(2021年03月22日[月])
安藤恭子記者による、東京新聞の記事【仲間の自死、見せかけの復興「このまま戻れない」…原発事故「自主」避難者たちの不条理な現在地】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/93000)。
《東京電力福島第一原発事故の後、福島県内の旧避難指示区域外から逃れた人たちは「自主避難者」と呼ばれ、さまざまな支援の外に置かれた。同県郡山市から川崎市に母子避難した松本徳子さん(59)もその1人だ。自主避難者への住宅無償提供が打ち切られた後、自死を選んだ同郷の母親もいた。「避難をした人、しない人。それぞれの選択が尊重される社会を願ってきたが、かなわなかった。不条理です」と自主避難者の現状を見つめる。(安藤恭子)》
『●今村雅弘復興相、「本人の責任」「裁判でも何でも
やればいい」と…「死の町」にした者こそ糾弾されるべき』
《今村雅弘復興相は四日の記者会見で、東京電力福島第一原発事故に
伴う自主避難者への対応を巡り、国の責任を質問したフリーの記者に
対し「二度と来ないでください」「うるさい」などと激高》。
《「自主避難者」について、今村雅弘復興相が「本人の責任」
「裁判でも何でもやればいい」などと発言した問題》。
《★この東電8000株所有の復興相・今村雅弘は、前任のパンツ大臣
より始末が悪いのか。そもそも何に激高し何に謝罪したのか》
《支援団体「避難の協同センター」(東京都新宿区)の満田夏花
(みつたかんな)事務次長は「被災者支援の要である大臣が、
原子力政策を進めた国の責任を無視している。大変ゆゆしき問題だ」
と怒る。「国は避難者の実情の把握を怠り、福島県に責任を
転嫁している。復興庁の避難者への姿勢が見えた発言で、
あまりにひどい」と話した》
『●今村雅弘復興相「問題は激高よりも「自主避難は
自己責任」発言」…ココで「自己責任」論に出くわすとは…』
『●東京電力原発人災、支援の幕引き:
「区域外避難」者も含めて「“棄民”政策だというそしりは免れない」』
『●東京電力に核発電所を再稼働させる資格はあるのか?
無条件で即時に全ての廃炉作業に入るべき』
『●アベ様による「棄民」政策をも追認…東電旧経営陣の
刑事裁判で永渕健一裁判長は「無罪」という「政治判断」を下した』
『●やはり核発電は「金のなる巨大木」だった…
高浜「原発マネー」が八木誠会長ら関西電力経営陣個人に見事に《還流》』
『●東電旧経営陣に無罪判決…《誰も事故の責任を取らなければ
企業に無責任体質がはびこり、また同じことが起きる》』
『●東京電力核発電人災、決して自主避難者の《自己責任》ではない
…「原発事故がなければ福島を出た人は誰もいない」』
「《住宅無償提供打ち切りで、避難を続けるか、福島に帰るか選択に
迫られた。家賃の支払いをめぐり被告となる人たちも出ている》…
何という無慈悲。自主避難者を《被告》にする? デタラメ」
『●《「知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!
10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》』
国や東電のデタラメに対する答えは簡単だ、責任をもって東電や政府が「原状回復」して見せればよいだけ。元の姿に完全に戻してくれれば良いだけ。責任を果たして下さればよいだけ。《原状回復》して見せてくれれば、喜んで皆さんは元の福島の生活に戻られるでしょうよ。それに、そもそもこんな核発電人災などなければ、《福島を出た人は誰もいな》かった。東京電力核発電人災、決して自主避難者の《自己責任》ではない…「原発事故がなければ福島を出た人は誰もいない」。
『●「故郷の川に身を投げたい衝動に駆られた」
「早く浪江に帰りたい」…「原状回復」することも無く…』
《全町避難が続く福島県双葉町で昨年末始まった「原子力広報塔」の
撤去工事が4日、完了…原発PR標語の看板の一部を業者が細断。
標語考案者の1人の大沼勇治さん(39)が「復元できない」と抗議し、
工事は工法変更の検討などで中断していた》
「双葉町で、《「原子力明るい未来のエネルギー」
「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表裏に記された看板1枚の撤去を
開始》していたわけですが、ついに撤去。「愚」の一言…双葉町長の言う
《復興した時にあらためて復元、展示》は東電原発人災の何年後?
「麻薬」中毒患者にとって目の上のタンコブ、目障りな看板を取り去り
はずせて、せいせいしているのでしょう。標語の作者である大沼勇治
「少年」の言う《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》を
この世から〝消し去った〟わけです。愚かです」
『●核発電所は本当に《郷土の未来も照らしていた》のだろうか?
