[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一、洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]
(2023年02月11日[土])
和氣正幸氏《…「多様な世界へ飛び立てる本」…「世界に幅と揺らぎあれ」…「もしかしたら多くの人が見落とすかもしれない視点や考え方を拾い上げていくこと」…》。さらに、《たしかに、全体の書店数は減っている。出版市場も縮小していくだろう。だが、このように見ていくと大手メディアで流布される暗い言葉とは裏腹に足元の世界では本屋の灯りが増え続けていることを強く感じる。しかもそれは都心部だけではない。全国各地にある》。
《勉強とは本である、本とは勉強である》(小川書店・小川頼之さん)…「日々読学」を掲げる、当ブログ。本屋さんに、是非とも、頑張ってほしい。《活字離れ、出版不況。暗いニュースが報じられる一方、小さな本屋さんが全国的に生まれている》という、とても嬉しい小さな朗報。
『●長周新聞の書評『一万円選書』(岩田徹著)…《わざわざいわた書店に
注文するのか。…「これは!」と思える本との出会いを求めているからだ》』
「「いわた書店」店主の岩田徹さんの「一万円選書」を知ったのは、
『セブンルール』にて。「隆祥館書店」店主の二村知子さんの回。
【7RULES あなたに「ルール」はありますか?/「隆祥館書店」店主
二村知子 (9月1日(火))】。《一万円選書》として、松下竜一さんの
『豆腐屋の四季』が選ばれていて、とても嬉しかった。」
『●《本屋はないと困る。そう思ってもらえるようにしたい》、《勉強
とは本である、本とは勉強である。》(小川書店・小川頼之さん)』
《減り続ける「街の本屋」の魅力や、厳しい現状を伝えようと、
東京都内の中小書店が加盟する東京都書店商業組合(千代田区)が
PR動画を作り、ユーチューブの公式チャンネルに公開した。
動画制作に携わった映画監督の篠原哲雄さん(60)は
「本屋は本と人とをつないでいるもの。それぞれの本屋さんが
おもしろく、印象的だった。ぜひ動画を見てほしい」と話す。
(奥野斐)》
和氣正幸氏による、週刊朝日の記事【書店が増えている!? 「行きたい本屋」から「やりたい本屋」へ】(https://dot.asahi.com/wa/2023020200011.html)によると、《活字離れ、出版不況。暗いニュースが報じられる一方、小さな本屋さんが全国的に生まれている。本屋ライターで本屋のアンテナショップの店主でもある和氣正幸さんがそんな本屋さんの現在を報告。》、《もう一店紹介したいのは福岡県糸島市に昨年3月にできたばかりのAll Books Considered(以下、ABC)である。 中田健太郎氏をはじめとした大学生が4人で運営するこの店は、1階にある棚貸し本屋「糸島の顔がみえる本屋さん」(以下、糸かお)からはじまった》。
『●東京電力原発人災で失われた内在的価値』
『●「糸島ブランド」が泣いている:
安全神話に乗っていて「原子力正しい理解で豊かな暮らし」なのか?』
『●三上智恵監督『標的の村』上映会後援「不承諾」の理由
……「糸島ブランド」が泣いている』
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【https://dot.asahi.com/wa/2023020200011.html】
書店が増えている!? 「行きたい本屋」から「やりたい本屋」へ
2023/02/06 11:30
和氣正幸
(COWBOOKS(撮影・和氣正幸))
活字離れ、出版不況。暗いニュースが報じられる一方、小さな本屋さんが全国的に生まれている。本屋ライターで本屋のアンテナショップの店主でもある和氣正幸さんがそんな本屋さんの現在を報告。
【写真】こだわりの本屋がこちら(全10枚)
* * *
本屋が増えている。
突然そんなことを言われても驚く読者が多いとは思う。活字離れや出版不況という言葉が生まれてから久しい。しかしそれでもなお筆者は言いたい。本屋は増えているのだ。
ただしここでいう本屋とは個人、あるいは少人数のチームで運営され、新刊と古書を併売することもあり、小さいながらも品揃えやイベント、空間演出などそれぞれが独自の光を放つ店のことだ。筆者は本屋ライターとして10年以上そうした独立書店とも呼ばれる店のことを追ってきたのだが、ここ数年の増加数は筆者も驚くくらいのペースなのだ。
まず紹介したいのは鳥取県の湯梨浜町に2015年にオープンした汽水空港だ。
(汽水空港(鳥取県湯梨浜町)撮影・和氣正幸)
「多様な世界へ飛び立てる本」として思想や哲学に建築、映画、旅、植物など店主が丁寧に選んでいる本が並び、併設されたカフェでゆっくり読むことができる。月に2、3回トークイベントも行い、近所のお客さんだけでなく鳥取、島根、岡山など、半径100キロ圏内から本好きが訪ねてくる。
18年には店舗を増築工事しリニューアルオープン。近頃は自分たちが借りた畑を「食える公園」と称して開放、誰もが農作業でき収穫もできる試みを行っている。
本屋を目指すなら新刊書店や古書店、少なくとも出版業界で経験を積むというのが一般的な認識かと思うが、店主のモリテツヤ氏がまず学んだのは農業だった。理由は「最低限死なずに本屋を続けるため」。都心部から離れ、縁もゆかりもない鳥取にツテを頼ってたどり着いた。資金を貯めるために左官屋のもとで働き、その技術をベースに格安で借りた小さな廃屋をリノベーションして本屋をはじめた。
経営もはじめこそ厳しくアルバイトをしながらの運営だったが、現在では汽水空港の売り上げだけで家族3人が暮らしていけるようになったというから驚く。「世界に幅と揺らぎあれ」と掲げられたコピーもまたモリ氏を表しているようだ。
もう一店紹介したいのは福岡県糸島市に昨年3月にできたばかりのAll Books Considered(以下、ABC)である。
中田健太郎氏をはじめとした大学生が4人で運営するこの店は、1階にある棚貸し本屋「糸島の顔がみえる本屋さん」(以下、糸かお)からはじまった。
棚貸し本屋(シェア型書店とも呼ばれる。以下、棚貸し本屋で統一)とはボックス型の本棚を一箱ずつ月額制で貸し出すことで家賃など固定費を捻出するスタイルの本屋のことだ。
中田氏は糸かおの21年9月のオープン当初から棚を借りていたが、もっと大きく展開したいと2階の部屋に移った。蔵書だけでなく新刊を販売するためのルートも自ら開拓し、家賃を払って契約しABCをはじめたのだ。大学生が、である。
販売するのは新刊/古本にメンバーによるリメイク服。選書は4人で話し合って決めているが、フェミニズムやアナキズムといった思想の本から、本屋大賞で選ばれるようなエンタメ本まで幅広い。共通しているのは「もしかしたら多くの人が見落とすかもしれない視点や考え方を拾い上げていくこと」だ。
「10年前、20年前にはオタクと言われ蔑(さげす)まれていたものが、いまではクールジャパンと言って多くの人に支持されています。いまでもそういうことは起きていて、そういうものがカルチャーをつくっていくと僕たちは思っています」とメンバーの一人の斎藤楓季氏は話す。
本に限らず服に対しても思いは同様で、誰かと語り合いたくなるようなものを置いている。そういった物たちが四畳半という狭い空間にあるのだ。当然、お客さんと自然に話が弾むことも多い。自分たちより上の世代のお客さんから本の話以外にも思い出話など、ときには何時間も話すこともあるそうだ。
今後の展望を聞くと「もしかしたら10年後には違うことをしているかもしれません。ですが、根底にある“自分たちが良いと思えるものを紹介したい”という気持ちは変わらないと思います」と話してくれた。
若いながらも言葉を選びながら自身の思いを話し、それを実践していく姿は応援したくなるもので、福岡に行く際には必ず訪ねようと思えた。
(ユトレヒト(撮影・和氣正幸))
■「行きたい」から「やりたい」へ
以上、長くなったが筆者が知りうる店の中でもいま一番気になる本屋を紹介した。共通しているのは小規模店であり空間が限定されているが故に選書や空間演出に店主の思いや人柄が色濃く反映されていることだ。
話を戻そう。本稿で筆者が言いたいのはこういった本屋の数が増えているということである。
具体的な数値面について客観的なデータがないので筆者が知っている限りのものとなるが、開業数だけを追ってみても、2015年、16年が6店、17年に17店と2倍以上になり、18年が15店、19年25店、20年には35店もの開業があった。
21年はそこからさらに増え79店となり、22年は少し落ち着いて50店だったが、それでも5年前と比べると約3倍のペースで増えていることがわかる(古書店や私設図書館等も含む)。
要因はいくつかあるが、時系列に沿って言えば、2000年代に「こんな本屋に行ってみたい」 「こんな本屋を自分も開いてみたい」と思わせてくれるような店のオープンが相次ぎ、10年代前半には本屋の概念の拡張が行われ「自分でもできるかも」と思えるようになった。10年代後半は、本屋になるための具体的な道筋が広まり、20年代になると継続性に難点のある本屋のビジネスモデルにあたらしい風がもたらされた。その結果として開業数が増加している現在へと至る。
どこをスタート地点に持ってくるかは難しいところだが、1986年の「遊べる本屋」と銘打ち本と雑貨をシームレスに売り出す手法が斬新だったヴィレッジヴァンガード1号店(愛知県名古屋市)開店を始まりとしたい。次のトピックスは96年まで飛ぶ。文脈棚という本の内容を緩やかにつなげていくことで棚をメディアとして価値づけた往来堂書店(東京都文京区)のオープンがこの年なのである。
2000年にはブックカフェの先駆け的存在火星の庭(宮城県仙台市)が生まれ、02年は「暮しの手帖」元編集長・松浦弥太郎氏がCOWBOOKS(東京都目黒区)を開き古本屋をカッコいいものとして世の中に提示した。
(ブックスキューブリックけやき通り店
(福岡市中央区)撮影・和氣正幸)
(スタンダードブックストア(撮影・和氣正幸))
さらに、アーティストや作家が個人で少部数出版する本(ZINE)を広めたユトレヒト(東京都渋谷区)や、福岡のブックスキューブリック(福岡市)、大阪と言えばここ、スタンダードブックストア(大阪市天王寺区)、京都の恵文社一乗寺店(京都市左京区)がセレクト書店の元祖と呼ばれるようになったのも同じ時期だ。
(本屋B&B(撮影・和氣正幸))
12年には「これからの街の本屋」を謳う本屋B&B(東京都世田谷区)がオープン。ビールが飲めてほぼ毎日イベントを開催する場所として本屋のイメージを革新した。
そうして13年、同店の共同オーナーでもある内沼晋太郎氏が『本の逆襲』(朝日出版社)で“広義の本に関わる仕事、それをあらためて「本屋」と呼ぶとしたら”と書き、本と本屋の可能性を広げた。現在のように多様な本屋が広がった契機のひとつである。
(双子のライオン堂(撮影・和氣正幸))
さらに同氏は14年から「これからの本屋講座」をはじめ、本屋ルヌガンガ(香川県高松市)や本屋イトマイ(東京都板橋区)など全国各地に卒業生を送り出した。筆者も同時期に双子のライオン堂(東京都港区)・竹田信弥氏と「本屋入門」をはじめ、同様に書肆スーベニア(東京都台東区)やワグテイルブックストア(神奈川県横浜市、古書店)などの卒業生を輩出している。
■ノウハウの開示 直接取引の増加
(本屋Title(東京都杉並区)撮影・和氣正幸)
こうした本屋が増えるきっかけとなったのは、本屋Title(東京都杉並区)店主・辻山良雄氏が17年に出した本『本屋、はじめました 新刊書店Title開業の記録』(苦楽堂、後にちくま文庫)である。同書で辻山氏は開店の経緯はもとより事業計画書まで公開した。試算であるとはいえ経営の内実が本という形で公開されたことは、開業希望者にとって大きな希望だったに違いない。翌年、内沼氏が『これからの本屋読本』(NHK出版)を出したことで、事実上ブラックボックスだった本の仕入れ方法も公開された。
どういうことかというと、一般的に新刊書店を始めるためにはまず取次と呼ばれる出版業界の問屋と契約する必要があるのだが、これがハードルが高い。というのも契約時に保証金として売上予想額の数カ月分が必要なのだ。
(BOOKSHOP TRAVELLER(撮影・和氣正幸))
委託販売なので時間を置けば返品され、お金が戻ってくるとは言え、粗利率は約2割である。これはつまり一冊の本を売ったとして、その価格が例えば1600円(以下すべて税抜き)だとしたら約320円の利益になるということだ。この利益の中から人件費や家賃を支払い返済もしなければならないとすれば、二の足を踏むのも仕方がないというものである。
とはいえ当時から買い切りではあるが契約時の保証金が必要なく、粗利率も比較的良心的な取次も実はあった。子どもの文化普及協会や八木書店をはじめとした神田村と呼ばれる取次群などだ。
さらに書店数の減少に反応してか、出版社が取次を介さず本屋と直接取引することも増えた(取次の手数料がない分、本屋の取り分が増える)。トランスビュー方式という取次代行と呼ばれる仕組みも本屋にとっては大きな味方だ。
しかしそれでも新刊書店の急増には至らなかった。なぜなら、本屋を開きたい人にそういった情報が届いていなかったからだ。憧れはあったが、具体的にどうすれば良いかも分からず、調べても保証金のハードルで心折れるということが多かったことが推察される。筆者もそうだった。
それが『本屋、はじめました』と『これからの本屋読本』の出版により状況が変わったというわけだ。本好きが、自分のなりたいものとして自然と本屋の開業を目指すことができる。そういう状況が作られたのである。
加えて、前述した棚貸し本屋というビジネスモデルが世に広まったことも大きい。17年に月額制で棚を貸すことで成り立つはじめての本屋みつばち古書部(大阪市阿倍野区)、次いで翌年、筆者の運営するBOOKSHOP TRAVELLER(東京都世田谷区)がオープン、そして19年に生まれたブックマンション(東京都武蔵野市)はメディアでも大きく取り上げられた。
棚貸し本屋は通常の小売りと違いコミュニティー運営という別のスキルが必要とはなるが、例えば、新刊書店が棚の一部を貸すことで、仲間を増やし経営の安定も図るという事例は近頃よく耳にする。独立書店開業数増加の要因の一つだろう。
(冒険研究所書店(神奈川県大和市)撮影・和氣正幸)
■北極冒険家や大学生も
さて、独立書店の歴史をここまで紐解(ひもと)いてきたわけだが、最後に現在の話をしたい。先に“本好きが、自分のなりたいものとして自然と本屋の開業を目指すことができる”ようになったと書いたが、ここ1、2年は特にこの意識が浸透してきているように思うのだ。
例えばそれは他業種の開業者も多いことである。昨年11月オープンの本屋象の旅(神奈川県横浜市)は元不動産関係の営業職の方が開いた店だし、一昨年の5月には北極冒険家の荻田泰永氏が冒険研究所書店(神奈川県大和市)をオープンしている。
例えばそれは、いままではできなかったような場所に本屋ができることである。昨年8月に生まれたTUG BOOKS(香川県土庄町)は小豆島にあるし、一昨年9月には佐渡島にnicala(新潟県佐渡市)が店を開いた。例えばそれは若者の登場でもある。先述したAll Books Consideredに加え大阪には昨年7月オープンの水野ゼミの本屋(大阪市北区)がある。どちらも運営するのは大学生だ。
たしかに、全体の書店数は減っている。出版市場も縮小していくだろう。だが、このように見ていくと大手メディアで流布される暗い言葉とは裏腹に足元の世界では本屋の灯りが増え続けていることを強く感じる。しかもそれは都心部だけではない。全国各地にある。コロナ禍の中ではあるが、散歩の折に、あるいは里帰りの際にぜひ探して訪ねてみてほしい。きっとあらたな出会いが待っているから。(和氣正幸)
※週刊朝日 2023年2月10日号
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[※ ↑【連載「6・17最高裁判決/原発被災者4訴訟」】 (東京新聞 2022年06月11日)]
(2022年06月18日[土])
小沢慧一記者による、東京新聞の記事【原発事故、国の責任認めず 避難者訴訟、最高裁が統一判断「津波対策命じても防げなかった可能性高い」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/184060)。
《東京電力福島第一原発事故で避難した住民らが、国に損害賠償を求めた4件の訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は17日、「津波対策が講じられていても事故が発生した可能性が相当ある」とし、国の賠償責任はないとする統一判断を示した。国の法的責任の有無について事実上決着がついた形。同種訴訟への影響は必至だ。(小沢慧一)》
『●馬奈木厳太郎弁護士《現在、賠償金は東電しか払っていない。
国が『加害者』となれば賠償の在り方が根元から変わり
…政策に大きな影響》(1/2)』
『●馬奈木厳太郎弁護士《現在、賠償金は東電しか払っていない。
国が『加害者』となれば賠償の在り方が根元から変わり
…政策に大きな影響》(2/2)』
『●やはり最「低」裁(第2小法廷・菅野博之裁判長)でした、というオチ
…《原発事故で国の責任認めない判決 避難者訴訟で最高裁が初判断》』
苦しむ市民を救わない司法、最「低」である。
「津波対策が講じられていても事故が発生した可能性が相当ある」ので国に責任なし ―――これはあまりに酷すぎないか、最「低」裁(菅野博之裁判長)? 草野耕一氏、岡野和美氏も同意見なの? 正気なのかな? 《「大量の海水が敷地に浸入することを防ぐことはできなかった可能性が高い」と指摘。国が東電に対策を義務付けなかったことと、原発事故の発生に因果関係はないと結論づけた》?
