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●《木村元彦著『13坪の本屋の奇跡/「闘い、そしてつながる」隆詳館書店の70年』…街中の小さな書店がどれだけの熱意と努力で続けられてきたか、を…》

2024年11月16日 00時00分39秒 | Weblog

[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]


(20241015[])
書店と図書館は同志―この国の文化を支えるために発想を変えよう》
 長周新聞の記事【書店と図書館の連携―書店の減少と経産省「書店振興プロジェクト」について 日本図書館協会図書館の自由委員会前委員長・西河内靖泰】(https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/30035)によると、《書店と図書館の垣根をもっと大胆にとり払って連携するなどの思い切ったアイデアを実現するときではないでしょうか。もっとも、それは“ツタヤ図書館”モデルではないことは確かですが。》

 《書店と図書館は同志―この国の文化を支えるために発想を変えよう》(長周新聞)。
 東京新聞の記事【減少する街の書店、どう救う? 経産省が専門チーム発足 フランスでは「反アマゾン法」も… 23日は本を贈り合う日】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/322280)。《4月23日は、親しい人に本を贈る「サン・ジョルディの日」とされています。ただ、ネット通販や電子書籍の普及などにより、全国で街の本屋さんは次々と姿を消しています。同じ悩みを抱えるフランスでは、ネット書店の送料無料を規制する「反アマゾン法」が導入されています。日本でも、経済産業省が苦境にある本屋さんを救おうと、プロジェクトチームを発足しました。街の本屋さんをいかにして救うか。経産省の狙いや書店の実情を取材しました。(デジタル編集部)》。

 東京新聞の記事【書店と図書館が「読書文化」守るためタッグ 店頭で本貸し出し、図書館で古書店紹介 <司書記者のミライの本棚>】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/344170)によると、《全国で書店の減少が続くなど、「本を読む」文化の衰退が心配される中、かつてのライバルと手を携えて「読者」を取り戻そうとする人たちがいる。常識にとらわれず、新たな取り組みに挑戦する書店と図書館を取材した》。


 宮本たけしさんのつぶやき:

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https://x.com/ohsakamiyamoto/status/1824705376639729899

宮本たけし(日本共産党)@大阪5区@ohsakamiyamoto

さっそく大阪市中央区にある隆祥館書店に立ち寄り、代表取締役の二村知子さんから詳しく話を聴く。

なんと最近わざわざ齋藤健経済産業大臣も話を聴きに店まで来られたという。そうであるならば、そして大臣なのだから、ぜひとも小さい書店を守るために尽力していただきたいと思う。

午後4:10  2024年8月17日
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 目取真俊さんのブログ【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/街中の小さな書店を残したい】(https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/cf09ed61b0888e72bfe0ab1e8be30163)。《9月18日に大阪の隆祥館書店でトークショーに参加させてもらい、店主の二村知子さんとノンフィクションライターの木村元彦の3人で、沖縄戦や教科書問題、基地問題などについて話した。 隆詳館書店では、著者を招いてのトークイベントを300回以上開催しており、地域から文化を発信するその姿勢に感銘を受けた街中から次々と書店が消えていってる時代に、書き手と読者にとって、それがどれだけ有り難いことか。木村元彦著『13坪の本屋の奇跡/「闘い、そしてつながる」隆詳館書店の70』(ころから)は、街中の小さな書店がどれだけの熱意と努力で続けられてきたか、を伝えるノンフィクションである。同時に、小さな書店がなぜ消えていくのか、その背後にある取次、流通の問題を浮き彫りにしている。「返品入帳」や「ランク配本、見計らい配本」など、取次会社がトーハンと日販2社に寡占されることよって、書店が強いられている理不尽な問題を追及し、告発している。隆詳館書店は親子二代にわたって、これらの問題に声をあげ、闘ってきた。それは「書いたはる人と読む人の架け橋になるために街中の書店を守ってきた家族の歴史でもある。トークイベントに参加するため、隆祥館書店の前に来た時、外の棚に『めばえ』という幼児向けの雑誌が並んでいるのを目にした。まだあるのか、と驚き、懐かしかった。私が子どもの頃、今帰仁には「ちょうこうやー」というユーフルヤー(湯風呂屋・銭湯)兼文房具屋があり、そこは雑誌も売っていた。その店に親が小学館の学習雑誌を注文し、幼稚園から高校3年まで毎月読んでいた。初めて自分の金で雑誌を買ったのもその店で、小学校2年生の時(1968年)だからドルを使っていて、『少年マガジン』や『少年サンデー』が23セントだった。今帰仁にはもう書店はないが、名護まで行けばまだ本を買うことができる。親子が歩いて行けるところに本屋があるその価値は計り知れない》。

   『●長周新聞の書評『一万円選書』(岩田徹著)…《わざわざいわた書店に
     注文するのか。…「これは!」と思える本との出会いを求めているからだ》
    「「いわた書店」店主の岩田徹さんの「一万円選書」を知ったのは、
     『セブンルール』にて。「隆祥館書店」店主の二村知子さんの回。
     【7RULES あなたに「ルール」はありますか?/「隆祥館書店」店主
     二村知子 (9月1日(火))】。《一万円選書》として、松下竜一さんの
     『豆腐屋の四季』が選ばれていて、とても嬉しかった。」

   『●《本屋はないと困る。そう思ってもらえるようにしたい》、《勉強
      とは本である、本とは勉強である。》(小川書店・小川頼之さん)
    《減り続ける「街の本屋」の魅力や、厳しい現状を伝えようと、
     東京都内の中小書店が加盟する東京都書店商業組合(千代田区)が
     PR動画を作り、ユーチューブの公式チャンネルに公開した。
     動画制作に携わった映画監督の篠原哲雄さん(60)は
     「本屋は本と人とをつないでいるものそれぞれの本屋さんが
     おもしろく、印象的だった。ぜひ動画を見てほしい」と話す。
     (奥野斐)》

   『●和氣正幸氏《…足元の世界では本屋の灯りが増え続けていることを
      強く感じる。しかもそれは都心部だけではない。全国各地にある》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/322280

減少する街の書店、どう救う? 経産省が専門チーム発足 フランスでは「反アマゾン法」も… 23日は本を贈り合う日
2024年4月23日 06時00分

 4月23日は、親しい人に本を贈る「サン・ジョルディの日」とされています。

 ただ、ネット通販や電子書籍の普及などにより、全国で街の本屋さんは次々と姿を消しています

 同じ悩みを抱えるフランスでは、ネット書店の送料無料を規制する「反アマゾン法」が導入されています。日本でも、経済産業省が苦境にある本屋さんを救おうと、プロジェクトチームを発足しました。

 街の本屋さんをいかにして救うか。経産省の狙いや書店の実情を取材しました。(デジタル編集部)


◆斎藤経産相が書店経営者と議論

 17日、斎藤健経産相は、東京都港区の書店を訪れ、書店経営者ら6人と意見交換した。書店プロジェクトチームの取り組みの一環だ。

 意見交換で、斎藤経産相はこう語った。

 「やはりウェブと図書館と本屋、この3つが持ち味を生かしながら共存する、これがあるべき姿ではないかなと思っている」「この3つの中で、どうも本屋さんは割を食っているケースが多い」

     (車座対話後に書店を視察する斎藤経産相
      =東京都港区で(代表撮影))


◆書店数は減っている

 実際に、この10年で全国から4600余りの書店が姿を消している

 日本出版インフラセンターによると、2024年3月時点の全国の書店数は1万918店で10年前の1万5602店から3分の2になったという。

 書店ゼロの街も増えている。出版文化産業振興財団(JPIC)の調査によれば、24年3月時点で、全国の「書店ゼロ」の市町村は27.7に上る。


◆「文化創造の基盤」

 経産省は今年3月、書店を支援しようとプロジェクトチームを発足した。

 斎藤経産相は、3月の定例会見で、「創造性が育まれる文化創造基盤として重要だ。街中にある書店は、多様なコンテンツに触れることができる場として、地域に親しまれている」「書店に出かけることによって、新しい発見があって、視野も広がるまさに日本人の教養を高める、一つの基盤だと思っている」と、書店の存在意義について力説してみせた。

 その上で、「リアルなコンテンツとして非常に重要なものが日本列島上からどんどんなくなっていくと、いかがなものかという思いがもともとあった」と、プロジェクトチームをつくった理由を明かした。

 経産省の担当者も「子供からお年寄りまで様々な地域コミュニティの方が気軽にコンテンツに入れることができる場所書店の機能は、将来の文化産業を考える上でもすごく重要」と話す。


◆議連「不公平な競争にさらされている」

 自民党内には、書店振興を考える「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟」(書店議連)という議連があり、これまでも書店支援を訴えてきた。

 書店議連は2023年春に提言書をとりまとめて、政府に要望していた。斎藤経産相は書店議連の幹事長でもある。

 議連の提言書は、「ネット書店による送料無料化や過剰なポイント付与という実質値引き等により、書店は不公正な競争環境にさらされている」と指摘。書店減少の背景に、ネット通販の影響を挙げていた。

     (書店議連の会合であいさつする斎藤経産相
      =東京都千代田区で)


◆書籍のネット販売5年で1.4

 実際、書籍のネット通販は近年、広がっている。

 日販ストアソリューション課「出版物販売額の実態 2023」によると、インターネット上の書店を経由した出版物販売額は22年度に2827億円で17年度の1987億円から約1.4倍に増えた。

 一方で、書店の販売額は2022年度に8517億円。17年度の1兆249万円から8割程度に減っている

 日本書店商業組合連合会が2015年に実施し、1193の書店から回答を得た調査では、経営状態が「非常に悪くなった」との回答が31.2%。「悪くなった」(36.1%)、「やや悪くなった」(17.9%)と合わせると、85.2%を占めていた

 経営悪化の原因について、複数回答で「客数・客単価の減少」(67.5%)、「雑誌の低迷」(56.8%)、に続いて、ネット書店(35.7%)を挙げる声が多かった。「アマゾンに太刀打ちできない」「アマゾンに規制をかける運動に取り組んでもらいたい」という意見も寄せられた。


◆フランスは「反アマゾン法」で規制

 ネットの書籍販売による影響は、日本だけに限ったことではない。

 フランスでは「書店がなくなるということは文化の危機だ」として、すでにネットの書籍販売の規制に乗り出している。

 文化の保護を目的に、フランスは2014年、書籍のネット通販について送料無料のサービスを禁じる法律をつくった。フランスで書籍のネット通販の大半が、米ネット販売大手「アマゾン」だったことから「反アマゾン法」と呼ばれている。

 当時のフランス文化・通信相は、反アマゾン法の意義について「わが国が持つ本に対する深い愛着を示した」と語っている。

 反アマゾン法について調査したことのある京都大の曽我部真裕教授(憲法・情報法)によると、法施行前に、フランスで2つの大手書店が相次いで破綻。ネットの書籍販売が送料無料サービスを提供していることで、他の書店との間で競争条件の不平等を引き起こしているとの非難が高まっていたという。


◆「反アマゾン法」日本では?

