Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●原発再稼働という危険な選択

2011年09月30日 00時04分44秒 | Weblog


asahi.comの記事(http://www.asahi.com/national/update/0927/OSK201109260192.html)。この前(『上関長町選での非常に残念な結果』、http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/f09962a4d53bebb6f62989f53a1c0b4a)に続き。

 先の上関町長選の背景は複雑で、単純に原発建設賛成派が勝ち、祝島の人たちのような原発反対派が単純に負けた、という訳ではないのでしょう。高浜町議会の下記の意見書採択にも色々な理由があるのだろうとは思います。単純に電力会社からの〝マネー〟欲しさだけだとは言いません。でも、何度も言ってきましたけれども、あのFUKUSIMAの被害がどんなものだったのかを理解した上での行動なのでしょうか? 今後数カ月とか数年とかいった期間で問題が解決するとでも思っているのでしょうか。国や電力会社の言うがままに、またしても原発再開・原発推進に向かって行き、結果として、第2、第3のFUKUSIMAが起ってもいいのでしょうか?
 「たかが電力」のために原発を動かすなんて、おかしい。原発を選択したが故に相対的に高い電気料金となり、逆に日本の産業が衰退した側面(アルミ精錬など、http://www.youtube.com/watch?v=Egojk5iJ844&feature=related)もないでしょうか。あまりにも悲惨なFUKUSIMAの原発人災を経験して、ようやくにして原発は決して安い電源ではないことが理解できたはずで、これまで国や電力会社に、安い、安い、と洗脳されてきたのです。原発を停めたって、何にも困らないことに気づくべきだし、「暗闇の思想」の下、少々不便になってもいいじゃないですか放射能で死ぬよりも、放射能で子供たちを苦しめるよりも、はるかにマシです

==========================================
http://www.asahi.com/national/update/0927/OSK201109260192.html

2011年9月27日0時57分
原発再稼働求める意見書採択 福井・高浜町議会

 関西電力 高浜原発4基を抱える福井県高浜町の議会は26日の本会議で、定期検査を終えた原発の再稼働や原発の堅持を国に求める意見書を採択した。町の財政や雇用を原発に大きく依存し、町議にも関係者がいることが背景にあるが、地元から批判の声もあがる。

 福島第一原発の事故後、不信が高まり、検査で停止している原発が再稼働した例は全国的にない。高浜原発も4基のうち2基が検査中だが、福井県は「安全対策が不十分」として現状での稼働を認めていない。

 高浜町は1号機が運転を始めた1974年以来、電源三法交付金や固定資産税など原発関連の歳入が累計約1230億円にのぼる。町議には現職の関電社員が1人いるほか、原発の業務を受注する会社の経営に関わる議員も複数いる。
==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●村木厚子氏冤罪事件で学んだはず

2011年09月29日 00時00分02秒 | Weblog


昨日(『●小沢氏元秘書東京地裁判決、どこまで信頼すれば?』、
http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/7f4b02d131ac0970996c08ec202fb6e2)に続いて。THE JOURNALの記事(http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/09/post_276.html)。

 新聞やその他のマスコミと違って、電脳上ではそれほどには無条件な小沢氏批判記事であふれていない状況は少し救いかな
 以下のこの記事も、「小沢教信者」・「小沢シンパ」とひとくくりにして良いとは、私には思えません。
 数年前ならば、私も「小沢教信者」・「小沢シンパ」的なことを書いたりすることなんて、想像もできませんでした。何せ、氏は、私の大嫌いな自民党田中角栄的土建政治、金権政治の脈流を引き継ぐ人ですから。氏を、決して潔白な「真っ白なハト派」と思っている訳ではないです。どう考えても「タカ派」だと思うし。でも、嫌いだと言うだけで、証拠もなく、検察の作文・空想を基に、裁判官の想像・願望だけで「灰色の政治家」を「真っ黒な政治家」と結論づけてはいけない、と思うだけなんです。
 ましてや証拠が捏造までされた村木厚子冤罪事件の教訓を、今こそ、思い出すべきではないのでしょうか。あれも、当初、(日程帳の記載でアリバイの立証された)民主党代議士の関与という妄想的で政治的なバイアスが根本にはありました。検察の異常な暴走があった訳です。政治家に対する好き嫌いだけで、告訴や判決内容が左右されたり、マスコミが恣意的に報じてはいけない、と思ってるだけなんです。

==========================================
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/09/post_276.html

田中良紹の「国会探検」

またか

 「ほー」と思わせる判決だった。「陸山会事件」の一審判決で東京地裁の登石郁郎裁判長は、大久保隆規元秘書が公共工事の談合で「天の声」を出す当事者であり、石川知裕元秘書と共に水谷建設から裏金1億円を受け取ったと認定した。そしてそれを隠蔽するため政治資金収支報告書に嘘の記載をしたとして3人の元秘書に執行猶予付きの禁固刑を言い渡した。それならこれは虚偽記載事件と言うより贈収賄事件である。

 東京地検はなぜ贈収賄事件として贈賄側を逮捕し、次いで収賄側の立件に至らなかったのか。一連の事件には初めから不可解な点が纏わりついている。まず政権交代がかかった衆議院選挙直前の3月に「西松建設事件」で大久保秘書が政治資金規正法の虚偽記載容疑で突然逮捕された。形式犯とも言える容疑での強制捜査は前例がない

 しかも時期的に総理になる可能性の高い政治家に対する捜査である検事総長以下最高幹部が意思統一し捜査に臨むのが決まりである。ところが「検察首脳会議」は開かれず、「若手検事の暴走」という形で強制捜査が行われた。私が担当したロッキード事件で、東京地検は田中逮捕の前に「福島の天皇」と呼ばれた高齢の知事を逮捕して世論の動向を探るなど慎重に準備を進めたが、今回の捜査にはその片鱗もない

 「西松建設事件」の収賄側には自民党議員の名前が多数挙がっていて、中には事件発覚後に秘書が自殺した者もいた。しかし当時の官房副長官は自民党に事件は及ばないと断言し、その通り自民党議員は立件の対象にならなかった。「若手検事の暴走」という形にした事や政権交代の推進力である小沢一郎氏に的を絞った捜査は、通常の検察捜査というより政治的色彩の強い捜査と見られた。大阪地検も同時期に民主党副代表をターゲットにする「郵便不正事件」に着手したから狙いは政権交代阻止と見られた。

 大久保秘書の容疑は西松建設が政治献金をするために作った組織を西松建設本体と認識していたというもので、これが虚偽記載に当るというのである。犯罪と騒ぐような話かと思ったが、いつものことながら政界とメディアに「政治的道義的責任」を追及する大合唱が起きた。ここで小沢氏が非を認め、代表を退けば、検察は形式犯でしかない大久保元秘書の起訴を見送る公算が強いと私は見ていた。

 ところが小沢氏は非を認めず、検察に対して闘争宣言を行なった。検察は大久保元秘書を起訴せざるを得なくなり、「西松建設事件」だけでは有罪が難しいため、慌てて小沢捜査に力を入れ始めた。過去にさかのぼりゼネコン関係者からの聴取が行なわれた。

 その結果摘発されたのが「陸山会事件」である。検察は秘書らが住む事務所棟建設の土地購入に関して4億円の記載ミスがある事を発見した。一方で水谷建設から1億円の裏金提供の話を得る。この二つがどのように結びついているのか不明だが、ともかく二つの情報が流れればそれで目的は達する。国民には贈収賄事件の心証を与え、しかし検察は贈収賄事件の立件をしない。立件すれば証明しなければならないが、心証を与えるだけで政治的効果は十分だからである。

 一方で大阪地検の「郵便不正事件」は検察の大失態となった。担当検事が供述調書を改ざんして逮捕され有罪となり、事件の構図は崩れた。検事の取調べは信用できなくなった。そのため「陸山会事件」でも裁判所は供述調書を証拠として採用しない事にした。証拠に代わって判決の骨格を成したのは「推認」である。裁判所が被告と検察の言い分のどちらを「自然と見るか」という事で、客観より主観が優先される。

 今回の判決で裁判所は全面的に検察側の主張を受け入れた。3人の元秘書や小沢氏はすべて嘘を言ってきた事になる。ロッキード事件以来、数々の「でっち上げ」を見てきた私には「またか」という思いがある。ロッキード事件で田中角栄氏に一審有罪判決が下った日、私は官邸で後藤田官房長官を担当する政治記者だった。中曽根総理も後藤田官房長官もその日は裁判に一言も触れなかった。

 野党が「田中角栄議員辞職勧告決議案」を提出すると言って騒ぎ始めると、二院クラブの参議院議員であった作家・野坂昭如氏が、「選挙民が選んだ議員を国会が辞めさせるのはおかしい。それでは民主主義にならない」と私に言った。「その通り。辞めさせたかったら選挙で辞めさせるのが民主主義です」と私が言うと、しばらくして野坂氏が「田中角栄に挑戦する」と言って新潟3区から立候補を表明した。

 1993年に田中角栄氏が亡くなりロッキード裁判は控訴棄却となった、その2年後に最高裁はロッキード社幹部に対する嘱託尋問調書の証拠能力を否定する判決を下した。嘱託尋問調書は田中角栄氏がロッキード社から受託収賄した事を裏付ける証拠である。真相がほとんど解明されていないロッキード事件は、しかしメディアによって「総理大臣の犯罪」とされ、その後の日本政治には「政治とカネ」のスキャンダル追及が付きまとう事になった。

 今回の裁判で有罪判決を受けた元秘書は不当な判決だとして控訴した。小沢氏本人の裁判も来週から始まる。かくなる上は裁判の行方を見守るしかないのだが、「またか」と思うようにメディアや政治の世界が「政治的道義的責任論」を叫び始めた。政局に絡ませようと言うのである。しかし大震災からの復興予算を作らなければならない時に、立法府がやるべきはスキャンダル追及ではない。司法の問題は司法に任せる事が民主主義の基本なのである。


==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●小沢氏元秘書東京地裁判決、何処まで信頼すれば?

