脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

心配

2013-10-10 22:04:42 | 私の思い 3
今日は娘の大学病院だった。

娘の主治医は
診察のときに
必ず
「何か心配なことはありませんか?」
と尋ねてくださる。

私は
夫が病気になる前は
「この子のことは何も心配していません」と答えていた。
娘は
天性の明るさと
周囲の人たちの理解や思いやりに包まれて
毎日
楽しい生活をしていたし
そうした環境で育った娘は
「物事を楽しむ能力」がしっかり育っていたからだった。
この子は、どこにいても
それなりに
その時間を楽しむことができる、と思っていた。
そして何よりも
私には
「この子のことは」心配ではなくても
ほかにとても心配な子どもがあった。
それは
今も変わらない。

それでも

私は
「この子のこと」も
とても心配で心配でたまらない。
3人いる
どの子のことも
心配でたまらない。
私がいなくなったら
この子たちは
どうやって生きていくのだろうと思うと
不安で
心配で
たまらなくなる。


今日
大学病院で
ドクターから
おなじ質問をされ
「何もかも心配でたまりません」と答えた。
ドクターは
「その中で1週間とか2週間とかという単位で
 心配なことはありますか?」と聞いてくださった。
そうやって、問題点を整理して考えればいいのか・・・と
気づかせていただいた。


娘は
うまく自分の痛みや症状を伝えることができないし
耳鼻科の診察など
見たことがない医療器具を極端に怖がるので
知らない医師に診ていただくことはできないので
調子が悪くなっても
近くの病院にかかることはできない
(かかっても、うまく診察していただけない)
今日は
娘の体調で心配なことをいくつかご相談し
ドクターは
体調が悪くなったときに飲めるように
いろいろな症状にあわせた薬を
何種類か頓服として処方してくださった。

アレルギー鼻炎が出たとき
ぜろぜろした咳が出るとき
耳が痛いと言ったとき
アトピーがひどくなったとき・・


これらは
たぶん、私の「お守り」。
そして
それでも調子が悪かったら
いつでも来てください、と心強いお言葉も下さった。
これも、私の強力な「お守り」。
いつでも主治医のところに飛んで行って
相談できるということは
本当に心強い。




思えば
夫が名古屋の病院を
車いすで退院するときも
当時の主治医のお言葉は
私にとって
強力な「お守り」だった。

(困ったら)
「いつでも入院していいから」
「僕たちは全力で支えるから」
「そのために僕たちはいるんだから」

困った時には
いつでも受け入れてくださる場所があるということは
本当に大きな安心感につながった。


今は
長男のことを相談できる方がある。
これも
本当に心強いことだ。


こんなに恵まれているのに
それでも
不安で
心配でたまらない。
この精神状態は
やはり
「鬱」のせいなのか
私の不甲斐なさなのか・・・