 書店議連は、提言書の中でフランスの「反アマゾン法」の検討も呼び掛けている。

 その斎藤経産相は、3月の会見で、反アマゾン法を含めた海外の事例について「研究する価値はある」と前向きな姿勢を見せていた。

 公正取引委員会も、書店議連の提言を受け、ネット書店による送料無料について、書店や出版業界にヒアリングを始めている。今後はネット書店の事業者にもヒアリングを行い、実態把握に努めるという。

     (車座対話後に書店を視察する斎藤経産相
      =東京都港区で(代表撮影))

 ただし、曽我部教授によると、フランスでも反アマゾン法の効果は不透明だという。

フランスでは反アマゾン法ができると、ネット書店側は送料を0.01ユーロ(約1.5円)と無料すれすれの金額に設定した。そのため、フランスはさらに規制を強化。23年10月からは購入額が35ユーロ(約5700円)未満の場合、少なくとも送料が3ユーロ(500円弱)かかるようになったという。

 曽我部教授は「ネット書店の送料無料規制により、既存の書店の売り上げが戻るかは不確かだ。あまり有効でないにも係わらず規制すれば、多様な書籍にアクセスする権利から、不利益を受けるのは消費者だ」と話している。


◆書店の期待は…

 書店はプロジェクトチーム設置をどう受け止めているのか。

 東京都調布市の「真光書店」(改装中)社長で、都書店商業組合理事長の矢幡秀治さんは「本屋がなくなっていく現状に目を向けて、わざわざチームを作ってくれたことは非常に歓迎しています」と話す。

 真光書店は、漫画家・水木しげるさんも通った町の書店として地元に親しまれてきたが、売り上げ減少を受け、改装終了後に店舗面積を縮小する予定。矢幡社長は「本が定価でも送料が無料なら、実質値引きしているように捉えられてしまう。ネット書店が売り上げに影響しているのは間違いない」と話す。ネットで情報が手に入るようになったことで、雑誌などが売れなくなった影響も指摘する。

 矢幡社長は「経産省には、しっかり現状を把握していただきたい。その結果として、行動に移してもらいたい」と訴える。


 サン・ジョルディの日 スペイン・カタルーニャ地方の守護聖人としてたたえられる、サン・ジョルディが殉教した日。同州の伝統で、男性から女性に「赤いバラ」を、女性から男性に「本」を贈るのが一般的だが、親子や友人同士でも贈り合う。サン・ジョルディは魔物にとらえられた王女を救い出したとされる騎士。魔物を打ち倒した時、その血が地面に流れ落ち、真っ赤なバラが咲いたという話から、愛の証しとしてバラを贈る習慣が生まれた。後に、スペインの文豪セルバンテスの命日が同じ4月23日であることから、花と本を贈り合う習慣が根付いた。


【関連記事】書店の減少に歯止めかからず「過去最悪」に 「ゼロ」自治体は26%も、住民はどう思う? 街づくり活用例も
【関連記事】「文士の街」書店の灯は守られた 阿佐ケ谷に43年「書楽」 譲渡し営業継続へ 閉店発表で存続望む声続々
【関連記事】<著者は語る>苦悩の探偵 自身の似姿 『シャーロック・ホームズの凱旋』 作家・森見登美彦さん
【関連記事】<土曜訪問>青春は確かにそこに コロナ禍を生きる中高生描く長編を刊行 作家・辻村深月さん
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/344170

書店と図書館が「読書文化」守るためタッグ 店頭で本貸し出し、図書館で古書店紹介 <司書記者のミライの本棚>
2024年8月1日 12時00分

 全国で書店の減少が続くなど、「本を読む」文化の衰退が心配される中、かつてのライバルと手を携えて「読者」を取り戻そうとする人たちがいる。常識にとらわれず、新たな取り組みに挑戦する書店と図書館を取材した。

     (久美堂本町田店にある手作りの掲示=町田市で)


◆連携で「本が売れなくなるかも…」懸念一転、売り上げアップ

     (久美堂本町田店の入り口に置かれている図書館本返却箱
      =町田市で)

 町田市の久美堂(ひさみどう)本町田店には、こんな掲示がある。「図書館資料 受け渡しサービスはじめました」。外には「図書館本返却箱」も置かれている。店長の石山圭一朗さん(47)は「おかげさまで、お客さまからは好評をいただいております」と笑顔を見せた。

 同店が店頭で市立図書館の本の受け渡しサービスを始めたのは昨年5月。利用者は事前にインターネットなどで予約する。これまでに約5000人が利用し、絵本などの児童書を中心に約1万冊が貸し出された。

 書店で図書館の本を貸し出すと、本が売れなくなるのではないか―。そう考えるのが普通だが、面白いことに売り上げは伸びた。学習参考書と児童書が前年同月比で約20%アップ、文具も15%ほど増加した。

 「子どもは好きな絵本を繰り返し読むもの。『そんなに好きなら』と一度借りた絵本や同じ作家のシリーズを親が購入するケースが多ようです」と同社専務の千葉義勝さん(67)。店に足を運んだついでに、図書館では借りられないドリルや参考書を買い求める例も少なくないそうだ。


◆「かつては敵対関係。でも、争ってる場合じゃない」

 久美堂は1945年創業の地域密着型書店。2022年に市立鶴川駅前図書館の指定管理者になったのを機に今回の試みを始めた。日本図書館協会によると、書店で図書館の本を貸し出しているのは国内でここだけだという。

 「10年ほど前までは書店と図書館は敵対関係にあると言われました。でも、もう争っている場合ではありませんお互いが協力して読書文化を守っていかなければ」と千葉さん。業界の垣根を越えた新しい連携に注目が集まっている。


   ◇   ◇    


◆図書館で神保町の古書店を紹介「街全体で読書を…」

     (展示中の「としょかんのこしょてん」。現在公開中の
      114回目は大屋書房の妖怪本について
      =千代田区の千代田図書館で)

 図書館が書店を支援する動きもある。全国有数の古書店街・神田神保町の近くにある千代田区立千代田図書館では館内の展示スペースを使い、企画展「としょかんのこしょてん」を定期開催。個性あふれる地元古書店の紹介を続けている。

 本の販売こそしていないが、2007年から興味を抱く人に声をかけて書店の情報を伝えるなどし、敷居が高いと思われがちな古書店の魅力を広めてきた。

 図書館側にメリットはなさそうだが、企画担当の広木春香さん(39)は「図書館は本を貸し出すだけではなく、情報を提供する場街全体で読書文化を活性化できれば」と話す。


◆書店・図書館・出版社で合同イベントも

     (出版社、書店、図書館の連携を目指すイベントの様子
      =千代田区の日比谷図書文化館で)

 さらに、大きな枠組みで業界の垣根を取り払おうという試みも始まっている。7月11日、同区立日比谷図書文化館で「集まれ!! 書店・図書館・出版社 はじめの一歩から始めませんか‼」と題したイベントが行われ、本に携わる関係者約140人が集まった。

 今まで別々に行動していた出版社、書店、図書館が連携して日本の活字文化を守るのが狙い。提案者で出版アドバイザーの菊池壮一さん(69)はこう語る。「他人任せではなく、自分たちでできることから始めなければ。今こそ、各業界が手を携えるとき。スマホに奪われた読書時間を取り戻しましょう


   ◇   ◇    


 出版不況が続く中、図書館司書の資格を持ち、毎月第2木曜に「旅をする本棚」を連載中の筆者が、東京・首都圏発の新たな動きを随時リポートします。

 ◆文・谷野哲郎/写真・川上智世、谷野哲郎
 ◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp」へメールでお願いします。


【関連記事】街の書店、どう救う? 10年で3分の2に減少…経産省が専門チーム発足 フランスでは「反アマゾン法」も
【関連記事】書店の減少に歯止めかからず「過去最悪」に 「ゼロ」自治体は26%も、住民はどう思う? 街づくり活用例も
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●《「もし当時、非暴力の手段で戦争という究極の暴力をなくせる方法が分かっていれば、あの(事件という)選択には至っていなかった」》(東京新聞)

2024年10月16日 00時00分26秒 | Weblog

[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]


(2024年08月30日[金])
大谷昭宏さん《49年間逃亡の末、死の4日前、神奈川県で男が重要指名手配犯「桐島聡」と名乗り出た連続企業爆破事件。…「(事件を後悔している」と話したそうです。意味はわかりませんが、爆弾やテロでは社会は変わらない。事件当時21歳だった自分と同年代の若者がきちんと選挙に行き、ゆっくりであっても社会を変えて行ってほしい。…》。根岸恵子さん《出所した浴田由紀子さん…が裁判の最終陳述で語ったことは、心に沁みた。自分たちは暴力ではなく、考えを広めるために、平和的に仲間を増やすべきだったそうすれば社会は変わるだろうと。》

 小倉貞俊記者による、東京新聞の記事【「さそり」の受刑者が語った悔悟 桐島聡容疑者が逃亡を続けたワケ 連続企業爆破事件から50年】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/350426)。《桐島が名乗り出たことは驚きで、自分も改めて当時の行為を深く思索し、書き残そうとしている。もし当時、非暴力の手段で戦争という究極の暴力をなくせる方法が分かっていれば、あの事件という選択には至っていなかった》。

 松下竜一さん《知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》。《何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか》(松下竜一さん)。
 もう何十年も前、当時の『草の根通信』の読者にしても、そうだった。《…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》。
 根岸恵子さん《“大地の牙”メンバーだった浴田由紀子さん…「東アジア武装戦線の戦いに最も欠けていたのは、いま現在から革命後の社会を、物的に、人的に、思想的に、あらゆる領域から作っていく創造の戦いとして考え、実践することだった。敵を打倒し、破壊することよりも、味方を増やし、味方の力を育て、作り出す戦い方をしたいそれはもう誰も死なさない革命でもあるはずです」。未来は私たちの手に委ねられている》。

   『●《われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。
     何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった》
   『●《「冷酷非情の狼」という印象》…でも彼らがなぜ「その闘争」を
     やらなければならないと思ったのか?、には耳を傾ける必要がある
   『●《浴田由紀子さん…自分たちは暴力ではなく、考えを広めるために、
      平和的に仲間を増やすべきだった。そうすれば社会は変わるだろう》
   『●松下竜一さん《『草の根通信』の読者にして…知ろうとする心を閉ざ
     して拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》
   『●《「…後悔している」...爆弾やテロでは社会は変わらない。…若者が
     きちんと選挙に行き、ゆっくりであっても社会を変えて行ってほしい…》

 『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』から、再び、引用。
 「…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが」。
 「…つい感情を昂ぶらせてしまった。/「あなたは、なんでそんな第三者的な質問をするのか。死傷者を出したことで一番苦しんでいるのは、彼らではないか。われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった。何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか」」。
 「そのことで彼らを無差別大量殺人者として糾弾することはたやすい。だが、時代の痛みにも気づかず、あるいは気づいても知らぬふりをしていた者が(行動しなかったがゆえに失敗しもしなかっただけのことで)、行動を起こしたがゆえに大きな失敗をしてしまったものを威丈高(いたけだか)に指弾できるだろうかという思いは、『狼煙を見よ』を書き進むにつれて私の中でつのっていった。なによりも、そのことで一番苦しみ抜いているのは獄中の〝狼〟たちなのだ。/荒井まり子は、企業爆破事件の実行犯ではない。謀議にすら関与してはいない」。

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/350426

「さそり」の受刑者が語った悔悟 桐島聡容疑者が逃亡を続けたワケ 連続企業爆破事件から50年
2024年8月29日 06時00分

 1974~75年に過激派「東アジア反日武装戦線」が起こし、多数の死傷者を出した連続企業爆破事件から半世紀。メンバーの1人で、無期囚として服役中の黒川芳正受刑者(76)が東京新聞の書面での取材に応じた。一連の事件後、49年間逃亡生活を続けた末、今年1月に名乗り出て病死し、一部の事件で書類送検、不起訴となった桐島聡容疑者=死亡時70歳=について「贖罪(しょくざい)行為の逃避行」と独自の見方を示した。30日で1件目の三菱重工ビル爆破事件から50年となる。(小倉貞俊


◆自分の事件で重傷者を出したこと「最大の痛恨事」

 黒川受刑者は一連の事件のうち、自らが75年に起こした間組江戸川作業所爆破事件で重傷者を出したことに「最大の痛恨事」と言及。桐島容疑者については「服役以上に過酷な逃亡生活を選んだのでは」と独特の解釈をした。

     (黒川芳正受刑者からの手紙)

 黒川受刑者は東京都立大に在学中、左翼活動に傾倒。日雇い労働をしながら労働運動に携わる中、のちに三菱重工爆破事件の中心人物となる大道寺将司元死刑囚(2017年死亡)と知り合い、1974年、東アジア反日武装戦線に参加。自らは三菱重工ビル爆破事件には関わらず、桐島容疑者ら2人を誘い、3グループの1つとなる「抗日パルチザン義勇軍 さそり」を結成。複数の爆破事件に関わった。

 警視庁公安部が75年に逮捕、87年に殺人未遂罪などで無期懲役が確定し、宮城刑務所に服役中。取材は複数回の手紙のやりとりで行った。


 連続企業爆破事件 過激派の東アジア反日武装戦線が1974〜75年、反帝国主義や反植民地主義を掲げ、海外進出するゼネコン・商社に爆弾を仕掛けた12件の事件。大道寺将司元死刑囚らのグループ「狼」が起こした三菱重工爆破事件では8人が死亡、376人が重軽傷を負った。「大地の牙」グループは三井物産や大成建設などを狙った。警視庁が逮捕したうち、佐々木規夫大道寺あや子の両容疑者は「超法規的措置」で釈放されて国外逃亡。今も国際手配されている。


 ◇  ◇


◆「桐島に爆弾の仕掛け場所を指示した私に責任」

 —「さそり」の活動方針は

     (1974年8月30日、夜間照明の中、三菱重工ビルの前で
      行われる現場検証=東京都千代田区丸の内で)

 大道寺のグループ「狼(おおかみ)」による1件目の三菱重工爆破事件は、死傷者を出すことを意図していなかったのに、作戦のずさんさから8人の犠牲者を出すという失敗だった。自分は「狼」には入らず、世界で起きていた「都市ゲリラ戦方式」の革命運動が国内で展開できるか試みるため、「さそり」を結成した。人的被害を出さないよう、夜間に人のいない時を狙って爆発させる作戦を原則にしていた。


