粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

クマラスワミ報告書その無知と悪意

2014-10-18 11:53:41 | プロ市民煽動家

日本政府は、ニューヨークで外務省の佐藤女性人権人道担当大使を通じて、スリランカのクマラスワミ女史に、1996年に同女史が国連人権委員会に提出した報告書の一部内容を撤回するように申し出たが拒否されたという。いわゆる「クマラスワミ報告書」であり、最近朝日新聞が虚偽を認めた吉田証言が引用されている。

報告書では旧日本軍の慰安婦強制連行が核心部分になっている。それが虚偽であれば報告書そのものが信憑性を失うことになるのだが、彼女が撤回を拒否したことは道理に合わずはなはだ遺憾である。

なぜクマラスワミ女史はこれを拒否したのだろうか。おそらく、一つには女性法律家としてのプライドがあるのだろう。女性の人権専門家の立場から国連を舞台にその重要性を強調したのになぜ今更文句を言われるのか、と。

これを好意的に解釈すればその動機は善意であったのかもしれない。女性の人権を保護しようという目的で活動したということだ。しかし、悪くいえば慰安婦問題の真相を理解しようとせず、一方の被害者と称する側の主張のみを鵜呑みにし、はなはだ偏向した判断をしたといえる。いわば、彼女の「無知」の結果といえるのでないか。

これに対して、この報告者が国連で採択されるにあたって実際に「悪意」で暗躍したともいえるグループがいる。それは国連人権委員会に向けて盛んに慰安婦問題で日本を貶めるロビー活動をした日本国内外の市民団体である。主に左翼系弁護士が中心だが、キリスト教団体さらには朝鮮総連の活動も目立った。彼らが旧日本軍の強制連行や性奴隷といった虚偽を散々喧伝した。

それと同時に元慰安婦と称する人々と背後で手引きする韓国や日本の団体も非常に「悪意」を感じる。クマラスワミ女史は吉田証言は否定されても元慰安婦の証言が重要な要素だから報告書そのものは揺らぐことはないとも抗弁している。しかし、この証言自体が非常に信憑性に乏しい。これは河野談話での彼女らの証言が全く信頼性に欠けていたことでもわかる。

一度でも彼女たちは日本の公式の席でその被害を訴えたことがあるだろうか。日本へ訪れても特定の市民団体の集会で発言するだけで、後は韓国や米国など自分たちに同情を寄せる場所でしか登場していない。それも市民団体が予め発言内容を指示しているのがほとんどだし、元慰安婦本人もそれを承知で演じている。またこれとは別に北朝鮮元慰安婦も報告書に関与しているが、彼の国の体制を考えれば彼女たちの話はとても信用できない。ともかくクマラスワミ女史はそんな彼女たちの意図的な証言を鵜呑みにしている。

したがって、この問題ではクマラスワミ女史の「無知」を批判しなければないないが、同時に背後で暗躍した「悪意」ある人々をもっと厳しく糾弾しなければならない。もちろん、「悪意」としか思えない報道を続けた朝日新聞も含まれる。