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●松橋事件の国賠訴訟、熊本地裁で国に賠償命令…《自白を偏重する捜査の危うさ…証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題》を含む冤罪事件

2025年04月12日 00時00分33秒 | Weblog

(2025年03月20日[木])
松橋事件再審無罪…これまた、典型的な《自白を偏重する捜査の危うさ証拠開示の在り方検察が常に抗告する姿勢の問題》を含む冤罪事件だった。

 日本弁護士連合会の【松橋事件】(https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/retrial/shien/matsubase.html)よると、《この事件で、宮田さんが犯人であることを直接示す証拠は、宮田さんの「自白だけでした。裁判のやり直しのための準備をしていた弁護士は、1997年、まだ開示していない証拠を見せるよう検察官に求めました。そして、弁護士が開示された証拠物を確認したところ、その中に、シャツの布切れが「4枚」ではなく「5枚」あることがわかったのです。しかも、その「5枚」の布切れを並べてみると、なんと、完全な1枚のシャツが復元されたのです。宮田さんが「燃やした自白させられていたシャツの左袖部分も、捜査機関はずっと持っていたのです。さらに、「切出小刀に巻き付けて刺した」とされたそのシャツの左袖部分からは、血液が検出されていなかったこともわかりました。シャツの左袖は、犯行に使われてもいなかったし、その後に燃やされてもいなかったのです》。
 この日本弁護士連合会の重要な結論…《証拠開示の法制化検察官の不服申立ての禁止は、一刻も早く、実現されるべきです》。

 《96歳の原口アヤ子さんが無実を訴え続ける大崎事件の弁護人で、日本弁護士連合会の再審法改正実現本部・本部長代行を務める鴨志田祐美弁護士は「一刻も早く再審法を改正しなければ悲劇が繰り返される」と危機感をにじませ、改正の要点を次のように指摘する。「一つは証拠開示の問題です。大崎事件の第2次再審では高裁の裁判長の積極的な訴訟指揮で、それまで検察官がない、ないと言い続けてきた証拠が213点出てきました。さらに第3次再審になると新たに18点出た。なぜ、こんなことが起きるのか。証拠開示を定めたルールがないからです。大崎事件だけでなく、布川事件東電女性社員事件松橋事件などは、再審を求める中で重要な証拠が開示され、再審開始決定の決め手になった。規定がないために、検察は隠し通そうとし、開示が個々の裁判官の“やる気”に左右されるのです」》(秦融氏による、(2023/7/22(土))Yahoo!ニュースの記事)。

 34年も経ってようやく、松橋事件の再審無罪が確定。その国賠訴訟。「自白を偏重する捜査の危うさ…証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」が指摘されていた。検察や警察のデタラメ、そして役立たずな司法。《責任は極めて重い》。《名誉を回復するには、あまりにも長過ぎる34年間》であり、償いようのない時間だ。熊本地裁で、国に賠償命令が出された。当然だ。
 時事通信の記事【国に2380万円賠償命令 「松橋事件」国賠訴訟―熊本地裁】(https://www.jiji.com/jc/article?k=2025031401100&g=soc)によると、《判決で品川裁判長は、捜査段階で宮田さんが「凶器の小刀に巻き付け、犯行後に燃やした」と供述していた布片が、実際には残っていたことが起訴後明らかになったと指摘。検察官は公判の被告人質問などで布片が残っていることを明らかにする注意義務があったのに怠っており、違法だと判断した。…判決後、記者会見した遺族側弁護団共同代表の斉藤誠弁護士は「えん罪の発生を防ぐ役割を裁判所に期待したが、不十分」と話した》。

 冤罪はいつまでたっても晴れないケースが多い。松橋事件のような稀な例を除けば(といっても、検察は最「低」裁に特別抗告していた訳で、誤りを認めたのではない)、警察や検察、裁判所は決して誤りを認めようとしない。袴田冤罪事件なんてその典型だ。検察=《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ》と。長く長く、気が遠くなるほど長く《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》の状態を強いられた。アノ検事総長は今も誤りを認めていないし、謝罪の言葉さえない。

