綿井健陽さんのWP『逆視逆考PRESS』(http://watai.blog.so-net.ne.jp/)の記事(http://watai.blog.so-net.ne.jp/2011-03-25)の一部を紹介させていただきます。
福島第一原発がメルトダウンしただけでしょうか? 何がメルトダウンしているのでしょう?
ここに紹介されている最後の3つの標語。我々が選択してしまった原子力の「安全利用」という選択肢、被爆労働者の犠牲なくして成り立たない社会という選択肢・・・、その選択ははたして正しかったのでしょうか?
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【http://watai.blog.so-net.ne.jp/2011-03-25】
メルトダウン
・・・・・・。
地震発生翌日(12日)から東北に向かって、先週にいったん東京に戻ったが、また明日(26日)から現地に向かうことになった。
恥ずかしながら私は車の運転免許を5年ほど前に失効してしまって、一人では車さえ動かすことができない身だ。一人では何もできない。今回は日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)の皆さんに助けられた。あらためて自分の身の丈を知る。自分自身の程度を知る。そして、この地震・津波・原発被害で、あらためてこの国の身の丈を知る。特に核、放射能、原発の恐ろしさとそれに対する無知に対して。
東電の対応や説明、テレビに出てくる学者の原発・放射能解説を聞きながら、イライラしたり怒ったり苦笑したりする自分だが、「じゃあ、君は今まで本気で核や原発に反対してきたのか?何かしてきたのか?」と聞かれれば、恐らく自分も何も答えられない。東電の大々的な広告・CMや「日本の原発は安全・必要」キャンペーンは、マスメディアが全面的に協力してきた。作家・広瀬隆さんがこれまで警告し続けてきたことを、この地震が起きる前から真摯に受け止めた人はどれだけいるのだろうか。
http://www.ourplanet-tv.org/
「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」(現代企画室)というタイトルの本が今から10年前に出版された。「9・11同時多発テロ」の後だった。
http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-0112-5
今年はあれから10年などど回顧する間もなく、「3・11震災・津波・原発事故」(と勝手に命名)が起きたが、「福島の原発は地震と津波で破壊されたのではない、原発に対する無知と地方への押しつけのあまり、いま自らメルトダウンしているのだ」とでも言おうか。
歴代内閣や首相が掲げたキャッチフレーズはたくさんあるが、「人にやさしい政治」「美しい国」「いのちを守りたい」など、何もかも空虚で実態のない言葉だったことをいまの政治と政治家が表している。しかし、それを、その人たちを選んできたのは誰なのか。あるいは本気で反対したのか、拒否したのか。あのボロボロになって鉄骨がむき出しの原子炉の建屋。あれは自分だ。自分が住んでいる国なんだ。この国の機能のすべてがいま“メルトダウン”に向かっているようにも見える。その一方で、小さな一人ひとりの人間はいま新しい力と輪を築き上げているようにも見える。
3月13日に原発から約3キロほどにある双葉町周辺に行ったとき、大きな標語が掲げられたゲートを3つ見た。
それはまるでアウシュビッツ収容所の入口にある「労働は自由をもたらす」の標語のようだった。ブラック・ユーモアを通り越して、寒気を感じた。
「原子力郷土の発展豊かな未来」
「原子力明るい未来のエネルギー」
「原子力正しい理解で豊かなくらし」
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綿井健陽 WATAI Takeharu
Homepage [綿井健陽 Web Journal]
http://www1.odn.ne.jp/watai
映画「Little Birds~イラク戦火の家族たち」
公式HP http://www.tongpoo-films.jp/littlebirds/
DVD発売中
月刊「創」『逆視逆考』
http://www.tsukuru.co.jp/
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videonews.comでの番組(http://www.videonews.com/on-demand/511520/001784.php)「あえて最悪のシナリオとその対処法を考える」において、京大の小出裕章さんが電話インタビューに答えられています。「レベル6はとっくに超えている。チェルノブイリのレベル7に近い」と云った趣旨の発言がありました。そういった認識を持っておく必要があるようです。一方、東京新聞の緊急電話アンケートのことも紹介されていて、(都民?)57%程の人が「安全を点検しながら、原発を運転し続ける」との答えだったそうです。唖然とします。
「無」計画停電やエネルギー政策についても話が出てきます。原発無しでも大丈夫なヒント(節電と自然エネルギーなど。推進派も原発のコストパフォーマンスと投資リスクを見直すべき)はこの番組でも提案されていると思いました。私としては、すぐにでも原発をすべて廃止する義務が我々にはあると思いますが、たとえ譲歩するとしても、将来の方向性として全廃に向かうことを政府や電力会社は今直ぐにでも明言すべきだと思うのですが・・・。これだったら直ぐにでも出来るのではないでしょうか? 前述の電話アンケート結果から見る限りこれさえも無理なようで、何度嘆いたことか分かりませんけれども、本当に哀しいNIPPONです。「それでも原発は必要だ」、「それでも日本の原発関係者はよく対処している」などと云わずに、いま方針を見直し、今方針を転換せずに、いつやるのでしょうか? 今回の事態以上の事態は、「最悪の事態『破滅』」以外しかないです。次の機会は無いのです。
また、そこで話題として出ていたTV番組(大阪毎日放送)について触れているWPの記事(http://blog.goo.ne.jp/ichimurasan2006/e/5119670cf39b9d470d9f185bacd9de24)を見つけました。以下にコピペさせていただいています。そのTV番組は「なぜ警告を続けるのか〜京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち〜」(http://video.google.com/videoplay?docid=2967840354475600719#)です。市民に情報を発信し続け、原子力の専門家として「原発をやめるための研究」を行う「熊取6人組」(小出さんのお名前は随分以前から知っていましたが、この言葉は初めて知りました)の一人、小出さんのような真摯な原子力研究者が蔑ろにされ、先の電話アンケート結果からも分かるように、FUKUSIMA後も状況は変わらないと思われます。四国電力 伊方原発の設置許可取り消し訴訟に際して(中国の4人組になぞらえて?)「熊取6人組」と云われるようになったようです。今中哲二・小出裕章・小林圭二・川野眞治・海老沢徹・瀬尾健さんの面々。松下竜一さんの書いておられた、伊方原発訴訟に関して「辛酸入佳境」の垂れ幕の写真も出てきます。また、亡くなった瀬尾さんによる浜岡原発の被害予想についての場面はとても重要ではないでしょうか。
浜岡原発、高速増殖炉もんじゅ、六ヶ所村核燃再処理工場・・・2008年のこの番組で触れられている原発関連施設。まだ、FUKUSIMA前の2008年です。FUKUSIMA後の今、これらの施設はそれでも安全、と推進派は言い続けるのでしょうか。番組の中での原発推進派・反対派の討論で、推進派の栃山修氏が「日本の将来に対して責任を持って発言しなければいけない」という主張しています。その討論で、氏は「高速増殖炉が必要」などといった発言もされたようですが、FUKUSIMA後は一体どのような「責任を持った発言」をされ続けているのでしょうか? FUKUSIMAに対してどういった責任を感じておられるのでしょうか??
番組の後半、ナレーターの台詞に「リスクを引き受けてでも推進する利益とはなんでしょうか?」とあります。松下竜一さんの「暗闇の思想」流に言えば、「利益なんぞはそこそこでいいではないか、一部の人にリスクを負わせるような社会は間違っている」ということでしょうか。内橋克人さんの「浪費なき成長」流にいえば、「破滅型のリスクなどを負わずに、我々は心豊かに暮らせる」ということでしょうか。FUKUSIMA後も、我々はなぜ破滅型リスクを負った社会を選択し続けなければならないでしょうか、私にはその理由が分かりません。
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【http://blog.goo.ne.jp/ichimurasan2006/e/5119670cf39b9d470d9f185bacd9de24】
2011-03-22 01:40:22
なぜ警告を続けるのか
〜京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち〜
2008年10月19日(日)深夜24:45-25:45
(10月20日(月)午前0:45-1:45)
大阪毎日放送 49:50
視聴はこちらから
→ http://video.google.com/videoplay?docid=2967840354475600719#
大阪府熊取町にある京都大学原子炉実験所。
ここに脱原発の立場から活動を続けている”異端”の研究者たちがいる。
原子力はわが国の総発電電力量の3割を供給するまでになったが、
反面、去年の中越沖地震で柏崎刈羽原発が「想定」を上回る激しい揺れで
被災するなど、技術的な課題を完全には克服出来ていない。
番組では、国策である原子力推進に異を唱え、原子力の抱える
リスクについて長年、警告を発し続けてきた彼らの姿を追う。
その言葉はエネルギーの大量消費を享受する私たち国民一人ひとりへの
問いかけでもある。
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NPJ(News for the People in Japan、http://www.news-pj.net/index.html)にリンクされていた記事(http://www.fsight.jp/article/10319)です。
「想定外」で許される訳がない。フザケテはいけない。裁判をはじめ、色々な場で「想定すべき事態」が既に何度も指摘されてきたのに、裁判所はウテアワズ、マスコミは報じず、自民党など原発推進の政治家は鼻でせせら笑い、電力会社は〝商機〟に勤しむ。国民も耳を貸そうとしない。騙されることは罪。
それにしても、「原子力安全委員会」や「原子力安全・保安院」の〝安全〟って一体なんでしょうか? この事態を見て何とも思わないのでしょうか?