 —ただ「さそり」が起こした爆破事件でも、作業員1人が重傷を負った(間組江戸川作業所爆破事件)。悔悟の思いは

 負傷者を出してしまったことは最大の痛恨事。不十分な事前調査のまま、桐島に爆弾の仕掛け場所を指示した私に責任がある。


 —桐島容疑者との関わりは

 労働運動の中で74年6月頃に知り合った。真面目で人当たりが良く、心優しい男で、弟のように思っていた。昭和歌謡が好きで、酒盛りをした際、ほろ酔いでちあきなおみの「喝采」を歌っていたこともあった。


◆「自責…服役以上に過酷な逃亡生活を選んだのでは」

 —事件後、桐島容疑者は、神奈川県の工務店に偽名で住み込み、働くなどして潜伏し、今年1月25日、入院中の病院で名前を名乗り出た(4日後に死亡)。警視庁公安部の聴取で「後悔しているか」と問われ「はい」と答えたとされる。なぜ逃げ続けたと思うか

     (桐島聡容疑者=警視庁ホームページから㊧、約10年前の
      桐島聡容疑者とみられる人物(知人提供)㊨)

 爆弾の設置役だった桐島は当時、負傷者を出したことにショックを受けて動揺し、自責の念にかられていた。被害者への贖罪(しょくざい)として、服役以上に過酷な、死ぬ日までの逃亡生活を選んだのではないか。桐島にも日雇い労働の経験があったこと、人当たりの良さと、自制心の強さがそれを成功させたと思う。


 —最後に名乗り出た理由をどう考える

 贖罪行為としての逃避行の終了通知であり、自身の存在を歴史に残すためだったのではないか。桐島が名乗り出たことは驚きで、自分も改めて当時の行為を深く思索し、書き残そうとしている。もし当時、非暴力の手段で戦争という究極の暴力をなくせる方法が分かっていれば、あの事件という選択には至っていなかった


【関連記事】「桐島聡」名乗る男が死亡…真相明かすことなく 約40年暮らした藤沢市のバーで「うーやん」と親しまれていた
【関連記事】「桐島聡だったら弔えないよ…」学生時代や潜伏中に親交があった人たち 指名手配犯だと確定しての胸中
【関連記事】指名手配から49年…桐島聡容疑者とみられる男を警視庁が聴取 連続企業爆破事件に関与か、神奈川で入院中
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●《「…後悔している」...爆弾やテロでは社会は変わらない。…若者がきちんと選挙に行き、ゆっくりであっても社会を変えて行ってほしい…》

2024年03月03日 00時00分08秒 | Weblog

[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]


(20240219[])
大谷昭宏さん《「(事件を後悔している」と話したそうです。意味はわかりませんが、爆弾やテロでは社会は変わらない。事件当時21歳だった自分と同年代の若者がきちんと選挙に行き、ゆっくりであっても社会を変えて行ってほしい。…》。根岸恵子さん《出所した浴田由紀子さん…が裁判の最終陳述で語ったことは、心に沁みた。自分たちは暴力ではなく、考えを広めるために、平和的に仲間を増やすべきだったそうすれば社会は変わるだろうと。》
 日刊スポーツのコラム【大谷昭宏のフラッシュアップ/「桐島聡」最期に名乗り出た意味は…ラジオでじっくり語ってきた】(https://www.nikkansports.com/general/column/flashup/news/202402190000052.html)。《死の直前、捜査員に「(事件を後悔している」と話したそうです。意味はわかりませんが、爆弾やテロでは社会は変わらない。事件当時21歳だった自分と同年代の若者がきちんと選挙に行き、ゆっくりであっても社会を変えて行ってほしい。そう捉えてもらえたら、彼が名乗り出た意味はあったのではないか。私は勝手にそう考えています。》

   『●《われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。
     何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった》
   『●《「冷酷非情の狼」という印象》…でも彼らがなぜ「その闘争」を
     やらなければならないと思ったのか?、には耳を傾ける必要がある
   『●《浴田由紀子さん…自分たちは暴力ではなく、考えを広めるために、
      平和的に仲間を増やすべきだった。そうすれば社会は変わるだろう》
   『●松下竜一さん《『草の根通信』の読者にして…知ろうとする心を閉ざ
     して拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》

 松下竜一さん《知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》。《何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか》(松下竜一さん)。
 もう何十年も前、当時の『草の根通信』の読者にしても、そうだった。《…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》。
 根岸恵子さん《“大地の牙”メンバーだった浴田由紀子さん…「東アジア武装戦線の戦いに最も欠けていたのは、いま現在から革命後の社会を、物的に、人的に、思想的に、あらゆる領域から作っていく創造の戦いとして考え、実践することだった。敵を打倒し、破壊することよりも、味方を増やし、味方の力を育て、作り出す戦い方をしたいそれはもう誰も死なさない革命でもあるはずです」。未来は私たちの手に委ねられている》。

 〝殺人〟、人を殺めることは絶対に否定されなければならない…でも彼らがなぜ「その闘争」をやらなければならないと思ったのか?、には耳を傾ける必要がある。
 『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』から、再々度、引用。
 「…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが」。
 「…つい感情を昂ぶらせてしまった。/「あなたは、なんでそんな第三者的な質問をするのか。死傷者を出したことで一番苦しんでいるのは、彼らではないか。われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった。何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか」」。
 「そのことで彼らを無差別大量殺人者として糾弾することはたやすい。だが、時代の痛みにも気づかず、あるいは気づいても知らぬふりをしていた者が(行動しなかったがゆえに失敗しもしなかっただけのことで)、行動を起こしたがゆえに大きな失敗をしてしまったものを威丈高(いたけだか)に指弾できるだろうかという思いは、『狼煙を見よ』を書き進むにつれて私の中でつのっていった。なによりも、そのことで一番苦しみ抜いているのは獄中のたちなのだ。/荒井まり子は、企業爆破事件の実行犯ではない。謀議にすら関与してはいない」。

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https://www.nikkansports.com/general/column/flashup/news/202402120000102.html

コラム
大谷昭宏のフラッシュアップ
2024年2月12日8時0分
「桐島聡」とあの頃の日本 ラジオでじっくり語ってきた

大阪のABCラジオ、「おはようパーソナリティ小縣裕介です」から「あのころの事件を語れるのは、いまでは大谷さんくらい」と、なんだかよくわからない依頼をいただいてスタジオでじっくり語ってきた。

テーマは逃亡49年、死の直前に「桐島聡」と名乗り出た連続企業爆破重要指名手配犯。リスナーから事件について、さまざま疑問が寄せられていた。


-連続企業爆破犯は、なぜ学生運動と一線を画したのですか

1969年の東大安田講堂陥落を最後に大学を追われた学生は学外で連合赤軍を結成するなど武力闘争に走り、72年にはあさま山荘事件を起こします。一方で、群馬の山中で10人もの仲間をリンチして殺害したことも発覚。桐島容疑者らは理屈ばかりで頭でっかちな学生に見切りをつけるのです。


-そこでできたのが東アジア反日武装戦線だったのですね

戦後、みんなが貧しかった日本も、70年代の高度経済成長期に入ると貧富の差が激しくなります。加えて経済力をつけた日本は、中国、韓国などアジアの国々に進出します。これを彼らは戦前の日本帝国主義の再来と捉えたのです。


-そんな帝国主義と、学生以外のだれが闘うのですか

彼らはまさにその帝国主義によって踏みにじられている人、日雇い労働者、在日朝鮮人、アイヌ…そういう人こそ闘いの中核になるべきと考え、これを“窮民革命”と呼んだのです。


-厳しい生活を強いられている人に大企業相手の爆弾闘争をさせることが、どうしても結びつきませんが

そうでしょうね。70年代の日本を揺るがした事件、とても1回では語り尽くせません。ラジオの続きはまた来週。


◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「NEWS ONE」などに出演中。
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https://www.nikkansports.com/general/column/flashup/news/202402190000052.html

コラム
大谷昭宏のフラッシュアップ
2024年2月19日8時0分
「桐島聡」最期に名乗り出た意味は…ラジオでじっくり語ってきた

49年間逃亡の末、死の4日前、神奈川県で男が重要指名手配犯「桐島聡」と名乗り出た連続企業爆破事件。リスナーの疑問に答えながら話した大阪・ABCラジオの先週の続き。

東アジア反日武装戦線が学生運動を見限って、日雇い労働者や在日朝鮮人を中核に据えた“窮民革命”についてのリスナーの疑問。


-踏みにじられた窮民と財閥系企業の爆破がどうしても結びつかないのですが

その通り、実際結びつかなかったのです。やはり自分たちが見限った学生運動と同様、彼らも頭でっかちだったのです。明日のお米にも困っている人々に爆弾を作っている余裕なんかあるはずがないのです。結果、自分たちで手を下し、組織は壊滅してしまいました。


-爆弾テロで社会が変わるはずがないですよね

当然です。爆破で犠牲になったのは家族を大切に懸命に働く市民たちです。そんな人の命を奪っておいて共感を得られるはずがありません


-それにしても49年間、よくも逃げ続けましたね

彼らが教本にしていた「腹腹時計」には「単独で逃げ、深入りせずに人とつき合い、隣人には挨拶(あいさつ)を欠かさず」と書かれていて、その通り実行していました。


-最期に名乗り出た意味はあったのでしょうか

死の直前、捜査員に「(事件を後悔している」と話したそうです。意味はわかりませんが、爆弾やテロでは社会は変わらない。事件当時21歳だった自分と同年代の若者がきちんと選挙に行き、ゆっくりであっても社会を変えて行ってほしい。そう捉えてもらえたら、彼が名乗り出た意味はあったのではないか。私は勝手にそう考えています。


◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「NEWS ONE」などに出演中。
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●和氣正幸氏《…足元の世界では本屋の灯りが増え続けていることを強く感じる。しかもそれは都心部だけではない。全国各地にある》

2023年02月25日 00時00分43秒 | Weblog

[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]


(2023年02月11日[土])
和氣正幸氏《…「多様な世界へ飛び立てる本」…「世界に幅と揺らぎあれ」…「もしかしたら多くの人が見落とすかもしれない視点や考え方を拾い上げていくこと」…》。さらに、《たしかに、全体の書店数は減っている。出版市場も縮小していくだろう。だが、このように見ていくと大手メディアで流布される暗い言葉とは裏腹に足元の世界では本屋の灯りが増え続けていることを強く感じる。しかもそれは都心部だけではない。全国各地にある》。
 《勉強とは本である、本とは勉強である》(小川書店・小川頼之さん)…「日々読学」を掲げる、当ブログ。本屋さんに、是非とも、頑張ってほしい。《活字離れ出版不況。暗いニュースが報じられる一方、小さな本屋さんが全国的に生まれている》という、とても嬉しい小さな朗報。

   『●長周新聞の書評『一万円選書』(岩田徹著)…《わざわざいわた書店に
     注文するのか。…「これは!」と思える本との出会いを求めているからだ》
    「「いわた書店」店主の岩田徹さんの「一万円選書」を知ったのは、
     『セブンルール』にて。「隆祥館書店」店主の二村知子さんの回。
     【7RULES あなたに「ルール」はありますか?/「隆祥館書店」店主
     二村知子 (9月1日(火))】。《一万円選書》として、松下竜一さんの
     『豆腐屋の四季』が選ばれていて、とても嬉しかった。」

   『●《本屋はないと困る。そう思ってもらえるようにしたい》、《勉強
      とは本である、本とは勉強である。》(小川書店・小川頼之さん)
    《減り続ける「街の本屋」の魅力や、厳しい現状を伝えようと、
     東京都内の中小書店が加盟する東京都書店商業組合(千代田区)が
     PR動画を作り、ユーチューブの公式チャンネルに公開した。
     動画制作に携わった映画監督の篠原哲雄さん(60)は
     「本屋は本と人とをつないでいるものそれぞれの本屋さんが
     おもしろく、印象的だった。ぜひ動画を見てほしい」と話す。
     (奥野斐)》

 和氣正幸氏による、週刊朝日の記事【書店が増えている!? 「行きたい本屋」から「やりたい本屋」へ】(https://dot.asahi.com/wa/2023020200011.html)によると、《活字離れ出版不況。暗いニュースが報じられる一方、小さな本屋さんが全国的に生まれている。本屋ライターで本屋のアンテナショップの店主でもある和氣正幸さんがそんな本屋さんの現在を報告。》、《もう一店紹介したいのは福岡県糸島市に昨年3月にできたばかりのAll Books Considered(以下、ABC)である。 中田健太郎氏をはじめとした大学生が4人で運営するこの店は、1階にある棚貸し本屋「糸島の顔がみえる本屋さん」(以下、糸かお)からはじまった》。

