カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1931 『昭和の千日前通り、消えた記憶を辿り起こす』

2017年12月08日 | 日記




 2017年12月





日中は穏やかな日和で結構でした。寒気で震え上がらせて、時折、ホッとさせて、また凍らせるという按配やね。

昔の大阪旧南区(中央区)千日前通りの写真を見つけたので、ここらでちょっと纏めておこうかな、なんて云って回数を稼ぐ。

当時を知っててこその思い出だから、知らん人からしたら知らん話だね。「当たり前やないか」 





一覧で把握できるようにした積りだけど通じてるかどうか自信がない。こんなのをとことん突き詰めれば面白いだろうなあ、と

悦んでるのはオレ独りの話し。資料を駆使して創り上げたい欲求はあるんだけど、なにしろ勝手に人(他人)さんの写真を

使わせて貰ってるので心苦しくて申し訳ない気持ちでごめんなさい。おおらかな気持ちで笑って許してください。












『1967年(昭和42年)6月 手前御堂筋を縦方向に千日前通り』 黄で着色した部分が拡幅工事で立退きになった部分』






千日前通り北側(港町ー上六間の2キロ)黄色部分は、実際に拡幅工事に関わる立退き自体は、1968年前後から開始され

歯が抜けるようにして交渉を終えた家々が取壊されていった。1969年頃から部分的に道路の拡幅工事が本格的に始まったんだね。

其の頃までの年月の経たない写真を参考に、当時を思い起こされるかと思います。











『1969年(昭和44年)』 千日前筋北側から車道の向かい側のビル、きちゃないねえ。でも、よく覚えてる(C地点)








『1965年(昭和40年)』 洋画 荒野の用心棒 邦画 鶴田浩二の関東果し状 千日前筋南側から北西角(B-C地点)








『1957年(昭和32年)』 上と同じ位置から撮影(B-C地点)





「此れが素人のコワイ処だよ、案内写真の記号が出鱈目じゃないか。撮影地点を標してんのか? 被写体地点なのか?」 統一されて

ないね。「混乱するやないか」 どっちかだよ。「アルファベット記号のB-C地点ってのは、上の写真だったら撮影側を表してんだな?」 

そうとも云えないかもね? 此の案内図は貼り合わせてる間に前のを忘れてしまって出来上がってるからね。「しっかりせいよ」 コメン。





うん、そうだよ、(B-C地点)は撮影場所を指してるね。此処から(E地点)の被写体を写して印してるよ。「じゃあ、最初の写真(C地点)は?」

う~ん、被写体が(C地点)になって撮影側はお向かいだね。「こんなもん失敗作じゃないか」 真面目な人なら余計に迷うだろうね。

「記号を無視しろ、そのために案内写真を用意してんだろ?」 まあ、そういうことだね、なかなか難しいもんだよ。





では、昔の駄文に貼った『1955~1970年頃(昭和45年)の間の日本橋筋一丁目の界隈の地図』を参考にしてもらおうか?

方向を見定め易いかも知れないね。暇な時に、こんな地図をもう一度拵えて写真を埋め込んで表示したほうがいいかもね?

此の地図は、作成する時点で大きさ間違ったんだね。拡大したら薄らボケになったから、今度は、ハッキリしたのを拵えよう。











『1955~1970年頃(昭和45年)の間の日本橋筋一丁目の界隈の地図』 以前に制作して貼った地図を参考にしようか?






「此の場合、千日前を主体にして地図を半分に拡大したほうが見易いだろ?」 そう云われればそうかね?














