脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

早く・・・

2013-10-06 22:13:19 | 私の思い 3
2週間ぶりのまともなお休みも
あっという間に終わってしまった


身辺整理を進めたいけれど
遅々として進まず・・・


書きかけのエンディングノートも
ストップしたまま・・・


昨日、土曜日は
午前中は娘の行事があり
午後は娘を美容院に連れて行った。


今日は
寝室にしている部屋の大掃除をした。


自分が老人ホームに移るとき
持って行けるだけのもので暮らしたいのだけれど
田舎の
無駄に大きな家で
夫の思い出があるものは処分できず
来客時に必要なものもあり・・・
で、結局はあまり物は減らない


居間の定位置にある
夫の椅子も片づけられない。
いつも
そこに座ってテレビを見ていた
夫の姿を思い出す


いろいろなことが
わからなくなって
テレビを見ても
話の筋もわからないし
どこで
笑うのかもわからない・・・と言って
あまり
テレビも見なくなっていた
複視や視野狭窄もあり
「見る」という行為自体が苦痛になっていたのだろう
元気なころは
じっとしていることが嫌いな人だったから
めったに
テレビを見ていることなどなかった。
それなのに
毎日
テレビを見るしか
何もすることがないのは
どんなにつらかっただろうと思う。


私たちは
最後の望みを託して
「ノバリス」という治療を選んだ。
再発して
急激に
夫の大脳を蝕んで
夫から言葉を奪った腫瘍だったが
ノバリスの治療のおかげで
夫は「まだら」によくなった。
理解力がアップしたのに
表出言語の錯語は激しいという
とても残酷な症状が残ったために
夫は
自分の思いを伝えられずに
どんなにかつらかったことだろう


その後は
小脳から
延髄へと
腫瘍は急激に拡がっていった


それでもなお
夫は
娘の呼びかけにこたえていた
長男が来たときには
しっかり目を開けて
何かを言いたそうにしていた


あのとき
なにも治療をしなかったら
夫は
あんなに混乱することなく
あんなにつらい思いをすることもなく
完全失語のままでいたほうが
穏やかに過ごせたのではなかったのだろうか・・・


それは
今だから
思うことなのだと
わかってるけれど
くりかえし
くりかえし
思う





人は
いつかは
いのちの終わりを迎える


私も
いつかは
娘や
息子を残して
ゆくことになるのだろう


娘や
息子が
困らないように
一日も早く
きちんと
身辺整理をして
エンディングノートに
書き残しておきたいと
気持ちは焦るばかり

あなたへ 6

2013-10-05 23:19:00 | 私の思い 3
台所の蛇口が壊れて

もう
なおせないと思ったけれど

ホームセンターで
かわりになりそうな蛇口は
とても高くて・・・

いろいろ見て
結局、
パッキンを二種類買ってきて
一人で
直しましたよ。


あなたが元気だった頃には
いつも
あなたが直してくれた。


脳腫瘍の手術後は
高次脳機能障害のため
あなたはできると思っていても
できなくなってしまったことが
たくさんあって
私は
そのことにあなたが気づかないよう
修理の必要な場所を
あなたに気付かれないように
必死で隠しました。

この蛇口も
あのころから
水漏れが時々あったので
一度は
あなたが直してくれたのだけれど
もう
以前のようには
修理できなくなっていて
それでも
私は
「大丈夫、直ったよ」と
嘘をついたのでした。

今まで
シールテープを巻いたりして
なんとか使ってきましたが
とうとう
限界にきたようでした


ねえ、
私、
がんばっているでしょ


ねえ、
夢でもいいから
会いにきて・・・


もう・・・

2013-10-03 05:55:51 | 私の思い 3
気がつけば、もう10月・・・


いちにち
いちにちが
やっとの思いで


それでも
時間は
容赦なく過ぎてゆきます


一人の時は
泣いてばかりですが
仕事は
精一杯がんばっています


職場のイベントがおわり
後始末で
まだまだ忙しい毎日なのに
三日連続で
夜の外出をこなさなければなりませんでした




昨夜は
あなたがかわいがってくれた姪の
お姑さんが亡くなられ
隣市までお通夜のお参りに行きました
気丈に病と闘われたことをお聞きして
あなたの最後の日々を思いました


残された力をふりしぼって
娘の呼びかけに返事をしていたあなた


もう
何も話さなくなっていたのに
お見舞いの人がきてくださると
涙を流していたあなた


あのとき
あなたは
何を思っていたのでしょうか





澄んだあおぞらをみていると
あなたのこころをみているような気がします
とおい
とおいはるかな高みに
あなたの思いがあるような気がします。