粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

原告が訴えるべき相手

2012-07-19 07:56:51 | ガレキ広域処理問題

こういうのを「アンビリーバブル」というのだろう。産経のウェブサイトによれば、北九州市ががれき受け入れを進めたことで健康不安を懸念させ精神的苦痛を受けたとして、北九州市と宮城県を相手に損害賠償を求める訴訟を起こしたという。

健康不安とはなんぞや、精神的苦痛とはなんぞや、さっぱりわからない。そしてこうした「苦痛」を受けたのはどんな人々なんだろう。ギネスブックなら、世界で最も不可思議な裁判として記録されるかもしれない。

アメリカで、自分の肥満を日常通い続けていたハンバーガーショップのせいにして、訴えたりする話をよく聞く。こうした提訴自体ナンセンスだと思うが、しかし原告は自分の肥満体を何よりの証拠として主張するかも知れない。でも今回の提訴はその「証拠」さえ示すことはできない。

あるいは交通事故の「当たり屋」が「はねた運転手」を訴えるにしても、一応形だけ当たって「被害」をつくる。多少の肉体的苦痛を敢えて覚悟して。しかし、今回の訴訟はそんな「努力」もしない。意味不明な「精神的苦痛」というバーチャルな被害を理由にするだけだ。

おそらくこんな常軌を逸した裁判は、決して何ら成果をあげることはことはないだろう。それが通るのなら、既に実施している東京の広域処理ではどうなのか。多数の健康被害が続出してとんでもない社会問題になっているはずだ。そんなことは決してあり得ない。実際北九州市の試験焼却でも何ら問題は出ていない。静岡県島田市でもしかり。

むしろ精神的苦痛を味わっているのは北九州市と宮城県の関係者であろう。いわれなき中傷をうけた精神的苦痛は実害といってもよい。聞くところによると役所の担当部署には、「抗議」の電話やメールが殺到して業務に大きな支障が出たという。

逆にこうした役所が、反対派で提訴しているグループを訴えれば勝訴する可能性がある。しかし、広域処理の本来の業務に忙しくそんなことに関わっている暇はないのが実情だ。

よく「放射能パニック」などという。全て病気の原因を放射能の影響と決めつけてしまう。悪いのは全て放射能、特に子供の命には危険極まりないと騒ぐ。被災地の産品を拒否したり、子供の修学旅行を根拠もないのに反対する。がれき広域処理の反対もその一環だ。特に首都圏から「避難」した母親が移住先で反対運動をするケースが少なくない。多くはネットの反原発活動家の煽動にマインドコントロールされているケースが多い。

したがってこうした原告たちが向かうべき場所は、裁判所ではない。自分たちの放射能パニックから生還させてくれるカウンセラーのところではないか。そして精神的苦痛を引き起した「真犯人」を今一度問い直すことだ。そうすると提訴する相手が本当は誰なのか自ずとわかるだろう。


飯館村の明日に向けて

2012-07-18 09:08:56 | 福島への思い

福島県飯館村が新たな線引きで昨日からスタートを切った。しかし1年以上に及ぶ住民の避難生活は人々の心に亀裂をつくっていった。最初帰村を望んでいた人の中にも、賠償金を頼りに飯館村から離れようとする住民も増えてきた。

しかし菅野典雄村長はあくまでも帰村による村の再生を望んでいる。NHKのインタビューで「村のことを忘れないでほしいと願うなら、村自身が前向きに捉えている姿勢を示すことが大事だ」という趣旨の発言をしていた。後ろ向きの考え方では支援が得られない、と。

「放射能の影響についても人によっていろいろな見方がある」とも村長は語っている。しかし彼自身は、除染を進めれば充分に村の再生は可能という期待感が強い。

自分自身、菅野村長の方針を全面的に支持したい。村長がテレビで強調していたが、戸外では少し線量は高くても、屋内ならば仕事をし生活するのが充分安全という地域は少なくない。今後そうした地域を中心に除染を進めれば、村再生が現実のものとなっていくと信じたい。

菅野村長の姿勢で好感を持つのは政府の復興行政の不備を指摘しつつ、「村も自立に向け努力するから、支援をお願いしたい」と政府との信頼関係の必要性を強調している点だ。確かにテレビで村長が指摘していたが、除染がなかなか進まず政府の対応にもどかしさを感じている面もある。しかし政府の支援なしに復興はあり得ないことは村長自身痛感している。自治体の首長によっては、国の対応ばかりを非難して先が進まないケースもある。菅野村長の今後の前向きな取り組みに期待したい。

テレビの映像は人の往来はないものの、青々とした美しい自然を映し出していた。目にしみるほどの緑、これは原発事故後も全く変わっていない。ただ田んぼに雑草が生え放題なのは悲しい。里山も村民の手入れがあってこそ生かされる。人間と自然の共生が必要である。かけがえのない自然に人々が優しく包まれるためにも、一刻も早い村の再生が望まれる。



真っ当な意見

2012-07-17 13:10:26 | 原発事故関連

将来のエネルギー政策について政府が国民の意見を聞く意見聴取会は、早くも名古屋会場で発言者の選定を巡って一波乱があった。

現役の中部電力社員(動画3分過ぎ)が2030年の原子力比率で20~25%を主張したのが、原因だ。確かに今の風潮で電力会社社員がこうした公の聴取会に参加するのは問題がないことはない。しかし彼が主張している内容は至極真っ当であり、傾聴に値すると思った。

