ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

花は五月Ⅴ

2011-05-15 11:15:02 | Weblog
 画はエドゥアール・マネ  Edouard Manet

 1832-1883 / フランス / 印象派   作


 「Oeillets et clématite dans un vase de cristal」

 邦題

 「ガラス花瓶の中のカーネーションとクレマティス」です。


☆晴れ。

さて、「國芳特集」だというので、久方ぶりにNHK教育「日曜美術館」つけたら、

姜 尚中、首になったか? 消えてましたなw  森田美由紀が司会やってる。

重畳なり、まことにけっこう、 よほど苦情が来ておったんだろうよw

で、もう一枚だ、




「lilac_in_a_vase」です。

毎度ながら、

◆http://twitter.com/#!/tokaiama
東海アマ管理人            より抜粋、

#tokaiama 東海アマ管理人
岸井成格よ 「トイレなきマンション」と、今になってオマエが言う資格があるのか! 
これまで、さんざん原発を容認し、ヨイショしてきたオマエが。ふざけるな! 
報道は、これまで原発を推進してきた。テレ朝の玉川でさえそうだ。
昔から反原発だったような恥知らずの臭い演技の前に土下座して詫びろ!
38分前

#tokaiama 東海アマ管理人
東電からカネもらって公然と原発推進洗脳に荷担してきたサンデーモーニング、
カネが切れれば突然、反原発正義の味方に大変身! 推進宣伝員の寺島実郎も乾されたか? 
これからの問題は原発保有会社が倒産し誰も管理する者がいなくなることだ。
電力は倒産逃亡、原発逃げ捨てを狙ってる!
46分前

#tokaiama 東海アマ管理人
@ino_goo 待避すべきは福島から200キロ圏内の妊婦と子供たちです。
50歳を過ぎた人は被曝感受性が低く、それほど心配ありません。寿命が数年縮む程度でしょう。
だが胎児は知的障害起こす。乳児は激しい遺伝子損傷ガンの危機 子供たちも同じ。
胎児感受性は老人の3万倍以上
2時間前

#smart0401 アツコフ
@tokaiama 【拡散お願いします!】何としてもこの子を助けたい!!
→原発から20キロの避難所に両親をなくした一人っきりの2歳の子どもがいます
http://ow.ly/4Uwip 
誰も守る大人がいない。南相馬の雨に打たれているこの子を、何とか救い出したい!
9時間前



http://www.news-pj.net/genpatsu/2011/oshidori-0514.html
[NPJ 原発特別取材班] おしどりマコ・ケン 2011.5.14
宮城と南相馬の避難所の違い
  ~一人っきりの子供がいます~

より抜粋、

雰囲気の違う南相馬

そして、福島県南相馬市へと向かう。
  まず訪れたのは南相馬市民文化会館 「ゆめはっと」
  ここは自衛隊の基地となっていた。
  遺体の捜索をされる部隊が寝泊りをしていた。
  南相馬市文化事業団の事務局長に話を伺う。

  「南相馬は地獄です。4重苦の地獄です。」
  震災、津波、原発事故、風評被害。
  この事務局長が福島原発と言わず、「東京電力福島原発」 と呼ぶことに、深い意味を感じた。
  風評被害というのは、本当に物資が入ってこない、人が近づいてこない、ということだ。
  5月11日の時点で確かに空間線量は、福島市や郡山市より南相馬市のほうが低い。
  だがコンパスで同心円状に線引きした30キロ圏内ということで、3月の時点から物資がほとんど来ないのだ。
  あと、気になることも聞いた。

  仮設住宅は建設してるのだが、そこに入居希望をせず、
  ズルズルと避難所にいたり、ヤケになり逆切れする方も多い、とのこと。
  「仮設住宅に入ると、自分で生活せねばならないでしょう、避難所にいると三度のご飯は出てくるわけで…」
  本当か。今まで伺った、宮城の避難所と全く雰囲気が違う。

しかし、南相馬市原町区原町第二中学校、同石神第一小学校の2ヶ所の避難所を訪れて、少しずつわかってきた。
  まず、物資が圧倒的に少ない。
  今まで見た、あふれんばかりのお菓子などどこにもない。
  訪れた11日から初めて、暖かいご飯とおかず、というメニューになったとのことで、
  それまでの献立表を見せて頂いたら
  *オニギリ、バナナ、牛乳
  *オニギリ、ヨーグルト、ジュース
こんなメニューなのだ。それが2ヶ月も続いていたということか。

  新聞もやっと届くようになったのは1週間前から、とのこと。
  そして、宮城の避難所で溢れんばかりにあった毎日の 「希望新聞」 は無かった。ここにこそ希望が欲しかった。
  目はうつろ、暗い顔で足をひきずるように動く避難所の方々。
  事務局長の話を聞く顔も上の空で無反応だ。
  果たして、私たちを楽しんで頂けるのか!?

  渾身で舞台をし、本当に笑って、楽しんで頂けた。
  「2ヶ月ぶりに歌ったり笑ったりしたよ!」
  そう声をかけて頂いた。
  宮城の避難所では今まで、どんな有名人が来たか喜んで話し、専用のサイン帳を持つ方々も多かったというのに!