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【http://www.fsight.jp/article/10319】
【http://www.fsight.jp/article/10319?ar=1&page=0,1】
未曾有の震災が暴いた未曾有の「原発無責任体制」
2011/03/15 塩谷喜雄 Shioya Yoshio
誤作動や故障を前提としたフェールセーフの仕組みと多重防護に加え、過剰なまでの耐震設計に守られて、日本の原子力発電所にはTMI(米スリーマイル原発)もチェルノブイリもあり得ない――。東京電力と経済産業省が豪語し、マスメディアのほとんどが信じ込んできた原発の安全神話は今、木っ端みじんに崩壊した。
東電の福島第一原発では、3月11日の東北太平洋沖地震(M9.0)のあと、原子炉が次々に炉心溶融を起こし、廃炉覚悟の海水注入に踏み切っても、まだ安定したクールダウン、冷却・停止には至っていない。ただでさえ巨大地震でダメージを受けている周辺住民に、不便な避難生活を強要せざるを得ない状態が続いている。
炉心溶融は「構造的問題」
福島第一原発には6基の原子炉がある。地震発生時に4、5、6号機は定期点検中で稼働していなかった。動いていた1、2、3号機はすべて炉心溶融し、1基もまともに安定した停止状態にできないでいる。2号機に至っては、放射性物質を閉じ込める最後の砦である格納容器にまで損傷が及び、最悪の事態の可能性まで出てきた。
東電自身も、規制当局の原子力安全・保安院も、テレビでしたり顔で解説している学者も、この無残な事態はひとえに、想定をはるかに超える巨大地震が原因「かのように」語っている。それとなく、これだけの大地震だから、水素爆発も炉心溶融も住民避難もいたし方ない、大自然にはかなわない、という空気を醸し出している。
少量とはいえ放射能を含んだ気体を、格納容器から外部環境に放出するベントと呼ぶ苦肉の策を、何を勘違いしたか「ベントに成功」などと発表し、それをそのままメディアは伝えている。安全義務を負う電気事業者としては、内部の圧力も冷却材の水位も制御できずに、やむなくガス抜きするのはどう見ても「赤っ恥」であろう。何とも心優しいマスメディアの対応である。
今回の巨大地震で、東電福島よりも強い揺れに襲われ、より高い津波に見舞われた東北電力の女川原発は、3基の炉がすべてすんなり停止し、ずっと安定した冷却状態にある。それに比べると、東電福島第一の3基そろっての炉心溶融には、構造的な問題があると考えるのが、普通だろう。
想定外ではなかった津波
実は、東電の福島第一は津波に弱く、炉心溶融の危険性があることは、5年前から指摘されていた。想定外などではない。福島第一で想定されている津波、チリ地震津波クラスに遭遇すると、大きな引き波によって冷却用の海水を取水できなくなるといわれる。この引き波による取水停止が、炉心溶融に発展する可能性を、2006年に国会で共産党の吉井英勝議員が質問している。
二階俊博経産相(当時)は善処を約したが、東電は具体的な改善を行なわなかった。東電には地元から改善の要望書も出されているので、津波による炉心溶融の「危険性の指摘」を知らなかったはずはない。百も承知だったのに、素知らぬ顔ですべての原因が想定外の巨大地震にあるかのように振舞っているとしたら、なかなかの役者である。
1、2、3号機の冷却失敗が、吉井議員の指摘した海水の取水停止によるものなのか、東電が主張している外部電源の喪失なのか、それらの複合なのかは、いまだ不明だ。2系統あるはずの非常用ディーゼル電源が働かず、高圧の注水ポンプも3基すべてで不調であることの理由を、東電は全く説明していないし、記者たちは誰も聞かない。
不調だとか働かないとかいうのは、結果であって原因ではない。日本中に不安を撒き散らしている炉心溶融事故の原因について、当事者は語らず、メディアは聞かず、規制当局は糺さない。このもたれあいが日本の原子力が抱える最大の不安要因ではないか。
「バックチェック」を怠った東電
2007年、中越沖地震で東電の柏崎刈羽原発は運転を停止した。この時も、外部の変圧器の火災が大げさに報じられ、原発本体の損傷まで過大に受け取られたと、東電は不満を漏らした。それを真に受けた一部のマスコミは、ダメージを過小評価して運転再開を急ぐ東電にエールを送った。
実は、柏崎刈羽の炉は、設計上の想定を3.6倍も上回る強い力で揺さぶられていた。1000ガル(加速度の単位。柏崎刈羽では300ガル程度と想定していた)を超す重力加速度も記録されたものの、詳細な記録はなぜか消失していた。
中越沖地震の前年、原発の耐震指針は25年ぶりに改定されていた。新規原発だけでなく、既存の炉も新しい基準で検証し直す「バックチェック」が1つのウリでもあった。敷地近くにある断層を徹底チェックして、その地震動を想定した耐震性が求められる。しかし、東電は中越沖地震を起こした敷地の眼前にある断層を精査せず、実質的にバックチェックを怠っていた。
原子力安全委員会や原子力安全・保安院が、これを厳しくとがめたという話は聞かない。そもそも新耐震指針自体がどうにも怪しい存在である。世界で発生するM4以上の地震の6割がこの小さな島国の周辺に集中する。文字通り地震国日本であるが、その新耐震指針は、地球科学的リスク評価をほとんど反映していない、ひたすら業界の都合を優先したものだった。
最たる例が、震源を特定せずに想定すべき地震動を、M6.8の直下型としたことである。未知の断層が動いて強い揺れを起こした地震としては2000年の鳥取西部地震があるし、海岸部の断層が動いて甚大な被害を出した例には阪神大震災がある。共にマグニチュードは7.3である。
誰が考えても、地震国の原発の耐震基準としてはM7.3の直下型が極めて妥当であろう。それが、突然M6.8になった。業界の強い要望が、科学的議論を簡単にひっくり返したのである。検討委員の石橋克彦・神戸大教授は、それに抗議して委員を辞めた。その他の基準についても推して知るべし、である。
産学官のもたれあいが生んだ「虚構の安心」
緩い基準と厳しさを欠く規制。虚構の安心と安全は、東電と東大と経産省という、産学官のトライアングルで築き上げられてきた、といわれる。お目付役のはずの原子力安全委員会は、事業者の言い分に大変理解のある東大の学者がトップに座り、規制の現場を仕切る原子力安全・保安院は、電力業界の旗振り役である経産省の外局、下部組織である。原子力利用の先進国の中で、これほど業界寄りの規制・監視制度を持つ国は他にない。
原子炉等規制法の改正で、事業者責任の明確化とともに、民の自律的事業展開にも道が開けている。それを推進するためにも、官と民、推進と規制の緊張関係は不可欠だ。東電にまともな情報公開を要求することもできず、ただうろたえている原子力安全・保安院の「独立」は急務だろう。もたれあいの結果が福島第一の悲劇かもしれない。今回の事故でも、東電側はどうでもいい数値を事細かに発表し、肝心の炉の異変についてはほとんど口を閉ざし、事態の悪化を覆い隠そうとしている。
たとえば、2号機の格納容器内にあるサプレッションプール(圧力抑制室)の異常については、「格納容器の損傷」というタイトルではなく、「職員の移動」というタイトルで資料を配る。なぜ職員が2号機から退避したのかと問い詰めて初めて、格納容器破損の可能性があるから、ということになる。包み隠さずではなく、包んで縛って丸めて隠すのである。
「安定供給」を旗印に様々な優遇を受けてきたが
それは14日に実施する予定だった「計画停電」とやらでも同じことである。その「計画」の中身を見て、愕然とした。だれも東電をとがめなかったのか。5つに地域分けしたというグループのうち、1と2は、1日に2回、午前と午後に停電に見舞われることになっている。最大6時間。3、4、5のグループは1日1回で最大3時間。都心部は停電なし。6対3対0の振り分けは、だれがどんな根拠で決めたのだろうか。ぜひ合理的な説明を聞きたい。
国難の時に住民ひとしくリスクを分け合って、「輪番」で苦難を負いましょうという提案かと思ったら、東電が自分の都合と慮りで、勝手に決めたようにみえる。
そのまま実施できなかったのは、当たり前だろう。「6」を負担するグループに割り当てられた自治体とその首長が、猛烈な抗議を行なったことは、想像に難くない。電力不足は自らの怠慢が招いたものなのに、どういうつもりだろうか。
しかも、電気事業法にある安定供給の義務を放棄するにあたって、東電からは真剣な謝罪がない。安定供給の一項があるので、電力自由化にも、CO2の排出抑制にも、自然エネルギーの定額買い取りにも協力し難いと言ってきたのは誰だったろうか。
逆に、安定供給を旗印に、様々な優遇を受けてきたのは誰だったろう。今回電力の融通が簡単に行かない理由の1つである東西の電流のサイクル数の違いを是正せずに、地域独占のメリットをむさぼってきたのは誰だっただろう。
今回の巨大地震があぶり出したのは、原子力発電の限界というより、発送電一体の地域独占、9電力体制の賞味期限切れではなかったか。日本のエネルギー戦略にとって、原子力の占める位置は決して軽くない。問題は、それを運営する事業主体に難があるということだ。木川田、平岩、那須と続いた東電の哲学と先見性の経営は、福島原発の非常用電源と同様に「喪失」してしまったのだろうか。
生命を懸けて原発の暴走を止めようと奮闘している東電社員、協力会社社員、自衛隊員には、心から感謝するとともに、被害がこれ以上広がらないことを祈る。
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一昨日の被爆労働者・原発ジプシーについて、別の記事。アクセスジャーナル(http://www.accessjournal.jp/modules/weblog/)の山岡俊介さんの3月25日の記事です。「原発労働者の許容被曝限度は年間50ミリシーベルト」は、今回、その5倍の250ミリシーベルトに高められている。
このような犠牲者なくして成り立たない社会で本当にいいのでしょうか?
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【http://www.accessjournal.jp/modules/weblog/】
2011/03/25
原発下請け労働者供給を仕切るフィクサーの正体
執筆者: Yamaoka (1:50 am)
今回の大震災による福島原発事故を機に、原発被曝の恐ろしさが世間の注目を集めている。また、原発冷却のために被曝も覚悟で決死の放水を行った自衛隊員や東京消防庁職員が英雄視されている。
だが、わが国の原発被曝は何も今回が始めてではない。わが国で初の商業原発が稼働し出して(1966年。東海発電所)半世紀近く経つが、重大な被曝ケースはJOC臨界事故(99年。2名死去)以外にも、数多くあると思われる。それがほとんど表沙汰になっていないのはこの間、わずかの金銭や暴力で持って闇に葬られて来たからだ。
実は今回の福島原発事故が起きて、ほくそえんでいると思われる勢力がいる。この間、原発のもっとも危ない現場に人出しをして来た連中だ。
「原発は安全といいながら、どこも田舎にある。
最初は仕事の少ない地元民が労働力になる。
だが、被曝の実態が次第に知れ渡りなり手が少なくなり、
釜ケ崎や山谷の日雇い労働者を遠くから
かき集めるようになった。だが、日雇い労働者さえ
敬遠するようになり、それ以降は事情を知らない外国人、
身内のいない訳ありの者をかき集めるようになった。
こうした手配には、当然、そのスジの者が絡むが、
今回の事故でますます危ない作業のなり手はいなくなる
だろうからね」(事情通)
重大な被曝が起きるのは必然性がある。
現在、原発労働者の許容被曝限度は年間50ミリシーベルト(一日は1ミリシーベルトが目安)だが、そもそも、一般人の年間限度(1ミリシーベルト)の50倍というのもおかしな話だ。
「それに、放射線の高いところだとわずかの時間で
1ミリシーベルトをオーバーし、仕事にならない。
そういう危ない現場ほど下請けのなかでも7次、8次が
担当しており、立場のもっとも弱い彼らは上から
早く仕事をやれとせっつかれ、自ら被曝量を計る
アラームを切ってやることにならざるを得ないからだ」(同)
結果、明らかに被曝だと実感しても、わずかの金で泣き寝入り。例え労災訴訟を起こしても暴力と御用学者の証言でもみ消される。広告漬けの大手マスコミもまともな報道はしない。
こうした実態は、20年も前から写真家の樋口健二氏が『原発被爆列島』(三一書房)などで告発し続けているが、現在も基本的にその実態は変わらない(樋口氏監督のテレビ番組「隠された被曝労働者~日本の原発労働者1」95年。イギリス Channel4。なぜ、日本でなくイギリスで放映なのか?)。
それどころか、前出の事情通は、被曝隠しはますます巧みになっているという。
・・・・・・。