「原子力 破滅を招く エネルギー」を東日本大震災・原子力災害伝承館に』
(双葉町での聖火リレーに際しての大沼勇治さん、報道特集 2021年03月27日[土])
(双葉町での聖火リレーに際しての大沼勇治さん、サンデーモーニング 2021年03月28日[日])
(松本徳子さん)《2月の地震でも原発事故の恐怖はよみがえり「このままでは帰れない」と心に決めている。戻れば、福島が大丈夫と認めることになるからだ。「子どもたちに、原発が安全なエネルギーと思ってほしくない。同じ過ちを繰り返さないため、声を上げられなかった人たちの分まで、おかしいと言い続けなければと思っているんです」》。
《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》、10年が経過した今こそ、「原子力 破滅を招く エネルギー」「原子力 破 滅 未来のエネルギー」も嚙み締め、伝承すべきではないか。
『●原状回復が損害賠償の基本: 東京電力原発人災で
「ふるさとをなくした痛み」は全く癒えていない』
『●東京電力核発電人災の刑事裁判: 東京地裁永渕健一裁判長の判決は、
あまりに酷い理由も含めて《司法犯罪とも言える不当判決》』
《被告人全員無罪! 2019年9月19日、福島第一原発事故刑事裁判の
判決が下された。司法犯罪とも言える不当判決の内容を弁護士・
海渡雄一が徹底解説する、前作「東電刑事裁判 動かぬ証拠と原発事故」
の改訂版。東京高等裁判所での控訴審を前に全国民必見の33分間!!》
『●東京電力核発電人災後に《福島県から千葉県などに避難した住民ら
43人が国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟の控訴審》で逆転判決』
『●東電核発電人災から10年: あの人災から何の教訓を得ることもなく、
何も変わらないニッポン…核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないまま』
『●希望の牧場・吉沢正巳さん「この牛たちを見て、命の扱い方とか、
原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい」』
『●《「国に法的責任はある」−原発事故で千葉県に避難した人々が
起こした訴訟での東京高裁の判断だ。規制権限の不行使を厳しく指弾した》』
『●《「知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!
10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》』
『●武藤類子さん《本来ならその人たちにとってもこの10年、まったく
違った時間があったはず…原発事故は、その時間を奪ってしまった》』
《避難者の人たちだって、多分ほとんどの人は「叶うなら帰りたい」
と思っているでしょう。でも、それはただ同じ場所に戻りたい
ということではなく、慣れ親しんだ、かつてのふるさとに帰りたい
ということ。「帰りなさい」と言いながら、復興予算がじゃぶじゃぶ
投入されて知らない建物が次々に建ち、新しい住民ばかりが増えて、
以前とはまったく違う「ふるさと」になってしまっているというのは、
大きな矛盾だと思います》。
「東電や国はさっさと「原状回復」して見せてほしい…10年も経って
しまったではないですか。下記CMLより、《ひとりひとりの市民が…
国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらない
と声をあげています。私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です》」
『●大阪地裁《関西電力3原発の運転差し止め認めず》、水戸地裁
《東海第二原発の運転禁じる》、広島高裁《伊方原発3号機の運転容認》』
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/93000】
仲間の自死、見せかけの復興「このまま戻れない」…原発事故「自主」避難者たちの不条理な現在地
2021年3月22日 12時00分
東京電力福島第一原発事故の後、福島県内の旧避難指示区域外から逃れた人たちは「自主避難者」と呼ばれ、さまざまな支援の外に置かれた。同県郡山市から川崎市に母子避難した松本徳子さん(59)もその1人だ。自主避難者への住宅無償提供が打ち切られた後、自死を選んだ同郷の母親もいた。「避難をした人、しない人。それぞれの選択が尊重される社会を願ってきたが、かなわなかった。不条理です」と自主避難者の現状を見つめる。(安藤恭子)
(東日本大震災の追悼イベントで「原発事故を忘れないで」
と呼び掛ける松本徳子さん=10日、横浜市で)
◆いないことにされる私たち
「五輪に向け、福島は今『復興』の一色。その一方、私たち区域外避難者はいないことにされ、この国は原発をやめようとしない」。3月10日夕、横浜・象の鼻パークで開かれた東日本大震災の追悼イベント。松本さんが聴衆に語りかけた。「この10年で何かが変わった、とされることには憤慨しています」
松本さんが生まれ育った郡山は、福島第一原発から約60キロ離れている。当初は避難するつもりはなかったが、震災の3カ月後、当時12歳の次女が大量の鼻血を出し、吐き気や下痢をもよおすようになった。「少しでも被ばくしない所へ」。自営の夫を残し、2011年秋に川崎市に移転した。
17年3月、自主避難者への住宅の無償提供政策が打ち切られたが、郡山には帰れなかった。「自宅の庭にはまだ汚染物が残っていたから。娘も体調を崩した怖さを覚えている」と松本さん。除染は進んでも、放射線量が高い場所や食べ物は存在する。次女は川崎で高校を卒業し、就職した。