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
    (東京新聞社説)【松橋事件再審 早く無罪を告げるため】
    《一九八五年の松橋(まつばせ)事件(熊本県)の再審が決まり、
     殺人犯とされた男性は無罪となろう。決め手の新証拠は何と
     検察側から出てきた再審における証拠開示の明確なルールづくりが
     必要だ。…一つはやはり自白を偏重する捜査の危うさ…もう一つは
     証拠開示の在り方…さらに検察が常に抗告する姿勢の問題だ》

   『●34年間、《もっと早く解決できなかったのかという無念》…
             宮田浩喜さん、松橋冤罪事件の再審無罪が確定
    (琉球新報社説)《名誉を回復するには、
     あまりにも長過ぎる34年間だった一人の人生を踏みにじる
     重大な人権侵害を招いた自白偏重の捜査手法と、それをチェック
     できなかった裁判所の責任は極めて重い

   『●検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、証拠の隠蔽や喪失、
                 逆に、証拠の捏造…デタラメな行政
    (東京新聞の社説)【布川事件に賠償 再審でも証拠開示を】
     《近年の再審無罪のケースは、検察側の証拠開示が決め手になって
     いる場合が多い。松橋事件(熊本)、東京電力女性社員殺害事件
     (東京)、東住吉事件(大阪)…。新証拠が確定判決をゆるがせ、
     無罪に導いている。もはや全面的な証拠開示が必要なときだ。
     裁判員裁判の時代でもある。冤罪(えんざい)をこれ以上、
     生んではいけない


   『●《判決後、大西直樹裁判長は、捜査の問題点と刑事司法の改善の必要性を
       説き、「西山さんの15年を無駄にしてはならない」と話している》
    《元看護助手・西山美香さん…「…鹿児島・大崎事件(第4次
     再審請求中=懲役10年)の原口アヤ子さんは41年間無実を
     訴えていますし、松橋事件(懲役13年)も無罪確定まで34年
     かかっています。正直、再審開始が決まったときはほっとした
     と同時に、長く闘われている方には申し訳ない気持ちも
     ありましたね。」》

   『●日野町事件《遺族による「死後再審」の請求を認めた大津地裁の決定を
     支持…決め手は、元の公判で検察が開示していなかった実況見分の際の…》
    《(琉球新報)<社説>日野町事件再審決定 証拠開示の制度化急げ 
     …「疑わしきは被告の利益にという原則を再審請求の審理にも適用
     した妥当な判断だ。元受刑者は他界しており、名誉回復への道は
     遠かった審理の長期化を改め、情報開示の制度化など、えん罪を
     防ぐための仕組みづくりを急ぐべきだ。…
     捜査当局が再審請求の段階で新たに開示した証拠に基づく
     再審開始決定が近年相次いでいる。茨城の布川事件や、熊本の
     松橋事件などは新証拠がきっかけとなり、再審無罪につながった。
     日野町事件も再審裁判が始まれば無罪となる可能性がある。さらに
     言えば、確定前の裁判でネガなどの証拠が明らかになっていれば、
     判決内容に影響を与えていたかもしれないのだ検察の責任は重い

   『●工藤隆雄氏《日本の司法には昔から冤罪体質があり…事件の背後には後に
     「冤罪王」「昭和の拷問王」と呼ばれた紅林麻雄という静岡県警の刑事がいた》

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https://www.jiji.com/jc/article?k=2025031401100&g=soc

国に2380万円賠償命令 「松橋事件」国賠訴訟―熊本地裁
時事通信 2025年03月14日18時34分配信

     (松橋事件国賠訴訟の判決後、「一部勝訴」と書かれた
      垂れ幕を掲げる弁護士=14日午後、熊本地裁前)

