粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

尊敬が愛情に

2012-01-12 08:28:53 | 事件・事故・時事

オウム幹部平田信と教団看護士齋藤明美の17年に及び逃亡生活、二人の男女間の愛情はいかばかりであったのだろう。齋藤明美容疑者は、「尊敬の気持ちが愛情へと変わった」と吐露しているが、社会に敵対し孤立を募らせるほど二人が愛情を深めたことは想像に難くない。もともと看護士であった彼女のことだから、人に尽くす気持ちは強いはずだが、それが平田に対して全面的に注がれていったのだろう。当然平田の方もそんな彼女の献身的な愛情に強く応えたのは間違いない。

しかしこの時期になって平田が出頭して、彼女が10日遅れて自首したのはどういう心境の変化なのだろうか。平田は「東日本大震災で多くの人々が犠牲になったのに自分は無事に逃げおおせていることに罪悪感を感じた」と語っているが、はたして本当なのか。

齋藤容疑者の献身はどちらかというと自己犠牲に近いのではないなのだろうか。女性として結婚を周囲に祝福されたいと思う気持ちはあっただろうし、母性として子供を育てたいとも願望したに違いない。それを平田の逃亡のために身を捧げる日々にそんな葛藤もはたらいていたのではないか。今後取り調べて二人の内縁生活の実態が心境面を含めて徐々に明らかにされるかだろう。二人の生活はもしたかしたら自分が勝手に美化していることもあり得る。ひょっとして依然二人ともオウムの呪縛から完全に逃れずにいたのかもしれない。心の奥の更なる奥はなかなか知り得ないだろうが、とても興味がある。