blog-atom 2

…漁師アトムの航跡… ~ある沖乗り漁師の綴記~

【Transipment Carg】!

2021年03月09日 | モバイル

3月8日・小倉での荷揚げ後、博多へ…!


15時博多湾内で投錨。

9日、博多での荷積みであるが
2月26日に苫小牧でFULLに張り込み
27日白老での積み荷の際の排出後に残したバラスト海水約345t
3月3日・田子の浦での荷揚げ中に追加、
再度バラスト海水はFULLの状態。
4日、千葉市原での積み荷重量が少ない為
バラスト排出はなく、8日の小倉荷揚げ中にも排出はなし…




…9日、博多での荷積みは「Transipment Carg」となった…!




トランシップ」とは
<英語・別名称>Tranship

トランシップとは「積み替え」の意味です。

積み荷港から輸送された貨物を、途中の港で別の船に積み替えることを指します。

この後、最終的な積み降ろし港まで輸送されます。

大型船の運航上、いったんベースポートに貨物を集約した方が良い場合などで行われています。

アジアの主要港がこうした中継コンテナを積極的に取り込んでおり、

例えばシンガポール港は取扱コンテナ個数の8割、

台湾の高雄港は5割がトランシップ扱いです。

このように積み替えられた貨物のことを

トランシップ貨物(Transipment Cargo)と呼びます。

また、外航船で輸送された貨物を艀(はしけ)や
内航船などに積み替えて輸送することを
フィーダー輸送といいますが、
これもトランシップの一種です。
日本通運サイト内ページを参照

二十歳前に乗船した「母船式鮭鱒流し網漁」で揚網後、母船に着けた事を思い出した。

公海での秋刀魚漁外国籍船団も仲積み船に着け、洋上で揚げているのを見た事がある…

尚、バラスト海水
苫小牧湾内の海水約345tと田子の浦港内の海水約517tが

役目を終えて11日ぶりに全排出されたのは
博多港内となった…!
北海道から北九州…
船と共に長旅だった…。

船は次の荷揚げ地・岡山県の水島向け…!

【船舶銀座】!

2021年03月07日 | モバイル

3月2日・田子の浦での荷役が雨で中止となり、翌3日の荷役となった…

3日朝、くっきりと大きく望めた富士であったが、

荷揚げ後は小雨模様の天気となり、

雲の上にその頂だけを覗かせていた…

富士山を背に駿河湾から東京湾、千葉市原向け…。

4日・市原で荷を積み込み、湾内で錨泊

5日朝から北九州門司向け

しかし波が高く、一旦三河湾で投錨、6日早朝から追風で航行開始

三重県の志摩から和歌山県の潮岬までは、いつも船が揺れる気がするのは私だけか…

潮岬を通過後、風が強まり和歌山湾を向かい風で…

残念ながら鳴門海峡通過は日が暮れてからになった…。

大鳴門橋・瀬戸大橋・来島海峡第三大橋は暗い時間帯の通過となって

私の瀬戸内海巡りはおあずけだった…

…しかし船橋当直の方々は凄いなぁと感心する。

東京湾や瀬戸内海のこれだけ船舶が行き交う航路、

陸上の灯り・船の灯り・灯台の灯りと云う

多くのランダムな光、まるで内航船舶銀座のような混雑の中を操船して行く…。

私のような乱視では到底無理に思える…。

7日12時・関門橋通過…!

13時30分、小倉入港。


【ちきゅう】!

2021年03月04日 | モバイル

3月2日午後、田子の浦付近は錨地に適さないらしく、

清水港付近、三保の松原の裏側に位置する錨地へ…

凄い船がいた!

その名は「ちきゅう」…!
錨地で見る「ちきゅう」ライトアップも見映えがいい。

「ちきゅう」は、海洋研究開発機構地球深部探査センターの「地球深部探査船」
 
運航・管理及び掘削業務は、当初はJAMSTECの自主運用、
 
2006年からはシードリル社の協力の下で
グローバルオーシャンディベロップメント社が行ってきたが、
 
2008年からは日本マントル・クエスト社によって行われている。
全長: 210 m
深さ: 16.20 m
所有者: 海洋研究開発機構 (JAMSTEC)
母港: 清水港
運用者: 日本マントル・クエスト
 
Wikipedia参照
 
 

 


【富士】!