 熊本県宇城市(旧松橋町)で1985年、男性が刺殺された「松橋事件」で、殺人罪などで服役後、再審無罪が確定した宮田浩喜さん(2020年に死去)の遺族が、捜査などに違法性があったとして国と県に約8480万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が14日、熊本地裁であった。品川英基裁判長は、捜査の違法性は認めなかった一方、公判で検察官に注意義務違反があったとして、国に約2380万円の支払いを命じた。


死刑確定事件、全て控訴断念 検察側、有罪主張も再審無罪

 判決で品川裁判長は、捜査段階で宮田さんが「凶器の小刀に巻き付け、犯行後に燃やした」と供述していた布片が、実際には残っていたことが起訴後明らかになったと指摘。検察官は公判の被告人質問などで布片が残っていることを明らかにする注意義務があったのに怠っており、違法だと判断した。

 一方、県警の取り調べについては、暴力やどう喝などがうかがわれないことなどから「社会通念上相当と認められる方法を逸脱したとは認め難い」とした。

 訴訟は宮田さんが20年9月に起こしていたが、亡くなったため遺族が引き継いでいた。

 判決後、記者会見した遺族側弁護団共同代表の斉藤誠弁護士は「えん罪の発生を防ぐ役割を裁判所に期待したが、不十分」と話した。

 熊本地検の話 判決内容を検討し、関係機関および上級庁と協議した上で適切に対応したい。
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https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/retrial/shien/matsubase.html

松橋事件

事案の概要

 1985年(昭和60年)1月8日の朝、熊本県松橋(まつばせ)町(現在の宇城市)で、一人暮らしをしていた59歳の男性が自宅で亡くなっているのが発見されました。事件が起きた町の名前にちなんで、「松橋事件」と呼ばれている事件です。

 遺体には多数の刺し傷があり、死因は失血死でした。状況からして、被害者が何者かに殺害されたことは明らかでした。

 被害者の遺体は、発見時には死後2~4日間が経過していると推定されました。殺人事件として捜査を開始した警察は、遺体発見の3日前の1月5日夜に、被害者の家で開かれていた酒宴の際に被害者と言い争いをしていた宮田浩喜さんに目をつけ、1月8日夜、警察署に呼び出しました。

 そして、その後12日間にわたり、警察は宮田さんを呼び出して連日長時間の取調べを行いました。宮田さんは、1月19日までは犯行を否認していましたが、1月20日、自宅を訪れた警察官らに、やってもいない罪を認める自白」をし、逮捕されてしまったのです。その際、宮田さんは、「切出小刀を使って被害者を殺した」と話し、捜査機関に自分が持っていた切出小刀を提出しました。

 捜査機関はその後、「切出小刀」を調べましたが、その「切出小刀」には、血液が一切付いていなかったのです。

 捜査機関は、その理由を説明するため、2月5日、宮田さんに、「何年か前まで着ていた赤と茶のネルシャツの左袖を切出小刀に巻き付けて刺した」と自白させました。これは、宮田さんが最初に自白をさせられた1月20日には出てきていなかった話でした。

 そして、その翌日の2月6日、捜査機関は、宮田さんの家から発見された、左袖部分を除いたチェック柄のシャツの布切れ4枚を宮田さんに見せ、「このシャツの左袖を切り開いて使った。巻き付けた左袖は犯行後に燃やした」と自白させたのです。

 この自白をもとに、宮田さんは、2月10日に起訴され、裁判にかけられることになりました。宮田さんは、裁判の途中から無罪を訴えましたが、熊本地方裁判所は宮田さんに懲役13年の判決を言い渡し、この判決は1990年に最高裁判所で確定し、宮田さんは長期間服役することになってしまったのです。


