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80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

LSI Portable Game サブマリン SUBMARINE・バンダイ

2015-05-26 18:11:08 | 電子ゲーム



 こちらは、1978年頃にバンダイより発売されたLSI Portable Game サブマリン SUBMARINE


 世界初の携帯型の電子ゲームとして、76年に米マテル社よりMattel Auto Raceが発売された。これは、大規模集積回路(LSI)チップによって制御されたゲームを、LED(発光ダイオード)をディスプレイとして使用し、表現するという当時としては最先端の玩具でした。これは日本でもマテル社の手により、マテル・ゲームシンジケートシリーズとして売られていましたが、一部はバンダイからも輸入玩具として販売されていました。このLSIゲーム サブマリン SUBMARINEは、それらのマテル社のLEDゲームを参考に作られた、国産電子ゲーム最初期のものだと思います。同時期にサブマリン、コンバット、ゴルフコンペの3種類で発売され、後にミサイルベーダー、チャンピオンレーサー、スーパーミサイルベーダーがラインナップに加わりました。


 ゲームは、駆逐艦を操作してソナー音を頼りに、見えない潜水艦を沈没させるというもの。似たようなアイデアとしては、68年に米国アイデアル社より発売され、日本ではエポック社から販売されていたレーダーサーチゲームというものがありました。バンダイからは、蛍光表示菅のゲームとして潜水艦と駆逐艦側に分かれて2人で対戦できるUボート大作戦、太陽電池を使用して2面構成で遊べるLCDゲーム激戦Uボートというものも出ていました。また79年には、ナムコからサブマリン(Submarine)という潜水艦の潜望鏡をのぞいて魚雷で駆逐艦を攻撃するエレメカもでていて、この箱絵のイメージだと、エレメカのサブマリンに近いかなと思います。


 ハンディタイプということと、LSI使用ということをパッケージでは強調しています。日本の電子ゲームとしては、ほぼ最初期のものなので、小型なのに高価ということで買うほうも躊躇することがあったのかも。こちらも、マテル社のゲームシンジケートシリーズを参考にしたようなデザイン。


 取り説と保証書。当時の玩具やゲームは非電源系のものも多かったので、保証書というのも珍しかったかも。買ったお店のスタンプを押してもらって、それもまた誇らしかったりした。


 操作系統は、電源スイッチ、アクション(移動)キー、攻撃スイッチとシンプル。本体には、MADE IN JAPANの文字が。日本国内で、ものが作られていた幸福な時代。


 ゲーム画面は、このような感じ。赤く光って見えているのが駆逐艦(自機)。潜水艦はまったく見えず、音でしかその存在を確認できない。これ以外に、時折画面を赤い光が左右から横切って行くことがあり、これは敵の魚雷攻撃のため、避けなければ一発でゲームオーバーになってしまう。また弾数制限があって、一定数の魚雷を撃ち終えたところでゲームは終了となる。バンダイの初期LEDゲームには、バージョン違いがあってむき出しのLED球が自機のバージョンと、キャラクターの形に抜かれたオーバーレイを使用したバージョンがある。こちらは、自機が船の形をした後期型。


 敵の探索はソナー音によって行う。駆逐艦の周囲に潜水艦が潜んでいる時に、ビーッ、ビーッと長めのソナー音。真下あるいは上下にいるときにはビッビッビッとソナー音が早くなる。実際には、ジッジッジッ・・・ジジジジ・・・といった感じの音の変化だけど。この時に、攻撃ボタンを押して攻撃をする。


 ビーッ、ビーッが(1)、ビッビッビッが(2)の場合。(2)の場合だと縦三列の中のどこかに潜水艦がいることになる。これが、妙に分かりにくいルールで、子供の頃はうまく理解ができなかった。(2)の場合でも、ほとんど中央でしかヒットせず、上や下の位置で魚雷を投下しても外れてしまう。もちろん中央で投下しても空振りしてしまうことはある。そのために余計に混乱した。逆を返せば、魚雷を避けながらビッビッビッとソナー音が短くなるところを探し、ある一定のタイミングで中央で攻撃しているだけで、簡単にカンストに持っていけた。ミサイルベーダーでもこの永久パターンがある仕様だった。