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保坂展人さんの論説(http://news.livedoor.com/article/detail/5434344/)を見つけました。「フクシマ」で原発政策転換しない日本、FUKUSIMAでも何も変わらないNIPPON。この貧困なエネルギー政策。福島県民どころか、その周辺だけでなく、アジア・全世界に放射能をまき散らしつつあるのに、どうしようもない我が国です。本当に哀しい気分になってきます。破滅への途上にあるというのに・・・。
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【http://news.livedoor.com/article/detail/5434344/】
「フクシマ」で原発政策を転換しない日本
2011年03月23日11時47分
保坂展人
社民党所属/前衆議院議員。
大地震・大津波に加えて原発震災。福島第1原発の現場で、原発事故の最悪化・重大化を阻むために日夜努力している努力に敬意を払いたい。外部電源が通電し、ポンプが作動という順序に冷却系が作動していくことを心から祈りたい。世界が固唾を飲んで「フクシマ原発事故」を見続けている時、足元の日本でも、さすがに「国策としての原発推進」は大転換を迫られるだろうと考えている人が多いと考えてきた。しかし、少なからぬ人々が「原発推進を変える必要はない」と考えていることがわかってきた。
テレビでは素直に「原発はクリーンで安全なエネルギーと思ってきた」人たちが、国策に従い最初から結論ありきの「安全」太鼓判を押し続けた原発御用学者の人々が繰り返し登場し、「今回の事態があったからと言って、日本は原発をやめるわけにはいかない」という言説を垂れ流す。2007年、柏崎刈羽原発を直撃した中越沖地震で、大災害の一歩手前の損傷を受けた現地に2回入り、「地震と原発の二重災害に対しての警告だ」と強く発言したが、自民党・民主党には国会で集中審議する姿勢などさらさらなくまったく国会での議論は散発的なものに終わり、警告は生きなかった。今回の重大事故ですら、日本の今後には何ら生かされない体質がいまだに続いていないだろうか。
『沖縄タイムス』のサイトで見た記事。
【ジュネーブ共同】20日付のスイス紙ル・マタンは、福島第1原発事故を受けた世論調査を掲載、将来的にスイス国内の原発廃止を望む意見が87%に達した。2009年の調査では73%が「原発は必要」と答えていた。スイス国内では原発5基が稼働中。スイス国内では原発5基が稼働中。このうち稼働から約40年が経過する2基に関しては、62%が「閉鎖すべきだ」としている。調査は17~19日、約500人を対象に行われた。
3月21日の東京新聞特報面に日本経団連米倉弘昌会長の驚くべきコメントが掲載されていた。
経済界からは早くも原発の危険性を忘れたかのような発言が飛び出した。
日本経団連の米倉弘昌会長は記者から「日本の原子力政策は曲がり角か」と問われ
「そうは思いません。今回は千年に一度の津波だ。(地震に)あれほど耐えているのは
素晴らしい」と強調。見直しの必要について「ないと思う。自信を持つべきだと思う」と述べた。
「全然わかっていないと」広瀬隆氏。「千年に一度と言われるが実際に被害を
大きくしたのは津波。百年あまり前の1898年に起きた明治三陸地震でも岩手県沿岸の
綾里で38m、田老で14mを記録した。決して想定外ではなかったはず。
素人の私でも予測出来るのに対策を取ってこないのは
人災だ」
また、3月22日は与謝野経済財政担当大臣の発言の報道もあった。
与謝野馨経済財政担当相は22日の閣議後会見で、福島第1原発事故に関連し、
「日本中どこの地域を探しても環太平洋火山帯の上に乗っている国だから
(地震が多いという)その運命は避けようがない」と述べた。
これは原発推進の立場から地震が多いことは原発を止める理由に
ならないとの考えを強調した発言。
同相は「将来とも原子力は日本の社会や
経済を支える重要なエネルギー源であることは
間違いない」と語り、あくまでも原発を続けるべきだとの考えを示した。〔時事通信〕
米倉経団連会長と与謝野大臣の認識と感覚は共通のものがある。まだ着地点が見えているわけではない福島原発の重大事故があっても「原発推進の国策は微動だにしない」というもの。これは、戦後日本の電力会社と原子力産業が財界・政界に築いてきたいかに強力なものであるかを示している。
1980年以前の老朽化した原発を止めるとドイツが決断したように、リスク軽減に向けた決断が必要だ。
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静岡県知事や中部電力社長は正気(商機?)でしょうか? asahi.comの記事(http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000161103250001)によると、浜岡原発3号炉の再起動を厚かましくも申請し、それを知事が平気で認可する訳です。彼らは、FUKUSIMAを見ても何も感じないわけです。
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【http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000161103250001】
浜岡原発3号機 起動へ
2011年03月25日
中部電力の水野明久社長が24日、県庁に川勝平太知事を訪ね、定期点検を終えた浜岡原子力発電所3号機を、1週間程度の安全対策訓練の後、起動させたい考えを伝えた。東日本大震災の影響による厳しい電力事情を踏まえ、川勝知事は、万全の安全対策と情報開示を条件に起動を認める考えを示した。
■知事、条件付きで認める考え
東日本大震災とその後の福島第一原発の事故の影響で、再起動の是非が問われている浜岡原発3号機。中電は、津波で非常用の電源が機能しなくなった福島での事故を受け、非常用電源の接続やバックアップ用の発電車の設置など、同様の被災時を想定した安全対策訓練を実施後、起動にこぎ着けたい考えだ。
「計画停電もあり非常事態。管内の安定供給や東京電力管内への応援を考えると、しっかりとした安全対策をとった上、(3号機を起動して)安定供給に努めたい」とした水野社長に対し、川勝知事は「私も同じ考え」と理解を示した。
一方で川勝知事は、福島での事故後、東電の情報提供が混乱したことに触れ、「あってはならないこと。不安が増幅されて風評被害につながりかねない」と中電側に迅速な情報提供を求めた。
会談では、6号機の新設や4号機で予定されているプルサーマル計画については触れられなかった。終了後、水野社長は記者団に対し、6号機については、着工を2015年度から16年度に延期するが、現時点では計画を中止する考えがないとし、プルサーマル計画については導入時期は検討するとした。
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最後に呆れた国会答弁のご紹介(http://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-1773.html#more)です。その極一部のみ紹介します。質問者は福島瑞穂(福島みずほ)さん。
「割り切って事態の想定をしない」そうです。そのくせ、「想定外の事態」という訳です。ふざけ過ぎている、と思いませんか?
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【http://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-1773.html#more】
福島みずほ
水素が出るというのは、格納容器から出ているわけじゃないんですか。
班目さん、二〇〇七年、平成十九年二月十六日、浜岡原子力発電所の裁判の証言で、非常用ディーゼル発電機が二個とも起動しない場合に大変なことになるのではないかと質問を受け、そのような事態は想定しない、そのような想定をしたのでは原発は造れない、だから割り切らなければ設計なんてできませんねと言っていますね。割り切った結果が今回の事故ではないですか。
政府参考人(班目春樹君)
確かに割り切らなければ設計ができないというのは事実でございます。その割り切った割り切り方が正しくなかったということも、我々十分反省してございます。
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OurPlanet-TVに現地報告のビデオ(http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/912)があります。背景部分の記事をコピペさせていただきます。ビデオでは、浜岡のことがやはり出てきます。石原慎太郎都知事の失言問題や、これまでの原子力行政批判も語られています。
50km離れた所でも、ある意味でチェルノブイリ以上の放射能汚染がすでに起きていることに戦慄を覚えます。ビデオを是非ご覧ください。
マスコミでは、内部被爆がほとんど語られていないことが気になります。
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【http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/912】
【福島原発】フォトジャーナリストが緊急現地報告
投稿者: ourplanet 投稿日時: 土, 03/19/2011 - 11:45
ビジュアルジャーナリスト協会のメンバーら6人が取材チームを結成し、東北・関東大震災直後の3月13日、福島第一原子力発電所のある福島県双葉町へ取材に入った。東京に戻ったばかりのメンバーに話を聞く。
スタジオ報告:豊田直巳(JVJA/フォトジャーナリスト)
森住卓(JVJA/フォトジャーナリスト)
ビデオ出演: 広河隆一(DAYS JAPAN編集長/フォトジャーナリスト)
ビデオ撮影: 綿井健陽(VJJA/ビデオジャーナリスト)
取材班が取材に入った13日は、3号機が冷却機能を失い、原子炉格納容器の圧力が高まっているとして、放射性物質を含んだ蒸気を外部放出した直後の時間。このため、放射線の計測器の値は非常に高く、原発から4キロ離れた双葉町役場では携帯していた3種類の計器はすべてメーターが振り切れた。最も高い値を計測できる計器は1000マイクロシーベルト。
放射線の粒子は非常に細かいため、体内に入りやすい。森住さんは、イラクの劣化ウラン弾被害の取材経験から、内部被曝によって、多くの子どもたちが甲状腺がんになっている事実を挙げ、その危険性を指摘する。劣化ウラン弾から検出される放射能の値は、今回、放出されている放射能にほど大きくないのだと言う。
また、地震の10日前までチェルノブイリ原発の被害地を取材していた豊田さんは、25年経ってもなお、30キロ圏内には人の立ち入りが禁止されている実情を語り、同じような悲劇を繰り替えないためにも、浜岡原発はすぐにも停止すべきだと主張する。
※取材されたメンバーは上着類はすべて捨て。靴や車両などの除染作業もしっかりとされています。
【福島原発】計器メーター振り切れ、放射線計測不能
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/913
日本ビジュアルジャーナリスト協会
http://www.jvja.net/
DAYS JAPAN
http://www.daysjapan.net/
fotgazet
http://www.fotgazet.com/
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CMLの記事(http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-March/008240.html)をコピペ。
先日紹介した堀江邦夫さんの『原発ジプシー』(講談社文庫)(http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4061833545/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1)。知っているつもりではいましたが、やはりこのチャンネル4の写真家樋口健二さんを主人公に据えた「原発銀座GENPATU GINZAでの被爆労働」に関するドキュメンタリーを見てみると、その悲惨さに胸が塞がれる思いになるし、自分の生活がこのような被爆労働者に支えられていることに申し訳なさを感じる。こういう社会であってはならないと思う。松下竜一さんらが言っていたように、そういう社会であってはならなかったはずなのに。一方、いま、福島第一原発で、現場の労働者や自衛官、消防署員らに被爆労働をさせている・・・。
“No masks, no training”
「沈黙をおカネで買う」「おカネで口封じ」
「体内に時限爆弾」
これはイギリスのチャンネル4によるドキュメンタリーである。日本のマスメディア、TVメディアはどこまで被爆労働者、〝原発ジプシー〟の実情を日本人に知らせてきただろうか? 日本の裁判所はどこまでそういった労働者の訴えの声に耳を真摯にかたむけてきただろうか?
