粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

給食拒否は親の無知とエゴ

2012-01-21 09:41:08 | 過剰不安の先

20日付産經新聞によると、給食が出るのに弁当を持参して昼食をとることを許可する自治体が東日本中心に増えているという。これは小中学校生を持つ親の「食の不安」による。原発事故で起きた放射能汚染が学校給食に及んでいるのではないかという心配からだ。しかしこれは被曝の実態を知らない親の無知と我が子への偏愛によるものだと思う。

昨日紹介した朝日新聞の記事を見ても食品の内部被曝は福島の家庭で1日セシウム4ベクレル前後が普通だ。最大で17ベクレルだが、その家庭をみると家庭菜園の野菜をかなり食しているようだ。まして関東の家庭では朝日の調査で平均値1日0.35ベクレルだ。関東の学校給食は家庭よりももしかして高い値が出るにしても、数値の上でさほど差があるとは思えない。当然暫定基準値以下の食材を使い、特定地ではなく各地の産品を採用しているはずだ。まして給食は1日1食だ。関東の給食ならば無理に多く見積もっても1日1ベクレルを超えるセシウムの摂取はあり得ないと考えられる。1ベクレルで1年間給食を取ったとしても年間せいぜい200ベクレルぐらい。0.004ミリシーベルトの年間被曝が加算されるに過ぎない。4月から政府が打ち出している内部被曝許容量1ミリシーベルトの250分の1、比較するのがおこがましい数字だ。子供の方が放射線の影響を受けやすいとはいうが、こんな微量では影響も何もあったものではない。

自治体や学校はもっと食の安全を保護者に強く説明する必要がある。それには朝日が検査したような1日の給食でのセシウム含有量データを具体的に親たちに突きつけるぐらいすべきだろう。それでも納得しない親はいるだろう。なにしろ「東北の野菜は食べてはいけない」などと、とんでもない無責任な発言をする大学教授がいるくらいだから。

親のいい分は「なんとなく学校給食は汚染されて恐い」という根拠のないもので、あえて子供に弁当を持たせるのは親の偏愛に過ぎないと思う。悪くいえばモンスターペアレントといわれても致し方ないだろう。

子供の健康を心配して弁当を持たせても、それは親の自己満足と気休めにしかならない。しかしそれによって多くの人を傷つけていることを知るべきだ。まず福島を中心とした被災地の生産者、そして学校給食に携わる関係者だ。給食では専門の栄養士が栄養のバランスをはかるために職能の限りを尽くしているはずだ。現場で給食を作る人たちは子供たちに美味しく食べてもらうことを最上の喜びとしているに違いない。

そして、もっと傷ついているのは親に「無理やり弁当を食べさせられている」子供たち本人かも知れない。実際は給食を拒否している保護者は少数のようだ。とすると学校で弁当を食べているのはクラスのほんの一部の子にすぎない。大勢が同じ食事をしているのに自分はわざわざ全然違うものを食べている子供の心境はいかばかりだろう。「なんで自分だけが」という孤立感に悩まされいることも考えられる。これは団体生活を学ぶ学校の姿としてはなはだ疑問だ。親のエゴイズムが子供の成育にとってどんな影響を与えるか、大いに問題視すべきだろう。


朝日新聞の内部被曝安全宣言?

2012-01-20 00:11:02 | 反原発反日メディア

昨日(19日)朝日新聞の被曝調査結果は非常に注目に値する。朝日の面目躍如か?朝日新聞と京都大学環境衛生研究室が共同で調査したところがポイントだ。福島26、関東16、中部・関西・九州11の一般家庭の食卓のセシウム摂取量を調べたものだ。昨年12月4日の1日3食分を家族一人分余計に作りそれを全部混ぜて放射線量をはかった。水分を充分乾燥させて5時間かけて念入りに調査したが、検出の限界値(キロ当たり0.09~0.036ベクレル)が極めて低い。つまり非常に調査の精度が高いと言うことだ。

