ランス大聖堂、シャガールをモチーフにした深水の「花窗玻璃」を読み終え、口直しのつもりで手にしたのが「その女アレックス」。この本、気分転換の飴玉の筈が、実は猛毒の果実だった。作品全体を覆う陰鬱な空気の中で、作者が仕掛けたのは巧妙で大胆な罠と知りながら、深刻で饒舌な形容詞の乱立に抵抗しつつも一気読みさせられる。最後のトリックは、賛否両論の中多くの賞をかっさらっただけのことはあるのだが、なぜかのど仏に小骨が刺さった読後感。おそらくそれは、アレックスと仏紙襲撃に共通して感じる憂鬱感がもたらしたもの。彼女が画策した積年の怨念と憎悪に満ちた復讐劇は、現代仏蘭西とイスラム諸国に蔓延した葛藤劇を共振させるものがあった。
事件以来、東洋の島国のマスメディアを連日賑わせてきた報道に対し、ある日は風刺と侮辱をはき違え「自由の責任」を忘れた言論人とやらに違和感を覚え、またある日は「目には目を」の教えを無視するムスリムの背後に彼らを操る魔物の影を感じ、またある日は「私はシャルリ-」とデモるEU指導者達が幕間のピエロのように滑稽にすら見えてしまう憂鬱感が、奇妙にアレックスの残忍さと共鳴してしまうのだった。
事件以来、東洋の島国のマスメディアを連日賑わせてきた報道に対し、ある日は風刺と侮辱をはき違え「自由の責任」を忘れた言論人とやらに違和感を覚え、またある日は「目には目を」の教えを無視するムスリムの背後に彼らを操る魔物の影を感じ、またある日は「私はシャルリ-」とデモるEU指導者達が幕間のピエロのように滑稽にすら見えてしまう憂鬱感が、奇妙にアレックスの残忍さと共鳴してしまうのだった。