2011年09月28日 00時01分02秒 | Weblog


朝日新聞では、江川昭子氏のコメント以外はほぼ「小沢叩き」に終始している。他のマスコミも同様。
 東京新聞(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011092702000016.html)、videonews.com(http://www.videonews.com/press-club/0804/002085.php)、gendai.net(http://gendai.net/articles/view/syakai/132827)より。

 正直言って、意外な判決だ。裁判所は、検察の言い分を鵜呑みにし過ぎていないのか? ましてや、検察の主張以上の判決とはなっていないのか? 証拠に基づかない、裁判官の単なる推測や憶測、希望的観測。憶測でならば、何でも言えると思うのだけれども。

 大半のマスコミや野党が鬼の首をとったかのごとく異常な「小沢叩き」が行われているが、本当にそれでいいのか? きな臭くてしょうがないのだけれども。言い過ぎは百も承知だが、そもそもそれほど大きな事件であるのか疑問だし、何の政治的なバイアスなしにこの判決を信頼して良いのかな・・・。何度か書いたけれども、小沢氏や元秘書三名に何らかの落ち度はあったかもしれないとは思われるけれども、また、真っ白な政治家であるとは思いはしないが、マスコミや野党、民主党の嫌小沢派の騒ぎ方や検察・裁判所・検察審査会の対応は傍目・素人目にも異常だと感じる。

 非常に短時間ではあるが、Web Iwakami(http://iwakamiyasumi.com/archives/12712#more-12712)に石川氏の記者会見映像があります。同所に文字起こしされたものもあり。その映像の最後に収められている岩上安身氏のコメントにも耳を傾けて頂きたい。単なる「小沢信者」・「小沢シンパ」の戯言で切り捨ててよいのか?

==========================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011092702000016.html

【コラム】

筆洗

2011927

 「小沢一郎はいつ総理になるんだ?」「チャーチルも六十五歳で総理になったんだから待ってください」。秘書だった石川知裕衆院議員は、岩手の選挙区で支持者から聞かれると、こう答えた、と自著『悪党』に書いているきのうの判決は、六十九歳になった小沢氏の政治生命を大きく左右するのだろうか。小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地取引に絡む政治資金規正法違反事件で石川議員ら元秘書三人に執行猶予付きの有罪判決が下された元社長は、確かに金を渡したと公判で明確に証言したが、運転手は「その日、社長を送った記憶はない」と語った。金を渡すことを了承した元会長は、授受の現場に「見届け人」がいなかったのを「ちょっと考えづらい」と首をひねる中堅ゼネコンの水谷建設から、実際に計一億円が小沢氏側に渡ったのか。裁判への国民の関心はそこに尽きたが、判決は検察の言い分をそのまま追認した。検察が主張していない点まで踏み込んだと、弁護側は「独断的臆測」の認定と批判を強める判決は公共事業への影響力を背景に多額の献金を強いたと、ゼネコンとの癒着にも言及した。小沢氏は自らの集金システムについても語るべきだろう石川議員は本紙に「政治家小沢一郎を狙い撃ちした」と語っていた。同じ印象を持つ国民は多い。捜査不信の根深さを検察は自覚してほしい
==========================================

==========================================
http://www.videonews.com/press-club/0804/002085.php

プレスクラブ (2011年09月26日)
「不当な判決なので、議員として政治活動は続ける」
石川知裕議員が判決後記者会見


 民主党の小沢一郎元代表の政治資金の収支報告をめぐり、3人の元秘書が虚偽の報告をした疑いで執行猶予つきの有罪判決を受けた問題で、判決のあった26日夜、被告の石川知裕衆院議員が記者会見を行い、判決への不満をあらわにした。
 石川氏は、判決は「到底受け入れることはできない」と、控訴の意思を示すとともに、「不当な判決なので、議員として政治活動を続けることに変わりはない」と、今後も議員活動を継続していく意向を明らかにしました。
 この事件は、小沢元代表の資金管理団体が、政治資金収支報告書に嘘の記載をしたとして、石川氏を含む小沢氏の当時の3人の秘書が、政治資金規正法違反の罪に問われたもの。  検察は3人の被告が、建設会社からの裏金などの事実を隠すために虚偽の報告をしたと主張したのに対し、石川議員らは建設会社からの裏金の存在を否定し、虚偽記載についても全面的に争っていた。
 東京地裁は26日午後、3人の被告の主張を退けるとともに検察の主張をほぼ全面的に認め、石川議員に禁錮2年、執行猶予3年、他の秘書2人に禁錮1年~3年、執行猶予3年~5年の判決を下した。
==========================================

==========================================
http://gendai.net/articles/view/syakai/132827

【これまでとこれからの「小沢一郎」の話をしよう】石川議員独占インタビュー
2011927 掲載

「こんなウソだらけの判決は絶対に受け入れられない」

 9月26日、陸山会事件の判決が言い渡されました。無罪を信じていましたが、結果は厳しいものでした。
「被告人・石川知裕を禁錮2年に処する。この裁判が確定した日から3年間、刑の執行を猶予する」――
 主文を聞いた瞬間は愕然、茫然自失です。数日前から報道では厳しい観測が流されていたので、ある程度は覚悟もしていました。
 でも、やはり驚きと脱力感で頭がクラクラしましたね。拘置所で田代検事に言われた「事実と裁判の結果は違う」という言葉の重さを噛みしめています。
 ただ、今回の判決は、まさしく司法の危機だと思います。検察が起訴できなかった水谷建設からの裏ガネが、裁判所の独断と偏見で認定されてしまった。
 その根拠となったのが、水谷建設の川村元社長の証言。私が彼と会ったことを裏付ける物証は何ひとつないのに、「渡した」という川村元社長の証言だけで、裁判所が「推認」してしまった。本当に私が5000万円を受け取ったというなら、そっちの罪で裁けばいいじゃないですか。
 川村元社長に聞いてみたい。どうして、こんなウソをついたのか。ウソで冤罪に陥れて、何とも思わないのか。死ぬ前に、一度でいいから真実を語って欲しい。これが、私の一番の願いです。
 ウソだらけの川村元社長の証言を「自然だ」と判断した裁判所の感覚も、私には分かりません。普通、顔も分からない人間に、5000万円もの大金を渡しますか?裁判官は、あまりに世間知らずですよ。社会経験がなく、閉鎖的な世界にいると、そうなってしまうのでしょうか。
 判決後、検察官とも挨拶を交わしたのですが、彼らはニヤついていて、やけにうれしそうでしたね。
 私の裁判の結果について、まだ小沢氏と話をしていないし、何も報告していません。判決後、報道陣から小沢氏のことを聞かれて、内心では「今ごろ、囲碁でも打っているんじゃないかなぁ」と思っていました。小沢氏は、こういう重大な局面で、囲碁を打ちながら待つことが多いんです。きっと、嫌なことも忘れられるんでしょうね。実際は、夕方から「チュリス赤坂」の事務所で、弁護士資格を持つ階猛議員や弁護団の先生らと協議をしていたみたいですが。
 10月6日からは、小沢氏自身の裁判が始まります。私も証人として出廷することになり、精神的にキツいですが、控訴して闘っていきます。小沢氏にも、必ず嫌疑をハネ返して欲しいですね。
 地元でも判決の反響は大きくて、事務所の電話が鳴りっぱなしだったそうです。午後6時の時点で、すべて激励の電話だったと聞き、ありがたくて涙が出ました。元外務省主任分析官の佐藤優氏からも励ましの電話をもらいました。みなさんに支えられていると実感し、「これから闘っていくんだ」と闘志を新たにしています。
 こんなウソだらけの判決は、到底受け入れられないし、絶対に許しちゃいけない今回のようなケースがまかり通れば、狙い撃ちされた政治家はひとたまりもないからです。政界全体のためにも、ここで私が踏ん張るしかありません。

いしかわ・ともひろ 1973年生まれ。早稲田大学卒業後、小沢一郎氏の秘書を経て、07年から衆議院議員。陸山会事件で起訴され、民主党を離党。今年7月に出版した「悪党 小沢一郎に仕えて」(朝日新聞出版)は5万部のベストセラーになっている。メルマガも好評配信中。
==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●上関町長選での非常に残念な結果

2011年09月27日 00時00分31秒 | Weblog


東京新聞から(
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011092501000751.html)。

 上関町の反対派の方、周辺住民の方、特に祝島の方(http://blog.shimabito.net/たちには本当にお気の毒である。かつての松下竜一さんらの「海は誰のものか?」どころか、原発人災の影響はその規模をはるかに超える問題であるにもかかわらず、究極的には日本全体、世界全体の汚染を秘めているにも関わらず、あまりに悲しい結果である。
 FUKUSIMAの方たちのあの現実を見ても、こういう結果になることに唖然とする。東京電力 福島第一原発人災の被災者や被曝者の方たちはこの結果をどのように思われていることだろう。これが第三の突破口となり、新規建設さへもが認められることになるのではないのか・・・・・・、心配である。たかが発電機能付き湯沸かし器(しかも3分の2という膨大な熱は海に捨てており、〝海暖め装置〟(小出裕章さん、http://www.ustream.tv/recorded/17446156)でもある!)なのに、よほど未来の美味しい〝マネー〟生活しか見えていず、FUKUSIMAの現実が見えていないようだ。

 マスコミの中で東京新聞はまともだ。社説(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011092602000039.html)を見て、マスコミの状況に対して少し安心した。

==========================================
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011092501000751.html

原発推進派の現職3選 山口・上関町長選

2011925 2139

 中国電力が上関原発建設計画を進める山口県上関町で25日、任期満了に伴う町長選が投開票され、計画推進派の現職柏原重海氏(62)が反対派市民団体代表の新人山戸貞夫氏(61)を破り、大差で3選した。投票率は過去最低の87・55%。

 福島第1原発事故後、新規立地の是非が争点となる初めての首長選。原発の危険性が浮き彫りになる中、野田佳彦首相が原発の新規建設は困難との見解を示すなど、これまでと異なる状況下での選挙戦となった。

 一方で原発計画に伴う交付金への期待や、地元建設業者などから工事再開を望む声も強く、柏原氏に支持が集まった。
==========================================


==========================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011092602000039.html

上関町長選 原発マネーと別れよう
2011926

 原発新設への賛否が地域を二分する山口県上関町長選は、推進派の現職が三選した。だが今や新設は不可能だ原発で町はつくれない。脱・原発マネーの先駆けになるような町政の転換を望みたい。
 上関町が原発誘致を表明したのは、一九八二年のことだった。
 瀬戸内海を埋め立てて、出力百三十七万キロワットの原発二基を建設する計画で、二年前から敷地の造成が始まった。来年六月に1号機の本体工事に着手し、二〇一八年三月の営業運転をめざしてきた。

 原発は小さな町を推進派と反対派に引き裂いた。町長選も両派の対決が続いてきた。予定地から四キロ沖、反対派が多い祝島では、祭礼さえ両派に色分けされるほど、その溝は深まった。
 過去八回の町長選はすべて、推進派が勝ってきた。今回も推進派と呼ばれる現職が、反対派を退けて三選を果たしたかたちだが、これまでとは背景が大きく変わり、推進派の九連勝とは言い難い
 福島第一原発の事故を受け、野田佳彦首相も「新規原発建設は困難と表明した。山口県知事は周辺市町にも配慮して、来年十月に期限が切れる海面の埋め立て免許を更新しない方針だ。原発ができないと、交付金や固定資産税など「原発マネー」も入らない。
 現職も選挙前から「交付税が入らない場合のまちづくりを同時に考えなければならない」と、脱・原発マネーに含みを持たせ、推進、反対の立場を超えた地域ビジョン検討会の設置を決めていた。