それによると福島では1日のセシウム摂取量が最大で17.3ベクレル、中央値は4.01ベクレル、これを1年間続けても年間被曝量はそれぞれ0.1ミリシーベルト、0.023ミリシーベルトに過ぎず、今年の4月から採用される食品の被曝基準年間1ミリシーベルトの10分の1、40分の1にすぎない。関東では1日の中央値は0.35ベクレルに過ぎず、16家族中7家族は不検出だ。名古屋以降の西日本では11家族中10家族が不検出だった。

この調査結果に対して小泉昭夫京大医学部教授は「福島のセシウム量でも充分低く健康影響を心配するほどのレベルではなかった」と断じ、甲斐倫明大分県立看護科学大教授も「食品に含まれているいて誰もが被曝しているカリウム40の自然放射線により被曝量よりもはるかに低い」と指摘している。ちなみにカリウム40は日本人が平均4000ベクレル体内にあり、年間で0.1896ミリシーベルトの内部被曝があるという。福島のセシウム年間被曝の中央値の8.2倍だ。

繰り返すが何よりも政府が4月から厳しい基準を打ち出した年間1ミリシーベルトの40分の1(福島の中央値)に過ぎない。しかし、朝日新聞は調査した家族のうち最も高い数値(1日で17.3ベクレル)が出た家族にスポットを当てる。高校生の娘をもつ母親は「出ると覚悟をしていたが、思ったより少なかった。でも内部被曝はわからないから恐い。子供の世代の将来が恐い。」「家庭菜園の野菜でキュウリなど今までは皮まで食べていたが今はきちんとむいている。福島の米も食べていない。」と不安の胸の内を伝えている。結果を素直に認めたくないという姿勢が朝日らしいといえばらしいが。高いと言っても年間0.1ミリシーベルトで新しい食品基準の10分の1に過ぎない。

以前NHKでも同じような検査をしたが、精度がいまいちで不検出が続出した。ただ内容そのものは朝日の結果とさほど開きがない。NHKの精度の不備を今回クリアーしたというべきだろう。NHKの番組で調査から食卓の安全性を司会者が強調したら、視聴者から「少ないサンプルで安全なんてチャンチャラおかしい」という抗議があったのを記憶している。しかし今回の調査をみれば決して「チャンチャラ」おかしくないことが証明されたといえる。

今後は事故収束に伴い日本全体で外部にしても内部にしても被曝量は減ることはあっても増えることはないだろう。もちろんこれからも食品の恒常的な検査は必要だ。特に魚介類は注視すべきだろう。しかし事故後の9ヶ月もたっていない12月4日でのこの結果は大いに評価してよいだろう。緩いといわれる政府の食品管理も概ね妥当だといってよい。「反原発」的姿勢が目立つ朝日新聞がこんな具体的な数値で結果的に安全性を裏付けたのも大きい。サンプル自体はまだまだ少ないのでこれからも多方面での新たな検査が必要だが、朝日の調査結果は今後の検査の重要な指標になることだろう。朝日よりもっと「反原発」的色彩が濃い東京新聞も、今後は具体的な調査をしてもらいたいものだ。それが「社会の公器」の責任のはずだ。



曽野綾子さんのきつい一撃

2012-01-19 00:02:44 | 音楽

昨日(18日)の産經新聞、曽野綾子さんのコラムは読んで痛快の極みだった。後半でも特に最終部分だ。

年末から年始にかけて、我が家では、知人の「どうして、テレビであんな幼稚園児のお遊戯ばかりを見てなきゃならないのよ。うちは孫のお遊戯をほめるだけでたくさん」と言う言葉に笑い転げた。

幼稚園児風のグループでも、今はすぐに有名になり、お金を稼げる。今に日本中のミドルティーンは、町内会ごとに48人ずつのグループを作って、踊って暮らすことになるだろう。かれらは大勢でやっと一人前なのだ。

