粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

朝日叩きに反対する集会の動画を見て

2014-10-26 18:17:06 | 反原発反日メディア

今月15日に行なわれた集会の様子がネット配信されていたので早速見てみたが、想像した以上に面白く興味深かった。

「朝日バッシングとジャーナリズムの危機」(メディア同士の叩き合いを危惧する著名人らが緊急シンポジウム開催)と長たらしいタイトルだが動画時間も2時間半の長丁場に及んだ。

出席者は朝日叩きに反発する外部のジャーナリストや文化人が多かったが、朝日の現役とOBが3人参加していた。そしてこれら外部著名人と朝日関係者ではその訴える内容が全くといってよいほど方向性が異なっていてそれが発言にはっきり現れていた。

まず著名人たちが、朝日を叩く他のメディアのやり方を激しく非難したのに対して、朝日関係者は、自社の企業体質の閉鎖性を訴えていた。記者たちは全くといってよいほど他社の朝日叩きには言及しなかった。特に大阪本社社会部の武田記者は控え目な物言いながら、率直に自社の対応を批判していた。

「私は慰安婦問題特集取材班の一員だった。大きな責任を感じている。最近の朝日新聞批判で、現役記者の発言がなく、OBの発言に任せておいていいのかという思いがある。

社長の謝罪会見で、『朝日は自浄能力がないのではないか』と何度も質問された時、悔しさが頂点に達した」

それほどに朝日新聞というのは「いつのまにか闘えない組織になっていた」ともいう。それも「もう遅いと思った」ほどに弱体化していた。さらに末端記者の自由な言論が紙面に十分反映されず上層部の意向が強く働いている現状も告発していた。

会社の上層部が考えていた狙いと私たち取材班で納得したい狙いというものがおそらく違っていた。取材班としてはきちんと慰安婦問題を事実に即して報道していくというためにも、この誤報問題を必ず解決しなければいけないと考えていた。そこが歴史に真摯に向き合う一歩になるのではないかと受け止めた。

取材班としては今回のような紙面構成にするつもりはなかった。もっと全体像を示したものをつくっていこうとしたが、どういう経緯でか私たちの手を離れて、先送りをする、別の機会に書くという対応になった。

こんな集会で朝日新聞現役記者の内部告発を聞けるとは思わなかった。同じく客席から飛び入りで登壇した朝日東京本社記者も認識は同様だった。ある面、会社の締め付けが緩んできたともいえるし、それこそ武田記者のいう「弱体化」の結果なのか。ともかく、今朝日新聞が重大な岐路にたっていることは間違いない。

それに対して外部の著名人の発言には朝日新聞擁護にほぼ終始して、日頃の朝日叩きを自分たちへの攻撃と考えているようだった。今の風潮を歪んだ時代の反映と見なし安部政権を批判するなど異常な危機感を露にしていた。どうもこうしたリベラル派と称する人間の発言には聞いていて首を傾げたり不快感を覚えてしまう。その点で朝日OBの辰濃氏の指摘は冷静でバランスが取れていた。

この会で傷をなめ合っていても仕方がない、そこには苦言があって、おかしいぞという声があって始めてこれに対する理論武装ができていく。ムードだけで流されるのなら朝日に対する売国奴というムードとあまり変わらない。

週刊金曜日の編集長が保守メディアと安部政権に対してガチガチの批判を披瀝した後、辰濃氏はこれを牽制するように割って入って発言をした格好だ。

これら朝日新聞の現役記者とOBの声が果たして朝日を改革する原動力になるのだろうか。少しは期待したいがなんともいえない。それに彼らの見解を想像するに慰安婦問題で基本的にはどうも従来からの朝日新聞の主張とさほど変わっていないようにも思える。朝日の壁を越えられるか、あるいは超えようとしているのか。


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