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●オーラル・ヒストリー ――― 避難者の証言を記録『津島 ―福島は語る・第二章―』、土井敏邦監督「故郷を奪われる痛みに思いをはせてほしい」

2024年03月08日 00時00分37秒 | Weblog

[↓ 双葉町での聖火リレーに際しての大沼勇治さん、報道特集 2021年03月27日[土])]





(2024年03月02日[土])

【映画『津島 ー福島は語る・第二章ー』予告編/2024年3月2日(土)公開】
 (https://youtu.be/87HDT9OGCJs
土井敏邦監督作品
 ドキュメンタリー映画『津島 ー福島は語る・第二章ー』予告編
 【2024年3月2日(土) 東京・K's cinema ほか全国順次公開】

 帰ることが叶わなくとも
 わたしの故郷はたしかに”ここ”にある
 
 2011年3月11日の福島第一原発事故の直後に大量の放射性物質が
 降り注ぎ、地域の大部分が「帰還困難区域」に指定されたまま、
 現在も多くの住民が帰れずにいる故郷・津島。「100年は帰れない
 と言われた故郷・津島の歴史と、そこで生きてきた人々の記憶と感情を
 映像化した、総勢18名、3時間を超える圧巻のオーラル・ヒストリー


 キシダメ政権や「利権」「裏金」「脱税」党ときたら、《原状回復》することも無く、堂々と《原発回帰》へと暴走し、この13年間、着々と《原発復権》。アケスケに言えば、〝棄民〟ではないのか。さっさと、元通りに戻して見せよ。勝手に《原発回帰》《原発復権》するな。
 《やっぱりここさ帰りたい。親が開拓して受け継いだ土地。次の世代に残してやりたい。汚したら、きれいにして返すのが当然じゃないか》。《草木のすべてにセシウムが染みついている。田畑を耕すが自分で食べるだけ。孫には食べさせないし、売ることもできない》。

   『●《やっぱりここさ帰りたい。親が開拓して受け継いだ土地。次の世代に
     残してやりたい。汚したら、きれいにして返すのが当然じゃないか》
    「みんなの願いは単純だ。国や東電が、大地の汚れを取り除き、
     元の状態に戻す、原状回復してくれることだけだ。《原発事故で
     地域の歴史や人の絆、伝統や文化、一切合切が壊された》。
     《原状回復して住めるようにしてほしいふるさとに
     帰れるのなら、賠償はいらない津島に帰りたい
     このままでは終われない》」

   『●《草木のすべてにセシウムが染みついている。田畑を耕すが自分で
        食べるだけ。孫には食べさせないし、売ることもできない》
    「笠原眞弓氏による、レイバーネットの記事【原発は何を奪った
     のか~『福島は語る・完全版』江古田映画祭で上映】…。
     《コロナ騒ぎで、プログラムが軒並み中止・延期される中、
     江古田映画祭は会場を武蔵大学からギャラリー「古藤」に移して
     開催された。初日の2月29日、私は『福島は語る・完全版』を
     見た。5時間20分の完全版を見るには、それなりの体調管理と
     決心がいる」
    「《生活を根こそぎ奪われ、人生を翻弄》。3.11東京電力
     核発電人災の何か一つでも解決したのか? 」
    「堀切さとみ氏による、レイバーネットの記事【セシウムが染み
     ついた飯舘村で懸命に生きる~映画『サマショール』】」

 西田直晃記者による、東京新聞の記事【こちら特報部/原発事故に故郷を奪われた18人の「痛み」 「戦後日本で繰り返されてきた横暴」への思いを189分の映画に】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/312256?rct=tokuhou)。《東京電力福島第1原発事故による帰還困難区域に焦点を当て、避難者の証言を記録したドキュメンタリー映画津島 ―福島は語る・第二章―」が2日から公開される。原発事故被災者の声を拾い続けてきた監督土井敏邦さん(71)は「故郷を奪われる痛みに思いをはせてほしい」と呼びかける。(西田直晃)》。

   『●《失われた古里》、失われた《本来は恵みをもたらす田畑の土》
                …原状回復して見せたのか? 誰か責任は?
    「《失われた古里》、《もどれない故郷》、失われた
     《本来は恵みをもたらす田畑の土》…原状回復して見せたのか? 
     誰か一人でも責任をとったのか?
     それでも経済産業省は核発電の《維持推進を掲げる》…
     東京電力核発電人災から8年なのに、この体たらくだ
     核発電「麻薬」中毒患者達は、経済性から核発電輸出からは撤退しよう
     としているが、…国内では、核発電所を再稼働し、新規建設をしたくて
     しょうがない訳だ。3.11の核発電人災の反省など一切なし」
    《「福島は語る」という映画…土井敏邦監督が福島県民ら十四人に
     インタビューした記録映画である。そこに杉下初男さんが出ていた。
     杉下さんは石材業を営み、本の中では、飯舘の白御影石は安くて色が
     ブルーなので東京で人気だった、と書いてある。
     映画で杉下家の本当の悲劇は、事故の何年も後だったと知った。
     杉下さんは原発事故のせいとも、放射能のせいとも語っていないが、
     故郷を離れ、避難生活を送ることの厳しさを感じた》

   『●武藤類子さん《沖縄で闘っている人の言葉…「国を相手に
        ケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ」》
    「レイバーネットのコラム【●木下昌明の映画の部屋 250回/
     原発事故に翻弄された14人~土井敏邦監督『福島は語る』】
     …。《映画は、生活を根こそぎ奪われ、人生を翻弄された
     14人の被災者に焦点を当てている。…暮しの中から被災後の困難を
     浮かび上がらせているのが特徴だ》」

   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
              …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
    《『福島は語る』監督:土井敏邦 2018年/170分
     原発事故という大きな現実の中で,生きざるを得ない人びとがいる。
     その人たちは今,何を思い,どうしようとしているのか。映画は14人の
     声を,丹念に長い時間をかけ記録していく。お互いの信頼関係の中で,
     人びとは徐々に語りにくかった思いをしずかに,整理するように語る。
     制作者はその証言に正面から向き合い,そのことで,福島の現実を
     直視しようとする。この映画はドキュメンタリーの一つの到達点
     といってよい作品である》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/312256?rct=tokuhou

こちら特報部
原発事故に故郷を奪われた18人の「痛み」 「戦後日本で繰り返されてきた横暴」への思いを189分の映画に
2024年3月1日 06時00分

 東京電力福島第1原発事故による帰還困難区域に焦点を当て、避難者の証言を記録したドキュメンタリー映画津島 ―福島は語る・第二章―」が2日から公開される。原発事故被災者の声を拾い続けてきた監督土井敏邦さん(71)は「故郷を奪われる痛みに思いをはせてほしい」と呼びかける。(西田直晃


◆今も多くの住民が戻らぬ浪江町・津島地区

     (津島地区の住民への思いを語る土井さん=横浜市神奈川区で)

 2019年公開の「福島は語る」の続編。震災直後から福島入りして取材を重ねており、今作では、県東部の浪江町の山間部にある津島地区に密着。原発から北西に30キロ離れているが、事故直後に大量の放射性物質が降り注ぎ、地域のほとんどが帰還困難区域に指定されたまま、現在も多くの住民が戻れずにいる

