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●3.11東京原発人災から2年が過ぎて

2013年03月11日 00時00分18秒 | Weblog


東京新聞のコラム『筆洗』(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013030402000101.html)。

 「何もなかったかのように、原発回帰に向かう安倍政権の姿勢が鮮明になってきた。地震列島に五十基を超える原発を造ってきたのは自民党政権だ。その自覚のなさに驚くしかない」・・・・・・全く同感。自公に手を貸す人の「自覚のなさ」にも。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013030402000101.html

【コラム】
筆洗
2013年3月4日

 小さな虫を地べたで観察し続けたファーブルは、『昆虫記』にこんな言葉を残している。<人間というものは、進歩に進歩を重ねた揚句(あげく)の果てに、文明と名づけられるものの行きすぎのために自滅して斃(たお)れてしまう日が来るように思われる>▼人類史で初めて投下された広島、長崎への原爆に続き、「レベル7」の福島第一原発の事故を経験した今、ファーブルの警句は原子力時代の到来を予言したのか、と思えるほど示唆的だ▼東日本大震災から来週で二年を迎える。津波で家を失った被災者の大半はまだ仮設住宅で暮らしている原発事故の避難者の多くは家に戻れるめども立っていない▼「かつてない大災害だったにもかかわらず、東京で暮らしていると、人々の被災者への思いが『少しずつ風化しているのでは』と感じることがある」と本紙の「東京下町日記」でドナルド・キーンさんは危機感をにじませる▼原発を動かしたい人々には、事故の風化は好都合なのだろう。経済産業省の露骨な人事が発表された。エネルギー基本計画を検討する有識者会議から、脱原発派の委員五人が外れ、推進派の学者や原発立地県の知事らに代わった▼何もなかったかのように、原発回帰に向かう安倍政権の姿勢が鮮明になってきた。地震列島に五十基を超える原発を造ってきたのは自民党政権だ。その自覚のなさに驚くしかない
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 この1年、何も変わらないどころか、自民党が復権し、原子力ムラの復活がより一層鮮明になり、事態は最悪の方に進んでいると言わざるを得ない。
 1年前のブログを振り返ってみると、事態は深刻。

   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う

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http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/d/20120311

 あの3・11から1年。あの時、個人的な事情もあり、こと(原発人災)の重大さに全く気付いていなかったし、ブログにも何も書いていない。2日後からようやく、それについて書き始めている。刻一刻と人災の側面が浮き彫りになり、いまに至っても、解決したと言える側面はほとんど無いといって過言ではない。メルトダウンした原子炉についても、冷温停止「状態」という言葉遊びで糊塗している。原発内部の状況はつかめていないし、知ることもできないのに。何が一体事故「収束」宣言なのか。ストレステストという計算ごっこでお茶を濁し、その〝計算された〟結果を易々と受け入れる原子力ムラお抱えの委員会。マスコミやネット、市民が騒ぎ過ぎる、不安を煽りすぎるという大御所〝ジャーナリスト〟子供にとっては20倍のリスクでは収まらないであろう年間20ミリシーベルトどころか、笑っていれば100でもオッケーと嘯く学者。市民、特に、罪なき子供達の側に立とうともしない司法。ジャーナリズムの根本としての批判精神なきマスコミ。その結果として、原子力ムラの望む原発再稼働・原発建設再開原発輸出に向けて着々と進んでいる。

 小出裕章さんの云う「たかが電気のために・・・」をよく考えるべきである。この1年目の節目に再度、松下竜一さんの「暗闇の思想」を想う。

   『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ

 再々度?、しつこく、再掲(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/e1b263002193a77c5f47ca07c54ff5f2)。『松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程』より。

   《「電気需要増加は必至ではないかという問いかけ・・・。・・・現在の電力に
    頼りきった文化生活そのものへの反省と価値転換であり、
    少数の被害者には目をつぶって成り立つ多数の幸福という暗黙裡の
    差別的発展への懐疑であり、さらに大きく根本的には、電力をとめどなく
    食いつぶしてやまぬ高度経済成長政策の拒否である」(p.107)。
    「・・・だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、
    その文化生活をこそ問い直さねばならぬと。/じゃあチョンマゲ時代に帰れ
    というのか、と反論が出る。必ず出る短絡的反論である。
    ・・・今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。
    ・・・/・・・ただひたすらに物、物、物の生産に驀進して行き着く果てを、
    私は鋭くおびえているのだ。/「一体、物をそげえ造っちから、
    どげえすんのか」という素朴な疑問は、・・・開発を拒否する風成で、
    志布志で、佐賀関で漁民や住民の発する声なのだ。・・・/・・・都会思考の
    キャッチフレーズで喧伝されるのなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの
    回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、
    〈闇の思想〉があらねばなるまい」(pp.116-117)。
     内橋克人さんの〈浪費なき成長〉につながる〈暗闇の思想〉。》
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