
『紙の爆弾』(2008年11月号)・『紙の爆弾』(2008年12月号)・『創』(2009年1月号) の月刊誌三冊、1月に読了。
『紙の爆弾』(2008年11月号)。
佐藤雅彦さん「農水省がひた隠す「事故米の真実」/発癌カビ毒「アフラトキシン」は〝毒素兵器〟として認定されるシロモノだった!」(pp.12-21)。「・・・多角的調整交渉 (GATTウルグアイ回戦) によって、日本は米国からコメ市場を〝門戸開放〟するよう迫られ、・・・/・・・つまり〝外米〟がカビや農薬で汚染されるのは必然の成り行きなのだ。トヨタやキャノンなど、経団連の顔役となっているような電子・機械産業が、輸出でゼニを稼ぐために〝国民の主食〟を犠牲にして外国から危険なコメが入ってくる羽目になったわけで、・・・」(p.13)。

【『紙の爆弾』(2008年11月号)・『紙の爆弾』(2008年12月号)・『創』(2009年1月号)】
小松玲子さん「年収200万円!!/「弁護士だってワーキングプア時代」の恐怖」(pp.22-28)。「〇五年、司法試験が変わった。従来司法試験は学歴不問、誰でも受験できたが、これが改められ、ロースクール (法科大学院) 卒業者、すなわち法律専門の大学院卒が最低条件に・・・、一念発起して司法試験に挑戦、弁護士に、・・・そういうことはできなくなる。/まずは多額の授業料を払ってロースクールに二~三年ほど通わなくてはならない・・・弁護士になれるのは金持ちの子息ばかりになってしまう・・・」(pp.24-25)。「・・・現行の法を批判する観点は出にくい・・・」(p.25)。なぜこのような施策が? 弁護士を変質させ、時の体制に物申すことを封じ込め、そういった弁護士の力を弱めるため。一連の司法改革は法曹を全て法務省の管理下にするための改悪。「国選弁護が法務省管轄になった」(p.26)。「日本司法支援センターは・・・徹頭徹尾、法務大臣 (実際は法務省官僚) により支配管理される上位下達組織・・・法務省が、国選弁護人までその支配下にいれるとはどういうことでしょう。これは弁護士の独立性を奪い、弁護士を支配下にいれるための制度・・・」(p.26)。つづく。
【『紙の爆弾』(2008年11月号)・『紙の爆弾』(2008年12月号)・『創』(2009年1月号)】
つづき。「日本司法支援センターは・・・徹頭徹尾、法務大臣 (実際は法務省官僚) により支配管理される上位下達組織・・・法務省が、国選弁護人までその支配下にいれるとはどういうことでしょう。これは弁護士の独立性を奪い、弁護士を支配下にいれるための制度・・・」(p.26)。「懲戒請求におびえる弁護士たち」(p.28)。「・・・橋下徹現大阪府知事が、光市の母子殺人事件の弁護人・安田好弘氏に対して行ったことで一般にもよく知られるようになったアノ制度・・・」(p.28)。
高田欽一さん「高速増殖炉「もんじゅ」の事故と動燃総務部長〝怪死〟 ―今なお謎とされる数々の「矛盾」を追う」(pp.64-69)。
『紙の爆弾』(2008年12月号)。
河村シゲルさん「三浦和義はアメリカと日本の「共謀罪プロパガンダ」に利用された!」(pp.14-18)。
【『紙の爆弾』(2008年11月号)・『紙の爆弾』(2008年12月号)・『創』(2009年1月号)】
『創』(2009年1月号)。保存しておくことに。
カラートピックス「麻生宅拝見ツアー逮捕事件/市民メディアに敗れた大手マスコミ」(pp.18-19)。
やはり、筑紫さんの特集。カラー「ジャーナリスト魂を忘れなかった/筑紫哲也さんの死を悼む」(p.24)。矢崎泰久・ばばこういちさん[悪友対談]「筑紫哲也さんとテレビジャーナリズム」(pp.26-33)。金平茂紀さん「大きく、広く、倒れない「共鳴板」」(pp.34-39)。岡留さん。
鈴木邦男・渡辺文樹さん対談「あわや乱闘になりかけた「天皇伝説」激論誌上再現」(pp.44-53)。

佐高信さんの「筆刀両断!」は、「昂まる異常識度」と題して奥田碩をやり玉に (pp.60-61)。
斎藤貴男さんの「「非国民」のすすめ」(pp.70-73)。前号の山際さんの批判について、「・・・面識のない山際さんよりも、こんな侮辱的な批判をそのまま載せた編集長の篠田さんに少なからず失望した。・・・何も知らないのに悪し様に罵るやり方はジャーナリズムではない。・・・こんな傾向に『創』までが侵されているようでは、日本のジャーナリズムは本当に滅びる」(p.73)。「今月の編集室から」(p.152) で篠田さんの歯切れの悪い釈明。
篠田博之編集長「テレビ朝日が掲げた「ドキュメンタリー宣言」」(pp.110-115)。
雨宮処凛さんの「ドキュメント雨宮革命」は「貧乏人、歩いただけで逮捕!!」(pp.134)。


