blog-atom 2

…漁師アトムの航跡… ~ある沖乗り漁師の綴記~

【庶民の魚説】!

2021年03月02日 | モバイル

現在、内航船舶に乗船中であることから、最近メールで聞かれる事がある…

「サンマ漁船がダメになったから内航船に移ったの?」

と云う主旨の質問ですが…

 

…「別にサンマ漁船がダメになったから内航船に乗っている訳ではありません」!

 

ただし、そう遠くない未来…

体力的に、もしくは若人の台頭によって身を引く時が来る事を想定し

その時にスムーズに移行出来るように、スキルアップしておきたい。

と云う自分の考え方に沿っての行動と理解して下さい…!

 

年齢と供に思考も変化し、これまでの数年間は

5年後10年後を思いながら働いて来たけど

これからは1年後2年後と云う短いビジョンにシフト…。

 

サンマ漁は不漁が続いていますがダメになった訳ではなく、

語られている「公海の外国籍船」説・「温暖化による海水温上昇」説など

一時的なのかどうかも含め、「神のみぞ知る」事であり

全ての漁に共通する「魚は限りある資源」である事を

反省を踏まえ再認識しなければならない事は必然です!


巷で語られているサンマは「庶民の魚」だったが高級魚なみの価格になった説…

 

漁師目線で、我々 (宮城県北部・気仙沼、南三陸地域で漁船漁業に携わった漁師達) を

例にした歴史を少しひもとくと

 

昭和後期まで、兼業漁船が多く(鮪延縄漁・鮭鱒流し網漁・イカ流し網漁・秋刀魚棒受け網漁)等

1隻で漁撈機械設備を換装して各々の漁を行う兼業漁船を主流に多くの人達が従事していた…

 

私の乗船当時、花形だったのが鮭鱒流し網漁と鮪延縄漁…

その漁期間の合間を埋めるような位置付けだったのが秋刀魚棒受け網漁…

いわゆる「裏策」と云われていた為に同じ一次産業でありながら

漁船漁業の中では低い扱いだった…

資源量も豊富だったがゆえに魚価も安く、サンマは庶民的な魚と呼ばれた。

 

時代が昭和から平成に代わる前頃から大きな変化が始まった…

 

鮭鱒流し網漁の中でも母船式が終焉し、各国の200海里規制によってイカ流し網漁も終焉

 

国際世論によって鮪延縄漁船の減船もあり、花形だった漁船漁業が一気に衰退

従事していた方々が多方面に移行していった。

 

兼業漁船も激減の一途を辿り、現在兼業漁船は僅か数隻…

その数隻も、秋刀魚棒受け網漁と近海カジキ流し網漁との兼業漁船。

 

鮪延縄漁船は遠洋大型船と近海中型船が現存するが、乗組員の多くを外国人研修生に頼る。

 

そして、自身が携わる秋刀魚棒受け網漁…

当時裏策と云う扱いだったサンマ漁だが

 

そのサンマ漁を日本人船員だけで、漁期間中のみ稼働している…

 

しかし近年の不漁によって、「庶民の魚が高級魚なみの価格になった」説が流れている…!

 

サンマ漁に関わる人達は、ある意味 生き残りをかけて従事しています!

 

あまり知られていないが、サンマ漁にかけるしかない漁師達も多い!

 

これが、不漁と魚価安だったらサンマ漁に従事する漁師達はいなくなる…!

そうなると、外国人研修生に頼らざるえなくなる…

 

ある程度、庶民の魚が高級魚なみの価格になるのもやむを得ない事も理解していただきたい。

乗組員、後継者不足問題もあるが、漁の存続の方が深刻なリアルかもしれない…。

私の中学時代の同級生は漁船漁業に携わった人が多いが

今現在の現実として、私一人だけが漁船に残っている…

一次産業も変わっていかなければ…!