   『●東京電力原発人災で失われた内在的価値
   『●「糸島ブランド」が泣いている: 
     安全神話に乗っていて「原子力正しい理解で豊かな暮らし」なのか?
   『●三上智恵監督『標的の村』上映会後援「不承諾」の理由
              ……「糸島ブランド」が泣いている

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https://dot.asahi.com/wa/2023020200011.html

書店が増えている!? 「行きたい本屋」から「やりたい本屋」へ
2023/02/06 11:30
和氣正幸

     (COWBOOKS(撮影・和氣正幸))

 活字離れ出版不況。暗いニュースが報じられる一方、小さな本屋さんが全国的に生まれている。本屋ライターで本屋のアンテナショップの店主でもある和氣正幸さんがそんな本屋さんの現在を報告。

【写真】こだわりの本屋がこちら(全10枚)

*  *  *

 本屋が増えている。

 突然そんなことを言われても驚く読者が多いとは思う。活字離れや出版不況という言葉が生まれてから久しい。しかしそれでもなお筆者は言いたい。本屋は増えているのだ。

 ただしここでいう本屋とは個人、あるいは少人数のチームで運営され、新刊と古書を併売することもあり、小さいながらも品揃えやイベント、空間演出などそれぞれが独自の光を放つ店のことだ。筆者は本屋ライターとして10年以上そうした独立書店とも呼ばれる店のことを追ってきたのだが、ここ数年の増加数は筆者も驚くくらいのペースなのだ。

 まず紹介したいのは鳥取県の湯梨浜町に2015年にオープンした汽水空港だ。

     (汽水空港(鳥取県湯梨浜町)撮影・和氣正幸)

 「多様な世界へ飛び立てる本」として思想や哲学に建築、映画、旅、植物など店主が丁寧に選んでいる本が並び、併設されたカフェでゆっくり読むことができる。月に2、3回トークイベントも行い、近所のお客さんだけでなく鳥取、島根、岡山など、半径100キロ圏内から本好きが訪ねてくる。

 18年には店舗を増築工事しリニューアルオープン。近頃は自分たちが借りた畑を「食える公園」と称して開放、誰もが農作業でき収穫もできる試みを行っている。

 本屋を目指すなら新刊書店や古書店、少なくとも出版業界で経験を積むというのが一般的な認識かと思うが、店主のモリテツヤ氏がまず学んだのは農業だった。理由は「最低限死なずに本屋を続けるため」。都心部から離れ、縁もゆかりもない鳥取にツテを頼ってたどり着いた。資金を貯めるために左官屋のもとで働き、その技術をベースに格安で借りた小さな廃屋をリノベーションして本屋をはじめた。

 経営もはじめこそ厳しくアルバイトをしながらの運営だったが、現在では汽水空港の売り上げだけで家族3人が暮らしていけるようになったというから驚く。「世界に幅と揺らぎあれ」と掲げられたコピーもまたモリ氏を表しているようだ。

 もう一店紹介したいのは福岡県糸島市に昨年3月にできたばかりのAll Books Considered(以下、ABC)である。

 中田健太郎氏をはじめとした大学生が4人で運営するこの店は、1階にある棚貸し本屋「糸島の顔がみえる本屋さん」(以下、糸かお)からはじまった。

 棚貸し本屋(シェア型書店とも呼ばれる。以下、棚貸し本屋で統一)とはボックス型の本棚を一箱ずつ月額制で貸し出すことで家賃など固定費を捻出するスタイルの本屋のことだ。

 中田氏は糸かおの21年9月のオープン当初から棚を借りていたが、もっと大きく展開したいと2階の部屋に移った。蔵書だけでなく新刊を販売するためのルートも自ら開拓し、家賃を払って契約しABCをはじめたのだ。大学生が、である。

 販売するのは新刊/古本にメンバーによるリメイク服。選書は4人で話し合って決めているが、フェミニズムやアナキズムといった思想の本から、本屋大賞で選ばれるようなエンタメ本まで幅広い。共通しているのは「もしかしたら多くの人が見落とすかもしれない視点や考え方を拾い上げていくこと」だ。

 「10年前、20年前にはオタクと言われ蔑(さげす)まれていたものが、いまではクールジャパンと言って多くの人に支持されています。いまでもそういうことは起きていて、そういうものがカルチャーをつくっていくと僕たちは思っています」とメンバーの一人の斎藤楓季氏は話す。

 本に限らず服に対しても思いは同様で、誰かと語り合いたくなるようなものを置いている。そういった物たちが四畳半という狭い空間にあるのだ。当然、お客さんと自然に話が弾むことも多い。自分たちより上の世代のお客さんから本の話以外にも思い出話など、ときには何時間も話すこともあるそうだ。

 今後の展望を聞くと「もしかしたら10年後には違うことをしているかもしれません。ですが、根底にある“自分たちが良いと思えるものを紹介したい”という気持ちは変わらないと思います」と話してくれた。

 若いながらも言葉を選びながら自身の思いを話し、それを実践していく姿は応援したくなるもので、福岡に行く際には必ず訪ねようと思えた。

     (ユトレヒト(撮影・和氣正幸))


■「行きたい」から「やりたい」へ

 以上、長くなったが筆者が知りうる店の中でもいま一番気になる本屋を紹介した。共通しているのは小規模店であり空間が限定されているが故に選書や空間演出に店主の思いや人柄が色濃く反映されていることだ。

 話を戻そう。本稿で筆者が言いたいのはこういった本屋の数が増えているということである。

 具体的な数値面について客観的なデータがないので筆者が知っている限りのものとなるが、開業数だけを追ってみても、2015年、16年が6店、17年に17店と2倍以上になり、18年が15店、19年25店、20年には35店もの開業があった。

 21年はそこからさらに増え79店となり、22年は少し落ち着いて50店だったが、それでも5年前と比べると約3倍のペースで増えていることがわかる(古書店や私設図書館等も含む)。

 要因はいくつかあるが、時系列に沿って言えば、2000年代に「こんな本屋に行ってみたい」 「こんな本屋を自分も開いてみたい」と思わせてくれるような店のオープンが相次ぎ、10年代前半には本屋の概念の拡張が行われ「自分でもできるかも」と思えるようになった。10年代後半は、本屋になるための具体的な道筋が広まり、20年代になると継続性に難点のある本屋のビジネスモデルにあたらしい風がもたらされた。その結果として開業数が増加している現在へと至る。

 どこをスタート地点に持ってくるかは難しいところだが、1986年の「遊べる本屋」と銘打ち本と雑貨をシームレスに売り出す手法が斬新だったヴィレッジヴァンガード1号店(愛知県名古屋市)開店を始まりとしたい。次のトピックスは96年まで飛ぶ。文脈棚という本の内容を緩やかにつなげていくことで棚をメディアとして価値づけた往来堂書店(東京都文京区)のオープンがこの年なのである。

 2000年にはブックカフェの先駆け的存在火星の庭(宮城県仙台市)が生まれ、02年は「暮しの手帖」元編集長・松浦弥太郎氏がCOWBOOKS(東京都目黒区)を開き古本屋をカッコいいものとして世の中に提示した。

     (ブックスキューブリックけやき通り店
      (福岡市中央区)撮影・和氣正幸)
     (スタンダードブックストア(撮影・和氣正幸))

 さらに、アーティストや作家が個人で少部数出版する本(ZINE)を広めたユトレヒト(東京都渋谷区)や、福岡のブックスキューブリック(福岡市)、大阪と言えばここ、スタンダードブックストア(大阪市天王寺区)、京都の恵文社一乗寺店(京都市左京区)がセレクト書店の元祖と呼ばれるようになったのも同じ時期だ。

     (本屋B&B(撮影・和氣正幸))

 12年には「これからの街の本屋」を謳う本屋B&B(東京都世田谷区)がオープン。ビールが飲めてほぼ毎日イベントを開催する場所として本屋のイメージを革新した。

 そうして13年、同店の共同オーナーでもある内沼晋太郎氏が『本の逆襲』(朝日出版社)で“広義の本に関わる仕事、それをあらためて「本屋」と呼ぶとしたら”と書き、本と本屋の可能性を広げた。現在のように多様な本屋が広がった契機のひとつである。

     (双子のライオン堂(撮影・和氣正幸))

 さらに同氏は14年から「これからの本屋講座」をはじめ、本屋ルヌガンガ(香川県高松市)や本屋イトマイ(東京都板橋区)など全国各地に卒業生を送り出した。筆者も同時期に双子のライオン堂(東京都港区)・竹田信弥氏と「本屋入門」をはじめ、同様に書肆スーベニア(東京都台東区)やワグテイルブックストア(神奈川県横浜市、古書店)などの卒業生を輩出している。


■ノウハウの開示 直接取引の増加

     (本屋Title(東京都杉並区)撮影・和氣正幸)

 こうした本屋が増えるきっかけとなったのは、本屋Title(東京都杉並区)店主・辻山良雄氏が17年に出した本『本屋、はじめました 新刊書店Title開業の記録』(苦楽堂、後にちくま文庫)である。同書で辻山氏は開店の経緯はもとより事業計画書まで公開した。試算であるとはいえ経営の内実が本という形で公開されたことは、開業希望者にとって大きな希望だったに違いない。翌年、内沼氏が『これからの本屋読本』(NHK出版)を出したことで、事実上ブラックボックスだった本の仕入れ方法も公開された。

 どういうことかというと、一般的に新刊書店を始めるためにはまず取次と呼ばれる出版業界の問屋と契約する必要があるのだが、これがハードルが高い。というのも契約時に保証金として売上予想額の数カ月分が必要なのだ。

     (BOOKSHOP TRAVELLER(撮影・和氣正幸))

 委託販売なので時間を置けば返品され、お金が戻ってくるとは言え、粗利率は約2割である。これはつまり一冊の本を売ったとして、その価格が例えば1600円(以下すべて税抜き)だとしたら約320円の利益になるということだ。この利益の中から人件費や家賃を支払い返済もしなければならないとすれば、二の足を踏むのも仕方がないというものである。

 とはいえ当時から買い切りではあるが契約時の保証金が必要なく、粗利率も比較的良心的な取次も実はあった。子どもの文化普及協会や八木書店をはじめとした神田村と呼ばれる取次群などだ。

 さらに書店数の減少に反応してか、出版社が取次を介さず本屋と直接取引することも増えた(取次の手数料がない分、本屋の取り分が増える)。トランスビュー方式という取次代行と呼ばれる仕組みも本屋にとっては大きな味方だ。

 しかしそれでも新刊書店の急増には至らなかった。なぜなら、本屋を開きたい人にそういった情報が届いていなかったからだ。憧れはあったが、具体的にどうすれば良いかも分からず、調べても保証金のハードルで心折れるということが多かったことが推察される。筆者もそうだった。

 それが『本屋、はじめました』と『これからの本屋読本』の出版により状況が変わったというわけだ。本好きが、自分のなりたいものとして自然と本屋の開業を目指すことができる。そういう状況が作られたのである。

 加えて、前述した棚貸し本屋というビジネスモデルが世に広まったことも大きい。17年に月額制で棚を貸すことで成り立つはじめての本屋みつばち古書部(大阪市阿倍野区)、次いで翌年、筆者の運営するBOOKSHOP TRAVELLER(東京都世田谷区)がオープン、そして19年に生まれたブックマンション(東京都武蔵野市)はメディアでも大きく取り上げられた。

 棚貸し本屋は通常の小売りと違いコミュニティー運営という別のスキルが必要とはなるが、例えば、新刊書店が棚の一部を貸すことで、仲間を増やし経営の安定も図るという事例は近頃よく耳にする。独立書店開業数増加の要因の一つだろう。

     (冒険研究所書店(神奈川県大和市)撮影・和氣正幸)


■北極冒険家や大学生も

 さて、独立書店の歴史をここまで紐解(ひもと)いてきたわけだが、最後に現在の話をしたい。先に“本好きが、自分のなりたいものとして自然と本屋の開業を目指すことができる”ようになったと書いたが、ここ1、2年は特にこの意識が浸透してきているように思うのだ。

 例えばそれは他業種の開業者も多いことである。昨年11月オープンの本屋象の旅(神奈川県横浜市)は元不動産関係の営業職の方が開いた店だし、一昨年の5月には北極冒険家の荻田泰永氏が冒険研究所書店(神奈川県大和市)をオープンしている。

