明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

12月10日

2006年12月10日 | 家族のお話。

もう、36年も前になってしまいましたが・・12月10日は弟の命日です。
ごめんなさい。少し、残っている記憶を書いておこうと思いました。
介護の話ではないので・・通り過ぎていただいて良いですよぉ。

弟は小学校1年でこの世を去りました。私が4年生の時でした。
小学校の前の横断歩道・・友達に呼ばれて、飛び出した弟は車にはねられてしまいました。そして、弟をはねた犯人は・・とうとう見つからずにいます。
交通事故で亡くなった弟・・それもひき逃げでした。

当時の事はスライドのように、断片的な記憶しかありません。
切り取られて、スクラップされた新聞記事のようにだけ、私の中に残っています。

弟が車にはねられた時・・救急車の音を聞いたのは、教室でした。
「誰か車にはねられたみたいだぞ・・」その声も残っています。
ただ・・弟じゃなければいいなぁ・・とだけは思いながら家に帰ったことだけ覚えています。慌しくシャッターを閉めている両親・・その頃、両親は洋服屋を営んでいました。

記憶は飛びます。

両親がいない部屋・・確か、母の弟夫婦がいてくれたんだと思います。
ランドセルについていた交通安全のお守りを握り締めて・・二段ベットで弟の命を助けて欲しいと願っていた私でした。
けれど、無常にも・・弟が亡くなったと知らせを受けて・・病院へ向ったのでした。
思ったより、ずっと小さい病院だったように思います。名前もしっかり記憶しています。個人名のその病院・・暫くは私の中で、弟を助けてくれなかった病院として残ってしまっていました。
ほとんど即死状態で、脳が潰れていたそうです。それでも一晩は、命を消さずにいた弟でした。
病院に着いた私が目にしたのは・・泣き叫び、弟の枕下の柵に頭を打ち付けて「私も死ぬ」と言っている母でした。
私の事など目に入っていない母を、父が泣きながら押さえつけていました。

それから、お葬式。
足を骨折した弟の為に、杖を入れたことを覚えています。

弟の同級生が、ハーモニカを吹きながら弟の出棺を見送ってくれました。
商店街の店の前、沢山の人が弟を見送ってくれていました。
私は、同級生のクリーニング屋さんのおかあさんに抱かれて泣いていました。
父も母も・・私の側にはいなかったのでしょうか・・。
火葬場へは、父と一緒に行ったように思います。
子供の葬儀には母親は行かれない・・あれ?母はどうしていたのでしょう。
火葬場で・・母の泣き崩れている姿もおぼろげながら残っています。

新潟から、祖父が弟の為にお経を読みに来ていました。
何日か滞在し、新潟に戻っていく時に浅草橋で当時流行っていた「抱っこちゃんベイビー」を買ってくれたのを覚えています。値段の安い偽者の人形でなく、当時結構高額なその人形を、ネダッタことまで覚えています。
まるで本物の赤ちゃんのように柔らかい身体でした。
20歳の時の火事で、焼けてしまうまで・・ずっと私の部屋にありました。

夜中・・狭い部屋に川の字になって寝ていました。
枕元に、弟のささやかな祭壇があり・・。
父が布団の中で声を殺して泣いていた・・そんなことも覚えています。

それからずっと・・多分、中学にあがるまで弟の写真をロケットペンダントに入れて首から下げていました。

弟は、私が言うのもなんですが・・とても出来た少年でした。
ひょうきんで、優しくて・・けれどヤンチャで女の子にとてももてていたのです。
入学して半年もたっていないのに、ラブレターをもらってきていた弟でした。
亡くなって何年も、必ずお参りに来てくれる女の子がいましたっけ。
頭もとても良く、当時・・N○Kの算数教室の生徒に選ばれてテレビにも出演したこともあり、両親・・特に母は、私よりずっと愛してやまない子だったと・・私はずっと思っていました。
うーん・・今でもかなぁ。ちょっとブラコンかもしれないですねぇ。

そんな弟が生きていれば・・今は43歳。
きっと、頼りになっていたんだろナァと・・思って止まないこの頃です。

そういえば・・大学病院に入院中・・母がこんなことを言っていました。

弟に会ってきたよって。
川のほとりに母の両親と幸せそうにくらしてたって。

それから、つい最近・・聖蹟桜ヶ丘駅に弟がいて、ホームで傘を持って立ってるのが見えたって。
お嫁さんは、可愛い人で・・弟の帰りを待ってるのが見えるって。

なんだかねぇ・・母の作話・・とも思いますが。

実はね・・私の次女の性格が・・弟にそっくりなんです(おぼろげなる記憶ですが)
生まれ変りなんじゃないかと・・思ってしまってる私です。

 サックスのソロを吹いてるのが・・次女でーす。



あーなんだか・・とんでもない話ばかり書いてしまいました。

でも・・もう一人の私の家族。
たった7年しか一緒にはくらしていなかったけれど・・今でも何かあると「頼むよ!」って、言ってる私です。

生きているから・・大変な事も、辛い事もあるけれど・・元気に明日も頑張らなきゃね。
親より先にだけは死なないように・・・身体に気を付けて頑張らなきゃね。
生きていれば・・きっと楽しい事だって、沢山あっただろうね・・。

