粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

朴槿恵大統領反日の原点?

2014-10-12 13:43:51 | 厄介な隣国

産経新聞前ソウル支局長が朴槿恵大統領の報道で在宅起訴された。この起訴には朴大統領の意向が強く働いているとされ、深刻な日韓問題になっている。これはひとえに朴大統領自身の個人的な反日感情が大きく影響している。この期に及んでの執念深さは、異常というほかなく日本人にとってやりきれなさばかりが残る。

この朴槿恵大統領の異常な反日感情の根源はどこにあるのだろうか。最近、40年前の事件のことを強く意識するようになった。在日韓国人が韓国の光復節の式典に政府要人を装って侵入し、当時の朴正煕大統領に向け銃を乱射した事件だ。大統領自身は狙撃を交わしたが、同席していた陸夫人は流れ弾に受けて死亡した。

この在日韓国人文世光は、事件後実は日本で北朝鮮の工作員から朴正煕大統領暗殺を唆されたされたことを自供した。ビザとパスポートは知人の日本人を利用して偽造したが、拳銃2丁はなんと大阪の派出所から盗み射撃訓練までしている。そしてこうした実際の計画は朝鮮総連大阪生野支部の政治部長が指示した。結局、大統領を暗殺して韓国の赤化を狙う北朝鮮の謀略工作に利用されたのである。

朴正煕大統領は北朝鮮の謀略に怒ったが、同時に在日韓国人の暗殺計画を容易に許した日本に対しても怒りは向けられた。派出所の拳銃が犯行に使われたことに日本政府からなんら謝罪の言葉がないこと、そして犯行に暗躍した朝鮮総連への捜索に及び腰だったことで日本が赤化工作の基地になったいると非難した。大統領の憤激は尋常でなく日本と国交断絶することまで考えたという。

側近がなだめ最悪の事態が免れたが、日韓関係は極度に悪化したことは事実だ。さらに日本側がそれに油を注ぐ態度をとったことも問題だ。当時の木村外相が「日本に責任はない」と公言したことで韓国内の反日感情が爆発し、日本大使館が連日デモ隊に包囲された。あるいは夫人の葬儀に出席した当時の田中角栄首相が「偉い目に遭われましたね」と能天気な言葉をかけたことも大統領を憤激させた。

事件当時フランスに留学していた朴槿恵現大統領は急遽帰国して、母親が務めていたファーストレディの役割を引き継ぐことになった。まさに最悪の日韓関係のなかで彼女は政治家人生をスタートさせたことになる。母親を突然失った悲しみとともに、この惨事に謝罪もなく動きが全く鈍いと思えた日本政府に対しても強い不信感を抱いたことも想像に難くない。

確かに現在の朴槿恵大統領の日本叩きは非論理的で理不尽であることは間違いない。国民の反日感情を意識して敢えて日本に強く出て支持率を維持しようとする思惑があることは否定できない。ただ、彼女の反日感情の奥底には40年前の悲劇があるとしたら、いささか同情を禁じ得ない。歴史認識で日本政府に対して執拗に謝罪を求める姿勢には、あの事件で間近に感じた父親の怒りが反映されているとしたら本当に始末が悪いともいえるのだが。