『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』、1月に読了。木下昌明著 (木下さんのコラム)。影書房。1997年10月刊。『映画批評の冒険』(創樹社) に続く第2冊目の著書?
素晴らしい評論集。あまりタイトルについて深く考えずに読み始めた後、日本人論であることに気付く。深い。特に、労働者の視点が著者の特徴か。
黒澤批判 (pp.16-19、p.100)。
「必要以上に自然の変形・歪曲」した人工的な美化に対する批判 (p.37)。
共生に対置した資本主義システム、資本の論理批判 (p.47)。
「病気もの映画」批判 (p.62)。エイズと731部隊の関係。「かつての癩病者の隔離収容ではたした医学の非人間的体質・優生思想が、戦後五〇年たった日本の医療体制のなかに深く浸透していて、人間をモノのように扱っていることが理解できよう。この七三一部隊を生んだ戦前の非人道的な医学観がこんにちでも広く日本の医学界に浸透している・・・」(p.63)。
【木下昌明著、『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』】
「日本の「侵略性」をとらえるものの見かた」(p.101) が日本映画に欠落。大島渚監督 (p.111、119) も例外でない。「・・・反戦的な映画で、主人公がアジアの人々に残虐行為を働いたとしても、それが上からの強制であり、主体的ではなかったとする内面のアリバイづくり (被害者意識) を描くことに費やされていた (橋本忍の『私は貝になりたい』(一九五九年) がその典型例)」(p.187)。井筒監督が同様なことを指摘していた。
「・・・小林よしのりが・・・強制連行はなかったとか、あれは商行為だったとかいう立場から毎号のように「ごーまんかまして」いる。・・・わたしはふきだしてしまった。これはむかし・・・江藤淳が転向を表明した手口の二番煎じだったからだ」(p.144)。
伊丹十三批判 (p.227)。「・・・そのあざとい商売根性が、わたしの頭のどこかに引っかかっていたせいもある。・・・企業への忠誠心・自己犠牲の精神が肯定的にえがきだされる。そこにわたしは嫌悪をおぼえる。・・・これこそ体制の論理にほかならない。また、この意識は、戦争中の滅私奉公の精神と根っこのところでつながっている、うさんくさいしろものである」。

フリーターの「自由」に対する鋭い洞察と、新自由主義下での今日の労働者・労働環境の状況への正確な予見 (pp.236-237)。「・・・実態はその逆である。・・・安い賃金で使用でき、時間単位で過密労働を課すことができ、そのうえいつでも不要になれば「自由」に首にすることができる対象・・・。企業は何の保障もしなくてすむ。・・・日本の資本主義は、このように働く人々から搾取して太るだけふとってきた」。
山と川・海との連携。「連環する自然の体系」(p.267)。ダムの便益と、逆に、その建設による機能の破壊。「自然を破壊しなければ成り立たないこの社会のシステム (これを悪用する利権がらみの構造) のなかにその元凶がある・・・」(p.268)。
とにかく、教えられること多。非常に鋭い侵略戦争批判が随所に。

【松下竜一著、『豆腐屋の四季 ~ある青春の記録~』】
「夏の章」(第3巻)。
「暗い窓から」(p.19)。若き日の唯一の友人の死。
毎日新聞の特集ページ「わが道はるかなり」に登場 (p.76)。なぜ無名の松下さんを取り上げるのかを問われて編集委員曰く、「ほんとうの意味で生活詠を貫いている数少ないひとりとしてあなたを紹介する価値があるのです。生活の中に文芸が生きている例として尊いのです。発表の場が朝日であっても、そんなことは構いません」。
「今も、灯が・・・・・・」(p.124)。末弟の作る精霊船。
「秋の章」(第4巻)。
神経痛下での結婚式、新婚旅行 (p.56)。
広範な「読書」(p.68)。クライフ『微生物を追う人々』、中谷宇吉郎『冬の華』、アムンゼン『アムンゼン探検誌』。
「反戦デー」(pp.106-107)。恵まれぬ労働者の孤独。「一日の大部分をぬきさしならぬほど縛られている零細な家内業者のさびしい孤独・・・。私はひっそりと生活したい。・・・人に一滴の血もこぼさせることはできない。これは弱虫な私の絶対に曲げえぬ信条である。私の反戦思想の根である」。
「吾子誕生」(pp.131-132)。「父の生涯が、成功でなかったはずはない。今こうして孫たちが勢いよくつぎつぎと育ち始めているのだもの。・・・おれたちが、あの暗い日々、自らの血をほろびの血筋だなどと悩んだことが夢のようだ」。