「住んでいた区域によって分断されず、福島で生きるのに必要な検査や治療が保証され、正確な情報を提供されていたならば、多くの自主避難者は故郷に帰れたはずだ」と振り返る。
◆声を上げられなかった人たちの分まで
16年にできた「避難の協同センター」(東京)の代表世話人に就き、自主避難者らの相談に応じてきた。17年5月、相談者の1人で郡山から母子避難していた女性が自死をした。「睡眠剤をのんだから、またね」。電話で話したのが最後だった。
女性は仕事を掛け持ちし、自分の物を切り詰めて子どもたちの学費を貯金していた。家族に母子避難を反対され、自分を責めてもいた。「頑張っていた彼女を、貧困が追い詰めた。住宅無償提供の打ち切りを決めた国や行政の選択は間違いだ」。五輪を前に自主避難者をなかったことにする「見せ掛けの復興」がうたわれている。松本さんの目には「棄民政策」と映る。
松本さんは昨年から、両親の介護で一時的に郡山に戻っている。2月の地震でも原発事故の恐怖はよみがえり「このままでは帰れない」と心に決めている。戻れば、福島が大丈夫と認めることになるからだ。「子どもたちに、原発が安全なエネルギーと思ってほしくない。同じ過ちを繰り返さないため、声を上げられなかった人たちの分まで、おかしいと言い続けなければと思っているんです」
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(2021年03年11月[木])
西日本新聞のコラム【春秋/原発推進の看板「震災遺構」として展示へ】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/682302/)。
東京新聞の【<社説>3・11から10年 影をこそ伝えたい】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/90767?rct=editorial)。
《▼数年後、看板が老朽化し危険だから…と撤去を町が決めたとき、標語の作者の気持ちは変わっていた。地域の記憶として残すべきだと考えた。町民の避難先も訪ねるなどして約7千人分の署名を集め、要望したこともある。撤去後も看板は保管されてきた》。
《例えば「原子力 明るい未来の エネルギー」という標語を掲げた長さ十六メートルの大看板。かつては町の中心に、まるで凱旋門(がいせんもん)のように飾られていたものの、震災後「老朽化」を理由に撤去され、役場の片隅に死蔵されていた実物が、今あるパネル写真に替えて展示されることになりました。震災後「負の遺産」と呼ばれるようになった看板です》。
核発電所は本当に《郷土の未来も照らしていた》のだろうか? 「原子力 破滅を招く エネルギー」「原子力 破 滅 未来のエネルギー」も東日本大震災・原子力災害伝承館に掲出すべきだ。
『●「原子力災害伝承館」《批判…口封じ》…《安倍政権では「被災地
切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」》』
大沼勇治さんは、(撤去の)当時、「壊すのは簡単だが、事故を思い出して原発を議論するきっかけになるものだと思うので、残してほしい。町の歴史が消されてしまうように感じる」と語っておられました。
『●希望の牧場・吉沢正巳さん「この牛たちを見て、命の扱い方とか、
原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい」』
《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》、10年が経過した今こそ、「原子力 破滅を招く エネルギー」「原子力 破 滅 未来のエネルギー」も嚙み締め、伝承すべきではないか。
《メディアの「震災10年」報道は震災遺構にも向く。「小学生に原発推進の協力を求めた歴史を『なかったこと』にしてはいけない」と児童にも分かる言い方で書いた新聞もある》。《せりなさんは…勇治さんに深く共感し、ともに活動しています。「原発のこと、原発事故のこと、やっぱり子どもたちに伝えてあげたいと思うんです。この町でこういう悲惨なことがあったんだよって。看板を展示できれば、あれを見て、みんな、いろいろ考えてくれるんじゃないかしら。事実を知って、考えて、本当に『明るい未来』を、それぞれに築いてほしい」》。
政府や東電は、あるいは、核発電「麻薬」中毒者らは、《教訓》を《伝承》しようとしているだろうか?
『●福島県双葉町「原子力明るい未来のエネルギー」
……いま、その〝少年〟は?』
『●消えゆく「事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの」
~「原子力 破滅 未来のエネルギー」~』
『●東京電力原発人災4年目のアベ様の酷い記者会見:
情報公開、信頼関係、オンカロ、将来的、自立、除染』
『●原発PR看板撤去=「間違った過去と向き合わない行為」
…「人間の愚かさ」にさらなる恥の上塗り』
『●双葉町長「(原発PR看板)復興した時に
あらためて復元、展示したい」…それは『X年後』の何年後?』
『●「故郷の川に身を投げたい衝動に駆られた」
「早く浪江に帰りたい」…「原状回復」することも無く…』
《全町避難が続く福島県双葉町で昨年末始まった「原子力広報塔」の
撤去工事が4日、完了…原発PR標語の看板の一部を業者が細断。
標語考案者の1人の大沼勇治さん(39)が「復元できない」と抗議し、
工事は工法変更の検討などで中断していた》
「双葉町で、《「原子力明るい未来のエネルギー」
「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表裏に記された看板1枚の撤去を
開始》していたわけですが、ついに撤去。「愚」の一言…双葉町長の言う
《復興した時にあらためて復元、展示》は東電原発人災の何年後?