2021年03月03日 | モバイル

白老で積んだ荷を田子の浦向け中の伊豆・下田沖

八丈近海からの帰途航海中だった下田の友達の船とスライド…

LINEで連絡を交わす…!

「友よ」の海上版である…。

伊豆大島付近から海水温が上昇、船内は一気に暑くなった。

寒かった北海道から温暖な伊豆、太平洋沿岸の海水温もそうだが気候の変動も著しい…

曇りがちの空模様で懸念していたが、石廊崎から駿河湾を進むと富士山を望む事ができた…



見覚えのあるマーク・静岡県旗を久しぶりに見る…。

静岡は10代の2年を過ごした思い入れのある船員生活スタートの地…!

霊峰富士、さすがに神々しく雄大だ!


【庶民の魚説】!

2021年03月02日 | モバイル

現在、内航船舶に乗船中であることから、最近メールで聞かれる事がある…

「サンマ漁船がダメになったから内航船に移ったの?」

と云う主旨の質問ですが…

 

…「別にサンマ漁船がダメになったから内航船に乗っている訳ではありません」!

 

ただし、そう遠くない未来…

体力的に、もしくは若人の台頭によって身を引く時が来る事を想定し

その時にスムーズに移行出来るように、スキルアップしておきたい。

と云う自分の考え方に沿っての行動と理解して下さい…!

 

年齢と供に思考も変化し、これまでの数年間は

5年後10年後を思いながら働いて来たけど

これからは1年後2年後と云う短いビジョンにシフト…。

 

サンマ漁は不漁が続いていますがダメになった訳ではなく、

語られている「公海の外国籍船」説・「温暖化による海水温上昇」説など

一時的なのかどうかも含め、「神のみぞ知る」事であり

全ての漁に共通する「魚は限りある資源」である事を

反省を踏まえ再認識しなければならない事は必然です!


巷で語られているサンマは「庶民の魚」だったが高級魚なみの価格になった説…

 

漁師目線で、我々 (宮城県北部・気仙沼、南三陸地域で漁船漁業に携わった漁師達) を

例にした歴史を少しひもとくと

 

昭和後期まで、兼業漁船が多く(鮪延縄漁・鮭鱒流し網漁・イカ流し網漁・秋刀魚棒受け網漁)等

1隻で漁撈機械設備を換装して各々の漁を行う兼業漁船を主流に多くの人達が従事していた…

 

私の乗船当時、花形だったのが鮭鱒流し網漁と鮪延縄漁…

その漁期間の合間を埋めるような位置付けだったのが秋刀魚棒受け網漁…

いわゆる「裏策」と云われていた為に同じ一次産業でありながら

漁船漁業の中では低い扱いだった…

資源量も豊富だったがゆえに魚価も安く、サンマは庶民的な魚と呼ばれた。

 

時代が昭和から平成に代わる前頃から大きな変化が始まった…

 

鮭鱒流し網漁の中でも母船式が終焉し、各国の200海里規制によってイカ流し網漁も終焉

 

国際世論によって鮪延縄漁船の減船もあり、花形だった漁船漁業が一気に衰退

従事していた方々が多方面に移行していった。

 

兼業漁船も激減の一途を辿り、現在兼業漁船は僅か数隻…

その数隻も、秋刀魚棒受け網漁と近海カジキ流し網漁との兼業漁船。

 

鮪延縄漁船は遠洋大型船と近海中型船が現存するが、乗組員の多くを外国人研修生に頼る。

 

そして、自身が携わる秋刀魚棒受け網漁…

当時裏策と云う扱いだったサンマ漁だが

 

そのサンマ漁を日本人船員だけで、漁期間中のみ稼働している…

 

しかし近年の不漁によって、「庶民の魚が高級魚なみの価格になった」説が流れている…!

 

サンマ漁に関わる人達は、ある意味 生き残りをかけて従事しています!

 

あまり知られていないが、サンマ漁にかけるしかない漁師達も多い!

 

これが、不漁と魚価安だったらサンマ漁に従事する漁師達はいなくなる…!

そうなると、外国人研修生に頼らざるえなくなる…

 

ある程度、庶民の魚が高級魚なみの価格になるのもやむを得ない事も理解していただきたい。

乗組員、後継者不足問題もあるが、漁の存続の方が深刻なリアルかもしれない…。

私の中学時代の同級生は漁船漁業に携わった人が多いが

今現在の現実として、私一人だけが漁船に残っている…

一次産業も変わっていかなければ…!