 アクションキーで移動して、ソナー音が短くなる場所を探り当てたら、魚雷を投下。撮影の都合上、左手だけでやっていますが、実際には両手で遊びます。


 このバンダイの初期LEDシリーズは、ほんとうにマテルのLEDゲームによく似ていた。9V電池という変則的な電源を使用するところも同じ。大きさは、マテル社のものが一回りほど小さい。このシリーズのミサイルベーダーがヒットしたためか、バンダイの初期電子ゲームは、箱の絵や筐体のデザインなど共通のフォーマットで作られていた。マテル社のものは、海外製の高価な玩具というイメージだったが、このバンダイのシリーズのおかげでグッと身近になった。


 当時の思い出としては、このサブマリンは買ってもらって持っていた。同時期に、戦車と地雷戦を題材にしたコンバット、ゴルフを電子ゲーム化したゴルフコンペがあって、どれが良いか目を皿のようにして見比べ、熟考して買ってもらった。エレメカよりは高度だったけれど、やはり単純なものなのでしばらくすると飽きてきてしまうのはお約束。分解して内部構造やLSIを見ようと試みたのもお約束だった。最後はどうなったか、覚えていない。中古の玩具を買い取ってくれるところなどなかったはずなので、いつの間にか燃えないごみに出されてしまったのだろうか。


 ということで、今見ると大人びているというか、舶来品の香りがするというか、大変クールなLSI Portable Game サブマリン SUBMARINEでした。



参考:帰ってきた電子ゲーム、山口 浩の「汚い部屋」

LSIパワースポーツ どすこい熱血場所・バンダイ

2015-05-17 15:32:06 | 電子ゲーム


 これは、1992年にバンダイより発売されたLSIパワースポーツ どすこい熱血場所


 バンダイが80年代の終わり頃から、90年代に掛けて展開していたポケットクラブシリーズの中の一作。電子ゲームが、ショーケースの主役を張る時代はとっくに終わっていましたが、キャラクターなどを使用して手軽に遊べるミニゲームとして、電子ゲームは復活遂げていました。その後もたまごっちやデジモン、キーチェンのゲームなど、定期的にブームが起きています。恐竜が滅んだと思っていたら、実は鳥へと進化して大繁栄していたみたいな。このポケットクラブシリーズは、ドラゴンボールやセーラムーン、戦隊ものなど定番のキャラを取り入れつつ実に100種類以上が発売されました。実は、電子ゲームブーム期のゲームデジタルシリーズよりも多かったり。


 このどすこい熱血場所は、ポケットクラブのP-1ワイドというスクリーンが大きくなったタイプのLSIパワースポーツというスポーツものの内のひとつです。このポケットクラブシリーズは、おおよそ2,980円~くらいで展開されたシリーズで廉価であることが大前提のため、液晶画面が小さく往年のゲーム&ウォッチのような高級感は望めません。ただ、このP-1ワイドではスクリーンが大型化されているため、価格の割には立派に見えるというシリーズなのでした。


 右側に4方向の移動ボタン、左側にアタックボタンとレベル選択のモードボタンという構成。


 ゲーム内容は、4方向ボタンを使用してうっちゃり山、ちゃんこ海のどちらかの力士を上下3方向に操作、アタックボタンを押しながら操作ボタンの上で張り手、操作ボタンの下でうっちゃりの技を仕掛け、相手の力士を倒します。相手を倒すか、制限時間を迎えると水入りとなり、土俵際に付き人が登場。付き人のところで体力ゲージを回復させます。そのまま次の取り組みへというのがゲームの流れ。パワーのうっちゃり山、技のちゃんこ海と選択するキャラの性格付けもされていて、後期のものだけあってなかなか凝っています。このシリーズは、廉価なのが売りであったので、既存のゲームから中身を流用し、そのままキャラクターだけを変えたというパターンが多い。これはバンダイのゲームデジタルのスモウとも違うし、ザ・プロレスとも違います。何かヒーローものとか、キャラクターものから持ってきているのかもしれません。