 津島の歴史書を編み始めた男性に心を打たれ、土井さんは「どうしても記録しなければ」と思い立った。貧しさにあえいだ開拓時代の記憶、綿々と受け継がれてきた伝統文化、今は亡き家族との思い出…。最初のインタビューから約5年を費やし、総勢18人の証言と四季の映像を前面に出し、事故から10年以上を経ても癒えない望郷の思いを映像に収めた。


◆経済合理性のために少数を切り捨てるのか

 土井さんは「反原発を声高に主張する人は登場しないが、語りの奥に問題が浮かび上がっている」と強調する。津島地区の住民は土地の原状回復などを求め、国と東電を相手取った裁判を続ける。「経済合理性だけを重視し、少数の人々を切り捨てるのか。原発事故に限らず、戦後日本で繰り返されてきた風景だ。横暴を許してはいけない」と作品に込めた思いを語る。

 「見る者にとって、撮る者にとって、ドキュメンタリーの登場人物は『鏡』」が持論の土井さん。若いころに故郷の佐賀県を飛び出したからこそ、津島地区に愛着を抱き続ける登場人物たちに大きく感情移入したという。「心の揺れを語る住民に自分自身を投影しながら、これまでの生き方を僕自身も省みた。豊かさとは何か、生きるとは何なのか。共感できる人がいるはずだ」と話す。


◆2日に新宿で封切り、全国で順次公開

 映画は2日、東京都新宿区の「K’s cinema」で封切りされた後、全国で順次公開される。16日には横浜市中区の「シネマ・ジャック&ベティ」で上映開始予定。189分。


【関連記事】原発周辺、かつての福島の町並みは跡形もなく 除染で出た汚染土の中間貯蔵施設の現在地【動画】
【関連記事】「新たな開拓者として」避難指示解除で帰還、ラベンダーの花言葉に託した願いは… 福島・浪江の津島地区
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●《10年前、村を襲った福島原発放射線量の数字を「公表するな」「安全だ」と強弁していた専門家らは今、どう思っているのだろうか。》

2021年11月06日 00時00分10秒 | Weblog

[※ ↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]


(20211030[])
日刊ゲンダイの記事【長谷川健一さん死因は「甲状腺がん」…福島原発事故と戦った飯舘村の酪農家が投げかけたもの】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/296614)。

 《大手メディアはほとんど取り上げていないが、26日付の東京新聞朝刊の社会面に衝撃的な記事が掲載されていた。<長谷川健一さん死去 「原発事故被害者団体連絡会」共同代表>という訃報記事だ。長谷川さんは福島県飯舘村で酪農を営んでいたが、2011年3月の東京電力福島第一原発事故で強制避難を余儀なくされた。その後、原発事故被害者団体連絡会の共同代表などを務めたのだが、長谷川さんの「功績」は何と言っても、原発事故直後、村が高濃度の放射能汚染に見舞われたにもかかわらず、それを隠蔽しようとした村や東電の対応を問題視して“告発”したことだろう》。

 《原発に『ふるさと』を奪われて》。未だに政府や自公お維は「原状回復」して見せてはくれない。アベ様らは、経産省内閣らは、まだ核発電をやりたいそうだ。ましてや、核発電所「アベシンゾウ」を新規建設したいそうだ。まともじゃないね。核発電「麻薬」中毒患者らの考えることは。2021年衆院選では、それでも、自公お維に投票したのですか? 何度失敗を繰り返せば気が済むのでしょうか。あとの祭り

   『●核発電「麻薬」中毒患者の覚めぬ悪夢…《安全神話、
       経済神話、クリーン神話-三つの神話》を脱却できず
   『●「原子力の平和利用」という核発電への幻想…「原発は『プルトニウム
         をつくる装置』」(内橋克人さん)にこだわる周回遅れのニッポン
   『●新高速炉「アベシンゾウ」…愚かな核発電「麻薬」中毒患者・
             核燃サイクル教信者の罪を後世に残すために
   『●(リテラ)「あの未曾有の福島第一原発事故を招いた
      “最大の戦犯”が、他ならぬ現内閣総理大臣・安倍晋三」
   『●東電核発電人災での国の責任も放棄…《あの未曾有の福島第一原発
       事故を招いた“最大の戦犯”》アベ様の責任は追及され続けるべき

   『●高松高裁原発避難者訴訟…《「長期評価」を真摯に受け止めていたら、
        遅くとも東日本大震災の前までに、さまざまな津波対策は取れた》

   『●《岸田新内閣が…発足したが、その陣容をみると原発推進派が要職に
     就いており、今後のエネルギー政策で「原発回帰」が強まるとの見方》
   『●《理性と良識》で判断…核発電は《「被害が大きくて」かつ「事故発生
     確率も高い」という2つが揃ったパーフェクトな危険》(樋口英明さん)
   『●古賀茂明さん《国民の前で、ちゃんと議論すれば、止めろと言わずに
     止めるのは簡単だ》…裁判で勝つために ――― 樋口英明理論の浸透を
   『●経産省内閣復権でいいの? …デモクラシータイムス【総選挙の争点③
      どうするエネルギー EVと原発(古賀茂明×飯田哲也×山田厚史)】

 《10年前、村を襲った福島原発放射線量の数字を「公表するな」「安全だ」と強弁していた専門家らは今、どう思っているのだろうか。》 長谷川健一さんがお亡くなりになったそうだ。《報道された長谷川さんの死因は「甲状腺がん」》だったそうだ…。ご冥福をお祈りします。





   『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」
    「長谷川健一氏撮影の写真が掲載されていますので、ご覧下さい。
     こんなに痛ましい死はありません。状況は全く解決されていませんし、
     良くなる兆候も見えてきません。ましてや、この期に及んでも
     原発を止めるつもりもないようです。トルコへ原発を輸出する
     と言い始めてもいます…。」

   『●原発人災、我々は騒ぎ過ぎているのか? 不安を煽り過ぎているのか??
    《「除染はビジネス」「村長は経産省キャリアの繰り人形」
     「飯舘村は原子力ムラのコントロール下に置かれている」――。
     福島原発事故で高濃度の放射能汚染に見舞われた飯舘村の酪農家、
     長谷川健一氏(58)が「原発に『ふるさと』を奪われて」
     (宝島社)を出版。20日、都内で会見を開いた。著書は原発事故
     直後から現在に至るまでの村の日々をつづったルポだが、驚くのは
     村民の被曝の影響を無視し、今も汚染の実態をヒタ隠しにし続ける
     村や国の対応である》

   『●続・原発人災、我々は騒ぎ過ぎているのか? 不安を煽り過ぎているのか??
    《日刊ゲンダイ本紙は…飯舘村の酪農家・長谷川健一氏…の
     次のようなコメントを紹介した。
     「昨年11月末ごろ、国の除染モデル事業を請け負った大成建設の
      作業員とみられる10人ほどが、村のモニタリングポストを
      高圧洗浄機で洗い、土台の土をソックリ入れ替える作業を行っていた。
      その様子を複数の村民が目撃していたのです」
     大成建設は「土の入れ替えなどしていない」(広報部)と全面否定だ。
     それでは、この差を政府はどう説明するのか。文科省の嘘を環境省が
     証明するなんて、皮肉な話だ。この国の統治機構は狂っている