「安全な原発」という形容矛盾を表していて、「津波対策が講じられていても事故が発生した可能性が相当ある」のならば、国は核発電所を稼働させてはいけなかったのだ。国に明確な責任がある。
《「地震、津波は想定外だから仕方なかった」と言っているに等しい》。
[※ ↑ 朝日新聞 (2022年06月18日[土])]
「あれだけの事故を起こして被害を出して、だれか1人でも責任とってやめたか。申し訳ないと謝罪したか」!
誰も責任をとらない…。《誰も事故の責任を取らなければ企業に無責任体質がはびこり、また同じことが起きる》。いまの政治状況と全く同じ。アベ様らの《無責任体質》、腐敗が連鎖。最大の戦犯は未だにのうのうと政治家で居続けている。《火事場ドロボー》として戦争を煽っている。最大の戦犯・アベ様が、核発電所を新規に作りたいそうです…正気じゃない。「アベシンゾウ」とでも名付けては如何か?
核発電「麻薬」中毒患者の皆さんのやることはデタラメばかり。最「低」裁を頂点とした裁判所も「司法判断」を放棄し、アベ様らに忖度した「政治判断」を繰り返してきた。
「原発さえなければと思います」―――《原状回復》なき《原発回帰》は許されない。
「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かな暮らし」…もう11年半が経とうとしている。
《あの未曾有の福島第一原発事故を招いた“最大の戦犯”が、他ならぬ…安倍晋三》様だ。リテラ《3.11に改めて問う安倍首相の罪! 第一次政権で福島第一原発の津波、冷却機能喪失対策を拒否した張本人だった》。
『●(リテラ)「あの未曾有の福島第一原発事故を招いた
“最大の戦犯”が、他ならぬ現内閣総理大臣・安倍晋三」』
『●東電核発電人災での国の責任も放棄…《あの未曾有の福島第一原発
事故を招いた“最大の戦犯”》アベ様の責任は追及され続けるべき』
最「低」裁による究極の《国の責任隠し》、なんのため? 何食わぬ顔で《最大の戦犯》なアベ様を守るため。これも、数多のアベ様案件の一つだ。最高裁の裁判官を、ひたすらアベ様派で固めていたとの噂だが、それが大きく実を結んだ。
しかも、菅直人氏についてのデマ「メルマガ事件」の犯人もアベ様だ。今も何食わぬ顔で、原子力「寄生」委員会のデタラメな「お墨付き」の下、核発電所再稼働を強行し、司法も役立たず、核発電所まで輸出しようと暴走していた…大迷惑な核発電「麻薬」中毒者のトップがアベ様。《最大の戦犯》が犯罪を犯し続けており、それさへも《継承》する自公政権。いまだに《ベースロード電源》などと嘯く始末だ。
『●「想定外」という言い訳は許されない』
《実は、東電の福島第一は津波に弱く、炉心溶融の危険性があることは、
5年前から指摘されていた。想定外などではない。福島第一で
想定されている津波、チリ地震津波クラスに遭遇すると、大きな引き波に
よって冷却用の海水を取水できなくなるといわれる。この引き波による
取水停止が、炉心溶融に発展する可能性を、2006年に国会で共産党の
吉井英勝議員が質問している。
二階俊博経産相(当時)は善処を約したが、東電は具体的な改善を
行なわなかった。東電には地元から改善の要望書も出されているので、
津波による炉心溶融の「危険性の指摘」を知らなかったはずはない。
百も承知だったのに、素知らぬ顔ですべての原因が想定外の巨大地震に
あるかのように振舞っているとしたら、なかなかの役者である》
『●”原子力発電”という箱を開ける覚悟と、(とりようの無い)開けた責任』
《この日、これまでに原発問題を国会で追及してきた吉井英勝衆院議員
(共産)が質問。原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は昨年5月の同委で、
電源喪失は「あり得ないだろうというぐらいまでの安全設計はしている」
と発言していたが、この日は「当時の認識について甘さがあったことは
深く反省をしている」と述べた。
これまでの法廷証言などで電源喪失の可能性を否定してきた班目春樹
・原子力安全委員長は「事故を深く反省し、二度とこのようなことが
起こらないようにしたい」と答えた。
また、過去に同様の見解を示してきた前原子力安全委員長
(現・日本原子力研究開発機構理事長)の鈴木篤之氏も「国民の皆様に
大変申し訳ないと思っている。痛恨の極み」。電源喪失の事態に備えて
こなかったことは「正しくなかった」とした》
『●SLAPPと原発、沖縄』
《[CML 019566] 甘利明の名誉棄損訴訟にSLAPP批判…
甘利明・自民党衆議院議員がテレビ東京を提訴した名誉棄損訴訟が
恫喝訴訟SLAPPであると批判されている。甘利氏は安倍政権の
経済産業大臣であった。テレビ東京『週刊ニュース新書』は2011年
6月18日に甘利氏へのインタビューを放送した。
インタビューで取材陣は福島原発事故を自公政権の安全対策の
不備に起因するのではないかと追及した。甘利氏は「津波は想定外」と
責任回避するが、取材陣は日本共産党の吉井英勝・衆議院議員の
「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の
安全を守ることに関する質問主意書」を提示した。そこでは津波被害など
による電源喪失に起因する原発事故の危険が指摘されている。
福島原発事故が想定外でないことを示す事実であるが、この趣意書を
突き付けた直後にインタビューは中断された。インタビュー中断の事実は
番組で報道された。この番組放送に対して甘利氏は名誉毀損として
1000万円もの損害賠償を求めてテレビ東京を提訴した》
『●『DAYS JAPAN』
(2013,SEP,Vol.10,No.9)の最新号についてのつぶやき』
「さらに、斎藤美奈子さんの二つの指摘。「第一次安倍内閣時代…
吉井英勝…「巨大地震の発生…原発の危機から国民の安全を守る
ことに関する質問主意書」…提言を無視した結果がご覧の通りの事故である」」
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/184060】
原発事故、国の責任認めず 避難者訴訟、最高裁が統一判断「津波対策命じても防げなかった可能性高い」
2022年6月18日 06時00分
東京電力福島第一原発事故で避難した住民らが、国に損害賠償を求めた4件の訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は17日、「津波対策が講じられていても事故が発生した可能性が相当ある」とし、国の賠償責任はないとする統一判断を示した。国の法的責任の有無について事実上決着がついた形。同種訴訟への影響は必至だ。(小沢慧一)
裁判官4人中3人の多数意見で、三浦守裁判官(検察官出身)は「原子力安全・保安院(当時)と東電が法令に従って真摯(しんし)な検討を行っていれば事故を回避できた可能性が高い」として国の責任を認める反対意見を出した。
主な争点は①原発事故の原因となった津波を予想できたかどうか②防潮堤の設置や原子炉建屋の浸水対策などの対策を講じていれば事故が防げたか—の2点。
判決は、国の地震調査研究推進本部が2002年に公表した地震予測「長期評価」に基づき、津波が最大15メートルを超えると予測した08年の東電の試算には合理性があると判断。国が東電に対策を義務付けていれば、防潮堤が設置された可能性は高かったとした。
しかし、実際に発生した地震はマグニチュード(M)9.1で、想定された8.2前後よりも規模が大きく、津波の到来方向も異なっていたことから、試算を基に防潮堤を設計していたとしても「大量の海水が敷地に浸入することを防ぐことはできなかった可能性が高い」と指摘。国が東電に対策を義務付けなかったことと、原発事故の発生に因果関係はないと結論づけた。
原告側が主張した原子炉建屋の浸水対策については「事故以前は防潮堤設置が津波対策の基本だった」とし、浸水対策は当時は知見がなく一般的な対策ではなかったとして必要性を認めなかった。津波が予測できたかどうかや長期評価の信頼性については、明確な判断を示さなかった。
4訴訟は福島、群馬、千葉、愛媛の各県で起こされ、原告総数は約3700人。2審では群馬以外の3件で国の責任が認められた。東電の賠償責任については今年3月に最高裁で確定し、賠償総額は4件で計約14億円となっている。国の責任はないとの判断が確定したため、東電が全額を支払う。
原発事故による避難などを巡り、国と東電に賠償を求める同種訴訟は全国で約30件ある。
最高裁第2小法廷の裁判官4人は「国の責任」をどう判断したのか?
名 前 前 職 判断
――――――――――――――――――――――
菅野博之 大阪高裁長官 ✕
草野耕一 弁護士 認めず
岡野和美 消費者庁長官
――――――――――――――――――――――
三浦守 大阪高検検事長 ○
認める
――――――――――――――――――――――
【関連記事】「被災者の苦しみ無視」 原発避難者訴訟で国の責任認めず 原告ら落胆「国に原発動かす資格ない」
(東京電力福島第一原発事故で避難した住民らが国に
損害賠償を求めた集団訴訟で、最高裁前で判決文を手に
結果を報告する原告団の馬奈木厳太郎弁護士=17日、
東京都千代田で)
◆「加害者」あいまいなまま
原発避難を巡る17日の最高裁判決は、国が東電に津波対策を指示していても事故は防げなかったとして、国の責任を認めなかった。「地震、津波は想定外だから仕方なかった」と言っているに等しい。
高裁段階で国の責任を認めた愛媛、千葉訴訟では、国は原発建屋などの浸水対策も取っていたら津波の影響が相当程度軽減され、事故は起きなかったと推認した。これに対して最高裁判決は、想定津波で設計した防潮堤では実際の津波は防げず、浸水対策は事故前には一般的な対策ではなかったため、事故は防げなかったとした。
だが、防潮堤だけで津波を防げるという国側の発想にこそ問題があったのではないか。国の長期評価を基にした2008年の東電の試算でも、原発建設当初の想定の5倍超の津波が算出されている。それまでの安全性が根底から覆される事態であり、浸水を前提とした設計にかじを切るべきだった。
実際には、国も東電も具体的な対策を「全く」しなかった。高度な専門性を有する原発で、事故から住民の命を守るには国の規制しかないが、国はその役割を放棄したといえる。事故の影響で現在も3万人以上が避難生活を送っている。
再発防止には、責任の所在の明確化が欠かせない。未曽有の被害を出した原発事故で「加害者」が曖昧なままでは、将来の世代に対し「2度と事故は起きない」とは到底言えない。(小沢慧一)
◆唯一反対意見の三浦裁判官、確実に防ぐ対策必要
原発事故について国に責任があるとした三浦守裁判官の反対意見は、原発事故被害の深刻さを重く捉えた上で、想定を超える事態に備えて、確実に事故を防ぐための対策が必要だったと判示した。
反対意見は、2002年公表の国の地震予測「長期評価」の信頼性を認めた上で、公表から1年たった03年ごろには、国は津波による被害を予見できた、とした。
津波や地震は正確な予測が困難で、浸水すれば深刻な事態が生じることを踏まえ、長期評価に基づく試算では浸水が想定されなかった方向からの津波についても「想定することはむしろ当然」と指摘。多数意見が認めなかった浸水対策についても「想定を超える事態への多重的な防護の必要性を、東電も国も認識することが十分可能だった」とした。
浸水対策が講じられ防潮堤が完成していれば、実際の事故より浸水は相当減り、事故を回避できる可能性は高かったと言及。長期評価は、実際に起きたような巨大地震は想定していなかったものの「『想定外』という言葉によって、すべての想定がなかったことになるものではない」と述べ、「地震や津波の規模などにとらわれて、問題を見失ってはならない」と厳しく断じた。(小嶋麻友美)
【関連記事】原発事故の賠償責任「なし」でも…国には賠償基準を見直す責務ある 原発避難者訴訟
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(2021年03月22日[月])
安藤恭子記者による、東京新聞の記事【仲間の自死、見せかけの復興「このまま戻れない」…原発事故「自主」避難者たちの不条理な現在地】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/93000)。
《東京電力福島第一原発事故の後、福島県内の旧避難指示区域外から逃れた人たちは「自主避難者」と呼ばれ、さまざまな支援の外に置かれた。同県郡山市から川崎市に母子避難した松本徳子さん(59)もその1人だ。自主避難者への住宅無償提供が打ち切られた後、自死を選んだ同郷の母親もいた。「避難をした人、しない人。それぞれの選択が尊重される社会を願ってきたが、かなわなかった。不条理です」と自主避難者の現状を見つめる。(安藤恭子)》
『●今村雅弘復興相、「本人の責任」「裁判でも何でも
やればいい」と…「死の町」にした者こそ糾弾されるべき』
《今村雅弘復興相は四日の記者会見で、東京電力福島第一原発事故に
伴う自主避難者への対応を巡り、国の責任を質問したフリーの記者に
対し「二度と来ないでください」「うるさい」などと激高》。
《「自主避難者」について、今村雅弘復興相が「本人の責任」
「裁判でも何でもやればいい」などと発言した問題》。
《★この東電8000株所有の復興相・今村雅弘は、前任のパンツ大臣
より始末が悪いのか。そもそも何に激高し何に謝罪したのか》
《支援団体「避難の協同センター」(東京都新宿区)の満田夏花
(みつたかんな)事務次長は「被災者支援の要である大臣が、
原子力政策を進めた国の責任を無視している。大変ゆゆしき問題だ」
と怒る。「国は避難者の実情の把握を怠り、福島県に責任を
転嫁している。復興庁の避難者への姿勢が見えた発言で、
あまりにひどい」と話した》
『●今村雅弘復興相「問題は激高よりも「自主避難は
自己責任」発言」…ココで「自己責任」論に出くわすとは…』
『●東京電力原発人災、支援の幕引き:
「区域外避難」者も含めて「“棄民”政策だというそしりは免れない」』
『●東京電力に核発電所を再稼働させる資格はあるのか?
無条件で即時に全ての廃炉作業に入るべき』
『●アベ様による「棄民」政策をも追認…東電旧経営陣の
刑事裁判で永渕健一裁判長は「無罪」という「政治判断」を下した』
『●やはり核発電は「金のなる巨大木」だった…
高浜「原発マネー」が八木誠会長ら関西電力経営陣個人に見事に《還流》』
『●東電旧経営陣に無罪判決…《誰も事故の責任を取らなければ
企業に無責任体質がはびこり、また同じことが起きる》』
『●東京電力核発電人災、決して自主避難者の《自己責任》ではない
…「原発事故がなければ福島を出た人は誰もいない」』
「《住宅無償提供打ち切りで、避難を続けるか、福島に帰るか選択に
迫られた。家賃の支払いをめぐり被告となる人たちも出ている》…
何という無慈悲。自主避難者を《被告》にする? デタラメ」
『●《「知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!
10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》』
国や東電のデタラメに対する答えは簡単だ、責任をもって東電や政府が「原状回復」して見せればよいだけ。元の姿に完全に戻してくれれば良いだけ。責任を果たして下さればよいだけ。《原状回復》して見せてくれれば、喜んで皆さんは元の福島の生活に戻られるでしょうよ。それに、そもそもこんな核発電人災などなければ、《福島を出た人は誰もいな》かった。東京電力核発電人災、決して自主避難者の《自己責任》ではない…「原発事故がなければ福島を出た人は誰もいない」。
『●「故郷の川に身を投げたい衝動に駆られた」
「早く浪江に帰りたい」…「原状回復」することも無く…』
《全町避難が続く福島県双葉町で昨年末始まった「原子力広報塔」の
撤去工事が4日、完了…原発PR標語の看板の一部を業者が細断。
標語考案者の1人の大沼勇治さん(39)が「復元できない」と抗議し、
工事は工法変更の検討などで中断していた》
「双葉町で、《「原子力明るい未来のエネルギー」
「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表裏に記された看板1枚の撤去を
開始》していたわけですが、ついに撤去。「愚」の一言…双葉町長の言う
《復興した時にあらためて復元、展示》は東電原発人災の何年後?
「麻薬」中毒患者にとって目の上のタンコブ、目障りな看板を取り去り
はずせて、せいせいしているのでしょう。標語の作者である大沼勇治
「少年」の言う《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》を
この世から〝消し去った〟わけです。愚かです」
『●核発電所は本当に《郷土の未来も照らしていた》のだろうか?
「原子力 破滅を招く エネルギー」を東日本大震災・原子力災害伝承館に』
(双葉町での聖火リレーに際しての大沼勇治さん、報道特集 2021年03月27日[土])
(双葉町での聖火リレーに際しての大沼勇治さん、サンデーモーニング 2021年03月28日[日])
(松本徳子さん)《2月の地震でも原発事故の恐怖はよみがえり「このままでは帰れない」と心に決めている。戻れば、福島が大丈夫と認めることになるからだ。「子どもたちに、原発が安全なエネルギーと思ってほしくない。同じ過ちを繰り返さないため、声を上げられなかった人たちの分まで、おかしいと言い続けなければと思っているんです」》。
《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》、10年が経過した今こそ、「原子力 破滅を招く エネルギー」「原子力 破 滅 未来のエネルギー」も嚙み締め、伝承すべきではないか。
『●原状回復が損害賠償の基本: 東京電力原発人災で
「ふるさとをなくした痛み」は全く癒えていない』
『●東京電力核発電人災の刑事裁判: 東京地裁永渕健一裁判長の判決は、
あまりに酷い理由も含めて《司法犯罪とも言える不当判決》』
《被告人全員無罪! 2019年9月19日、福島第一原発事故刑事裁判の
判決が下された。司法犯罪とも言える不当判決の内容を弁護士・
海渡雄一が徹底解説する、前作「東電刑事裁判 動かぬ証拠と原発事故」
の改訂版。東京高等裁判所での控訴審を前に全国民必見の33分間!!》
『●東京電力核発電人災後に《福島県から千葉県などに避難した住民ら
43人が国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟の控訴審》で逆転判決』
『●東電核発電人災から10年: あの人災から何の教訓を得ることもなく、
何も変わらないニッポン…核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないまま』
『●希望の牧場・吉沢正巳さん「この牛たちを見て、命の扱い方とか、
原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい」』
『●《「国に法的責任はある」−原発事故で千葉県に避難した人々が
起こした訴訟での東京高裁の判断だ。規制権限の不行使を厳しく指弾した》』
『●《「知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!
