カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1922 『石狩沼田幌新(いしかり ぬまた ほろしん)羆獣害事件』 

2017年11月27日 | 日記





 『こいつは月の輪熊だね?』 2017年11月






石狩沼田幌新(いしかりぬまたほろしん)事件は、1923年(大正12年)8月21~24日に北海道雨竜郡沼田町幌新地区で発生した、

5名死亡、2名重傷者という被害を出した国内史上2番目のヒグマによる獣害事件。

事件の現場は、石狩沼田の幌新地区で留萠本線の恵比島駅から北東10kmほど離れた地区内を雨竜川の支流、





幌新太刀別川(ほろにたちべつがわ)が流れてる。大正12年8月21日、沼田町内の恵比島地区で、太子講の祭りが開催された。

日ごろ娯楽も少ない開拓地ゆえ、余興で上演される浪花節や人情芝居を目当てに近隣の村落から多くの人々が詰め掛けた。

沼田町地区と海老島地区は隣同士なんだけど留萠本線の恵比島駅から沼田町地区の間は大凡10kmってとこかね?





北海道は広い、地図で見ても大まかに印されてるだけで実際の居住箇所なんては解らない。相当の距離を隔ててんだろうかね?

大正12年頃の北海道石狩なんて、なあ~にもない森林に埋もれた僻地だろうね。現に今の沼田町の幌新地区でも867号線の道路が走ってる

だけで他になあ~にもないとこだからね。もっとも、事件の舞台となった幌新太刀別川上流部では、後年、炭鉱が開発されて、それに伴い





山中に2千人以上の人口を有する小都市が生まれ、恵比島駅を基点とする留萠本線の支線、留萠鉄道も開通して大いに栄えたらしい。

しかし、昭和40年代の炭鉱閉山と共にゴーストタウンと化し現在では幌新ダム貯水池の底に沈んでいるとある。

グーグルマップで見ると幌新ダム貯水池は干し上がって水一滴もない状態だね。そんな栄えた状態じゃない頃の話だね。












『北海道雨竜郡沼田町幌新地区周辺  幌新ダム貯水池』






1923年(大正12年)8月21日、北海道沼田町恵比島地区、聖徳太子を職人の神と崇める民間信仰である「太子講の祭り」が

開催されていた。近隣の村々からも人々が詰め掛け祭りは大盛況だったと伝えられている。村民を熱狂させた祭りも

午後11時30分頃にはお開きとなり、幌新地区の支線の沢や本通筋から参加していた一団も夜の山道を家路へと急いでいた。 





一行が幌新本通りの沢に差し掛かった頃、小用のため50mほど遅れて歩いていた参加者の一人、林謙三郎(19)は

背後の藪の中で何かが動く物音を聞いた。その物音に引かれるように謙三郎が振り向いたと同時に、藪の中から突如として、

黒い巨大な塊が姿を現し、謙三郎目掛け襲い掛かってきた。 この時、幸運にも謙三郎は、着物と帯に爪を引っ掛けられた為、





咄嗟に、それらを脱ぎ捨て難を逃れる事ができた、恐怖に震える脚はもたついたけど必死に闇夜を走った。

先を歩いていた集団の最後尾に這々の体で追い付き彼等に 「ヒッヒグマが出たあっ」と、喉が引き攣るような絶叫で伝えた。

だが、ヒグマの行動は迅速で一団の先頭部に先回りし、歩いていた村田幸次郎(15)を一撃で撲殺した。





闇夜に、とっか現れ獰猛な唸り声をあげて襲い掛かるヒグマの姿に、知らせに狼狽えていた一団は腰抜かすような慌てぶりで逃げ惑った。

隣にいた幸次郎の兄、村田由郎(18)も間髪入れずに襲い掛かかられて重傷を負い気を失った。

彼は引き摺られて生きたまま土中に埋められた。ヒグマは保存食用として獲物を埋めておく習性がある。そして、其の傍らに横たわる弟、





幸次郎の遺体を不気味な咀嚼(そしゃく)音を立てながら、顔面に齧り付き腹を裂き内臓に喰らい付いて腹を満たした。

