   『●《草木のすべてにセシウムが染みついている。田畑を耕すが自分で
        食べるだけ。孫には食べさせないし、売ることもできない》

 再び引用。堀切さとみ氏による、レイバーネットの記事【セシウムが染みついた飯舘村で懸命に生きる~映画『サマショール』】(http://www.labornetjp.org/news/2020/0305eiga)によると、《ポレポレ東中野でドキュメンタリー映画『サマショール~遺言 第六章』(豊田直巳野田雅也監督)を観た。年月をかけて、ひとつの村、ひとりの人を追う。飯舘村の長谷川健一さんの姿。それをみるだけでも貴重な記録だ。2016年に長谷川さんはチェルノブイリを訪ねた。サマショールと呼ばれる立ち入り禁止区域に住み着いた人々は、1500人いたのが126人に。そこに25年後の飯舘村が重なったと長谷川さんは言う。飯舘村は2017年3月に避難解除になり、1000人以上が村に戻った。でも、チェルノブイリのように人はどんどん減っていくだろう。見た目には昔のままでも、草木のすべてにセシウムが染みついている。田畑を耕すが自分で食べるだけ。孫には食べさせないし、売ることもできない。それでも、何百年も先のこの村に子どもたちが帰るのを願って、長谷川さん夫婦は蕎麦を植える。映画は、果てしない時間の中のほんの一コマにすぎない自分がどう生きるのか、その葛藤を描いていた。(堀切さとみ)》

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/296614

長谷川健一さん死因は「甲状腺がん」…福島原発事故と戦った飯舘村の酪農家が投げかけたもの
公開日:2021/10/28 06:00 更新日:2021/10/28 06:00

     (長谷川健一さん(C)日刊ゲンダイ)

 大手メディアはほとんど取り上げていないが、26日付の東京新聞朝刊の社会面に衝撃的な記事が掲載されていた。

 <長谷川健一さん死去 「原発事故被害者団体連絡会」共同代表>という訃報記事だ。

 長谷川さんは福島県飯舘村で酪農を営んでいたが、2011年3月の東京電力福島第一原発事故で強制避難を余儀なくされた。その後、原発事故被害者団体連絡会の共同代表などを務めたのだが、長谷川さんの「功績」は何と言っても、原発事故直後、村が高濃度の放射能汚染に見舞われたにもかかわらず、それを隠蔽しようとした村や東電の対応を問題視して“告発”したことだろう。

 長谷川さんは2012年に出版した著書「原発に「ふるさと」を奪われて」(宝島社)で、3号機が爆発した11年3月14日当時、役場にあった線量計の値が平常時の年間許容量(1ミリシーベルト)を1日余りで超える「毎時40マイクロシーベルト超」を計測していたと指摘。驚く長谷川さんに向かって、村職員が「この数字、公表しねえでくれよ。(菅野典雄村長から絶対人に言うなと止められていると“口止め”されていたことを明かしていた。

 さらに京大原子炉実験所の今中哲二助教が村内各地で放射線量を計測。その結果を村に伝えると、菅野村長は「とにかくこのデータは公表しないでほしい」と話したことや、山下俊一長崎大教授ら放射線専門家が入れ代わり立ち代わり村を訪れては「安全だ」「大丈夫だ」と吹聴し、やがて〈放射能をことさら危険視するほうがおかしいという雰囲気さえ漂い始めた〉とつづっていた。

 日刊ゲンダイ記者が出席した当時の出版会見で長谷川さんは、村の復興計画会議の委員に原発推進派の識者が含まれたことを挙げて、「すでに飯舘村は原子力ムラの御用学者たちに牛耳られている」と強調。「実は今、菅野村長の行くところすべてに付いて回っている経産省の官僚がいるのです。村役場でも、常に村長のそばにいる。そして、マスコミの取材の際もその彼が出張ってきて、あれこれと指示を出しているんですね。今では彼がマスコミ取材対応の窓口となって取材をさばくようになった」と話していた。

 長谷川さんはこの時、国の除染モデル事業を請け負った建設会社の作業員が、村のモニタリングポストを高圧洗浄機で洗い、土台の土をソックリ入れ替えるなどして「放射線量を改竄している」とも指摘していた。

 報道された長谷川さんの死因は「甲状腺がん」。68歳だった。

 10年前、村を襲った福島原発放射線量の数字を「公表するな」「安全だ」と強弁していた専門家らは今、どう思っているのだろうか
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●《「知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》

2021年03月25日 00時00分00秒 | Weblog

[※ ↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]


/ (2021年03月13日[土])
レイバーネットの二つの記事。堀切さとみ氏による記事【「石碑があるから希望がわく」〜双葉町民が避難した「旧騎西高校」で除幕式】(http://www.labornetjp.org/news/2021/0306futaba)と、
【町が奪われた!10年前を返してください」〜東電本店前で労働者抗議アピール】(http://www.labornetjp.org/news/2021/0305tobu)。

 《2011年3月の福島第一原発事故から逃れた双葉町の人たちが、避難所として身を寄せた旧騎西高校(埼玉県加須市)。事故から10年を前に、双葉町と加須市の友好を示す石碑が建てられ、3月6日、除幕式が行われました。着の身着のまま、県境を越えて避難してきた町民のために、廃校になった校舎に畳を敷き、支援を惜しまなかった加須市。避難所は2013年末に閉鎖となりましたが、今も加須市には384名の双葉町民が暮らしています。「避難した方がすべて帰還されるまで支援を続ける」という大橋加須市長の話につづき、大野埼玉県知事、双葉町副町長らが挨拶しました。「希望」という題字を揮毫したのは、双葉町の書家・渡部翠峰さん。双葉町がある北東の方角を向いた石碑を前に「すべての双葉町民に見てほしい。大変なのは皆同じだった」。双葉町民、支援者たちが久しぶりの再会を喜び合いました。「双葉のことは忘れられないでも、加須市は第二の故郷だな」(堀切さとみ)》。
 《福島原発事故からまもなく10年。3月5日午前10時すぎから、「福島原発事故10カ年糾弾! 東京電力前労働者抗議アピール行動」が行われた。東京東部労組の呼びかけで、全労働者組合、下町ユニオン、東京管理職ユニオンなど10以上の組合メンバー約80人が集まった。最初にアピールしたのは、全労働者組合の組合員の小笠原七重さん(写真)。彼女は、原発から10キロ以内の富岡町から両親とともに東京に避難している人だった。マイクを手にしたが「感極まって声が出ない」。でも、涙ながらに訥々と語り出した。「今年で10年経ちますが、私にとってはまだ10多分20年、30年経っても、私は東京電力のことを恨んでいます。私の育った町は日に日に変わっています。小学校もなくなりました。中学校もなくなりました。駅もなくなりました。知っている町はどこかに行ってしまいました返してください!10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》。

 国や東電は何時になったら「原状回復」してくれるのか?

