Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●『月刊誌3冊』読了(1/3)

2009年04月18日 07時27分25秒 | Weblog


『紙の爆弾』(20092月号)・『紙の爆弾』(20094月号)・『冤罪ファイル No.05(20093月号)3月に読了。

『紙の爆弾』(20092月号)
 橋本玉泉さん「ついに暴かれつつある大新聞の欺瞞――「押し紙 = 部数偽装」の実像と言論圧殺」(pp.2-6)烏賀陽さんに対するオリコンのSLAPPについても。
 「紙爆ライブラリー」(p.7) は『ポチの告白 CONFESSIONS OF A DOG―』。

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●『月刊誌3冊』読了(2/3)

2009年04月18日 07時24分05秒 | Weblog

 佐藤雅彦さんの「経済無策・外交無能のバカ殿政権/「マルチ商法内閣」「貸しはがし内閣」で迷走する麻生太郎にダマされるな!(pp.8-15)。麻生事務所、野田聖子とアムウェイの関係。

『紙の爆弾』(20094月号)
 紙爆編集部「「投資話」「ありもしないファンド」/「麻生一族のアキレス腱」が関わる詐欺事件を緊急告発!(pp.18-23)
 小松玲子さん「気に入らないテナントは即締め出し?/カフェ・ベルクが語る〝勝ち組〟「ルミネ」の真実」(pp.66-71)
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●『月刊誌3冊』読了(3/3)

2009年04月18日 07時16分02秒 | Weblog


『冤罪ファイル No.05(20093月号)
 巻頭インタビューは落合恵子さん「冤罪は最大の人権侵害の一つです」(pp.2-9)
 「最高裁、判決迫る/「創」篠田編集長 特別寄稿/和歌山毒カレー事件の重大局面」(pp.10-30)安田好弘弁護士の発言「カレー鍋に入っていたヒ素は135グラム、・・・濃度も大変なことになります。/・・・ヒ素に関する知識のない人だと考えるのが合理的なんです」。林夫妻の自宅への悪罵の落書き、「毒婦」などのマスコミによる烙印、理解に苦しむ・・・。
 今井恭平さん「3度の死刑判決からの生還/八海 (やかい) 事件」 ―死と隣り合わせで、無罪を勝ち取った18年―」(pp.86-116)

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●『月刊誌3冊』読了(1/4)

2009年04月14日 07時21分26秒 | Weblog

『紙の爆弾』(20091月号)・『冤罪ファイル No.04(200812月号)・『創』(20093月号) の月刊誌三冊、2月に読了。

『紙の爆弾』(20091月号)
 小松玲子さん「麻生首相邸見学ツアー/フリーター青年3名が白昼堂々〝不当逮捕〟を検証する」(pp.2-7)
 佐藤雅彦さん「吉田茂「爺ちゃんの名にかけて」恥を上塗り―/とてつもない無策無政で日本をダメにする麻生太郎にダマされるな!(pp.8-15)。有名な差別事件について、「・・・野中が同党総務会で麻生を厳しく追及、麻生がか何も答えず顔を真っ赤にしてうつむいたまま恐縮していた、という事件」。
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●『月刊誌3冊』読了(2/4)

2009年04月14日 07時20分51秒 | Weblog
【『紙の爆弾』・『冤罪ファイル No.04・『創』
 『冤罪ファイル No.04(200812月号)
 巻頭インタビューは、やく・みつるさん (pp.4-11)
 富山 (氷見) 冤罪国賠 (柳原浩さん) を支える会が発足 (p.2)。刑務所で服役し、出所後に真犯人が逮捕されて無実が明らかになったひどい冤罪事件。
 里見繁さん「現役テレビプロデューサーの「取材現場発!」/死刑囚の手紙――冤罪・袴田事件(pp.36-53)。「07年の3月に、元裁判官の熊本典道氏が」無罪の心証を告白。
 「高知 白バイ事件/最高裁「上告棄却」で実刑確定/冤罪を訴えるスクールバス運転手に、収監直前インタビュー」(pp.60-62)片岡晴彦さんがとうとう収監されてしまった。
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●『月刊誌3冊』読了(3/4)

2009年04月14日 07時19分53秒 | Weblog
【『紙の爆弾』(20091月号)・『冤罪ファイル No.04(200812月号)
                                        
