カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1506 『壮烈 第7騎兵隊の最期 と サンドクリークの虐殺』

2015年11月05日 | 日記






 『ソルジャーブルー』 2015年11月5日







『壮烈第7騎兵隊』(1941年公開) 『最後の一人まで』(1959年公開) 『カスター将軍』(1968年公開) 

『小さな巨人』(1971年公開) 『ソルジャー・ブルー』(1971年公開) オレが知ってるところでは、第7騎兵隊を扱った主な映画はこんなものかね?

『小さな巨人』『ソルジャー・ブルー』は、インディアンの視点で捉えられてる。此れを機に全盛の西部劇に翳りが出だしたんだね。





アメリカの西部開拓の汚点であり騎兵隊の汚点となった 「サンドクリーク大虐殺」を描いて、今までの正義の味方騎兵隊のイメージが地に落ちた。

特に 『ソルジャー・ブルー』は、騎兵隊の残虐行為の顛末を描いて、其れが事実であったことが痛烈に影響したんだろうね。

実際、この「サンドクリークの虐殺」は、インディアンの女子供に対して目を覆うような殺戮が行われたんだね。





虐殺の嵐が収まって、ある男がインディアンの死体を数えた数では、総勢で123体だったといい、うち98人は女と子供だったという。

また、インディアンのシャイアン族の報告によると、死者の内訳は、女、子どもが110人、男が53人だったという。

その死体は、全て、頭の皮を剥がされ、切り裂かれ、バラバラにされて原型を留める死体はなかったと云われてる。恨み骨髄の蛮行だったようだね。













映画 『ソルジャーブルー』








この虐殺に先駆けて、白人の大集会が開かれ、有志の寄付によって「インディアンの頭の皮の買い取り資金」として5000ドルが集まった。

「耳まで付いている頭の皮」なら、25ドルの高額な賞金が設定された。

金鉱に群がった採掘者たちにとって周辺のインディアンは開拓を害する障害にすぎなかった。「野蛮なインディアンの絶滅」は、入植者の悲願だった。





コロラド準州の近辺でもインディアンと白人開拓者との激しい戦いが続いていた。両者ともに、ぞっとするような残虐なやり方で死者の身体が損傷され、

互いの憎しみ合いは果てしがなかった。シャイアン族の襲撃は、ことにデンバーの白人たちを恐れさせていたなんて経緯がある。

尤も、アメリカ原住民のインディアンと白人との間では、血を血で洗う如しの戦いの歴史は、1498年、クリストファー・コロンブスが





此の地に第一歩を踏んだ時点から火蓋を切ったと云ってもいい。西欧からスペイン、イギリス、フランス等の軍が次々と上陸して、其の都度、インディアンは

いいようにこき使われ騙され殺され散々な目にあってるからね。頭皮を剥ぐ行為は、スペイン軍が教えたものなんだね。

相手方を殺した証明に持ち帰らせたことから、それが、いつしかインディアンに浸透したらしい。














『遠い太鼓』 1951年製作アメリカ映画









殺し殺され恨み憎しみ積み重なって双方ともに受け入れ難い仇となって久しいんだね。1776年7月4日、かくして白人社会のアメリカが独立したんだね。

東部を中心に栄えるんだけど、こちらでも当地を根城のインディアンの部族が発展を阻害する。

フロリダ周辺のセミノール族の掃討を描いたゲイリー・クーパーの『遠い太鼓』なんて映画があった。地方でインディアンの趣きも違うね。これ前に書いたね。























そして19世紀、西欧から続々と開拓者がアメリカに渡ってきて、まだ、手付かずで野ざらしの西部に向って幌馬車隊が突き進んだんだね。

西部開拓時代とは、1860年から1890年辺りまでをいう。自分たちのテリトリーに入植する開拓民をインディアンが襲う。

西部劇の背景になってるのは、大方、この時代なんだね。殺しても殺しても開拓者たちは押し寄せて来て自分たちの食料となるバッファローも





凄まじい勢いで狩猟されて撃滅する。インディアンにとったら侵略者でしかない。殺しても殺しても出て来るゴキブリと同じで叩き潰しても切が無い。

恐怖を思い知らせて牽制するけど効き目がないから残忍性がエスカレートする。それでもゴキブリは湧いて出て来るから気が狂うほどに殺しまくる。

騎兵隊が駆けつけたら開拓者のバラバラの死体が転がってる。デンバーの地元新聞は、インディアン撲滅を煽り政治家は票取りを目論み開拓者の強攻策を支持した。













『シャイアン族やカイオワ族、アラパホー族インディアンの5人の酋長たち』 実写