 こちらは、1987年にテクモより発売されたファミリーコンピュータ用ソフトつっぱり大相撲。相撲というと昔は、地味なスポーツとかおじさん向けというイメージが強く、プロレスと比べても子供の人気はいまひとつでしたが、90年代前後には若貴兄弟が登場、千代の富士の引退や外国人レスラー、小錦、曙、武蔵丸の活躍ともあいまって急速に華やかになり、相撲ブーム、若貴ブームと言われるような人気を誇っていました。それまではプロレスと比べると漫画になったりゲーム化されることも少なかったのですが、この頃までには急速に数を増やしていきました。



 以前に調べてみた相撲ゲーム一覧。やはり相撲人気が盛り上がった90年前後が多いですね。

ボードゲーム 大相撲ゲーム/タカラ(77)
ボードゲーム 川崎のぼるの相撲ゲーム/エポック社(エポックまんがゲームシリーズ)(78)
エレメカ 熱戦大相撲ゲームデラックス/エポック社(発売年不明)
エレメカ すもうゲーム/エポック社(80)
ゲームデジタル SUMOU スモウ/バンダイ(82)
AC 大相撲/データイースト(デコカセ)(84)
AC 出世大相撲/テクノスジャパン(84)
FC PCE SFC Wiiつっぱり大相撲/テクモ(87 92 93 09) 携帯(03)バーチャルコンソール(07)
FC 寺尾のどすこい大相撲/ジャレコ(89)
FC 千代の富士の大銀杏/FACE(90)
FC SDバトル大相撲/バンプレスト(90)
SFC スーパー大相撲熱戦大一番/ナムコ(90)
GB 相撲ファイター 東海道場所/I'MAX(91)
SFC 大相撲魂/タカラ(92)
エレメカ 大相撲ゲーム めざせ大関/TOMY(92)
LSI Pクラブ パワースポーツ どすこい熱血場所/バンダイ(92)
SFC 若貴大相撲 夢の兄弟対決/イマジニア(93)
SFC 横綱物語/KSS(94)
GG、GB、MD ああ播磨灘/セガ(アスク講談社)(93)
N64 64大相撲/64大相撲2/ボトムアップ (97 98)
PS 日本相撲協會公認 日本大相撲/~格闘編/~激闘本場所編/コナミ(00 01 02)
PS シンプル1500シリーズVol.58 Theすもう/D3パブリッシャー(01)
 
 相撲は、技数も多いし、張り手、うっちゃりなど駆け引きも大きなウエイトを占めていて、パワーやスタミナの要素もあります。番付(ランク)が上がっていくという制度も面白いため、上手に作られたものであれば、なかなかゲームに向いている競技だと思います。


 個人的な思い出としては、当時は存在自体を全く知りませんでした。Pクラブシリーズ自体も、ドラゴンボールのものをいくつか知っていた程度で、ほとんど関心が向かなかった。このシリーズ、今も特に人気がないし、プレミアなどが付くものでもないため、リサイクルショップなどの片隅に無造作に置かれていたり、壁にかかっていたりします。安い価格で置かれているのを見つけると、ちょっとだけ嬉しくなって購入してしまうような気軽に入手できる良さもあったりします。


 ということで、LSIゲームとしては大変珍しい相撲を題材としたゲーム、LSIパワースポーツ どすこい熱血場所でした。

参考:Nostalgia ポケットクラブのページ、帰ってきた電子ゲーム、ファミ通COM、野球盤道場、琴欧洲記念館 (非公認)

EPOCH LCD GAME 超時空大迷路・エポック社

2015-05-13 17:24:09 | 電子ゲーム


 これは、1989年にエポック社より発売されたEPOCH LCD GAME 超時空大迷路。電子ゲームのブームも去った1990年前後には、液晶を使ったLCDゲームが気軽に遊べる廉価なゲーム機として発売されていた。