 原発誘致表明後、町税収入二億五千万円の上関町に、計四十五億円の交付金のほか、中国電力から多額の寄付金が支給され、温泉施設の建設などが進められてきた。それでも当時約七千人いた人口は半減し、高齢化率は県内一で五割に近い。

 原発マネーは、まちおこしの特効薬にはなり得ない

 新町政の課題は脱・原発マネーの意志をこのまま強くして、住民の心の溝を埋めていくことだ。

 祝島では、太陽光パネルで電力の自給をめざす「自然エネルギー100%プロジェクト」が始まった。推進派と呼ばれる町長が後押しすれば、融和は進む。

 地域に溝を掘ったのは、安心安全と財源をてんびんにかけ、住民の心を揺らし続けた原発推進の国策だ。祝島の自然を生かした持続可能な地域おこしに、法外な原発交付金を付け替えるなど、政府も責任を負うべきだ。
==========================================


 最後に、周辺地域と地元・電力会社・政府中枢・官僚等との意識の乖離が大きすぎるのではないか、と以下のasahi.comの記事(http://www.asahi.com/politics/update/0926/TKY201109260134.html)を見て思います。でも、「安全・安心な原発」というのは形容矛盾なので、即刻「廃炉」と決議してほしかった。

==========================================
http://www.asahi.com/politics/update/0926/TKY201109260134.html

20119261229

浜岡原発「永久停止」を決議 静岡・牧之原市議会

 静岡県牧之原市議会は26日、隣接する御前崎市にある中部電力浜岡原子力発電所について「確実な安全・安心が将来にわたって担保されない限り、永久停止にすべきである」とする決議案を賛成多数で可決した。決議を受け、西原茂樹市長は議場で「市民の安心・安全のため、永久停止は譲れないと強調したい」と発言した。
 牧之原市は浜岡原発から10キロ圏にあり、中部電と安全協定を締結している。同協定を結ぶ地元4市(御前崎、掛川、菊川、牧之原)で「永久停止」を求めるのは牧之原市議会が初めて。
==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●脱アクションウィーク、5万人集会

2011年09月26日 00時00分47秒 | Weblog


OurPlanet-TV(http://www.ourplanet-tv.org/)の映像資料に標記に関する情報(http://www.ourplanet-tv.org/?q=node%2F1231鎌田慧さんのインタビュー(http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1228)がありましたので、後者をご紹介します。

 前者については、6万人近くが集まったと思われる東京・明治公園での集会の映像、特に、内橋克人さんや落合恵子さん、澤地久枝さんらのアピール映像もあります。最後の福島の被災市民としての武藤類子さんが訴えておられる映像がとても印象に残りました。その文章おこしされたものはCML(http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-September/011909.htmlにありますので、一読して頂きたいです。

 また、後者の鎌田さんのインタビュー映像の説明文を以下に引用させていただきます。

==========================================
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1228

30年間、反原発を訴えて〜鎌田慧さん
投稿者: ourplanet 投稿日時: , 09/15/2011 - 11:28

ゲスト:鎌田慧さん(ルポライター)

30余年、全国の原発立地を歩き、反原発の立場で取材を続けてきたルポライターの鎌田慧さん。311後、全国1000万人署名を呼びかけ、919日には都内で大規模な集会を企画している。今こそ、脱原発はできるのか、市民は連帯できるのか? プロジェクトにかける思いを伺う。
==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●続・「死の町」にした者こそ糾弾されるべきではないか?(1/2)

2011年09月25日 00時04分53秒 | Weblog


続報(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/d178c483fe5878dc9cfcf31077531419)。

 まず、CMLより(http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-September/011842.html)。

==========================================
http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-September/011842.html

[CML 011980] フクシマ「死の町」問題について

・・・・・・
2011 9 18 () 18:08:13 JST

社会批評社の・・・・・・です。
下記の問題をブログに投稿しましたのでご覧いただければと思います。

    http://com21.cocolog-nifty.com/blog/

フクシマ「死の街」発言の是非

 ―『フクシマ・ゴーストタウン―全町・全村避難で誰もいなくなった放射能汚
   染地帯』の取材・編集にあたって

「死の町」問題は、終わっていない
 鉢呂元経産相大臣の「死の街」発言を巡る辞任騒動は、政府やメディアでは問題が終わったかのような状況になっている。だが、この問題は、これからが重要な局面を迎える。というのは、この9~10月、政府は原発被災地域の緊急時避難準備区域の解除―避難民の帰宅を推し進めようとしているからだ。  「死の街」発言による鉢呂氏の辞任劇も、問題の本質はここにある。つまり、「死の街」と化した原発被災地域に一旦避難した住民を戻すことは、あり得ないからだ。だから、政府・メディアにとって、「死の街」とは絶対認めてはならないのである。

フクシマ避難地域はゴーストタウンだった
 だが、フクシマの警戒区域・計画的避難区域などは、「死の街」―ゴーストタウンと化しつつあることは、現地を観てみれば、紛れもない事実だ。
 私は、上記の『フクシマ・ゴー
ストタウン』を編集・取材するために、著者の根津進司氏とともに、この8月、警戒区域などに指定されている、フクシマの11市町村をめぐり歩いた。特に、警戒区域、20キロ圏内とされ、立入禁止区域にも指定されている、南相馬市小高地区などにも行ってきた。
 この警戒区域内は、文字通り、人一人いない区域だ。人だけではない。イヌもネコも、家畜もまったく見かけない、ゴーストタウンという以外に言葉か見つからない所だ。まるで、人類が絶滅したかのような街々であった。警戒区域内だけではない。葛尾村・川内村・広野町・都路町などの計画的避難区域も、人も動物もほとんど見かけない村々である。
 これらの地域は、
従来であれば今頃は、田畑に稲や高原野菜が実り、緑豊かに育っている地域である。ところが、これらの村々の田畑は荒れ放題、雑草が一面に覆い茂っているという悲惨な状態だ。

厳戒態勢の警戒区域・20キロ圏内
 そして、この警戒区域・計画的避難区域についていえば、このゴーストタウン化した実態を押し隠すためか、政府はこの地域を完全に封鎖し、全国から動員した機動隊を使って検問態勢を敷いている。これは現場を見れば明らかだが、まさに「戒厳態勢」「戒厳態勢」というのがふさわしい(この事実をなぜかメディアは報じない)。

9/17付朝日新聞の主張に反論する
 昨日の朝日新聞のコラム「記者有論」―死の街騒動―で、小寺陽一郎記者は、以下のように主張している。 「先日、福島第1原発の2キロの所まで取材に入ったが……『死』という言葉を一度も連想しなかった。……原発の復旧に向かう車列、空き巣を警戒する警察官……そこには、いつか帰れる日のために働く人たちの姿があった。町は決して死んでいない」と。
 これが今のメディアの代表的な「政治的主張」だろう
 しかし、小寺記者に言いたい。あ
なたは、本当に警戒区域・計画的避難区域などの全貌を観てきたのか? 自分の手足を使って現地を歩いてきたのか? 単に政府・行政の「一時帰宅」などに紛れて、ちらっと見てきただけではないのか?
 それも、彼の観てきたところは、福島南部のJヴィレッジ周辺から入った地域のようだ。ここには、政府・東電・自衛隊・警察などの指揮・調整センターがあり、福島第1原発の事故対策で動く人たちの待機所も置かれている。この地域一帯は、私も観てきたが、そのJヴィレッジ内も道路も、交通が混雑するぐらいの状況だ、言い換えれば、あの警戒区域内・20キロ圏内・計画的避難区域内とまったく違っている。

警戒区域内の報道の立入禁止を何故批判しないのか?
 今の朝日新聞などのメディアは、こんな地域を警察に守られ、許可を貰ってちらっと観るだけで記事を書いているのである。そして、このメディアさえも立入禁止にしている、警戒区域・20キロ圏内の問題を批判さえしない。その現地の実状を報道しないばかりか、それに報道管制(メディアの立入禁止)している政府批判さえしないのだ。 この状況が、政府・電力会社の原子力推進政策に協力し、原発安全神話を共につくりあげてきたメディアの責任でもある。

政府は再び避難住民に被曝を強いるのか?
 このフクシマの「死の町」―ゴーストタウン問題は、なぜ今重大問題なのか? 冒頭にも述べてきたように、この9~10月にも、政府は緊急時避難準備区域などの指定解除を行い、住民たちをその避難してきたもとの村々に戻そうとしているからだ。
 政府は、「充分な除染」をして、住民を戻すという。しかし、私ははっきり断言するが、すでに放射能汚染された地域の除染は、不可能である。もちろん、学校や公園・道路などの一部の除染は可能だろう。問題は、汚染地域のほとんどを占める森林・田畑の除染だ(この地域は、約80~90%が森林)。

森林・田畑の除染は不可能だ
 私たちは、この森林地帯の放射線量を、特に重点的に測定してきたが、いずれの地域でもフクシマの森林地帯は、高度の汚染地帯だ。あのチェルノブイリでは、25年たった今でもこの森林地帯が高濃度に汚染されていることが報告されているが、まさにフクシマも同様の事態になっているのである(具体的汚染の実態は『フクシマ・ゴーストタウン』参照)。このハイレベルで汚染された地帯の除染が、どうしてできるのか? ここから田畑に流れ出る水をどうして除染できるのか? まさか、すべての森林を伐採し、土砂を取り除くとでも言うのではあるまい。
 つまり、この除染ができもしない避難地域に政府は、住民たちをだまして、無理矢理でも戻そうとしているのだ。これは何を意味するのか? 言うまでもなく、新たな被曝を生じさせる。とりわけ、子どもたちに、とてつもない新たな被曝をもたらす。
 このとんでもない、非人道的措置・決定を今、政府は行おうとしているのだ。そして、これが、フクシマ「死の町」発言で辞任に追い込まれた鉢呂問題の原因であり、結果でもある(この政府の性急な避難地域の解除の目的が、住民への賠償の軽減にあることは明らかだ)。

避難住民の権利の確立を
 今求められているのは、フクシマがゴーストタウンと化していることを率直に認め、避難地域の汚染の実態を認め、 ①詳細な汚染地図作成による避難地域の拡大(福島市などのホットスポット地帯を含む) ②住民の自主避難の権
利とその賠償 ③住民の「地域ごとの避難」の権利とその「地域的・場所的補償」「生活的補償」 などをつくりだすことである。
 私たちは、この秋、全国の原発の即時停止・廃止を求め、脱原発の運動を広げるとともに、この具体的な原発被災住民の権利を獲得するためにもたたかわねばならない。
 この具体的内容は、9/29全国書店発売の『フクシマ・ゴーストタウン―全町・全村避難で誰もいなくなった放射能汚染地帯』(根津進司著)を参照してほしい。

   http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-916117-95-3.html

・・・・・・。

==========================================
つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●続・「死の町」にした者こそ糾弾されるべきではないか?(2/2)