原子力のリスクが過大に評価されている。去年の福島の事故で、放射能の直接的な影響で亡くなった人はいない。5年、10年たっても変わらないと考えている。(傍聴者のヤジの後に)……疫学的なデータからみると紛れもない事実です。5年10年経てば分かります。

原発事故の放射能被害に関して正論を歯に衣を着せず堂々と発言しているのには好感をもった。実際彼の主張にまともに反論できる人はほとんどいないだろう。またこの発言は会社を代表してのものなら問題だが個人的意見ならば、排除するのもおかしい。好意的に解釈すれば、事故以来の放射能へ過剰な危険報道に耐えきれず義憤に駆られたのかも知れない。

メディアは、彼の発言内容よりも、出席者の人選を問題にしている。健康被害の実際を検証しようという視点が全く見られない。発言の途中で「嘘つけ!」のヤジがあったが、そんな人には思わず「(嘘という)証拠を出せ」と言いたくなった。中部電力社員の発言者も同じ心境だろう。

一方で東京の代々木で脱原発を訴える大規模な「市民」集会が行われた。警察発表で7.5万人。大江健三郎氏を始めいつもの著名人が参加していた。そこで音楽家の坂本龍一氏が、相も変わらずの「子供の命」発言を繰り返していた。

たかが電気のためになんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか。子どもを守りましょう。日本の国土を守りましょう」

子供の命」なる言葉がまるで水戸黄門の印籠のように、こうした集会に必ず登場する。しかしどのような健康被害が子供たちに及ぶのか、具体的実証は示されない。そこで「思考停止」してしまっている。脱原発の集会に出席する多くの一般市民に共通した情緒先行の考え方といえる。

会場には親子連れが少なくなく、幼児も多く見かけられた。おそらく「子供の命」を強調するための集会主催者の意図もあるのだろう。しかし今年最高の真夏日を記録した東京で、子供たちが熱射にさらされることが決して健康にいいはずがない。


いわきの海開き

2012-07-16 12:47:55 | 福島への思い

今日16日海の日に、福島県内で原発事故以来初めて、海水浴場が再開された。いわき市の最南部の勿来海岸だ。「なこそ」とは「来るな」という意味らしいが、大いににぎわってい欲しいと願う。

空気中の放射線量も毎時0.06マイクロシーベルトで海水や砂浜も全然問題ない。隣県の茨城県も昨年は風評被害で海水客も激減し厳しかったようだが、今年は巻き返しに意気盛んなようだ。

福島復興のシンボル「スパリゾートハワイアンズ」も2月に全面再開、あのフラガールたちの活気と華やかさも満喫できる。まだまだ完全な福島の復興は遠いだろうが、少しづつだが確実に日常を取り戻しつつある。今後を福島の復興を静かに暖かく見守りたいと思う。

追記:17日の新聞朝刊を見たら、朝日、読売、産経が揃って1面にこの話題を写真付きで報じていた。(他紙未確認)こうした「揃いぶみ」は珍しい?


情緒的な脱原発論

2012-07-15 14:44:49 | 煽りの達人

昨日14日夜のNHKテレビで今後のエネルギー問題をどうするかを議論する番組を見た。政府の担当者も交え、特に原発依存をどうしていくか、意見の異なる著名ゲストや専門家らが討論していた。

とりわけ先に政府が示した原発依存に対する3つの選択肢が議論のたたき台になる。すなわち、2030年に依存率を1,ゼロにする 2,10~15%にする 3,20~25%にする、のうちどれを選択すべきかという問題だ。ゲストのひとり精神科医の香山リカさんは1番の選択パネルを挙げ、特別原発存続には厳しい立場だ。しかしその主張はあまりにも情緒的で違和感を覚えた。

去年3月にあういう事故があって、それからわずか1年後にまた原子力発電を10%前後維持しようと議論していること自体が信じられない。3月の時のあの恐怖、いまだに福島で避難されていたり、子育て中の特に母親たちが食事に不安の渦中にいるなかで 原発から少しでも減らし離れたいと思っている人がたくさんいる。

そのなかで原発をどうするかという議論すること自体考えられない。是非原子力発電から抜け出て違う道を歩みだすことという強い決意、それによってこれからの社会をつくっていくという決意をしないと、すべてのことは震災の復興を含めてありえないと思う

要は原発は危険で今もその恐怖に人々が晒されているのに原発存続を考えること自体無意味だといっているのだ。これは放射能のよる健康被害は甚大で、それを生み出す原子力は危険極まりないという過剰な忌避に基づいていると思う。残念ながら国民の一部特に幼い子供を持つ母親にこうした強いアレルギーをもつ人々は存在する。しかしそのアレルギーは、本当に科学的見地から出ているとはとても思えない。単なる一部危険を煽る人々の主張を丸呑みしているに過ぎないのではないか。

香山さんがどういう意図で原発の危険を主張しているのかわからない。しかしこうした原発への強い嫌悪だけでは、今後のエネルギー問題を長期的な視野で現実的に考えていく上で、決してプラスにならない。原発危険=不要で思考停止しているからだ。

そもそも原発事故による健康被害もまだ検証されていない。エネルギーコストで原発依存を解消する解決策もまだ見いだされていない。温暖化問題に日本は傍観者であっていいのか、など今後クリアーすべき課題は多い。情緒先行の原発論は排除されなければならないと思う。