10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》』
『●武藤類子さん《本来ならその人たちにとってもこの10年、まったく
違った時間があったはず…原発事故は、その時間を奪ってしまった》』
《避難者の人たちだって、多分ほとんどの人は「叶うなら帰りたい」
と思っているでしょう。でも、それはただ同じ場所に戻りたい
ということではなく、慣れ親しんだ、かつてのふるさとに帰りたい
ということ。「帰りなさい」と言いながら、復興予算がじゃぶじゃぶ
投入されて知らない建物が次々に建ち、新しい住民ばかりが増えて、
以前とはまったく違う「ふるさと」になってしまっているというのは、
大きな矛盾だと思います》。
「東電や国はさっさと「原状回復」して見せてほしい…10年も経って
しまったではないですか。下記CMLより、《ひとりひとりの市民が…
国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらない
と声をあげています。私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です》」
『●大阪地裁《関西電力3原発の運転差し止め認めず》、水戸地裁
《東海第二原発の運転禁じる》、広島高裁《伊方原発3号機の運転容認》』
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/93000】
仲間の自死、見せかけの復興「このまま戻れない」…原発事故「自主」避難者たちの不条理な現在地
2021年3月22日 12時00分
東京電力福島第一原発事故の後、福島県内の旧避難指示区域外から逃れた人たちは「自主避難者」と呼ばれ、さまざまな支援の外に置かれた。同県郡山市から川崎市に母子避難した松本徳子さん(59)もその1人だ。自主避難者への住宅無償提供が打ち切られた後、自死を選んだ同郷の母親もいた。「避難をした人、しない人。それぞれの選択が尊重される社会を願ってきたが、かなわなかった。不条理です」と自主避難者の現状を見つめる。(安藤恭子)
(東日本大震災の追悼イベントで「原発事故を忘れないで」
と呼び掛ける松本徳子さん=10日、横浜市で)
◆いないことにされる私たち
「五輪に向け、福島は今『復興』の一色。その一方、私たち区域外避難者はいないことにされ、この国は原発をやめようとしない」。3月10日夕、横浜・象の鼻パークで開かれた東日本大震災の追悼イベント。松本さんが聴衆に語りかけた。「この10年で何かが変わった、とされることには憤慨しています」
松本さんが生まれ育った郡山は、福島第一原発から約60キロ離れている。当初は避難するつもりはなかったが、震災の3カ月後、当時12歳の次女が大量の鼻血を出し、吐き気や下痢をもよおすようになった。「少しでも被ばくしない所へ」。自営の夫を残し、2011年秋に川崎市に移転した。
17年3月、自主避難者への住宅の無償提供政策が打ち切られたが、郡山には帰れなかった。「自宅の庭にはまだ汚染物が残っていたから。娘も体調を崩した怖さを覚えている」と松本さん。除染は進んでも、放射線量が高い場所や食べ物は存在する。次女は川崎で高校を卒業し、就職した。
「住んでいた区域によって分断されず、福島で生きるのに必要な検査や治療が保証され、正確な情報を提供されていたならば、多くの自主避難者は故郷に帰れたはずだ」と振り返る。
◆声を上げられなかった人たちの分まで
16年にできた「避難の協同センター」(東京)の代表世話人に就き、自主避難者らの相談に応じてきた。17年5月、相談者の1人で郡山から母子避難していた女性が自死をした。「睡眠剤をのんだから、またね」。電話で話したのが最後だった。
女性は仕事を掛け持ちし、自分の物を切り詰めて子どもたちの学費を貯金していた。家族に母子避難を反対され、自分を責めてもいた。「頑張っていた彼女を、貧困が追い詰めた。住宅無償提供の打ち切りを決めた国や行政の選択は間違いだ」。五輪を前に自主避難者をなかったことにする「見せ掛けの復興」がうたわれている。松本さんの目には「棄民政策」と映る。
松本さんは昨年から、両親の介護で一時的に郡山に戻っている。2月の地震でも原発事故の恐怖はよみがえり「このままでは帰れない」と心に決めている。戻れば、福島が大丈夫と認めることになるからだ。「子どもたちに、原発が安全なエネルギーと思ってほしくない。同じ過ちを繰り返さないため、声を上げられなかった人たちの分まで、おかしいと言い続けなければと思っているんです」
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[※ ↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]
/ (2021年03月13日[土])
レイバーネットの二つの記事。堀切さとみ氏による記事【「石碑があるから希望がわく」〜双葉町民が避難した「旧騎西高校」で除幕式】(http://www.labornetjp.org/news/2021/0306futaba)と、
【町が奪われた!10年前を返してください」〜東電本店前で労働者抗議アピール】(http://www.labornetjp.org/news/2021/0305tobu)。
《2011年3月の福島第一原発事故から逃れた双葉町の人たちが、避難所として身を寄せた旧騎西高校(埼玉県加須市)。事故から10年を前に、双葉町と加須市の友好を示す石碑が建てられ、3月6日、除幕式が行われました。着の身着のまま、県境を越えて避難してきた町民のために、廃校になった校舎に畳を敷き、支援を惜しまなかった加須市。避難所は2013年末に閉鎖となりましたが、今も加須市には384名の双葉町民が暮らしています。「避難した方がすべて帰還されるまで支援を続ける」という大橋加須市長の話につづき、大野埼玉県知事、双葉町副町長らが挨拶しました。「希望」という題字を揮毫したのは、双葉町の書家・渡部翠峰さん。双葉町がある北東の方角を向いた石碑を前に「すべての双葉町民に見てほしい。大変なのは皆同じだった」。双葉町民、支援者たちが久しぶりの再会を喜び合いました。「双葉のことは忘れられない。でも、加須市は第二の故郷だな」(堀切さとみ)》。
《福島原発事故からまもなく10年。3月5日午前10時すぎから、「福島原発事故10カ年糾弾! 東京電力前労働者抗議アピール行動」が行われた。東京東部労組の呼びかけで、全労働者組合、下町ユニオン、東京管理職ユニオンなど10以上の組合メンバー約80人が集まった。最初にアピールしたのは、全労働者組合の組合員の小笠原七重さん(写真)。彼女は、原発から10キロ以内の富岡町から両親とともに東京に避難している人だった。マイクを手にしたが「感極まって声が出ない」。でも、涙ながらに訥々と語り出した。「今年で10年経ちますが、私にとってはまだ10年。多分20年、30年経っても、私は東京電力のことを恨んでいます。私の育った町は日に日に変わっています。小学校もなくなりました。中学校もなくなりました。駅もなくなりました。知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》。
国や東電は何時になったら「原状回復」してくれるのか?
《富岡町から両親とともに東京に避難している人だった。…「今年で10年経ちますが、私にとってはまだ10年。多分20年、30年経っても、私は東京電力のことを恨んでいます。…知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》。
東電・政府・原子力「寄生」委員会等は放射性物質で汚染された地域を早く「原状回復」してみせてよ! もう10年も経ってしまったではないですか。
東京電力核発電人災から10年目の『週刊金曜日』の表紙。撮影は豊田直巳さん。「原発さえなければと思います」と書き残して自死…この重い言葉を東電・政府・原子力「寄生」委員会等はどう応えるのか?
『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」』
『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」』
『●「「3.11」から2年② 原発という犯罪」
『週刊金曜日』(2013年3月8日、934号)』
『●「原発さえなければ」「福島の百姓は終わりだ」:
東京電力原発人災と自殺には因果関係あり』
『●終わらない原発人災の影響:「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」』
「「震災さえ」ではなく、 「原発さえなければ…」である。
「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」
「原子力正しい理解で豊かなくらし」を信じ込ませた自民党議員や
電力会社幹部といった東京電力原発人災の責任者・「罪人・犯罪者」は、
誰一人として罰せられることもなく、まだのうのうと生活している」
『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」』
『●自公議員や原子力「推進」「寄生」委員会委員らは
「闘うみんな」ではないようだ』
「3・11から3年が経ち、何の解決も見ていない。「福島県飯舘村の
村民を追ったドキュメンタリー映画「遺言 原発さえなければ」が、
八日から東京都内で上映される」そうだ。「震災さえなければ」
ではなく「原発さえなければ」」
『●大沼「少年」の《事故を思い出して原発を議論する
きっかけになるもの》を撤去し…いま、政治的と言われ…』
『●《草木のすべてにセシウムが染みついている。田畑を耕すが自分で
食べるだけ。孫には食べさせないし、売ることもできない》』
『●西日本新聞【フクオカ☆シネマペディア/『遺言 原発さえなければ』
野田雅也、福島を追い10年「飯舘の酪農 復活までは」】』
[↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]
[↑「今週の表紙」豊田直巳さん(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]
『●東京電力核発電人災後に《福島県から千葉県などに避難した住民ら
43人が国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟の控訴審》で逆転判決』
『●東電核発電人災から10年: あの人災から何の教訓を得ることもなく、
何も変わらないニッポン…核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないまま』
『●希望の牧場・吉沢正巳さん「この牛たちを見て、命の扱い方とか、
原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい」』
『●《「国に法的責任はある」−原発事故で千葉県に避難した人々が
起こした訴訟での東京高裁の判断だ。規制権限の不行使を厳しく指弾した》』
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【http://www.labornetjp.org/news/2021/0306futaba】
「石碑があるから希望がわく」/双葉町民が避難した「旧騎西高校」で除幕式
「石碑があるから希望がわく」〜双葉町民が避難した「旧騎西高校」で除幕式
堀切さとみ
2011年3月の福島第一原発事故から逃れた双葉町の人たちが、避難所として身を寄せた旧騎西高校(埼玉県加須市)。事故から10年を前に、双葉町と加須市の友好を示す石碑が建てられ、3月6日、除幕式が行われました。
着の身着のまま、県境を越えて避難してきた町民のために、廃校になった校舎に畳を敷き、支援を惜しまなかった加須市。避難所は2013年末に閉鎖となりましたが、今も加須市には384名の双葉町民が暮らしています。「避難した方がすべて帰還されるまで支援を続ける」という大橋加須市長の話につづき、大野埼玉県知事、双葉町副町長らが挨拶しました。
「希望」という題字を揮毫したのは、双葉町の書家・渡部翠峰さん(写真上)。双葉町がある北東の方角を向いた石碑を前に「すべての双葉町民に見てほしい。大変なのは皆同じだった」。双葉町民、支援者たちが久しぶりの再会を喜び合いました。
「双葉のことは忘れられない。でも、加須市は第二の故郷だな」「この碑ができて、加須にいても気持ち的に堂々としていられる。感謝しかない」。津波で親戚を亡くし、毎月11日には欠かさず騎西高校を訪れ、黙とうを捧げてきた関根茂子さんは「これからは石碑があるから希望がわく」と力強く語りました。
Last modified on 2021-03-07 21:29:36
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【http://www.labornetjp.org/news/2021/0305tobu】
「町が奪われた!10年前を返してください」/東電本店前で労働者抗議アピール
「町が奪われた!10年前を返してください」〜 東電本店前で労働者抗議アピール
→動画(5分20秒)
福島原発事故からまもなく10年。3月5日午前10時すぎから、「福島原発事故10カ年糾弾! 東京電力前労働者抗議アピール行動」が行われた。東京東部労組の呼びかけで、全労働者組合、下町ユニオン、東京管理職ユニオンなど10以上の組合メンバー約80人が集まった。
最初にアピールしたのは、「全労働者組合」組合員の小笠原七重さん(写真上)。彼女は、原発から10キロ以内の富岡町から両親とともに東京に避難している人だった。マイクを手にしたが「感極まって声が出ない」。でも、涙ながらに訥々と語り出した。「今年で10年経ちますが、私にとってはまだ10年。多分20年、30年経っても、私は東京電力のことを恨んでいます。私の育った町は日に日に変わっています。小学校もなくなりました。中学校もなくなりました。駅もなくなりました。知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった。
彼女がもっとも悔しかったのは、テレビ報道などで煽られた心ない周りの声だったという。「私たちはしぶしぶ生活していたのに、原発があるから原発マネーで潤っている。原発ができたから道路もできた。お金ももらえた。だから仕方ない。それを聞くと心が痛くてしょうがなかったです」。
その後、参加組合の代表が次々にスピーチに立ち「東電は責任をとれ」「再稼働するな」の声を上げた。郵政ユニオンの内田正さんの発言は印象的だった。「みなさんあの事故を思い出してください。たまたま風向きが海に向かっていたから大量の放射能は太平洋に流れました。もし風向きが逆だったら、首都圏は汚染され住めなくなっていたでしょう。運が良かっただけなのです。だからこれは私たちの問題です。そしていま東京にもっとも近い東海第二原発の再稼働が画策されています。脱原発を自分たちの問題として取り組んでいきましょう」と。
また本店で働く労働者に向けて「東京電力労組も自分たちの問題として一緒に取り組んでほしい」とのアピールもあった。3.11から10年のいま、脱原発運動に市民団体だけでなく労働組合もしっかり声を上げた意義は大きい。(M)
Last modified on 2021-03-05 16:46:30
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(2021年03年11月[木])
西日本新聞のコラム【春秋/原発推進の看板「震災遺構」として展示へ】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/682302/)。
東京新聞の【<社説>3・11から10年 影をこそ伝えたい】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/90767?rct=editorial)。
《▼数年後、看板が老朽化し危険だから…と撤去を町が決めたとき、標語の作者の気持ちは変わっていた。地域の記憶として残すべきだと考えた。町民の避難先も訪ねるなどして約7千人分の署名を集め、要望したこともある。撤去後も看板は保管されてきた》。
《例えば「原子力 明るい未来の エネルギー」という標語を掲げた長さ十六メートルの大看板。かつては町の中心に、まるで凱旋門(がいせんもん)のように飾られていたものの、震災後「老朽化」を理由に撤去され、役場の片隅に死蔵されていた実物が、今あるパネル写真に替えて展示されることになりました。震災後「負の遺産」と呼ばれるようになった看板です》。
核発電所は本当に《郷土の未来も照らしていた》のだろうか? 「原子力 破滅を招く エネルギー」「原子力 破 滅 未来のエネルギー」も東日本大震災・原子力災害伝承館に掲出すべきだ。
『●「原子力災害伝承館」《批判…口封じ》…《安倍政権では「被災地
切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」》』
大沼勇治さんは、(撤去の)当時、「壊すのは簡単だが、事故を思い出して原発を議論するきっかけになるものだと思うので、残してほしい。町の歴史が消されてしまうように感じる」と語っておられました。
『●希望の牧場・吉沢正巳さん「この牛たちを見て、命の扱い方とか、
原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい」』
《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》、10年が経過した今こそ、「原子力 破滅を招く エネルギー」「原子力 破 滅 未来のエネルギー」も嚙み締め、伝承すべきではないか。
《メディアの「震災10年」報道は震災遺構にも向く。「小学生に原発推進の協力を求めた歴史を『なかったこと』にしてはいけない」と児童にも分かる言い方で書いた新聞もある》。《せりなさんは…勇治さんに深く共感し、ともに活動しています。「原発のこと、原発事故のこと、やっぱり子どもたちに伝えてあげたいと思うんです。この町でこういう悲惨なことがあったんだよって。看板を展示できれば、あれを見て、みんな、いろいろ考えてくれるんじゃないかしら。事実を知って、考えて、本当に『明るい未来』を、それぞれに築いてほしい」》。
政府や東電は、あるいは、核発電「麻薬」中毒者らは、《教訓》を《伝承》しようとしているだろうか?
『●福島県双葉町「原子力明るい未来のエネルギー」
……いま、その〝少年〟は?』
『●消えゆく「事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの」
~「原子力 破滅 未来のエネルギー」~』
『●東京電力原発人災4年目のアベ様の酷い記者会見:
情報公開、信頼関係、オンカロ、将来的、自立、除染』
『●原発PR看板撤去=「間違った過去と向き合わない行為」
…「人間の愚かさ」にさらなる恥の上塗り』
『●双葉町長「(原発PR看板)復興した時に
あらためて復元、展示したい」…それは『X年後』の何年後?』
『●「故郷の川に身を投げたい衝動に駆られた」
「早く浪江に帰りたい」…「原状回復」することも無く…』
《全町避難が続く福島県双葉町で昨年末始まった「原子力広報塔」の
撤去工事が4日、完了…原発PR標語の看板の一部を業者が細断。
標語考案者の1人の大沼勇治さん(39)が「復元できない」と抗議し、
工事は工法変更の検討などで中断していた》
「双葉町で、《「原子力明るい未来のエネルギー」
「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表裏に記された看板1枚の撤去を
開始》していたわけですが、ついに撤去。「愚」の一言…双葉町長の言う
《復興した時にあらためて復元、展示》は東電原発人災の何年後?