・『創』(20093月号)
『創』(20093月号)
 斎藤貴男さんの「「非国民」のすすめ/第42 サバイバーの現在」(pp.84-87)。「サンデープロジェクト」や『週刊現代』といった「・・・報道の主体であるはずのテレビ局や雑誌の版元には目もくれず、横山さん個人だけを標的にした手口が、今時の権力らしい手口と言うべきか」。横山剛さんに対する新銀行東京によるSLAPP。「新銀行東京と、その背後にある石原慎太郎都政に対する徹底抗戦を誓う文面を、彼は読み上げた。/「・・・〝思想・言論の自由市場〟が成り立ち、様々な言論が互いに影響し合って、多くの人々が健康で文化的な生活をすることができるよう、よりよい社会を実現するためのものであると考えます。・・・邪魔者は抹殺しろとばかりに、取材源である私個人の言論弾圧、表現・言論の自由の制限、またぞろ血税を使って行うという暴挙に出たのです」」。「・・・モビングです。集団による傷害、暴行虐待と言うべきもので・・・」。「・・・政治の失敗とか劣悪な雇用環境とか、根本的な原因を改めようとしなければダメに決まっているじゃないですか。社会が硬直化しすぎている」。
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●『月刊誌3冊』読了(4/4)

2009年04月14日 07時18分21秒 | Weblog


【『紙の爆弾』(20091月号)・『冤罪ファイル No.04(200812月号)
                                      
・『創』(20093月号)
 森達也さんの「極私的メディア論/第40 死刑制度について」(pp.88-91)。「・・・僕の感覚では、HEROの呼称に値するのは、強大な国家権力に対峙する在野の弁護士だ。ところが近年、オウムや光市母子殺害事件などを例にあげるまでもなく、・・・バッシングが強まっている」。ヨーロッパでは、ベラルーシ以外はすべて、既に死刑を廃止。当初は6割が死刑存置を主張していても、廃止後は、およそ6割が死刑復活に反対するようになるらしく、「死刑を廃止しても凶悪犯罪が増えないことが、その理由のようだ」。「・・・死刑を存置すべき確固たる理由があるのなら、国際社会からの批判や抗議など無視して、胸を張って執行を続ければよい。/でも死刑を存置すべき確固たる理由は、いくら探してもどうしても見つからなかった。これは僕の結論。いかなる場合であろうと人は人を殺してはいけない。殺させてはいけない。だから廃止を主張する」。テレビのドキュメンタリー (NNNドキュメント2008だったかな??) でも見たが、松本サリン事件の河野義行さんについて、服役を終えて出所したある信者は庭木の剪定など河野さんの家を訪れており、親しく両者は接している。「ありえない想像だけど、もしも麻原死刑囚が家を訪ねてきたとしても、河野さんはきっと、よくいらっしゃいましたと迎え入れるに違いない」。
 浅野健一さん「広島拘置所面会室で元少年に直撃/光市母子殺害事件元少年は報道をどう見たか」(pp.124-129)

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●『石原莞爾/その虚飾』読了 (1/2)

2009年04月13日 07時57分30秒 | Weblog

『石原莞爾/その虚飾』、2月に読了。佐高信著。講談社文庫。20038月刊。

 石原莞爾に対して、市川房枝さん (p.11) や藤沢周平さん (p.144) さえもが甘い評価を・・・。

 魯迅との人間性の対比。「「ああ、もはや言うべき言葉はない」/そう思って魯迅は医学の道を捨てる。・・・/・・・同じころ、仙台にいて、魯迅は一大決心をしたのに、石原は自らの逸物を描いていた。・・・あまりに激しいコントラストではないか」(p.51)

 沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』に同様なことが描かれている。「・・・板垣と石原が・・・満州事変を引き起こした・・・放火行為や軍律違反が罰せられず、むしろ、論功行賞の対象となって栄進するという悪しき前例をつくった・・・「因果は廻る国軍」で、石原が中央の命令に服さぬ武藤らを懲罰する立場に立った時、石原を模範としてやっているといわれて引きさがってしまったことが軍紀を乱す要因となった・・・」(p.60)
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●『石原莞爾/その虚飾』読了 (2/2)

2009年04月13日 07時55分41秒 | Weblog

『石原莞爾/その虚飾』、佐高信著】
 「 手と足をもいだ丸太にしてかへし
     万歳とあげて行った手を大陸へおいてきた
/・・・鶴彬は、こうした刺し貫くような反戦川柳をつくって逮捕され、赤痢にかかって、手錠をかけられたまま、二十九歳で病死した」(p.78)

 「のちに筑豊の炭鉱に入った記録文学作家の上野英信 (本名、鋭之進) も建大に学んだ一人・・・/・・・上野の小伝を書いている川原一之は、・・・/上野は建大時代のことを黙して語らなかった。・・・/・・・石原は「・・・、さっさと満州を去った」・・・。残された力なき若者たちは・・・、その精神に手ひどい傷を負った」(pp.153-155)