 このゲームの特徴をひと言でいうなら、PCの性能の向上やロールプレイングゲームのブームによってこの頃に流行っていた3D迷路の探索を液晶ゲームでも再現したもの。バンダイのCUBE ZONEや、Tiger社によるセガのゲームビジョンシリーズガントレット GAUNTLETなど、液晶ゲームでもより複雑なゲーム性を求められるようになったためか、数社から同じような試みがなされていました。1989年というと、NECの手による8ビット機PC-エンジンが87年、16ビットのセガのメガドライブが88年という時期ですから、単純な電子ゲームなど誰にも見向きもされなくなっていた頃だと思います。ゲームの背景は、敵の超時空立体迷路基地内で繰り広げられるスペースコマンド兵士と怪物イドとの壮絶な対決を描いている。箱絵の雰囲気からすると、宇宙の果ての人の気配すらない無人の迷路をさ迷い歩く悪夢といったところでしょう。地図、レーダー、コンパスを頼りに敵基地内を移動して、ライトセーバーを見つけ出し、怪物イドを倒して迷路を脱出する。禁断の惑星とスターウォーズと超時空要塞マクロスを足して水で割ったような設定。


 スペースコマンド兵士。1990年代近くのこの時点において、この宇宙服はどうなんでしょうか。ここだけ70年代テイストですが、あくまでも子供向けということでしょうか。ライトセーバーが輝いてなく、棒みたいだし。


 なんとなとなく地味なパッケージ裏。1975年に日本で始めてテレビテニスを発売して以来、ずっと日本のテレビゲーム業界を引っ張ってきたテレビゲームの老舗ながら、この時期のエポック社はあまりテレビゲームに力を入れてなかった。後にはファミコンにも参入したけれど、スーパーカセットビジョンでファミコンに挑んで破れてしまったというエポック社の事情も見え隠れします。


 こちらは一応、未使用品。このゲーム、電子ゲーム好きな人には見慣れた一品で、オークションでは未使用品がよく出品されています。あまり売れかなかったのでしょうね。


 84年発売の原辰徳のダイナミックベースボールとか、あの辺のゲームに似た雰囲気。ボタンの配置まで一緒。83年のファミコン発売以降には、ブームの中心がそちらへ移ってしまい、電子ゲームに新規にお金は掛けられなくなったのでしょう。


 怪物イド。ガバリン GOBLIN(HOUSE)とかジャバ・ザ・ハット(Jabba the Hutt)だとか、ゴーストバスターズのスライマー(大食いお化け)だとか、80年代にありがちな雰囲気。イドとは、フロイトの心理学において自我、超自我と並ぶ概念で、快楽原理に基づいて本能のままの欲求を出す精神エネルギーの源泉のこと。イドの怪物とは、映画禁断の惑星から来ていると思いますが、深層心理の迷宮をさ迷い歩くという意味も持たせてあるのかも。


 電子ゲームなんだけど、ちゃんと地図が書けるほど本格的。


 今でいうと、脱出ゲームみたいなものでしょうか。延々と3D迷路をさ迷い歩くあの感覚を電子ゲームで再現している。



 酸素残量という概念もある。アイテムにより酸素を補給しなければならない。また武器を手に入れてパワーアップという、この時期のRPGではお約束も再現。怪物に近づくとアラームで警報がなり、危険を知らせる。そして、ついに怪物イドとの対決。迷路とは別画面で戦闘が繰り広げられる。リザードとかザ・スクリーマーだとか、80年代のPCゲームでは、このように迷路とは別画面でバトルになるものが多かった。


 怪物の手が上下しているところに、タイミングを見て飛び込んでアタックするという、モンスターパニック以来のエポック社の伝統(お約束)は守られている。


 ウィザードリィの影響からか、この頃は3Dの迷路をさ迷い歩くゲームがおお流行りだった。有名どころでは、入門用の和製ウィズとして出たスクエアのディープダンジョン Deep Dungeon、国産初の本格的RPGザ・ブラックオニキス、リアルタイムのダンジョンを実現したダンジョンマスターなど。この超時空迷路は、雰囲気的には人類の滅亡を目論むロボット「マスター・ザイボッツ」の破壊活動を阻止するために立ち向かうアタリのアーケードゲームXybots(87)によく似た感じがする。また8ビットPCでも3D迷路はおお流行りで、作成するのが意外と簡単だったためか、ベーシックで作られた練習用プログラムやベーマガなどの投稿プログラムにもよく見られた。こちらは初期のPC迷路ゲームの雰囲気をよくかもし出すMSXゲームのイリーガス:エピソード4