経過と問題点

 
この事件で、宮田さんが犯人であることを直接示す証拠は、宮田さんの「自白だけでした。

 裁判のやり直しのための準備をしていた弁護士は、1997年、まだ開示していない証拠を見せるよう検察官に求めました。そして、弁護士が開示された証拠物を確認したところ、その中に、シャツの布切れが「4枚」ではなく「5枚」あることがわかったのです。しかも、その「5枚」の布切れを並べてみると、なんと、完全な1枚のシャツが復元されたのです。宮田さんが「燃やした自白させられていたシャツの左袖部分も、捜査機関はずっと持っていたのです。さらに、「切出小刀に巻き付けて刺した」とされたそのシャツの左袖部分からは、血液が検出されていなかったこともわかりました。シャツの左袖は、犯行に使われてもいなかったし、その後に燃やされてもいなかったのです。


完全に復元されたシャツ

 
そのシャツの左袖部分は、宮田さんが起訴された4日後の1985年2月14日に宮田さんの家から発見されて捜査機関の手に渡り、その日のうちに血液の付着の有無について調べる手続が行われていました。そして、14日後の2月28日には「血液の付着を証明し得ない旨の鑑定書が作られていました。しかし、捜査機関は、そのことを全て把握しておきながら、「燃やした」とされたシャツの左袖部分が見つかったことも、その部分に血液が付いていなかったことを示す鑑定書も、当初の裁判では提出しなかったのです。

 裁判のやり直しの段階になってようやく、捜査機関が弁護士側に開示してこなかったシャツの左袖部分が発見されたことで、宮田さんが虚偽の自白をさせられた可能性が濃厚となり、2016年6月30日、熊本地方裁判所は、裁判のやり直しを認めました。

     (再審開始決定に喜ぶ宮田さん)

 しかし、検察官は、この判断を不服として、福岡高等裁判所に「即時抗告」をしたのです。2017年11月29日、福岡高等裁判所は、検察官の「即時抗告」を退け、裁判のやり直しを支持しましたが、これに対して検察官は、さらに、最高裁判所に特別抗告まで行いました

 2018年10月10日、最高裁判所は検察官の「特別抗告」を棄却し、ようやく宮田さんの裁判のやり直しが確定しました。その後の2019年2月、宮田さんに対するやり直しの裁判が行われ、熊本地方裁判所は、2019年3月28日、宮田さんに無罪判決を言い渡しました。事件が起き、宮田さんが犯人として逮捕されてから、34年以上も経ってのことでした。

 無罪が確定した翌年の2020年10月29日、宮田さんは87歳で亡くなりました。宮田さんのことをずっと支え、裁判のやり直しの手続にも協力していた宮田さんの長男は、2017年9月、父親の汚名がそそがれる様子を見ることも叶わず、病気で亡くなりました

 捜査機関が証拠を隠すことなく、シャツの左袖部分が見つかり鑑定書が作成された1985年2月の段階で、その証拠を弁護士に開示するとともに裁判所に提出していれば、そもそも、その後に宮田さんに有罪判決が言い渡され、宮田さんが長期間にわたって服役することにはならなかったかもしれません。宮田さんが、34年以上もの間、殺人犯の汚名を着せられて苦しむ必要はなかったのです。

 また、裁判のやり直しを認めた2016年6月30日の熊本地方裁判所の判断に対し、検察官が即時抗告特別抗告といった不服申立てを行わなければ、宮田さんの長男がご存命の間に、宮田さんに対して無罪判決が言い渡されていたことでしょう。しかも、「即時抗告」や「特別抗告」の手続が行われていた間に、宮田さんご自身の認知症も進んでしまいました。検察官の不服申立てが禁止されていれば、宮田さんが、人生の最晩年の約3年間を、殺人犯の汚名を着せられたまま過ごさなくてもすんだはずです。また、裁判の意味をもっと理解した上で、ご自身の雪冤が果たされた喜びをより一層噛み締めることができたはずです。

 証拠開示の法制化検察官の不服申立ての禁止は、一刻も早く、実現されるべきです。
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