 《富岡町から両親とともに東京に避難している人だった。…「今年で10年経ちますが、私にとってはまだ10多分20年、30年経っても、私は東京電力のことを恨んでいます。…知っている町はどこかに行ってしまいました返してください!10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》。
 東電・政府・原子力「寄生」委員会等は放射性物質で汚染された地域を早く「原状回復」してみせてよ! もう10年も経ってしまったではないですか。

 東京電力核発電人災から10年目の『週刊金曜日』の表紙。撮影は豊田直巳さん。「原発さえなければと思います」と書き残して自死…この重い言葉を東電・政府・原子力「寄生」委員会等はどう応えるのか?

   『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」
   『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
       「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」
   『●「「3.11」から2年② 原発という犯罪」
      『週刊金曜日』(2013年3月8日、934号)
   『●「原発さえなければ」「福島の百姓は終わりだ」:
           東京電力原発人災と自殺には因果関係あり
   『●終わらない原発人災の影響:「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」
     「「震災さえ」ではなく、 「原発さえなければ…」である。
      原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー

      原子力正しい理解で豊かなくらし」を信じ込ませた自民党議員や
      電力会社幹部といった東京電力原発人災の責任者・「罪人・犯罪者」は、
      誰一人として罰せられることもなく、まだのうのうと生活している」

   『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
          「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」

   『●自公議員や原子力「推進」「寄生」委員会委員らは
                     「闘うみんな」ではないようだ
    「3・11から3年が経ち、何の解決も見ていない。「福島県飯舘村
     村民を追ったドキュメンタリー映画「遺言 原発さえなければ」が、
     八日から東京都内で上映される」そうだ。「震災さえなければ」
     ではなく「原発さえなければ」」

   『●大沼「少年」の《事故を思い出して原発を議論する
       きっかけになるもの》を撤去し…いま、政治的と言われ…
   『●《草木のすべてにセシウムが染みついている。田畑を耕すが自分で
         食べるだけ。孫には食べさせないし、売ることもできない》
   『●西日本新聞【フクオカ☆シネマペディア/『遺言 原発さえなければ』
           野田雅也、福島を追い10年「飯舘の酪農 復活までは」】



[↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]



[↑「今週の表紙」豊田直巳さん(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]

   『●東京電力核発電人災後に《福島県から千葉県などに避難した住民ら
     43人が国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟の控訴審》で逆転判決
   『●東電核発電人災から10年: あの人災から何の教訓を得ることもなく、
      何も変わらないニッポン…核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないまま
   『●希望の牧場・吉沢正巳さん「この牛たちを見て、命の扱い方とか、
     原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい」
   『●《「国に法的責任はある」−原発事故で千葉県に避難した人々が
     起こした訴訟での東京高裁の判断だ。規制権限の不行使を厳しく指弾した》

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http://www.labornetjp.org/news/2021/0306futaba

「石碑があるから希望がわく」/双葉町民が避難した「旧騎西高校」で除幕式

「石碑があるから希望がわく」〜双葉町民が避難した「旧騎西高校」で除幕式
堀切さとみ

 2011年3月の福島第一原発事故から逃れた双葉町の人たちが、避難所として身を寄せた旧騎西高校(埼玉県加須市)。事故から10年を前に、双葉町と加須市の友好を示す石碑が建てられ、3月6日、除幕式が行われました。

 着の身着のまま、県境を越えて避難してきた町民のために、廃校になった校舎に畳を敷き、支援を惜しまなかった加須市。避難所は2013年末に閉鎖となりましたが、今も加須市には384名の双葉町民が暮らしています。「避難した方がすべて帰還されるまで支援を続ける」という大橋加須市長の話につづき、大野埼玉県知事、双葉町副町長らが挨拶しました。

 「希望」という題字を揮毫したのは、双葉町の書家・渡部翠峰さん(写真上)。双葉町がある北東の方角を向いた石碑を前に「すべての双葉町民に見てほしい。大変なのは皆同じだった」。双葉町民、支援者たちが久しぶりの再会を喜び合いました。

 「双葉のことは忘れられないでも、加須市は第二の故郷だな」「この碑ができて、加須にいても気持ち的に堂々としていられる。感謝しかない」。津波で親戚を亡くし、毎月11日には欠かさず騎西高校を訪れ、黙とうを捧げてきた関根茂子さんは「これからは石碑があるから希望がわく」と力強く語りました。

Last modified on 2021-03-07 21:29:36
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http://www.labornetjp.org/news/2021/0305tobu

「町が奪われた!10年前を返してください」/東電本店前で労働者抗議アピール

「町が奪われた!10年前を返してください」〜 東電本店前で労働者抗議アピール

動画(5分20秒)

 福島原発事故からまもなく10年。3月5日午前10時すぎから、「福島原発事故10カ年糾弾! 東京電力前労働者抗議アピール行動」が行われた。東京東部労組の呼びかけで、全労働者組合、下町ユニオン、東京管理職ユニオンなど10以上の組合メンバー約80人が集まった。

 最初にアピールしたのは、「全労働者組合」組合員の小笠原七重さん(写真上)。彼女は、原発から10キロ以内の富岡町から両親とともに東京に避難している人だった。マイクを手にしたが「感極まって声が出ない」。でも、涙ながらに訥々と語り出した。「今年で10年経ちますが、私にとってはまだ10年多分20年、30年経っても、私は東京電力のことを恨んでいます。私の育った町は日に日に変わっています。小学校もなくなりました。中学校もなくなりました。駅もなくなりました。知っている町はどこかに行ってしまいました返してください!10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった

 彼女がもっとも悔しかったのは、テレビ報道などで煽られた心ない周りの声だったという。「私たちはしぶしぶ生活していたのに、原発があるから原発マネーで潤っている。原発ができたから道路もできた。お金ももらえた。だから仕方ない。それを聞くと心が痛くてしょうがなかったです」。

 その後、参加組合の代表が次々にスピーチに立ち「東電は責任をとれ」「再稼働するな」の声を上げた。郵政ユニオンの内田正さんの発言は印象的だった。「みなさんあの事故を思い出してください。たまたま風向きが海に向かっていたから大量の放射能は太平洋に流れました。もし風向きが逆だったら、首都圏は汚染され住めなくなっていたでしょう。運が良かっただけなのです。だからこれは私たちの問題です。そしていま東京にもっとも近い東海第二原発再稼働が画策されています。脱原発を自分たちの問題として取り組んでいきましょう」と。

 また本店で働く労働者に向けて「東京電力労組も自分たちの問題として一緒に取り組んでほしい」とのアピールもあった。3.11から10年のいま、脱原発運動に市民団体だけでなく労働組合もしっかり声を上げた意義は大きい。(M)

Last modified on 2021-03-05 16:46:30
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●東電核発電人災から9年: 金(カネ)色の五つの輪《オリンピック聖火リレーを前に「福島はオリンピックどごでねぇ」》