 映画でもファンタジーものは大人気で、デビッドボウイ主演で、ラビリンス/魔王の迷宮 Labyrinthという迷路を主題とした作品が作られていた。


 フィールドアスレスチックやテーマパークの一種として、巨大迷路みたいなものも流行っていた。こちらは、ソフトバンクのBeep誌で行われた、パックマンやギル、景清のコスプレをして巨大迷路に挑むという企画。


 RPGの流行より生まれたゲームブックにも、当然迷路は含まれていた。これらは、北→20、南→112、東→43、西→9みたいな感じで、言葉によって複雑な迷路を再現していた。それだけにとどまらず魔城の迷宮という、ほぼ迷路だけで構成されたえらくマニアックなゲームブックも存在していた。


 個人的には、当時はこのゲームの存在自体を知らなかった。中古のファミコンショップが乱立していた頃だったので、電子ゲームには目が行かなかった。この頃までには、まだ残っていた個人の玩具店でショーケース内に売れ残ったオイルギャングとかを見つけて、おお懐かしいとすでに電子ゲームは懐古の対象だった。


 ということで、宇宙の果ての超時空の迷路をさ迷い歩く孤独な悪夢を描きつつ、どこか懐かしい感じのEPOCH LCD GAME 超時空大迷路でした。

参考:帰ってきた電子ゲーム、GAME&WATCH ゲームウォッチ カンストへの道、レトロコンピュータピープル 〔別館〕、Beep復刻版/ソフトバンク

デジコムベーダー INVADER FROM SPACE DIGICOM VADER・エポック社

2015-05-04 15:21:36 | 電子ゲーム


 デジコムベーダー INVADER FROM SPACE DIGICOM VADERは、1979年にエポック社より発売された電子ゲーム。当時は、マイコンゲーム、LSIゲームとも呼ばれていました。


 1978年のタイトーのスペースインベーダーゲームの大ブームを受けて、玩具の市場でも家庭でインベーダーを遊びたいという要望が高まりました。そのニーズを受けて数多くのインベーダー関連の商品が発売されました。家庭用テレビゲームは、PONテニスやブロック崩しなどの時代であったため、なかなかそれを実現してくれる玩具は登場しませんでした。最初の頃は、フイルムにミサイルやインベーダーを印刷したエレメカのようなものが多く、再現度としてはいまひとつだったのです。そんな中、翌79年と割と早い時期にエポック社より発売されたのが、このデジコムベーダーになります。


 ポイントはいくつかありますが、蛍光表示菅を使用しており、アーケードのインベーダーに近いキャラクターを表現していたということ。16匹のインベーダーが画面内に現れ、地上まで降りてくるとゲームオーバーになってしまうという点や、UFOが登場してボーナス得点も再現していたことなど、アーケードの再現性(移植度)がかなり高いものであったことが特徴としてあげられます。LEDで安価に登場したバンダイのミサイルベーダーなどは、インベーダーが一匹しか登場せず、改良版のスーパーミサイルベーダーでも6匹(しかも降りてこない)と、この時期なかなかインベーダーゲームの再現は難しかったわけです。もうひとつの特徴は、同時代の玩具に比べて価格がなかなか高価だったこと。当時の価格が7,800円と3980円だったミサイルベーダーの実に2倍近いプライスを付けており、エポック社が雑誌に広告展開をしていたこともあって憧れの玩具だった。