1864年9月、州を挙げた「インディアン皆殺し政策」が進められる中、コロラド準州デンバーにある米軍のウェルド基地で、

周辺のシャイアン族やカイオワ族、アラパホー族インディアンの5人の酋長と、コロラド準州のジョン・エバンズ知事、ジョン・チヴィントン大佐ら、

同地の白人高官との和平会談が開かれた。






和平協議では、インディアンによる襲撃について白人側から抗議が出された。シャイアン族の酋長の一人ブラックケトルは白人たちに対し、

「自分は心から白人との平和を願っている。血気にはやる若い戦士たちを抑えられなかったことは残念に思う。

今後そういうことのないよう出来るだけ努力する」と答えた。そして、彼ら酋長たちは、彼らの集団を説得、実際に米軍のライアン基地近くへ集団を異動させた。














『ブラックケトル酋長』 実写








白人指揮官らは彼らに食糧を与え、「どこか遠くの狩りで暮らせる場所へ移れ」と命令した。ブラックケトルの属するシャイアン族の集団は、

サンドクリークの湾曲する流れのそばにティーピー(テント)を建て、野営を築いた。ブラックケトルとホワイトアンテロープらは彼らの部族員と協議を行った。

交戦派の意見が優勢だったが、一部は、和平派のブラックケトルに賛同し、この和平派の野営地に残った。





ブラックケトルは、シャイアン族の温厚な酋長だった。彼は和平会談で表明したとおり、白人との対立を望まず和平を結びたがった老賢者だった。

アメリカインディアンの社会は、完全合議制民主主義であり権力者は存在しない。白人が指導者だと思っている酋長は、実際には、調停者であって、

部族を率いるような権限は持っていないんだね。。インディアンは、大いなる神秘のもと全てを聖なるパイプとともに合議で決定するのであって、





個人の意思で部族が方針を決定するというような社会システムではない。しかし、当時の白人の認識では、酋長は指揮者であるから彼らと盟約すれば全部族員を

従わせる立場に在ると解釈していたんだね。ブラックケトル酋長を大指導者だと誤解したんだね。

実際は、部族民を従わせたり、強制するような立場ではない。そんな立場はインディアンの社会には存在しないらしい。





そういえば、ジョン・ウエィンの西部劇によく出てくるね、酋長の薦めで互いにパイプを吸い合って話し合いを始めるんだよ。














『米軍コロラド軍管区の指揮官ジョン・チヴィントン大佐』 実写








白人はブラックケトルを大指導者だと勘違いしているから、彼個人の意思がシャイアン族の総意だと思い込んでいる。

ブラックケトルは、調停者として最大限の努力を約束はしたものの、これ以上の要求は、もはや無理難題でしかない。白人たちには、これが全く理解できなかった。

米軍コロラド軍管区の指揮官ジョン・チヴィントン大佐は、もともとは牧師だった。のちに従軍して、やがてインディアン絶滅を力説する好戦的な軍人となった。





また現役の協会長老だった。この年の州議会総選挙で、彼は州議員候補に名乗りを上げていた。チヴィントンは選挙演説で、、

インディアン嫌いを隠そうともせず、次のような言葉を残している。「インディアンに同情する奴は糞だっ」 「私はインディアンを殺さなければならない。

そして神の天国のもとでは、どのような方法であってもインディアンを殺すことは正しく名誉あることであると信じる」 ほとんど病気だね。





チヴィントンはインディアンをシラミに喩えるのが好きだった。彼はこの虐殺事件の数か月前に、白人大衆を前にこうも演説している。

「小さいのも大きいのも、すべて殺して頭の皮を剥ぐべきです。卵はシラミになりますから」 こういうのが頭になると身体は同調せざるを得ないね。

この言い回しは、チヴィントン大佐のお気に入りのもので、彼の軍隊のキャッチフレーズになった。













映画 『ソルジャーブルー』 チヴィントン大佐








これはナチス・ドイツのハインリッヒ・ヒムラーの、特定民族の抹殺について 「シラミを駆除するのと同じこと」とした発言に、半世紀先駆けるものだった。

この血に飢えた虐殺者も、インディアンの文化が理解できていなかった。チヴィントン大佐にはブラックケトルが大指導者に見えていた。

「インディアンを殺すなら、まず大指導者から」と、チヴィントンは、その偏見に満ちた頭で考えたんだね。





「赤銅色の反逆者どもを殺すことこそ、平和と平穏を達成する唯一の道だという考えに私は十分に満足している」 こんなのが、いつの時代にも居るんだね。

「おまえも、その口じゃないのか?」 そこまでは偏ってないと思うよ。「野蛮人どもなんか、やってまえっていつも云ってるだろ?」 そうだったかねえ?