 退官してもどこへも天下らなかった」〝異色官僚〟佐橋滋さん (pp.188-191)

 
「留学生の父」と慕われた穂積五一さん (p.261)

 
「尋問を受けたほとんど全員が「自分は戦争に反対だった」と言って責任をの免れようとする中で・・・」、ただ一人「・・・他人の戦争責任を語らず、尋ねられても「私は知らない」と詳述を拒んだ」広田弘毅、その広田の絞首刑の判決に下された時、首席検察官キーナンは「何と馬鹿げた判決か。広田の絞首刑は不当だ」 (p.305)

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●『ココロミくん』読了

2009年04月10日 07時49分06秒 | Weblog

『ココロミくん』、2月に読了。べつやくれい画文。アスペクト。20067月刊。

 やらなくていいことの「試み」シリーズ第1集。「・・・気になったことや物を、見たりやったり作ったりしてみました、というレポート的な内容です。・・・やらなくていいことをやったという報告、そしてそれで得られた大変にわずかな知識を集めた本です」(pp.2-3)

 「新しいコスプレ」(pp.32-41)。スタバの店員のコスプレ (緑エプロンに円形のロゴを自作) をして、他店に偵察に行ったり、スタバ本店に行ったり。「・・・本物の方に目撃される。・・・本物の方と目が合う。・・・もしかして私のコスプレ見に来てますか? みなさん。大変恥ずかしいが、ちょっとだけ嬉しい。」

 「かっこいい鼻メガネ」、「タコウィンナー天国」、「キューキューいうサンダルを作る」、「新しい顔ハメを考えました」、「クレープの限界に挑戦」、などなど。タイトルを見ても何のことかわからないでしょうが。

 T文庫にて。

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●『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』読了(1/5)

2009年04月08日 07時55分35秒 | Weblog

『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』、2月に読了。共同通信社社会部 (田中章・魚住昭・保坂渉・光益みゆき)。新潮文庫。19998月刊。

 「第一章 戦後賠償のからくり」、「第二章 参謀本部作戦課」、「第三章 天皇の軍隊」、「第四章 スターリンの虜囚たち」、「第五章 よみがえる参謀たち」。資料編として、崔英沢・井本熊男・イワン=コワレンコのインタビュー、『沈黙のファイル』年表。

 プロローグ (pp.10-11) にて、19956月の自衛隊幹部学校での軍事史学会で瀬島龍三は「・・・大東亜戦争を侵略戦争とする論議には絶対に同意できません」と発言しているが・・・、「瀬島は旧陸軍参謀本部作戦課のエリート参謀・・・三十歳で事実上、対米英戦の作戦主任となり、・・・四百万人の軍隊の生死を左右した。/戦後、・・・中曽根康弘、竹下登ら「歴代首相の指南役」「政界の影のキーマン」と呼ばれるまで出世階段を上り詰めた。/・・・華麗な経歴。・・・大きな謎がつきまとう。無謀で愚かな戦争の核心にかかわった瀬島が、なぜ不死鳥のようによみがえったのか。敗戦、シベリア抑留、対韓賠償防衛庁商戦中曽根政権誕生・・・その軌跡をたどれば、戦後日本の暗部に潜む沈黙の歴史が見えてくる」。
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●『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』読了(2/5)

2009年04月08日 07時54分33秒 | Weblog
『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』、
                 
共同通信社社会部 (田中章・魚住昭・保坂渉・光益みゆき)
 「セーさん (瀬島) の下でインドネシア賠償にからむビジネスをやってたんだ」(p.13)。「アジア諸国への謝罪と賠償。それは日本が避けて通れない道だった。・・・/だが、・・・巨額賠償は、日本製品購入が条件の「ひも付き」だった。・・・日本と相手国の政財界を潤す資金源にもなった。/戦争で傷つき苦しんだ人々が置き去りにされた戦後賠償のからくり・・・・・・」(pp.62-63)。「日本企業のアジア進出の契機となり、癒着の温床ともなった戦後賠償ビジネス。その取材を進める過程で私たちに浮かんできたのは「一体、誰があの愚かな戦争を始めたのか」という素朴な疑問だった」(pp.64-65)。「一九四一年・・・参謀本部作戦課。瀬島龍三は書記に新しい筆と硯を用意させ、電報文に暗号文を書いた。・・・/・・・マレー半島に進攻せよという意味だ。/太平洋戦争の始まりだった。筆を持つ瀬島の手が震えた」(p.65)
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●『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』読了(3/5)