「麻薬」中毒患者にとって目の上のタンコブ、目障りな看板を取り去り
はずせて、せいせいしているのでしょう。標語の作者である大沼勇治
「少年」の言う《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》を
この世から〝消し去った〟わけです。愚かです」
『●大沼「少年」の《事故を思い出して原発を議論する
きっかけになるもの》を撤去し…いま、政治的と言われ…』
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【https://www.nishinippon.co.jp/item/n/682302/】
春秋
原発推進の看板「震災遺構」として展示へ
2021/1/17 10:40
福島県双葉町に昨秋開館した県の「東日本大震災・原子力災害伝承館」に、かつて町が中心部に掲げた看板(長さ16メートル)が展示されることが先日決まった。負の遺産として
▼標語の看板だ。「原子力明るい未来のエネルギー」。1987年に地元の小学6年生が学校の宿題で考えた。「原子力」で始まる標語を、と言われた。大熊町から双葉町にまたがる東京電力福島第1原子力発電所は郷土の未来も照らしていた
▼標語を考えた大沼勇治さん(茨城県に避難中)が描いた未来は原発事故で暗転する。看板は「原子力安全神話」の皮肉として取り上げられた。恥ずかしくなり、取り外してほしいと思った
▼数年後、看板が老朽化し危険だから…と撤去を町が決めたとき、標語の作者の気持ちは変わっていた。地域の記憶として残すべきだと考えた。町民の避難先も訪ねるなどして約7千人分の署名を集め、要望したこともある。撤去後も看板は保管されてきた
▼町の大半は今も帰還困難区域のままだが、JR双葉駅周辺は立ち入り規制が緩和された。開館した伝承館に、あの看板は写真で展示中。昨秋、大沼さんは妻と子を連れて故郷に行った。仕事は太陽光発電事業をしているそうだ
▼メディアの「震災10年」報道は震災遺構にも向く。「小学生に原発推進の協力を求めた歴史を『なかったこと』にしてはいけない」と児童にも分かる言い方で書いた新聞もある。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/90767?rct=editorial】
<社説>3・11から10年 影をこそ伝えたい
2021年3月11日 06時46分
窓越しに遠く、水平線が見渡せます。十年前、東京電力福島第一原発に襲いかかったあの海です。
福島県双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」。原発から北へ四キロの海辺に広がる「福島県復興祈念公園」の一角に、昨秋開館したばかり。ガラス張りの外観が印象的な、それ自体がアートのような建物です。
総事業費は約五十三億円。国の復興予算を使って福島県が建設し「公益財団法人・福島イノベーション・コースト構想推進機構」という団体が運営しています。
◆教訓を伝えているか
来館者はまず円形のシアターに通されて、壁いっぱいに映し出される原発事故や津波の模様を記録した映像作品を鑑賞します。
<光もあれば影もあります。事故のこと、復興のこと。この場所で皆さんと一緒に考えることができたなら>
福島県出身の俳優西田敏行さんの語りに導かれ、螺旋状(らせんじょう)の回廊を展示室へと進むのですが−。
県が収集、保管する約二十四万点の震災資料のうち、実物展示されたのは、突然の避難を強いられて置き去りにされたランドセルやカメラなど、百七十点足らず。映像や展示パネルにも、安全神話を形成し、原発誘致を主導した国や県、東電の責任などへの言及は、ほとんどありませんでした。
「教訓が伝わらない」「光ばかりで影がない」…。被災者からも多くの批判が寄せられて、開館して半年もたたないうちに、大規模な展示替えが進んでいます。
例えば「原子力 明るい未来の エネルギー」という標語を掲げた長さ十六メートルの大看板。かつては町の中心に、まるで凱旋門(がいせんもん)のように飾られていたものの、震災後「老朽化」を理由に撤去され、役場の片隅に死蔵されていた実物が、今あるパネル写真に替えて展示されることになりました。震災後「負の遺産」と呼ばれるようになった看板です。
◆暗転した「明るい未来」
双葉町に生まれ、今は茨城県古河市で太陽光発電事業を営む大沼勇治さん(45)が看板の標語を作ったのは、小学六年生の時。町からの募集に伴う学校の宿題でした。
「原発のおかげで、町は仙台のように大きくなって、新幹線もやって来る。そんな二十一世紀を本気で思い描いていたんです」と、勇治さんは振り返る。全国の原発立地に共通の“夢”でした。
十年前の今日、「明るい未来」は突然、文字通り暗転します。
双葉町にいた発災時、妻のせりなさん(45)は妊娠七カ月。できるだけ安心安全な場所で出産をと、親類を頼って夫婦は愛知県安城市に避難しました。
その年七月、勇治さんは防護服に身を包み、町が仕立てたバスで、避難後初めて双葉町に立ち入った。ひとけの全くない町をダチョウや牛がわが物顔でのし歩く。懐かしいはずのふるさとに、恐怖を感じる自分に気が付きます−。
「原子力 破滅を招く エネルギー」。その時、大沼さんは心の中で看板を書き換えました。そして「この町の過去と未来を記録し続けよう。看板の言葉とともに次の世代に伝えていこう」と決めました。看板の撤去にあらがい、撤去後は伝承館への実物展示を訴え続けてきたのも、そのためです。
せりなさんは、同じ県内でも原発からは距離のある会津若松市の出身ですが、勇治さんに深く共感し、ともに活動しています。
「原発のこと、原発事故のこと、やっぱり子どもたちに伝えてあげたいと思うんです。この町でこういう悲惨なことがあったんだよって。看板を展示できれば、あれを見て、みんな、いろいろ考えてくれるんじゃないかしら。事実を知って、考えて、本当に『明るい未来』を、それぞれに築いてほしい」
安城で生まれた長男の勇誠君は六月、十歳の誕生日を迎えます。勇治さんは背負い続けた看板に、せりなさんは子どもたちの成長に、十年の重みを感じています。
◆遠い道のりだからこそ
「もう十年? まだ十年? やっと十年?」などと言われます。しかしやっぱり「まだまだ十年」なんでしょう。「まだ」と言えば廃炉におよそ四十年。核のごみを無害化するには十万年。まだ、まだ、まだ、まだ…。
<原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか>
せりなさんと話をしながら、ふと思い浮かべた言葉。大江健三郎さんの「ヒロシマ・ノート」に引用された、中国新聞論説委員の問いかけです。
原発は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか。私たちは何を伝えていくべきなのか−。3・11から十年の一里塚。私たちも自らに、あらためて問いかけなければなりません。
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[※ ↑号外【国の責任認める/東京高裁 千葉地裁判決覆す/原発避難集団訴訟 東電にも賠償命令】 (福島民報 2021年02月19日)]
(2021年02月21日[日])
山田雄之記者による、東京新聞の記事【国の責任認める 福島第一原発事故避難者訴訟で東京高裁判決】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/86969)。
《東京電力福島第一原発事故で、千葉県に避難した住民ら43人が国と東電に計約18億8500万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が19日、東京高裁(白井幸夫裁判長)は国の責任を認めた》。
白井幸夫裁判長は、《防潮堤の設置などの措置を講じていれば「津波の影響は相当程度軽減され、全電源喪失の事態には至らなかった」と認定。国が規制しなかったことと事故との間に「責任を認めるに足りる因果関係がある」として「規制権限を行使しなかったことは国家賠償法上、違法だ」とした》そうだ。真っ当な司法判断。
責任をもって東電や国が「原状回復」して見せてくれよ! もうすぐ10年経ちますよ…いつになったら元の姿に戻してくれるの? 元の姿に戻してくれれば、皆さん喜んで福島に帰り、生業を取り戻すはずですよ。
アサヒコムの記事【原発避難訴訟、国の責任認める 高裁で2件目】(https://www.asahi.com/articles/ASP2M53R1P2KUTIL060.html?iref=comtop_National_01)によると、《東京電力福島第一原発事故で千葉県内に避難した住民らが国と東電に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が19日、東京高裁(白井幸夫裁判長)であった。一審・千葉地裁は国の責任を否定して東電にだけ賠償を命じたが、高裁は国と東電の両方に同等の責任を認めた。原発事故をめぐって避難者が国と東電を訴えた集団訴訟は全国で約30件あり、控訴審判決は今回が3件目。国の責任を認めた判決は昨年9月の仙台高裁に続いて2件目で、国の責任を否定したのは今年1月の東京高裁の1件となった。今後、最高裁が統一判断を示すとみられる。今回の訴訟の一審・千葉地裁判決は2017年9月に言い渡された。一審では18世帯45人が国と東電に計約28億円を求め、千葉地裁は42人に計約3億8千万円を支払うよう、東電に命じた。千葉地裁は、政府の「地震調査研究推進本部」が02年に公表した地震予測の「長期評価」に基づけば、遅くとも06年までに原発の敷地の高さを超える津波を予見できたと認めた》。
福島民報の【<速報>国の責任認め、東電にも賠償命令 原発集団訴訟で東京高裁】(https://www.minpo.jp/news/moredetail/2021021983773)によると、《東京電力福島第一原発事故で本県から千葉県に避難した住民17世帯43人が国と東電に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(白井幸夫裁判長)は19日、国の責任を否定した一審千葉地裁判決を覆し、国と東電の責任を認め、両者に賠償を命じた。全国で約30ある同種訴訟のうち、国を被告に含めた控訴審判決は3件目。国の責任を認めたのは昨年9月の仙台高裁判決に続いて2件目となった》。
「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かな暮らし」…もうすぐ10年が経とうとしている。
『●「あれだけの事故を起こして被害を出して、だれか1人でも
責任とってやめたか。申し訳ないと謝罪したか」』
《馬奈木厳太郎弁護士…樽川さんのお怒りは、まっとうなものなんです。
今回の福島の被害の象徴と言ってもいいかもしれない。
彼が求めていることは「責任をとってくれ」です。
「あれだけの事故を起こして被害を出して、だれか1人でも責任とって
やめたか。申し訳ないと謝罪したか」と。そう思っているのは、
樽川さんだけではない。国と東京電力を相手に、事故から2年後の
2013年3月11日に福島地裁に起こした
「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)
には約4千人の原告がいて、樽川さんもそのお一人です》
『●「生業を返せ、地域を返せ!」…原告団馬奈木厳太郎弁護士
「国の対応、東電の責任を厳しく断罪する判決となっている。一審よりも…」』
『●「原子力災害伝承館」《批判…口封じ》…《安倍政権では「被災地
切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」》』
『●東電核発電人災での国の責任も放棄…《あの未曾有の福島第一原発
事故を招いた“最大の戦犯”》アベ様の責任は追及され続けるべき』
『●《避難者の生業はいまだ戻らないままである》…責任をもって東電や
国が「原状回復」してくれれば《生業》を、《地域》を取り返せる』
「民事裁判では、地裁に続き高裁レベルで、《国と東電に損害賠償などを
求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は一審福島地裁判決に続き
両者に賠償を命じ》ました。仙台高裁上田哲裁判長によるものです。
「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」という訴えが、
一部認められました。
国や東京電力が責任を果たす方法は明確で、簡単です。《原状回復》
して見せてくれればよいのです。もう10年が経とうとしています。
さっさとお願いします。
…出来ない、不可能というのであれば、やるべきことは一つしかない
でしょ? 《国や東電は被災地を事故前の状態に戻すことができない
現実を直視し》、何を為すべきですか?」
まもなく、東京電力核発電人災から10年。あの人災から何の教訓を得ることもなく、何も変わらないニッポン。民主党政権末期・野田政権、アベ様・カースーオジサンによる《悪夢のような》、〝地獄〟の自民党政権は、核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないままです…。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/86969】
国の責任認める 福島第一原発事故の避難者訴訟で東京高裁判決
2021年2月19日 21時54分
(原発避難者訴訟の控訴審判決で勝訴し、垂れ幕を掲げる
原告代理人の弁護士ら=19日、東京・霞が関の東京高裁前で)
東京電力福島第一原発事故後に福島県から千葉県などに避難した住民ら43人が国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟の控訴審判決で、東京高裁(白井幸夫裁判長)は19日、国の賠償責任を認めなかった一審の千葉地裁判決を変更し、国と東電双方の責任を認めた。東電に約2億7800万円、うち国に約1億3500万円を連帯して支払うよう命じた。
全国で約30件ある集団訴訟で、高裁判決は3例目。昨年9月の仙台高裁判決は国の責任を認めたが、今年1月、国の責任を認めた前橋地裁判決を東京高裁判決は覆した。今回の判断は国の責任を認める2例目の高裁判決となった。
◆津波対策命じなかった国は「著しく合理性欠く」と違法性認定
この日の判決は、国が2002年に公表した地震予測「長期評価」を「相応の科学的信頼性がある」と評価。国が津波対策の妥当性を判断する際に長期評価を重視しなかったことを「著しく合理性を欠く」と批判し、福島第一原発に大きな津波が到来する予見可能性があったと判断した。
その上で、防潮堤の設置などの措置を講じていれば「津波の影響は相当程度軽減され、全電源喪失の事態には至らなかった」と認定。国が規制しなかったことと事故との間に「責任を認めるに足りる因果関係がある」として「規制権限を行使しなかったことは国家賠償法上、違法だ」とした。
国の責任は東電と同程度としたが、原告のそれぞれへの請求額が違うため、賠償額が異なった。
一審は「国は長期評価に基づき津波の発生を予見できた」としながらも「津波の規模の大きさから措置を講じても、原発事故を回避できなかった可能性がある」として国の責任を否定。東電にだけ約3億7600万円の賠償を命じていた。(山田雄之)
【関連記事】「あきらめず闘ってよかった」 原発事故でふるさと奪われた原告の南原さん夫婦
【関連記事】「津波に対する国の責任」判断割れる 争点は2002年の「長期評価」 原発避難民訴訟
【関連記事】原発の「安全神話」再生産に警鐘鳴らす 福島第一原発事故から10年で民間事故調が報告書を出版
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(2021年02月27日[土])
吉田昭一郎記者による、西日本新聞の記事【フクオカ☆シネマペディア/『遺言 原発さえなければ』野田雅也、福島を追い10年「飯舘の酪農 復活までは」】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/673989/)。
《福岡県久留米市出身のドキュメンタリー映画監督、野田雅也さんは、福島県飯舘村の酪農家ら福島第1原発事故の被災者を追い続ける。豊田直巳さんとの共同監督作「遺言 原発さえなければ」(全5章=2014年)と、「サマショール ~遺言 第六章~」(20年)はその記録だ》。
『●終わらない原発人災の影響:「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」』
「「震災さえ」ではなく、 「原発さえなければ…」である。
「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」
「原子力正しい理解で豊かなくらし」を信じ込ませた自民党議員や
電力会社幹部といった東京電力原発人災の責任者・「罪人・犯罪者」は、
誰一人として罰せられることもなく、まだのうのうと生活している」
『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」』
『●自公議員や原子力「推進」「寄生」委員会委員らは
「闘うみんな」ではないようだ』
「3・11から3年が経ち、何の解決も見ていない。「福島県飯舘村の
村民を追ったドキュメンタリー映画「遺言 原発さえなければ」が、
八日から東京都内で上映される」そうだ。「震災さえなければ」
ではなく「原発さえなければ」」
『●大沼「少年」の《事故を思い出して原発を議論する
きっかけになるもの》を撤去し…いま、政治的と言われ…』
『●《草木のすべてにセシウムが染みついている。田畑を耕すが自分で
食べるだけ。孫には食べさせないし、売ることもできない》』
《私たちはどこまで福島の現実を知っているでしょう》?
レイバーネットの記事【レイバーネットTV(2/17)放送案内 : フクシマから10年〜 終わらせてはいけない真実】(http://www.labornetjp.org/news/2021/0217kokuti)によると、《福島第一原発事故からまもなく10年。2011年3月11日に発令された「原子力緊急事態宣言」は、未だ解除されていないというのに、政府もメディア報道も積極的にとりあげるのは、なぜか復興の話題ばかり。廃炉までの道のりは遠く、汚染水の処理もままならない中で、放射能の基準値を引き上げ、住民を帰還させようとしてきました。その一方で、避難生活を続ける人への保障を打ち切り、被ばくから子どもたちを守ろうとする人々を追いつめています。「福島を忘れるな」といいますが、私たちはどこまで福島の現実を知っているでしょう。そして、これは福島だけの問題なのでしょうか。朝日新聞社の青木美希さんと、母子避難者・森松明希子さんをゲストに、10年たって終わるどころか、ますます深刻になる、原発事故の実態に迫ります。また、番組では、この10年のハイライト映像も流します。(レイバーネットTVプロジェクト)》。
「震災さえなければ」ではなく「原発さえなければ」。東電や国は、早く、「原状回復」して見せてほしい。核発電「麻薬」中毒な彼ら、彼女らは、《「原発さえなければ」は、事故から3カ月後、前途を悲観し自殺した福島県相馬市の酪農仲間の遺言にあった言葉》をどう受け止めているのだろう?