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【http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-March/008240.html】
[CML 008360] 「日本の原発奴隷」とチャンネル4のドキュメンタリー
2011年 3月 20日 (日) 02:21:37 JST
「日本の原発奴隷」は最近のMLでも紹介されていますが、その中で取り上げられている写真家の樋口健二氏が登場するドキュメンタリーをイギリスのチャンネル4が制作しています。
・・・・・・。
エル・ムンド[EL MUNDO:スペインの新聞 ]2003.6.8
調査報告/原子力発電所における秘密
日本の原発奴隷
http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo030608.htm
イギリス channel4 1995年
YouTube - 隠された被爆労働~日本の原発労働者1
http://www.youtube.com/watch?v=92fP58sMYus
YouTube - 隠された被爆労働~日本の原発労働者2
http://www.youtube.com/watch?v=pJeiwVtRaQ8&feature=related
YouTube - 隠された被爆労働~日本の原発労働者3
http://www.youtube.com/watch?v=mgLUTKxItt4&feature=related
若狭(原発)地域で50人を超える人が亡くなっている…
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二つ紹介します。自戒を込めて、本物の言説を見分ける目を持ちたいものです。今だからこそ。そして、手遅れでなければ、未来のために。
一つ目は、一昨日に続き、NPJ(News for the People in Japan、http://www.news-pj.net/index.html)に出ていました弁護士の方の二つの抗議文(http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110321.html、http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110322.html)をコピペさせていただきます。
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【http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110321.html】
社会不安を奇貨とした妄言を許すな
弁護士 澤藤統一郎 (2011年3月21日)
大災害は社会不安をもたらす。多くの人々の不安の心理に付け込んで、妄言を吐く輩が跋扈する。牽強付会(けんきょうふかい)に災害の原因を解釈して見せ、都合の良いように人心を誘導しようとする。混乱のさなかには、時に大きな影響をもたらす危険ある言説として警戒を要する。石原慎太郎の「天罰発言」 もその例に洩れない。
彼によれば、震災・津波の原因は、「我欲」 と 「ポピュリズム」 にある。つまりは、国民が我欲にとらわれ、政治がポピュリズムに陥っているから、天が罰を下して、震災と津波の被害をもたらした。したがって、「津波をうまく利用して、我欲を一回洗い落とす必要がある。日本人の心のあかをね」ということになる。彼の人心誘導の方向は、「我欲を洗い流す」 ことにある。
彼のいう 「我欲」 の内実は必ずしも明確ではないが、「我」 の 「欲」 とは、「全体の利益」 「社会の調和」 「国家の繁栄」 などと対峙する個人の権利主張と理解するほかはない。「我欲を洗い落とす必要がある」とは、全体の利益ために個の抑制を求めるもの。何のことはない、滅私奉公・尽忠報国の焼き直しイデオロギーでしかない。ささやかな庶民の願いを 「非国民の我欲」 呼ばわりして圧殺した、ほんの少しの昔を思い起こさねばならない。
もっとも、「ささやかな」 と限定することのない我欲を正当と認める立場が、経済制度としての資本主義であり、政治思想としての個人主義ないし自由主義である。国家は個人の我欲を抑圧する必要悪と位置づけられる。現行の制度は、我欲の衝突を調整する仕組みをそなえつつ、我欲を基本的に肯定している。
これに反して、個人の我欲を否定し、国家・社会・民族の利益を第一義とする立場が全体主義である。石原を 「弱者に冷たい新自由主義者」 とするのは、実は褒めすぎ。「全体のために個人を否定する全体主義者」と評し直さなければならない。
恐るべきは、石原の全体主義的言動に喝采を送る一定層が存在することである。その支持のうえに、3期12年もの都政のあかがたまった。これを一気に押し流す必要がある。「天罰発言」を石原ポピュリズム清算の天恵としよう。
【http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110322.html】
都民は被災地の声に耳を傾けよう
弁護士 澤藤統一郎 (2011年3月22日)
本日の毎日新聞 「記者の目」 の欄。釜石を故郷とする、社会部記者が地元に入って、災害の惨状を生々しく報告している。
その中に、次の1節がある。
「浜町の高台にある児童公園の物置小屋で、地元の消防団員らと夜を越す。ろうそくを囲み、気付けに回す日本酒に思いが噴き出す。『石原慎太郎(都知事)のばかたれが。何が天罰だ。おだつなよ(ふざけるなの意味)』。
傍らから声が続く。『こんな時こそ、人間性や生き方が問われんだべよ』」
激しく厳しい叱正と、冷静な人間評。いずれも何という痛烈な石原批判であろうか。石原は、「馬鹿たれ」 「おだつな」 と怒りをぶつけられているだけではない。人間性や生き方そのものを、根底から見すかされ否定され軽蔑されているのだ。
この声は、一児童公園の物置にたまたま集まった人の声ではない。三陸全体の、いや東北関東被災地全土の声である。今は声を出すこともかなわない2万余の犠牲者の声であり、30万避難者の声でもある。日本全国の心ある人々の真っ当な声でもあろう。
今、東京都民の民度が問われている。都民は、このような恥さらしの人物を、またまた首長に選出するのであろうか。
政治家は、聖人君子である必要はない。しかし、庶民の悩みや苦しみを理解する能力のない者は、政治家失格である。苦悩する被災者に、「天罰」 と悪罵を投げつける石原を知事に選出するようなことがあれば、こんどは都民が日本中に恥を晒すことになる。
首都の首長選びには、全国の目がそそがれている。とりわけ、被災地から見つめられ姿勢を問われていることを忘れてはならない。投票行動によって都民の「人間性や生き方が問わている」 のだ。
石原が 「馬鹿たれ」 「おだつな」 と酷評を受けることは当然としても、都民が石原同様の批判を受けるようなことがあってはならない。
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もう一つは、THE JOURNAL(http://www.the-journal.jp/)に出ていました金平茂紀さんの記事(http://www.the-journal.jp/contents/kanehira2010/2011/03/post_3.html)の一部をコピペさせていただきます。元文には現地のルポなどもあります。
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【http://www.the-journal.jp/contents/kanehira2010/2011/03/post_3.html】
私たちは大震災と原発惨事のさなかで何を考えるべきなのか?
人間の歴史には「切断点」がある。その出来事の前と後とでは、まるで風景が違って見え、価値観が変容し、情況が一変するような「切断点」がある。いま私たちはそのような「切断点」のただなかにいる。そのような「切断点」はかつてヒロシマの8月6日にあったかもしれない。あるいは1945年の8月15日にあったかもしれない。僕にはいま論理立てて今回の出来事を整序するだけの余裕がない。だから以下の文章は論理に裏打ちされたものではなく、目の前で進行している事象の素描を記すに過ぎない。だが何を記すかによって見えてくる風景はおのずと異なるだろう。
・・・・・・。
福島第一原発の事故はこれまで世界で起きた原発事故のなかでも最悪級に近い様相を呈している。原子力工学とか原子炉設計とか、「原発に詳しい」専門家、学者たちが僕らのテレビ局のスタジオにやってきた。出演交渉したのは僕らの仲間だ。ある人は饒舌でまるでニュースキャスターのようだった。その後、危機が深刻化し、発電所近辺で放射線量が基準を超えるような事態になったあとも、それらの人々は「ただちに健康に害を及ぼすような量ではない」「全く健康には問題がない」などと繰り返していた。彼らにも家族がいるのだろうに。
インターネット系のメディアは「御用学者」とストレートな表現で彼らを非難した。「御用学者」「御用マスコミ」をつくりだしたのは僕ら自身だ。原発の安全性については長く異議申し立てが行われていた事実が厳然としてある。故・高木仁三郎の残した言葉に耳を傾けてみよう。何人かのメディア学者や小説家がパニックに陥り、関西地方に家族ともども避難した。マスコミは電力会社と結託して真実を隠している、と彼らは発信している。原子力委員会や原子力安全委員会の人々はなぜか固い沈黙を守っている。有名シンガーたちがコンサートをキャンセルし、同じく関西地方に長期滞在するためのホテルを押さえたという醜悪な話が飛び交う。16日からの来日公演ステージをやりとげたシンディ・ローパーの方がよほど偉い。
この事態に誰が何を言い、どのような行動をとるか、僕らはしっかりと見よう。誰が本物で誰が偽物かを凝視しよう。
岩手県石巻市出身の作家・辺見庸は大震災のおそらく数週間前に『朝日ジャーナル』増刊2号に寄稿した文章「標なき終わりへの未来論」のなかで、こんなことを記していた。
すさまじい大地震がくるだろう。それをビジネスチャンスとねらっている者らはすでにいる。富める者たちはたくさん生きのこり、貧しい者たちはたくさん死ぬであろう。階級矛盾はどんどん拡大するのに、階級闘争は爆発的力をもたないだろう。性愛はますます衰頽するだろう。テクノロジーはまだまだ発展し、言語と思想はどんどん幼稚になっていくであろう。ひじょうに大きな原発事故があるだろう。労働組合はけんめいに労働者をうらぎりつづけるだろう。多くの新聞社、テレビ局が倒産するだろう。生き残ったテレビ局はそれでもバカ番組をつくりつづけるだろう。
(辺見、上記文章より)
辺見は予言していたのだ。
日本が大打撃を受けたことを見越して投機マネーがハイエナのような動きをみせて、円はあっさり戦後最高値を更新した。資本の論理とはそのようなものだ。日本の地震被害に哀悼の意を表したその同じ頭と手で、米・英・仏はリビアを空爆し(彼らは何にでも作戦名をつけるのを好む。「オデッセイの夜明け作戦」という傲慢で自己陶酔的な作戦名がつけられたそうだ。)、内戦状態にある国の一方に肩入れし、政体をひっくリ返そうとしている。それが民主主義なのだという。日本の民主党政権はただちにその空爆を支持した。それを伝えるNHKの解説委員が「時間との戦いです」などと空爆全面支持をテレビでさらけ出していた。ちなみに、アメリカ政府の日本震災支援特別チームの調整役は、あの「沖縄はゆすりの名人」発言で更迭されたはずのケビン・メア国務省元日本部長がつとめており、その作戦名は「トモダチ作戦」だとか。これが僕らが直面している同盟国アメリカの支援のひとつの現実だ。
もう一度記しておこう。この事態に誰が何を言い、どのような行動をとるか、僕らはしっかりと見よう。誰が本物で誰が偽物かを凝視しよう。
(大震災発生から10日目に記す。)
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CMLに出ていた記事(http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-March/008165.html)の一部をコピペさせていただきます。
浜岡、伊方、上関だけでなく、若狭湾周辺、六ヶ所村・・・、こんな事態を引き起こしてしまった我々には直ぐに全ての原子力施設を停止させる義務があるのではないでしょうか? 「唯一」の被爆国であったはずなのに。どこにも原子力の「平和」利用などあり得なかったのです。手を出すべきでなかったのです。
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【http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-March/008165.html】
[CML 008284]
・・・・・・。
そのいっぽうで、どうしても浜岡は気になります。
きょうは三重県の伊勢市の市長が、浜岡を止めるよう、中電に正式に申し入れました。
また、広瀬隆さんがテレビで50分ほどお話になったことも、浜岡がおおきくクローズアップされてきた表れだと思います。(CATV朝日ニュースターで、0時から再放送があります。
まだのかたはぜひに!