2011年09月25日 00時02分58秒 | Weblog


つづき

 次に、東京新聞社説(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011092002000054.html)および筆洗(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011092002000039.html)。
 映像資料「2011915[5 /6]「原発とメディア」シンポジウム 1」(http://www.youtube.com/watch?v=_ihUFBCn1u8&NR=1)の上杉隆氏や森達也さん、高田昌幸氏(司会は篠田博之さん)の関連したコメントも是非聞いてみてください。被害住民・被爆住民になり代わっての過剰な反応、被害住民・被爆住民の気持ちの過剰な忖度、その部分は死刑制度の議論に似ていると思った。(このシンポに関しては、『創』出版のhttp://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2011/09/15-2.html。また、鎌仲ひとみ氏や雨宮処凛さん、鈴木邦男さん、山本太郎氏の第2部http://www.youtube.com/watch?v=wXuTvHAV0Mg&feature=relatedもどうぞ。)

 それにしても、小皇帝 都知事の真に差別的言質は大して問題にもされず、都民は平気で選挙も通すし、マスコミは全くバカ騒ぎすることがない。東京電力 福島第一原発人災というFUKUSIMA直後も「東京に原発を」とまで言う訳ですから、原発推進派であり、虎の尾を踏んだ訳ではいないからでしょうね。マスコミの挙動、全く不思議です。


==========================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011092002000054.html

【社説】

メディアと政治を考える 自由な言葉あってこそ

2011920

 政治家の発言をメディアが報じることで現実の政治が動く。そんな事例が相次いでいる。分かりやすい結末を追い求める落とし穴にはまっていないか。
 鉢呂吉雄前経済産業相が一連の「問題発言」の責任をとる形で大臣を辞任したのは、就任わずか九日目だった。
 問題とされた発言は二つある。まず九日の会見で福島第一原発周辺の地域を「人っ子一人いない。まさに死の町」と呼んだ件。次いで、同日夕から翌朝にかけて一斉に報じられた「放射能をうつしてやる」という記者への発言だ。

しゃくし定規の息苦しさ
 後者の放射能発言は鉢呂氏が原発周辺の自治体視察から東京・赤坂の議員宿舎に帰ったとき、宿舎のエントランスで記者団に囲まれた際に語った発言である。
 鉢呂氏は記者との懇談を非公式なものと認識しており「発言内容自体も正確には覚えていない」と釈明している。録音記録も残っていないようだ。
 いずれの発言も大臣として不適切な発言として批判を浴びて、当初は説明を尽くす考えだったが、放射能発言が報じられた十日夜になって結局、辞任を表明した。
 たしかにテレビカメラも入った会見で「死の町」という表現は適切とは言えない。ただ、絶対に許されないほど不穏当だったかと言えば、議論の余地は残る
 後に明らかになったことだが、細川律夫前厚生労働相も五月の参院行政監視委員会で民主党議員の質問に答えて「町全体が本当に死の町のような印象を受けました」と語っている。
 本紙を含めて新聞も「ゴーストタウン」という表現を使ってきた死の町」はだめだが「ゴーストタウン」ならいい。そんなしゃくし定規な議論が広がるようになっては、なんとも息苦しい。

言葉狩りのメカニズム
 放射能発言も気になる点がある。発言があったのは八日夜だが、同夜も翌朝もメディアは一行も報じていない。ところが、九日の「死の町」発言が明らかになった後の同日夕からテレビ、新聞が大きく報じ始めた。
 そこには「批判スパイラル」とも呼ぶべきメディアの特性がある。いったん批判の標的を見つけると、さらなる批判の材料を追い求め、スパイラル(らせん)状の軌道に乗ったかのように一斉に標的を追い詰めていくのだ
 メディア各社はみな激しく競争している。一社が書けば、他社が後追いする。そこには多少の疑問があっても一応、批判の輪に加わらなければ、それ自体が意図的な報道回避と受け取られかねないという懸念も働いている
 発言があった日から一日遅れになった今回の放射能発言報道は、そんなメディア全体の電子回路にスイッチが入ってしまったような展開だったのではないか。
 どんなタイミングでどんな内容を報じるかは、メディアの裁量である。たとえ非公式なオフレコ発言であったとしても「報じるに値するかどうか」の判断はメディア自身に任されるべきだ。それは言論報道の自由と不可分である。
 その点を指摘したうえで、多くのメディアが「批判スパイラル」一色に染まっていく状況を恐れる。それは言論や価値判断の多様性という社会の根幹をむしばむ事態につながりかねないからだ。
 それぞれのメディアが自由に判断した結果、同じような報道のトーン、価値判断に陥っていくとすれば、なおさらである。「批判スパイラル」が実は「同調の言葉狩り」になってしまう。それは多様性の尊重とは真逆の事態と言ってもいい。
 批判スパイラルを加速させた背景には「問題はいずれ国会で大騒ぎになる」という判断がある。そういう見通しを織り込んだ記事もあった。メディアだけにとどまらない。鉢呂氏自身も辞任に際して、その点を考慮しただろう。
 ともに「国会で問題になる」という見通しを前提にして、メディアは記事を書き、政治家は身の処し方を考える。結果があっけない大臣辞任という幕切れだった。
 問題発言で大臣が辞めたのは、菅直人政権で二〇一〇年十一月に辞任した柳田稔元法相、ことし七月に辞任した松本龍前復興相に続いて三人目だ。輿石東幹事長は放置できないとみて、情報管理を徹底する方針を打ち出した。

不自由さが自殺行為に
 問題発言がメディアで批判され、国会紛糾を恐れるあまり、大火事になる前に先手を打って大臣を辞める。そんな展開が当たり前のようになってきた。
 自戒を込めて書く。メディアも政治家も少し冷静になろう。考える時間が必要だ。言葉で仕事をしているメディアや政治家が、言葉に不自由になってしまうようでは自殺行為ではないか。
==========================================

==========================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011092002000039.html

【コラム】

筆洗

2011920

 福島第一原発の事故で、亡くなった人は一人もいないじゃないか-。原発推進派には、こんな発言をする人もいる。慣れない避難所生活の中、持病を悪化させて亡くなったお年寄や、将来を悲観して自らの命を絶った農家や酪農家の姿は見えないのだろうかそんなことを考えている時、哲学者である内山節さんの近著『文明の災禍』を読んだ。原発事故が奪ったのは住民の未来の時間であるという。「人間の営みが未来の時間を破壊した。日本では、おそらくはじめて」。その思想の射程の深さに共感した殺人は被害者の未来の時間を破壊する。原発の事故は地域の未来の時間を丸ごと破壊する。「未来の時間を破壊することが平気な社会、それは恐怖に満ちた社会である」という哲学者の問い掛けは重い未来の時間を奪われた土地は「死の町」そのものである。前経済産業相の発言も長期間、人が住むことができない福島の厳しい現実を直視する契機になれば、意味があったのかもしれないきのうも全国で脱原発を求める行動があった。作家の大江健三郎さんらの呼び掛けで東京で開かれた集会には、過去最大の六万人が参加した。うねるようなにぎやかな人の流れが、ゆっくりと繁華街を通りすぎる先頭を歩いたのは、福島の人たちだった。二度と私たちの未来を奪わないで。そんな心の叫びが聞こえてきた。
==========================================


 最後に、videonews.comの映像資料(http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/002066.php)。東京新聞論説委員の重要な証言。やはり「原子力癒着ムラ」の官僚の人事という大虎の尾を踏んでしまった、というのが裏の真相だったようです。こんなことやってて(経産省の官僚にこんなことやられてて)、民主党は本当に大丈夫か!? 映像の中で指摘されているが、枝野経産相に本件(原発推進反対派が委員会のメンツに居ない旧人事のままであれば)を突き付ける度胸のあるマスコミ記者がいるかどうか? 案外、経産省が墓穴を掘ったのかも??

==========================================
http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/002066.php

ニュース・コメンタリー (2011年09月17日)
鉢呂大臣の辞任は脱原発人事の発動直前だった
インタビュー:長谷川幸洋氏(東京新聞論説委員)


 「死の街」、「放射能をつけちゃうぞ」などの発言の責任を取り、就任9日目の9月11日に辞任した鉢呂吉雄前経産相は、脱原発政策を実行に移すための人事を発表する直前だったことが、東京新聞論説委員の長谷川幸洋氏の取材でわかった。
 長谷川氏は、鉢呂氏が辞任した翌日の12日に鉢呂氏に単独でインタビュー取材した。鉢呂氏はこれからの日本のエネルギー政策を決める総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)の委員に多数の脱原発派を送り込むことを決め、既に事務方に指示していたことを明かしたという。 長谷川氏によると、鉢呂氏は現在の委員構成が15人のうち12人が原発推進派で占められていたため、これでは福島後の議論は期待できないと考え、新たに9~10人の反原発・脱原発派の委員を追加任命する意向だった。その委員候補リストまで事務方に渡していたという。
 長谷川氏は「人事は官僚にとって最大の権力の源泉そこに介入されることは、官僚がもっともいやがること」「鉢呂氏は虎の尾を踏んだ」と経産官僚による辞任工作あったとの見方を示すが、具体的にどのような経緯で辞任に至ったかについては、取材中という。
 長谷川氏はまた、鉢呂氏には「放射能をつけちゃうぞ発言」をした覚えはなく、その時の映像や録音テープも存在しないとみられることから、かなりの歪曲があった可能性もあると指摘している。
 政治と官僚の関係を長年ウオッチしてきた東京新聞の長谷川幸洋氏に、鉢呂氏辞任の裏面を聞いた。

==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●どんだけ面の皮が厚いんだか!!