でも、拡大したら字が薄くなって読み辛いね? 「薄っすら読めてるよ、しかし、肝心の処が寸足らずだね」 もうええやろ。

此処からは、案内写真のアルファベット記号を無視してください。なんでもね、出だしが狂うと話もちぐはぐなって

調子が狂うんだよ。オレは、特にデリケートだから 「どこがやねん?」 もう、どうでもええわってなってしまうんだよ。





最初は、千日前通りの昔を完全に復活させる意気込みだったけど、脳味噌の組み立てがバラバラと音を立てて崩れ落ちていく按配だよ。

こうなったら写真を貼りまくって案内写真にあるだけでも仕上げて、次の機会に期待して貰うか。

仕上げるのは、僅かな時間だからね、想いを形にするには、まず、頭ん中に其れなりの構想があるわけだよ。





E地点とかC地点とか印したのが大きな間違いだったよ。書いたオレが迷ってしまって訳解らんなんてお笑いだよ。

「下の写真みたいに書けば迷わずに済んだのにね?」 おまえがいちゃもんつけるからだよ。

間違っててもいいんだよ、見る人が気づいてくれてだね、「こいつ間違いだらけじゃないか」って、笑って修正してくれるよ。





「そんなの無責任だろ?」 ミソ、クソ穿(ほじく)ってたら夜が明けっちまうよ。全体で〆ればいいんだよ。











『1969年(昭和44年)』  この時点で立退きが始まっていて向かって左側は工事の塀で囲まれてるね








『1969年(昭和44年)』  上と同じく千日前筋北側から撮影してる








『1960年(昭和35年)』  千日前筋北側から千日デパートに向かって撮影









『1957年(昭和32年)』  映画 さすらいの看板 









『1969年(昭和44年)』  千日デパート北側、1階側面が大写しの写真は珍しい。向こう側に南消防署の火の見櫓が見えてる






お家で秘蔵されてる写真が、まだまだ有るだろうね? もう、二度と帰らぬ昔の思い出、写真に託して蘇らせて欲しいね。

千日前筋と千日前通りの交差点周辺の昔のさまが蘇って周りの抜けた部分が埋まって来たよ。

なんでもない写真と思っちゃいけない、主体から外れていても、其の背景周辺に、おおっなんて、思い出にかち合うものが隠れてる場合がある。





記憶に繋がって広がるきっかけになったりするからね。それらを埋めて行けば、昔がパノラマみたいに蘇ることも可能だよ。










『1957年(昭和32年)』 御堂筋と千日前通りの交差点北西角  映画モンテカルロ物語の看板の下 小学校の級友のお家も消えたね







『1968年(昭和43年)』 上の写真の左隣千日前通り 賑橋でポイント交換の市電の背後 北側の町並みも消えた






上の写真、後方、近鉄の住宅地の看板前が此の千日前通りと御堂筋の交差点になる。

市電後方、手前の大きな背の高い看板の裏側(シャープ広告、

一枚上の映画モンテカルロ物語の看板上のシャープと同じ)と近鉄の住宅地の看板との間が御堂筋となる。









『1968年(昭和43年)』 御堂筋を横切って賑橋に向かう市電 背後のてっちりの看板、大和銀行も消えた








『1959年(昭和34年)』 御堂筋と千日前通りの交差点南東角 映画刑事看板 高島屋、歌舞伎座








『1955~1968年』 御堂筋と千日前通り交差点北東角並び  








『1969年(昭和44年)』 千日デパート前 千日前通り北東歩道沿いから撮影








『1969年(昭和44年)  千日前筋北側から撮影








『1972年(昭和47年)9月』 1972年(昭和47年)5月13日土曜日 千日デパート火災





上の写真は、千日前通り拡幅工事が完成して道路中央(右手上)を高速道路(阪神高速15号堺線)も走ってる。

都市計画とか大きな催しなんてのが予定されると対象となった処はコロッと様相を変えてしまう。

慣れ親しんだ旧南区のど真ん中の此の千日前通りも万国博のおかげで広い大通りになっちゃった。





溜め込んだ写真を探しながらだから、矢鱈、時間を喰うね、もう、しんどいわ。なにか思い出したら其の都度、追加していきます。

全体で〆ればいいなんて云ったけど、疲れて気の利いたセリフも出て来んし失敗やったね。



































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