http://asahi-newstar.com/web/22_shinsou/?cat=18
末尾に、あるMLに今夜の広瀬さんのお話の概要が(とちゅうからですが)流れているのを転送します)
・・・・・・。
○○です、朝日ニュースターのニュースの真相、偶然見たら作家の広瀬隆さんが出ていて、1時間弱お話をされました。この映像、多くの人に見て欲しかったです。
広瀬さん、現在の福島第1、冷却のための電源がなくなったのが最大の問題であり、津波の際に真っ先に電源を回復させるべきであった、この冷却が重要であり、外から水をまいてもあまり効果はないとのことでした。また、原子炉の構造は実際は複雑であり、テレビに出てくる簡略化されたようなものではない、その、何百度のところに海水を入れたら塩が出て、バルブ、配管系にトラブルが起こるだろうとの事でした。そして、東京電力は原子炉のハードは知らない、作った東芝、日立の技術者の力が要る、原子力保安員など何も知れないとのことでした。
また、被曝に関して、特にNHKの情報はひどい、放射線量、1年間に浴びる限度と、1時間あたりの量を意図的に混同している、両者には8000倍の差があり、また、現地で活動している人は致死量の被曝をしている懸念がある、そして、現地で子供たちが被曝している写真はニューヨークタイムスにしか載っていない、なぜ日本の新聞が載せないのかという指摘がありました。
現状の福島第1のトラブルは、チェルノブイリのようにコンクリートで覆って放射性物質が出ないようにするしかないのでは言うことでした。
そして、地震は、テレビにはまともな学者は出ていない、神戸大の石橋先生のような頼りになる人は出ておらず、今回の地震を地震予知連はまったく予知できなかった、そして、東海地震も起こる可能性があるということでした。
最後に、広瀬さんは原発は全て止めるべきであり、原発を止めても、火力、水力で十分まかなえる(電力最大の真夏の昼でもOK)、今は火力発電が打撃を受けたか、燃料なしで使えないのだ言うことで、特に浜岡原発はマグニチュード8の地震で数m隆起するところにあり、地震に原子炉が耐えられるわけはないとの指摘もありました。さらに、危険なのは若狭湾(もんじゅを含めて10数基ある)と六ヶ所村、六ヶ所村がやられたら世界破滅との事でした。
私も思っていた通りのものであり、この内容、多くの人に知ってほしく、お伝えしました。
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videonews.comに神保哲生さんによる広瀬さんのインタビューがあります。ここでも54基全ての原発を即時に停止することを提言されています。東京新聞では、50%程度の人が様子を見つつ原発の運転を維持すべきだ、というアンケート結果があったとのお話も出てきたが、この期に及んでまだ・・・。それから、六ヶ所村の恐怖についても。ただし、広瀬隆さんについては様々な批判的意見もあることは頭の隅において、耳を傾けてみてください。
videonews.com
予言されていた“原発震災” 広瀬隆氏インタビュー
(http://www.videonews.com/interviews/001999/001771.php)
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【http://www.videonews.com/interviews/001999/001771.php】
枝野官房長官は、19日夕、地震で緊急停止した後、放射能漏れの危機的な状況に陥った福島第一原発1~3号機の原子炉について、海水注入により一定の安定状況にあると述べた。しかし、事態が終息に向かうかどうかはいまだ、まったくわからない状況が続いている。
作家の広瀬隆氏は、80年代から原子力発電所の危険性を訴えてきた。昨年出版した『原子炉時限爆弾』では、「原発が地震によって制御不能に陥り、周辺に放射能を撒き散らす“原発震災”が起きる」と予測していた。
広瀬氏は、火力発電と水力発電で日本の電気使用量はまかなえる、原発を停止した際の電力不足を心配するより、まず今は、原発の危険性をしっかりと考えてほしいと話し、たとえ福島原発の被害を最小限に食い止めることができたとしても、次の大地震で別の原発が事故を起こすと懸念する。
19日昼現在、広瀬氏は福島第一原発の状況をどう見ているのか。また、今後どのような事態を想定し、放射線はわれわれにどのような影響を与える可能性があると考えているのか。そして、そもそも日本の原発はどのような危険性をはらんだものであるのか。政府、メディア、御用学者はほとんど事実を話していないと断じる広瀬氏に、神保哲生が聞いた。
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もう一つ。ポット出版(http://www.pot.co.jp/)の記事。松沢呉一さんの「黒子の部屋」の「お部屋2181」(http://www.pot.co.jp/matsukuro/20110316_010929493922695.html)です。やはり、松沢さんも「原発は一度全部停止させるべし」というご意見です。賛成。
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【http://www.pot.co.jp/matsukuro/20110316_010929493922695.html】
お部屋2181/節電できない私
15日の深夜です。静岡東部で震度6強。距離があるとは言え、多くの人が浜岡原発を思い浮かべたでしょう。私もです。地盤がもっとも脆弱な原発と言われてますから。
この一連の地震がどこまで、いつまで続くかわからないのですが、福島原発が解決するまで、原発は一度全部停止させるべし。ここまで来た福島原発に解決なんてことがあるのかもわからないですが。
電力消費を3割減らせばいいんでしょ。私も協力します。
と思ったんだけど、私の場合、これ以上、電力使用を減らせないです。
もう7、8年になるかと思いますが、エアコンが壊れて以来、うちには冷暖房がないです。直さなくてもいいんじゃないかと思って試みたら、本当にいらなかったです。ただし、冬より夏の方が厳しくて、扇風機と団扇は使ってます。
電気のヒーターはあるんですけど、人が来た時以外はつけておらず。
今日は冷え込んでますが、昨日は暖かかったので、風呂から出たあとは、ずっとパンツとTシャツでした。
お年寄りや病人は別にして、東京では暖房なんていらないって。
ただし、風邪はよくひきます。これは時々窓を開けっぱなしで寝るためです。昼間は窓を開け放つ癖があって、そのまま忘れて寝てしまうのです。今のように原発に脅える生活より、風邪をひいている方がいいべさ。
ちなみに寒い時は、首にタオルを巻くだけでかなり違います。それでも寒かったら2本巻け。
うちにはテレビもないです。これももう6、7年になるのかな。壊れた時に、なくてもいいんじゃないかと思って買い替えなかったら、案の定、なくてもよかったです。今はUstreamでテレビの特別番組をずっと観てますけど。
オーディオもないです。10年以上前に壊れた時に、なくてもいいんじゃないかと思ったら、なくてもよかったです。CDはパソコンで聴けますし。
冷蔵庫はありますが、単なる食器棚になってます。これも10年くらい前に壊れた時に、なくてもいいんじゃないかと思ったら、なくてもよかったです。1回自宅で食中毒をやって高熱と下痢で苦しみましたが、そんなもんで人は死なないです。
炊飯器も壊れて、以来、パックの米です。一人暮らしだと、あれがちょうどいいんですよ。うまいし。
電子レンジとパソコンと照明は今も使ってますが、これ以上どこを節電しろと。
こんな私からすれば、石原慎太郎こそ物欲、名誉欲にまみれた我欲の権化、その自分の生き様を顧みるのはいいとして、わざわざ口に出すことではあるまいに。黙って、全財産、被災地に送ればいいだけのこと。すぐにやれ。
2011-03-16 1:13 [松沢 呉一]
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NPJ(News for the People in Japan、http://www.news-pj.net/index.html)に出ていました弁護士の方の一連の抗議文をコピペさせていただきます。
もちろん私は、以前から反・小皇帝 石原慎太郎都知事だった訳ですから、これらの文章に大変に心揺さぶられるのは当然かもしれません。四選出馬を許し、さらに、都民の皆さんは彼を当選させるのでしょうか? 都民の皆さんは、これら一連の文章をどのようにお感じになるでしょう??
「君の場合、到底 「謝って済む」 問題ではない」・・・というのは、原発推進者にも言えること。自民党谷垣総裁が「原発推進の見直し」を枝野官房長官に進言したそうだが、そんなことは当たり前であり、その前に言うべきことがあるはず。中曽根(中曾根)氏をはじめ、この間一貫して、さんざん原発・「原子力の〝平和!?〟利用」を推進してきた自民党が言うべきことがあるのではないか?
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【http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110315.html】
石原慎太郎の 「震災は天罰」 発言に抗議する
弁護士 澤藤統一郎
敢えて一切の敬称を省略する。石原慎太郎は、東北太平洋沖大震災・津波の被災者に謝罪し、即刻すべての政治活動から身を退くべきである。
複数メディアの報ずるところによれば、石原は大震災の被害を 「これはやっぱり天罰だと思う」 と記者会見の場で公言した。「津波で我欲を洗い落とせ」とも言ったという。
その後記者から 「『天罰』 は不謹慎では」 との質問に対して、「被災した方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかもしれませんが、と言葉を添えている」として、発言の撤回も謝罪もしていない。しかも実際には、添えられたとされる言葉はなかったという。
かつてない大災害で万を数えようという犠牲者が出ている。多くの罹災者が家族を失い、家も職も地域社会をも失って塗炭の苦しみに嗚咽の声をあげている。そのときに、石原はこの苦しみを「天罰」と言ってのけたのだ。
言うまでもなく、罰は罪を犯したものに対してくだされる。罹災者に何の罪があったというのか。「津波で我欲を洗い落とせ」 とは何という無神経で、心ない言葉。不用意に出た言葉としても、何という思いやりに欠けた、唾棄すべき人格であろうか。石原にとっては、この大災害の罹災者一人一人の死や離別、恐怖は、「被災者の方々はかわいそうですよ」という程度のものでしかない。
明らかに、石原はこの発言で政治家たるの資質のないことを露わにした。少なくとも、民主主義社会において、これほど人権感覚を欠如し、これほどに国民を見下した政治家に、責任ある地位を与えておくことはできない。
発言を撤回し謝罪するだけではたりない。政治家失格者としてあらゆる政治活動から身を退くよう、要求する。
【http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110315-2.html】
石原慎太郎君、君こそ 「天罰」 を甘受したまえ。
弁護士 澤藤統一郎
敢えて敬称を 「君」 としよう。 石原慎太郎君、知事を辞めたまえ。四選出馬を撤回したまえ。潔く、大震災・津波の被災者にたいする謝罪広告を掲出し、すべての政治活動から即刻に身を退きたまえ。
君は、大震災の被害を天罰だと記者会見の場で広言した。塗炭の苦しみを味わっている被災者を罪ある者とし、その苦しみを天罰と言ったのだ。被災者を我欲者として「津波で我欲を洗い落とせ」 とも言った。その君の罪は限りなく重い。
君の 「天罰発言」 は、失言だとか、不用意に口が滑ったという次元の問題ではない。君の人格そのものの表出なのだ。権力者面をした君には、この大災害の被災者一人一人の死や離別の恐怖・苦悶・悲嘆に共感する能力が根本的に欠落している。このことは、民主主義社会での政治家として決定的な欠陥なのだ。
君は、いとも簡単に 「言葉が足りなかった」 として、「謝罪し、発言を撤回した」 と報じられている。君は、自分の言葉の軽さを当然として、その撤回は可能と考えているようだが、それは心得違いも甚だしい。
君の 「天罰発言」 は、政治家としての君の資質の欠落を露呈させたものだ。だから、政治家失格の真実を消し去ることはできない。発言を撤回したところで、君の人権感覚の欠如、国民無視の姿勢の露呈を消し去ることはできない。
君が都知事を続けたら、不幸な都民に再度 「天罰」 と言うだろう。いや、既にこれまでも「天罰」として切り捨てられている都民を指摘することもできる。
このたびは、謂わば君自身が君の原罪を露わにしたのだ。天罰を甘受するよりないではないか。天罰発言を撤回して、謝罪するだけでなく、知事も辞めたまえ、四選出馬を撤回したまえ、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、民主主義と人権の進展のために、君がなし得る唯一のことなのだから。
【http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110317.html】
石原慎太郎君、君は 「謝って済む」 立場にない。
弁護士 澤藤統一郎
石原慎太郎君。
君は、このたびの大震災の被害を天罰だと広言し、その翌日、まことにぶざまに発言を撤回して謝罪した。しかし、君には、自らの発言の罪の深さが理解できていない。君の「天罰発言」への謝罪は、到底受け容れられるものではない。君は、今さら謝罪で許される立場にはないと知るべきだ。
