脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

旅先にて

2013-10-14 23:54:00 | 日記 3
今日は職場の旅行で能登にいる。

旅行の栞をもらったのが金曜日。
旅行先を見て、愕然とした。

それまで全く知らなくてよかったのか、、、

知っていたら
断っていたかもしれない。


今夜泊まっているホテルは
数年前、
「手をつなぐ育成会」の
東海北陸大会に参加するため
夫が送ってくれたホテル。
夫は私たちを送って
自分は能登半島一周のドライブに行ったのだった。

明日行く水族館は
娘の二十歳のお祝いに連れて行ってくれた場所。
旅館にお願いして
バースデイケーキも準備してもらったけれど
娘の反応はイマイチで
「もう、親と出かけることを
喜ぶ年じゃないよね」と
娘の成長を喜んだり、
少し淋しく思ったりしたのだった。

そんな思い出いっぱいのところだけど
利用者さんと一緒だから
涙を見せるわけにはいかない。


あと
いちにち
がんばれ!


季節を告げる使者

2013-10-13 06:06:00 | 日記 3
数日前から
かめ虫が飛来するようになって
昨日は
大量のかめ虫が
家の中にいた。

別名「へくそ虫」とか
「屁こき虫」などとも呼ぶ。
愛情込めて「屁っくん」などとも。

さわったり、
つぶしたりすると
強烈な匂いがつくので
見つけたら
そーっと捕獲する。

この虫が来ると
暖房が必要な寒さが来る。
毎年、
この虫がきたら
暖房器具を出す。


今年も
昨夜から
急に冷え込んできた。


自然界のいきものたちは
こうして
あすの気温を
予知できるのに・・・

すべては・・・

2013-10-13 05:06:00 | 私の思い 3
すべては
しかたないのだ、と思う。
どんなに健康に気を付けていても
病気になる時はなるし、
事故や災害にあうときはあう。
夫婦でも親子でも
いつかは別れなければならない。
すべては
しかたないことなのだ。

そう思って
自分の思いをねじ伏せてきたけれど
それでも

闘病中の
夫の暗い目、
失語の進んだ頃の不安げなまなざし、
それらを思い出すと
とてもとても
つらくなる。
どんなに不安だったことか、
どんなに苦しかったことか、
それなのに
私には
何もできなかった

予後を伝えることができず
いつも
「大丈夫だよ」としか言えなかった。
でも、
どんどん悪化していく病状から
夫は自分のいのちのおわりを
感じとっていただろう
その頃にはもう自分の思いを
ことばにすることは
できなくなっていたから
どんなに苦しかったことだろうと思う。


あのころの
夫の不安や苦しみに比べれば
今の私の不安やさみしさなど
とるにたらないものだ



哀しみが消えることは
決してない。
涙がかれることもない。
時間が解決してくれる、なんてこともない。
大切な人を喪ったおもいは
私が生きているかぎり、続く。

でも、
こんな思いをするのが
夫ではなく
私でよかったのだ。
夫にはこんな思いは
決してさせたくはない。





心配

2013-10-10 22:04:42 | 私の思い 3
今日は娘の大学病院だった。

娘の主治医は
診察のときに
必ず
「何か心配なことはありませんか?」
と尋ねてくださる。

私は
夫が病気になる前は
「この子のことは何も心配していません」と答えていた。
娘は
天性の明るさと
周囲の人たちの理解や思いやりに包まれて
毎日
楽しい生活をしていたし
そうした環境で育った娘は
「物事を楽しむ能力」がしっかり育っていたからだった。
この子は、どこにいても
それなりに
その時間を楽しむことができる、と思っていた。
そして何よりも
私には
「この子のことは」心配ではなくても
ほかにとても心配な子どもがあった。
それは
今も変わらない。

それでも

私は
「この子のこと」も
とても心配で心配でたまらない。
3人いる
どの子のことも
心配でたまらない。
私がいなくなったら
この子たちは
どうやって生きていくのだろうと思うと
不安で
心配で
たまらなくなる。


今日
大学病院で
ドクターから
おなじ質問をされ
「何もかも心配でたまりません」と答えた。
ドクターは
「その中で1週間とか2週間とかという単位で
 心配なことはありますか?」と聞いてくださった。
そうやって、問題点を整理して考えればいいのか・・・と
気づかせていただいた。


娘は
うまく自分の痛みや症状を伝えることができないし
耳鼻科の診察など
見たことがない医療器具を極端に怖がるので
知らない医師に診ていただくことはできないので
調子が悪くなっても
近くの病院にかかることはできない
(かかっても、うまく診察していただけない)
今日は
娘の体調で心配なことをいくつかご相談し
ドクターは
体調が悪くなったときに飲めるように
いろいろな症状にあわせた薬を
何種類か頓服として処方してくださった。

アレルギー鼻炎が出たとき
ぜろぜろした咳が出るとき
耳が痛いと言ったとき
アトピーがひどくなったとき・・


これらは
たぶん、私の「お守り」。
そして
それでも調子が悪かったら
いつでも来てください、と心強いお言葉も下さった。
これも、私の強力な「お守り」。
いつでも主治医のところに飛んで行って
相談できるということは
本当に心強い。




思えば
夫が名古屋の病院を
車いすで退院するときも
当時の主治医のお言葉は
私にとって
強力な「お守り」だった。

(困ったら)
「いつでも入院していいから」
「僕たちは全力で支えるから」
「そのために僕たちはいるんだから」

困った時には
いつでも受け入れてくださる場所があるということは
本当に大きな安心感につながった。


今は
長男のことを相談できる方がある。
これも
本当に心強いことだ。


こんなに恵まれているのに
それでも
不安で
心配でたまらない。
この精神状態は
やはり
「鬱」のせいなのか
私の不甲斐なさなのか・・・

娘のこと

2013-10-06 23:01:00 | 私の思い 3
娘は
いつもは
金曜日の夕方
ケアホームに迎えに行き
自宅で
金・土と二泊して
日曜日の午後
送っていく

娘とまる一日
一緒に過ごせるのは
土曜日だけなので
この日は
娘のために使うと決めていて
家事はほとんどしない

娘の行事だったり
外食や買い物だったり。

行楽地に行くことができない(私の鬱のせい)ので
出かけられるのは
市内だけだけれど



でも
やお寺のお付きあい(清掃など)で
週末も
娘をケアホームに預けなければならないことも多い

そんな時は
とてもつらい



私がいなくなったら
娘は
どんなふうに週末を過ごすのだろう