「麻薬」中毒患者にとって目の上のタンコブ、目障りな看板を取り去り
はずせて、せいせいしているのでしょう。標語の作者である大沼勇治
「少年」の言う《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》を
この世から〝消し去った〟わけです。愚かです」
『●大沼「少年」の《事故を思い出して原発を議論する
きっかけになるもの》を撤去し…いま、政治的と言われ…』
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【https://www.nishinippon.co.jp/item/n/682302/】
春秋
原発推進の看板「震災遺構」として展示へ
2021/1/17 10:40
福島県双葉町に昨秋開館した県の「東日本大震災・原子力災害伝承館」に、かつて町が中心部に掲げた看板(長さ16メートル)が展示されることが先日決まった。負の遺産として
▼標語の看板だ。「原子力明るい未来のエネルギー」。1987年に地元の小学6年生が学校の宿題で考えた。「原子力」で始まる標語を、と言われた。大熊町から双葉町にまたがる東京電力福島第1原子力発電所は郷土の未来も照らしていた
▼標語を考えた大沼勇治さん(茨城県に避難中)が描いた未来は原発事故で暗転する。看板は「原子力安全神話」の皮肉として取り上げられた。恥ずかしくなり、取り外してほしいと思った
▼数年後、看板が老朽化し危険だから…と撤去を町が決めたとき、標語の作者の気持ちは変わっていた。地域の記憶として残すべきだと考えた。町民の避難先も訪ねるなどして約7千人分の署名を集め、要望したこともある。撤去後も看板は保管されてきた
▼町の大半は今も帰還困難区域のままだが、JR双葉駅周辺は立ち入り規制が緩和された。開館した伝承館に、あの看板は写真で展示中。昨秋、大沼さんは妻と子を連れて故郷に行った。仕事は太陽光発電事業をしているそうだ
▼メディアの「震災10年」報道は震災遺構にも向く。「小学生に原発推進の協力を求めた歴史を『なかったこと』にしてはいけない」と児童にも分かる言い方で書いた新聞もある。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/90767?rct=editorial】
<社説>3・11から10年 影をこそ伝えたい
2021年3月11日 06時46分
窓越しに遠く、水平線が見渡せます。十年前、東京電力福島第一原発に襲いかかったあの海です。
福島県双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」。原発から北へ四キロの海辺に広がる「福島県復興祈念公園」の一角に、昨秋開館したばかり。ガラス張りの外観が印象的な、それ自体がアートのような建物です。
総事業費は約五十三億円。国の復興予算を使って福島県が建設し「公益財団法人・福島イノベーション・コースト構想推進機構」という団体が運営しています。
◆教訓を伝えているか
来館者はまず円形のシアターに通されて、壁いっぱいに映し出される原発事故や津波の模様を記録した映像作品を鑑賞します。
<光もあれば影もあります。事故のこと、復興のこと。この場所で皆さんと一緒に考えることができたなら>
福島県出身の俳優西田敏行さんの語りに導かれ、螺旋状(らせんじょう)の回廊を展示室へと進むのですが−。
県が収集、保管する約二十四万点の震災資料のうち、実物展示されたのは、突然の避難を強いられて置き去りにされたランドセルやカメラなど、百七十点足らず。映像や展示パネルにも、安全神話を形成し、原発誘致を主導した国や県、東電の責任などへの言及は、ほとんどありませんでした。
「教訓が伝わらない」「光ばかりで影がない」…。被災者からも多くの批判が寄せられて、開館して半年もたたないうちに、大規模な展示替えが進んでいます。
例えば「原子力 明るい未来の エネルギー」という標語を掲げた長さ十六メートルの大看板。かつては町の中心に、まるで凱旋門(がいせんもん)のように飾られていたものの、震災後「老朽化」を理由に撤去され、役場の片隅に死蔵されていた実物が、今あるパネル写真に替えて展示されることになりました。震災後「負の遺産」と呼ばれるようになった看板です。
◆暗転した「明るい未来」
双葉町に生まれ、今は茨城県古河市で太陽光発電事業を営む大沼勇治さん(45)が看板の標語を作ったのは、小学六年生の時。町からの募集に伴う学校の宿題でした。
「原発のおかげで、町は仙台のように大きくなって、新幹線もやって来る。そんな二十一世紀を本気で思い描いていたんです」と、勇治さんは振り返る。全国の原発立地に共通の“夢”でした。
十年前の今日、「明るい未来」は突然、文字通り暗転します。
双葉町にいた発災時、妻のせりなさん(45)は妊娠七カ月。できるだけ安心安全な場所で出産をと、親類を頼って夫婦は愛知県安城市に避難しました。
その年七月、勇治さんは防護服に身を包み、町が仕立てたバスで、避難後初めて双葉町に立ち入った。ひとけの全くない町をダチョウや牛がわが物顔でのし歩く。懐かしいはずのふるさとに、恐怖を感じる自分に気が付きます−。