  その後、石神第二中学で避難所の方々とお話をした。
  というより、ほぼ、一人の子供と遊んでいたのだが。
  そのうち、事務局長が言っていた言葉の意味がわかってきた。
  南相馬は絶望しているのだ。
  家を仕事を無くしても、故郷を復興しようという気持ちにやっとなれた宮城の方々。
  南相馬は違う。
  家を仕事を、そして故郷まで無くしたのだ!
  物資は無く、国から見捨てられ、人も来ず、差別されている、という気持ち。
  それは本当に人を自暴自棄にさせる。
  また、そうはいっても放射線量が高いため、若い方や子供もほとんどいないのだ。

  しかし。
  私たちおしどりが今回一番衝撃的な出会いがここであった。
  福島第一原発から23キロしか離れていない石神第二小学校の避難所に、2歳児がいたのだ!!

  この子です。
  この子はおしどりの舞台が終わったあと、ひっついて離れなった。
  どこの避難所でも子供は人懐っこく、くっついてくるのだが、この子は違った。
  笑ってはしゃいだかと思うと全身を密着させ、じっとしている。
  他に子供はおらず、あまり仲良くなりすぎると、後の別れがつらい、と思い、
  何度も少しずつフェードアウトしようとしたが、すぐに見つかり、結局ほとんどひっついていた。




この子にはおじいさまがおり、少しずつ話を伺った。
  あまりおつらそうなので、無理に聞き出そうとはせず、アコーディオンの coba 氏がお聞きしたことと総合すると。
  この子の父母は恐らく津波で亡くなったということ。
  「ちょっといないんだよね」
  こういう言い方しかなさらないが、周りの方から少し聞いたのだ。
  おじいさまとおばあさまと、この子とで、一旦、新潟の長岡の避難所に移ったとのこと。
  しかし、そこでおばあさまも亡くなって。

  そして、この子が
  「南相馬の子に近づいたらダメ!」 と言われ続け差別を受けたとのこと。
  (それには、小さい子の親御さんは放射線被曝に、
   より神経質に気を使わなければいけない、という背景もあるのだろうが!)

  最終的に、また、おじいさまとこの子とで、南相馬の避難所に戻ってきたとのこと。
  この子は本当に愛くるしいかわいい女の子で、でも、天然パーマの髪の毛はボサボサで毛玉もできていた。
  服が湿っていたので聞いたら
  「遊んでたら雨に濡れたの」
  南相馬の雨に!!
  誰かこの子を守ってくれる人はいないのだろうか?
  誰もいなかった。
  おじいさまはもうこれ以上ムリ、というくらい傷ついて年老いておられた。
  まわりの方々も老人が多かった。
  青年は自分以外の家族を流され、どこにも行けず、南相馬にいるだけだった。
  「だっていないもん」
  「いないからね」
  このこの子がふと言った二言は、恐らく、パパとママのことではなかろうか。
  私たちが立ち上がるたび、
  「どこ行くの! どこ行くの!」 と絶叫したこの子。
  「どこも行かないよ、まだ遊べるよ」 と言い続けても帰る時間はせまる。
  とうとう帰る時間になり、
  「どこ行くの! どこ行くの!」という問いに
  おうちに帰るとは、とても言えない。なので
  「お仕事に行ってくるの」 と言うと
  「帰ってくる!? 帰ってくる!?」 と絶叫する。
  この子!
  「絶対、絶対、帰ってくる。絶対また遊ぼう!」
  そう言って、絶叫するこの子を後にした。


お願いします。
  この子を誰か助けてください。



※編集部注 : この2歳児を記事上、実名にするか、匿名にするか、NPJで相当議論を重ねましたが、
非科学的な差別を受ける可能性に鑑み、匿名とすることにしました。
もし、本当に差別をする人がいるなら、そのエネルギーを
避難できないままの多くの子供たちを救う ように政府に要求することに振り向けてほしい。
この子もそう願っているはずです。



「光と闇」の交錯。

辛い話だ、こたびの大震災で両親を亡くした子供たち、かなりの数になるのだとか?

きめ細かな対応が求められる、行政の、地域社会の、そして日本全体の。

マスゴミよ、こういう事実を報道せい!




追:1:30pm

とりあへず、一安心?

◆http://oshidori-mako.laff.jp/
恋のジャーナル(おしどり♀マコリーヌ)
2011年5月15日 (日)
◎「この子」の現況

NPJにおしどりの記事を載せて頂き、

http://www.news-pj.net/genpatsu/2011/oshidori-0514.html

たくさんの反響を頂きありがとう存じます。

現在、「この子」は

おじいさまと2人でいわき市に移っておられます。

しかし、いわき市の避難所も段々人数が少なくなり、
今月いっぱいで閉まるところも多い、とのこと。

いわき市のどちらに移られたか
お聞きしましたら、

おじいさまの弟さんのところだそうです。

私の連絡先をお伝えして、
現在、弟さんにご連絡を取っていただいて、

あちらからのご連絡待ちです。

たくさんの方々に
あの子のことを心配して頂いて
本当にありがとう存じます。

まだ、避難所にはたくさん残っておられました。

他の南相馬の避難所も同じような状況かと思います。

誰も人が近づかない避難所の状況を
どうぞ知ってください。



とあるが、心配だねぇ。