でも、云っとくけどね、映画での話しだよ、実際は、そんなに単純じゃないよ。「信じられんなあ~」 信じてよ。













映画 『ソルジャーブルー』








1864年11月29日、まだ南北戦争の最中(さなか)だね。南北戦争は、 1865年4月9日まで続いたからね。

寒い早朝に、チヴィントン大佐率いる800人の陸軍騎兵部隊が、ブラックケトル酋長達の和平派のシャイアン族、アラパホー族の野営地に近付いた。

野営地には、男たちはバッファロー狩りに出かけて留守で600人ほどの女、子供、それに35人の戦士たちと老人合わせて60人ほどが居た。





彼らは、陸軍管理下にあり安全が保障された保護区で静かに暮らしていたんだね。猟に必要な銃以外の武器は一切軍に差出し従順な姿勢を通していた。

チヴィントン大佐は、馬上にあって、居並ぶ騎兵隊、歩兵隊に、こう叫んだ。

「殺せ! どいつもこいつも頭の皮を剥げ。大きいのも小さいのもだ。シラミの幼虫はシラミになるからな!攻撃っ」





殺戮の号令一過、騎兵と歩兵が、このシャイアン族とアラパホー族の野営地に突入し、男も女も子供も問わず、無差別銃撃を浴びせた。

人々は散りぢりになり走り始めた。チヴィントン大佐は、大砲を最初にインディアンのうろたえて右往左往している集団に向けて発射すよう命令した。

ホワイトアンテロープ酋長は英語で「やめろ! やめろ!」と叫んだが、意味がないことを悟り腕組みをして矢面に立って殺された。














映画 『ソルジャーブルー』









女子供は、泣き叫びながら後ろの砂山の方へ逃げた。丸腰の戦士たちは抗議しながら川上へと退却した。

ブラックケトル酋長は、戦う意思がないことを白旗と星条旗を掲げて必死に訴えたが、やがて妻を連れて退却した。

彼の妻は9発も撃たれたが命を取り留めた。白人たちは、ブラックケトルを仕留めたと思い、そう報告したが、実際には彼は生き延びた。





白人による無差別攻撃は、午後になっても続けられた。シャイアンの僅かな戦士たちは、交戦を試みたが人数も武装も足りず戦闘と呼べるものではなく

老若男女を問わない一方的な殺戮であった。凄惨を極めて原型を留めぬ惨殺体がサンドクリーク流域の脇にある野営地を累々と埋め尽くした。

案内役を強制されて同行し、この惨劇を目撃したシャイアン族と白人の混血のロバート・ベントという人が、当時の状況を述べている。





数少ない男たちは、全くの丸腰だった。女たちは自分たちと子供たちを隠すために、死に物狂いで土手の砂を爪で引っ掻いて穴を掘っていた。

私はインディアンたちを保護しようと、そちらに近付いて行った。土手の陰に、5人のインディアンの女たちが隠れていた。

軍隊が近づいてくると、彼女らは走り出て自分たちが女であることを知らせようとしたが、兵隊たちは彼女らを撃ち殺してしまった。 





30~40人の女子供が穴に隠れていたが、女たちは6歳くらいの女児に白旗を持たせて送りだしたが数歩も進まぬうちに射殺された。

穴の外に4~5人の女がいて慌てて走り出した。彼女らは全く抵抗の気配もないまま殺された。殺されたインディアンたちの全てが頭の皮を剥がれていた。

一人の女は腹を斬り裂かれて胎児を引きずり出され、その胎児は脇に転がっていた。これは、虐殺に参加したスーレ大尉も事実であると証言している。














映画 『ソルジャーブルー』 








私は、死んだインディアンの数を400~500人だったと判断しなければならない。ほとんど全て、男も女も子供たちも、頭の皮を剥がれていた。

私は、不具にされた1人の女性に会った。どの体も恐ろしく切り裂かれており、頭蓋骨が叩き割られていた。

私は、彼らが射殺された後、このようにされたものと判断している。指輪を取るために指が鋸で切り取られており、また、男だけでなく女も、





いくつかの身体が兵士によってのこぎりで切断されていた。次の朝、私は男の子がインディアンの死体の間でまだ生きているのを見た。

私は、第3連隊の少佐がピストルを取り出して、この男の子の頭を吹き飛ばすのを見た。私は、一部の男たちが指輪を奪うために死体の指を切り落とし、

銀の装飾品を奪うために死体の耳を切り落しているのを見た。インディアンの女が、殺される前に頭を打ち砕かれるのを見た。





私は、何人かの男たちが、殺したインディアン女から女性器を剥ぎとったあとに棒を突っ込んだことに抗議した。女、子供の死体は、見るもおぞましい方法で切断された。

私は、わずか8人しか見ていない、それ以上はとても正視に堪えなかった。彼らは、とてつもなく切り刻まれていた。

彼らは頭の皮を剥がれて、酷いやりかたで切り裂かれていた。ホワイトアンテロープ酋長の死体は、鼻、耳、男性器を切り取られて転がっていた。














映画 『ソルジャーブルー』 








一人の兵士が、「この酋長の陰嚢で煙草入れを作るのだ」と言っていた。女たちは女性器をえぐり取られていた。

ありとあらゆる略奪が、彼らの身体に加えられた。彼らは頭の皮を剥がれ頭は打ち砕かれていた。男たちはナイフを使って女性を切り開き、

小さな子供たちは、銃尻で頭を潰されて脳味噌を飛び散らせていた。彼らの体を損壊したやりかたは、どんな言葉でも言い尽せない。





それはこれまで見たこともないものだった。女は全員バラバラに切断されていた。

まだ生まれて2、3ヵ月の乳飲み子から戦士まで全ての世代がそこに転がっていた。

人とは、悲しい生きものだね。本能に組み込まれて封印された残忍性なのかね? 恨みが募れば、その封印が解けるのかねえ?





恐怖の対象を抹消したい、全てを跡形なく滅ぼしたい、再生を絶ちたい、無にしたい、勝ち誇りたい、欲求の餓鬼に変貌するのかね?