2011年09月24日 00時12分43秒 | Weblog


東京新聞に出ていた呆れた記事(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011091801000665.html)。

 講演を聞いた訳ではないけれども、まずは一言あるべきでは。原発推進をこの期に及んで言い続ける者たちに比べて、ほんの少しはましなのかもしれないけれども、どんだけ面の皮が厚いんだか? 「原発はコスト面でも問題があるとの認識」ってよく言うよ! 風見鶏氏といい、全くいい加減な奴らだ。そいえば、先週、NHKニュース9が中曽根中曾根)氏にインタビューをしていたけれども、白々しく原発について語れるものである。これまた最初から見た訳ではないので何とも言えないが、まずは一言反省の弁・謝罪はあったのか? 謝罪してくれても、放射能の被害がこの世から消える訳ではないけれども。

==========================================
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011091801000665.html

小泉元首相が「減原発」訴え 「自然エネで依存度低下」
2011918 2129

 小泉純一郎元首相は18日、川崎市川崎区内で講演し、福島第1原発事故を受けた今後のエネルギー政策に関して「政府は原発建設を進めてきたが、この費用を安全な自然エネルギー開発に使い、原発依存度を下げるべきだ」と述べ、“減原発”実現を訴えた

 同時に「政府は、原発は低コストだとしてきたが、高レベル放射性廃棄物を処分するには、膨大な費用と数万年単位の時間がかかる」と指摘、原発はコスト面でも問題があるとの認識を示した。

 東日本大震災に関しては「震災の困難をチャンスに変えることが日本ならできる」と、小泉氏独特のジェスチャーを交えて語った。
(共同)
==========================================


 gendai.net(http://gendai.net/articles/view/syakai/132726)のさすがな意見に、大賛成。

==========================================
http://gendai.net/articles/view/syakai/132726

誰かこの男を消してくれ
2011920 掲載

自分も張本人なのに厚かましく「脱原発」講演

 またシャシャリ出てきてヒーロー気取りだ。

 小泉純一郎元首相が、18日に川崎市のホテルで講演し、
脱原発依存を訴えた。「原発が最もコストが安いとして新設、増設とはいかない」「国民は原発が安全だとは信用しなくなった」「自然エネルギーや再生可能エネルギーの技術開発に投資し、環境先進国を目指すべきだ」――とまあ、いつもの大げさな身ぶり手ぶりで言いたい放題だったのである。今月5日の財界向けの講演会でも同じことを言っていたが、相変わらず世間をダマすのが好きな無責任な男である。

 というのも、日本で原発推進が加速したのは小泉政権時代(01年4月~06年9月)なのである。それを忘れたのか。


    「原発推進をうたった『エネルギー基本計画』が策定されたのは、
      小泉時代の03年10月です。その前年の02年に東電の福島原発の
      トラブル隠しがありましたが、たいした反省なく、ウランより危険な
      プルトニウムを使ったプルサーマル計画の推進が盛り込まれました。
      当時の福島県知事が原子力安全・保安院を経産省から分離して
      独立性を高めるべきという提案もしていましたが、全て無視でした」
     (経産省OB)


 小泉内閣の初代の経産大臣は、いまだに原発推進の旗振り役をやっている平沼赳夫たちあがれ日本代表だ。経産省の言いなりで、エネルギー政策に何の関心も示さなかった小泉が、今ごろになってどの面下げて
脱原発を口にするのか

    「中間層が破壊され、社会的格差が拡大し、自力ではもはや
      這い上がることができない絶対的貧困層が生まれた

      小泉改革の結果、日本の社会も国家も弱くなった」


 と、作家で元外務省分析官の佐藤優氏は「新潮45」で書いている。小泉は二度と国民の前に顔を出しちゃいけない男なのだ。まして説教垂れる資格など200%ないのだ。

==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●放射能をあびてはいけない

2011年09月23日 00時02分33秒 | Weblog

本日も、videonews.comから2つの記事(http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/08/post_793.htmlhttp://www.videonews.com/press-club/0804/002020.php)。

 崎山さんや児玉教授、矢ヶ崎克馬さんがいくら国会その他で内部被爆や低線量被爆の危険性を訴えても馬耳東風。子供を持つ、せめて多くの父兄の耳にはこれらの危険性の情報が届き、何らかの適切な対処ができればよいのだけれども。本来、東電や国がやるべき仕事なのに、全く興味が無いようだ。10年後、20年後、成長した子供たちにどんな被害が起っているか、想像するだけで恐ろしい。東電や国は口をつぐみ、司法は人災と被害の因果関係は無いものとして結論づけるに決まっていて、これまでのこの国の来し方、処し方から容易に想像がつく。

==========================================
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/08/post_793.html

 

マル激トーク・オン・ディマンド 第539回(20110813日)

人間は放射線を浴びてはいけない生き物なのです

ゲスト:崎山比早子氏(高木学校メンバー・医学博士)


 福島第一原発事故発生直後から、政府関係者や専門家たちの口からは「ただちに影響はない」の言葉が繰り返し発せられた。しかし、これほど不誠実かつ無責任な言葉はない。それを霞が関文学的かつ医学的に翻訳すると、現在の放射線のレベルでは、高い線量の放射線を浴びたことによる皮下出血や脱毛、下血、嘔吐といった急性障害は起きないかもしれないが、弱い放射線への被曝や放射性物質を体の中に取り込むことによる内部被曝によって、数十年後にガンや白血病などの晩発性障害が発症するリスクは十分にある、というものになる。その意味では、極めて不誠実な言い回しながら、彼らは本当のことを言っていた。現在進行形で原発事故を抱える今日の日本にとって、いまわれわれが抱える最大のリスクは、低線量被曝や内部被曝による晩発性障害のリスクといっても過言ではないだろう。
 放射線医学総合研究所に長年勤務し、現在は市民科学者の立場から生涯原発反対を唱えた高木仁三郎氏が創設した高木学校のメンバーでもある医師(医学博士)の崎山比早子氏は、事故発生当初から、こうした不誠実な情報発信のあり方に憤りを感じてきた。特に、科学者や医師たちのいい加減な発言によって、放射線の本当のリスクが見えにくくなり、誤った情報に基づく誤った判断で、多くの市民が命を危険にさらしている状況は看過できなかったと崎山氏は言う。
 確かに、被曝後、何十年も経ってからガンなどの病気が発症する晩発性障害は、因果関係の証明が難しい。がんの発症には、いろいろな原因が複雑に絡み合うからだ。しかし、だからといって、一部の専門家が強調するように、低線量放射能被曝の影響は無視してもよいということにはならない
 崎山氏は放射線被曝にはしきい値、つまりここまでなら浴びても大丈夫という量は存在しないと理解すべきだと言う。どんなに少量の放射線でも、人間がこれを浴びれば、放射線は人間の体の細胞の、とりわけ遺伝子を破壊する。そして、それによって将来それがガンになる危険性は僅かずつでも確実に増していく。がんの発症が放射線被曝の積算蓄積量に比例することは、国際的な放射線の防護基準を策定している国際放射線防護委員会(ICRP)も含め国際的に広く認められており、学問的にはもはや疑いの余地はほとんどないと崎山氏は言う。
 また、同じ理由から、大人と比べて子供は、細胞分裂が盛んな上に、大人より多くの放射線を吸収してしまう傾向がある。その後の長い人生の中で、他の様々な発がん因子の影響を受けることになる子供は、二重三重に大人よりも放射線に対する感受性が高い。その子供に年間20ミリシーベルトまでを許容量とした政府の決定は、言語道断だと崎山氏は言う。
 にもかかわらず、ある程度の放射線を浴びても「ただちに問題ない」といった発言が、十分な情報や専門的知識を持っているはずの政府関係者や科学者、そしてマスメディアの解説委員等から次々と発せられるのはなぜか。崎山氏は、自分が所属する組織に対する従属や忠誠心を優先するあまり、本来は正しくないことを重々知りながら、そのような発言をしてしまっているのではないかとの見方を示す。
 事故発生後、マスメディアで「ただちに」発言が横行し、政府や専門家に対する不信感が高まったことについて、崎山氏は日本で「市民科学者」が不在であることが問題だと言う。仮に、政府や電力会社から大きな助成金や寄付を受ける大学や研究機関に所属する科学者が政府よりの発言を繰り返したとしても、そのカウンターパートとなる市民科学者が科学的な根拠に基づいて、それに対抗できる情報を発信することができれば、市民は双方からの情報をもとに独自の判断を下すことが可能になる。
 また、そもそも日本は情報発信ができていないばかりか、情報の受信すら正しくできていないと崎山氏は言う。放射線被曝に関係する海外の文献や論文には、必ずといっていいほど広島・長崎の調査データが登場する。しかし、海外では放射線被曝研究の定番となっている広島・長崎のデータが、日本では必ずしも十分に活用されていないというのだ。
 医療の専門家として、国の専門機関である放医研(20014月から独法)から高木学校所属の市民科学者に転じた崎山氏と、いまだ政府によって十分に説明されていない放射線被曝の本当のリスクと、それがきちんと説明されない理由やその背後にある市民科学者不在の問題などを議論した。

==========================================


==========================================

http://www.videonews.com/press-club/0804/002020.php

 

プレスクラブ (20110812日)

現行制度では子供や妊婦を被曝から守ることができない
注目の児玉龍彦東京大学教授が記者会見


 先月の衆議院厚生労働委員会で原発事故に対する政府の対応を厳しく批判したことで注目を集めていた東京大学の児玉龍彦教授が、812日、記者会見を行い、原発事故で放出された放射性物質の総量を明らかにしたうえで、子供や妊婦を守るための新たな検査・除染体制の構築が急務であると語った。
 児玉氏はまた、被曝検査や除染、補償などの体制を整備するために、透明性のある専門委員会を設置する必要があると語ったほか、子供と妊婦を守るために緊急避難の規定を含む新たな法律が必要との認識を示した。
 東京大学で先端科学技術研究センターの教授とアイソトープ総合センター長を兼務する児玉氏は、727日の衆議院厚生労働委員会で参考人として発言した際に、住民の被曝を防ぐことができていない政府の対応を厳しく批判していた。現在児玉氏は、福島県の南相馬市などで除染活動を指導している。

==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●Blue Goldをめぐる水商売: コモンズとしての水と新自由主義

2011年09月22日 00時59分47秒 | Weblog


CMLに出ていた案内(http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-September/011859.html)。

 水は「BLUE Gold(ブルー・ゴールド)」である。今や〝水商売〟(水ビジネス)が非常に大きな注目を浴びている。ハイエナが群がるようで、見苦しく、嘆かわしいことだと思う。コモンズを、内橋克人さんの言うマネー勝手に商売する訳だ。その先に待つのは、貧しい国の貧しい人たちの悲劇でしかない。
 ウォーター・バロンについて以前から指摘しておられた佐久間智子さんの講演もあるようです。


==========================================
http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-September/011859.html

 [CML 011997] 9/24グローバル市民水フォーラム
             ~水の公共性について多角的に考える~のご案内

・・・・・・
2011 9 19 () 15:04:09 JST

みなさま (重複ご容赦ください&転送大歓迎です)

AMネットの・・・と申します。
今週末と近づいてきましたので、再度広報させていただきます☆

今回の震災で、「あって当たり前だった電気」が、こんなにもさまざまな問題や視点、今後の私たちの在り方についてまで考えさせられる重要なものだと再認識されました。

今回のフォーラムのテーマであるも同じく、多くの日本人にとって「あって当たり前」であり、困ったことがない。

また、水道事業は地域独占であり、消費者が自由に選択できるものではありません。水道だけでなく、生きるために欠かせない」について再考するきっかけにしていただければ幸いです。