 例えばそれは、いままではできなかったような場所に本屋ができることである。昨年8月に生まれたTUG BOOKS(香川県土庄町)は小豆島にあるし、一昨年9月には佐渡島にnicala(新潟県佐渡市)が店を開いた。例えばそれは若者の登場でもある。先述したAll Books Consideredに加え大阪には昨年7月オープンの水野ゼミの本屋(大阪市北区)がある。どちらも運営するのは大学生だ。

 たしかに、全体の書店数は減っている。出版市場も縮小していくだろう。だが、このように見ていくと大手メディアで流布される暗い言葉とは裏腹に足元の世界では本屋の灯りが増え続けていることを強く感じる。しかもそれは都心部だけではない。全国各地にある。コロナ禍の中ではあるが、散歩の折に、あるいは里帰りの際にぜひ探して訪ねてみてほしい。きっとあらたな出会いが待っているから。(和氣正幸)

※週刊朝日  2023年2月10日号
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●《本屋はないと困る。そう思ってもらえるようにしたい》、《勉強とは本である、本とは勉強である。》(小川書店・小川頼之さん)

2022年05月02日 00時00分24秒 | Weblog

[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]


/ (20220421[])
東京新聞の記事【減り続ける「街の本屋」…動画で魅力を発信 オリジナルドラマや太田光さんらのインタビューも】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/173031)。

 《減り続ける「街の本屋」の魅力や、厳しい現状を伝えようと、東京都内の中小書店が加盟する東京都書店商業組合(千代田区)がPR動画を作り、ユーチューブの公式チャンネルに公開した。動画制作に携わった映画監督の篠原哲雄さん(60)は「本屋は本と人とをつないでいるものそれぞれの本屋さんがおもしろく、印象的だった。ぜひ動画を見てほしい」と話す。(奥野斐)》

 「〝読学〟することなく、ツンドク状態になって久しい当ブログ。特に、本年度は肝臓の数値が異常に悪くなるほどの酷い日々で、指折り3月末を待つような状態。」…4月もあまり変わらないなぁ。少しは人間らしい生活には戻りましたが。心に余裕がない。

 日々読学…《勉強とは本である本とは勉強である》(小川書店・小川頼之さん)。

   『●長周新聞の書評『一万円選書』(岩田徹著)…《わざわざいわた書店に
     注文するのか。…「これは!」と思える本との出会いを求めているからだ》
    「「いわた書店」店主の岩田徹さんの「一万円選書」を知ったのは、
     『セブンルール』にて。「隆祥館書店」店主の二村知子さんの回。
     【7RULES あなたに「ルール」はありますか?/「隆祥館書店」店主
     二村知子 (9月1日(火))】。《一万円選書》として、松下竜一さんの
     『豆腐屋の四季』が選ばれていて、とても嬉しかった。」

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/173031

減り続ける「街の本屋」…動画で魅力を発信 オリジナルドラマや太田光さんらのインタビューも
2022年4月21日 12時00分



【【港区南麻布・小川書店】本屋の愉しみを子どもたちに。教科書と参考書にこだわる本屋。人気漫画も全巻揃っています!】
 (https://www.youtube.com/watch?v=ePYq--6GE3k&t=489s


 減り続ける「街の本屋」の魅力や、厳しい現状を伝えようと、東京都内の中小書店が加盟する東京都書店商業組合(千代田区)がPR動画を作り、ユーチューブの公式チャンネルに公開した。動画制作に携わった映画監督の篠原哲雄さん(60)は「本屋は本と人とをつないでいるもの。それぞれの本屋さんがおもしろく、印象的だった。ぜひ動画を見てほしい」と話す。(奥野斐)

 中小書店を中心に組織する同組合の加盟店舗数は、1984年に1426店だったが、今年4月1日時点で277店と、ピークから8割減少した。組合によると、紙の雑誌と書籍の販売金額は90年代半ばの半分以下に縮小。電子書籍の普及が進み、街の本屋の収入の柱である雑誌の売り上げは最盛期の3分の1ほどまで減ったという。

     (自身が営む書店を紹介する東京都書店商業組合の
      小川頼之さん(ユーチューブチャンネル
      「東京の本屋さん」より))

 こうした業界を盛り上げようと、組合は都中小企業団体中央会の支援事業として、昨年夏に動画制作を開始。計99本を公開した。このうち、都内72店の紹介動画は、各店主らが店をバックに歴史や品ぞろえの特徴、魅力を語る

 組合常務理事の小川頼之さん(58)は、動画で自身が営む港区南麻布の小川書店の教科書、参考書の充実ぶりを紹介。親に連れられてきた子どもが、飽きて教科書から目を移した時に、絵本から学習漫画、文学、小説へと順に視界に入るような配置の工夫をしているという。「意外に本屋おもしろいね、と思ってもらえるような仕掛けをつくっている」と語っている。

 店主らに話を聞き、動画を制作した篠原監督は「書店主の個性が違う本に対するこだわりが本の並び方に象徴されていたり、(その人の)人生が本屋に表れていた」と振り返る。



【ドラマ『本を贈る』第一話「どうする凪紗」】
 (https://youtu.be/AdWZs8aF9qQ


 動画は他に、お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さんや、ジャーナリストの池上彰さんら著名人が本の読み方や本屋について語るインタビュー、篠原監督による本屋を舞台にしたドラマ「本を贈る」(各話約10分、全9話)もある。小川さんは、動画を通じ「本屋はないと困る。そう思ってもらえるようにしたい」と話した。

 公式チャンネルは「東京の本屋さん~街に本屋があるということ~」。今月26日からは、港区北青山の山陽堂書店内のギャラリーで、動画で紹介した書店の写真パネル展も3期に分けて開かれる。

【関連記事】日仏文化の懸け橋75年 飯田橋のフランス語書店「欧明社」閉店
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●長周新聞の書評『一万円選書』(岩田徹著)…《わざわざいわた書店に注文するのか。…「これは!」と思える本との出会いを求めているからだ》

2022年02月13日 00時00分54秒 | Weblog

[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]


(20220206[])
長周新聞の書評【『一万円選書』 著・岩田徹】(https://www.chosyu-journal.jp/review/22656)。

 《「一万円選書」というタイトルからは、こんなに深く、また温かい話だとは想像できなかった多くの町の本屋が姿を消すなかで、この本屋は取次から送られてくるベストセラー作家の本も新刊も、大学受験参考書も置かず、売りたい本を山積みにしている。この本屋は、北海道砂川市にある「いわた書店」である。店主の岩田氏はバブル崩壊後の出版不況と借金で七転八倒し、いよいよ店を閉めようかという2007年から始めた「一万円選書」が大ヒットした》。

 〝読学〟することなく、ツンドク状態になって久しい当ブログ。特に、本年度は肝臓の数値が異常に悪くなるほどの酷い日々で、指折り3月末を待つような状態。
 「いわた書店」店主の岩田徹さんの「一万円選書」を知ったのは、『セブンルール』にて。「隆祥館書店」店主の二村知子さんの回。
 【7RULES あなたに「ルール」はありますか?/「隆祥館書店」店主 二村知子 (9月1日(火))】。《一万円選書》として、松下竜一さんの『豆腐屋の四季』が選ばれていて、とても嬉しかった。

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https://twitter.com/ActSludge/status/1301144263384657921

■《一万円選書》として、松下竜一さんの『豆腐屋の四季』が(https://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/27ff46d6574ec1fd046795c74878ce8c) 【7RULES あなたに「ルール」はありますか?/「隆祥館書店」店主 二村知子 (9月1日(火))】(https://ktv.jp/7rules/program/)/《一万円選書…一万円分の本を書店が選ぶサービス。北海道のいわた書店が先駆け》

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https://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/27ff46d6574ec1fd046795c74878ce8c

●《松下竜一著…「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」…まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった》 - Activated Sludge ブログ ~日々読学~

[※アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一、洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]佐高信さんによる、日刊ゲンダイでの書評【週末オススメ本ミシュラン/「豆腐屋の四季」松下竜一著/講談社文芸文庫】....
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午後10:05  2020年9月2日
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https://twitter.com/ActSludge/status/1301144264680697856

■《一万円選書》として、松下竜一さんの『豆腐屋の四季』が 【7RULES あなたに「ルール」はありますか?/「隆祥館書店」店主 二村知子 (9月1日)】(https://ktv.jp/7rules/program/)/《一万円選書…一万円分の本を書店が選ぶサービス。北海道のいわた書店が先駆け》《Rule3 人を傷つける本は置かない

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ktv.jp
プログラム | セブンルール | 関西テレビ放送 カンテレ
7つのルールで話題の女性の人生を映し出すドキュメントバラエティ『セブンルール』!“今、最も見たい女性”のルールを通して、多くの人がよりよい人生を送る為のヒントが隠されているはず!
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午後10:05  2020年9月2日
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https://www.chosyu-journal.jp/review/22656

一万円選書』 著・岩田徹
書評・テレビ評 2022年2月1日

 「一万円選書」というタイトルからは、こんなに深く、また温かい話だとは想像できなかった多くの町の本屋が姿を消すなかで、この本屋は取次から送られてくるベストセラー作家の本も新刊も、大学受験参考書も置かず、売りたい本を山積みにしている

 この本屋は、北海道砂川市にある「いわた書店」である。店主の岩田氏はバブル崩壊後の出版不況と借金で七転八倒し、いよいよ店を閉めようかという2007年から始めた「一万円選書」が大ヒットした。

 「一万円選書」とは、選書カルテをもとに、「あなたにあった一万円分の本を選書してお届けします」というもの。現在、「一万円選書」の募集は1年で7日間だけ。そこに全国から何千人もの応募があり、抽選で毎月100人ずつに選書した本を送っている。

 なぜ人は、品揃え豊富な大型書店や、クリック一つで届くネット書店ではなく、わざわざいわた書店に注文するのか。それはたくさんの読者が、かならずしもベストセラーではなく、自分が本当に読みたい本、自分の生きる指針になるような「これは!と思える本との出会いを求めているからだ

 最近では、地震や豪雨災害などで被災した人や、コロナ禍で奮闘する医療従事者からの応募が多いそうだ。

 いわた書店は抽選で選ばれた客に「選書カルテ」を書いてもらう。そこにある質問というのが、「これまで読んだ本のなかで印象に残った20冊」「これまでの人生で嬉しかったこと、苦しかったこと」「これだけはしないと決めていることは」「あなたにとって幸福とは」という、時間と覚悟が必要なものばかり。

 そこに自分をさらけ出して、あふれんばかりの思いを綴ってくる人がいる。そうでない人に対しては、岩田氏は行間から伝わってくるものを読む。とくに彼は、書かれていることをそのまま受けとるのではなくて、本人も気づいていない欲求を汲みとって、その人自身では探せないような本を紹介することに心を砕く。それができるのは、彼の読書遍歴の豊かさに加え、若い頃から暗闇の中をもがくようにして生きてきた経験から得たものがあるからだ。確かにこうした作業は、AIには決して真似できない。そうして選んだ本が相手に喜ばれたら、本屋としてこれほど嬉しいことはない、という。

 選書カルテを書くことは、客にとっては自分のこれまでを振り返り、人生を立ち止まって考える作業となる。

 カルテを書いた段階で選書はほぼ終わっており、自分はただ役に立ちそうな本を届けて作者と結びつけるだけ、人生のアドバイスを直接できなくても、そっと背中を押してくれるような本を紹介することはできる――と岩田氏はいう。ビジネス書のようにすぐに役立つノウハウや結論を求めず、本の中からメッセージを感じとり、自分の中の答えを見つけて、とも。


どうやって本を選ぶか

 第三章の「僕はこうやって本を選ぶ」の中に書かれている読者の悩みと選書のようすを読むと、どれも手にとって読んでみたくなる本ばかりだ。

 「もっとゆっくり、自分のペースで暮らしたい」と書いてきた大手メーカー勤務の40代男性に対して選んだ本の一つは、ルポライターの笠井一子がまとめた『京の大工棟梁と七人の職人衆』。数寄屋大工、左官、表具師、錺(かざり)氏、石工、簾(すだれ)師、畳師、庭師といった、日本の美意識と文化を築いてきた職人たちの、匠の技と感覚、仕事と心を知ることができる。しかも、どんなプロフェッショナルであっても、自分にはこの仕事は向いていないんじゃないかと悩み、迷い、葛藤しつつ、それでも自分の技を磨き自分の山に登っていく。「仕事とは――働く意義にぶつかった人にはぜひ読んでほしい本だ」という。