しかし人生のすべてのまともな仕事は、長い年月の地味な修行の結果、「その人でなくては」と世間が評価する形で独り立ちするものだという原則を、親も教師も、たぶん教えていないのだろう。

例の秋葉原を根城にするあの集団のことだ。何事も「粗製濫造」は好ましからず、かりそめの徒花だ。新曲CDを出すと150万枚の「大ヒット」もファンが複数枚買う水増しヒット。実質50万枚とすると48分の1で一人では1万枚の売上げ?超マイナーアイドルに過ぎない。しかし世間は全体の異常な露出に惑わされて過大評価。なかには成人式で彼女たちの曲を祝辞代わりに熱唱する親父市長が喝采される始末。今や「AKBにあらざればアイドルにあらず」の隆盛ぶり。しかしこれを実力だと「勘違い」しては禁物だ。その増長は人生を狂わす。秋元康サン、齢を重ねても美しく凛々しい女流作家の舌鋒をいかに聞く?

AKB48を中核としたアイドル集団は戦後のアイドルの中では、最も没個性で素人ぽいグループだと思う。たとえば80年代と比較してみるとその差がわかる。当時は、ぶりっ子ながら表現力がすぐれた松田聖子、つっぱりで挑戦的だが歌唱力抜群の中森明菜、コミカルとシリアスを巧みに歌いこなし主張もする小泉今日子など多彩なアイドルが百花繚乱の賑わいだった。彼女たちは当時アイドルの「職責」を充分果し、現在も芸能界で確たる位置を築いている。曽野さんのいう長い年月の地味な修行?の結果といえなくもない。

AKB48に代表される女の子たちはどうして同じ髪型で超ミニの可愛こちゃん姿で歌うのだろう。自分には動く人形にしか見えない。最近の若い女性の価値観は、あまりにも「可愛さ」に集約されすぎているように思う。女性にもいろいろな魅力があるはずだ。セクシーさ、知性、野性味、小悪魔的、可憐…などいといろあるのに。これは秋元氏を頂点としたプロデュ―スする側、いわば大人の責任が大きいと思う。今の若い女性にも磨けば眩しく輝く玉石を秘めている子はたくさんいるはずだ。それをただ「可愛さ」だけの基準で選別されることは「角を矯めて牛を殺す」ことになると思う。


あゆの離婚

2012-01-18 10:14:17 | 音楽

こんな有名芸能人のプライベートなことを論ずるのはおこがましい。あくまでも個人的で勝手な興味本位の感想だ。しかし今考えても彼女がオーストリア人の無名の役者と結婚して、一年後簡単に離婚してしまう理由がわからない。

浜崎あゆみは特に好きという歌手でもなかった。茶髪で今風のギャルだが、自分で作詞するだけあって、確かに歌唱力も備わって同世代の女性の心をつかんでいると思っていた。ただ曲調がマンネリになり、同じ事務所の倖田來未のパワーに押され気味の感じがした。

もともとルックスの志向からすると彼女、欧米の白人に憧れがあったのかもしれない。女千昌夫?ただ演歌の大家とは違い彼女はアメリカ永住を選択した。しかしそこに彼女の音楽活動の場はなかった。

浜崎あゆみは音楽活動でのアメリカ進出を本気に考えていた様子がない。今まで通り日本の音楽界に向いていた。ではなぜアメリカに居住しようなどと考えたのだろうか。夫の俳優活動の協力か。

しかし結婚2ヶ月後に発生した東日本大震災は改めて自分自身日本人を強く意識させたようだ。復興支援のための音楽活動が結局夫婦間の離反を呼び離婚へとつながった。

白人が住み音楽の本場であるアメリカにただ憧れだけで住んだものの、心の中はずっぷり日本人のまま、というところだろうか。昨日(17日)テレビの情報番組でコメンテーターで出演していたタレントの千秋が浜崎を「子供だ」と決めつけていたが、鋭い指摘だった。

ただ憧れだけの白人との結婚と米国居住、しかし自分の生きる場所は日本しかないという自覚がわずか1年のうちに次々去来して今日の悲喜劇。相手の素人俳優も彼女の気まぐれに振り回されてお気の毒?