その一方、突然のヒグマの出現に混乱に陥った一団は、その場から約300メートル程離れた木造平屋建ての農家・持地乙松宅に逃げ込み、

玄関に篝火を焚き、囲炉裏に大量の白樺の樹皮を投込み火を強め、屋根裏や押入れの中に身を隠し出来うる限りの立ち向かう手はずを整えた。
 
半時間ほどの後、ヒグマは幸次郎の内臓を咀嚼しながら持地宅に現れ周囲を徘徊しながらガラス窓から屋内を窺っている事が解った。 





そこで、家人は座布団や笊など周囲にある物を手当たり次第に投付け追払おうとした。ヒグマが玄関に回り込もうとしているのが目に映り、

村田兄弟の父親、村田三太郎(54)は、入れるまいと必死に戸を抑えたが、ヒグマは扉ごと三太郎を押し倒し侵入、

三太郎は近くのスコップを手に取り必死に立ち向かうが、当然、敵うわけもなく一撃で叩き伏せられ重傷を負った。





ヒグマは三太郎に重傷を負わせた後、奥の隅で怯える三太郎の妻、ウメ(56)を見据えると囲炉裏で盛んに燃え上がる火を恐れることもなく、

巨大な足で火を踏み消し、ウメを咥え上げると家を出て行く気配を見せた為、夫、三太郎は自らの深手も忘れ、半狂乱になって

ヒグマをスコップで打ち据えるが、意に介すこともなく向かいの山中へとウメを引き摺り、悠々と深い暗闇の山中へと姿を消した。 





ヒグマの去った方向からウメの助けを求める叫び声が二、三度響いた後、かすかな念仏が何度も何度も続けて聞こえてきた。

その声すらも次第に遠ざかり夜風に吹き消されて闇夜は静寂に戻った。なんとも怖ろしいことかいな。

人の話では、ウメは戸外に残したわが子を案ずるあまり、自ら戸外に出たとされているが定かでない。いずれにせよ、ウメは喰われた。

















8月22日、妻子を無残に奪われた三太郎はじめ、避難民らは心身ともに苦痛に苛まれ焦燥に駆られるばかりであった。

銃の備えもない農家故、屋内に閉じこもり我が身を守る以外に打つ手も無く異様なまでに血生臭い臭気が漂うままに日の出を迎えた。

早朝、事情を知らない村民が持地宅の側を偶然通りかかった為、屋内の一団は大声で助けを求めた。





周囲にヒグマがいない事を確認した上で一斉に戸外へと転げ出た。そして、皆でウメの捜索を開始。

暫くすると、近隣の藪の中で下半身を全て食されたウメの亡骸を発見、その後、土中に埋められていた由郎も発見した。 

この由郎は、まだ息があった為、直ぐに沼田市街の病院に搬送されたが、手当の甲斐無く間もなく死亡した。





8月23日、22日には、既に惨劇は沼田全域に知れ渡り、翌23日には地元で羆撃ち名人として有名なマタギの砂澤友太郎を筆頭に、

雨竜村の伏古集落在住の3人のアイヌの狩人が応援に駆けつけた。そのうちの一人、長江政太郎(56)は、

凶悪なヒグマの暴虐振りを聞きつけて憤慨し、「そのような悪い熊は、是が非でも自分が仕留めなければならない!」と、





周囲が引き留めるも聞かず、単身でヒグマ退治に赴いたものの山中で数発の銃声を響かせのを最後に行方が解らなくなった。















8月24日、24日には郷軍人、消防団や青年団など、総勢300人余りの応援部隊が幌新地区に到着。更に幌新、恵比島の

集落民の内、60歳未満の男子は残らず出動し開村以来のヒグマ討伐隊が結成された。
 
早速、討伐隊はヒグマを探索すべく山中に入った所、討伐隊が入ってくるのを予測していたかの様に、突然、討伐隊後方に黒い巨体を現し、





最後尾に付いていた上野由松(57)を一撃の下で撲殺、側に居た折笠徳治にも重傷を負わせた。さらに、ヒグマは雄叫びを上げ、

別の討伐隊メンバーに襲いかかろうとしたが、傍にいた現役除隊間もない軍人が咄嗟に放った銃弾がヒグマの体に見事に命中し、

ヒグマが怯んだのを合図に鉄砲隊が一斉射撃を浴びせたことにより 凶悪なヒグマも遂に倒れた。 





