一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

未来からの自立

2007年07月15日 | Weblog
 前回のブログの「所不能知」で(アタマより現実の目の前に見えるものに従って生活する方に賭けて遊んでみたい。)と書きました。そのことを考えながら猫を見ていたら気が付いたのです。私は心の奥底で、今の生活じゃないもっとましな将来の自分の幸せを期待して、賭けていたのです。問題なのは今の生活を多少否定していることです。腹をくくってないことです。
 猫は、将来の幸せのために今を生きているのかなと考えたら、絶対にそんなことはない、と確信したのです。今、目の前のことだけで完結しています。それってすごい自立だと思ったのです。未来からの自立です。人間は将来のえさをおいて頑張ります。今、目の前の汚れた皿を洗うのも将来楽しいことをするため、勉強するのも大学受験のため、だけでは今がみじめだと思うのです。
 「正法眼蔵 弁道話」の巻に次のように書いてあります。
「靜中の無造作にして、直証なるをもてなり。」(注1)(静かに、何もしないで、ジーッと坐っていることが坐禅だと。それが釈尊のさとりだといっておられる。そのことを、直接の体験であると。坐禅をしているときには理屈はいらない。頭で考える、自分の心で感じる、そんなことは要らない。静かな中にジーッとすわっていることが「さとり」。だから直接の体験だと。」(注2)「さとり」のために坐禅をするのではなく、坐禅していることが「さとり」であるというのです。
 未来からの自立のためには、今を完結しなくてはいけません。そのためには現実の行為の場で坐禅のときの直接の感じで生活していくことだと「正法眼蔵」では言っています。今を、いさぎよく生きることを、猫が教えてくれています。

注1:西嶋和夫「現代語訳正法眼蔵 第一巻9版」金沢文庫20頁
注2:西嶋和夫「正法眼蔵を語る 弁道話」金沢文庫104頁

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2 コメント

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Unknown (猫好き)
2007-07-19 20:07:35
「さとり」=坐禅だと思いますが、私の場合「心の砂取り」=砂とは、心に湧いてくる雑念の事を取りさるための方法として、坐禅の他気功をしています。明日は、坐禅です。なんであっても心を静かに保つ事は良い事ですね。
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猫好きさんへ (adiosother)
2007-07-20 22:52:25
コメントありがとうございます。私も太極拳をやってます。体を動かしてると心も落ち着きますよね。またブログに遊びに来てください。
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