まもなく、東京電力核発電人災から10年。あの人災から何の教訓を得ることもなく、何も変わらないニッポン。民主党政権末期・野田政権、アベ様・カースーオジサンによる《悪夢のような》、〝地獄〟の自民党政権は、核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないままです…。
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【https://www.nishinippon.co.jp/item/n/673989/】
フクオカ☆シネマペディア
『遺言 原発さえなければ』野田雅也、福島を追い10年「飯舘の酪農 復活までは」
2020/12/21 11:50 (2020/12/21 11:50 更新)
西日本新聞 吉田昭一郎
(酪農を再開し牛舎に牛を引き入れる飯舘村の若手酪農家
=2012年8月、福島市(c)野田雅也)
福岡県久留米市出身のドキュメンタリー映画監督、野田雅也さんは、福島県飯舘村の酪農家ら福島第1原発事故の被災者を追い続ける。豊田直巳さんとの共同監督作「遺言 原発さえなければ」(全5章=2014年)と、「サマショール ~遺言 第六章~」(20年)はその記録だ。
【関連】「人の気持ちもつながりも放射能は壊した」
飯舘村の元酪農家は嘆いた
なりわいもふるさとも、すべてを奪った原発事故を、飯舘の酪農家リーダーの歩みを中心に映し出す。毎日、乳搾りをしては廃棄する苦渋の日々。牛たちとの断腸の別れ。高線量被ばくが遅れて伝えられ、全村避難へ。仮設住宅での避難生活は地域の絆が支えだ。
「原発さえなければ」は、事故から3カ月後、前途を悲観し自殺した福島県相馬市の酪農仲間の遺言にあった言葉だ。倉庫の壁にチョークで書かれた文字と、放置された縄が生々しい。駆け付けた酪農家リーダーたちは驚き、悲しみ、そして憤る。
事故から来春で10年。村の避難解除後、酪農家リーダーは帰村し、ソバを作る。酪農はやめた。村民の多くは戻っていない。
村の若手酪農家は今、福島市で復興牧場を営む。自殺した仲間の遺言にあった「頑張ってください」という言葉を抱きしめ、村での酪農再開へ向けた闘いが続く。だが、村の元の住まい一帯はなお帰還困難区域のままだ。
野田さんは言う。「豊かな自然の中に人と牛がともに在る、以前の飯舘村の暮らしを取り戻すのが彼の夢。それを見たいから、私もずっと撮っている。『10年たてば』と思っていたが、(原発事故は)そう簡単じゃない。焦った時期もあったが、今は『待とう』と気持ちを切り替えた」
この1年半は、飯舘村と隣接し、全域がなお帰還困難区域の浪江町津島に通った。「津島の姿を子孫に伝えたい」という住民たちの依頼を受けて、ドローンで地域の全家屋を空撮しDVDに収録した。
「津島はチェルノブイリの村々と同じく、地図から消えゆく山村。放射線量が高く、いつ戻ることができるか。家々は朽ち始め、一部で公費解体が進む。泣く泣く戻ることを断念し、先祖代々のお墓のお骨を避難先に移す人も出てきた」
過去には、チベットやインドネシア・アチェで抑圧される人たちを追った。「人間の尊厳と自由を奪われている」という意味では福島の人たちも同じ境遇だ。再生を模索する飯舘と、消えゆく津島で、福島の今を映像で伝える構想も温める。
「3・11で日本も変わると思った。脱原発をはじめ経済優先から人間優先の社会になると信じたが、今は震災前に逆戻りした感がある。経済優先に戻る中で、福島では『人の復興』が置き去りにされていないか」
「遺言-」の終盤。村外の避難先で震災後初めて酪農を再開する間際の2012年夏、野田さんは飯舘の若手たちの笑顔を撮った。「ドキドキ、ワクワク、やったあ。45頭入るんだ」。なりわい奪回の喜びはつらい映像の連なりの先で印象的だった。希望を感じ泣けたのを覚えている。だが、歳月を重ねて、まだ道は遠い。 (吉田昭一郎)
◆「サマショール ~遺言 第六章~」は、2021年2月から順次、福島、東京、関西、名古屋で劇場公開予定。
◆野田雅也監督のインタビューを2回にわたって掲載します。22、23日のそれぞれ正午に公開予定です。
※「フクオカ☆シネマペディア」は毎週月曜の正午に更新しています
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琉球新報の【<社説>「生業訴訟」二審判決 国は重い責任受け止めよ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1202924.html)。
琉球新報のコラム【<金口木舌>生業を返せ】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1201920.html)。
東京新聞の社説【福島原発判決 「国の責任」かみしめよ】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/59383?rct=editorial)。
《東京電力福島第1原発事故について、司法は改めて国と東電の責任を認めた。高裁では初めての判断であり、責任は国にも東電と同等にあるとした。国と東電は重く受け止めるべきだ》。
《▼沖縄の企業などでつくる支援組織も2年前に解散した。ことし9月時点で沖縄県内の避難者は218人。来年3月で事故から10年となる中、原発を推進してきた国は上告するのか。避難者の生業はいまだ戻らないままである》。
《原発事故から九年半。国は「復興」と言いつつ、今年九月末でいまだ約四万三千人もの避難者がいる。国の責任を前提としない賠償基準は早く見直すべきである。原告三千六百二十七人のうち既に九十二人が亡くなっている。国には反省が要る。義務として救済を急ぎ、被災者の生活再建を果たさなければならない》。
「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かな暮らし」…もうすぐ10年が経とうとしている。
『●「あれだけの事故を起こして被害を出して、だれか1人でも
責任とってやめたか。申し訳ないと謝罪したか」』
《馬奈木厳太郎弁護士…樽川さんのお怒りは、まっとうなものなんです。
今回の福島の被害の象徴と言ってもいいかもしれない。
彼が求めていることは「責任をとってくれ」です。
「あれだけの事故を起こして被害を出して、だれか1人でも責任とって
やめたか。申し訳ないと謝罪したか」と。そう思っているのは、
樽川さんだけではない。国と東京電力を相手に、事故から2年後の
2013年3月11日に福島地裁に起こした
「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)
には約4千人の原告がいて、樽川さんもそのお一人です》
『●「生業を返せ、地域を返せ!」…原告団馬奈木厳太郎弁護士
「国の対応、東電の責任を厳しく断罪する判決となっている。一審よりも…」』
『●「原子力災害伝承館」《批判…口封じ》…《安倍政権では「被災地
切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」》』
『●東電核発電人災での国の責任も放棄…《あの未曾有の福島第一原発
事故を招いた“最大の戦犯”》アベ様の責任は追及され続けるべき』
民事裁判では、地裁に続き高裁レベルで、《国と東電に損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は一審福島地裁判決に続き両者に賠償を命じ》ました。仙台高裁上田哲裁判長によるものです。
「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」という訴えが、一部認められました。
国や東京電力が責任を果たす方法は明確で、簡単です。《原状回復》して見せてくれればよいのです。もう10年が経とうとしています。さっさとお願いします。
…出来ない、不可能というのであれば、やるべきことは一つしかないでしょ? 《国や東電は被災地を事故前の状態に戻すことができない現実を直視し》、何を為すべきですか?
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【https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1202924.html】
<社説>「生業訴訟」二審判決 国は重い責任受け止めよ
2020年10月6日 06:01
東京電力福島第1原発事故について、司法は改めて国と東電の責任を認めた。高裁では初めての判断であり、責任は国にも東電と同等にあるとした。国と東電は重く受け止めるべきだ。
原発事故時、福島県と隣接する宮城、茨城、栃木3県に住んでいた約3650人が国と東電に損害賠償などを求めた「生業(なりわい)訴訟」の控訴審判決で、仙台高裁は国と東電に対し、原告3550人に計約10億1千万円を賠償するよう命じた。
仙台高裁は国の規制権限の不行使と事故との因果関係を明確に認め、「東電を規制する立場の国が役割を果たさなかった」と厳しく指摘した。国の責任が東電の半分にとどまるとした一審判決より踏み込み、東電と同等の責任だとした。国を被告に含む13件の一審判決で、裁判では、7件が国の責任を認め、6件が否定し、判断が割れている。他の訴訟に影響を与える可能性がある。
判決は、大津波の襲来は国の地震調査研究推進本部が可能性を指摘しており、予見して事故を回避し得たと認定した。「国、東電とも経済的負担の大きさを恐れるあまり、津波の試算自体を避けようとした」と批判した。対策の先送りを許した国の権限不行使は2006年末の時点で許容限度を逸脱し、違法だと認定した。
津波対策を先延ばしにしていた東電の対応を「不誠実」とし、国は「東電の報告を唯々諾々と受け入れていた」と指摘。政策として原発を推進し、規制権限を持つにもかかわらず、津波対策の不備を放置した国の対応を厳しい言葉で非難した。
原子力安全・保安院についても「不誠実な東電の報告を唯々諾々と受け入れ、規制当局に期待される役割を果たさなかった」とした。
国は原発を推進する政策を取り、第1原発の設置を許可し、事故の防止と事業者への監督、指導の徹底が求められていた。二度とこのような事故が起きることのないよう、責任の重さを施策に生かすべきだ。
賠償については、計約5億円を命じた一審福島地裁判決より救済範囲を広げた。国が基準を定めた中間指針は不十分だと指摘して、指針を超えて範囲と金額を認めた。
原発事故については、国会の事故調査委員会が、規制当局(国)と東電の「なれ合い」があり、「自然災害ではなく明らかに人災」と批判している。同種の他の裁判でも国の法的責任について検討すべきだ。
事故から9年半が経過した今も、被災者は生活の基盤や地域コミュニティーを失い、回復はままならない。風評被害や放射線への不安も大きい。訴訟の名称となっている「生業を返せ」という原告の訴えは悲痛だ。国や東電は被災地を事故前の状態に戻すことができない現実を直視し、被害者救済のため賠償基準の見直しを含む被災者支援を急がなくてはならない。
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【https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1201920.html】
<金口木舌>生業を返せ
2020年10月4日 06:00
金口木舌 東京電力福島第1原発事故 仙台高裁 避難者
広辞苑によると「生業(なりわい)」には「五穀が生(な)るように務めるわざ」「世わたりの仕事」の意味がある。「生活を立てるための手段」の意味で用いられる場面も多い
▼東京電力福島第1原発事故から9年半。原告約3600人が「生業を返せ、地域を返せ」と訴えた集団訴訟で、仙台高裁は9月30日、国と東電の責任を認め計10億円余の支払いを命じた。一審よりも賠償額を増やし、救済対象区域の範囲も広がった
▼沖縄に暮らす避難者も約60人が原告。娘と避難した伊藤路子さん(72)は「国と原発が生んだ分断を乗り越えての勝訴だ」と判決を歓迎した。福島県白河市でカフェを経営していた。家族は離散し四重生活。孫に会えず母と死別した
▼沖縄支部長の久保田美奈穂さん(41)は茨城県水戸市から子ども2人と避難した。「大きく前進した。世の中が良い方向に変わってくれたら」と喜ぶ一方、二審判決で水戸市は救済の対象外となった
▼帰郷か、避難先にとどまるか。原発事故に対する健康面への考え方や対応は避難者間でも分かれ、時には家族の絆に亀裂をもたらした。避難者は苦悩している
▼沖縄の企業などでつくる支援組織も2年前に解散した。ことし9月時点で沖縄県内の避難者は218人。来年3月で事故から10年となる中、原発を推進してきた国は上告するのか。避難者の生業はいまだ戻らないままである。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/59383?rct=editorial】
社説
福島原発判決 「国の責任」かみしめよ
2020年10月3日 07時59分
「国の責任」と断罪した。東京電力福島第一原発事故を巡る訴訟で仙台高裁の判決は「不誠実な東電の報告を国は唯々諾々と受け入れた」とも述べた。被災者の救済を早く前進させるべきである。
大地震が来る−それは国の地震調査研究推進本部が二〇〇二年に公表した地震の「長期評価」で予見できたはずである。東電が速やかにシミュレーションしていれば、遅くとも〇二年末ごろまでに福島第一原発に一〇メートルを超す津波が到来する予見もできた。仙台高裁の判決はこのような前提に立つ。
だが、東電は新たな防災対策を極力回避し、先延ばしした。むろん長期評価は国の知見ともいえ、国も同時に地震の危険性は認識していたはずである。ならば国は東電に対し、ただちに長期評価を踏まえた試算を指示できた。国自身で試算もできた。それなのに、やるべきことをしなかった。
東電からヒアリングした当時の原子力安全・保安院は「規制当局に期待される役割を果たさなかった」とも判決は述べている。東電との緊張を欠いた姿勢は明らかで、原発事故は「人災」であるとの原告側の言い分を事実上、認めたのに等しい。
これまで国と東電を被告とする同種の一審判決は十三件ある。そのうち六件の判決は国の責任が否定されていた。津波発生は予見できても実際の津波はもっと大きく事故が避けられなかった−などの論法だ。今回の高裁判決はそれを打ち砕き、国の責任論に決着をつけたと大きく評価したい。
かつ一審の福島地裁判決では賠償額において国は東電の半額にとどまっていたが、高裁は「責任同等」とした。国のエネルギー政策のもとで原発設置の許可、さらにそれを維持してきたのは、まさしく国であったからだ。これも重大な判断である。賠償額の算定を大きく左右する。
少なくとも東電が賠償の基準とする政府の原子力損害賠償紛争審査会が定めた中間指針では足りない。判決はそれを上回る救済が必要だとの視点にも立つ。
原発事故から九年半。国は「復興」と言いつつ、今年九月末でいまだ約四万三千人もの避難者がいる。国の責任を前提としない賠償基準は早く見直すべきである。
原告三千六百二十七人のうち既に九十二人が亡くなっている。国には反省が要る。義務として救済を急ぎ、被災者の生活再建を果たさなければならない。
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添田孝史氏による、AERAの記事【津波リスク「計算して大騒ぎするのを避ける」とのメモも 原発事故で国が隠し続けた真実】(https://dot.asahi.com/aera/2020100800039.html)。
《隠していたのは保安院だけではない。政府事故調査委員会も、重要な事実を知りながら、報告書に書いていないことがある。内閣府が今年7月に開示した文書から、事故調による国の責任隠しも見えてきた》。
『●「生業を返せ、地域を返せ!」…原告団馬奈木厳太郎弁護士
「国の対応、東電の責任を厳しく断罪する判決となっている。一審よりも…」』
『●「原子力災害伝承館」《批判…口封じ》…《安倍政権では「被災地
切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」》』
「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かな暮らし」…もうすぐ10年が経とうとしている。
《あの未曾有の福島第一原発事故を招いた“最大の戦犯”が、他ならぬ…安倍晋三》様だ。
『●(リテラ)「あの未曾有の福島第一原発事故を招いた
“最大の戦犯”が、他ならぬ現内閣総理大臣・安倍晋三」』
《国の責任隠し》についてのこの記事には触れられていませんが、何食わぬ顔で《最大の戦犯》なアベ様。しかも、菅直人氏についてのデマ「メルマガ事件」の犯人もアベ様だ。今も何食わぬ顔で、原子力「寄生」委員会のデタラメな「お墨付き」の下、核発電所再稼働を強行し、司法も役立たず、核発電所まで輸出しようと暴走していた…大迷惑な核発電「麻薬」中毒者のトップがアベ様。《最大の戦犯》が犯罪を犯し続けており、それさへも《継承》する大惨事アベ様政権。いまだに《ベースロード電源》などと寝言を言っている始末。
『●「想定外」という言い訳は許されない』
《実は、東電の福島第一は津波に弱く、炉心溶融の危険性があることは、
5年前から指摘されていた。想定外などではない。福島第一で
想定されている津波、チリ地震津波クラスに遭遇すると、大きな引き波に
よって冷却用の海水を取水できなくなるといわれる。この引き波による
取水停止が、炉心溶融に発展する可能性を、2006年に国会で共産党の
吉井英勝議員が質問している。
二階俊博経産相(当時)は善処を約したが、東電は具体的な改善を
行なわなかった。東電には地元から改善の要望書も出されているので、
津波による炉心溶融の「危険性の指摘」を知らなかったはずはない。
百も承知だったのに、素知らぬ顔ですべての原因が想定外の巨大地震に
あるかのように振舞っているとしたら、なかなかの役者である》
『●”原子力発電”という箱を開ける覚悟と、(とりようの無い)開けた責任』
《この日、これまでに原発問題を国会で追及してきた吉井英勝衆院議員
(共産)が質問。原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は昨年5月の同委で、
電源喪失は「あり得ないだろうというぐらいまでの安全設計はしている」
と発言していたが、この日は「当時の認識について甘さがあったことは
深く反省をしている」と述べた。
これまでの法廷証言などで電源喪失の可能性を否定してきた班目春樹
・原子力安全委員長は「事故を深く反省し、二度とこのようなことが
起こらないようにしたい」と答えた。
また、過去に同様の見解を示してきた前原子力安全委員長
(現・日本原子力研究開発機構理事長)の鈴木篤之氏も「国民の皆様に
大変申し訳ないと思っている。痛恨の極み」。電源喪失の事態に備えて
こなかったことは「正しくなかった」とした》
『●SLAPPと原発、沖縄』
《[CML 019566] 甘利明の名誉棄損訴訟にSLAPP批判…
甘利明・自民党衆議院議員がテレビ東京を提訴した名誉棄損訴訟が
恫喝訴訟SLAPPであると批判されている。甘利氏は安倍政権の
経済産業大臣であった。テレビ東京『週刊ニュース新書』は2011年
6月18日に甘利氏へのインタビューを放送した。
インタビューで取材陣は福島原発事故を自公政権の安全対策の
不備に起因するのではないかと追及した。甘利氏は「津波は想定外」と
責任回避するが、取材陣は日本共産党の吉井英勝・衆議院議員の
「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の
安全を守ることに関する質問主意書」を提示した。そこでは津波被害など
による電源喪失に起因する原発事故の危険が指摘されている。
福島原発事故が想定外でないことを示す事実であるが、この趣意書を
突き付けた直後にインタビューは中断された。インタビュー中断の事実は
番組で報道された。この番組放送に対して甘利氏は名誉毀損として
1000万円もの損害賠償を求めてテレビ東京を提訴した》
『●『DAYS JAPAN』
(2013,SEP,Vol.10,No.9)の最新号についてのつぶやき』
「さらに、斎藤美奈子さんの二つの指摘。「第一次安倍内閣時代…
吉井英勝…「巨大地震の発生…原発の危機から国民の安全を守る
ことに関する質問主意書」…提言を無視した結果がご覧の通りの事故である」」
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【https://dot.asahi.com/aera/2020100800039.html】
津波リスク「計算して大騒ぎするのを避ける」とのメモも 原発事故で国が隠し続けた真実
添田孝史 2020.10.11 08:00 AERA #原発
(20年4月、撤去作業が終了した東京電力福島第一原発
1、2号機の共用排気筒(c)朝日新聞社)
東京電力福島第一原発の事故について、9月30日、仙台高裁は「国にも責任がある」とする判決を出した。東電に津波対策をとらせる立場にあった、経済産業省の旧原子力安全・保安院が全くその役割を果たしていなかったことなど、国の責任を示す事実が次々に明らかになったためだ。AERA 2020年10月12日号では、国が隠し続けた原発事故の真実に迫った。
* * *
隠していたのは保安院だけではない。政府事故調査委員会も、重要な事実を知りながら、報告書に書いていないことがある。内閣府が今年7月に開示した文書から、事故調による国の責任隠しも見えてきた。
保安院は事故1年前の10年4月に、傘下の旧独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)に指示して、東北電力女川原発の津波想定が妥当か確かめさせた。そのおよそ半年前の09年9月、保安院は東電から、869年の貞観津波が再来すれば福島第一の敷地に津波が遡上する可能性があるという報告も受けていた。
■部下に送ったメール