加害行為は、その態様と程度によっては、加害者の真摯な反省と謝罪が被害感情を慰藉することがある。その場合には、謝罪は被害者に受容される。つまりは、「謝って済む」ことになる。しかし、君の場合、到底 「謝って済む」 問題ではない。
尊い命を失った方、あるいは掛け替えのない家族を失って悲嘆にくれ、またあるいは恐怖と絶望に震える大震災の被災者に対して、君は 「その不幸は天罰」と言ったのだ。かつて君自身が田中均外務審議官に投げつけた言葉を借りるなら、君の発言こそが 「万死に値する」 行為なのだ。到底許されるものではない。
私は、岩手県の出身者として知人の被災に胸を痛めているが、もとより被災者に代わって発言する資格はない。しかし、君の発言は、私の心情も大きく傷つけた。私も君の発言の被害者の一人だが、私の怒りはおさまらない。「発言の撤回と謝罪」程度で、私はけっして君を許さない。多くの被災者はなおさらのことと思う。
あらためて要求する。石原君、即刻政治家を辞めたまえ。
「万死に値する」 とは、君の言葉の使い方と同様レトリックでしかない。死をもって償えなどと野蛮な要求はしない。知事を辞め、四選出馬表明も撤回し、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、今君のなし得る真摯な謝罪の方法である。
その実行があれば、私は、君の人間性と真摯さを見直し、君の発言を宥恕するにやぶさかではない。もっとも、私に比較すべくもなく大きく深く君の発言に傷つけられた被災者が、君を許すかどうか…。それは、私の忖度の限りではない。
【http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110317-2.html】
石原慎太郎君、君は民衆の信頼を失った。
弁護士 澤藤統一郎
君には、「天・罰」 の二文字が深く刻まれた。どのようにあがいても、もう、洗い落とすことはできない。君が人前にその姿を晒せば、人は君の額に「天・罰」 の二文字を見る。君がものを書けば、人は紙背に 「天・罰」 の二文字を読み取る。君が、何をしゃべろうと、また書こうと、「天・罰」 の二文字が君から離れることはけっしてない。
みんなが心得ている。君の 「被災はやっぱり天罰」 「津波を利用して我欲を洗い落とす必要がある」 という言こそが君のホンネであることを。翌日の撤回と謝罪とが、選挙戦術としてのとりつくろいでしかないことを。
唾棄すべき言論にも表現の自由は保障されよう。君がその本性をむき出しに、無慈悲で無神経な心ない言論を行うことも、君の嫌忌する日本国憲法が保障するところ。君の一個人としての不愉快な言論は自由だ。しかし、政治家としての言論は自ずから別だ。限界もあり、特別の責任が伴う。
民主主義社会における政治は、選挙民である民衆の信頼を基礎に存立している。選挙で選ばれた政治家は、選挙民の信頼に応える責任を負っている。その信頼の内容は、民衆の利益への奉仕にある。就中、最も弱い者、最も困窮している者、最も援助を必要とする者に真摯に寄り添うことにある。
震災被災者の困窮を天罰と言い、援助の手を必要とする津波の被災者に 「我欲を洗え」 と悪罵を投げつけた君は、弱者を切り捨てたつもりが、自分への信頼を切り捨てたのだ。民衆からの信頼を根底から洗い流した。その信頼喪失の象徴が「天・罰」 の二文字である。君がいかなる美辞麗句を連ねても 「天・罰」 の二文字から君のホンネと本性が透けて見えるのだ。
民衆からの信頼を失った政治家は潔く身を処すしか道はない。知事の職を辞し、四選出馬を断念し、あらゆる政治活動から身を退いて、民衆を蔑視し民衆の信頼を失った政治家の身の処し方を見せてもらいたい。それがせめてもの、君ができる償いであろう。
【http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110318.html】
石原慎太郎知事の罪と罰
弁護士 澤藤統一郎 (2011年3月18日)
石原慎太郎知事は、このたびの大震災の被害を 「天罰」 と言った。
天罰にせよ刑罰にせよ、罰は罪を犯した者に科せられる。知事は 「天罰」 という発言で、被災した無辜の被害者に対して、罪ありと指弾したのだ。「被災は自業自得」と放言したに等しい。
知事は弁明するかも知れない。「自分は日本という国の罪を考え、日本に天罰が下ったと述べたのだ」 と。これもまた恥と愚の上塗りである。なにゆえに、国策の決定や遂行に遠い位置にある東北の人々が、また最も弱い立場の幼児や老人までもが、日本の罪を引き受けなければならないのか。なにゆえに、知事自身を含め、権力の中枢にある人々が天の鉄槌を免れているのか。
知事の視野には、およそ空疎な 「日本」 や 「国家」 や 「民族」 だけがあって、災害に苦しむ生身の人間の姿が見えていない。このような思い上がった人物に、民主主義社会は権力も権限も与えてはならない。多くの人々の運命の帰趨にかかわる地位に置くことは、都民にとって危険極まりないからだ。
言うまでもなく震災・津波の被災者に罪はない。被災は罰ではあり得ない。むしろ、知事の側にこそ大きな罪があり、厳しく罰せらるべきである。
知事の 「罪」 (違法)を数え上げよう。
公然と被災者を侮辱したこと。被災者の名誉を大きく毀損したこと。虚偽の風説を流布して被災者の信用を毀損したこと。罪のない者を罪ありと誣告したこと。知事にあるまじき愚かで心ない放言によって都民に肩身の狭い思いをさせたこと…。
なによりも、苦悶する被災者に対する情誼を著しく欠いたこと。そして、災害を非科学的に 「天罰」 などと言ってのけ、災害の原因把握や再発予防、そして被害救済の施策と実行について根本的に無能であることを露呈したこと…。
以上の 「罪」 に対する 「罰」 として、まずは自発的な贖罪が期待される。自ら、知事の職を辞し、四戦出馬を取りやめること。すべての政治活動から身を退くこと。
さもなくば、天に代わって選挙民が 「罰」 を与えねばならない。
【http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110319.html】
災害を 「天罰」 とするオカルティズムの危険
弁護士 澤藤統一郎 (2011年3月19日)
未開の時代、人は災害を畏れ、これを天の啓示とした。個人の被災は個人への啓示、大災害は国家や民族が天命に反したゆえの天罰とされた。
董仲舒の災異説によれば、天は善政あれば瑞祥を下すが、非道あれば世に災異をもたらす。地震や洪水は天の罰としての災異であるという。洋の東西を問わず古くは存在したこのような考え方は、人間の合理的思考の発達とともに克服されてきた。
天罰思想とは、実は独善である。天命や神慮の何たるかを誰も論証することはできない。だから、歴史的には易姓革命思想において利用され、政権簒奪者のデマゴギーとして重用された。
このたびの石原発言の中に、「残念ながら無能な内閣ができるとこういうことが起きる。村山内閣もそうだった」 との言葉があったのに驚いた。政権簒奪をねらうデマゴギーか、さもなくば合理的思考能力欠如の証明である。このように、自然災害の発生を「無能な内閣」 の存在と結びつける、非合理的な人物が首都の知事である現実に、肌が泡立つ。
また、天罰思想は災害克服に無効である。天の罰との理解においては、最重要事は災害への具体的対応ではなく、天命や神慮の内容を忖度することに終始せざるをえない。また、災害は天命のなすところと甘受することにもならざるをえない。
本来、災害や事故に対しては、まず現状を把握して緊急に救命・救助の手を差し伸べ、復旧の方策を講じなければならない。さらに、事象の因果を正確に把握し、原因を分析し、再発防止の対策を構築しなければならない。このことは科学的思考などという大袈裟なものではなく、常識的な合理的な思考姿勢である。この常識的思考過程に、非合理的な天罰思想がはいりこむ余地はない。
アナクロのオカルト人物が、今、何を間違ってか首都の知事の座に居ることが明白となった。このままでは、都民の命が危ない。
都民は、愚かな知事をいだいていることの「天罰」甘受を拒絶する。都民の命と安全のために、知事には、即刻その座を退いていただきたい。
【http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110320.html】
日本国憲法の嘆きと願い
弁護士 澤藤統一郎 (2011年3月20日)
私は 「日本国憲法」 である。
人類の叡智の正統な承継者として1947年日本に生まれた。以後、主権者国民に育てられて地に根を下ろし、枝をひろげた大樹となっている。
私の根幹を成すものは、「人権」 と 「民主主義」 と 「平和」 である。その各々は相互に関連し、相補うものとしてある。とりわけ、至高の価値である国民個人の人権を擁護するために民主主義が円滑に機能することが、私の切なる願いである。
このことを、私は、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」と高らかに宣言した。
「人権」 とは、国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産であって、私の最も貴重とするものである。国民の代表者たる公務員・政治家は、その貴重な国民の人権を預かる者として、心して国民の福利のために献身しなければならない。
ときに、この理をわきまえない不心得な政治家が現れることが心配でならない。
石原慎太郎という首都の知事、何を勘違いしてか、公僕たる立場にありながら偉そうに国民に教訓を垂れたという。「津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う」とは、私にとって聞くに堪えない悲しい暴言である。
本来石原は、被災した国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産をいかに擁護し、いかに回復するかに心を砕かねばならない立場にある。被災を 「天罰」ということは、苦しむ国民の傷に塩を塗り込むことで、私の想像を絶する。石原は、私の目の黒いうちは、知事としても政治家としても失格というほかはない。
しかし、私は寛容にできている。私には直接に石原を失脚させる物理的な力はなく、胸を痛めるしかない。首都の主権者にお願いしたい。私に代わって石原を諭して知事の座を退くよう力を尽くしていただきたい。その実現を私は待ち望んでいる。
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東京新聞の「筆洗」を2つ。
HIROSIMA、NAGASAKI、それにつづきFUKUSIMAという名前が世界の記憶に残る地名となってしまいつつあります。何故こんなことになってしまったのか・・・。
繰り返しになるが、これまで原発を推進してきた者達はどう責任を取るつもりなのか? 結論としては、明らかに責任の取りようがないのだが、せめて、浜岡原発や伊方原発、建設強行中の上関原発は当然として、あらゆる原子力関連施設を停止すべきではないのか? それが責任の第一歩だ。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011031702000034.html】
筆洗
2011年3月17日
目には見えない。においもしない。音も立てずに近づいてくる。風に乗って飛んでくる放射性物質は、実に手ごわい相手である。心理戦も得意だ。最悪の事態ばかり想像させる▼首都圏のスーパーなどで食料品やトイレットペーパーなど生活必需品の買いだめが起きている。これも、原発事故をはじめ、停電、余震という「見えない敵」におびえたパニックの一種なのだろう▼品切れになっているコメやパンの国内の在庫は十分にある。流通が回復すれば品不足はやがて解消されるのに、このまま買いだめが進めば、本当に物資を必要としている被災地に届かなくなってしまう。少し頭を冷やしたい▼メールでデマを流す輩(やから)もいる。義援金募集を装った詐欺などカネ集めに奔走する恥知らずな連中もいる。善意を食い物にする悪意を見破る賢明さも、こんなときだからこそ必要だ▼被災地には雪が舞い、真冬並みに冷え込んでいるという。三寒四温の「三寒」がこんなに恨めしい年もない。福島第一原発では、現場の作業員が危険を顧みず、悲壮な覚悟で原子炉の制御と格闘している。彼らの家族は無事を祈りながら、見守っているはずだ。同じ思いを共有したい▼「見えない敵」と闘っていくためには、政府と東京電力が正確な情報を迅速に提供することが欠かせない。たとえ、それが不安を募らせる悪い事実であっても。
【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011031602000067.html】
筆洗
2011年3月16日
一億分の一秒で核分裂連鎖反応を起こし、一気に温度を上げて爆発させるのが核爆弾。同じ物理現象を利用、ゆっくりとコントロールしながらエネルギーを得る装置が原子炉である▼原理上は両者を区別できない。原発の運転中に生成されるプルトニウムが原爆の材料になり、原発を持つ国は、核兵器をつくる潜在的な能力を持っている(山田克哉著『核兵器のしくみ』)▼「平和利用」という名目で地震列島に原発を設置してきた私たちは今、初めて経験する危機に直面している。被災した福島第一原発の原子炉が制御困難となり、高濃度の放射能が漏れ出したのだ。放射性物質は風に乗って広がる。計測される放射線濃度は下がってきているが、家庭や学校、職場では、最悪の事態にも備えてほしい▼原発に近い被災地では、放射能の被ばくの恐怖とも闘っている。そんなときに、石原慎太郎都知事は津波を「天罰」と言った。翌日、撤回、陳謝したが、何万人もの安否が不明なのに、想像力を欠いた言葉を吐く人物に首都の防災を任せられない▼エレベーターがなければ暮らせない超高層のマンション、二十四時間営業のコンビニエンスストア…。気が付けば私たちは、無尽蔵に電気を使えると錯覚しながら生活していた。それを「豊かさ」と思い込み…▼FUKUSHIMAの名は今、歴史に刻まれようとしている。