 箱裏の説明書き。3色カラーで16匹登場する(しかも色によって得点も分けられている)ということを謳ってあります。


 デジコムベーダー説明書。あまり綺麗なものではありませんが、一応未使用品なので保証書も付いていた。


 こちらがデジコムベーダー本体。初期のものなので、高価だった割には薄型でシンプル。今見ると、本体に比して画面の割合がとても小さい。これは、当時の蛍光表示菅ではあまり大型の装置を作ることが難しかった(価格との兼ね合いもある)ことによると思われます。黒いスクリーン部が広く採られているので、なかなか気付きにくいですが。


 電源のON/OFF、レベルセレクト、スタートボタン、砲台の移動レバーとアタックボタン。


 このレバーが、またかっこよかった。同じタイプのレバーが、翌年のテレビベーダーでも採用されていた。


 こちらがゲーム画面。インベーダーが横に4匹分、横方向へは4列しかスペースがない。しかも、初期の電子ゲームのためスクロールはしない。では、どうやって16匹のインベーダーを再現しているか。インベーダーは画面左端より一匹ずつ登場し、右端に来ると一段降下してまた右側より出てくる。後から続けて次のインベーダーも続くため、ニョロニョロと繋がって移動してくるようにも見える。オリジナルの隊列を組んで移動してくるという点や、砲台を守るトーチカは、残念ながら再現されていない。カラーは、画面前にカラーセロファンを貼ることで実現している。これは、オリジナルのスペースインベーダーでも行われていたため、移植度(再現度)という意味ではあり。画面が点滅するというか、暗転して次の画面が表示される仕様で、まだどこかぎこちない。


 こんなにスムーズには、実際には表示されない。ただ今見るとなんてことはありませんが、当時は家庭でインベーダーができるだけでも、憧れのゲーム機だった。これ以前のものだと、フイルムにプリントしたインベーダーをモーターで機械的に動かしていたとか、そんなのが多かった。LSIで電子的に制御されているというだけでも、一線を画していた。


 エポック社は、この前に野球ゲームのデジコムナインを発売しており、デジコムベーダーのヒットに気を良くしたのか、以後しばらくはエポック社のLSIゲームにはデジコムブランドを使用することになる。

 
 元ネタのタイトーのスペースインベーダー。78年に登場するや、あちこちにインベーダーハウスやゲーム喫茶が乱立したり、小中学生などはゲームセンターが立ち入り禁止になったりと、一大フィーバーを巻き起こした。だいぶ後になって、デパートのゲームコーナーで20円ゲームになった頃に遊んだり、駄菓子屋でぱちものを遊べた位でした。


 時期的にも、価格的にも近いトミーのスペースアタック。こちらは、隊列を組んでインベーダーが画面内を移動するようになっており、何気にデジコムベーダーより完成度は高い。だが広告や売り方の問題なのか、当時としては圧倒的にデジコムベーダーの方がよく見かけた。デジコムベーダーと同程度の画面の広さで、どうやって隊列を表現しているか。答えは、隊列を組んだインベーダーが画面を横切る。次に一段下がって逆方向から横切っていく。限られた表現力内で、各社あれこれ工夫していたことが伺えます。


 学研のインベーダー。すさまじいインベーダーのブームにより、○年の科学&学習などの学習教材を販売していた学研までも電子ゲームに参入した。子供向けの科学と学習を持っている強みから、科学と学習の巻末には電子ブロックと並んで学研のLSIゲームの広告が付けられていた。インベーダは2匹しか登場せず、最高得点は199点と制限もあって、再現度はいまひとつ。この機種の場合、見所はレトロなパッケージと筐体のデザイン。


 学研のインベーダーの改良版、インベーダー1000。色数が増えたり、最高得点が999点になったりと、いろいろとバージョンアップしている。学研は引き続いてインベーダー2000を投入しており、こちらは星が瞬き、インベーダが降下してくるというギャラクシアンの移植になっている。筐体デザインも見違えるように垢抜けた。


 シンセイ(新正工業)のワープインベーダー。電子ゲームブームは、素朴な玩具を発売していた老舗の玩具メーカーにも及んだ。バージョン違いにインベーダーが戦闘機になったホットスクランブル、よりインベーダーゲームらしくなったゲキメツインベーダーなどがある。LEDを使用してインベーダーがランダムに点滅、対応する8つのボタンを押すことで撃退するという、もぐら叩きのような全く異なるゲーム性だった。