その後、この現場の付近で昨日から行方不明になっていた長江政太郎が、頭部以外を全て食い尽くされた状態の遺体として発見された。

ヒグマは雄の成獣で、体長約2メートル、体重約200キロだったと伝えられている。

解剖の結果、胃袋の中からは笊(ざる)一杯分程の人骨と人間の未消化の人の指が発見された。





後の調査の結果、一行が最初にヒグマに襲われた地点では、斃死(へいし)した馬の亡骸が保存食として

埋められていたことから、此のヒグマは数日前より

この亡骸を食し、偶然現れた一行を「餌を横取りする外敵」と見なし排除に及んだ事が事件の発端だと推察された。





クマが怒ればどれほどの狂暴さで怪力をみせるものなのか、実際、見たことが無いから測りようもないし想像も貧困だろうと思うよ。

目の先、突然、仁王立ちしよったら、優しく笑顔で口笛拭いて手懐(てなづ)けても聞く相手ではないね。「余計に怒りよるわ」

大正時代も平成時代も関係ないだろうね。何処でも、おもくそ、グワッて噛み砕くように咥えて振りたくりよると思うよ。





映画『レヴェナント(蘇えりし者)』でディカプリオがヒグマに襲われてるシーンがあったけど、映画とはいえ相当のものだったからね。  

そうだよ、思い出したよ。獰猛そのもの、まさしく其処ら噛み放題で振りたくりよるからね。あんなの相手になったら即アウトだね。

悲鳴のあと、念仏を唱える声が闇に消えていくなんて怖ろしいことだね。通じない相手程どうにもならんものはない。











『石狩沼田幌新事件のヒグマの毛皮、雄の成獣で、体長約2メートル、体重約200キロ』 沼田町郷土資料館に展示










『こいつは、グリズリー(羆類)の体長3メートル級の奴らしいけど、こんな爪でやられたらズタズタにされるよ』







現在の沼田町は、北海道でも有数の米どころだが、開拓以前は面積の8割を原生林に覆われ、まさにヒグマの天地だったらしい。

この環境の中で開拓民とヒグマの接触事故は頻々と発生し、「開拓小屋にクマが侵入し収穫したての

トウキビ(トウモロコシ)を食われた」 「収穫間近のトウキビを一晩で一反(10アール)分食われた」などの逸話には事欠かない。





石狩沼田幌新事件以外の人身事故では、家畜殺傷事件も相次ぎ、1913年(大正2年)には奔々地区で

通学途中の小学生が体重200キロのヒグマに襲われ内臓をすべて食い尽くされたとある。

同じ頃、安達地区では農作業中の若い女性が襲われて瀕死の重傷を負った。





さらに昭和30年代に至っても、共成、東予、更新、真布、さらに幌新など町内各所にヒグマが出没し農作物や家畜に被害を与えている。

グーグルマップで沼田町の幌新地区を走る867号線、何処まで行っても何もないんじゃないかいね?

オレだったら、こんなところで車から絶対に降りないよ。 「トイレしたくなったら?」 大人用のオムツがあるじゃないか。











『用もないのに車降りてフラフラしとったら、追いかけて来よるぞお~』






ちなみに国内史上最悪の獣害事件は 「三毛別羆(さんけべつひぐま)事件」がある。以前に駄文で書いてるね。

1915年(大正4年)12月9日から14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別(現、苫前町三渓)六線沢で発生した、

エゾヒグマが数度にわたり民家を襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った。










『三毛別羆(さんけべつひぐま)事件』



































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