一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

猫は後片づけはしない(「空白」のある楽しみ)

2009年01月07日 | Weblog
 私は楽しいことを探そうとしてパソコンに向かってあれこれした後、時間を無駄にしたと虚しい気分になりました。パソコンは何の感触もないし、何の反応もありません。この虚しい気分の時点ではエネルギーを無駄遣いしたようで、どこかでそのエネルギーを充填しなければいけないような感じです。これは後片づけをすることになってしまうので、私のめざしている後片づけをしない生活ではパソコンに向かわないほうがいいようです。

  反対にたまたま猫が遊ぶ機会をくれて遊んだあとはほんわりとても暖かな気分になります。うちの猫は私がシーツを敷こうとすると、必ずどこからどもなくとんできてシーツと布団の間にはいって遊ぼうとします。シーツの上から見つけたといって触ってあげると喜びます。猫のやわらかな感触やうれしそうな表情も見ていると、猫が遊んでもらってるのではなく、私が遊んでもらっている位楽しくなります。猫と遊ぶのは後片づけをしなくてもよい生活です。エネルギーを無駄遣いした気は全然しないし、逆にエネルギーを充填させたようです。

 後片づけをしない‘楽しみ’とは、自分のなかの空白を消さない程度の‘楽しみ’だと思っています。何にもならない空白をもつ。楽しくもない、目的もない空白です。その空白というのが猫が獲物を逃さない程度敵に襲われない程度に眼耳鼻舌身意の感覚器官の六官で眼の前の世界をとらえられる位の空白です。貪欲にアタマが満足するような楽しさを探そうとすると、この空白は消えます。今うちの二匹の猫たちは一番お日様のあたるところで同じように体をなめています。一番お日様のあたっているところがわかる位に空白をもっているということです。
 後片づけをしなくてもよいように、‘空白’のないアタマがつくる‘楽しみ’ではなく,目の前のことをジーッとみていられるだけの‘空白’のある‘楽しみ’で満足したいと思います。 

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