『新版 悪夢のサイクル/ネオリベラリズム循環』、12月に読了。内橋克人著。文春文庫。2009年3月刊。
08年末、非正規雇用者の契約打ち切りにともなう帰結としての日比谷公園での「年越し派遣村」(p.11)。「憲法二十五条で保障されているはずの「健康で文化的な最低限度の生活を営む」生存権は、実は、一九九〇年代の後半以降、ドラスティックに脅かされてきました」。
教育の機会不平等。「・・・富裕層にのみ、私立進学の道がひらかれているということは、結果としての平等だけではなく、機会としての平等も今日の私たちの社会は失っていることになるからです」(p.20)。
新自由主義経済・市場原理主義への道。「一九七〇年代以降に、あなたの気がつかないうちにさまざまな政策の変更がなされていったのです。その結果としての「現実」なのです。/・・・/やがて日本にも八〇年代後半にそれはやってきます。「内需拡大」「内外価格差是正」「規制緩和」「努力が報われる社会」「構造改革」・・・・・・そのときどきにキャッチフレーズを変えながら、それはやってきたのです。多くの人々がその政策変更の本当に意味するところを知らないままに、政策は変更されていったのです。/そうした政策の変更がたやすくできるようなしかけも、選挙制度に組み入れられます」(pp.28-29)。
「一、それまで規制下にあった産業を自由化する。/・・・安全や安定が重要な分野である・・・規制がはずされていったのです。/・・・/二、累進課税をやめる。・・・/三、貿易の自由化。・・・/・・・労働者の生活水準を著しく切り下げ、安全も脅かす・・・/・・・ほんの一握りの非情でしかも貪欲な人間に、とてつもなく金持ちになる素晴らしい機会を与えることなのだと。一般の労働者にとっては、生活の安定、仕事の安定、こういったものすべてを窓の外に投げ捨ててしまうことなのだと。/・・・二極分化が進んでしまい、上に行くのはわずかで、下へ、下へと吐き出されていく。・・・低所得層へと吐き出されていく有様がはっきりと見て取れます。/・・・規制緩和とは、これまで公平なアンパイアのいたゲームからアンパイアをのけてしまうということだったのです。・・・ルールが変わってしまうということには無自覚でした。皆が、なんとなく良くなるという錯覚を持ったのです。結局、そうした人々はゲームから弾き出され、得をしたのは、権力の中枢にいてルールブックが変わることをよく自覚した一握りの人々でした」(pp.34-39)。
「働く人々の生活水準は劇的に低下し、経営者と株主、投機家という一握りの強者が莫大な富を手にする。/それが規制緩和によってアメリカで起きた現実だったのです。」(p.43)。「宮内義彦氏がCEO(最高経営責任者)をつとめるオリックスのグループ企業」。「宮内氏は規制緩和の名の下に、自分のビジネスに都合のよい政策変更をしかけている(p.143)。