 デジコムベーダーの翌80年には、エポック社より満を持してテレビゲーム版のインベーダー、テレビベーダーが登場する。こちらもインベーダーの隊列を再現できず、最前線の一列目だけが表示されており、弾が当たると隠れていた次の列が表示されるという方法を採っている。ただし、砲台がやられるとインベーダーが手を叩いて喜んだり、面の最後にはUFOが地上に降りてくるというボーナス面が追加されるなど、完成度としては電子ゲームを大きく引き離していた。テレビベーダーは、82年にはカセットビジョンのバトルベーダーとしても再登場している。


 インベーダーと言えばインベーダーの大ヒットを受けて、翌79年よりコロコロコミックで連載が開始されたゲームセンターあらし。初期のあらしは、少しやさぐれた不良といった風情でありゲームセンターで腕を披露していた。小中学生のゲームセンターへの出入りが難しくなると、特設スタジアムや野球場など、(イベント会場のような)特別なステージでバトルをするようになった。ピアノの練習より編み出した初期の必殺技のつるぎの舞、ムーンサルトも対インベーダー戦により生み出された。ちなみにゲームセンターあらしがアニメ化された際のメインスポンサーはエポック社。すがや氏は、80年に小学館の学習誌に掲載されたチャレンジ一平でデジコムベーダーを取り上げている。


 当時の子供のゲーム文化をコミック化したゾルゲ市蔵氏の8bit年代記では、一話を当時の電子ゲームネタに割いている。デジコムベーダーは、その象徴として登場。山の手のお坊ちゃんの自宅に、デジコムベーダー目当てで遊びに行くエピソードが紹介されている。ちなみにゾルゲ氏は、当時バンダイのミサイルベーダーを所有しており、作中でこの頃のデジコムベーダーの衝撃度を熱く語っている。


 個人的な思い出と言えば、広告でその存在は知っていたけれど、近所に持っている人もおらず、近年まで遊んだことはありませんでした。私もバンダイのミサイルベーダーを買ってもらっていた。それだけ、この当時としては、高価な玩具だったのですね。その後にブームとなったG&Wの6,000円という価格にしても、一台買ってもらえるかどうかというレベルで、何台も持っているという人は少なかった。その後日本がバブル景気に近づくにつれて、子供が当たり前のように一本5,~6000円するファミコンソフトを何本も買ってもらったり、スーパーファミコンでは一本一万円が当たり前になったりと、急激に世の中が変化していったよう思います。ちなみに数は出たみたいでプレミア付き玩具の部類ではありませんが、思い入れのある人が多いのかオークションでの値は上がりがちになります。


 ということで、エポック社らしく当時としてはなかなかエポックメイキングな玩具であったデジコムベーダー INVADER FROM SPACE DIGICOM VADERでした。



参考:Wiki スペースインベーダーの項、帰ってきた電子ゲーム、ゲームセンターあらし/すがやみつる、8bit年代記/ゾルゲ市蔵、当時のエポック社の広告(なつかしもん)、米沢嘉博記念図書館:すがやみつる展:ゲームセンターあらしとホビー漫画

デジコムフットボール・エポック社

2014-04-25 19:21:54 | 電子ゲーム


 これは、デジコムシリーズの一つとして発売されたエポック社のマイコンゲーム・デジコムフットボール


 LEDを使用した電子の野球ゲームとしてデジコム9が1979年頃に発売され、その後78年頃からのブームを受けて、80年に電子ゲーム版のインベーダーとなるデジコムベーダーがヒットを飛ばしました。その後、エポック社の電子ゲームはLEDや蛍光表示管を使用した大き目のデジコムシリーズと、液晶携帯サイズのポケットデジコムという2つのシリーズで展開されてゆきます。これは、そんな頃にラインナップに加わったスポーツを題材としたもの。