♪君がいたから どんな時も 笑ってたよ

君がいたから どんな時も 笑ってたよ 泣いていたよ 生きていたよ

君がいなきゃ何もなかった(To Be)

「君」というのは、白人の彼ではなく「日本」そのものだったようだ。


やりきれない住民エゴ

2012-01-17 00:03:55 | ガレキ広域処理問題

神奈川県の黒岩知事は岩手県宮古市の瓦礫受け入れを表明していたが、やはりというか、最終処分場となる横須賀の住民は反対の声が強い。瓦礫の焼却灰を同市の産業処理施設に埋め立てることは、「これまで県内の廃棄物に限る」とした住民との協定に違反するというのが、表向きの反対の理由だが、放射性物資が持ち込まれることへの不安が最大の理由であることは明白だ。

県は東京都の先例にならい現地での引き取り時、焼却時、埋め立て時に放射線量を入念にチックするとしている。持ち込む瓦礫の放射線量もキロ100ベクレル以下と厳しい基準にしている。これを焼却するとその灰は33倍に放射線量が濃縮されるが、それでもキロ3300ベクレル以下であり、政府が土壌の埋め立て基準であるキロ8000ベクレルの半分以下だ。東京都は政府基準を採用している。

また埋め立ても既に埋めてある産業廃棄物に充分土をかけて、焼却灰を防水の充分施した特殊な袋に入れてその上に乗せる。そこにまた土を3.5mの高さまでかぶせるという入念なものだ。内容を知る限りでは、おそらくその場所にいても放射線量は横須賀の他の場所と比べても全く変わらないかそれ以下かもしれない。

横須賀住民の説明会では、黒岩知事がその安全性を強調したが、住民は「受け表明する前になぜ住民の了解を得得ようとしないのか」といった手続き論を主張する人も多かった。しかし瓦礫から出る放射性物質がいかに危険かを数値をもって具体的に反論した人は皆無のようだ。中には「知事の説明が不十分」とか「知事は放射能に対する認識が甘い」などという知事の人間性に対しての異議を唱える者がいたりで、本当に説明を聞きにきたのか疑問な点も感じられる。

思うに被災地の焼却灰受入れに対して、「積極的には賛成することはないが、放射性物質の問題がなければ仕方ない」という人が大半ではないか。何が何でも反対というのは、いわゆるプロ市民かそれに感化された一部市民に過ぎないのではないか。消極的賛成派の声より過激な反対の方が、数は少ないが表面的には目立つ。あたかも市民を代表しているように見えてしまう。

プロ市民に感化される市民というのはおそらく家庭ではやさしい父親、母親なのだろう。しかし、いざこういった説明会では「反対のための反対」の過激論で口角泡を飛ばすことになる。こういうのを「住民エゴ」というのだろう。これはもちろん横須賀に限らない。特に原発事故以来こうした放射能を忌避する過激な住民運動がはびこっている。

東日本大震災によって生じた瓦礫は岩手で476万トン、宮城で1569万トンあるという。この膨大な瓦礫を全て県内で処理するには限度を大きく超えてしまう。したがって岩手で最低57万トン、宮城では338万トンを県外で受け入れてもらうよう求めている。震災復興にはまずこうした瓦礫の処理が前提になることは明らかだ。この火急の必要事項を県外の人々の「善意」だけで頼っていたら全然前に進まない。善意など吹っ飛んでしまう住民エゴが大きく立ちはだかってくるのだ。

特にプロ市民に煽動された市民運動が一番たちが悪い。これらプロ市民を排除し、住民エゴを表面化させない方策が必要であると思う。