明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

復活記念日。

2006年11月03日 | 家族のお話。

   箱庭でござります。

 ピントが・・ブレブレ

箱庭に咲いたピンクのトレニアです。白のトレニアもまた一つ開きました。
冬になる前に慌てて花を咲かせているのかナァ。
トレニアのおかげで、随分と楽しませてもらいました。
ピンクのカスミソウもかわいいでしょ。
全て・・二度咲き目の花です。
復活の記念日に・・ふさわしい花達でしょう



一年前の今日の夜・・・脳浮腫の為に意識が薄れていく母の頭蓋骨の一部分、外すための手術を受けたのでした。
再び戻った母は、ICUにいて・・日毎に脹れて膨らむ身体。皴も無くなり・・風船の用に膨らんだ顔。点滴と沢山の管を付け・・監視装置の中で二週間、麻酔で眠り続けていた母でした。
そして、あの日からも一年が過ぎました。

今週は、母の状態(認知障害)も大波小波でした。
まるで回線が遮断されたように、現状把握が出来なくなります。
いろんなことが理解できているのに、いろんなことを納得出来ないでいます。

まだまだ・・私も父も・・上手に話を合わせたり、母の世界を理解出来ずにいます。
頭ではわかっているけれど、あまりにしっかりしている母が見えるとき・・それ以上にわかってもらいたいと・・いつのまにか必死になってしまいます。

薬の影響が完全に無くなった母の健常側・・右手右足は、筋肉も大分戻ってきました。
リハ病院にいた時には考えられなかった一人介助のトイレも、今は腰にブロック注射をお願いせずとも大丈夫なくらい、楽になりました。
片手で寄りかかる母の身体を支えつつ・・片手でリハパンもズボンも上げることが出来ます。父の手を借りずとも、一人で車椅子に移乗も出来るようになっています。
日常会話も十分だし、気配りも変りません。

ただただ・・今の自分の状況をわからないことだけを除いては・・・。
そしてそれは、怒りとなってしまいます

父や私にぶつけるしか・・ないんです。
わかってもらいたいと・・母も同じように必死なんでしょう。
それも・・少しづつわかってきました。

わかっているのに・・お互いに譲れない時があるのです。
特に父・・今までの気丈な母を探します。
それから、病弱な父がいつも母に言われていたことなんかを説教しちゃったりして


「どうしてわかってくれないの?」


正しい答えなどないのです。
見えてる今が違うのだから。
否定も肯定もせず、安心と安堵を与えたいと願っても・・うまく抜け出せない時もあります。
そんな時はどうしても・・理解してもらおうと必死になり・・堂々巡り。

「わかった」って言ってくれる母を待つしか出来ない不出来な娘です。
「そうだね」って言ってしまえば・・良いものを。

現在母は、食事介助が一切いりません。
たまにこぼすことはあっても、しっかり全てぺロリと食べきります。
左側空間無視のために食器の位置だけ移動してあげれば・・父の食べるスピードの倍の速さで完食です。
そして・・食べた後・・お腹が空いたと言うのです。
摂食障害でしょうか・・食べても食べてもお腹が一杯にならないようです。
「いつどうなるかわからないのに、食べたいものも食べれない」・・母は怒りで一杯でした
どんなに母のことを考えて想っているか・・コンコンと説明開始です。
「病院へは戻らないで、家にいて欲しいから・・」
「インスリンの注射・・痛いでしょ。もう痛い想いなんてさせたくないのよ・・」

そのうち母の怒りも治まって、今度は悲しみに涙します


体力を戻す為の食事量は十分だとわかっているので、この何日かは食事の時間がとっても恐怖でした。
母自体が自分の食欲に驚き、食事をしたのかどうなのかも忘れちゃうなんて・・これは本当に認知症だって・・ポツリとつぶやいていました。
その度に「そこまでわかってるなら全然大丈夫じゃん!」
それが精一杯の私です


ホンノ少し前の今。
わからない時があるのです。

けれど、それを寝て起きても(次の日の朝)ちゃんと憶えている母もいます。
そうなると・・単純な私は、これなら大丈夫なんじゃないかと、勘違いかもしれないけれど思ってしまいます。

怒りを爆発させた次の日の朝に「昨日はごめんね」って言ってくれる母なんです。
「大丈夫!全然気にしてないよぉ~こっちもごめんね」
「謝らないで・・久美子は何も悪くないから・・いつも心の中でごめんねって思ってるんだよ」って。

心と頭の回線が・・繋がったり切れたり・・。
まだらボケ・・なんて嫌な言葉ですが、でもそれがピッタリとくる今の母です。

何もかも・・憶えているのは辛いから・・「忘れる」っていうことは、何よりの神様の贈り物だって聞いたことあるけど。
本当にそうだと思う時と、切なく悲しく思う時と、それでも笑って過ごせる日々を、今は大事にしなきゃいけないのだってことだけは・・なんとなくわかってきた気もします。そんな日々を繰り返して・・それでもいつか・・
「そんな日もあったね・・」って、笑える日がくることを信じて。

先日のディでは、車椅子で近くの県立公園の植物園へ連れて行ってもらえました。
ディから車で数分の、数え切れないくらいに通った県立公園です。
帰ってきた母は、秋の一日を楽しめて・・とても明るい顔でした。
食事時間のみが、一日の車椅子に座っている精一杯の長さだった母が、ベットに戻ることを拒むようになるなんて・・本当に母の頑張りと、薬の怖さを心底思う今です。
その母の体力の復活に伴って・・呼ばれる回数も増えるこの頃。
夜中のトイレ介助も二度三度。
流石に・・父はボロボロになってしまっています。
私も、母の体力に負けそうです
けれどそれは、本当に何より嬉しい出来事です。
ベットで過ごす時間より、車椅子で過ごす時間が本当に増えたのだから。


そして、前回の担当者会議での話し合いもふまえ・・母のディが一日、今月から増える事になりました。

その方が、狭い部屋に父と母とでいるよりも・・じっとしていることの苦手だった母の以前を考えると・・幸せなのかナァとの結論になりました。
それは、父と私の休息の為にも・・要介護5のご褒美です。

 

母へのご褒美もありました

昨日は、母の友達二人が遊びに来てくださって、母を車椅子に乗せてお散歩に出てくださいました。もう何度も来てくれている元同僚、同郷の友です。
そして念願の、近くのスーパーへお買い物までしてきました。
本当は私がするはずだった「車椅子でのスーパーデビュー」です。

孫へのお菓子の「ジャガ○コ」今日のからあげの為の「ヘルシーライトの○ャノーラ油」多分お茶飲みながら食べようと思ったのか「串だんご」それから・・コナスの漬物。
母が行きたい・・もしくは、行ってきた。って言ってた「お買い物」でした。
私が・・友達が沢山働いているスーパーに足を運ぶのを躊躇っていたのと、なかなか暖かい時間帯に余裕のなかったので・・。(あ~言い訳
みごと、スーパーデビューを果たして来た母でした。

そして、三人・・夜中の三回のトイレコールにヨレヨレの父を二階に追いやって。
一年ぶりのランチです。
お弁当屋さんの「ホカ弁」で買ってきたコナスの漬物と、お茶で

泣いたり、笑ったり・・本当に楽しそうな声が聞こえていました。
時々、話が見えなくなったりしたそうですが、上手に交わしてくれていたようです。
そして・・次回の約束もして、帰って行った母の友達でした。

本当に本当に・・良かった~ね