難波OCAT内とアクセスもいいですし、皆様のご参加お待ちしています。

・・・・・・ AMネット


+ + + + + + + + + + + +
     グローバル市民水フォーラム
 ~ 水の公共性について多角的に考える ~

9月24日(土)13:30~ @難波大阪市立難波市民学習センター
+ + + + + + + + + + + +

3月11日の東日本大震災直後から、被災地への飲料水供給や水源の確保、上下水道の復旧、放射線汚染水など、生活に直結する水が課題となりました。

いま改めて、水の大切さと貴重さについて考え、どのように水を確保していくかを、市民一人一人が考えなければなりません。

このたび、各地で活動するNGOスタッフや水道の現場労働者をお招きし、「水は公共のもの」という視点のもと、水の公共性について考える「グローバル市民水フォーラム」を開催いたします。

本フォーラムでは、多角的な視点から私たちに最も身近な水について考える機会とします。

   < イベント概要 >
日時:2011年9月24日(土)13:30 - 16:45
会場:大阪市立難波市民学習センター(大阪市浪速区湊町1丁目4番1号 OCATビル4階)
(大阪市営地下鉄四つ橋線・千日前線「なんば」駅下車すぐ。JR難波駅と同じビル。)
資料代:500円(AMネット、水政策研究所会員は無料。当日入会も受付いたします。)
定員:100名(定員に達し次第締め切りいたします)
主催:NPO法人AMネット、NPO法人水政策研究所
協賛:NPO法人関西NGO協議会、ジュビリー滋賀、
   NPO法人ブリッジエーシアジャパン、社団法人アジア協会アジア友の会
   国際青年環境NGO A SEED JAPAN、全水道、
   Reclaiming Public Water Network
   Focus On The Global South
   Public Service International
後援:大阪市

< スピーカー紹介 >
佐久間智子氏(翻訳家、NPO法人アジア太平洋資料センター理事)
    「世界の水事情」

藤井大輔氏(九州国際大学国際関係学部助教、
    「債務と貧困を考えるジュビリー九州」代表)

    「水に関する人権への視点」

堀内葵(AMネット)理事
    「水は公共のもの~インドネシアの事例から~」

三戸一宏氏(水政策研究所代表理事、全水道大阪市水道労働組合)
    「水基本法(仮称)制定に向けて」

コーディネーター:神田浩史(AMネット理事、NPO法人泉京・垂井理事)


<お申し込み・お問い合わせ>
参加ご希望のかたは、
1)お名前、
2)ご所属(差し支えなければ)、
3)連絡先、
4)このイベントで知りたいこと(あればご記入ください)、
5)このイベントを知ったきっかけ、
を明記の上、電子メールamnetosaka @ yahoo.co.jp 宛にお申し込みください。

資料作成の都合上、できるだけメールでの事前申し込みをお願いいたします。


< 当日スケジュール >
13:00 会場、受付開始
13:30 - 15:10 グローバル市民水フォーラム
 (1)開会の挨拶、趣旨説明/松平尚也(AMネット)
 (2)世界の水事情/佐久間智子
 (3)水に関する人権への視点/藤井 大輔氏
 (4)水は公共のもの~インドネシアの事例から~/堀内 葵
 (5)水基本法(仮称)制定に向けて/三戸一宏氏
15:10 - 15:30 休憩
15:30 - 16:30 参加者を交えたラウンドテーブル(質疑応答) 司会:神田浩史
16:30 閉会の挨拶
16:35 終了


【 共催団体プロフィール 】
■NPO法人 AMネット
   1996年設立。経済のグローバル化が私たちの生活や労働条件、自然環境などにもたらす影響について調査研究し、政策提言を行なうNGOです。世界の問題と足下の問題のつながりを意識し、私たちの普段の暮らしを見つめ直そうと月1回入門講座イベントを開催しています。現在の主なテーマは(1)食・農分野、(2)水分野、(3)地域のつながりの強化、の三つです。

【お問い合わせ先】
〒531-0064大阪市北区国分寺1-7-14 国分寺ビル6階
TEL:06-4800-0888 / FAX : 06-4800-0888
E-mailamnetosaka at yahoo.co.jp
URL:
http://am-net.org / BLOG : http://am-net.seesaa.net


■NPO
法人 水政策研究所

   2004年設立。流域の現状を調査・把握して問題点を明らかにし、その改善策を研究する非営利団体です。市民に対して水環境に関するPRや情報提供、または災害時等においての訓練・研修活動や水道局事業に関する普及啓発活動などの実践活動を自主的、および関係行政機関等の委託事業として実施・支援することによって、河川環境の保全と地域の安全に関する事業を行い、それにより地域住民の公益増進に寄与することを目的とします。

【お問い合わせ先】
〒530-0041 大阪市北区天神橋3-6-26
TEL:06-6882-6767 / FAX : 06-4800-2226
E-MAILwater-policy at cosmos.ocn.ne.jp
 
URL
http://www.water-policy.com/htdocs/         
==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●北電泊原発再開の妥当性と今後への影響

2011年09月21日 00時01分08秒 | Weblog


videonews.comでの神保哲生さんと萱野稔人さんの議論http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/002024.php)。

 (いろいろあって、1週間前に)引き続き、泊原発再開問題について。今後の原子力発電再開への影響などについて。
 第一の突破口オウンゴールで逃した後、泊原発は点検中(調整運転中、実質的な稼働中)の原発を営業運転に切り替えただけとはいえ、やはり第2の突破口をクリアすることで、今後の運転再開や建設再開、新規開発への外堀を埋めることに少なからず貢献していることは確かだ。また、原子力癒着ムラの住人が作成・実施するストレステストにどれほどの意味と効果が期待できるか、を考えると、これまた悲観的な気分になる。

==========================================
http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/002024.php

ニュース・コメンタリー (20110820日)
泊原発再稼働の妥当性を考える

 北海道泊原子力発電所の3号機が、福島第1原発事故以降、全国の定期定検中の原発で初めて営業運転を再開したが、われわれはこれをどう受け止めるべきなのか。
 泊3号機については、311日の震災発生前の段階ですでにフル稼働状態で臨界に入っていたことから、政府はこれは再稼働に当たらず、ストレステストの1次評価の対象外とした。そして、以前から再稼働に前向きな姿勢を見せていた高橋はるみ北海道知事が営業運転を認め、37日から調整運転に入っていた泊3号機は817日に正式に営業運転を開始した。
 政府の新しい方針では、定期点検を迎えた原発は、起動準備が整った段階でストレステストの1次評価を受け、そこで再稼働の可否が判断されることになっていた。そのため現在全国で54基中32基の原発が定期検査のために停止したままになっている。しかし、すでに実質的に再稼働していた泊3号機だけは1次評価の対象とせずに、例外的に稼働を認めた形だ。
 これが定期点検のために停止中の原発再稼働の先例になるとの指摘があるが、それは疑問だ。
 泊は福島の原発事故発生の段階ですでに稼働していた。実際311日に臨界に達し、電力も供給していた、いたって例外的な事例だった。今回の泊の営業運転の再開というのは、行政上の名目が調整運転から営業運転に変わったに過ぎない。それ以外の原発については、調整運転を始める前にストレステストが義務付けられている
 例えば、泊の前に再稼働が取りざたされ玄海原発は大きく事情が異なる。玄海原発の場合は完全に停止中で、これを再稼働するということは、これから核燃料を注入した上で調整運転に入り、そして営業運転へ向かうことを意味する。
 今回の泊3号機の再稼働は、定期点検で停止していた原発の再稼働の先例という意味よりも、むしろこれが特殊な事例とすることで、ストレステストの重要性がよりクローズアップされる結果となった。
 しかし、仮に基準を作った段階ですでに実質稼働していたからとはいえ、重大事故が起き得ることに変わりはない。泊周辺には活断層の存在も指摘され、原子力安全・保安院原子力安全委員会による最終検査結果の二重チェックが、全く形ばかりのものであることも明らかになったばかりだ。
 泊原発3号機営業運転再開をどう見るかを、ジャーナリストの神保哲生と哲学者の萱野稔人が議論した。
==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●記憶遺産その後 ~山本作兵衛翁のスケッチブック見つかる~

2011年09月20日 00時32分44秒 | Weblog


asahi.comから(http://www.asahi.com/national/update/0914/SEB201109140062.html)。

 地元以外では、山本作兵衛翁の世界記憶遺産の記憶は既になくなりつつあるのでしょうかね。上野英信さんの筑豊文庫も記憶の果てになって久しい。炭鉱の記憶は失われていく。

==========================================
http://www.asahi.com/national/update/0914/SEB201109140062.html

201191534
作兵衛「超一級」の17枚 1冊目のスケッチブック発見

 ユネスコの世界記憶遺産に登録された炭鉱記録画を描いた山本作兵衛(1892~1984)が、本格的に絵筆を握った1958年当時に描きためたスケッチブックが、福岡県田川市の民家から見つかった。作兵衛の1冊目の作品と見られ、関係者は「作兵衛研究のうえで超一級の資料」と話している。

 水彩と墨絵で、画用紙に1千点以上の作品を残した作兵衛は57年に日記の余白や広告の裏に絵を描き始め、58(昭和33)年から本格的にスケッチブックに多くの絵を描いた。1冊目と見られるスケッチブックは縦24センチ、横30センチで計17枚。表紙左上に「NO1 位登炭坑」、表紙の裏には「33年秋」と記されている。

 すべて墨絵で、うち8枚は仲間が犠牲になった1940年の炭鉱水没事故の様子だ。10日目に奇跡的に生還した仲間との再会や、遺体の搬送などが時系列で描かれている。
==========================================


 もう一つ関連した記事(http://www.asahi.com/national/update/0917/SEB201109170014.html)。

==========================================
http://www.asahi.com/national/update/0917/SEB201109170014.html

20119171736
山本作兵衛展、同時開催 ユネスコ遺産の過酷な炭鉱記録

 ユネスコの世界記憶遺産に登録された炭鉱記録画や文書を集めた「山本作兵衛コレクション展」が17日、福岡県田川市の市石炭・歴史博物館で始まった。墨絵10点、水彩画20点のほか、日記や写真、ユネスコの認定証など約90点を展示する。

 開館の前、作兵衛の遺族や小川洋・福岡県知事らがテープカットをした。伊藤信勝市長は「貴重な未来への遺産として、後世に残していきたい」とあいさつした。訪れた福岡県水巻町の男性(78)は「炭鉱労働の過酷さがよくわかる貴重な記録だ」と話した。

 同じ田川市内の中村美術館でもサテライト展示「山本作兵衛原画特別展」が17日から始まった。作兵衛が生前友人らに贈った原画約30点を展示し、絵筆を本格的に握ったとされる1958年に描きためたスケッチブックも公開されている。

 開催期間は市石炭・歴史博物館が来年1月9日まで、中村美術館は来年1月10日まで。(小川裕介)
==========================================


 お~、なんと東京新聞の「筆洗」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011091802000029.html)にも取り上げられている!