 「子どもが5、6歳になってくるということを聞かなくなってきてイライラしてしまう」と書いてきた若い母親に対しては、益田ミリの絵本『はやくはやくっていわないで』。ところが、この本を読んで夫が泣いたという。IT企業で働く夫は、毎日仕事で「はやくはやく」といわれることにストレスを感じ、そのイライラから家族に当たっていたことに気づいたのだ、と。

 こうして7年間で選書した人は1万1000人をこえ、その人たちから届いたお礼や感想の手紙は段ボール数箱にもなるという。このような血の通ったコミュニケーションから豊かな栄養を得て岩田氏は今日も本を選ぶ。それが反響を呼ぶのは、スマホ全盛期の孤独な時代だからだろうか。本屋にとって、いや人に役立ちたいと願う様々な職業人にとって忘れてはならない原点、初心があふれる一冊

 (ポプラ社発行、新書版・190ページ、定価900円+税)
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●松下竜一さん《『草の根通信』の読者にして…知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》

2021年06月03日 00時00分04秒 | Weblog

[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]



(20210529[])
根岸恵子氏による、レイバーネットの書評【〔週刊 本の発見〕熱い時代を生きた若者の真の姿〜松下竜一狼煙を見よ』】(http://www.labornetjp.org/news/2021/hon204)。

 《映画『狼をさがして』を観た。3月に封切られた韓国の映画監督キム・ミレのドキュメンタリーで、1970年代に連続企業爆破事件を起こした「東アジア反日武装戦線」の思想的背景と事件後の関係者を追いかけた。人生のほとんどを安穏とした平和の中にいたと思い込んでいた私は、子供のころに見た新聞一面の写真を思い出した。爆破で飛散したガラスのなかに人が倒れていた。阿鼻叫喚の情景に恐怖は感じなかった。なぜなら、あさま山荘や「よど号」事件、爆破事件などが日常茶飯事の時代だったから。そう日本は熱かったのだ。映画の出演者も観客も、多くは寄せ場や野宿者運動、反核や戦後補償運動で見かける知己ばかりだった。熱い時代を生きた先輩たちの闘いは続いているのだろうか。その闘いは枝を広げるようにその根っこに「東アジア反日武装戦線」があるのだろうか。まるで懐かしいものを探すように「狼をさがして」やってきた人たちだった。(根岸恵子)》

   『●《われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。
     何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった》
   『●《「冷酷非情の狼」という印象》…でも彼らがなぜ「その闘争」を
     やらなければならないと思ったのか?、には耳を傾ける必要がある
   『●《浴田由紀子さん…自分たちは暴力ではなく、考えを広めるために、
      平和的に仲間を増やすべきだった。そうすれば社会は変わるだろう》

 《何もしないわれわれが、やったがゆえに死傷者を出してしまった彼らを、裁くことができるのか》(松下竜一さん)。映画『狼をさがして』について、松下竜一さんの『狼煙を見よ ―――東アジア反日武装戦線狼部隊』があまり話題に上らないのが不思議。
 もう何十年も前、当時の『草の根通信』の読者にしても、そうだった。《…拒絶反応だと断じざるを得ない。/…私は暗然とする。信頼してきた『草の根通信』の読者にしてこうなのかと思う。/一度焼きつけられた「冷酷非情の狼」という印象は消えることなく、大道寺将司という名だけで、もう拒絶反応が起きてしまうことになる。知ろうとする心を閉ざして拒絶する壁をめぐらせてしまうことほど、危険なことはないのだが》。
 《“大地の牙”メンバーだった浴田由紀子さん…「東アジア武装戦線の戦いに最も欠けていたのは、いま現在から革命後の社会を、物的に、人的に、思想的に、あらゆる領域から作っていく創造の戦いとして考え、実践することだった。敵を打倒し、破壊することよりも、味方を増やし、味方の力を育て、作り出す戦い方をしたいそれは『もう誰も死なさない革命』でもあるはずです」。未来は私たちの手に委ねられている》。


 佐高信さん《「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」だが、1964年の東京オリンピックの時に「朝日歌壇」の選者の近藤芳美がオリンピックの歌を1首も選んでいない、と指摘しているのは鋭い。…近藤が選んだ松下の「朝日歌壇最初の入選歌」である。まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった》。

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
   『●第八回竜一忌、涙が出ました:
                松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん

   『●松下竜一忌での小出裕章さんの講演が本に!!
   『●室原知幸さん「公共事業は法にかない、
               理にかない、情にかなうものであれ」
   『●松下竜一さんと松下洋子さん、そしてカン・キョウ・ケン
   『●「草の根」に思いは永遠に: 松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」
   『●《われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。
     何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった》

 松下竜一さん《「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」…まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった》。当時の朝日歌壇のある選者に関連して、松下竜一さんは《私たちの日々の現実生活そのもののようだ。たとえ首都に華やかに大会が展開されていようとも、私たちが繰り返すのは生きるための労働の日々なのだ》《ここには、そうしなければ生きてゆけぬ生活者の現実がある》と。
 その「豆腐屋の四季」の舞台は、いま、…。



   『●「従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く」…
            松下竜一さん「豆腐屋の四季」の舞台が取り壊し
    「東京新聞の佐藤直子記者のコラム【【私説・論説室から】
     竜一の愛した書斎】…。毎日新聞の大漉実知朗記者の記事
     【松下竜一さん 自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える】」

 『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』(全4巻)が、2005年10月に、リブリオ出版より。大活字版。講談社文庫版、河出全集版につづく3種目。



   『●『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』読了(1/2)
   『●『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』読了(2/2)

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http://www.labornetjp.org/news/2021/hon204

〔週刊 本の発見〕『狼煙を見よ』(松下竜一)

週刊 本の発見 毎木曜掲載・第204回(2021/5/13)
熱い時代を生きた若者の真の姿
狼煙を見よ』(松下竜一、河出書房新書)評者:根岸恵子

 映画『狼をさがして』を観た。3月に封切られた韓国の映画監督キム・ミレのドキュメンタリーで、1970年代に連続企業爆破事件を起こした「東アジア反日武装戦線」の思想的背景と事件後の関係者を追いかけた。人生のほとんどを安穏とした平和の中にいたと思い込んでいた私は、子供のころに見た新聞一面の写真を思い出した。爆破で飛散したガラスのなかに人が倒れていた。阿鼻叫喚の情景に恐怖は感じなかった。なぜなら、あさま山荘や「よど号」事件、爆破事件などが日常茶飯事の時代だったから。そう日本は熱かったのだ。

 映画の出演者も観客も、多くは寄せ場や野宿者運動、反核や戦後補償運動で見かける知己ばかりだった。熱い時代を生きた先輩たちの闘いは続いているのだろうか。その闘いは枝を広げるようにその根っこに「東アジア反日武装戦線」があるのだろうか。まるで懐かしいものを探すように「狼をさがして」やってきた人たちだった。

 私は「東アジア武装戦線」については彼らのようによくは知らない。映画を観てから、松下竜一が書いたこの『狼煙を見よ』を読んでみようと思った。そして暴力を肯定できない時代に生きるものとして、「なぜ爆弾なのか」という疑問の答えを知りたいと思った。

 大道寺将司ら「東アジア反日武装戦線」は地下出版した『腹腹時計』の中で「われわれは、新旧帝国主義者=植民地主義者、帝国主義イデオローグ、同化主義者を抹殺し、新旧帝国主義、植民地主義企業への攻撃、財産の没収などを主要な任務とした“狼”である」と宣言し、戦前戦後と日本帝国主義に収奪されるアジア諸国、主権や文化を奪われ皇民として天皇崇拝を強要されてきた先住民族のアイヌと琉球、植民地支配下にあった朝鮮半島、台湾への日本人の責任を「日本帝国主義者」の子孫として真摯に向き合うべきだと問うている。

 “狼“とは「東アジア反日武装戦線」の中の一つのグループである。グループは他に “大地の牙”、“さそり”があり、それらは独立して行動していた。互いに干渉しない、リーダーのいない運動は、いまでも序列を重んじる日本の社会運動の中にあって、斬新なことであったのではないか。この事件を知るにつけ、「東アジア反日武装戦線」にかかわった者たちの凶悪な”爆弾魔“というイメージは、実直で生真面目で正義漢のある若者の姿に見えてくる。しかし、今を生きる私の目からは、やはり視野の狭い身勝手な若者の姿はぬぐいようがない

 著者松下竜一は、なぜ「東アジア反日武装戦線」を書こうと思ったのか。本書の中にはそのくだりが詳述されているが、将司との繰り返されるやり取りの中で、次第に彼らに惹かれていく。

     (写真下=松下竜一)

 「安全な日本にいて『ベトナム反戦』を1000回叫んでも何の力にはならない。現実にベトナムの米軍を助ける働きをしている国内企業に爆弾を仕掛けることこそが真の連帯だという考えを、私は否定できないのです」
 「なんとしても、多くの人達に彼等のことを知ってもらいたい。爆弾魔というキャンペーンでぬりこめられ、獄の向こうに隔離されてしまった彼らの『真の姿』を知らしめたい」

 これは松下が、彼の機関誌を休刊したいという友人宛ての私信の中で述べたものだが、この文章を本書に入れた理由こそが、彼がこの本を書く動機の一つであったに違いないだろう。

     (写真左=松下竜一)

 『狼煙を見よ』の初出は1986年の「文藝」冬号であった。それから30年、この本は改めて出版された。歴史の真価は時間によってしか推し量ることができないのであれば、キム・ミレや松下竜一の心眼は、マスコミによって歪められた「東アジア反日武装戦線」を生きた若者の価値観と真の姿を再評価させるだけの意味を持つのだろう。

 さて、あの時と何が変わったのだろうか

 オリンピックの口実のために、明治以降、差別の上遺骨と文化を奪われてきたアイヌ民族は自らのアイデンティティを白老の象徴的空間に押し込められようとしている琉球処分によって失われた琉球の魂は戦争によって粉々にされ、土地は軍用地となり、今また辺野古を遺骨で埋められようとしている。アジアの自然を壊し、巨大なプランテーションを作り、人々は技能実習という奴隷労働をさせられている難民という弱者に入管は人間扱いをせず、さらにひどい悪法を突き付けようとしている

 

 インドネシアの女性はユニクロで働き、一方的に首を切られた。ミンダナオのバナナ農家は住友フルーツと不平等契約を結ばされ農薬被害と貧困に喘いでいる。日本のODAによる開発で家や土地、仕事を奪われそうになったモザンビークの人たち。ミャンマーの軍事政権に金を出す日本企業。挙げればきりがない。きりがない。ひどいことばかりだ

 アジアとアフリカの人々の血と涙で肥え太った日本企業、私たちはその恩恵を受けてはいないだろうか

 「多くの者は、不正に気付いても気付かぬふりをして、何もことを起こそうとせぬものです。東アジア反日武装戦線の彼らはいわば「時代の背負う苦しみ」を一身に引き受けて事を起こしたのであり、それゆえに多数の命を死傷せしめるというとりかえしのつかぬ間違いを起こしてしまったということです。その間違いだけを責め立てて何もしないわれわれが彼らを指弾することができるでしょうか極悪人として絶縁できるでしょうか。私にはできません。私は彼らの苦しみに触れ続けたいと思うのです」

 “大地の牙”メンバーだった浴田由紀子さんが、2002年の裁判で被告人として読み上げた最終意見陳述を、キム監督は映画の最後に取り上げている。

 「東アジア武装戦線の戦いに最も欠けていたのは、いま現在から革命後の社会を、物的に、人的に、思想的に、あらゆる領域から作っていく創造の戦いとして考え、実践することだった。敵を打倒し、破壊することよりも、味方を増やし、味方の力を育て、作り出す戦い方をしたいそれは『もう誰も死なさない革命』でもあるはずです」。

 未来は私たちの手に委ねられている
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●《松下竜一著…「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」…まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった》

2019年11月11日 00時00分51秒 | Weblog

[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]



佐高信さんによる、日刊ゲンダイでの書評【週末オススメ本ミシュラン/「豆腐屋の四季松下竜一著/講談社文芸文庫】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/260456)。

 《「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」だが、1964年の東京オリンピックの時に「朝日歌壇」の選者の近藤芳美がオリンピックの歌を1首も選んでいない、と指摘しているのは鋭い。…近藤が選んだ松下の「朝日歌壇最初の入選歌」である。まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった》。

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
   『●第八回竜一忌、涙が出ました:
                松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん

   『●松下竜一忌での小出裕章さんの講演が本に!!
   『●室原知幸さん「公共事業は法にかない、
               理にかない、情にかなうものであれ」
   『●松下竜一さんと松下洋子さん、そしてカン・キョウ・ケン
   『●「草の根」に思いは永遠に: 松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」
   『●《われわれは大きな不正を正すために何をしたというのか。
     何もしないからこそ、彼らのように重大な失敗を招くこともなかった》

