粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

大相撲初場所を終えて

2012-01-23 10:15:19 | スポーツ

大相撲初場所は把瑠都の初優勝で終わった。表彰式の冒頭で歌われる君が代がなぜか空々しく聞えるのは、日本人の力士が余りにも優勝から遠ざかっているせいだろう。身長198cm、体重188kgの巨体で怪力の持ち主、女手一人で苦労して育てた母親を助けたくて単身異国で頑張ろうという強い決意、故国の極寒で鍛えられた精神力など、日本での成功の条件は揃っていた。初土俵から2年で新入幕するスピード出世は当然かもしれない。

なかなか今の日本人力士ではこんなわけにはいかない。多少技で優れても基礎体力とハングリー精神では当面勝てそうにない気がする。思うにもはや日本人云々を論ずるのは無意味なのではないか。把瑠都の昨日(22日)の優勝インタビューを聞いているとたどたどしいながらもしっかりとした日本語できちんと答えていた。観衆の盛り上げ方もなかなかうまい。日本人力士の場合は単調で面白みがないことが多い。何よりもの日本人受けする家族への強い想いがストレートに出ている。自分の母親と妻への素朴な感謝の言葉はじんときてしまった。

外国人でもいい。大相撲を盛り上げて表彰式でも日本人を感動させるのなら、それはそれで相撲という日本の文化を継承していくことになるのではないか。例えていえばテニスの全英ウィンブルドンで英国以外の選手が憧れの大会で歓喜の声を挙げるのに似ている。依然英国の輝かしい伝統は継承されていく。

日本人、外国人関係なく日本国内で日本の文化を盛り上げ、全世界に発信していく。それで日本が世界で一目置かれる、あるいは憧れ尊敬され続けることになればいいのではないか。ある意味で今後日本の存在意義となりうると思う。

たとえばKPOPの歌手が日本をめざして日本語の歌詞で聴衆を魅了しようという動きも、その一環として歓迎してよいのではないか。

反面今話題のダルビッシュのメジャーリーグ移籍は複雑なものを感じる。日本の逸材が次々とアメリカに引き抜かれていく。日本の選手がメジャーで活躍するのはうれしいが、やはり日本のプロ野球が骨抜きになっていくようで淋しい。国内でのプロ野球が盛り上げることが急務であり、それが日本の文化の興隆につながると思う。

東京大学が今後9月入学を採用する方針を発表したが、世界の優秀の才能を日本に呼び寄せて日本の学術を高めるためには火急の策であろう。これも時代の流れでやむをえないだろう。桜の季節に入学するという日本の季節感にはそぐわない気もするが。