2020年03月11日 00時00分57秒 | Weblog


東京新聞のコラム【筆洗】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2020012302000130.html)。
レイバーネットの記事【「今日は一番言いにくい話をします」/双葉町避難者・鵜沼久江さん現実を語る】(http://www.labornetjp.org/news/2020/0119shasin)。

 《この区切りの付け方はどうなのか。政府はこれまで主催してきた東日本大震災追悼式を発生から十年となる来年二一年までとする方針を発表した▼国が財源を保証している復興・創生期間が二一年三月で終了することを受けての判断だろう。政府にとって震災後十年というのはなるほど、キリの良い数字なのかもしれぬ。されど、その判断が被災地にはどう映るかが心配である。見放され、もはやあの震災は過去のものだと通告されているような気にさせられぬか》。
 《周囲には、双葉町民だということを一切明かさず生きている人もいる。そうすれば職場でも学校でいじめられることがないからだ。鵜沼さんは双葉町民であることを隠さず、テレビや新聞の取材にも応じてきた。いじめやオリンピックへの言及もしたがカットされ、だからこそこういう上映会が貴重なのだと、忙しい農作業の合間をぬって駆けつけてくれた》。

   『●お見舞い申し上げます・・・
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
   『●3.11東京原発人災から2年が過ぎて
   『●「福島原発事故の今」
        『週刊金曜日』(2014年3月7日号、982号)について

   『●3.11東京電力原発人災から4年:
      虚しき「地球にやさしいエネルギー原子力 人にやさしい大熊町」
   『●東電核発電人災から5年: 「今や世界の笑い者…
        政権批判をいとわないキャスターの首を差し出した」
   『●東電核発電人災から6年: 4つの「生」+「命」「活」「業」「態」…
                        どれか一つでも原状回復できたか?
   『●東電核発電人災から7年: 「村の生活は百年余りにわたり、
                 人生そのもの」…「やっぱりここにいたいべ」
   『●東電核発電人災から8年: 《11日の夜9時すぎには、
           東電の社員も家族もだれ一人双葉町に残って…》

 まず、ᴍᴄちょろ@chorho_speakingさんのこのつぶやき(https://twitter.com/chorho_speaking/status/1232479588938207232)に貼られている映像(するめのよっちゃんver.2 沖縄は日本だ さん)をご覧ください。【【原発】菅総理に住民から怒りの声 福島の避難所(11/04/21)】(ANN news)(https://www.youtube.com/watch?v=FuXW2pq014I)。ブログ主は、涙が出て止まらなかった。

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https://twitter.com/chorho_speaking/status/1232479588938207232

ᴍᴄちょろ@chorho_speaking

2011年のテレビって、こんなでしたよ。

フリーダムです


するめのよっちゃんver.2 沖縄は日本だ さんによる
午前10:36 2020年2月26日
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 アベ様はこれまで何をやってきたのか? アベ様口癖の「悪夢のような旧民主党政権」…あらゆる意味で、悪夢のような最悪な政権はもはや明白です。

 何一つ解決せずに…《政府はこれまで主催してきた東日本大震災追悼式を発生から十年となる来年二一年までとする方針を発表》。東電・政府・原子力「寄生」委員会等は双葉町を「原状回復」してみせてよ!

   『●《失われた古里》、失われた《本来は恵みをもたらす田畑の土》…
                 原状回復して見せたのか? 誰か責任は?

 石井宏昌記者による、東京新聞の記事【原発事故で自主避難の丹治さん「福島の復興はまだ先」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/202002/CK2020021202000144.html)によると、《東日本大震災から来月十一日で丸九年となるのを前に、高崎市で十一日、被災地への理解を深めようと市民団体主催の学習会があった。東京電力福島第一原発事故で福島県から群馬県に自主避難した丹治杉江さん(63)が苦悩する避難者や原発事故被災地の現状を報告。「東京五輪を機に政府は原発事故が終わったかのように強調するが、原発立地地域の復興はまだ先福島の現状を知ってほしい」と訴えた。(石井宏昌)》。

   『●カネ色の五つの輪: 「巨大なビジネスなのにボランティアは
             タダ働きっておかしいと思うのは、私だけ?」
   『●「アンダーコントロール」な訳がない…そもそもウソにウソを
       重ねて、金(カネ)色の五つの輪をニッポン誘致しておいて

 金(カネ)色の五つの輪、いったい、なにが復興五輪か?
 阿部岳さんによる、沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]聖火は「聖」なのか】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/541537)。《▼東京五輪のリレーは今月始まる。ここに来て、組織委員会が変なことを言い始めた。沿道から撮影した動画はSNSに投稿してはいけない、見つけたら削除を要請するという。ナチス時代にはなかった放映権ビジネスで、放送局に配慮した ▼しかし、競技会場と違って天下の公道は貸し切りではないし、入場の約束事もない。民間団体である組織委が通行人に指図する根拠は不明だ ▼大会の機運を高めるリレーも、商業主義が行き過ぎればスポンサー企業のためだけのイベントになる。ただでさえスポンサー枠で走者が決まり、発着点に営業所が選ばれている…▼出発点になる福島県には原発災害が終わったことにされる警戒感もある。日本でなぜか「聖火」と呼ばれるあの火は、外国語では単に「五輪の火」。過剰にありがたがっていると、大事なことを見落としそうだ。(阿部岳)》。

 東京新聞の記事【原電が断層データ書き換え 敦賀2号審査、規制委が批判】(https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020020701002648.html)によると、《原子力規制委員会は7日、原子炉建屋直下に活断層があると指摘されている日本原子力発電敦賀原発2号機(福井県)の審査会合で、原電が提示した地質データに不適切な書き換えがあると指摘した。審査の根幹に関わる問題だとしてこの日の会合を打ち切った。問題となったのは原電が2012年に実施した掘削調査の記録。従来の資料では「未固結粘土状部」と記載していたが、7日の資料は「固結粘土状部」に変わっていた。会合で規制委は「元のデータの書き換えは絶対にやってはいけない。倫理上の問題だ」と批判。原電は、別の方法で詳細に観察した結果を踏まえ記載を修正したなどと弁解、陳謝した》。
 あ~ぁ、核発電「麻薬」中毒な皆さんはやることなすことがデタラメ…何が「世界一厳しい」安全基準か!  「推進」な「寄生」委員会にさへ指摘される始末…。

   『●四十年廃炉ルール無視、特例中の特例のはずが…日本原電は
               東海第二原発の再稼働をしたいらしい…

 日刊ゲンダイの記事【“復興五輪”強調に怒り 福島県民「内閣支持率30%」の衝撃】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/268223)によると、《安倍内閣を「支持する」は、前回の昨年9月調査から11・1ポイントも下落し、30・3%。逆に「支持しない」は、13・6ポイント増え、53・9%になり、支持と不支持が大逆転したのだ》。
 《700人から回答を得た》…まだ3割はアベ様の内閣を支持! 正気?