==========================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011091802000029.html

筆洗
2011918

 国内で初めてユネスコの「記憶遺産」に登録された山本作兵衛の炭鉱画五百八十四点を収蔵している福岡県田川市の石炭・歴史博物館を先日訪ねてきた▼♪あんまり煙突が、高いので、さぞやお月さん、煙たかろの「炭坑節」の歌詞で有名な二本の巨大な煙突が往時の面影を残している。展示室に作兵衛の言葉が飾ってあった。<ボタ山よ汝人生の如し 盛んなるときは肥えふとり ヤマ止んで日日痩せほそり 或いは姿を消すもあり あゝ哀れ悲しきかぎりなり筑豊地方などに数多くあったボタ山は、炭鉱の閉山とともに姿を消した。明治から戦後にかけての日本のエネルギーを支えた労働の記憶は、六十六歳でツルハシを絵筆に持ち替えた作兵衛の存在によって、後世に伝わった出水やガス爆発、逃亡者へのリンチ、米騒動を鎮圧する軍隊。その絵はまるで人間扱いされなかった地の底での過酷な労働の実態を詳細に描き出す。それだけではない。ヤマで暮らしていた労働者たちのたくましさも同時に伝えているのだ戦後、原子力発電の時代が到来すると、かつて全国各地の炭鉱を放浪したように、多くの下請け労働者が原発を渡り歩くようになる。福島第一原発の事故の収束を支えているのもこの人たち炭鉱は負の遺産を残しながらも、炭坑節や作兵衛の絵を生んだ。原発はなにを残したのだろうか
==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●室原知幸さん「公共事業は法にかない、理にかない、情にかなうものであれ」

2011年09月19日 00時01分25秒 | Weblog


とある市民講座にて、ごく僅かではあるが、たまたま下筌ダムの話題が。質疑の時間にJFEのOBの方だったでしょうか、「本日は水力発電の話だったが、室原知幸さんの言う「公共事業は法にかない理にかない情にかなうものであれという言葉の「理にかない」ということについて、講師はのはどういう風に思われるか?」といった少々きつい質問であった。
 予想外に、まさか室原さんのお名前が出るとは思わなかった。ましてや、この「
公共事業は法にかない理にかない情にかなうものであれという言葉も。聴講されていた、特に若い方たちは、質問の意味や、室原さんのお名前、下筌ダムや蜂の巣城とこの言葉の関係を理解することが難しかったかもしれない。
 といっても、私も
松下竜一さんの『砦に拠る』の中での室原さんのイメージしか持っていないのだけれども。

 市民講座のこの講演で若干気になったこと。「小出裕章さんが仰っている火力と水力発電でピーク電力が賄えると云うのは誤解であり、なぜなら火力と水力発電の稼働率が100%ではなく、70%程度であるためだ」、とのご発言があった。でもこれこそ誤解じゃないだろうか。ピーク電力が発生するのは夏場のごく数日の話であり、そのピークに合わせるために原子力発電所を稼働しなければならないという論理こそ「理にかなっていない」と私は思う。自家発電や節電で、事実、この夏は余裕で「足りとるやん!」状態だったことを考えれば、小出さんの仰っていることこそ「理にかなって」いると私は思うが、どうだろう。

 準公共事業である発電・電力供給は、いま、「理にかなって」行われているだろうか? 福島第一原発人災が起こった途端に、(大人と子供の区別なく、という大問題も含めて)年間20ミリシーベルトという20倍に法を犯して我慢値(年間1ミリシーベルトという我慢値にも問題があるという説もある)を急増させたわけで、とても「法にかなって」はいない。さて、「情にはかなって」いるだろうか? 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●「死の町」にした者が悪いのではないか?

2011年09月18日 00時00分12秒 | Weblog


CML(http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-September/011753.html)で気づいた論考(http://news.livedoor.com/article/detail/5863443/http://news.livedoor.com/article/detail/5863443/?p=2)。

 第一報を聞いて、「死の町」にした者が悪いのではないか、人災で「死の町」化させてしまった者こそが批判されるべきではないのか? そう思ったのですが、この鈴木氏の論考に大きく頷かされました。「原子力ムラ」と云う虎の尾を踏んでしまった、というのが辞任の裏事情だったのでしょう。怖いものですし、マスメディアも「原子力ムラ」と一体化していることが理解できます。

==========================================
http://news.livedoor.com/article/detail/5863443/http://news.livedoor.com/article/detail/5863443/?p=2


自滅する国家 自壊するマスメディア - 鈴木耕
201109141917

 9月11日、大震災からちょうど半年。そして原発が荒れ狂い始めてから6ヵ月。この国は、何が変わったか? なんだか、何も変わっていないような気がするんだ、僕には。いっとき息をひそめていた連中がゾンビの如く甦り、また思いどおりに国を動かし始めた。違う?

 新聞を開けばまたしても「大臣辞任」。テレビは「なでしこジャパン」で大フィーバー(古い表現!)。「なでしこ狂想曲(放送局)」とでも駄洒落で名前を変えたらいかがかと思う僕は、ただの臍曲がり。
 
 むろん、なでしこたちの健闘ぶりは素敵だし、それを祝う気持ちは僕にもあるけれど、これでいいのか、と立ち止まってしまう自分がいることも確かだ。
 ツイッターを見ていたら、こんな呟きが目に留まった。

   @kentaro666 竹熊健太郎さん。
    「国家の自滅」なんて滅多に見られるものじゃない。
    歴史上、戦争もせずに自滅した国家なんてありましたか?

 ドキリとした。そのとおりじゃないか。僕らの国は、すでに崩壊過程に入っているのかもしれない。しかも最悪なことに、それを必死に押しとどめようとする気配が、政治にも文化にも感じられない。政治は放射能汚染になす術もない。子どもたちの被曝への不安は母親たちを独自の動きに走らせている。政治が機能しないからだ。

 原発の“安全神話”など、とうの昔に崩れ去った。もはや誰がそんなものを信じるか。効果を失くした古証文などさっさと捨てればいいものを、まだ後生大事に拝み続ける輩

 またしても“黒塗り”の事故対応マニュアルとやらを国会の委員会へ提出し、恬として恥じない東京電力。黒塗りではなく“恥の上塗り”。

 東京電力という会社は、「東電を潰すことはできまい。やれるもんならやってみろ!」と開き直ったとしか思えない。
 
 電力会社の地域独占体制を解体し、発送電分離による一層の電力自由化を実現しなければ、この国のエネルギー政策、つまり原子力政策を抜本的に改革することはできない。だが、それを阻止するために蠢きだした者たちがいる。春でもないのに、啓蟄よろしく、潜り込んで隠れていた泥の中から、ジュルジュルと姿を現し始めた。

 新しい未来図を描けない政治家や、金のことしか頭にない財界人、自身の保身のみを考える電力会社の経営者たち。こんな人たちが…。それこそ「戦争もせずに自滅する国家」への道か。
 
 そこからはみ出ようとする者は潰される

 鉢呂吉雄氏が、どこへ向かおうとしていたのかは、何もやれずに去ってしまった今となっては定かではない。だが、彼の経産相辞任劇は、僕にはどうも納得できない。確かに、「放射能つけちゃうぞ」とほんとうに言ってしまったとしたら、それはやはり大臣にふさわしくない、と批判されても仕方ない。だが、そう言われたという当の「毎日新聞記者」は、なぜか自分の言葉でその時の状況を正確に説明しようとしない。不可解。
 
 朝日新聞(9月13日付)が、この問題をやや詳しく取り上げている。それによれば、新聞各社の鉢呂氏発言は微妙に違う。

 「放射能をつけちゃうぞ」朝日、「ほら、放射能」読売、「放射能をつけたぞ」毎日、「放射能をつけてやろうか」日経、「放射能をうつしてやる」東京、「放射能をうつしてやる」産経、「放射能をうつしてやる」共同、「放射能を付けたぞ」時事…

 各社とも、「…との趣旨の発言をした」と逃げているが、これだけバラバラだと、その信憑性が疑われて当然だろう。

 もし、これらの記事を書いた記者が自分の耳で聞いていたのなら、こんなに多様な言葉が出てくるはずがない。つまり、きちんとした録音やメモをとってはおらず、“どこかのメディア”が発信したために「乗り遅れるな」とばかりに、あやふやな記憶や伝聞に頼って一斉に報じたとしか考えられない。しかも論調は「鉢呂、大臣失格」の大合唱。「右へならえ」の一斉報道ならば、メディアの独立性などないに等しい

 では、どこが最初に発信したか。朝日の記事によれば「『放射能』発言を最初に報じたのはフジテレビとみられる」ということだ。

 各メディアによって言い回しがみな違うということは、つまり、ほんとうは鉢呂氏がどう言ったのか、どのメディアも正確には掴んでいなかったことになる。

 鉢呂氏自身も「そう言ったかどうか記憶が定かではない」と会見で語っている。ならば、当の言われたという毎日新聞の記者自身が、正確に鉢呂氏が発したとされる言葉とその時の状況やニュアンスを明らかにするべきではないか。その“言葉”によって、ひとりの大臣の首が飛んだのだ。それは報道者としての当然の責務だろう。

 なぜ、隠すのか? どうも、怪しげな臭いがする。
 同じ朝日の記事によれば、こうだ。

 (略)毎日新聞は「毎日新聞記者に近寄り、防災服をすりつけるしぐさをしながら『放射能を付けたぞ』という趣旨の発言をした」と報道。9日に報じなかった理由は「経緯についてはお話ししかねる」(社長室広報担当)という。

 妙な話だ。鉢呂氏の発言は8日の午後11時20分ごろ。それをフジテレビが報じたのが、なぜか翌日(9日)の午後6時50分過ぎ。なぜこんなに時間がたってからの報道だったか。さらに、新聞各社が報じたのは10日朝刊。どうもおかしい。

 しかも、ネタモトの毎日新聞は「…という趣旨の発言」と、妙に奥歯に物の挟まったような表現で、その上「経緯は話せない」と言う。いったいなんなんだ、これは。自社の記者への発言だったのなら、正確に伝えればいい。なぜ隠す必要があるのか。なぜこんなにも報道が遅れたのか。裏にどんな事情があったのか。