 アメリカン・フットボール(アメフト)が、題材ということでアメフトのフィールドを模したスクリーン。日本では、馴染みの薄いスポーツですが映画などではお馴染み。


  1人でCPU戦も可能ですが、スポーツゲームにはお約束の対戦プレイも可能。ダウン&フィールドボタン、スコア&タイム表示ボタン、パスボタン、キックボタン、プレイヤーを動かすランニングボタンなどが配置されています。こちらは、攻撃(オフェンス)側。


 こちらは、守備(ディフェンス)側。電源スイッチ、1人/2人用選択スイッチ、プロ/アマ用選択スイッチ。電子ゲームのプロというのもなんだか嫌ですが、何故かこの頃はレベル選択でこうなっているものが多かった。


 ゲームは、キックされたボールを受ける側が先攻(オフェンス)となり、ボールをキャッチした攻撃側はボールを1ヤードでも前に進めようとし、後攻(ディフェンス)側はそれを阻もうとして攻防を繰り広げます。日本人には、馴染みのないスポーツのため、ルールもなかなか理解しにくい。電子ゲーム化する際に簡略化されたり、記号化されたりもしているので、余計に分かりにくい。遊び方を理解するには、こちらの取り説が必須になります。


 スイッチを入れることでプレーボール。表示されているのは、お互いのスコア00と残りタイムの15.00分。


 キックボタンを押すことでキックオフとなりゲーム開始。


 表示されているのは、キックの飛距離。


 攻撃側、守備側に分かれてフォーメーションを組みます。


 ランニングボタンを押すことで、タックルしてくる敵をかわしながらのランニングプレーができる。キックボタンで、キッキングプレイも可能。ただしキッキングを行うと攻撃権の放棄になり、攻守交替となる。


 パスボタンを押すことで、一気に距離を詰められるパスプレーも可能。そのままタッチダウンとなる可能性もあるが、途中でボールを取られてしまう可能性(インターセプト)もある。


 表示されているのは、ダウン数、フィールド上のボールの距離、フレッシュダウンまでのヤード数。


 残り時間とお互いの得点表示。と、このような感じでキャラクターとボールの表示、得点やヤード数などの数値が交互に表示されながらゲームが進行していきます。


 数字と記号的なキャラのおかげで何のことか分からなかったかと思いますが、どうにも取っ付きにくい。電子ゲームの購買層である子供なら尚更。70年代頃は、現在と異なり日本でもアメフト人気があったというわけでもなさそうなので、やはりこれは海外向けのものの国内版でしょうか。海外では、アメフトのゲーム化も結構されているようですが、国内だとアーケード、FCともにアイレムの10ヤードファイトしか思いつきません。


 やはりこの時期だと、デジコムといえばこれしか目に入らなかったよう思います。インベーダーを尻目にアメフトを買う子供がいたら、渋すぎて逆にかっこ良過ぎてなんか嫌。


 今だと違うかもしれませんが、この頃だと国内のスポーツ人気は、圧倒的に野球で次にサッカーの順。バスケやバレーをすっ飛ばして、アメフトに行っちゃうクールさがなんとも言えない。これら以外だとアメリカでは何故かアイスホッケーが人気で、電子ゲームやビデオゲームも結構出ていたりします。


 アメリカのスクールカーストでは、ヒエラルキーの頂点に位置するのがジョック(Jock)と呼ばれるスポーツ万能で社交性に富むもの。多くの場合、映画などではアメフト部などとして描かれています。女性の場合は、チアリーダーとして描かれるクイーン・ビー(Queen Bee)。ということで、あちらでは徹底した花形スポーツであり、憧れの対象なんですな。これに相対するのは、ナード (Nerd)と呼ばれるスポーツ以外のことに打ち込むもの。コンピュータなどのおたくギーク(Geek)や、ガリ勉のブレイン(Brain)。甘酸っぱい青春映画などでは、こちらが主役となることも多い。


 ということで、紹介もなかなか大変で説明書を見ながら四苦八苦のエポック社のマイコンゲーム・デジコムフットボールでした。

参考:デジコムフットボール取り扱い説明書/エポック社、Wiki スクールカースト、ジョック、ナードの項