「原子力 破滅を招く エネルギー」。その時、大沼さんは心の中で看板を書き換えました。そして「この町の過去と未来を記録し続けよう。看板の言葉とともに次の世代に伝えていこう」と決めました。看板の撤去にあらがい、撤去後は伝承館への実物展示を訴え続けてきたのも、そのためです。
せりなさんは、同じ県内でも原発からは距離のある会津若松市の出身ですが、勇治さんに深く共感し、ともに活動しています。
「原発のこと、原発事故のこと、やっぱり子どもたちに伝えてあげたいと思うんです。この町でこういう悲惨なことがあったんだよって。看板を展示できれば、あれを見て、みんな、いろいろ考えてくれるんじゃないかしら。事実を知って、考えて、本当に『明るい未来』を、それぞれに築いてほしい」
安城で生まれた長男の勇誠君は六月、十歳の誕生日を迎えます。勇治さんは背負い続けた看板に、せりなさんは子どもたちの成長に、十年の重みを感じています。
◆遠い道のりだからこそ
「もう十年? まだ十年? やっと十年?」などと言われます。しかしやっぱり「まだまだ十年」なんでしょう。「まだ」と言えば廃炉におよそ四十年。核のごみを無害化するには十万年。まだ、まだ、まだ、まだ…。
<原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか>
せりなさんと話をしながら、ふと思い浮かべた言葉。大江健三郎さんの「ヒロシマ・ノート」に引用された、中国新聞論説委員の問いかけです。
原発は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか。私たちは何を伝えていくべきなのか−。3・11から十年の一里塚。私たちも自らに、あらためて問いかけなければなりません。
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asahi.comの記事【双葉町、原発の広報塔撤去へ 事故後に補修できず劣化】(http://www.asahi.com/articles/ASH395RP4H39UGTB00Z.html?iref=comtop_6_01)と、
東京新聞の記事【双葉町「原発看板」撤去へ 「記憶消す」反対も】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015031002000256.html)。
東京新聞の記事【原発政策 日独落差 独メディア質問「日本なぜ再稼働」】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015031002000129.html)。
『●東電原発人災の3.11を再び目前に:
「原発事故調書 原因不明、責任不在」でも再稼働できる神経を疑う』
『●3.11東京電力原発人災から4年:
虚しき「地球にやさしいエネルギー原子力 人にやさしい大熊町」』
「東京電力福島第一原発が立地し、4年前の原発事故で全町民が避難を続ける福島県双葉町は、町内にある二つの広報塔を撤去する方針を決めた。いずれも両面に「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力郷土の発展豊かな未来」などの標語が書かれている」。
原発を再稼働したい「地元」はよく噛みしめるべきだ。薩摩川内、高浜、大飯、大間、玄海・・・・・・「地元」の人たちは、本当にこのままで良いと思っているのか? ドイツのメルケル首相の話に耳を傾けてはどうか?
『●「豊かな玄海町」へ:
「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力正しい理解で豊かな暮らし」』
「かつて「原子力 明るい未来のエネルギー」の標語を応募した大沼勇治さん(39)は事故で双葉町から茨城県古河市に移り住んでいる。「壊すのは簡単だが、事故を思い出して原発を議論するきっかけになるものだと思うので、残してほしい。町の歴史が消されてしまうように感じる」と語った」。
「原子力 破 滅 未来のエネルギー」。
『●福島県双葉町「原子力明るい未来のエネルギー」
・・・・・・いま、その〝少年〟は?』
「震災後の原発政策は対照的・・・・・・会見では、ドイツのメディアが「ドイツは福島の事故を受けて脱原発にしたのに、日本はなぜ再稼働を考えるのか」と素朴な疑問をぶつけた」。
恥ずかし過ぎるアベ様・・・・・・本来、ニッポンが脱原発を世界中に訴えないといけないのに、「東電原発人災の3.11を再び目前に、「原発事故調書 原因不明、責任不在」でも再稼働できる神経を疑う」。逆に、呼び掛けられるなんて恥ずかしい。そして、それに答えられない、応えられないこと、さらなる「恥」だ。
『●烏賀陽弘道さん『ヒロシマからフクシマへ原発をめぐる不思議な旅』読了』
「「Nucler=核=原子力」を納得させられる。「核=悪」、「原子力=善」を
使い分けてきた我国、世界でも稀なその独特の心理。でも、その本質は
全く同じであり、「核兵器=原子力発電」。ヒロシマ・ナガサキの「被害者」
としての感情の陰に、戦争の「加害者」としての反省が曖昧にされたこと。
そして、東京電力原発人災で核技術の「加害者」となったことへの戸惑い。
「兵器としてアメリカで生まれ、ヒロシマに落とされた「核」。