シャイアン族とスー族とアラパホー族の3部族の戦士2000人がレパブリカン川の流域で協議を開き、白人侵略者に対する徹底抗戦を決定した。

その一人はこういった。「我々は何のために生きていかねばならないのか?」 「白人どもは我々の国を奪い、我々の狩の獲物を殺した」

「それだけでも飽き足らず妻や子までも殺してしまった。これ以上おとなしくはしておられない。我々は死ぬまで戦うのだ」





この決起に際して、シャイアン族は命を捨てて白人と闘う集団、「犬の戦士」が立ち上がった。

翌年1月、インディアン戦士団は、ランキン砦の騎兵隊をおびき出し45名ばかりの兵士を殺した。彼らは白人兵士に、彼らがされたのと同じ行為でお返しをした。

つまり、兵士の死体をズタズタに切り裂いたんだね。また砦周辺の牧場を襲って白人を惨殺し牛馬を奪った。目には目を刃には刃をだね。





こういう経緯から、インディアンは凶暴な蛮族となり開拓者の恐怖の的となったんだね。「どちらが悪い?」 インディアンが悪い。「なんでやねんっ」

西部劇を観ていたら、あんなもん、ええ奴とは、とても思えない。格好いい騎兵隊員を殺し、綺麗な女性も犯して殺す不届きものだよ。

「そういうふうに創ってあるんだろがっ?」 そういうふうに創らざるを得ないんだよ。「どういう意味や?」 





ふんどしのインディアンが主役する映画を誰が観る? インディアンしか観ないよ。興行的に彼らは失格なんだよ。「おまえはチヴィントンか?」














映画『最期の一人まで』








一方的な大虐殺は、地方新聞や当地の開拓民の喧伝に煽られて、大勝利と讃えられジョン・M・チヴィントン大佐は英雄に祭り上げられた。

チヴィントン大佐は軍司令部に 「私は今日の夜明けにシャイアン族の一を攻撃した。このには、戦士の数約900~1000人だった」

「我が軍は、ブラックケトル、ホワイトアンテロープ、リトルローブの3酋長の他に400~500人のインディアンを殺した」と報告した。





虐殺から二週間後、デンバーでは、記念行進が行われ市民は熱狂的にこれを迎え、チヴィントンは再び英雄となった。

新聞は 「コロラドの軍人は、再び栄光に包まれた」とこれを讃えた。しかし、議会は、調査団を派遣した。調査団の報告のいくつかは、議会を震撼させた。

チヴィントンの「英雄行為」の真相が明らかになるにつれ、東部白人社会の世論は一変し、チヴィントン非難の声が高まった。





ユリシーズ・グラント将軍は、コロラドのエバンズ知事に対し「これは合衆国の庇護下にあるインディアンに対する連邦軍の謀殺以外のなにものでもない」

と認めている。陸軍法務部長ジョゼフ・ホルトは、憤りも露わにこう発言した。

「これは卑怯かつ冷酷な虐殺であり、加害者には拭い去れない汚名を着せ、アメリカ人一人一人の顔に恥辱と憤激を塗りつけるには十分なものだ」





白旗を掲げた和平派のインディアンを虐殺した行為は、軍事裁判にかけられることとなり、チヴィントンは名声を失って不遇のうちに没した。























サンドクリークの虐殺に対するシャイアン族の怒りは凄まじかった。その怒りの矛先は開拓者に向けられて凄惨な事件が頻発した。

合衆国は、8千人の軍隊を南北戦争から引き揚げて、この西部の地に派遣することとなった。

生き残ったブラックケトル酋長は、この4年後に起こったウォシタ川の虐殺で、カスターの第七騎兵隊によって、再び、虐殺を受け殺されてしまうんだね。





戦いというものは非情だね、わが日本でも戦国時代、織田信長の皆殺しの命による比叡山焼き討ちも凄惨を極める虐殺があったね。その数、女子供含めて何千人。

大阪夏の陣、徳川方の雑兵達が大坂城下の民衆に襲い掛かり、首は刎ねるわ、女は犯すわ、やりたい放題でその犠牲者数え切れず。

そんな事実を数え上げれば切がないほどにある。そのなかでも、キリスト教徒弾圧、これは、もっとも酷い虐殺だったんじゃなかろうかねえ? 





何処の国も歴史を紐解けば、平常では、想像し難い惨劇の事実が記されてる。本能御し難し、悪を善に塗り変えて鬼と化す。

唯一、其の事実を認めて悔いて改める姿勢があるかないかで人は問われる。悪を悪と認めてこそ、人となりをうかがえる善なのかも知れないね?
























第7騎兵隊(7th Cavalry)は、正式には、アメリカ陸軍の第7騎兵連隊(7th Cavalry Cavalry Regiment)。公的な愛称は「ギャリーオーウェン」