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次に、森住卓さんのWP(http://mphoto.sblo.jp/)の3月17日の記事(http://mphoto.sblo.jp/article/43881965.html)です。
現場で命を賭している方々に何という言葉をおかけすれば良いのか。どうか一人の作業員の方の命が脅かされることなく作業を終えていただきたいと切に祈ることしかできない。
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【http://mphoto.sblo.jp/article/43881965.html】
福島第一原発作業員へのインタビュー
3月16日
福島第一原発のある大熊町の人々は現在いくつかの避難所に避難している。
その中の一つで、大熊町在住で福島第一原発のメンテナンスをしている人にインタビューを行った。(匿名で後姿だけ撮影、音声を変えることを条件にインタビューに応じて下さった。)
「地震発生時には施設内にいましたが、発生後すぐに屋外に出ました。その後、施設内の事務所に全員集まり、私は自宅待機を言い渡されました。避難指示後、家族とここに避難してきました。もし招集がかかれば私も当然行きます。それが私の仕事ですから。その時は最悪の事態も覚悟しています。現在、施設内では千人から数百人が決死の覚悟で作業をしています。今後、この原発事故をどう収拾させることができるかは誰にもわかりません。最悪の事態も考えられます。炉心溶融も考えに入れておかなければならないと思います。」
現在は地元出身者以外で作業をしているとのこと。彼らの決死の作業に数百万の命がかかっている。彼らは、これまで安全だと言い続けてきた政府や電力会社の尻拭いをさせられている。
(本日はネット環境の関係で写真を掲載できません。)
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最後に、ポット出版(http://www.pot.co.jp/)の「及川健二のパリ修行日記」に以下の記事(http://www.pot.co.jp/oikenparis/20110318_203031493922724.html)が出ていました。
政策決定者や電力会社上層部、学者、マスコミは誰も耳を貸さず、というよりも意識的に無視し・・・そして、FUKUSIMAにしてしまった訳です。
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【http://www.pot.co.jp/oikenparis/20110318_203031493922724.html】
別冊宝島『これから起こる原発事故』(2000年1月15日発行)を読み返して(1)
石橋勝彦・神戸大学教授(肩書きはすべて当時)は福島原発について次のように指摘しています。
98年4月福島県の海岸の真下で発生した太平洋スラブ内の地震はM5.4という小さな地震で深さが93キロと深かったにもかかわらず、福島東部に75ガル(地表での揺れの強さを表す加速度の単位)以上の揺れをもたらしました。
もしM7.4なら、地震現象の一般法則から、揺れ幅は約30倍になるので、控えめにみてもゆうに1000ガルを超えると推定されます。
ところが福島原発などのS2(*)は370~380ガルの最大加速度しか設定されていないのです。
石橋先生の慧眼には脱帽です。
S2とは「およそ現実には起こりそうもない”設計用限界地震”」による揺れを指します。
2011-03-18 20:30 [及川健二]
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CMLの記事(http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-March/008221.html)の一部をコピペ。劣化ウラン研究会の山崎久隆さんの浜岡原発についての記事です。全て廃炉にすべきだったのに、一部再始動させていしまっていた訳です・・・。
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【http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-March/008221.html】
[CML 008341]
・・・・・・。
まさしく市民が地震との関係での批判により廃炉になった原発は浜岡原発1,2号機があります。東海、東南海、南海地震への対応を迫られ、耐震補強に莫大な費用がかかることを理由にまだ運転可能だった(福島第一3より新しかった)のに廃炉になっています。
浜岡1号 運転開始76年3月、停止2002年4月 廃炉決定2008年12月
浜岡2号 運転開始78年11月、停止2004年2月 廃炉決定 同上
福島第一1号 運転開始71年3月
2号 運転開始74年7月
3号 運転開始76年3月
4号 運転開始78年10月
今市民は残りの3,4,5号機の廃炉と6号機の新設阻止の運動を展開しており、3,4号機については東京高裁で差止訴訟の真っ最中です。
5号機は2009年7月の駿河湾の地震により想定地震動を超えた揺れを観測したことで、最近まで耐震性を巡り猛烈な批判をし続けていたので止まっていましたが今年運転再開した矢先でした。だからこそ今は浜岡を止めろと多くの人々が声を上げているのです。
止め続けてきたのに今年1月に再開しているので、それをもう一度止めさせようとしているわけです。3,4号機についても差止訴訟で仮処分申請、本訴と戦っているからこそ、今すぐ止めろと声を上げているのです。
沢山ホームページやブログ記事はありますが、全て目を通すことは物理的に困難でしょうから、お勧めを一つだけ紹介しておきます。
http://www.geocities.jp/ear_tn/
浜岡原発訴訟をたたかう市民の文字通り「浜岡原発とめよう裁判の会」です。浜岡を巡る運動について裁判資料を中心に書かれています。浜岡原発の現状というよりどうして差止の必要があるのかが中心です。一般市民が見てどうか、と思われるかもしれません。しかしながらこれが最も充実した資料集ですので、こちらを紹介します。
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もう一つ、岩上安身さんによる社民党党首福島瑞穂(福島みずほ)さんのインタビューです。浜岡原発のことも含め、震災直後からの政府の動きなど、特に福島第一原発事故に対する対応の不味さなどについて語られています。原子力資料情報室の記者会見での後藤政志さんの発言なども取り上げられています。レントゲンとの比較の馬鹿馬鹿しさなど。Part2の方では上記の浜岡原発のことが詳しく語られています。知事の中止命令に背いての中国電力による上関原発の建設継続、祝島のことも語られています。
伊方原発も気になる。この非常時になどと云わず、今まで言い続けてきたからこそ、今だからこそ、はっきり言って全ての原発を停止すべきである。もういい加減十分に痛い目にあい、取り返しのつかない事態となり、周辺諸国どころか全世界に迷惑をかける事態となりつつあるのだから、いいかげんにこの国は学習してほしい。
下記インタビューを是非ご覧ください。
Web Iwakami 2011年3月17日 福島みずほ社民党党首
(http://iwakamiyasumi.com/archives/7630)
弱小政党の声など誰も聞こうとしていないように感じます。良いんですか、ここのままで本当に??
そして最後に、当ブログでしばしば紹介する、私が最も尊敬する松下竜一さんの『暗闇の思想』がいかに優れた提案であったかが、いま、思い起こされる。当時、周囲が嘲笑した松下竜一さんやこの『暗闇の思想』が如何に先進的であったかを、いま、嘲笑した人々は思いしらされているはずだ。
松下竜一さんの〝暗闇の思想〟
『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』
『松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程』
内橋克人さんの『浪費なき成長』
My News Japan(http://www.mynewsjapan.com/)に出ていた2005年7月の記事(http://www.mynewsjapan.com/reports/249)の一部をコピペ。浜岡原発の危険性について。こういうことを許してきたことに呆れるし、何度言っても言い足りないが、改めて激しい怒りを感じる。
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【http://www.mynewsjapan.com/reports/249】
浜岡原発2号は東海地震に耐えられない 設計者が語る
谷口雅春 08:44 07/13 2005
実際に原子炉設計に携わり、「データを偽造して地震に耐えうることにする」との会議に立ち会ったことから、技術者の良心で辞表を出した経緯を公表し、警鐘を鳴らした設計者。しかし電力会社を広告主にもつ大手マスコミはこの事実を取り上げず、行政に知らせても音沙汰なし。東海地震が起きれば関東・関西一円に放射能汚染が広まる危険性は高く、早急な対策が必要だ。「このままでは大変なことになる」という設計者の決意の証言を報じる。(取材・代筆、佐々木敬一)
私は1969年に東京大学工学部舶用機械科の修士課程を修了後、東芝子会社の「日本原子力事業」に入社し、1972年当時は、申請直前だった中部電力の浜岡原子力発電所2号機(静岡県御前崎市)の設計に携わっていました。東芝が浜岡原発の受注先の一つで、私は東芝に出向中でした。
浜岡2号機の設計者は数十人で、1「炉心構造物設計」、2「制御棒設計」、3「汽水分離機・蒸気乾燥器設計」の3つのチームに分かれていました。私は1に所属し、核燃料を支える炉心支持構造物といわれる箇所を担当していました。原子炉の中心的な部分です。
必要なデータを私が集計し、それをもとに、計算担当者が耐震計算を行っていました。
◇「この数値では地震がくると、もたない」
ところが1972年5月頃、驚くべき事態が起こりました。部門ごとの設計者の代表が集まった会議で、計算担当者が「いろいろと計算したが無理だった。この数値では地震がくると浜岡原発はもたない」と発言したのです。
原因は、第一に、浜岡原発建設地の岩盤が弱いこと、第二に、核燃料集合体の固有振動数が想定地震の周波数に近いため、とのことでした。
第一の「岩盤が軟弱」という点では、浜岡原発の建設地は、150年前に発生した安政の大地震など200年周期でM8クラスの地震が起きており、岩盤が断層、亀裂だらけで、地震に非常に弱い地盤です。しかも、今後起こるといわれる東海大地震の震源域は駿河湾といわれており、その駿河湾の震源地が、ちょうど浜岡原発の真下に位置しているのです。
第二の「固有振動数」については、地震が起きた際には、周波数があります。その周波数と、核燃料集合体の固有振動数が近い場合は、地面と燃料集合体が共振し、何倍も大きく振れることになります。耐震計算の結果、浜岡原発の核燃料搭載部分はその共振が著しく、地震が起きたらもたない、との結果が出たのです。
◇3つの偽造
会議では、さらに驚くべきことに、計算担当者が「データを偽造し、地震に耐えうるようにする」と述べました。偽造は三点でした。
第一に、岩盤の強度を測定し直したら、浜岡原発以前に東電が建設した福島原発なみに、岩盤は強かった、ということにする。
第二に、核燃料の固有振動数を実験値ではなく、技術提供先である米ゼネラル・エレクトニック社(GE)の推奨値を使用することで、地震の周波数は近くないことにする。
第三に、原発の建築材料の粘性を、実際より大きいこととし、これにより地震の振動を減退していることとする。
私は、それを聞いて「やばいな」と思い、しばらく悩んだ末に上司に会社を辞める旨を伝えました。自分の席に戻ったところ、耐震計算結果が入った三冊のバインダーが無くなっていました。そのため、証拠となるものは何も持っておりません。
それから1ヵ月位慰留を受けた後、私は技術者の良心に従い、警告の意味を込めて、退社しました・・・・・・。
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アクセスジャーナル(http://www.accessjournal.jp/modules/weblog/)の山岡俊介さんの3月17日の記事。福島第1原発の3号炉、MOX燃料のプルサーマルのことやプルトニウムについての情報が少ないことについての記事。
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【http://www.accessjournal.jp/modules/weblog/】
政府も東電も大手マスコミもハッキリ報じないーー福島原発3号機は「MOX燃料」故の危険性
執筆者: Yamaoka (11:50 pm)
今回の大地震で福島原発のなかでも、冷却機能が失われ、陸自ヘリが放水するなど、もっとも危険性が指摘されているのが3号機だ。(冒頭写真=「毎日」本日夕刊より)
政府や東電、大手マスコミの報道を見る限り、福島原発のなかにある6つの原発のなかで、もっとも深刻な事態に3号機がなっているのはたまたま、偶然のようにも思えるが、そんなことはない。