 松下竜一さん《「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」…まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった》。当時の朝日歌壇のある選者に関連して、松下竜一さんは《私たちの日々の現実生活そのもののようだ。たとえ首都に華やかに大会が展開されていようとも、私たちが繰り返すのは生きるための労働の日々なのだ》《ここには、そうしなければ生きてゆけぬ生活者の現実がある》と。
 その「豆腐屋の四季」の舞台は、いま、…。



   『●「従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く」…
          松下竜一さん「豆腐屋の四季」の舞台が取り壊し
    「東京新聞の佐藤直子記者のコラム【【私説・論説室から】
     竜一の愛した書斎】…。毎日新聞の大漉実知朗記者の記事
     【松下竜一さん 自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える】」

 『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』(全4巻)が、2005年10月に、リブリオ出版より。大活字版。講談社文庫版、河出全集版につづく3種目。



   『●『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』読了(1/2)
   『●『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』読了(2/2)

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/260456

週末オススメ本ミシュラン
「豆腐屋の四季」松下竜一著/講談社文芸文庫
2019/08/18 06:00

 “時の人”の滝川クリステルが「おもてなし」とスピーチする映像が繰り返し流れる。

 それを“表なし”なら“裏ばかり”じゃないかと痛烈に皮肉ったのはお笑い芸人の松元ヒロだった。権力といちゃつかないホンモノの反骨芸人である。

 笑いということなら、環境権を掲げ、九州電力の火力発電所建設を阻止しようと裁判に訴えた松下のそれも強烈だった。敗訴の判決が出た時、松下は「アハハハ……敗けた、敗けた」と書いた紙を表示したのである。

 うなだれられるより、哄笑される方が相手は怖い。屈していないからだ。

 「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」だが、1964年の東京オリンピックの時に「朝日歌壇」の選者の近藤芳美がオリンピックの歌を1首も選んでいない、と指摘しているのは鋭い。

 「そのことに私は近藤先生の姿勢を感じる。先生がいつも凝視しているのは、私たちの日々の現実生活そのもののようだ。たとえ首都に華やかに大会が展開されていようとも、私たちが繰り返すのは生きるための労働の日々なのだ。たぶん、近藤先生は頑ななまでにそこに凝視をしぼって、無数に寄せられたオリンピックの歌(その大部分はテレビを観て作られた歌だろう)を、全首裁断したのであろう

 半世紀以上経った現在も事情は変わらない。問題は近藤亡き後、近藤のような選者がいるかどうかである。

   ○ようやくに魚売りかえる峡の道 蕎麦畑光る月夜となりぬ

 作者名は省かせてもらうが、オリンピックの歌が登場した週に近藤が首位に推した歌である。

 「ここには、そうしなければ生きてゆけぬ生活者の現実がある。オリンピックの感興が薄れた今、私の胸にひそやかに沁みて拡がるのは、月に白々と光るそば畑の景だ。時流のおりおりのできごとの陰にいとなまれる平凡な生活の歌は、一見つつましやかに、しかも時流とかかわらぬ命長い叙情を細く絶えることなく保ち続けるのであろうか」

 松下はこう述懐している。

   ○泥のごとできそこないし豆腐投げ 怒れる夜のまだ明けざらん

 近藤が選んだ松下の「朝日歌壇最初の入選歌」である。まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった

 ★★★(選者・佐高信
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●「草心」…石崎克雄さん《照る日も、雨風の日も、雪の日も。四十年続けている…「オレも貧乏したから」》

2018年01月03日 00時00分35秒 | Weblog

[※ アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg)]



東京新聞の佐藤直子さんによるコラム【【私説・論説室から】/石崎さんと「草心」】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017112702000164.html)。

 《東京の上野公園で寝起きしているホームレスの人たちに、毎朝欠かさずお弁当を配り続けてきた人。午前三時に起きだし、五升のコメを炊く。前日に下ごしらえした野菜や肉などのおかずを詰める。百食を七時前には作り終え、自転車の荷台に積んで公園に向かう。照る日も、雨風の日も、雪の日も四十年続けている。「つらくないですか」。返ってくる答えはいつも同じ。「オレも貧乏したから」》。

   『●自公投票者が目指す社会?、「公園の人の命を
      支えるためにかけずり回る石崎さんを思うと、情けなくなる」
    「東京新聞のコラム【【私説・論説室から】日照る夏、公園での闘い】…」
    《スポーツ飲料は一本百円。各地から寄せられるカンパで買っているが、
     暑さの厳しい今年は購入資金も足りなくなっている。かたや同じ東京で、
     五年後の東京五輪のために巨額の税金を投じ、最新スタジアムが
     建設される。工費や工期でずさんな計画が分かっても、主導した
     政治家は失敗の原因追及も責任所在もうやむやにしている。
     公園の人の命を支えるためにかけずり回る石崎さんを思うと、
     情けなくなる」…(佐藤直子)》

   『●自公投票者が目指す社会ってどんなモノ?
       アベ様の「政」、善政の例が一つも思い浮かばない…
    「雪降る冬も、猛暑の夏も…《公園の人の命を支えるためにかけずり回る
     石崎さんを思うと、情けなくなる》。自公投票者が目指す社会って一体どんなモノ? 」
    《ボランティア団体「赤銀杏(あかぎんなん)会」の石崎克雄さん(70)。
     …毛布がほしい。ジャンパーがほしい。頭の中を思いが駆けめぐり、
     紅葉を楽しむ余裕もない。石崎さんの格闘の季節が始まった。(佐藤直子)》

 「草心」…石崎克雄さんは《照る日も、雨風の日も、雪の日も四十年続けている。「つらくないですか」。返ってくる答えはいつも同じ。「オレも貧乏したから」》と。
 「」という一文字を思い浮かべた。「つよい」。《勁草の人》。

 一方で、この社会、アベ様の「政」を思う…情けなくなる。

   『●湯浅誠さん達の試み:  
      真に「苦境にある」人が救われない社会でいいのか?
   『●安倍首相殿、「先進国」の「首都」で凍死、
      そして、この寒空の路上に生活困窮者を叩き出したそうです

   『●「さっさと死ねるようにしてもらわないと」:
        麻生太郎副総理・安倍自公政権の本音

   『●「弱者に厳しく、強者に優しい」ドアホノミクスは
       「一番大切なものをないがしろにしているのです」

   『●「アベハラスメント」(©やくみつる氏): 
       こういう社会を目指してるんだ自公投票者達は?
   『●「生まれた環境に縛られる、子どもたちの夢」
               (『カナエール福岡応援ページ』)

   『●残酷な現実・・・自公支持者や「眠り猫」の皆さんのお好きな「格差社会」
   『●所詮「ト」構想だった:
      「地方自治への逆行」「何でもぶっ壊せばいいという暴論」


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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017112702000164.html

【私説・論説室から】
石崎さんと「草心」
2017年11月27日

 吐く息が白くなった。朝晩が一気に冷え込むようになるこの季節、やっぱり石崎克雄さんのことを書いておきたいと思う。

 東京の上野公園で寝起きしているホームレスの人たちに、毎朝欠かさずお弁当を配り続けてきた人。午前三時に起きだし、五升のコメを炊く。前日に下ごしらえした野菜や肉などのおかずを詰める。百食を七時前には作り終え、自転車の荷台に積んで公園に向かう。

 照る日も、雨風の日も、雪の日も四十年続けている。「つらくないですか」。返ってくる答えはいつも同じ。「オレも貧乏したから」。故郷茨城の抑揚を帯びた言い方がぶっきらぼうに聞こえるが、ボランティアとしてやり遂げるこのやさしさはどこから来るのだろう。公園の人のためにカンパや食材をかき集める。冬間近の季節は勝負時なのだ。

 公園の人たちは年をとり、心や体を病んだ人が少なくない。どんな事情であれ、公園にたどりつくしかなかった人を石崎さんは分け隔てしない。「ホームレスになったのは自己責任だ」「働けるのに働かないんだ」。彼らに対する非難めいた言葉も、石崎さんはのみ込んで一人ひとりの身の上を気遣う

 そんな石崎さんも七十一歳。好きな言葉は「草心(そうしん)」。踏まれても起き上がる雑草の気持ちで体が動くうちは公園に弁当を運び続けるという覚悟がこもる。石崎さんを支える人がひとり、ふたりと現れたら。 (佐藤直子
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●「従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く」…松下竜一さん「豆腐屋の四季」の舞台が取り壊し

2017年03月23日 00時00分34秒 | Weblog

[アサヒコム(2007年9月22日)↑:「69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一洋子夫妻=松下洋子さん提供」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220092.jpg


[アサヒコム(2007年9月22日)↑:「書斎の真ん中に置かれた松下竜一さん愛用のテーブル」(http://www.asahi.com/travel/traveler/images/TKY200709220088.jpg)]


東京新聞の佐藤直子記者のコラム【【私説・論説室から】竜一の愛した書斎】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017032202000142.html)。
毎日新聞の大漉実知朗記者の記事【松下竜一さん 自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える】(http://mainichi.jp/articles/20170313/k00/00e/040/131000c)。

 《大分県中津市に残る作家松下竜一さんの家が、昨年暮れに取り壊された。…「砦に拠る」…「ルイズ」…「記憶の闇」…。従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く》。
 《反戦、反権力のノンフィクション作品群や脱原発の市民運動家として知られた作家松下竜一さん(1937~2004年)が暮らし、デビュー作「豆腐屋の四季」の舞台にもなった大分県中津市船場町の自宅が昨年12月、市道の拡幅工事に伴って取り壊された》。

 洋子さんは《結婚してから夫と苦楽を共にしてきた家なので寂しい》と。《従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く》 《反戦、反権力のノンフィクション作品群や脱原発の市民運動家として知られた作家松下竜一さんのご自宅が、昨年末に、取り壊されていたとのこと…。《生前に書いた本があればいい。文学館や歌碑などはいらないと語っていた》ことから、取り壊しとなった。
 迂闊にも気付かなかった…。他に報じているところを探してみて、毎日新聞の記事を見つけました。
 でも、松下洋子さんや梶原得三郎さん、梶原和嘉子さんのご様子も知れて、良かった。《数千冊の蔵書は事前に運び出され図書館への寄託》、さらに、一般公開もされるようです。
 和嘉子さんの歌<竜一の愛した書斎こわれゆく 涙の雨の降りしきる中>。

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ
   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
   『●第八回竜一忌、涙が出ました:
                松下竜一さん「暗闇の思想」を語る小出裕章さん

   『●松下竜一忌での小出裕章さんの講演が本に!!
   『●室原知幸さん「公共事業は法にかない、
               理にかない、情にかなうものであれ」
   『●松下竜一さんと松下洋子さん、そしてカン・キョウ・ケン
   『●「草の根」に思いは永遠に: 松下竜一さんを追悼する“最後”の「竜一忌」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017032202000142.html

【私説・論説室から】
竜一の愛した書斎
2017年3月22日

 大分県中津市に残る作家松下竜一さんの家が、昨年暮れに取り壊された。市道拡幅の対象になったためだった。地方に根差し、反公害・反原発運動などを通じて戦後日本の矛盾を見つめてきた作家の話をじかに聞きたいと、六十七歳で亡くなる前年の二〇〇三年、訪ねたあの家が今はない。

 築五十年は過ぎていたその家は、若き日に営んでいた豆腐店の面影を残していた。土間に板を張っただけの書斎。そこが一日の居場所だった。食べて、寝て、客を迎え、孫が走り回る。生活のすべてが詰まったこの簡素な部屋から松下さんの思索はつむがれていた

 国家事業のダム建設に抗(あらが)う男の物語「砦(とりで)に拠(よ)る」、大正の「アナキスト」大杉栄伊藤野枝遺児を描く「ルイズ」、甲山事件の冤罪(えんざい)を訴えた「記憶の闇」…。従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く今日にそのまま通じる主題である。全三十巻の「松下竜一 その仕事」(河出書房新社)、「未刊行著作集」(海鳥社)は今こそ読まれてほしい。

 家の解体を見守ったのは七〇年代に地元で起きた火力発電所建設反対闘争以来の盟友、梶原得三郎さん(79)と妻の和嘉子さん(79)。数千冊の蔵書は事前に運び出され図書館への寄託を待つ。書斎が壊される時だけ雨が土砂降りになったという。和嘉子さんは万感の思いを歌に詠んだ。<竜一の愛した書斎こわれゆく 涙の雨の降りしきる中> 

佐藤直子
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http://mainichi.jp/articles/20170313/k00/00e/040/131000c