当時の他の米陸軍連隊と同じく、第7騎兵連隊でも軍楽隊が編成されて、この際にアイルランド民謡「ギャリーオーウェン」を連隊歌として採用した。

以後、「ギャリーオーウェン」は第7騎兵連隊の愛称としても知られてゆく。










Garryowen: 7th cavalry March












1866年から1881年にかけて、第7騎兵隊はカンザス州、モンタナ州、ダコタ準州などを転戦、アメリカ先住民族のインディアンと戦った。

騎兵隊は、西部開拓時代には開拓者の保護を主な任務として活躍したが、この第7騎兵隊は、指揮官ジョージ・アームストロング・カスター中佐が

功名を焦り作戦から抜け駆けして行動を起こしたことからインディアンの大軍に包囲されて全滅したんだね。





1876年、陸軍相ウィリアム・テクムセ・シャーマン(南北戦争当時はシャーマン将軍)は、ギボン隊、クルック隊、テリー隊の編成部隊をもって、

モンタナ州南東部のスー族の本拠を三方から包囲し掃討する作戦にカスターを第7騎兵隊の連隊長として参加させる。

世にいうリトル・ビッグホーンの戦いは、6月25日に米合衆国のモンタナ州リトル・ビッグホーン川流域で行われた騎兵隊とインディアンとの戦いである。























ジョージ・アームストロング・カスターは、南北戦争では勇猛果敢な騎兵将校で突撃に注ぐ突撃を繰り返し敵の南軍に多大な損害を与え北軍の勝利に貢献する。

常に激しい戦闘の渦中に在りながら無傷の強運を誇り若干二十歳前半で将軍に昇進した異例の軍人なんだね。

南北戦争終戦後、カスターは身の置き所ない状態を陸軍相シャーマンの計らいで第7騎兵隊の指揮を任され、西部のインディアン鎮圧に赴いた。















『ジョージ・アームストロング・カスター』 実写









時を同じくして、カスター中佐は、南北戦争時代の上官フィリップ・シェリダン将軍の推薦もあり程なく名誉少将に昇進した。

1876年6月25日、カスターが西部に着任してから10年目、運命の時が来た。

騎兵連隊のギボン隊、クルック隊、テリー隊の編成大部隊の集結を待って、インディアンへの攻撃を画策していたが、先着して待つに忍びず





功を焦ったカスターは、第7騎兵隊をマーカス・リノ少佐の一隊、フレデリック・ベンティーン大尉の一隊の3隊に分け単独攻撃を開始した。

第7騎兵隊の存在を早くから察知していたインディアンの連合軍は、本隊から分かれて迂回攻撃にまわるリノ隊、ベンティーン隊の2隊を引き離し、

これに波状攻撃して敗退に追い込む。迂回部隊は川向こうの林に逃げ込み身動きが取れなくなる。





孤立した本隊は、一旦、引き下がるべきところ、此れをよしとせず単独で攻撃を継続するという勇気を通り越して無謀に近い攻撃を遂行したがために

身を隠す障害物も無い平原のど真ん中でインディアンの大軍に包囲されたんだね。

両軍戦力については、インディアンの数には諸説あるが1800人を超えたという点では一致しており、対する第7騎兵本隊は208名だった。






















かくしてインディアンの大軍が総攻撃を開始、カスター将軍は、平原の一角に馬を盾にして円陣を組み防戦態勢でこれに応じた。