 ここまで調べて書いた朝日だが、自分のところのこととなると、とたんに歯切れが悪くなる。同記事の末尾に、こんなふうに付け加えている。

 朝日新聞の渡辺勉・政治エディターは「8日夜の議員宿舎での発言の後、鉢呂氏は9日午前の記者会見で『死の町』とも発言。閣僚の資質に関わる重大な問題と判断して10日付朝刊(最終版)で掲載した」と話す。

 おかしくないか? なぜ10日の朝刊最終版だったのか。9日午前の「死の町」が問題になったといっても、「放射能」は8日夜のことだった。ならば、9日夕刊には十分間に合う。それがなぜ10日のしかも最終版になったのか。まるで説明になっていない。
 
 「『死の町』発言が閣僚の資質に関わる重大な問題なのかどうかを、果たして社内できちんと判断したのか」という疑問はさておいても、「他社に遅れてはならない」の横並び意識、そこには「これをどう報じるべきか」の逡巡も迷いも疑問も自らへの問いかけも再調査への意識も問題化すべきかどうかの判断も、ここにはまるでないではないか。

 朝日が、この問題に目をつぶらなかった姿勢だけは認めるにしても、それならば自らの姿勢もきちんと問うべきではなかったか。

 よってたかっての「鉢呂おろし」。少し前の「菅おろし」の、あの凄まじいメディア・スクラム報道とどこが違うのだろう。こういう一色に染まった報道が人々の不信を買い、マス“ゴミ”(僕は嫌いな言葉なので使わないが)とネット上などで吐き捨てられるようになりつつあることに、なぜ、当のマスメディア内部の人たちが気づかないのか

 鉢呂氏の「脱原発」志向と今回の“鉢呂おろし”は、果たして無関係だったか。もし、まったく関係なかったのだとすれば、なぜこんな一斉報道が巻き起こったのか。それを検証する義務が、マスメディアにはあるのではないか。

 もうひとつの辞任理由の「死の町」発言については、なぜそれがこんな大問題になるのか、僕にはよく分からない。チェルノブイリのルポなどで「死の町」とか「ゴーストタウン」などという表現は、これまでに何度も目にした。新聞や雑誌で読んだし、テレビのリポーターがそう言うのを耳にしたことも、何度もある。外国への表現はなんでもなくて、日本国内での言い回しであれば問題化される。どうにも納得いかない。

 これについて、的確に呟いてくれている方がいた。


   @tako ashi
小田嶋隆さん。
    「死の町」という描写は被災者の心を傷つけた。だから大臣は辞任した。
    ということはつまり、被災地を描写するにあたって「被災者を傷つけない言葉」を
    見つけることができなかった人間は、被災について言及することが許されない。
    実質的な言論タブーの成立ですよ。


 この文意に、僕は賛同する。僕も文章を書いている。むろん、読んでくれる方たちに“不快の念”を与えないように、それなりに注意を払って書いているつもりだ。しかし、それでも「不快だ」という方が時折反論や批判を寄せてくる。それは仕方ない。

 

 だが、当事者に成り代わって「当事者はきっと不快に思うだろう。だからお前の言葉はおかしい」と、なぜマスメディアが鬼の首を取ったように騒ぎ立てるのか。大きな影響力を持つ新聞やテレビが騒ぎ立てれば、まずある種の政治勢力が喚き始め、それをさらにマスメディアが増幅する。報道に煽られた当事者たちも、やがて「どうも、不快に思わないといけないらしい」という心理に陥る…。そういう図式ではないだろうか。

 被災者に対し「あの『死の町』発言をどう思われますか」と記者が問いかければ、「あまり気持ちのいい言葉ではない」「愉快ではないよね」「不快です」という答えが返ってくるのは自明だろう。だが「確かにもう帰れないかもしれない。『死の町』かもしれないなあ」と感じている被災者だっているだろう。だが、そこは取り上げられない。そして「被災者のみなさんは、不快感を露わにしました」という報道一色になる。そこからは「そんな言葉を発した鉢呂氏は、大臣にふさわしくない」という結論が、否応なく導き出される。

 今回の報道が、(最初に報じたテレビ局の意図はわからないが)ある同じ意図で一斉に行われた、とまで僕も言うつもりはない。だが結果として起きた現象は、まさにそういうことだ。不気味な現象。

 「脱原発」の記事や放送を、事故以前は(原発マネーで飼い馴らされて)ほとんどできなかったマスメディアが、少しは“原発安全神話”への疑問を報じ始めたと思っていたが、やはりその本質は変わっていなかった、ということなのか。

 「死の町」発言を被災者たちが不快に感じた、というよりは、その一斉報道ぶりを不快に感じた、というのがほんとうのところではないか。まともな食料も入手できなかった被災者が、テレビ各局が大好きな「グルメ番組」を観てどう感じたか、聞いて回ってみるがいい。「グルメ番組、楽しいですか?」と。「不快なのはどちらですか?」と。

 「死の町」発言をほんとうに「不快だ」と感じたのは、実は被災者の方々などではなく、「死の町」を造りだしてしまった政治家・電力会社・財界・学者、そして当のマスメディアの人々だったのだ。だから、これほどまでに過剰反応したのだ。これは正しい。僕は断言する。

 郷原信郎(弁護士、名城大学教授)氏が、ご自身のブログ(9月11日)に「鉢呂経済産業大臣辞任の不可解」というタイトルで、次のように書いている。

     (略)どうして、このようなことで、経済産業大臣という重要閣僚が、しかも就任直後に、
    辞任しなければならないのだろうか。しかも、発言の事実関係や意図・動機等は
    ほとんど明らかにならないまま、あっという間に辞任会見が行われた。
    全く不可解というほかない。
    
 まず①の言動(注・「放射能つけちゃうぞ」発言)は、確かに子供じみたものではあるし、
    原発事故被災者が知れば不快に思う軽率な行動と言えるだろう。(略)その行動が、
    どれだけの悪意によるものか、或いは、鉢呂氏本人の「放射能」への無神経さを
    表すものなのかは、前後の状況、発言時の本人の態度等を明らかにしないと
    判断できないはずだ。(略)一方、鉢呂氏からそのようなことをされた相手の記者の
    具体的な証言は全く出て来ないし、そもそも、その記者が一体誰なのかもよくわからない。
     ②の発言(注・「死の町」発言)も、私には、それがなぜ問題なのか、よくわからない。
    原発周辺の市街地が「死の町」であることは客観的事実だ。我々は、今後も、
    容易には「生きた町」に復活させられるとは思えない「死の町」を作ってしまったことを
    真摯に反省し、被災者への賠償、事故の再発防止対策を行い、今後の原発をめぐる論議を
    行っていかなければならない。そういう意味では、「死の町」というのは現実であり、
    それを視察した大臣が、その通りに発言することが、どうしてそんなに悪いことなのだろうか
    (略)
     原発事故で被災した町を「死の町」と表現するかどうかではなく、その現実を受け止め、
    今後、そういう事故を二度と起こさないためにどうしようとするのかが、
    問題なのではないのか。(略)

 

 これが当たり前の感覚だと、僕も思う。ことはあまりに不可解だ。もっとも、だからといって郷原さんは「鉢呂氏を擁護する気は全くない」と続ける。事実関係のろくな説明もなしに辞任するのは、閣僚の責任感欠如だし、「その程度の人物なのであれば、経産大臣を続けていても、ろくな仕事はできなかったであろう」と辛口で締めくくっている。

 僕には、鉢呂氏の資質を云々するだけの知識はないが、郷原さんの言うことは納得がいく。

 今回の「死の町」騒動での、自民党の石破茂政調会長や石原伸晃幹事長のような大はしゃぎの鉢呂批判は、おのれの吐いたツバが自分の頭に降りかかる典型例だろう。「死の町」を造ったのは、まさに、旧来の自民党政権の原子力政策そのものだったではないか。自分たちの蒔いたタネが、いま「死の町」として福島に噴き出た。どこに、批判できる資格があるというのか

 マスメディアも、言葉尻で「死の町」騒ぎを演ずる前に、その「死の町」を造った者たちの責任を追及するのが筋ではないのか。でも、そのマスメディアも原発マネーに汚染された「原子力ムラ・ペンタゴン」の一角であったことを考えれば、そんなことを言っても虚しいか。

 あの「朝日がん大賞」受賞のミスター100ミリシーベルトこと山下俊一福島県立医大副学長を、朝日新聞「ひと欄」(9月1日)が褒め称えたことを、僕は忘れてはいないよ。

==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●福島第一原発に潜入したジャーナリスト

2011年09月17日 00時02分39秒 | Weblog


山岡俊介さんのアクセスジャーナルhttp://www.accessjournal.jp/modules/weblog/)の9月13日の記事。

 まだ手にしていないが、貴重な潜入記である。山岡さんの過去の記事から、こんなに易々と〝潜入〟出来て良いのかと不安になるし、それは山岡さん自身が感じられたことではないだろうか。原発作業員の声は、綿井健陽さんさんらごく少数のジャーナリストからしか届けられていないし、東電やマスコミが取り上げることなどあり得ない状況。樋口健二さんへのインタビューも注目。

==========================================
http://www.accessjournal.jp/modules/weblog/の2011年9月13日】

2011/09/13
<本紙・山岡の出版のお知らせ>『福島第一原発潜入記――高濃度汚染現場と作業員の真実』(双葉社。9月27日から全国発売)
執筆者: Yamaoka (6:10 pm)

 この間、すでに東日本大震災に端を発する原発関連本はかなり出ている。だが、本書のような切り口のものはないと断言できる。
 それはそうだろう。福島第一原発に潜入したマスコミ人はボク1人で、その手口が詳細に書かれているのだから。
 もっとも、「それがどうした!?」と思われるかも知れない。確かに、潜入の手口を知ったところで何か実益があるとは思われない。だが、注釈などを多く入れることで、潜入のエンターテイメント性を楽しみながら、通読すると、「原発の本当の姿」について知識が身につくという作りになっている。
 さらに、本書のもう一つの大きな特徴は、紙面の約4割は原発で働く人の生の声を入れている点で、これも他の原発関連本ではあり得ない。
 ボクが原発作業員の声にこだわったのは、原発は事故の時だけでなく、日常的に作業員の被曝の上に成り立っている現実があるからだ。
 今回の福島第一原発の事故を契機に、原発の是非が問われている。反対派の最大の理由は、事故が起きた時のリスクの大きさに尽きる。だが、それ以前に、作業員の日々の被曝なしで成り立たないようなものを稼働させていいのか!?
 エラソーに能書き垂れたり、この間の自衛隊や警察などの活動を英雄視するような(公務員なのだから当然)他のマスコミ関係者のものとはワケが違い、必ずや何らか得るところがあると自負している。
 実に40年近くも前から原発被爆者の取材をしている写真家・樋口健二へのインタビューも掲載している。また、佐高信氏に本書を推薦してもらった。(1300円)
==========================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする