれまでそうだった。今後どうかはわからないが、楽観はできない。

社会保障費拡大に伴う増税や赤字国債増発で、将来の所得変動に対するリスクが返って高まり、予備的貯蓄が減らない可能性もある。

↑これは多いに有り得る。

日本の場合、年金を初めとする社会保障制度は全て賦課方式で運営されているため、現在の社会保障費拡大は、若者世代のより大きな負担増を意味する。このため、高齢者の予備的貯蓄が仮に減少したとしても、若者世代の合理的貯蓄、予備的貯蓄は確実に増し、一定程度の相殺が起こるであろう。

↑若者世代はもはや年金などに期待しておらぬであろうが、とりあえず国民年金の未納率が高いために、強制徴収されている厚生年金に負担を負わせようとしているのに個人的に腹が立つ。

↓それよりも、次の内容が重要。

高齢者が仮に予備的貯蓄を取り崩して消費を拡大させたとしても、投資や政府支出などの他の需要項目がクラウドアウトされない保障はない。特に現在、日本政府の債務残高は900兆円程度に迫り、GDPの2倍近くとなっているが、政府が発行する国債の大半は、国内の家計金融資産として国内で消化され、非常な低金利が保たれている。しかしながら、予備的貯蓄取り崩しにより、家計金融資産が減少すると、国債市場の受給が変化して長期金利が高まり、金利上昇が設備投資、住宅投資に影響してクラウドアウトが起きる可能性もある。

さらに、そうなると政府の国債の利払い費が大きく増加し、財政規律を意識せざるを得ないために、さらなる政府支出の抑制や、税負担を高めるといった政策反応が起きて、景気の足を引っ張るであろう。

↑膨大な債務残高が許されるのは、個人金融資産があるからなわけで、個人金融資産が取り崩されたら国債の信用が揺るぎかねないわけで、すると金利が上昇する。
ゆえに、個人金融資産をあてにした成長戦略というのはナンセンスだと。
人生にフリーランチはないように国家にもフリーランチはない。ということか。
トレードオフから逃れることはできない・・

こうして考えてみると、わが国の高齢者の予備的貯蓄が例えある程度存在したとしても、民主党政権がその取り崩しに安易な期待を掛けることは禁物であるといえる。つまり、「福祉経済」の理論的根拠は意外に希薄なのである

それ以外の「福祉経済」の理論的背景は、再分配による低所得者の消費刺激や、政策的に抑制されている介護・保育分野の潜在的需要開放であるが、それがあまり効果が大きくないことや、あまり期待できない

たぶん、経済議論をするときの「安心」というのは、アカロフ=シラーのアニマルスピリッツに出てくる「安心乗数」の方に近い。
それは、ストックを活用するという意味ではなくて、縮こまって活動しなくなったものを活発化するということだ。

最近、聞くところによるとスウェーデンなどの北欧諸国の高福祉国家が行き詰まりを見せているらしい。
支出に見合うだけの収入を確保する難しさとともに、「私」から「公」へのアウトソースによる「私」コミュニティの破壊のような話を聞く。
北欧諸国の制度の持続可能性があるや否やについて興味があるが、なんにせよ未だ理想郷は地球に存在せぬことは自覚しておきたい。
「こうすれば全てがうまくいく」かのような話題にだけは乗るまいと心しよう。と自分に言い聞かせる。