当然、福島第一でも貞観津波のリスクを精査しなければならない。ところが保安院は「JNESのクロスチェックでは、女川と福島の津波について重点的に実施する予定になっているが、福島の状況に基づきJNESをよくコントロールしたい(無邪気に計算してJNESが大騒ぎすることは避ける)」と東電に話していた(東電作成のメモ)
事故調は、女川原発についてJNESが作成した報告書を集めていたことが内閣府の開示でわかった。10年の時点で、保安院やJNESは貞観津波を想定すべき確実なものと判断していたと、事故調は知っていたのだ。
しかし事故調は、このことを報告書に全く書いていない。
東電作成のメモにある「福島の状況に基づき」とは、東電が福島第一でプルサーマルを進めようとしていたことを指す。プルトニウムをウランに混ぜて原発で燃やすプルサーマルの実施は、核燃料サイクルを維持するために経産省が推進してきた。
福島県の佐藤雄平知事(当時)は10年2月、プルサーマル実施の前に、国に耐震安全性の確認を求めた。保安院の森山善範審議官(当時)は同年3月24日、部下にこんなメールを送っている。
「耐震安全性の確認では、貞観の地震による津波評価が最大の不確定要素である旨、院長、次長、黒木(慎一)審議官に話しておきました」「福島は、敷地があまり高くなく、もともと津波に対しては注意が必要な地点だが、貞観の地震は敷地高を大きく超えるおそれがある」「貞観の地震について検討が進んでいる中で、はたして津波に対して評価せずにすむのかは疑問」
■開示請求「3年かかる」
森山審議官はメールについて検察にこう説明していたことが、19年に明らかになった。
「貞観地震について審議が活発化すれば、10年8月に予定していたプルサーマル実施までに審議が終了せず、プルサーマルを推進する立場の資源エネルギー庁などから非難される可能性がありました」
仙台高裁は、「喫緊の対策措置を講じなければならなくなる可能性を認識しながら、そうなった場合の影響の大きさを恐れるあまり、そのような試算自体を避け、あるいはそのような試算結果が公になることを避けようとしていたものと認めざるを得ない」と判断した。
かつて九州大学副学長を務め、事故調の委員だった故・吉岡斉氏は、こう話していた。
「他の政府審議会と同様、事故調は役人主導。事務局が用意した文案にもとづいて検討する」「霞が関官僚に対して甘い傾向がある。政府が設置することの問題点はここに現れた」
「加害者」である国の調査報告では、まだ隠されたままの事実もあるだろう。事故調が集めた文書リストの中から、疑わしい文書約60点の追加開示を7月に請求すると、「開示は3年後になる」と内閣府から通知がきた。「著しく大量である」「担当部局において、請求事案が多数ある」などの理由だった。
最高裁で決着がつくまで、不利な情報は隠し通すつもりなのだろうか。(ジャーナリスト・添田孝史)
※AERA 2020年10月12日号より抜粋
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[※ 関電金品受領問題と玄海町長への現金提供 (東京新聞 2020年01月23日)↑]
毎日新聞の記事【2012年3月11日 原発の町・佐賀県玄海町で開かれた「会」】(https://mainichi.jp/articles/20200311/k00/00m/040/078000c)の抜粋。
九電やらせメール事件や九電-玄海町ズブズブ関係その他について、2011年12月30日付の西日本新聞の2つの記事【【九電 九州考】(1)の1 やらせ後も「関係」不変】(https://www.nishinippon.co.jp/item/o/16371/)と、
【【九電 九電考】(1)の2 「全戸に100万円配れ」】(https://www.nishinippon.co.jp/item/o/16395/)。
《東日本大震災から1年となる2012年3月11日、九州電力 玄海原発が立地する佐賀県玄海町で、当時の町長を支援する有力者らの定例会が開かれていた。会が始まったのは震災発生時間(午後2時46分)に近い午後3時半。歴代の原発所長らの姿もあり、原発推進の資料も配られた。震災から1年のその日は日本全体が追悼ムードに包まれる中、原発の町で定例会はなぜ開かれたのだろうか》。
『●原発安全神話の「結果」と「未来」』
『●ババをつかまされた!?』
『●第二の突破口』
『●こうしてどんどんと原発廃止・脱原発の外堀が埋められていく』
『●原発関連交付金・固定資産税などで「財政豊かな」玄海町で、
3.11東京電力原発人災後初の町長選』
《■玄海町長選の顔ぶれ(届け出順)
岸本英雄 61 〈元〉県議 無現
中山敏夫 59 〈元〉町議 無新
山口徳信 63 飲食店経営 無新
◇
〈玄海町と原発マネー〉 町の今年度一般会計予算(歳入)
約100億円のうち、約7割を玄海原発関連の交付金や
固定資産税などが占める。町は、財政が豊かなため1995年度から
地方交付税交付金を受けない、全国でも数少ない自治体
(不交付団体)になっている…》
『●「豊かな玄海町」へ: 「原子力郷土の発展豊かな未来」
「原子力正しい理解で豊かな暮らし」』
「【再稼働積極派の現職が3選 佐賀・玄海町長選】…、
【佐賀)再稼働推進候補と「ツーツー」 県議会特委委員長】…
【玄海町長に岸本氏3選 原発論戦は低調】」
『●核発電所からの「死の灰」最終処分場をどうするのか?、
を今ごろ考えている「麻薬」中毒患者たちの無責任』
『●濁流…《塩浜工業…高浜をはじめ全国の原発で安全対策などの
工事を受注。玄海での実績は…確認できない》そうだけれど…』
「岸本英雄氏が3期務めたのち、2018年7月29日に脇山伸太郎氏が
玄海町長に…」
「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かな暮らし」を崇拝しているような「豊かな玄海町」、原発関連交付金・固定資産税などで「財政豊かな」玄海町、《国策の町》(毎日新聞)。3.11東京電力核発電人災に際しても、揺ぎ無い核発電信奉。あぁ、「心 夢みる アトムの町」玄海町。《仕込み質問》《やらせメール》など、何も体質の変わらない九州電力とズブズブ《ツーツー》でいいの?
そのわずか1年後、【2012年3月11日 原発の町・佐賀県玄海町で開かれた「会」】にて「明るい未来への道筋 原発興国論!」だったそうですよ。核発電「麻薬」中毒者の救いようのなさ。《それでも、九電と玄海町は変わらない。何事もなかったように-。》(西日本新聞)。
『●カマトト「九電原発再開賛成やらせメール事件」』
『●ババをつかまされた!?』
『●玄海原発プルサーマル賛成派質問者8人中7人が仕込みだった!』
『●九州電力指定の第三者委員会の報告を否定して、自社の立場を危うく?』
『●なめられたものだし、だらしのないマスコミ報道陣』
『●原発推進やらせ・仕込み: 誤誘導した事実をひっくり返す訳でもなし』
『●九電「原発やらせメ-ル事件」後日譚』
『●自公議員投票の大罪: 「九電元幹部は
「政治家側から支援を頼んでくるのが昔からの伝統」」』
『●核発電所「地元」としてマトモな反応…九州電力玄海原発
「再稼働反対は民意。市民の声を代弁している」』
先日の《九州電力玄海原発がある佐賀県玄海町の脇山伸太郎町長(63)が初当選直後の二〇一八年七月、福井県敦賀市の建設会社「塩浜工業」側から現金百万円を受け取っていたことが分かった》というニュースに接し、「核発電マネーの濁流の一端が垣間見えます。玄海町長への「お祝い金100万円」ですので、九州電力管内ということになります。九電は「クリーン」なイメージのままいれるでしょうかね?」…という感慨を抱きました。《核発電マネーの濁流の一端》は、東京電力核発電人災後も脈々と。
毎日新聞の記事【国策の町 玄海原発との半世紀 信念持ち、故郷守る闘い/佐賀】(https://mainichi.jp/articles/20200302/ddl/k41/040/127000c)によると、《「難しいよ、その答えは」。九州電力玄海原発が立地する玄海町で半世紀以上、反原発運動を続けてきた元住職の仲秋喜道(90)は珍しく返答に迷った。町長の脇山伸太郎(63)が福井県敦賀市の建設会社から現金100万円を受領し、記者会見で謝罪した翌日の1月24日。町役場1階ロビーで、「このような問題が起きる玄海町とはどういう町か」と尋ねた時だった。仲秋はすぐに続けた。「複雑怪奇な町ですよ。原発もそうだけど、分からないことだらけですよ。だって隠したり嘘(うそ)を言ったりするんだから、本当難しいですよ」》。
もう一つの記事【玄海町、新年度当初予算案 総額72億8500万円/佐賀】(https://mainichi.jp/articles/20200307/ddl/k41/010/225000c)によると、《玄海町は6日、総額72億8500万円の2020年度一般会計当初予算案を発表した。町内に立地する九州電力玄海原発で稼働に必要な安全対策などにより固定資産税収入が約30億円(前年度比約10億増)となる見通しで、一般会計の総額は19年度比13・6%増。歳入のうち電源立地地域対策交付金など原発関係が占める割合は約62%となる。予算案や条例案など29議案を9日開会の定例町議会に提出する。新規事業では、町内の薬草園で栽培する甘草などの商品を販売する「地域総合商社」を設立する設計費に約3700万円を計上した。20年度中には株式会社として商品販売を始めたいとしている》。
《九州最初の「原子の火」がともった1975年以来、玄海町に注がれた「原発マネー」は国の電源立地交付金だけで計265億円。さらに九電は独自にカネも人も費やし、地元対策に膨大なエネルギーを注いできた》(西日本新聞)。
『●自公議員投票の大罪: 「九電元幹部は「政治家側から
支援を頼んでくるのが昔からの伝統」」』
『●核発電は「金のなる巨大木」…《自民党の最近のルールは
「返せば問題ない」と、なかったことにできるというもの》』
「《還流》だけでなく、自民党やお維のセンセ方への「濁流」も、
各党で調べた方がよくはないのかな? 他の電力会社も、特に
九州電力は「クリーン」なのでしょうかね? ウルトラ差別主義者の
副首相と浅からぬ関係ですけど。
『●《稲田朋美…世耕弘成…安倍側近が…関電受注企業から献金…
証人喚問を含め、国会の場で徹底的に調査するほかない》』
『●「桜を見る会」税金接待というアベ様模倣犯・世耕弘成経産相
…関西電力〝濁流〟問題でも《関電受注企業から献金》』
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【https://mainichi.jp/articles/20200311/k00/00m/040/078000c】
2012年3月11日 原発の町・佐賀県玄海町で開かれた「会」
会員限定有料記事 毎日新聞 2020年3月11日 12時00分(最終更新 3月11日 12時13分)
(九州電力玄海原発=佐賀県玄海町で2016年11月6日、
本社ヘリから津村豊和撮影)
東日本大震災から1年となる2012年3月11日、九州電力 玄海原発が立地する佐賀県玄海町で、当時の町長を支援する有力者らの定例会が開かれていた。会が始まったのは震災発生時間(午後2時46分)に近い午後3時半。歴代の原発所長らの姿もあり、原発推進の資料も配られた。震災から1年のその日は日本全体が追悼ムードに包まれる中、原発の町で定例会はなぜ開かれたのだろうか。
2枚の写真がある。1枚目には、スーツ姿の男性18人が前後2列に並ぶ。10人並んだ後列の右から4人目には当時の玄海町長、岸本英雄さん(66)が笑顔を見せていた。後方の横断幕には「平成24年3月 11日会 第500回記念大会」と書かれている。写真は、岸本さんを父親の代から応援する町の有力者が毎月集う「11日会」が、500回目を迎えたことを記念する大会の様子だった。
写真は参加者のうちの一人から入手した。複数の出席者によると、記念大会は町民会館で午後3時半~同5時まで開かれたという。同じ日の午前中には元住職の仲秋喜道さん(90)らが参加した原発反対集会が町内であった。それとは対照的に、講演会などがあった記念大会には町の商工会や漁業、旅館関係者らが集まり「明るい未来への道筋 原発興国論!」と題する資料が配られたという。
「覚えていない」。岸本さんをはじめ、写真に写る県職員や歴代の玄海原発所長らは記念大会のことを聞くと口を閉ざ………。
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【https://www.nishinippon.co.jp/item/o/16371/】
【九電 九州考】(1)の1 やらせ後も「関係」不変
2012/7/4 2:02
(町内にさしかかる場所に立つ佐賀県玄海町の標識。
「心 夢みる アトムの町」とある)
窓から唐津湾に浮かぶ島々の明かりが見える。
佐賀県唐津市の海沿い、唐津城近くにある武家屋敷風の老舗割烹(かっぽう)。昼の会席料理でさえ5千円以上という高級店で開かれる忘年会に、今年もほぼ同じ顔触れが集まった。
「ご迷惑をおかけしております」
頭を下げたのは九州電力玄海原子力発電所の所長。目の前には、玄海町の岸本英雄町長らがいた。22日夜。九電の真部利応社長が辞任の意向を表明する4日前のことだ。
出席者は、九電側が玄海原発所長、次長ら幹部。玄海町側は町長、副町長のほか、町議のほぼ全員が顔をそろえた。
「(原発が)全部停止したら、ヒマになるやろ」「いやいや、忙しいんですよ」。そんな軽口が飛ぶ。2階の座敷には、玄界灘の海の幸をふんだんに使った和食や酒が運ばれた。
支払いについて出席した町議の一人は「九電持ちだった」。町幹部は取材に「自分はよく分からない」と言葉を濁した。
東北地方を大地震と大津波が襲い、福島第1原発事故が起きた。九州では「やらせメール」問題が発覚し、原発再稼働の是非を判断する立地先自治体と、電力会社の「不透明な関係」が列島中から痛烈に批判された。
それでも、九電と玄海町は変わらない。何事もなかったように-。町幹部は淡々と話した。「意見交換は大事だし、毎年恒例ですから」
九州最初の「原子の火」がともった1975年以来、玄海町に注がれた「原発マネー」は国の電源立地交付金だけで計265億円。さらに九電は独自にカネも人も費やし、地元対策に膨大なエネルギーを注いできた。
その「原点」は30年ほど前にさかのぼる。
玄海原発に3、4号機を増設したい-。78年末、九電は佐賀県と玄海町に正式に申し入れた。
出稼ぎ者が年間500人に上り、「陸の孤島」とも呼ばれた玄海町にとって原発は地域浮揚の切り札だった。だが79年の米スリーマイルアイランド原発事故を機に一気に空気が変わる。反対する農協青年部を中心に町を二分する町長リコール運動に発展し、九電は「一大危機に立たされた」(『九州電力三十年史』より)。
反対派が集めた署名は29人分足りず、リコールは不発に終わる。が、九電の永倉三郎社長(当時)は「一から出直す」と宣言したという。
リコールに署名した農業男性は思い返す。「あの反対運動が転機。九電は、町のすみずみまで目配りが必要と感じたんじゃないか」
そのころについて取材するうちに、驚くべき事実を語る町幹部に出会った。反対運動を抑えるために、地権者や漁業者への補償とは別に、全世帯にくまなく100万円をばらまく-。そんな計画が画策されたというのだ。「当時の町長と九電が相談して決めた話です」と町幹部は証言する。
「1戸100万円ずつもらえるらしか」「よかったねぇ」-。80年代初頭、20代だった町民の男性は、そんな会話が交わされたのを覚えている。「九電のカネという意識はなかったけどね」
* *
地域に独占的に電気を供給し、九州経済に大きな力を振るってきた九州電力が、やらせ問題で揺れている。九電、そして九州は今後、どう変わるべきなのか考える。
=2011/12/30付 西日本新聞朝刊=
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【https://www.nishinippon.co.jp/item/o/16395/】
【九電 九電考】(1)の2 「全戸に100万円配れ」
2012/7/3 20:44
(玄海原発にほど近い値賀神社。本堂そばの改築記念碑には
無病息災、家内安全と並び、「原発の安定安全運転を願い」
と記されている 佐賀県玄海町)
全世帯に100万円ずつ配る-。1970年代末、動きだした九州電力玄海原子力発電所の3、4号機増設計画をめぐり、佐賀県玄海町内の反対運動を封じるために浮上した前代未聞のもくろみは、実現はしなかった。「町民に直接配ると7割以上が税金にとられる。それでは町民に実益がないから」(町幹部)という理由からだった。
九電は代わりに、町に計30億円を寄付する。83年に20億円、84年に10億円。町はこのうち町役場建設費10億円などを除いた17億円を基金に積み立てた。1戸100万円換算で26の自治会に割り振り、今も公民館建設や自治会費に使われている。
反対運動という洗礼を浴びた九電は震災後も、地元対策に余念がない。
10月16日午後、玄海原発に近い値賀神社の境内にカラオケの歌声が響いた。約200人が集まった例祭に、発電所幹部ら九電社員の姿もあった。
「九電の方から『参加させてくれ』と言ってきて以来、春秋の祭りには必ず来る」(地区の住民)。宮司が唱える祝詞には「原発の安全祈願」も含まれている。社員は午前中の神事から参加。境内にござを敷いて行われた宴会では、酔った社員が立ちあがって踊った。
今春、町議の一人は知人から就職先について相談を受け、九電社員に電話をかけた。「履歴書を用意してください」。社員はほどなく書類を受け取りに現れた。試験を受けた上、知人が希望した九電のグループ会社の内定が出た。
「現場の社員は一生懸命だ」。多くの町民が話す。
それでも九電は警戒を緩めていない。
地元対策に関わってきた九電社員は、地元の飲み屋に通う。社名は明かさず、カウンターで隣り合った客と雑談する。「欲しいのは情報。議員の背後に誰がいるか、地域の人間関係はどうか…」
玄海原発が仮に来年再稼働すれば、2014年にも、使用済み燃料の貯蔵量が満杯になる。九電にとって中間貯蔵施設の確保は喫緊の課題だ。昨春、真部利応社長は「今後1、2年後には方向性を出す」と述べている。
福島第1原発事故で、立地自治体が危険にさらされる様を目の当たりにした。町内に「原発は怖い」という声がないわけではない。だが、町幹部は「中間貯蔵施設は『貸倉庫』みたいなもの。いずれ時期が来れば…」と将来の誘致をほのめかす。
震災後も、揺るぎない九電と地域の関係。それは九電が長年の地元対策で築き上げた「成果」なのだろう。しかし、過信もにじむ。やらせ問題とその後の迷走は、自分たちは大抵のことをやっても、地域はきっと理解してくれるというおごりが招いたのではないか。
盤石に見える九電と地域にほころびも透ける。
2005年末。佐賀県唐津市のホテルでプルサーマルに関する討論会が開かれた。玄海原発の関連会社に勤めていた町民男性は、顔なじみの九電社員が挙手し、素人のような顔で「仕込み質問」するのを目の前で見た。
当時は「サクラや」と笑って済ませた。その後やらせメールまで発覚し、けじめをつけられない経営陣を見せつけられた今は違う。「ごまかしはいかん。やっぱ九電は変わってもらわな」
=2011/12/30付 西日本新聞朝刊=
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[※ 関電金品受領問題と玄海町長への現金提供 (東京新聞 2020年01月23日)↑]
東京新聞の記事【玄海町長へ100万円 高浜町元助役の関係企業】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202001/CK2020012302000143.html)。
日刊ゲンダイの記事【佐賀・玄海町長が謝罪 敦賀市の建設会社から100万円受領で】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/268074)
《九州電力玄海原発がある佐賀県玄海町の脇山伸太郎町長(63)が初当選直後の二〇一八年七月、福井県敦賀市の建設会社「塩浜工業」側から現金百万円を受け取っていたことが分かった》。
《九州電力玄海原発が立地する佐賀県玄海町の脇山伸太郎町長が福井県敦賀市の建設会社から当選祝いとして現金約100万円を受け取っていた問題で、脇山町長は23日、記者会見し「ご迷惑をかけたことを深く反省し、おわびしたい」と謝罪した》。
『●原発安全神話の「結果」と「未来」』
『●ババをつかまされた!?』
『●第二の突破口』
『●こうしてどんどんと原発廃止・脱原発の外堀が埋められていく』
『●原発関連交付金・固定資産税などで「財政豊かな」玄海町で、
3.11東京電力原発人災後初の町長選』
《■玄海町長選の顔ぶれ(届け出順)
岸本英雄 61 〈元〉県議 無現
中山敏夫 59 〈元〉町議 無新
山口徳信 63 飲食店経営 無新
◇
〈玄海町と原発マネー〉 町の今年度一般会計予算(歳入)
約100億円のうち、約7割を玄海原発関連の交付金や
固定資産税などが占める。町は、財政が豊かなため1995年度から
地方交付税交付金を受けない、全国でも数少ない自治体
(不交付団体)になっている…》
『●「豊かな玄海町」へ: 「原子力郷土の発展豊かな未来」
「原子力正しい理解で豊かな暮らし」』
「【再稼働積極派の現職が3選 佐賀・玄海町長選】…、
【佐賀)再稼働推進候補と「ツーツー」 県議会特委委員長】…
【玄海町長に岸本氏3選 原発論戦は低調】」
『●核発電所からの「死の灰」最終処分場をどうするのか?、
を今ごろ考えている「麻薬」中毒患者たちの無責任』
岸本英雄氏が3期務めたのち、2018年7月29日に脇山伸太郎氏が玄海町長に(https://go2senkyo.com/local/senkyo/17084)。
[元福井県高浜町助役から関西電力側への資金提供のイメージ (東京新聞2019年9月27日)↑]
核発電マネーの濁流の一端が垣間見えます。玄海町長への「お祝い金100万円」ですので、九州電力管内ということになります。九電は「クリーン」なイメージのままいれるでしょうかね?