 レイバーネットの記事【共同声明 : オリンピック聖火リレーを前に「福島はオリンピックどごでねぇ」】(http://www.labornetjp.org/news/2020/0225hasegawa)によると、《2020東京オリンピックへ向けての聖火リレーが始まろうとしています。しかし、未曽有の原発被害の渦中にある私たちは、「オリンピックどころではない!」と言わざるを得ません。原発事故の被害者がどれだけ「復興五輪」を歓迎しているでしょうか。忘れもしません。2013年9月、ブエノスアイレスでの招致演説で安倍晋三首相はこう言ったのです。状況は、アンダーコントロール」「汚染水の影響は、港湾内の0.3平方キロの範囲内で完全にブロック」「健康問題については、今までも、現在も、将来も全く問題ありません」と。あれから6年。いま、私たちの目の前にある現実は、どうでしょう。メルトダウンした核燃料は所在すらつかめていません。壊れたままの原子炉建屋には毎日百数十tの地下水が流れ込み、ALPS処理汚染水は溜まり続け、漁民や住民の意思を無視して海洋への放出が画策されています。(共同声明より)》
 な~にが「復興五輪」だ!

   『●東京電力核発電人災、膨大な《デブリの総量も3基で
      計約880トン》…1個のデブリを僅かに持ち上げた?

 東京新聞の記事【女川原発2号機 正式適合 再稼働「地元同意」焦点に】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202002/CK2020022702000154.html)によると、《原子力規制委員会は二十六日に定例会合を開き、東北電力が再稼働を目指す女川(おながわ)原発2号機(宮城県女川町、石巻市)が、新規制基準を満たしているとする「審査書」を決定した。これで審査に正式適合した。適合は九原発十六基目となる。女川原発は東日本大震災の震源に最も近い原発で、地震と津波で大きな被害を受けた。被災原発の適合は日本原子力発電の東海第二原発(茨城県)に続き二基目。再稼働は安全対策工事が完了する二〇二〇年度以降の見込み。今後は地元同意手続きが焦点となる。規制委の更田豊志委員長は記者会見で「震災の影響をきちんと確認した上で、(適合を判断した」と強調。審査結果を地元に説明する機会があれば、専門用語などを使わずに分かりやすく伝えられるよう準備する意向を示した。宮城県知事、女川町長、石巻市長はいずれも「議会の意見を聞いて判断する」などと述べ、再稼働への賛否を明らかにしなかった》。
 「地元」首長、こんなことを許していいのか? 3.11東電核発電人災を忘れたのか?

   『●JOC臨界事故で何が起きたでしょうか?…《人が制御できない
          なんて恐ろしい。政府は…本当のことを言っていない》

 東京新聞の記事【<東日本大震災9年>双葉町 一部避難指示解除 駅周辺 帰還困難区域で初】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202003/CK2020030402000162.html)によると、《政府は四日、東京電力福島第一原発事故で福島県双葉町の全域に出ている避難指示を、駅周辺の帰還困難区域など一部で解除した。第一原発が立地する同町は避難指示が出た十一市町村で唯一、全域避難が続いていた。事故以来約九年ぶりに人の出入りが自由になり、復興は一歩前進した》。
 東電や政府は「原状回復」して見せたのですか? 何《歩前進》しないといけないのですか?

 桜を見る会には予算をつけて詐欺師までも招待し、政府の追悼式は止める。どんな神経か?

   『●東京電力核発電人災下の福島でも荒稼ぎしたゲス・ヒトデナシな
               詐欺師・ジャパンライフの片棒を担ぐ議員達
   『●斎藤貴男さん【ジャパンライフと政界、マスコミ、警察の結託…
       腐った構造】《腐り切った構造は世代を超えて受け継がれ…》
   『●「桜を見る会」税金接待…《稲田氏や萩生田氏、世耕氏
     といった安倍首相の側近議員たちも…招待し、もてなしていた》
   『●「桜を見る会」税金接待というアベ様模倣犯・世耕弘成経産相
         …関西電力〝濁流〟問題でも《関電受注企業から献金》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2020012302000130.html

【コラム】
筆洗
2020年1月23日

 <二千年終(おわ)る閂(かんぬき)真一文字>は俳人桂信子さんの句で二〇〇〇(平成十二)年末の作である。一九一四(大正三)年生まれで当時八十五歳。若くして夫を失い、戦争中も一人で生き抜いてこられた方である。阪神淡路大震災も経験した▼「二千年」とは桂さんにとって、そうした苦しさもあった過去そのものなのだろう。そこに区切りのかんぬきをかけ、前を向いていく。そんな決意が句にこもる▼強さやすがすがしさを感じるが、この区切りの付け方はどうなのか。政府はこれまで主催してきた東日本大震災追悼式を発生から十年となる来年二一年までとする方針を発表した▼国が財源を保証している復興・創生期間が二一年三月で終了することを受けての判断だろう。政府にとって震災後十年というのはなるほど、キリの良い数字なのかもしれぬ。されど、その判断が被災地にはどう映るかが心配である。見放され、もはやあの震災は過去のものだと通告されているような気にさせられぬか▼復興や再生が終わったとは決して言えまい。原発の問題も残る。なによりも、十年が経過しようが、被災地には癒えることのない悲しみがある。キリ、区切り、節目。そんなものは政府や被災地以外の言い分であって区切りの付けられぬ心の痛みが今なお続いている▼<震災十年終る閂真一文字>か。そのかんぬきをかける音は冷たい。
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http://www.labornetjp.org/news/2020/0119shasin

「今日は一番言いにくい話をします」/双葉町避難者・鵜沼久江さん現実を語る

「今日は一番言いにくい話をします」〜双葉町避難者・鵜沼久江さん現実を語る
堀切さとみ(『原発の町を追われて』制作者)

 1月19日、東京・高円寺のフリースペース「グレイン」で、『原発の町を追われて』上映会とトークが行われた。30人があつまり、双葉町から埼玉県加須市で避難生活をしている鵜沼久江さん(写真下)の話に聞き入った。

 「今日は一番言いにくい話をします。お金の話です」と鵜沼さん。「避難者は賠償金もらって、いい思いして」と言われているがとんでもない。われわれ双葉町民には『生活再建のためのお金』として一律100万円渡されました。世間ではもらったお金だと思われているみたいですが、借りてるだけそれも強制的な貸付なんですよ」。

 双葉町民には精神的慰謝料として、一人あたり一ヵ月10万円が振り込まれていた時期がある。このことがマスコミで報道されるや、避難者に対する世間の目は、同情からやっかみに変わった。避難先の小中学校で子どもたちはいじめにあい、働きに出た大人たちは「双葉の人間が来たから仕事がなくなった」と責められた。「だからといって、ひと月10万で生活なんてできません。私は避難先で必死になって野菜を作って売って来ましたが、『賠償金いっぱいもらってるのに、なんで働く必要があるんだ』と言われてきました。8年たった今もですよ」と鵜沼さんはいう。

 双葉町は、福島第一原発事故で今も全町避難を余儀なくされている唯一の町だ。この三月、ついに双葉駅を中心に、一部避難指示が解除される。それに伴い、東京五輪の聖火ランナーが双葉町を走ることも決まった(1月21日朝日新聞)。双葉駅はかつては止まらなかった特急が、止まる駅になるのだという。