弟よ、お姉ちゃんは・・ちゃんとパパもママも見とどけるからね


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25 コメント

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Unknown (モモ)
2006-12-10 09:46:51
久美子さんとご両親には そんな悲しい過去があったんですね。
人の命の理不尽さに何て言葉をかけていいのやら。。。でも何か書かずにはいられなくて。
自分も親だから。。。お母さんの気持ちを考えたら涙が止まりませんでした 
立派なかわいい弟さんだったんですね!
きっと天国で祖父母さんと かわいいお嫁さんに囲まれて 久美子さんやご両親のこと見守っていてくれますよ!
次女さん、きっと弟さんの生まれ変わりなんですね!私もそういうの信じます。
弟さんの分もいっぱい幸せにならなくちゃですね!!
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姉貴 頼むよ! (金魚)
2006-12-10 10:13:13
本当は生きたかったのに‥
父や母のことも本当は自分にまかせてもらいたかったのに‥
姉貴にばかり面倒をかけるね‥ごめんね

弟さんはそんなこと思っているのかな~

生きたくても生きられなかった人がいます。
生きている人はいつまでもその人のことを忘れないで、その人の分もいっぱい生きてください。
そして、その人の分の喜びや楽しみもいっぱい味わって生きなきゃ‥‥
久美子。さんは決して一人じゃない!
弟さんが青い空からいつも見守ってくれています。

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そうだったのですか (未歩)
2006-12-10 10:44:52
久美ちゃん、弟さんが本当はいたって知っていましたが・・・
そんな悲しいお話だったんですね。

お母さんをあの世に連れて行かなかったのも
お母さんがおっしゃられた幸せに暮らしているって言うのも
本当ですね。

久美ちゃんの次女さんが弟さんに似ているのも
魂が次女さんに入っていて見守ってくれているのだと
信じます。

今日、夫は親戚の法事に行っています。
私は家で留守番ですが、弟さんのこともお祈りさせてもらいます。

※追記
久美ちゃん、この前、雪は降っていないの。
二十四節気っていれなかったから、
大雪=おおゆきになって「たいせつ」って
読んでもらえなかったの。
北海道は雪だものね。北海道のブログ友さんに誤解を与えました。
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いつでも一緒!! (ちえまる)
2006-12-10 11:41:32
久美子さん、
文章を読みながら、こみあげてきて久々に泣いてしまいました。
家族みんなつらい思いをされたんですね。
いろいろあったんだね。
でも、きっと弟さん、姉さんの事、しっかり見守ってくれているよ。
元気でいることが何よりも弟さんへの供養になると思います。
心より今日の命日が素敵な日になるよう祈っています。
頑張れ久美ちゃん!!
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Unknown (八兵衛)
2006-12-10 13:43:27
読んでいるうちに、うずくように胸が痛くなりました。

久美子さんの想いも天国の弟さんに届いていて、
そして皆さんのことをきっと見護り続けている、
と思いますよ。

久美子さんの心のなかで生き続けている弟さん、
脂の乗り切った43歳のナイス・ガイ! ですよ。
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Unknown (wool)
2006-12-10 20:53:30
人って強いものですね。

子供が死ぬという、人間にとって最高の不幸に見舞われても、久美子。さんのご両親は生きて働いて娘さんを育ててこられたわけですし。
そして年を取ってから体が不自由になっても、毎日頑張って生きておられるんですから。

弟さん、生きておられたら43歳ですかー。
っていうか次女さんに生まれ変わっているんじゃ?
うんうん。私はそういうの、メチャメチャ信じますよ

この週末は、あちこちで泣かされてばかりですー。
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弟さんが・・・ (ネコ)
2006-12-10 20:54:47
弟さんが、ご自分がご両親にできない分も
久美子さんにたくさんの親孝行の機会を与えてくれているのかもしれないですね。(*^_^*)

怒ったり泣いたりも多い毎日ですが
こんなにたくさん親孝行もできている自分は幸せだな
と思うことも多いです。



PS.我が家も15年前に火事にあってます。
  生きているといろいろありますね・・・。
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Unknown (ウルル)
2006-12-10 22:50:28
我が子を亡くすって、親にしたら身を切るより辛いよね
弟夫婦を見ていると 本当に切々と感じるよ
姪も今年で丸3年たった。生きていれば13歳

でも、悲しくても親は生きていかなきゃいけない
久美子さんのご両親も 久美子さんが居たから生きてこられたのだと思う。
久美子さんの存在が 心の支えだったのだと思う

ホントに、 想像しただけで気が狂いそうになるよね
絶対 親より先にはいってほしくないと願うよね

弟さん きっといつも見守ってくれているよ
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辛かったですね (nonnko)
2006-12-11 11:37:44
そんなことがあったんですか?
弟さんは空の上で久美子さんの「頼むよ」聞いていますね。お母さんは・・弟さんに{まだまだくるのは早い・ボクの分も生きて・・」と言っているんですね。
弟さんの生まれかわりの次女さん・・あると思います。きっとそうです・・・私・・信じます。
お母さんの検査結果・・デイサービスでは・・みんなと同じ昼食。おやつ・・賛成です。
今回も・泣いてしまいました~久美子さん元気でね
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Unknown (nonnko)
2006-12-11 11:42:57
またまたスミマセン
間違いです。
お母さんは・・でなく・・お母さんに弟さんは・・
です。ゴメンナサイ{汗}でした。
久美子さんゴメ~ン
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