『●自公議員投票の大罪: 「九電元幹部は「政治家側から
支援を頼んでくるのが昔からの伝統」」』
『●核発電は「金のなる巨大木」…《自民党の最近のルールは
「返せば問題ない」と、なかったことにできるというもの》』
「《還流》だけでなく、自民党やお維のセンセ方への「濁流」も、
各党で調べた方がよくはないのかな? 他の電力会社も、特に
九州電力は「クリーン」なのでしょうかね? ウルトラ差別主義者の
副首相と浅からぬ関係ですけど。
『●《稲田朋美…世耕弘成…安倍側近が…関電受注企業から献金…
証人喚問を含め、国会の場で徹底的に調査するほかない》』
『●「桜を見る会」税金接待というアベ様模倣犯・世耕弘成経産相
…関西電力〝濁流〟問題でも《関電受注企業から献金》』
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202001/CK2020012302000143.html】
玄海町長へ100万円 高浜町元助役の関係企業
2020年1月23日 朝刊
《関電金品受領問題と玄海町長への現金提供》
【https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202001/images/PK2020012302100051_size0.jpg】
九州電力玄海原発がある佐賀県玄海町の脇山伸太郎町長(63)が初当選直後の二〇一八年七月、福井県敦賀市の建設会社「塩浜工業」側から現金百万円を受け取っていたことが分かった。塩浜工業は、原発立地自治体のトップは電力会社に影響力を持つと考え、原発関連工事受注への便宜を期待した可能性がある。原発利権を巡る不適切な資金のやりとりがまた明らかになった。
脇山氏は共同通信の取材に現金受領を認め、「ずっと返すつもりでいた。便宜は図っていない」と釈明。昨年十二月以降になって返還できたとし、進退については後援会などと相談する必要があると述べた。二十三日に記者会見し、一連の経緯を改めて説明する見通し。
塩浜工業は、関西電力役員らに金品を贈っていた福井県高浜町の元助役森山栄治氏(一九年三月に九十歳で死亡)に顧問料として毎月五十万円などを支払っていたことが既に判明。脇山氏への現金提供については「(当時担当だったとされる)専務が亡くなっているため、事実関係を把握できない」とコメントした。
脇山氏によると、町長選で初当選した二日後の一八年七月三十一日、自宅を訪ねてきた塩浜工業の関係者から「当選祝い」として、のし袋に入った現金百万円を受け取った。いったんは「要りません」と拒否したが、相手は玄関にのし袋を置いて帰ったという。
返金を検討していたが、業務が多忙で実現せず、自宅の金庫に保管し続けたと釈明。返還した際も、のし袋に入った状態だったとしている。
政治資金規正法は、政党以外が企業・団体献金を受け取ることを禁じており、法人として塩浜工業が百万円を支出していれば、抵触する恐れがある。同社の役員や社員の個人献金であっても、脇山氏が代表を務める政治団体の収支報告書に記載はなく、違法性を問われる可能性がある。
一方、原発関連工事の発注権限自体は九電にあるため、職務に関して賄賂を受け取った場合に適用される収賄罪の成立は難しいとみられる。
脇山氏は玄海町議を経て、一八年八月に町長に就任した。
塩浜工業は一九五五年創業。工事経歴書などによると、高浜をはじめ全国の原発で安全対策などの工事を受注。玄海での実績は、閲覧できる範囲の経歴書では確認できない。
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【https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/268074】
佐賀・玄海町長が謝罪 敦賀市の建設会社から100万円受領で
2020/01/24 14:50
(現金受領を認め、記者会見する佐賀県玄海町の
脇山伸太郎町長(C)共同通信社)
九州電力玄海原発が立地する佐賀県玄海町の脇山伸太郎町長が福井県敦賀市の建設会社から当選祝いとして現金約100万円を受け取っていた問題で、脇山町長は23日、記者会見し「ご迷惑をかけたことを深く反省し、おわびしたい」と謝罪した。
同町長によると、仲介した男性とは町長就任後の2018年12月ごろ知り合い、地元開発プロジェクトの紹介などを受けていた。だが、関西電力幹部らの金品受領問題発覚後、19年12月中旬に現金をこの男性に託して建設会社側に返却。同月下旬に、この男性は死亡したという。
同町長は建設会社に関して「町の業者として扱ったことはなく、九州電力との間を取り持ったことも全くない」と便宜を否定した。
一方、建設会社側によると、玄海原発の工事を請け負った経験もあるが、近年はないという。
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東京新聞の山田祐一郎記者の記事【大田区「政治的」一部除外求める 原発事故 復興写真展】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018101902000128.html)。
《東京都大田区の施設で開催予定の写真展で、区側が主催者に、作品の一部が「政治的」だとして展示を除外するよう求めていたことがわかった。フォトジャーナリストの豊田直巳さん(62)が福島県内で撮った原発事故被害を描く写真展で、豊田さんはすべての作品の展示を求めている》。
《豊田さんは「作品一点だけを取り上げて駄目だとする判断そのものが政治的で、表現の自由や文化を破壊する行為だ」…作品に写っていたのは、小学生の時に標語を考えた茨城県古河市の大沼勇治さん(42)。作品が拒否されたことに「原発事故を風化させたくないと思っての行動。その写真のどこが『政治的』なのか」と嘆いた》。
『●内部被爆がもっと語られるべき』
《【福島原発】フォトジャーナリストが緊急現地報告
投稿者: ourplanet 投稿日時: 土, 03/19/2011 - 11:45 …
ビジュアルジャーナリスト協会のメンバーら6人が取材チームを結成し、
東北・関東大震災直後の3月13日、福島第一原子力発電所のある
福島県双葉町へ取材に入った。東京に戻ったばかりのメンバーに話を聞く》
『●ある原発労働者のつぶやき』
《『10年後ガンだな』 …TBS系列「報道特集」で、地震発生2日後
(3月13日)に入った福島県双葉町の映像が放送されます。
…日本ビジュアル・ジャーナリスト協会会員(森住卓、豊田直巳、
山本宗補、野田雅也、綿井健陽)と広河隆一・DAYSJAPAN編集長が
取材しました》
『●「安倍晋三首相の本音」
『週刊金曜日』(2013年5月31日、945号)についてのつぶやき』
「豊田直巳さん【経産省前テント村で起きている新しい文化を守れ
土地明け渡し訴訟はスラップ訴訟だ】。原発スラップ
(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/d9269ad04e51c0851121ebcdf51bd983)の第2弾」
『●広河隆一さん『DAYS JAPAN』の編集長公募』
「個人的には、綿井健陽さんか安田純平さん、長倉洋海さん、
豊田直巳さん、森住卓さんが良いな。さて、どんな新編集長だろう、
楽しみだ」
『●自公議員や原子力「推進」「寄生」委員会委員らは
「闘うみんな」ではないようだ』
《東京電力福島第一原発の事故から間もなく三年。福島県飯舘村の
村民を追ったドキュメンタリー映画「遺言 原発さえなければ」が、
八日から東京都内で上映される。一般向けの公開は初めて。ともに
報道写真家の豊田直巳さんと野田雅也さんが撮影、監督し、
高濃度の放射能汚染で故郷を奪われた人々の絶望や苦悩、そして
再起への歩みを記録した。村民の姿は「事故はまだ終わっていない」
と訴えかけてくる》
『●核発電《ゼロへ》でなければならない…
「心に刻まれたのは「あまりにも罪深い」という強い痛みだった」』
《豊田直巳さん…豊かだったふるさとを失った村人の苦悩、それでも
ふるさとを愛し、懸命に生きる村人の希望である》。
《東日本大震災から七年。原発事故の現場、時間が止まったままの
帰還困難区域を取材して心に刻まれたのは「あまりにも罪深い」
という強い痛みだった》
猫や犬の肉球さへも「政治的」と言われる日も近いね、きっと。
大沼 「少年」の言う《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》を消し去っておきながら…、何が《政治的》か。アベ様や経産省、電力会社といった核発電「麻薬」中毒者達に、そこまで忖度して恥ずかしくないのか。故郷を追われた人々の哀しみや慟哭、叫び声は聞こえないのか?
年末にあたり、今年も、東京電力核発電人災について、誰か一人でも責任を取ったのか? 原状回復して見せたか?
『●福島県双葉町「原子力明るい未来のエネルギー」
・・・・・・いま、その〝少年〟は?』
『●消えゆく「事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの」
~「原子力 破滅 未来のエネルギー」~』
『●東京電力原発人災4年目のアベ様の酷い記者会見:
情報公開、信頼関係、オンカロ、将来的、自立、除染』
『●原発PR看板撤去=「間違った過去と向き合わない行為」
・・・「人間の愚かさ」にさらなる恥の上塗り』
『●双葉町長「(原発PR看板)復興した時に
あらためて復元、展示したい」…それは『X年後』の何年後?』
『●「故郷の川に身を投げたい衝動に駆られた」
「早く浪江に帰りたい」…「原状回復」することも無く…』
《全町避難が続く福島県双葉町で昨年末始まった「原子力広報塔」の
撤去工事が4日、完了…原発PR標語の看板の一部を業者が細断。
標語考案者の1人の大沼勇治さん(39)が「復元できない」と抗議し、
工事は工法変更の検討などで中断していた》
「双葉町で、《「原子力明るい未来のエネルギー」
「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表裏に記された看板1枚の撤去を
開始》していたわけですが、ついに撤去。「愚」の一言…双葉町長の言う
《復興した時にあらためて復元、展示》は東電原発人災の何年後?