圧倒的な数で取り囲み、円陣の周りを怒涛の如く幾層にもなって騎馬が駆け巡り、その馬上から連発式銃の射撃、弓矢を射掛ける、槍を放り投げるの雨霰(あられ)。

騎兵隊員が面白いように転び倒れる、2人が18人を相手にするような喧嘩だね、すぐにボコボコに顔面腫らして為す術なしの体だろうね。























命中精度の高いスプリングフィールドのカービン銃は、一発撃っては弾込めしての射撃が功を奏すのは、インディアンの騎馬軍が円陣を取り巻き駆け巡る間で

円陣内に突撃してくると弾を込めてる時間のロスは命取りになる。銃を逆さに持ち替えて銃床で相手を殴り落とす手段しかなくなる。

多勢に無勢、一人に構う時間が隙を作って円陣内は敵だらけになり大混乱を呈する。もう、前も後も入り乱れて白兵戦が展開される。


































身体の処構わず弾が当たり、矢が突き刺さり、槍が貫く修羅場と化して、みるみる生存する隊員の数が減っていく。各自携帯の弾薬は124発ほどで単発の軍用銃。

当時としては命中率の高い高性能ライフルだけど白兵戦如き戦では用を足さない。これに対してインディアンは、連発銃を使用して発射率は格段に高い。

バタバタ倒れて円陣に穴が空く、其処へ騎馬諸とも突入してくるから堪らない。トマホークが唸って兵隊の頭を割る。サーベルで貫き通して叩き落とすけれども

































馬は暴れる足元は死体だらけで思うさま動けない。次から次から野蛮人どもが雪崩れ込んで来る。積年の恨み晴らさいでかっ、槍が飛ぶ、トマホークが空を切る。

カスターは右手にサーベル、左にリボルバー、北軍騎兵の誇り高き男は、襲いかかる野蛮人どもを撃っては切り裂き、貫いては撃ち倒して、

円陣の中央に立てて靡(なび)く星条旗と隊旗を守り通す。命あるものが寄り来て見やれば円陣は、もう、既に崩れ去って部下達の躯(むくろ)の山ばかり。





最期の時が来た、見渡す限り数の減らない敵の中、カスターは、死の間際に「万歳っ野郎ども、奴らを片づけて本隊に戻ろうぜっ」と叫んだと云われている。

誰が聞いたのだろうか? 誰一人、この円陣から生き延びたものはいない。リトル・ビッグホーンを吹き渡る風が伝えたんだろうかね?

此処がジョージ・アームストロング・カスターの36年間の人生の最期の地だね。























一説によると、この全滅したカスター将軍をはじめとする第7騎兵隊員のことがとくが頭の皮を剥がされ全身切り刻まれてバラバラにされたらしい。

十数年前のサンドクリークの虐殺の恨みは深く為すものは為されて還る因果だね。























今日は、コピペを多用、カメレオン流で編集してます。  『この後の写真は見ないほうがいいと思います』








         『閲覧注意』 当時の騎兵隊員の素っ裸にされた死体が写ってます、実写。





















『殺されたケロロ フレデリック 軍隊G第7米国の騎兵隊員 1867年スー、アラパホー、シャイアン がこののちバラバラにしたとある』 実写
































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