その双子の兄弟「原発」・・・・・・」。そう両者は双子の兄弟」
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【http://www.asahi.com/articles/ASH395RP4H39UGTB00Z.html?iref=comtop_6_01】
双葉町、原発の広報塔撤去へ 事故後に補修できず劣化
根岸拓朗 2015年3月10日07時50分
(撤去の方針が決まった広報塔。周辺は帰還困難区域であるため、
バリケード(手前)で立ち入りが制限されており、歩く人の姿はない
=9日午後、福島県双葉町)
(↑まことに勝手ながらコピペさせて頂いております
【http://www.asahi.com/articles/photo/AS20150309004115.html】)
東京電力福島第一原発が立地し、4年前の原発事故で全町民が避難を続ける福島県双葉町は、町内にある二つの広報塔を撤去する方針を決めた。いずれも両面に「原子力 明るい未来のエネルギー」「原子力 郷土の発展 豊かな未来」などの標語が書かれている。
9日の町議会定例会で、撤去工事の費用約410万円を盛り込んだ新年度一般会計予算案を提出した。
広報塔は1988年と91年に町が一つずつ整備した。原発と地域の共存共栄をうたうため、町が町民から標語を募った。
事故後は周辺の放射線量が高いため補修ができず、次第に劣化。町は今回、住民の一時帰宅や業者の除染の際に強風で部品が落ちて人や車に当たる危険があるとして、撤去を決めた。
かつて「原子力 明るい未来のエネルギー」の標語を応募した大沼勇治さん(39)は事故で双葉町から茨城県古河市に移り住んでいる。「壊すのは簡単だが、事故を思い出して原発を議論するきっかけになるものだと思うので、残してほしい。町の歴史が消されてしまうように感じる」と語った。(根岸拓朗)
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015031002000256.html】
双葉町「原発看板」撤去へ 「記憶消す」反対も
2015年3月10日 夕刊
東京電力福島第一原発事故で全町避難が続く福島県双葉町は、町の帰還困難区域内の道路に設置されている原子力推進に関する広報看板二枚の撤去を決めた。看板には「原子力明るい未来のエネルギー」=写真、2014年11月撮影=などと書かれ、第一原発の立地町を象徴していた。
老朽化が進んでいる上、避難が続き安全点検ができないことが撤去の理由。九日開催の町議会に提出した二〇一五年度予算案に撤去費用約四百十万円が盛り込まれた。可決されれば、八月ごろから撤去の工事が始まる。
町によると、看板は原発の理解促進のため、町民からの公募で標語が選ばれ、一九八八年三月に設置。
町体育館近くの看板には表と裏に「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表記。役場近くのもう一枚は、九一年三月に設置され「原子力豊かな社会とまちづくり」「原子力郷土の発展豊かな未来」と書かれている。
小学六年の時に「原子力明るい未来のエネルギー」の標語が選ばれた自営業大沼勇治さん(39)=茨城県古河市在住=は「撤去には反対。原発を推進してきた町の歴史や、事故の記憶を消すことになる。修繕して、原発を考えるきっかけとして残してほしい」と話した。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015031002000129.html】
原発政策 日独落差 独メディア質問「日本なぜ再稼働」
2015年3月10日 朝刊
安倍晋三首相は九日の日独首脳会談後の共同記者会見で、原発再稼働を進める日本政府の方針をあらためて明言した。一方で、メルケル首相は会談に先立つ東京都内の講演で、東京電力福島第一原発事故を受けて脱原発に転換したドイツ政府の方針を説明。首脳会談では話題にならなかったが、震災後の原発政策は対照的だ。
会見では、ドイツのメディアが「ドイツは福島の事故を受けて脱原発にしたのに、日本はなぜ再稼働を考えるのか」と素朴な疑問をぶつけた。
これに対し、安倍首相は「再生可能エネルギーはまだわずか。国民に対し低廉で安定的なエネルギーを供給していく責任がある」と説明。原子力規制委員会の新規制基準に適合した原発は「再稼働していきたい」と従来の方針を繰り返した。
メルケル首相が会見で原発政策に触れる場面はなかったが、この日の講演では福島の事故に関し「(原発に)リスクはあることを如実に示した」と断言。来日前には、ドイツ政府のホームページで「日本も(ドイツと)同じ道を歩むべきだ」と呼び掛けている。
メルケル首相はもともと原発推進論者。だが福島の事故後、二〇二二年までに国内の全原発を廃炉にする方針を決めた。再生エネルギーの導入も進め、一〇年に総発電量の17%だった再生エネは一四年に27%に達した。
原発事故のあった日本では、これと逆の道をたどっている。安倍政権は昨年決定したエネルギー基本計画に「原発は重要なベースロード電源」と明記し、再稼働を進める。日本の再生エネ比率は、一三年度時点で二年前と比べて2ポイント増の11%にとどまっている。
