一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

「一所懸命」

2007年06月30日 | Weblog
 前回のブログを書いた後、「一所懸命」には、「正法眼蔵」的な『いま ここ』での「一所懸命」と、そうでない「一所懸命」とがあることに気が付きました。
 『いま ここ』での「一所懸命」は、『いま ここ』の現実をしっかりととらえることです。前回、自然界で猫が生き残るためには、『いま ここ』に百パーセント心も身もなくてはならない、と書きました。
 「正法眼蔵」的でない“一所懸命”は、アタマでこうしたらいいんじゃないか、ああしたらいいんじゃないかと考えて行動する“一所懸命”です。
 私は、「正法眼蔵」を勉強する以前は、この“一所懸命”の権化でした。家事はそこそこにして、パートにでも出て働いて、将来心強いから資格でも取って、時代にも付いて行けるように流行っている本や映画を読んだり観たりもして、そこそこの流行のファッションも身に着けて、カルチャースクールにも通って、スポーツクラブにも行って、...みたいな“一所懸命”でした。
 現在は、『いま ここ』での「一所懸命」です。目の前にあることを淡々とやっています。目の前に汚れた皿がたまっていれば洗う、散らかっていれば掃除する、食べるものがなくなれば食事を作る、花がしおれていれば水をやる、本も読みたければ読む、疲れたら休む、みたいな、現実に即した「一所懸命」です。
 現在の方が、結果的に自分が本当にやりたいことができています。何よりも家庭内が安定して来ました。

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