他の5つの原発の燃料がウランなのに対し、3号機だけがそのウランを使用した残りのなかのプルトニウムを再処理するなどし、使っている「MOX燃料」だからであり、かつ、それが意味するところは、それだけ放射能が漏れた時の人体への影響も格段に大きいことを意味する。
それなのに、そのことをハッキリ述べないことは、これ以上、国民の怒りを買いたくないからとしか思えず、まさに無責任以外の何者でもないだろう。
では、なぜにMOX燃料だと、被害が大きくなり得、そして危ないというのか。
ウランにプルトニウムを混ぜることにより、燃料の融点が下がる。これにより、燃料が溶け易くなるからだ。また熱伝導度等が通常のウラン燃料よりも低下する。だから、燃料温度も高くなり易い。
したがって、今回のように電源が失われ冷却できなくなり、一度暴走を始めれば、他の原発より炉心溶融し易い。逆にいえば、それを冷ますのはより容易ではないのだ。
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さらに、引用はしませんが、青木理さんが京大の小出裕章さんに電話インタビューしたものが文章化(http://www.the-journal.jp/contents/jimbo/2011/03/post_100.html)されています。是非読んでみてください。THE JOURNALからのリンクです。
神保哲生の「マル激トーク」
(http://www.the-journal.jp/contents/jimbo/2011/03/post_100.html)
福島第一原発、何とか事態の悪化を食い止めて欲しいです・・・。でも、これは、東電の現地職員、自衛隊員、消防署員等々の方々の命を賭しての献身的な作業をお願いする、ということであり、そのことについて私は大変に複雑な心境です。これらの方々が、一人の方も危険なく、その上で、何とかこの危機を収束されることを願ってやみません。
なお、神保哲生さんの3月18日付の被災地現地リポート(7分)(http://www.videonews.com/special-report/031040/001762.php)もあります。videonews.com(http://www.videonews.com/)。THE JOURNALからもリンク(http://www.the-journal.jp/contents/jimbo/2011/03/post_101.html)が貼られています。
アクセスジャーナル(http://www.accessjournal.jp/modules/weblog/)の山岡俊介さんの3月16日の記事。
公的であるべき電力事業でお金儲けのために原発を推進し、お金儲けをできる仕組み(金をかければかけるほどもうかる仕組み=原発はジャブジャブ金を使う)を導入してきたこの国のエネルギー政策立案者や電力会社の上層部・・・、過去に戻ることはできないが・・・、どうしようもなく腹立たしい。
これまでのデタラメな安全神話の喧伝と、ブレーキ無しでアクセルのみの車のような原発の推進を見て来て、今現在の政府や東京電力、その他原子力関係者、学者の「安全」という主張を信じろと言われても無理というもの。この非常時にと云われても、浜岡原発の運転は当然として、上関の原発建設の即時停止などは今直ぐにできること。
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【http://www.accessjournal.jp/modules/weblog/ の3月16日の記事】
2011/03/16
<主張>「福島原発事故ーー国や東電、大手マスコミの情報を疑ってかかるべき」
執筆者: Yamaoka (11:50 pm)
人体に悪影響を及ぼす高濃度の放射性物質が放出され、フランス原子力安全機関から「米国スリーマイル島事故以上に深刻」とのお墨付きをもらった福島原発事故ーー国などは「想定外」というが、そんなことはない。
福島原発は歴史が古い分、老朽化が激しく、また耐震構造もひじょうに不十分だったことを思えば、起きるべくして起きたことで、これは人災だともいえる。
そこまでストレートにいわなくても、3月15日の「日経」(夕刊)記事にも、福島第一原発の下請け作業員のこんなコメントが載っていた。
「『圧力容器内の水位が下がった時点で、容器の下部から水が漏れていたことは明白』。
すぐに容器内の圧力を抜き、廃炉覚悟でホウ酸水を入れていれば深刻な被害は避けられたと断言する。
『11日の午後5時ぐらいまでは天災だったが、後は人災。もう、どうしようもない』」。
東電はあくまで商売で原発をやっている。だから、人の命が一番ではない。できれば廃炉にしたくないのが本音。当然、それだけ対応は後手後手に回る。国はその東電を後押しし、大手マスコミは巨額の広告の恩恵などもあり、これまで「原発は安全」と一緒にPRして来た。
だから、国も東電も大手マスコミのいうことを鵜呑みにはできない。
そこで、本紙としては国側とも、また東電の息もかかっていない、独立した民間の第3者専門家組織である「原子力資料情報室」のデータ(←ココをクリックのこと)を見られることをお勧めする。
それから、それに目を通される前に、そもそも「原発」とは何か、資料は古いが、その本質を突いている平井憲夫氏の文章を転載しておく(←ココをクリックのこと)。平井氏は原発現場で働いていた1級プラント配管技能士。しかし、肺ガンのため97年1月に死去している。福島原発のいい加減さについても当時から鋭く指摘していた。
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この平井さんの文章は一読すべきものです。10年ほど前に読んだ堀江邦夫さんの『原発ジプシー』(講談社文庫)(http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4061833545/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1)を思い出しました。本棚のどこにしまったかを思い出せませんが、しかしながら既に絶版のようです。著者の堀江邦夫さんは今も元気にされているのでしょうか・・・?
もう一つ。この間、原子力資料情報室で情報を発信し続けている後藤政史さんについての記事。CMLの記事(http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-March/008129.html)の一部をコピペ。レベル6.5とのこと・・・。恐ろしいことだ。
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【http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-March/008129.html】
[CML 008248] 院内集会、元東芝原子炉設計者、後藤さんの話
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下記、行って来ました。
後藤さんは、いまテレ朝出演中です。
後藤さんの専門は、格納容器の設計だそうです。
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<3/17 緊急院内集会 福島原発の現状をどう見るか>
【日時】2010年3月17日(木)10:00~11:00
【場所】参議院議員会館地下 B107号室
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【講師】後藤政志さん(東芝・元原子炉格納容器設計者、工学博士)
【発言】上澤千尋(原子力資料情報室)
<主催>原子力資料情報室
柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える技術者・科学者の会
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連日コメントされている後藤政志さん(東芝・元原子炉格納容器設計者、工学博士)は17日昼12:00頃からテレビ朝日ワイドスクランブルに生出演されます。(ワイドスクランブルは11:25~の放送)
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後藤さんの現状認識
1、今回の事故は多重故障。フェイルセーフ思想の設計すら無効になった。
高々100年か200年の知識で、人間は思い上がってはいけない。
2、危険性は誰もが平等に知るべきである。
3、1~3号格納容器が壊れたか、「閉じ込め」という機能を失っている
初期の段階で格納容器の圧力が設計圧の2倍ときいて、こうなることはピンときた。
壊れるか壊れないかは運しだい
「2倍ぐらいは平気だ」(TV学者)なんていうことはない。
4、(海)水を圧力容器に入れるためには「ベント」を開く
これは、格納容器の役目を放棄することに等しい。
5、放射能除去のフィルターがあるのは小さな弁のことで、「ベント」にはない。
したがって、放射性物質が多量に放出されるのは必至。
6、いまやってることは、みな「決死隊」。でも、なんとか冷やすしかない。
7、そもそも、水を掛けるということは「水蒸気爆発」を招くので最も危険なこと。
でも、それをやらねばならないところに、現在の困難がある。
8、4~6号。
使用済み燃料はむしろ放射性物質が増えた状態。
水位がさがる原因には、揺れてこぼれる、蒸発、プールのライナー(鉄板囲い)
の亀裂の、3つが考えられる。
注水は永久に続けなくてはならない。
9、げんざいは「中の状況がまったくわからない」状況
今後想定される危険
(1) 炉心・圧力容器: 注水ができなくなって溶融物(でぷり)が落ちること
(2) その結果、圧力容器や、格納容器の底が抜けること
(3) そうなるとコンクリート内の水分と反応して「水素爆発」が起こること
(4) 格納容器の大規模破損
(5) 水素爆発、水蒸気爆発、再臨界
(6) おおきな爆発が起こればチェルノブイリと同じになり
(7) おおきな爆発が起こらなくても長期に放射性物質を出しつづける
放射性物質は積算される。
再臨界の可能性はまだ小さいが、「再臨界なんか起こるはずがない」というのは間違い。現にホウ酸を海水に混ぜているのは、再臨界予防の為。
後藤さんの事故評価レベルは「6.5」
以上
至らぬメモにてご勘弁
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福島第一原発は引き続き危機的状況が続いている。じわじわとレベル7、チェルノブイリに向かっていないのか・・・。
多くの方が指摘しているように、老朽化し、かつ、(腹立たしいことに)危険地帯に建設してしまった浜岡原発が非常に気にかかる。福島の被災者にとっては、それほどに安全と云うならば『東京に原発を!』(広瀬隆、集英社文庫)を実行しなかったことに腹立たしい思いではないだろうか? FM東京のクロノスの特別番組でも、南相馬市かどこかの行政の方が非常に憤りつつ、関東に造らず福島県に原発を押し付けた、といったようなことを仰っていた。
記憶があいまいであるが、広瀬氏のこの本では、ECCSが機能しないであろうことが指摘されていたように思う。「想定外」などもっての外だろう。大津波、大地震(規模の上限を設けることなど不可能だろうに!)を当然想定して、絶対に100%安全でなければ困るのが原発技術だ。100%安全でなければ困る。ましてや、猛毒のプルトニウムを含むMOX燃料を使ったプルサーマルまでやったのだから。原子炉が大津波や大地震に耐えても、ポンプや非常用電源などの周辺機器や燃料プールの耐震性・耐久性などを考慮していなかったとしたら、まったくとんでもない話だ。
昨日テレビで京大の小出裕章さんが電話インタビューに応じておられたが、小出さんでも4号炉で問題となっている燃料プールの問題に気付かなかったというようなことを仰っていた。驚きだ・・・。
「マイクロシーベルト/時」と被爆の「トータルのマイクロシーベルト」を混同させて報道されているようで気になる。例えば、100「マイクロシーベルト/時」は250「トータルのマイクロシーベルト」より十分に低いので安全だ、なんて比較しても意味がない。比較の対象になってていない。「安全」、「心配ない」という報道や首相・官房長官の発表、学者や専門家のコメントに接したりすると虚しいし、とても信用などできない。
昨日の朝日新聞には、DAYS JAPANの広河隆一さんの記事が出ていた。チェルノブイリでの報道経験を活かした、福島現地での放射線量測定についての記事。残念ながらasahi.com上には、今のところ、見当たらない(http://sitesearch.asahi.com/.cgi/sitesearch/sitesearch.pl)。
原子力資料情報室(CNIC; Citizens' Nuclear Information Center) 【http://cnic.jp/】では、Ustreamで逐次情報を発信している。
『細木数子 魔女の履歴書』、2月に読了。溝口敦著。講談社+α文庫、2008年9月第3刷(2008年7月第1刷)。
安岡正篤(まさひろ)氏(p.18、68、77、84、92、96、142、210)との婚姻についての真相など。
細木氏のテレビでの「高説」を有難く拝聴する視聴者、芸能人はどうかしている(p.23)。本書の全編を通して氏のトンデモぶりが明らかにされているが、例えば、「人身売買とは不穏な噂」、「やり手婆」、「売春OKの特攻隊として抱える商法」、「人を犠牲にしても自分がのし上がっていく雰囲気」、「私娼窟の秘密営業という禁じ手」、「売春まがいの商売や裏でトイチ金融」(pp.56-69)といった具合で、とても立派な説教を出来るような人ではない。
「言論を暴力団を使って封じ込めようとする者こそ暴力的」(p.249)。