安倍首相は共同会見で、ドイツを「グローバルパートナー」と持ち上げたが、原発政策に関してはパートナーとは言えない。 (上野実輝彦)
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asahi.com(http://www.asahi.com/paper/editorial20120718.html)と東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012071701002196.html、http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012071802000109.html、http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012071890071406.html)。
北陸電力 志賀原発の真下に活断層が存在する可能性が指摘された。とんでもないところに原子炉が立っているわけだ。あの因縁の志賀原発である。金沢地裁での井戸謙一元裁判官の判決の妥当性が推定できる。至極真っ当な判決であることが分かる。
『●改めて冷温停止「状態(「準」、「みたいな」、「なんちゃって」)」宣言と原発再稼働』
『●志賀原発訴訟第二ラウンド: 裁判所は信頼を回復できるか?』
『●原発裁判はどれも完敗: 井戸謙一元裁判官と小出裕章さんの対話』
『●そりゃぁ、東京電力原発人災以降を見ただけでも、「司法」にも絶望するよな』
『●井戸謙一元裁判官再び: 最高裁は常に国側に、そして、努力は無駄に』
『●金沢地裁原発差し止め判決: 井戸謙一元裁判官』
大飯原発でも断層の調査が求められており、にもかかわらず、3号機の再稼働を強行し、さらには、4号機まで臨界に達した。こんなことを強行する政府や関西電力に呆れる。「地元」民の命など二の次で、原子力ムラの将来が安泰であれば良い訳である。お目出度い人たちである。電力が足りないって? 「たかが電力のため」に「地元」民の命を懸けるなどあまりに愚かな行為だし、実際には、火力発電所を停止するほど電力は余っている。再稼働の目的は反対派の「地元」民には無く、賛成派の原子力ムラ住人にとっては、再稼働すること自体が目的になっている。
さて、以下は、東京電力FUKUSIMA原発人災後(3月31日)の綿井健陽さんの記事を紹介したブログである。
『●何がメルトダウンしたのか?』
「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かな暮らし」・・・・・・双葉町に掲げられている標語である。
「原子力明るい未来のエネルギー」を考えた大沼〝少年〟は、いま、自ら25年前の標語を訂正したそうである。「原子力 破 滅 未来のエネルギー」と。いま、どんなお気持ちだろう。忸怩たる思いではないだろうか。記事は、「原発事故で故郷を奪われることが二度とあってはならない。日本に原発はいらない」という〝少年〟の言葉で結ばれている。再稼働反対の「声」が耳に入らぬムダ首相やムダノ経相には、この〝少年〟の言葉も届かないのだろうか?
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【http://www.asahi.com/paper/editorial20120718.html】
2012年7月18日(水)付
大飯4号機―再稼働は本当に必要か
きのう関東甲信や東海、近畿、中四国で梅雨が明け、各地で最高気温が35度を超えた。夏本番、猛暑の到来である。
電力事情が最も厳しい関西電力管内では、需要がピークの午後4時台で約2500万キロワットと供給力の89%だった。余力は約300万キロワット。原発約3基分に相当する。
この夏、関電管内で需要が2500万キロワットを超えたのはきのうが初めてだ。昨年は同じ17日段階で5回あった。
7月以降のピーク時の使用率も、おおむね供給の80~90%にとどまった。
ここ半月ほどをみれば節電効果は着実にあらわれている。企業だけでなく家庭でも、人々が電気の使い方に気を配っている結果といえるだろう。
こうしたなか、関西電力は18日、大飯原発4号機を再起動する。フル稼働になるのは早くて今月25日だという。
すでにフル稼働している3号機とあわせ、計236万キロワットが原発から送られる。
10~20%の余裕があるのに、当たり前のように再稼働を進めることには抵抗感がある。
需給が最もひっぱくするのは、梅雨明けから4号機がフル稼働するまでの間だといわれている。だが、関電の予想では24日までの使用率は82~89%、その後も27日まで最大で82%だという。現状では計画停電なしですむ水準だ。
一方、電力使用量がピークになるのは8月に入ってからだ。火力発電所がトラブルを起こすリスクも考慮する必要がある。
だとしても、関電は節電意識が浸透しつつある現実に目を向け、需給予想を不断に見直すべきだ。そのうえで本当に4号機再稼働が必要か、最新情報をもとに考えるべきではないか。
16日、東京・代々木公園では脱原発を訴える「さようなら原発10万人集会」が開かれ、全国から約17万人(主催者発表)が集まった。