松下竜一さん
自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える
毎日新聞2017年3月13日 09時15分(最終更新 3月13日 09時31分)

     (自宅の書斎でくつろぐ在りし日の松下竜一さん
      =梶原得三郎さん提供)
     (市道拡幅のため取り壊された松下竜一さんの自宅
      =梶原得三郎さん提供)

 反戦、反権力のノンフィクション作品群や脱原発の市民運動家として知られた作家松下竜一さん(1937~2004年)が暮らし、デビュー作「豆腐屋の四季」の舞台にもなった大分県中津市船場町の自宅が昨年12月、市道の拡幅工事に伴って取り壊された。蔵書などは市立小幡記念図書館に寄託される予定で、同館が整理した後に一般公開する

 自宅は木造瓦ぶき2階建てで、かつては家業の豆腐屋を兼ねていた。松下さんは高校卒業後の1956年、貧困から大学進学を断念し、自宅で父親の豆腐作りを手伝いながら短歌を詠み新聞に投稿する生活を続けた。68年に短歌を軸に恋や青春の苦悩を描いたノンフィクション「豆腐屋の四季」を自費出版。後に講談社が単行本として出版するとベストセラーとなり、俳優の故緒形拳さん主演でテレビドラマにもなった。

 70年に豆腐店を廃業し、「無謀」との声もある中で33歳から文筆業に専念。豆腐作りの作業場を改築して書斎とし、下筌(しもうけ)ダムの建設反対闘争を主導した室原知幸さんを描いた「砦に拠(よ)る」(77年)や、アナキストの大杉栄の娘、伊藤ルイさんの半生をたどり講談社ノンフィクション賞を受けた「ルイズ-父に貰(もら)いし名は」(82年)など数々の硬派ノンフィクションを執筆した他、ミニコミ誌「草の根通信」を発行した。

 一方で「底ぬけビンボー暮らし」などユーモアあふれるエッセーも書き、老朽化した小さな自宅は読者にはおなじみだった。市民らから「せめて書斎は保存してほしい」などと惜しむ声もあったが、生前に書いた本があればいい。文学館や歌碑などはいらないと語っていたこともあって取り壊しを決めた。

 解体前には、「松下竜一の青春」などの著作がある福岡県築上町の元図書館司書、新木安利さん(67)が約4000点の蔵書と資料を引き取り、図書館へ寄託するための仕分け作業を進めている。解体した当日は雨が降り、松下さんの同志だった中津市の市民運動家、梶原得三郎さん(79)の妻和嘉子さん(79)が「竜一の愛した書斎こわれゆく 涙の雨の降りしきる中」と詠んで泣いたという。

 市内で長女と同居する松下さんの妻洋子さん(69)は「結婚してから夫と苦楽を共にしてきた家なので寂しい」と話している。【大漉実知朗】
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●松下竜一さんと松下洋子さん、そしてカン・キョウ・ケン

2012年06月29日 00時00分30秒 | Weblog


asahi.comの古い記事(http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200709220078.html)。

 偶然、下記の記事を発見。しかも、筆者は伊藤千尋さん!! なぜ伊藤さんなのかは知りませんが、短い文章ながら松下センセ洋子さんの二人の姿が活写されています。何かすごくうれしくなりました。写真も引用しようかと思いましたけれど、原文を是非ご覧ください。

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http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200709220078.html

豆腐屋の四季
松下竜一と洋子
2007年09月22日

 赤い夕日を吸い取るように、川面がオレンジ色に映える。シラサギが飛び、魚が跳ねる。

    (松下竜一さんと洋子さんが毎日足を運んだ川沿いの散歩道。
         市民の憩いの場として一年中にぎわう=大分県中津市で)

    (書斎の真ん中に置かれた松下竜一さん愛用のテーブル)

    (中津城裏にある河川敷公園。歌碑を建てる計画がある
                         =いずれも大分県中津市で)

    (69年、出版された『豆腐屋の四季』を手にする松下竜一、洋子夫妻
                                      =松下洋子さん提供)

 英彦山(ひこさん)から耶馬渓(やばけい)を経て周防(すおう)灘(なだ)に注ぐ山国(やまくに)川。大分県中津市の河口に延びる川べりを30年以上にわたって毎日散歩する夫婦が、町の風物詩となっていた。3年前に67歳で亡くなった作家松下竜一さんと妻洋子さん(59)だ。
 松下さんは冤罪事件をただしたノンフィクション記憶の闇』などを著すかたわら、火力発電所の建設に反対して環境権を主張する市民運動の先頭に立った。自ら「年収200万円の売れないビンボー作家」を名乗った。
 健康のためでなく妻と寄り添って歩くことのできる歓(よろこ)びをかみしめるために毎日3時間も散歩した。今、同じ道を歩くと、洋子さんはこの水門でカモメにパン切れをやった。あの橋の下に並んで座って2時間、何も言わず川を見ていたと懐かしく語る。
 ふたりが出会ったとき、松下さんは豆腐屋だった。生まれた直後の高熱で右目を失明し、母の急死で大学進学をあきらめ、家業の豆腐屋を継いだ。肺の難病で医者から絶対安静を命じられたが、毎朝午前2時に起き、日が暮れるまで、「言葉を持たぬ獣のように暗い眼(め)をして」働いた。
 25歳のとき短歌を詠み始めた。文法も知らぬまま油まみれの指を折って五七五……と数え、「胸中から噴き上げるもの」を書き付けた。初めての作品が「泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん」だ。孤独や恨み、怒りを歌にぶつけた。
 同じ年、豆腐を卸す食品店の娘に恋をした。まだ中学生だった洋子さんだ。高校生の時、洋子さんが学校から帰ると、机の上に短歌を書いた便箋(びんせん)が置いてあった。「我が愛を告げんには未(いま)だ稚(おさな)きか君は鈴鳴る小鋏(こばさみ)つかう」。内気な洋子さんの心がときめいた。
 歌の贈り物は1年以上続き、35首に及んだ。洋子さんが高校を卒業して半年後、結婚した。引き出物がこの35首を収めた歌集「相聞」だ。
 結婚後に松下さんが日々の生活を文と歌でつづった『豆腐屋の四季』は、連続テレビドラマにもなった。
 松下さん役の緒形拳さん(70)は69年、中津市を訪れて松下さんとともに豆腐の配達先を回った。そこで会った女性を見てハッとする。洋子さんの母三原ツル子さんだった。緒形さんは直感で「松下さんって、あのお母さんを好きですよね」と言った。松下さんはドキッとした表情を浮かべた。
 このツル子さんこそ絶望のふちにあった松下さんを救った人である。彼女と出会わなければ自殺していた、と松下さんは書いている。短歌を作ることも、洋子さんと結婚することも、松下さんに勧めたのは彼女だった。
 松下さんは生前、墓碑銘を刻むならこうしてくれ、と言い残した。洋子とその母を愛し、ここに眠る


いつも一緒にいるから

 すべてはこの夢想から始まったと松下竜一さんは書いている。
 絶望しかけた心に突然、希望がわいた。どうして、そんなことを夢想し始めたのだろう。なんにもいらない。私を愛してくれる人さえいれば。25歳の日記にそう記した。短歌を詠み始める半年前のことだ。
 苦しい時期が続いていた。極端に貧しく、上京した弟たちも仕事が見つからず仕送りを求めてきた。たった一人の親友は病死した。死のうと家出したが残した家族を思うと死ねなかった。
 豆腐を配達したさい、いつしか店先で三原ツル子さんと話し込むようになった。「変わり者」と疎まれた松下さんにとって、彼女はたった一人の理解者だった。そのツル子さんが、内気な娘の洋子さんの将来が心配だとこぼした。このとき松下さんは、洋子さんの成長を待って妻に迎えようと思った。
 同時に、ツル子さんに激しい慕情を抱いていることに初めて気づいた。洋子ちゃんを幸せにすることで、あなたへの愛も成就すると告げた。

          ♪  ♪  ♪

 母を慕い娘に恋する複雑な感情を、緒形拳さんは一目で見抜いた。ツル子さんに会ったとき「この店に配達に行くのが松下さんの生きがいなんだと思った」という。緒形さんと松下さんは生まれた年もつらい境遇での育ちも同じだ。顔も似ていて、緒形さんは「会った瞬間、兄弟かと思った。松下さんは私の仕事に共感し、彼の書くものは私にとってひとごとではなかった」と言う。似た者同士だからこそ、とっさに理解できたのかもしれない。
 母といえば、松下さんの優しさを育んだのは母の光枝さんだった。失明した右目のホシを「竜一ちゃんの心が優しいから空の星が流れてきたのだよ」と説明した。「星なんかいらない」と泣く松下少年に、母は「お星様が流れて消えたら、竜一ちゃんの優しさも心から消えるのだよ」と語りかけたという。松下さんは、早世した母の面影をツル子さんに見たのかもしれない。

          ♪  ♪  ♪

 夢想から4年後に結婚した松下さんは、11歳年下の洋子さんを大切に守ろうとした。仲むつまじさは近所の評判で、毎日一緒に散歩し、誕生日にはお互いに花を贈り、毎年旧婚旅行に出かけた講演で旅に出ても3日ももたずに洋子さんのもとに帰りたがり、友人たちはひそかに洋子病と呼んだ
 松下さんと一緒に市民運動をしてきた梶原得三郎さん(69)は洋子さんは無欲で素直で、物書きの奥さんにぴったりだった。松下さんは洋子さんがそばにいてくれて安心していた。気持ちの上でずいぶん洋子さんに寄りかかっていたと振り返る。
 松下さんが45歳だった1982年、私は「草の根通信」10周年の取材で、松下さん宅を訪問した。その後も93年に訪れたが、当時の洋子さんは口数少なく目を伏せて、松下さんの陰に隠れていた。今回、14年ぶりに訪れると、洋子さんが明るく変わっていた。
 若き日のことを洋子さんは母は私に『この人なら絶対に幸せにしてくれるから』と結婚を勧めた。嫌だと言えば母が悲しむと思ったし、『ま、いっか』と思い、意見も言わないまま結婚したと笑いながら打ち明けた。
 松下さんが脳出血で倒れたのは4年前だ。1年後、昏睡(こんすい)状態となった耳元で洋子さんがいつも一緒にいるからとささやくと、うなずいた。心臓が止まったが、洋子さんががんばってと手を握ると、再び動き出した。30分後、ありがとうという洋子さんの声を聞いたあと永久に停止した。

           ♪  ♪  ♪

 緒形さんは松下さんを横顔が神々しかった孤高の闘士で、やるべきことをすべてやって燃え尽きた、いい生涯だった。僕の中で松下竜一はまざまざと生きていると語る。ダム建設反対闘争を描いた松下さんの作品砦に拠る(とりでによる)』の映画化を考えている。
 福岡県築上(ちくじょう)町で米軍基地反対運動をする渡辺ひろ子さん(59)は、今も松下さんの遺影を基地のフェンスにかけて座り込む。梶原さんと友人の新木(あらき)安利さん(58)は、散歩道の川辺に松下さんの歌碑を建てようと計画している。「瀬に降りん白鷺(しらさぎ)の群舞いており豆腐配りて帰る夜明けを」の歌だ。
 洋子さんは今、娘と3人の孫と暮らす。散歩はひとりで、1日か2日おきだ。夜、眠れないときは北九州市の柳井達生さん(52)が作詞作曲した追悼歌「しろつめ草をふまぬよう」を聴く。散歩のさい、草も踏みつぶさないよう気遣ったふたりを歌ったものだ。
 松下さんの墓は家から歩いて10分ほどの墓地にある。『豆腐屋の四季』の印税で建てたもので、「松下家の墓」とだけ彫られている。洋子さんと一緒にお参りし顔を上げたとたん、上空をシラサギが一羽、飛び去った。

文・伊藤千尋、写真・藤脇正真


〈ふたり〉
 松下竜一さんは中津市で7人きょうだいの長男として生まれた。高校の成績は1番だったが、吐血して1年休学し文学を読みあさった。浪人中に母光枝さんが豆腐作りの作業中に過労で倒れ死亡。父健吾さんを助けて19歳で豆腐屋として働く。『豆腐屋の四季』出版後に豆腐屋を廃業し、33歳で作家となった。73年から火力発電所建設への反対運動に取り組み、機関誌「草の根通信」を編集、発行した。『ルイズ―父に貰(もら)いし名は』で講談社ノンフィクション賞を受賞。晩年は『本日もビンボーなり』などエッセーに本領を発揮した。
 洋子さんは市内の食品店の長女。子どもの名を連ねるとカン・キョウ・ケン環境権)になる。
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