「麻薬」中毒患者にとって目の上のタンコブ、目障りな看板を取り去り
はずせて、せいせいしているのでしょう。標語の作者である大沼勇治
「少年」の言う《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》を
この世から〝消し去った〟わけです。愚かです」
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018101902000128.html】
大田区「政治的」一部除外求める 原発事故 復興写真展
2018年10月19日 朝刊
(展示作品から外すよう求められた作品=豊田直巳さん提供)
東京都大田区の施設で開催予定の写真展で、区側が主催者に、作品の一部が「政治的」だとして展示を除外するよう求めていたことがわかった。フォトジャーナリストの豊田直巳さん(62)が福島県内で撮った原発事故被害を描く写真展で、豊田さんはすべての作品の展示を求めている。 (山田祐一郎)
問題となったのは、二十六日から区立男女平等推進センター「エセナおおた」で始まる豊田さんの写真展「叫びと囁き フクシマの七年間~尊厳の記録と記憶」。約四十点の展示を予定する。主催する市民団体「大田ネットワーク」によると、区は展示を許可する条件として、福島県双葉町の標語「原子力明るい未来のエネルギー」が書かれた看板の前で、防護服姿の二人が「撤去が復興?」などのパネルを持った作品を除くよう求めたという。
施設を管理する区人権・男女平等推進課は、作品の展示を拒んだことを認め、「作品が若干、政治的だと感じた」と説明する。施設は利用条件で、展示できないものとして営利目的や政治活動、宗教活動を表現したものを定めているためという。
豊田さんは「作品一点だけを取り上げて駄目だとする判断そのものが政治的で、表現の自由や文化を破壊する行為だ」と話し、区側の対応を批判。予定していた全作品の展示を求めてきた。本紙の取材に、同課の担当者は「今後直接、豊田さんの思いを確認した上で、すべての作品を展示できるようにしたい」との考えを明らかにした。
作品に写っていたのは、小学生の時に標語を考えた茨城県古河市の大沼勇治さん(42)。作品が拒否されたことに「原発事故を風化させたくないと思っての行動。その写真のどこが『政治的』なのか」と嘆いた。
市民の表現の自由などに詳しい武蔵野美術大の志田陽子教授(憲法)は「公共の施設側が市民の表現に立ち入らずに場を提供するのが本当の意味での中立性。展示を認めるのは正しい判断だ」と話した。
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videonews.comの記事【東日本大震災6年後もなお山積する課題/ゲスト 室崎益輝氏(神戸大学名誉教授)/マル激トーク・オン・ディマンド 第830回(2017年3月4日)】(http://www.videonews.com/marugeki-talk/830/)。
《阪神大震災の被災者でもあり、防災の専門家でもある室崎氏は、復興を考える際に大事な視点として、4つの「生」を指摘する。「生命」、「生活」、「生業」、「生態」の4つである。その観点から見た時に、復興は順調と言えるのだろうか。…その土地で暮らし、生業を営み、自然の恩恵を受けながら暮らしてきた人たちが、元の生活に戻れた時、初めて復興は成就する。4つの「生」のどれかが欠けたままでは、真の復興とはならない》
『●お見舞い申し上げます・・・』
『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う』
『●3.11東京原発人災から2年が過ぎて』
『●「福島原発事故の今」
『週刊金曜日』(2014年3月7日号、982号)について』
『●3.11東京電力原発人災から4年:
虚しき「地球にやさしいエネルギー原子力 人にやさしい大熊町」』
『●東電核発電人災から5年: 「今や世界の笑い者…
政権批判をいとわないキャスターの首を差し出した」』
東京電力核発電人災から6年。
記事に指摘されている《4つの「生」》…《「生命」、「生活」、「生業」、「生態」の4つ》…共感し、感心しました。ただ、核発電人災においては、これら《4つの「生」》のどれ一つとしても《復興の成就》は無理ではないか?、と改めて感じています。どれか一つでも「原状回復」できたでしょうか? なのに、なのに、電力会社や原子力「ムラ寄生」委員会、自公議員等々の核発電「麻薬」中毒患者達は、一体、何をやっているのでしょうか? 核発電再稼働、核発電輸出…東京電力核発電人災の教訓が全く活かされていない6年間。
『●東京電力原発人災で失われた内在的価値』
『●「国家と教育」『週刊金曜日』
(2013年3月22日、936号)についてのつぶやき』
「平田剛士氏【福島の森と海は今 第5回最終回/「福島の幸」を
取り戻すまで】、「生物界の24の重要機能」、生態系サービスの変化。
11の供給サービス、10の調整サービス、3つの文化サービス。
内在的価値(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/ba81cad971a91108269e4a1ba8870cf7)」
『●柏崎刈羽原発再稼働を画策するような東電は
十分に責任を果たしたのか?』
『●「極右化する欧州」 『週刊金曜日』
(2014年6月27日、997号)についてのつぶやき』
「野中大樹氏【原発事故から3年 喪失した「国富」 福島の実相を歩く】、
「東電の所業は「犯罪」だ……宅地を除染しても、1週間もすれば
数値は元に戻ってしまう……アリバイづくりのようなものです……
あらゆる生物の〝権利〟」。内在的価値
(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/ba81cad971a91108269e4a1ba8870cf7)」
『●「糸島ブランド」が泣いている: 安全神話に乗っていて
「原子力正しい理解で豊かな暮らし」なのか?』
『●「それは風評でなくて現実だ」: 東電核発電人災の
「大地を受け継い」だ人々の葛藤、引き裂かれた心』
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【http://www.videonews.com/marugeki-talk/830/】
2017年3月4日
東日本大震災6年後もなお山積する課題
ゲスト 室崎益輝氏(神戸大学名誉教授)
番組名 マル激トーク・オン・ディマンド 第830回(2017年3月4日)
マル激では震災から6年目を迎える3月4日、11日に、2週続けて東日本大震災と福島第一原発事故をテーマに番組をお送りする。
1回目は日本災害復興学会の初代会長を務めた室崎益輝・神戸大学名誉教授に、復興の現状課題を聞いた。
マル激では東日本大震災からの復興の成否が、今の日本の民主主義国家としての実力のバロメーターになると指摘してきた。 そして震災から6年。政府は復興は順調に進んでいると主張するが、実際は多くの課題が残されたままだ。
いまだに10万人近い被災者が、仮設住宅やみなし仮設住宅で暮らすことを余儀なくされている。大規模な堤防の建設や高台への移転などに遅れが生じているからだ。原発事故の影響で強制的に避難させられた人々の帰還も進んでいない。去年、避難指示が解除された市町村でも、帰還した人の割合は葛尾村で8.0%、南相馬市小高区が13.6%と、帰還が順調に進んでいるとは言い難い状況だ。
阪神大震災の被災者でもあり、防災の専門家でもある室崎氏は、復興を考える際に大事な視点として、4つの「生」を指摘する。「生命」、「生活」、「生業」、「生態」の4つである。
その観点から見た時に、復興は順調と言えるのだろうか。震災直後、一刻も早い復興を目指そうと、しきりとスピード感が強調されたが、逆にそれが復興の足をひっぱったかもしれないと室崎氏は話す。4つの「生」を実現するためには、移転や工事などを拙速に進めるだけでなく、どんな町作りを目指すべきかを行政と住民がじっくりと議論し、考える時間が必要だったのではないかというのだ。
その土地で暮らし、生業を営み、自然の恩恵を受けながら暮らしてきた人たちが、元の生活に戻れた時、初めて復興は成就する。4つの「生」のどれかが欠けたままでは、真の復興とはならない。
無論、最初から理想的状況はそう簡単には実現しないだろう。しかし、順調か失敗の二項対立ではなく、復興を息の長いプロセスと捉え、理想に近づけていくために今からでもできることは何かを考え、少しずつでも状況を改善していく姿勢が、真の復興には不可欠となる。
これは東北だけの問題ではない。日本全体の問題であり、日本の民主主義の質が問われる問題でもある。月日が経つにつれ、われわれは被災地の惨状を見て見ぬふりをして、切り捨てるつもりなのだろうか。震災から6年、復興の現状と課題について、室崎氏とともに社会学者・宮台真司とジャーナリスト迫田朋子が議論した。
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アサヒコムの岩波精・原口晋也両記者によるインタビュー記事【伊万里市長「再稼働反対は民意」 九電に不信感示す】(http://www.asahi.com/articles/ASJDW5GN6JDWTIPE01P.html?iref=comtop_favorite_02)。
《九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働に反対する佐賀県伊万里市の塚部芳和市長…東日本大震災後も変わらない電力会社の体質、原発抜きでも経済や生活に大きな影響がない現実などを挙げ、「再稼働反対は民意。市民の声を代弁している」と話す。原発周辺自治体の首長が「反対」を明言するのは異例だ》。
『●新高速炉「アベシンゾウ」…愚かな核発電「麻薬」中毒患者・
核燃サイクル教信者の罪を後世に残すために』
『●TPP公約とその強行採決、「息吐く様に噓つく」アベ様
…室井佑月さん「この方、ヤバいのではないか?」』
『●被ばくの犠牲なくして成り立たない核発電所の
再稼働や輸出を推進することは核発電「麻薬」中毒』
『●新高速炉「アベシンゾウ」…愚かな核発電「麻薬」中毒患者・
核燃サイクル教信者の罪を後世に残すために』
『●東京新聞社説「核燃料サイクルを断念すれば、
使用済み核燃料は、ただのごみ」…閉じるはずの無い環』
『●室井佑月さん「安倍政権の掲げる成長戦略は…
他人の不幸や不運を踏み台にしたものばかり。ろくでもない」』
核発電所の「地元」として大変にマトモな反応。伊万里市長は、九州電力玄海原発の「再稼働反対は民意。市民の声を代弁している」と主張。東電核発電所人災の教訓は、日本中が「地元」。アベ様を筆頭に、核発電「麻薬」中毒患者達が日本を滅ぼす。
『●カマトト「九電原発再開賛成やらせメール事件」』
『●ババをつかまされた!?』
『●玄海原発プルサーマル賛成派質問者8人中7人が仕込みだった!』
『●九州電力指定の第三者委員会の報告を否定して、自社の立場を危うく?』
『●なめられたものだし、だらしのないマスコミ報道陣』
『●原発推進やらせ・仕込み: 誤誘導した事実をひっくり返す訳でもなし』
『●九電「原発やらせメ-ル事件」後日譚』
『●自公議員投票の大罪: 「九電元幹部は
「政治家側から支援を頼んでくるのが昔からの伝統」」』
『●東京電力原発人災での「想定不適当事故」を
想定しなかった教訓が全く活かされていない』
『●火山の巨大噴火時の緊急核燃料輸送に
何時間、何日間? 答えは「2年以上」!』
『●原発関連交付金・固定資産税などで「財政豊かな」玄海町で、
3.11東京電力原発人災後初の町長選』
『●「糸島ブランド」が泣いている: 安全神話に乗っていて
「原子力正しい理解で豊かな暮らし」なのか?』
『●「豊かな玄海町」へ:
「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力正しい理解で豊かな暮らし」』
『●玄海原発「MOXの安全性の立証」はできたのか!?
「プルトニウムは飲んでも大丈夫」だから??』
『●「電力会社と共同での原発PRに、中立性を疑う指摘も」
…「ツーツー」で「ズブズブ」』
『●核発電所からの「死の灰」最終処分場をどうするのか?、
を今ごろ考えている「麻薬」中毒患者たちの無責任』
『●東電核発電人災…5年8カ月の忘れたころの余震=
何度「警告」を受けても再稼働を「合理的」に推進の狂気』
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【http://www.asahi.com/articles/ASJDW5GN6JDWTIPE01P.html?iref=comtop_favorite_02】
伊万里市長「再稼働反対は民意」 九電に不信感示す
岩波精、原口晋也 2017年1月3日05時02分
(インタビューに応じる佐賀県伊万里市の塚部芳和市長)
九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働に反対する佐賀県伊万里市の塚部芳和市長が朝日新聞のインタビューに応じ、その理由を語った。東日本大震災後も変わらない電力会社の体質、原発抜きでも経済や生活に大きな影響がない現実などを挙げ、「再稼働反対は民意。市民の声を代弁している」と話す。原発周辺自治体の首長が「反対」を明言するのは異例だ。
伊万里市はほぼ全域が玄海原発の30キロ圏に入る。東日本大震災を受け、塚部市長は再稼働に慎重な言動を繰り返してきたが、「反対」には言及しなかった。反対を明確にしたのは、昨年7月の記者会見で「再稼働は認められない」と言い切ってから。きっかけの一つは九電への不信感だったという。
「九電は震災前から意識を変えようとしていない。
福島第一原発で広範囲に被害が及んだから、
トップの意識も変わっていくかと思ったが、
全然変わらない。『これは何だ』と思った」
事故が起きれば立地自治体と同じように被害が及ぶとして、伊万里市は事前了解の取り決めがある立地自治体並みの安全協定を求め、2013年8月から九電と30回以上個別交渉を重ねてきた。だが九電は「先例がない」の一点張り。昨年2月に事前了解なしの協定を結び、事前了解権を持つ県と「伊万里市の意向に十分配慮する」との覚書を交わすことで折り合った。
この決着について「不満も残っている。九電は安全性に自信があるなら堂々と立地自治体並みの協定を結べばいい」と振り返った。
塚部市長は市職員から市建設部…
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日刊ゲンダイの記事【早朝の列島に悪夢再び…福島第2核燃料冷却装置が一時停止】(http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/194414)。
『LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の記事【福島沖でまた…この地震大国で原発を次々再稼働する安倍政権と規制委は正気なのか? 玄海原発でも耐震性不足が】(http://lite-ra.com/2016/11/post-2718.html)。
《東日本大震災の悪夢が脳裏をよぎった。22日午前5時59分ごろ、福島県沖を震源とするマグニチュード7.4の地震が発生。福島、茨城、栃木3県で震度5弱を観測した強い揺れにより、福島第2原発が緊急事態に陥った》。
《“まさか”という事態は現実に起きるのだ。そして、そうなれば、福島第一原発の事故と同じような原発の重大事故が起きることも十分ありうる。実際、福島第一原発の事故要因はいまだ解明されておらず、事故当時の福島第一原発所長の故・吉田昌郎氏の調書からも東日本壊滅の危機を免れたのはたまたまの幸運に過ぎなかったことが明らかになっているのだ》。
『●東京電力人災時のベントと住民避難、
そして、いま「彼ら」はなぜ反対の声をあげないのか?』
『●『朝日』潰しに夢中: 原発再稼働や輸出を進めるアベ様には
「制御を失った原発の実相」が見えていない』
『●「吉田氏の肉声を記録した調書」:
『朝日』の「誤報」を叩くだけでいいのか?』
『●「仏様のおかげ」はもう期待しない方がいい:
高浜原発、「このゴジラが最後の一匹だとは思えない」』
3.11東京電力原発人災の悪夢、再びか?、とヒヤリとしました。福島第2原発の「使用済み核燃料貯蔵量1120トン」のようです(『●志賀原発訴訟第二ラウンド: 裁判所は信頼を回復できるか?』)。
『●「豊かな玄海町」へ:
「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力正しい理解で豊かな暮らし」』
その冷や汗も引かぬ間に…。同日午前中…。
福島沖の大地震で大騒ぎしている最中、核発電「麻薬」中毒者達ときたら…「原子力正しい理解で豊かな暮らし」という狂気です。
東京新聞の記事【玄海原発の避難計画策定 政府や佐賀県「合理的」】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016112201001514.html)を見て呆れました。《政府と佐賀、長崎、福岡の3県は22日、都内で会合を開き、九州電力が再稼働を目指す玄海原発(佐賀県玄海町)の周辺自治体の避難計画を議論、「合理的」として取りまとめた。事実上、再稼働手続きの一環で、政府の原子力防災会議(議長・安倍晋三首相)が近く了承する》。
《合理的》!? アベ様議長の原子力防災会議は、一体、どこをどう議論すると、そのような合理的な「結論」に到達できる、「了承」できるでしょうか?
「地元」民の皆さん、「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かな暮らし」の教訓を、本当に忘れてしまっていいのですか?
3.11東京電力核発電人災から5年8カ月。忘れたころの余震は何度めの「警告」でしょうか。それでも、アベ様らは核発電再稼働を「合理的」に推進し、輸出までしたい、ということです。狂気。「麻薬」中毒、ビョーキ。
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【http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/194414】
早朝の列島に悪夢再び…福島第2核燃料冷却装置が一時停止
2016年11月22日
(写真はイメージ(福島第1原発4号機の
使用済み燃料プール、東京電力提供))
東日本大震災の悪夢が脳裏をよぎった。22日午前5時59分ごろ、福島県沖を震源とするマグニチュード7.4の地震が発生。福島、茨城、栃木3県で震度5弱を観測した強い揺れにより、福島第2原発が緊急事態に陥った。
原子力規制庁によると、午前6時10分ごろ、福島第2原発3号機の使用済み核燃料プールの冷却装置が自動停止し、核燃料を冷やす水の循環ができない状態となった。
3号機の使用済み核燃料プールには2544本の核燃料が貯蔵されており、うち184本が新燃料。停止当時のプールの水温は28.7度で、1時間に0.2度ずつ上がると予想され、運転上の制限値である65度に達するまでには1週間程度の余裕があった。
核燃料の発熱量が少なかったため、すぐさま危険な状態には至らなかったが、午前7時47分に冷却用のポンプが再起動し、冷却が再開されるまで実に1時間半にわたって現場には緊張が走った。NHKが津波への警戒のため、「東日本大震災を思い出してください!」と避難を促すアナウンスを連呼する中、あの大惨事を思い出した方も多かったことだろう。
福島第1原発には現時点で新たな異常はない。宮城県の女川原発、運転を停止している茨城県の東海第2原発でも異常は確認されていない。
■仙台港 1メートル超え津波
福島県などで震度5弱を観測した地震は、太平洋沿岸に1メートル超えの津波をもたらした。
気象庁は福島と宮城両県の太平洋岸に津波警報を発令。6時49分にいわき市小名浜で60センチの津波を観測後、広い範囲で津波を観測。最大観測は仙台港の140センチ(8時3分)、次いで相馬港の90センチ(7時6分)、石巻市鮎川の80センチ(7時39分)、久慈港の80センチ(7時54分)。関東でも、茨城県大洗で50センチ(7時8分)、千葉県の内房で30センチ(7時10分)、八丈島で30センチ(7時22分)の津波を観測している。同庁は、震源は東日本大震災の余震域内だが、プレート境界ではなく陸側プレート内で起きた正断層型地震と発表している。
都内では、千代田区、中央区、新宿区、渋谷区など広い範囲で震度3を観測した。
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【http://lite-ra.com/2016/11/post-2718.html】
福島沖でまた…この地震大国で原発を次々再稼働する安倍政権と規制委は正気なのか? 玄海原発でも耐震性不足が
原発 編集部 2016.11.22
(九州電力公式サイト玄海原子力発電所ページより)
本日早朝、福島県沖を震源とするM7.4の地震が発生。東日本沿岸に津波がおしよせる事態となった。東日本大震災から5年しか経っていないのに、同じような震源地で大規模地震が発生するとはほとんどの人が思っていなかっただろう。しかし“まさか”という事態は現実に起きるのだ。そして、そうなれば、福島第一原発の事故と同じような原発の重大事故が起きることも十分ありうる。
実際、福島第一原発の事故要因はいまだ解明されておらず、事故当時の福島第一原発所長の故・吉田昌郎氏の調書からも東日本壊滅の危機を免れたのはたまたまの幸運に過ぎなかったことが明らかになっているのだ。
にもかかわらず、安倍政権と電力会社は原発の再稼働を次々と進めている。政府や電力会社は「世界一厳しい安全基準」などといっているが、地震大国である日本の現状をまったく勘案せずに、穴だらけのまま、無理やり再稼働しているのが実態だ。
たとえば、11月9日には、原子力規制委員会が佐賀県の九州電力玄海原発3・4号機の審査で合格の内定を出したが、玄海原発をめぐっても、住民訴訟で九州電力が想定地震規模を過少評価していて耐震性が不足していること、フィルターベントや第2制御室が未完成であること、配管の損傷検査がきちんと行われていないことなどが指摘されている。
すでに再稼働している鹿児島県の川内原発、愛媛県の伊方原発、福井県の高浜原発にも、耐震性の不足や住民の避難の困難さ、火山噴火への対策をまったくしていないことなど、様々な問題がある。
本サイトはこれまで、再稼働の動きのたびに、各原発の危険性を指摘し、再稼働を進める安倍政権と原子力規制委員会、そして電力会社の利権に群がるマスコミの実態を指摘してきた。その記事を以下に再掲載するので、いま、進行している事態の危険性を改めて認識してもらいたい。
(編集部)
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