政府が大飯原発の再稼働を決めた6月以降、脱原発を求める声は全国に広がり、毎週金曜に首相官邸周辺である抗議行動の参加者も急速に増えている。
この抗議行動の盛り上がりと軌を一にして、人々の節電意識も高まっている。それが猛暑下の電力の余裕につながっているのだろう。
この夏の関西の需給状況は、政府による他の原発の再稼働判断にも影響を及ぼす。野田首相は「原発を止めたままでは日本社会は立ちゆかない」と言った。本当にそうなのか、政府は立ち止まって考えるべきだ。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012071701002196.html】
再稼働の大飯、断層調査へ 志賀原発も、専門家から要望続出
2012年7月18日 06時20分
再稼働で注目される関西電力大飯原発(福井県)と、北陸電力志賀原発(石川県)の敷地内を走る断層の活動性を検討する経済産業省原子力安全・保安院の専門家会議が17日開かれ、委員から現地での再調査を求める意見が続出、再調査が避けられない状況となった。保安院は「意見は重く受け止める」としており、近く対応を決める。
大飯原発は3号機が今月1日に原子炉を起動、9日にフル稼働になった。4号機は18日に原子炉を起動する予定。
会議では、大飯原発内の破砕帯と呼ばれる軟弱な断層について「活断層の可能性を否定できる情報が出されていない」として、再調査を求める意見が相次いだ。
(共同)
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012071802000109.html】
志賀原発直下「典型的な活断層」 「不適格」廃炉可能性
2012年7月18日 朝刊
北陸電力志賀原発1号機(石川県志賀町)の直下を通る断層が活断層であると指摘されている問題で、経済産業省原子力安全・保安院は十七日、専門家会議を開き、断層の断面図などを再検討した結果、「典型的な活断層の特徴がある」などの意見が相次いだ。保安院が再調査に踏み切る見通しになった。
原発の耐震安全審査指針では、活断層の真上に原発の重要施設を建てることを禁じており、再調査の結果によっては、志賀1号機は「立地不適格」として廃炉を迫られる可能性がある。
志賀原発1号機原子炉建屋の南西角には、「S-1断層」と呼ばれる断層が走る。北陸電力は「浸食の影響などでできた断層で、地震とは関係ない」と従来の考え方を説明したが、三人の専門家が「典型的な活断層だ。あきれてものも言えない」と、地震で動く可能性を指摘した。
一方、再稼働の準備が進む関西電力大飯原発(福井県おおい町)4号機の建屋直近の断層についても、再検討された。関電は新たに3、4号機増設の安全審査に使った写真を提出したが、いずれも断層の様子が分かりにくく「資料が不十分で安全と断定できない。さらに調査が必要だ」との意見が相次いだ。
会議後、保安院の黒木慎一審議官は「複数の専門家から指摘を受けた。重く受け止める。月内に保安院の対応を決める」と発言。両原発の再調査が確実になった。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012071890071406.html】
26年目の訂正 「原発はいらない」 双葉町の標語考えた少年後悔
2012年7月18日 07時14分
「原子力明るい未来のエネルギー」。福島県双葉町の中心街の入り口に掲げられた看板の標語だ。二十五年前、当時小学六年の大沼勇治さん(36)が町のコンクールに応募し、選ばれた。大沼さんは、一年四カ月の避難生活で「脱原発」を確信した思いを伝えたいと、今月十五日、一時帰宅した際、自ら標語を「訂正」した。
大沼さんは東京電力福島第一原発の事故後、身重の妻せりなさん(37)と地元を離れ、現在は愛知県安城市で避難生活を送る。町が原子力標語を公募したのは一九八七年。原発が町の未来をつくると信じた言葉が入選。第一原発から約四キロの自宅近くに鉄製の看板が電源立地交付金で建てられ、誇らしかった。
大学を出て就職などし、二十九歳で帰郷。不動産会社に勤める傍ら、看板の横にある土地にオール電化のアパートを建てて、東電社員にも貸していた。ずっと町の発展が原発とともにある「安全神話」を疑わなかった。
しかし事故後、町は警戒区域となり、全町民が避難。「平穏な暮らしが町ごと奪われた現実」にさいなまれ、テレビで標語が紹介されるたびに胸を痛めた。自らを責め悔いる日々から「原発の現実を話す権利はある」と考えた。脱原発を行動で示し、その姿を長男勇誠ちゃん(1つ)に将来伝えたいと思った。
夫婦が一時帰宅した今月十五日、記者も同行した。防護服姿の大沼さんはまず、標語にレッドカードを突き付け「退場」と叫んだ。その後、看板の手前で持参した画用紙を高く掲げた。すると、そこに書かれた「破滅」の二文字が「明るい」に重なり新しい標語が読み取れた。「原子力破滅未来のエネルギー」。二十六年目の訂正の瞬間だった。
大沼さんは「原発事故で故郷を奪われることが二度とあってはならない。日本に原発はいらない」と話した。 (野呂法夫、写真も)
(東京新聞)
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