2009年04月08日 07時53分35秒 | Weblog
『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』、
                 
共同通信社社会部 (田中章・魚住昭・保坂渉・光益みゆき)
 七三一部隊のやっていたこととその証拠の隠滅 (p.135)。「元少年隊員の・・・は戦後、部隊関係者が設立した日本ブラッドバンク (ミドリ十字の前身) に一時務めた・・・。七三一部隊での出来事を他人に語れるようになったのはつい最近のことだ」。その元少年兵が出会ったある被爆者の語り部は集まった子供たちに訴える、「なぜ広島に原爆が投下されたのか、その実態を勉強してください。私も原爆で足をけがしたけれど、実は戦争の加害者だった。・・・私は被害者であるとともに加害者なんです。・・・」(pp.152-153)

 「「・・・ソ連に原爆の不発弾を渡そうとしたのも米ソ対立をあおるためだ。・・・」/・・・がソ連に渡そうとした「不発原子爆弾」も、原爆と一緒に落下傘付きで米軍が投下した高層気象観測装置ラジオゾンデだったことがわかった。・・・誤認されていた。/・・・が描いた米ソ衝突のシナリオはこうして崩れ去った」(pp.174-175)
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●『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』読了(4/5)

2009年04月08日 07時52分54秒 | Weblog
『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』、
                
共同通信社社会部 (田中章・魚住昭・保坂渉・光益みゆき)
 「・・・「協定」中に関東軍将兵の帰還や抑留についての記載はない。・・・/・・・原文にない「更に軍将兵、一般日本人の本国送還」の十六文字が・・・加筆されていた。/あってはならない歴史的文章の改竄。全抑協から出版前の原稿点検を頼まれた瀬島の行為だった」(pp.192-193)
 シベリアでは、「・・・将校のつるし上げが横行した」(p.208)撫順との違い。

 「逮捕当初の瀬島の供述は、・・・/だが、この供述は事実と違う。・・・立案にも直接参加した。・・・事実上対米戦の作戦主任として陸軍の中枢を担ってきた」(p.225)ある公害患者の会の事務局長は元関東軍兵士で、シベリア抑留経験を持つ。「僕らは朝、真っ暗なうちから・・・凍った土地の穴掘りの使役に出された。だけどは、・・・見送るだけだった。・・・兵隊とは別のきれいな部屋に住んで、・・・」。公害病の補償制度の改悪反対を陳情した時のこと、三十七年ぶりに、臨調委員の瀬島と再会。「シベリアで何度も死にそうになったけれど、生き延びて帰ってきたんです。それなのに今度は大気汚染で公害病になり、・・・あなたは軍隊で人殺しの作戦ばかり練ってきたでしょう。もう今度はそんなことしないでください」、「収容所では特別待遇され、使役に出る僕らを見送るだけだった瀬島さんが、兵隊たちの死を心から悼んでいるとはどうしても思えなかった」。後の電話では、瀬島の対応はそっけなく、さらに、「・・・これからどういう仕事をなさるんですか」との問いに、「「国家のために奉公します」/「国家のためとはどういう意味ですか」/「・・・・・・」/瀬島は黙ったままだった(pp.297-298)
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●『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』読了(5/5)

2009年04月08日 07時51分56秒 | Weblog
『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』、
                
共同通信社社会部 (田中章・魚住昭・保坂渉・光益みゆき)
 ある評論家は、「・・・この連載を読んで賠償はもう一度やり直す必要があると痛感しました/・・・瀬島氏は・・・戦前は国家、戦後は一転伊藤忠に忠誠を誓い、戦後の賠償を商売の機会にした。なぜああ堂々としていられるのか。驚きですね/・・・逆に戦争の方を『正しい戦争』に偽造するんです/・・・彼ら幕僚たちに共通するのは戦争責任の自覚がないことです。中曽根元首相のブレーンになり、天下国家まで論じるまでになった瀬島氏は戦後日本の象徴的存在ですね」(pp.302-304)

 解説 (pp.431-435) は船戸与一さん。「アジア諸国の二千万の死。日本人三百万の死。/これについて瀬島龍三の真摯な発言は聞かれない。要するにこの膨大な死者数については彼の心に触れることがないのだろう。/・・・日本的選良の共通した意識なのだ。そして、日本的土壌は易々と許容する。東京裁判のBC級戦犯は大概世を忍ようにして生きて来たのに岸信介のようなA級戦犯は甦った。・・・」

 城山三郎さんや石田禮助さん、中山素平さん、佐橋滋さん、・・・彼らと瀬島氏や中曽根元首相との違い。
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