 「福島第一原発は今も危険な状態にあります。昨年夏に一時帰宅した時、排気塔の撤去作業をしていたためか、付近の放射線量が上がりました。でも町民には何の説明もありません」。避難するのも避難解除するのも、上から勝手に決められてきた。復興再生計画もそうだ。津波で家が流された海沿いの地域は「水田再生ゾーン」になっている。そこに土地をもつ人は「こんなところでコメなんて作りたくない」という。それを見越して町は、福島県外の農業法人にコメ作りを委託している。国や県が決めたことに逆えば大変なことになるから、町長も町会議員も何も言わない。国が安全だといえば日本中が納得し、帰らないのがわがままと言われる。「だったら総理大臣が家族をつれて住んでみてよそうすれば本当に安全なんだって、国民に伝わるから」と鵜沼さんは笑う。

 会場から「どうなることが復興だと思いますか?」と質問が出た。「双葉町に帰って、農業したいんだという人がいる。じゃあ、あんたの息子は引き継いで農業やるのかって聞くと『俺の息子は帰らねえ』っていう。それじゃあ、何のために双葉で農業やるのか。次世代に引き継げない、あと十年やそこらの自分の満足のために帰るなんて。そのための除染費用を、東電が出すならいい。でもそうじゃなくて、皆さんの税金でしょ? 無駄に使わないでほしい」。

 「双葉町は地図からなくなるんじゃない?」。加須市に避難した当初からそう思っていたと鵜沼さんは言う。周囲には、双葉町民だということを一切明かさず生きている人もいる。そうすれば職場でも学校でいじめられることがないからだ。鵜沼さんは双葉町民であることを隠さず、テレビや新聞の取材にも応じてきた。いじめやオリンピックへの言及もしたがカットされ、だからこそこういう上映会が貴重なのだと、忙しい農作業の合間をぬって駆けつけてくれた。

 親戚や孫からは「もうテレビには出ないで」と言われるが怯まない。現実を話し続けること、それ以外に双葉町を存続させる手立てはないと、鵜沼さんは思っている。「お金をもらったからって黙り込んじゃダメ。やましいことでも何でもない」。双葉町民へのメッセージだ。

2020-01-22 16:02:25
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コメント (1)
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●《草木のすべてにセシウムが染みついている。田畑を耕すが自分で食べるだけ。孫には食べさせないし、売ることもできない》

2020年03月10日 00時00分02秒 | Weblog

200309
北條香子記者による、東京新聞の記事【「五輪の年こそ被災地に目を」 「福島は語る」完全版初公開 江古田映画祭】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202002/CK2020022102000258.html)。

 《間もなく9年を迎える東京電力福島第一原発事故で避難した人たちの証言を収めたドキュメンタリー映画「福島は語る」の完全版が29日、東京都練馬区で開催される「江古田映画祭」のオープニング作品として上映される。完全版は5時間20分もあり、一般公開は初めて。土井敏邦監督(67)は「東京五輪の前に公開したいと考えていた」と、五輪の年だからこそ福島に目を向ける意義を訴える。(北條香子)》。

   『●《失われた古里》、失われた《本来は恵みをもたらす田畑の土》
                …原状回復して見せたのか? 誰か責任は?
    「《失われた古里》、《もどれない故郷》、失われた
     《本来は恵みをもたらす田畑の土》…原状回復して見せたのか? 
     誰か一人でも責任をとったのか?
     それでも経済産業省は核発電の《維持推進を掲げる》…
     東京電力核発電人災から8年なのに、この体たらくだ
     核発電「麻薬」中毒患者達は、経済性から核発電輸出からは撤退しよう
     としているが、…国内では、核発電所を再稼働し、新規建設をしたくて
     しょうがない訳だ。3.11の核発電人災の反省など一切なし」
    《「福島は語る」という映画…土井敏邦監督が福島県民ら十四人に
     インタビューした記録映画である。そこに杉下初男さんが出ていた。
     杉下さんは石材業を営み、本の中では、飯舘の白御影石は安くて色が
     ブルーなので東京で人気だった、と書いてある。
     映画で杉下家の本当の悲劇は、事故の何年も後だったと知った。
     杉下さんは原発事故のせいとも、放射能のせいとも語っていないが、
     故郷を離れ、避難生活を送ることの厳しさを感じた》

   『●武藤類子さん《沖縄で闘っている人の言葉…「国を相手に
        ケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ」》
    「レイバーネットのコラム【●木下昌明の映画の部屋 250回/
     原発事故に翻弄された14人~土井敏邦監督『福島は語る』】
     …。《映画は、生活を根こそぎ奪われ、人生を翻弄された
     14人の被災者に焦点を当てている。…暮しの中から被災後の困難を
     浮かび上がらせているのが特徴だ》」

   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
              …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
    《『福島は語る』監督:土井敏邦 2018年/170分
     原発事故という大きな現実の中で,生きざるを得ない人びとがいる。
     その人たちは今,何を思い,どうしようとしているのか。映画は14人の
     声を,丹念に長い時間をかけ記録していく。お互いの信頼関係の中で,
     人びとは徐々に語りにくかった思いをしずかに,整理するように語る。
     制作者はその証言に正面から向き合い,そのことで,福島の現実を
     直視しようとする。この映画はドキュメンタリーの一つの到達点
     といってよい作品である》

 《生活を根こそぎ奪われ、人生を翻弄》。3.11東京電力核発電人災の何か一つでも解決したのか? 
 笠原眞弓氏による、レイバーネットの記事【原発は何を奪ったのか~『福島は語る・完全版』江古田映画祭で上映】(http://www.labornetjp.org/news/2020/0229kasa)。《コロナ騒ぎで、プログラムが軒並み中止・延期される中、江古田映画祭は会場を武蔵大学からギャラリー「古藤」に移して開催された。初日の2月29日、私は『福島は語る・完全版』を見た。5時間20分の完全版を見るには、それなりの体調管理と決心がいる。その決心をして観に行った。2時間50分版を見ていて、それもよかったけれど、それより数倍よかった。2回の休憩が入り、章ごとにつくりが違い、その人の人間が浮き彫りになってくる。前作の要素を切り取ってすっきり見せるものでなく、少し長めのインタビューや生活背景が写し出されてくる。何度涙があふれたか…。しかも声を上げたいところもあった。映画を止めて、戻って一緒に泣きたいところもあった。笑える場面でも泣き笑いだった。途中で寝るかな?と心配する必要は、まったくなかった。ギンギンに目も頭もさえていた。そして上映後の土井敏邦監督のお話しでその秘密がわかった。(笠原眞弓)》


 双葉町の一部では、避難指示解除されるそうだ。東京電力、政府や自公お維、原子力「寄生」委員会の面々は、《原状回復》して見せたのか? 一人でも誰か責任をとったのか? 《五輪開催年の完全版上映について「国は福島の問題を『終わったこと』と見せたいようだ福島の人たちの人生をめちゃくちゃにしておきながら、はしゃいでいられるのか」と語る》

