粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

「手抜き除染報道」女性記者のある発言

2014-10-22 15:10:17 | 反原発反日メディア

みなさん疲れが酷くなっていますね。一番の要因は先が見えないということです。1ミリシーベルトに除染すると国が言っていたがそれができなくなった。線量が下がらないまま戻るか戻らないで新しい生活をするかという選択を皆さんが迫られるようになってきています。その生活の見通しが立たないことが疲弊感を強くしています。

これは昨年1月、福島の除染作業で手抜きがおこなれていることをスクープした朝日新聞の女性記者がその2ヶ月後関東のラジオ番組に出演したときの発言だ。最近になって週刊新潮がその報道には「やらせ」の疑いがあると報じて問題になっている。新潮の記事に登場する「A記者」とはおそらくこの女性記者のことを指すのだろう。

自分のブログでも書いたが、彼女は当時除染作業に従事していた作業員をつかって「内部告発」させている。無理矢理現場監督に近づかせ「手抜き」を唆せてその様子を彼女が提供したICレコーダーで録音させている。あるいは作業員の証言も彼女が予め用意した解答集に沿った形に誘導させた疑いが掛けられている。

そんな彼女がラジオ局で福島県民特に避難民の現在の心境を自分の印象で語ったのが冒頭の発言である。(動画の冒頭約1分)ともかく福島県民は「疲れている」と悲観的な見方だ。そして、その理由に国の除染政策をあげて、批判している。除染の基準が年間1ミリシーベルトとしたのだが、実際はこれが徹底されず自民党政権になっても変わっていないと彼女は考えている。その矛盾として端的に現れているのがこうした手抜き除染だと彼女は言いたいようだ。

こうした除染作業を停滞させたままに国は避難民の帰還を一方的に推している。帰還が既定の事実と見なされて無理矢理帰還するかどうか彼らは選択を迫られている。これでは避難民不在であり、「疲労感」に苛まされているのが実情だ。これが女性記者の問題意識である。

結局、彼女は年間1ミリシーベルトが原発事故収拾のための重要な条件と考えているのだ。いわゆる反原発派に共通する認識でこれを金科玉条のような崇め立てている。まるで「1ミリシーベルト」教信者のようだ。しかし、この1ミリシーベルトの状態に福島の旧避難区域を完全に戻すことは相当困難だと思う。

またそもそも1ミリシーベルトが適正な除染基準とはとても思えない。自然界では世界的に平日本の平均よりも1ミリ以上高いところは多い。あるいは年間5ミリシーベルトを超えている地域も少なくない。日本政府が設定した1ミリシーベルトは決して妥当はいえず、むしろこの基準を緩める方が先決ではないかと思う。

福島の除染で手抜きしていると批判する以前に、こうした基準の方を問題にすべきであり、本末転倒と思えて仕方がない。彼女の主導による報道は昨年の新聞協会賞を受賞している。あの吉田調書を「スクープ」したスター記者に代わって、今や原発報道のヒロインになっている。再び誤報で社長が謝罪することがないよう祈るばかりである。