   『●「死の町」にした者が悪いのではないか?
   『●続・「死の町」にした者こそ糾弾されるべきではないか?(1/2)
   『●続・「死の町」にした者こそ糾弾されるべきではないか?(2/2)
   『●「こういうふうにした者たち」とは誰だ?
      ……東京電力原発人災の自覚無き犯罪者たち
   『●「あれだけの事故を起こして被害を出して、
     だれか1人でも責任とってやめたか。申し訳ないと謝罪したか」
   『●鈴木耕さん、核発電人災等々々々々々…「自民党内閣だったら
             解決できただろうか。とてもそうは思えない」
   『●《今なお続く福島の「不条理」》:東電の初期の主張は「無主物」
            …裁判所は《放射性物質…農家が所有》と言い放った
    《「私の住んでる農地は、日本でも美味しいお米がとれる土壌だったんです。
     それが壊されたからね、土壌汚染によって。
     だから、東電に原状回復してもらう。」》

 木谷孝洋関口克己両記者による、東京新聞の記事【外務省「原爆展変更を」 被団協に 原発事故除外要求】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/202003/CK2020030302000136.html)によると、《東京電力福島第一原発事故の概要を伝えるパネルが含まれていることを問題視し、変更されなければ後援しない可能性を示唆しているという。被団協は「表現の自由に触れる問題だ」と批判。識者も「圧力」と指摘する。(木谷孝洋関口克己)  原爆展は、五年に一度開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて四月二十七日から約一カ月間、国連本部のロビーで開く。被爆直後の広島、長崎の様子や被爆者の写真、核廃絶へのメッセージを約五十枚のパネルで伝える》。
 《外務省「原爆展変更を」 被団協に 原発事故除外要求》…姑息な外務省。《原発は『プルトニウムをつくる装置』》(内橋克人さん)であることを隠蔽しようとしている。

   『●経団連は、「プルトニウムをつくる装置」再稼働を後押し。
              そして、国家戦略としての「武器輸出」を推進!
   『●「唯一の被爆国」で原発人災も起こしたニッポンが
        「原発は『プルトニウムをつくる装置』」を理解できず…

 堀切さとみ氏による、レイバーネットの記事【セシウムが染みついた飯舘村で懸命に生きる~映画『サマショール』】(http://www.labornetjp.org/news/2020/0305eiga)によると、《ポレポレ東中野でドキュメンタリー映画『サマショール~遺言 第六章』(豊田直巳野田雅也監督)を観た。年月をかけて、ひとつの村、ひとりの人を追う。飯舘村長谷川健一さんの姿。それをみるだけでも貴重な記録だ。2016年に長谷川さんはチェルノブイリを訪ねた。サマショールと呼ばれる立ち入り禁止区域に住み着いた人々は、1500人いたのが126人に。そこに25年後の飯舘村が重なったと長谷川さんは言う。飯舘村は2017年3月に避難解除になり、1000人以上が村に戻った。でも、チェルノブイリのように人はどんどん減っていくだろう。見た目には昔のままでも、草木のすべてにセシウムが染みついている。田畑を耕すが自分で食べるだけ。孫には食べさせないし、売ることもできない。それでも、何百年も先のこの村に子どもたちが帰るのを願って、長谷川さん夫婦は蕎麦を植える。映画は、果てしない時間の中のほんの一コマにすぎない自分がどう生きるのか、その葛藤を描いていた。(堀切さとみ)》


   『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」
   『●自公議員や原子力「推進」「寄生」委員会委員らは
                    「闘うみんな」ではないようだ
    《東京電力福島第一原発の事故から間もなく三年。福島県飯舘村の
     村民を追ったドキュメンタリー映画「遺言 原発さえなければ」が、
     八日から東京都内で上映される。一般向けの公開は初めて。ともに
     報道写真家の豊田直巳さんと野田雅也さんが撮影、監督し、
     高濃度の放射能汚染で故郷を奪われた人々の絶望や苦悩、そして
     再起への歩みを記録した。村民の姿は「事故はまだ終わっていない
     と訴えかけてくる》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202002/CK2020022102000258.html

「五輪の年こそ被災地に目を」 「福島は語る」完全版初公開 江古田映画祭
2020年2月21日 夕刊

     (江古田映画祭実行委員会メンバーと語り合う土井敏邦監督
      (左から4人目)=東京都練馬区のギャラリー古藤で)

 間もなく9年を迎える東京電力福島第一原発事故で避難した人たちの証言を収めたドキュメンタリー映画「福島は語る」の完全版が29日、東京都練馬区で開催される「江古田映画祭」のオープニング作品として上映される。完全版は5時間20分もあり、一般公開は初めて。土井敏邦監督(67)は「東京五輪の前に公開したいと考えていた」と、五輪の年だからこそ福島に目を向ける意義を訴える。 (北條香子

 土井監督は二〇一四年から四年がかりで約百人に聞き取りを重ねた。うち十四人の証言を二時間五十分にまとめた劇場版を昨年三月に公開。文化庁の一九年度映画賞で文化記録映画優秀賞を受賞した。

 「証言ドキュメンタリー映画で二時間五十分も見てもらえるのかと、劇場版も公開前は不安だった」と土井監督。しかし、原発事故が人々の心にもたらした影響の大きさを伝える証言は観客を引き込み「完全版も見たい」との感想が寄せられた。昨夏の完全版試写会でも手応えを得て、一般公開に踏み切った。

 完全版には避難生活中に跡取り息子を亡くした男性や、夫と離れて子どもたちと避難生活する女性ら二十七人が登場する。

 パレスチナ問題を取材してきた土井監督は「人間としてのアイデンティティーである故郷を失うという点で福島は共通する。どの証言も強い言葉の力があり、歴史の記録として残しておかなければならない」と強調。五輪開催年の完全版上映について「国は福島の問題を『終わったこと』と見せたいようだ福島の人たちの人生をめちゃくちゃにしておきながら、はしゃいでいられるのか」と語る。

 映画祭実行委員会で代表を務める武蔵大の永田浩三教授は「福島を巡る問題がますます深刻化する中、福島への思いをより色濃く発信していきたい」と話す。

 映画の完全版は三月十、十一の両日に渋谷区の「ユーロスペース」で、十三日には横浜市の「シネマ・ジャック&ベティ」でも上映。問い合わせは、配給会社「きろくびと」=電070(5454)1980=へ。

     (映画「福島は語る」の一場面=(c)土井敏邦)


◆29日から18作品上映

 江古田映画祭は「3・11 福島を忘れない」をテーマに毎年開催。今回は二月二十九日から三月十二日までで、会場は武蔵大と同大学正門前の「ギャラリー古藤(ふるとう)」。福島の里山でのシイタケ栽培を取り上げたドキュメンタリー「失われた春 シイタケの教え」など十八作品を上映する。

 初日の二十九日は「福島は語る」の挿入歌「ああ福島」の歌手李政美(イ・ヂョンミ)さんのライブ後、完全版を上映(休憩あり)。上映後には土井敏邦監督が話す。料金は「福島は語る」完全版は一般二千円(予約不要)。それ以外は一本千二百円(予約優先で千円)。問い合わせは実行委員会=電03(3948)5328=へ。
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